初日 最新 目次 MAIL HOME


しもさんの「気になる一言」
しもさん
MAIL
HOME

My追加

2013年07月18日(木)
「士魂商才」と「堪忍柳画賛」

書籍「海賊とよばれた男」(百田尚樹著・講談社刊・
上巻380頁・下巻362頁・計742頁)から。
昔、同級生がこんな川柳を口にしたのを覚えている。
「偉人伝 お疲れ様と 読み終えり」
まさに、主人公に「お疲れ様でした」と声を掛けたくなった。
多くのメモから、私が選んだのは、2つの言葉。
「士魂商才」(武士の心を持って、商いせよ)は、
彼が、儲かる、儲からないではなく、正しいか、正しくないか、
人の道を踏み外していないか、そんな判断の心をもって、
商売をしてきた、そんな気がしたからだ。
また、仙厓和尚(江戸時代)が描いた、風になびく柳の絵
「堪忍柳画賛」(気に入らぬ 風もあろうに 柳かな)
「いろいろな軋轢や衝突をうまく受け流し、
大地にしっかり根を下ろせ」という意味で使われている。
いかにも大きな敵と戦ってきたイメージがあるが、
読み終えると、爽やかさが残るのは、このためだろう。
「戦いはあえて敵の懐に飛び込まねばならぬ時もある」
そう言った戦術は、柳でなくちゃ出来ないものなぁ。
今の時代にも通じる考え方に違いない。



2013年07月17日(水)
アソコが濡れてきたわ、と言っても燃えない?

意外と期待されている、水曜日、エッチネタですが・・(汗)
映画「クローサー(2004)」(マイク・ニコルズ監督)から。
ジュリア・ロバーツ扮する「女性写真家」をはじめ、
小説家志望のジャーナリスト、医師、アメリカから来た女性ストリッパー、
主人公の4人がロンドンを舞台に、いろいろな場面で絡み合うのだが・・。
多く残されたメモから、どれを選ぼうか迷ったが、
やはり、読者の反応を意識することなく、自分の気持ちに向き合って、
一番インパクトのある会話を記憶に残したい。
それは、女性からのエッチ(セックス)へのある誘い文句。
「アソコが濡れてきたわ、と言っても燃えない?」
いくら正義感ぶった男であっても、たぶんこの台詞にはかなわない。
たしかに「据え膳食わぬは男の恥」の時代は終わったけれど、
女性とふたりきりになって「アソコが濡れてきたわ」と言われ、
興奮しない(燃えない)男は、たぶん、いないと思う。(笑)
「あなたに抱いて欲しいの」みたいな直接的な表現ではないけれど、
男の脳は想像を膨らませ続けて、我慢できなくなるに違いない。
物語でも男は「そう言われればね」と認めてしまう。
映倫区分(R15+)の指定だと知りながらも、興奮したから気になる一言。
そんなこと言われても、燃えない男なんて男じゃないな、
そんなことを感じながら、メモの整理をした。
「子どもは欲しい?」「ええ、今日じゃないわよ」の会話も笑えたし、
「君のあそこの味は?」「天国の味」と、メモの多くがシモネタなのに、
イヤらしさを感じなかったのは、俳優たちの力なのか・・
大人の映画ってことなのかなぁ。



2013年07月16日(火)
「というわけで」の百田尚樹(錨を上げよ)

書籍「錨を上げよ!」(百田尚樹著・講談社刊・
上巻591頁・下巻616頁・計1207頁)より。
これだけでは、きっとなんのことか、わからないだろう。
上・下巻を読み続けていくうちに、あるリズムに気がついた。
それが「というわけで」という改行。
普通「改行」と言うと、物語が展開して段落を変える時に、
「そして」「ところで」等の、接続詞を繋ぎながら、
話がつながっていくのだが、彼の作品は、
圧倒的に「というわけで」というフレーズを利用して、
段落が始まるケースが多い。
「とはいえ」「とにかく」「ともあれ」等も使われているが、
とにかく「というわけで」がダントツ。
メモし終えてから、数えたら、なんと「46回」。(笑)
しばらく作品にのめり込んでいくと、
「というわけで」をキーワードにして、まとめに入っていく。
これが、作者独特の文体、リズムなのかもしれない。
こういう発見って、けっこう好きです、私。



2013年07月15日(月)
誕生日から20,124日経過(2013.7.9現在)

生命保険会社の方が届けてくれる情報の一つに、
私個人のバイオリズム表がある。
私は、どちらかというと「運・不運」を意識しているが、
根拠のない占いよりは、当たっている気がする。
ところで、バイオリズム表の欄外に、面白いデータを見つけた。
正確には「誕生日(昭和33年6月4日)から計算基準日
(2013年7月9日)まで20,124日経過」の1行。
誕生日のたびに「生まれてから○年」と意識するけれど、
「生まれてから○日」というのは、新しい発見だった。
そうなると、今年の3月7日に20,000日を迎えたことになる。
頑張って生きてきたなぁ、と自分で自分を誉めたくなった。
小さい頃、海に落ちて死にそうになったりもしたが、
20,000回以上、起きて寝ることを繰り返してきたのは事実。
これから、誕生日は「○日経過」を意識してみたい。
自分が誇れて好きになる、バックデータに違いないのだから。

P.S.
誕生日が和暦で、基準日が西暦ってのも、気になるけど(笑)



2013年07月14日(日)
弾丸登山者にとっての「ご来光」の意味は?

世界文化遺産登録後の富士登山者は、驚くほど増えている。(らしい)
しかし、弾丸登山に代表される、注意を呼びかけても無視し、
体調を崩すという、ルール・マナーをわきまえない人たちが、
勢いだけで果敢にアタックしていることも見逃せない。
そもそも「頂上でご来光を」と欲張るからであるが、
山岳信仰と太陽信仰、どちらの信仰心も持ち合わせていない、
単なるミーハー的な発想から登るとしたら、
富士山の登山は、人生を変えるほどのインパクトは少ない。
下山後、生活の変化は見られず、また同じ生活の繰り返し、
不平不満ばかり口にする、そんな光景が目に浮かぶ。
雲海に浮かぶ太陽だったら、たぶんどこだって見られる。
ルールやマナーを無視してまで登った富士山から拝んだ太陽に
何を祈り、何を誓い、手を合わせるのか。
富士山を「霊峰」というのであれば、
信仰の対象として(文化遺産として)、自分にも厳しく対峙する、
そんな心構えが必要ではないか、と思う。
いやいや「霊峰富士」の名を世界に残すためには、
「修験者以外の入山禁止」がもっとも相応しい気がする。
過激かもしれないが「文化遺産」の意味をもう一度、考えたい。
だからこそ「弾丸登山者にとっての『ご来光』の意味は?」を
気になる一言に残そうと思う。



2013年07月13日(土)
アジアは水がないから貧しい、あれば豊か

第159回泉のまちカレッジ、裾野市の渡邉浩さんが語る
「徒歩世界一周の軌跡」(17年間に22,300kmを歩く)から。
スライドを交えて四大陸のこぼれ話と川柳で、
あっという間に、予定の時間は過ぎた。
一里(4キロ)1時間のペースで歩いたという体力だけでなく、
少しの英語しか話せないというのに、
世界を歩いて回ったという事実と勇気に脱帽である。
さて、その中でも、私が気になったのは
彼が「歩いて学んだこと」の1つ。
「アジアは水がないから貧しい、あれば豊か」だった。
雨さえ降れば、なんとかなる、そんな表現もしていた。
「アジアは水との戦いがすべて」と言っても過言ではない。
そう言えば「サバク」は本来「沙漠」と書くらしい。
(確かに、変換すると「沙漠」「砂漠」の二種類ある)
本来、サバクとは「石が少ない」のではなく「水が少ない」、
だから「沙漠」と書く、そんな説明を妙に納得してしまった。
日本は四季があり、森林に育まれ、水も豊富。
それだけでも、日本は不思議な国、神の国って気がしてきた。
旅に出て、改めて日本の良さに気付くのかもしれないな。
石油より、水の方が貴重って誰かが言ってたのも頷ける。



2013年07月12日(金)
ここから2時間強ですかね

久しぶりに集ったメンバーで、花の金曜日を過ごし、
沼津市のこと、清水町のこと、富士登山のこと、
そして大切なまちづくりについて、大いに意見を交わした。
職場以外の人との意見交換は、私にとってとても刺激があり、
時間が許す限り参加している。
話が弾み、2軒目のお店を出たのが、午前0時を少し回った頃、
同じ方向に帰るので、沼津駅北口駅からタクシーかと思ったら、
若い彼は、歩いて帰ると言う。
よし、私も・・と付き合うことにしたが、どう考えたって
私の家まで徒歩で1時間はかかる。
彼の家は、三島市大場だと聞いていたから、
「まさか歩かないよな?」と訊き直したら、
「ここから2時間強ですかね」と、さらっと答えた。
その一言で、会話を楽しみながら貯めた今日のメモが吹っ飛んだ。
私でさえ、歩いて帰ると口にすると驚かれるのに、
沼津駅北口から三島市大場まで歩いて帰るなんて、想像もつかない。
その時に気がついたことは、私は歩いても1時間が限界。(汗)
予定どおり、深夜1時過ぎに、そ〜っと帰宅したが、
彼はまだ歩いているのか、と思うと、この事実を書き留めたくなった。
飲んだ後、それも深夜をまわってから2時間歩くって、凄すぎる。
彼は、今、どの辺りを歩いているのだろうか・・。



2013年07月11日(木)
子どもって説明する言葉を持ってないだけで・・

映画「うさぎドロップ」(SABU監督)から。
何かの縁で、小さい子どもを若い青年がひとりで必死に育てる、
そんな作品設定は、洋画・邦画を問わず、今までに何度もあったし、
たぶん、これからも同じような設定で生まれることだろう。
しかし、松山ケンイチさん・芦田愛菜さんのコンビは、
私の心を、予想以上に揺さぶった、と言ってもいい。
勢いだけで突っ走る青年の「強情」は、時に「不器用」だけが目立ち、
他人の意見を受け入れない、そんな姿勢・態度になるものだが、
今回は、他人に相談したり、同じ世代の意見を聞き入れることで、
子育てのヒントを掴んでいく。
それまでとはあまりに違う生活に悩み、職場の女性に訊ねる。
「お子さんのことで、自分が犠牲になってるって思ったことありますか?」
しばらくして、彼女がボソッと呟く。「子どもの時間も自分の時間だから」
こんな会話のひとつにも、妙に納得して感心していたら、
「なに? 私、今いいこと言った?」と訊かれ「はい、言いました」と彼。
印象的なシーンである。
さらに、家族のために荷物の集配作業をしている若い父親たちが、
子どもの心について語るシーンは、私のメモが止まらなかった。
「子どもって言葉選んで丁寧に話せば伝わるし、
それで、けっこう難しいこと考えてんだよなぁ」とか
「子どもって説明する言葉を持ってないだけで、
心の中はもう随分複雑になってんだよなぁ」という台詞は、
子育てが終わった私にとって、胸が締め付けられた。
今の若い人たちの子育て、応援したくなった作品である。

P.S.
子ども議会での小学生の質問や提案を聴いていると、
これっていい提案だなぁ、と思うことが多い。
彼らの提案を実現してあげるのが、私たちの仕事なんだよなぁ。



2013年07月10日(水)
いつものように変わりなく。

書籍「私は虫である。」(熊田千佳慕の言葉)
(熊田千佳慕著・求龍堂刊・173頁)から。
展覧会を開催していた美術館のショップで手にした、
彼の言葉を集めた書籍は、すっと私の心の中に溶け込んできた。
「いつものように朝のセレモニーが終わる。
いつものように変わりなく。最上の幸せとは、こんなものかしら」
最近、私が感じていた幸せと同じだ、とメモをした。
5時45分の目覚めから続く、私の平日朝のセレモニー。
足のマッサージから、朝食、朝刊の記事確認、
家を出てから、柿田川公園の散策や貴船神社でお祈りし、
8時5分に職場に着くまで、毎朝規則正しく繰り返される時間。
いつものように始まり、いつものように終わる。
いつものように変わりなく、その時間が流れた時、
なぜか、私は幸せを感じる。
ちょっとずれると、通勤途中の信号が変わってしまったり。(汗)
「小さな自然を愛し、小さなゆとりを持って、
小さな幸せを持つ。これ生活の中のゆとりである。」
「わざわざ休日を作ったり、遊びの時間を作ったりすることが、
『ゆとり』であると思うのは、大きな間違いである。」
彼の「ゆとり」に対する考え方に、拍手を送りたい。
そして、ささやかに「乾杯」(笑)



2013年07月09日(火)
コンサートに扇子はセンスがないね

あるコンサートの出来事。
大きな会場だから仕方ないのかもしれないが、
前列の方が空席がめだった中、一番前の席のど真ん中、
一人の観客がドカッとすわり、始終「扇子」を使っている。
見たくなくても、ステージ中央に目をやると、
どうしても視界に入ってしまうから気になって仕方がない。
ステージ上のリズムと、扇子のリズムがアンバランスで
なんとも言えない鬱陶しさを感じたまま、演奏会を終えた。
これって、誰も注意しないし、ルールでもないけれど、
会場の後ろの方に座っていた方からは、
同じような不満が聞こえたので、私だけではなさそうだ。
たぶん、本人も気付いていないし、
他にも何人か扇子を使っていたので、悪いことではない。
ただ「センスがないね」と駄洒落を使いながら、
そこまで配慮できたら素晴らしいのになぁ、と感じた。
「コンサートに扇子はセンスがないね」
演奏者と観客の関係だけでなく、観客と観客の関係だからこそ、
私たちが気をつけなければいけないことなんだよなぁ。