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しもさんの「気になる一言」
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2011年11月16日(水)
2人とも身勝手すぎるわ

映画「恋するベーカリー」(ナンシー・マイヤーズ監督)から。
メリル・ストリープ主演の「恋愛コメディ」との解説だが、
私の感想は、ちょっと違う。
10年前に離婚した夫婦が、10年後に再会し、
お互い惹かれあい、ラストは結ばれる、という展開であるが、
あまりスッキリとした話には感じられなかった。
それを象徴する台詞は、成人した2人の子どもたちが口にした。
「2人とも身勝手すぎるわ」
一番多感な頃、父親と母親が離婚した事実は、
子どもたちにとって心の傷となって残る。
そんなことも忘れて、また寄りを戻すと言い出した両親に、
言い放った台詞こそ、この映画に対する私の感想に近い。
この台詞を言いたくなった人たちは、彼らの子どもだけでなく、
彼と結婚した若妻、彼女の魅力に引かれた建築士も同じだろう。
心のままに動くのはいいけれど、多くの人たちを巻き込んで、
自分たちだけ、やっぱり元に戻りました・・は、いただけない。
全体を通しての感想も「2人とも身勝手すぎるわ」である。



2011年11月15日(火)
学校へのお礼の気持ちが学費納入

書籍「夫婦口論」(二人で「老い」を生きる知恵)
三浦朱門&曽野綾子著・扶桑社新書(育鵬社刊・229頁)から。
最近、静岡県がクローズアップされている、教員の不祥事。
もう策がない、と悩むのもわからなくないが、
それって個人の病気だから・・で片付けるのも、あまり進歩がない。
解決になるかわからないが、本著のメモにヒントを見つけた。
正式には、もう少し長い。「学校に教育してもらうことに対する、
ささやかなお礼の気持ちが、学費納入」とある。
先生と生徒、さらに保護者との理想的な関係を、表現していると思う。
大切な自分たちの子どもを、一人前の人間として教育してもらうから、
学校に、いや先生方に、ささやかなお礼として、学費納入をする。
これが、本来の「学校」と「家庭」の姿なのかな、と思う。
お礼に価する「教育」は、簡単には出来ないけれど、
先生方の一所懸命な姿がなければ、
セクハラ等の不祥事を起こさないがやる気の見えない教師に、
お礼の気持ちは湧いてこない。
それは、公務員の私たちでも同じことが言える。
「まちづくりへのお礼の気持ちが税金」なのだから、
お礼がいただけるように、頑張らなくちゃな。



2011年11月14日(月)
「チャレンジ」と「ギャンブル」の違い

同じようなことを、同じような人がしても、
「チャレンジャーだね」と言われる人と
「ギャンブラーだなぁ」と言われる人がいる。
この違いは何だろうか、と真剣に考えていたら、
あるテレビ番組で、これかな?というヒントを頂いた。
(すみません、情報源の番組名を忘れました(汗))
言葉にすると難しい定義も、数字にしてみると
なるほどなぁ、と説得力がある定義になる例えであろう。
ある人からみて「51パーセント以上の確率」があれば
「チャレンジャー」と定義する。
逆に「49パーセント以下の確率」しかなければ
「ギャンブラー」と定義される、というのである。
今日、帰宅してから見つけたYahooトピックスの
「TPP決断を評価51% 読売調査」を見て、同じことを考えた。
確率と評価は、ちょっと違うかもしれないけれど、
野田総理は、TPPに関して、ギャンブラーではなく、
チャレンジャーという評価であったのかもしれない。
しかし、しかし「50パーセントの確率(評価)」と判断したら
何と呼べばいいんだろうか、という疑問にもぶつかった。
面白い呼び名があったら、是非、私に教えて欲しい。
「チャレンジ」と「ギャンブル」の間のこと・・。



2011年11月13日(日)
裁判に面白さを求めてはいけない

映画「ステキな金縛り」(三谷幸喜監督)から。
法廷でちょっとふざけすぎたかな・・が第一印象。
「バナナをバナナと言って何が悪い」から始まり、
いろいろなシーンでありえな〜い、と思うことが・・。
もちろん、喜劇とわかっているのだが、
法廷シーンでは笑いきれなかったのは、なぜだろう。
それ以外の笑いシーンは、期待どおり。
「ようこそ 落ち武者の里へ」という観光看板も、
タクシー運転手との会話も、クスッという面白さがあった。
だからこそ、気になる一言に選んだ台詞は、
中井貴一さん扮する豪腕検事が、奇想天外な展開に
呆れて呟いた「裁判に面白さを求めてはいけない」。
理論が必要な謎解きになってしまったからか、
それとも、後半で、センチメンタルになったからか。
たぶん・・・少しだけど、上映時間が長かったからかも。



2011年11月12日(土)
私たちの目標は、(みんなで)この舞台に立つこと

清水町芸術祭・発表の部を明日に控え、
私たち、同級生混声合唱団は、6回目の舞台に立つ。
今晩は、入場・退場も含め、総練習で集まったのだが、
指導しているのも、音楽の先生になった同級生。
52〜53歳を迎えた我ら中高年を「女子」「男子」と呼び、
けっこう厳しい中にも、和やかな練習を行っているが、
その彼女が、練習の終盤、私たちに向かっていった。
「私たちの目標は、(みんなで)この舞台に立つこと」。
月に1度の練習であるが、年に1度のこの舞台に立つことを目標に、
自分や家族の病気に休むことはあっても、励ましながら続けてきた。
そしてお互いの「絆」を深めてきた、その喜びが伝わってくる言葉である。
曲目は、今年の1月に選曲した「ふるさと」(震災で脚光を浴びたが・・)
札幌冬季オリンピックの「虹と雪のバラード」。
昨年に比べ、練習不足・メンバー不足と、不安材料はあるが、
それでも、一所懸命、練習をしてきた。(つもり(汗))
明日、2曲を歌い終えた後、みんなでこう言いたい。
「やっぱり、みんなの前で歌うのは気持ちよかったぁ」



2011年11月11日(金)
カレーは飲み物だから(笑)

カレー好きって、面白い、いや、可笑しなもので、
どんな食べ物屋に行っても、メニューにカレーがあると
気になって、迷ってしまう。
吉野家に牛丼を食べに行ったはずなのに、
カレーがあると、牛丼カレーにしてしまうって具合に。
蕎麦屋だろうと、ファミレスだろうと、ラーメン屋だろうと、
メニューに「カレー」の文字を見つけると、
一応、試食してみたくなるのが、カレー好きの弱点である。
さらに、自宅では大量に作ってもらい、朝・昼・晩の食事が
「カレー」というのも、そんなに珍しいことではない。
もしかしたら、それが3日間くらい続いても・・(笑)。
そんなカレー好き同士で話をしていて、
「どうして、カレーだとこんなに食べられるんだろうね?」と
何気なく訊ねたら、あっさりと答えを導き出してくれた。
「カレーは飲み物だから(笑)」
そう、そう、その感覚・・と、メモをした。
読者でも、頷いてくれる人がいることを望むけれど、
なかなか理解し難い感覚なんだろうなぁ、きっと。



2011年11月10日(木)
未来が見えない社会に震災が襲った

先日、開催された「第60回 静岡県公民館大会」、
記念講演は「3.11以後の社会教育。
新たなる公共の基点としての公民館のあり方」と題して、
NPO法人・教育支援協会代表理事、吉田博彦氏。
いつものように、多くのメモが残ったが、その中でも
「なぜ、東北は復興が進まないのか」という視点が面白かった。
震災から、8ヶ月。阪神淡路大震災の時と違って、
思うように進まないのは、政府の対応の遅れ、と思う人が多い。
実は私も、そう思っていた。
しかし、彼の発言でハッとさせられたのは、言うまでもない。
「どういう復興を成し遂げるかというイメージが、
被災者にできていない」、言い換えれば、
「被災地の多くが過疎などの地域の問題を抱えていた地域で、
そのまま、元のように復興したのでは問題は解決しないまま」
だから「神戸」のように、元のように戻せばいい、という
イメージが出来ていた地域とは違う、ということ。
「未来が見えない社会に震災が襲った」、そう表現した。
そんな視点で、これからの「東北の復興」をみていきたい。



2011年11月09日(水)
そんな坊やに興味を示す女にゃ興味ないね

映画「さよならゲーム」(ロン・シェルトン監督)から。
原題の「BULL DURHAM」が、どうして日本語になると
「さよならゲーム」になるのか、理解に苦しんだ。
原題(ブル・ダーラム)はノース・キャロライナ州にある
タバコ会社の名前、であるにもかかわらず・・。
野球好きだからこそ、その結末に期待したのに、残念であった。
物語前半、野球狂の熟女アニーに誘われても、言い返した台詞。
「そんな坊やに興味を示す女にゃ興味ないね」
おぉ、カッコいい・・とメモしたにもかかわらず、
最後には「興味を示す」では留まらず、彼女とセックスまで・・。
最初の台詞は、なんだったんだよ・・と消化不良で観終えた。
野球が好きだからこそ、気になるシーンは多い。
私自身、何度も球場へ足を運んでいるから、いくら映画とはいえ、
そのプレーの甘さに、納得できないシーンが多かった気がする。
スピード感だけでなく、全体を包む緊張感がなかったからか、
イマイチ、作品にのめり込めなかった。
もうしばらく「スポーツ」を題材にした映画を観てみようと思う。



2011年11月08日(火)
「多機能携帯電話」VS「電話機能つきパソコン」

今年のヒット商品、ナンバーワンは「スマートフォン」
そんな話題を耳にした。もちろん異論はない。
しかし「スマホ」を日本語に訳すと、意見が分かれる。
その違いが「多機能携帯電話・電話機能つきパソコン」。
スマートフォンを「携帯電話」と考えるか、
「パソコン」と考えるかによって、その定義は変わる。
「スマホ」は「ケイタイ」の「進化系」と考えれば
「多機能携帯電話」だし、
「パソコン」の「超小型化」と考えれば「電話機能つきパソコン」。
私は、後者の定義を支持したい。
逆に「ケータイ」は「インターネット機能つき携帯電話」であり、
小型化されたパソコンの「スマホ」とは、関連がない。
だから「携帯電話」と「スマホ」を持ち歩く人は理解できるが、
「小型パソコン」と「スマホ」を持ち歩く人は理解出来ない。
ただ、先日も「気になる一言」に書いたが、
「スマホ」の使い方くらい知らないと、困るよなぁ(笑)



2011年11月07日(月)
教育は、全て強制から始まるんですね。

書籍「夫婦口論」(二人で「老い」を生きる知恵)
三浦朱門&曽野綾子著・扶桑社新書(育鵬社刊・229頁)から。
そうそう・・と思ってメモをした一節。
「教育は、全て強制から始まるんですね。
最初に強制された型があるからこそ、
そこからどう解き放たれるかという自由があり、
はみ出る面白さがあるんですね。
いろいろなものを無理やり押し付けるというのが、
その子の個性を伸ばしていく最大の道筋だと僕は思います。」
その「強制」がなくなり、最初から「自由」になったから、
個性も伸びてこない、という視点であろう。
さらに「損することができる人間を育てるのが教育」、
この言葉に、頷くばかりであった。
「教育」の意味を、もう一度、じっくり考えてみたい。
そして、子どもたちの(学校)教育だけでなく、
職場での(社員)教育、地域での(社会)教育にも活かしてみたい。
きっと、共通項があるはずだから。