不規則解剖日記
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2001年12月27日(木) はい。

私は欲望人間です。


2001年12月20日(木) 馬鹿な教師達

「推薦取り消し」私の後輩のHに向けられた現実だ。
その理由といえば、その子の在学先(私の母校でもある)の小さな教室で行われる
推薦入試説明会での遅刻。たった二分の遅刻で、入学から約三年間分の努力が消えてなくなったのだ。推薦というのは学校に通っている間努力して、はじめて学校から推薦されるものだろう。口でいうのは簡単だが、成績をあげなければならないし、出席日数だって四日以内とか制限されているはず。私も、高校受験する時には
なるべく成績をあげるように夜寝ずに勉強に明け暮れたものだった。Hも相当負けず嫌いだから成績は申し分ないほど上がったはずだ。だから推薦されたんだろう。それなのに、教師達はその子の努力を切り捨てたんだ。確かに、遅刻するHも悪い。だが、それだけで推薦取り消しはあんまりだろう。
推薦入試説明会を行っていた教師達は四人で、彼らの事は私も知っていた。教えてもらっていたからだ。思えば、その中の一人は好き嫌いが激しく、傲慢で、ガキっぽかったっけ。もう一人は汚い先生。やり方が汚い。いわゆる、影方タイプだ。あーあ。美術の先生もか。あの人は好き嫌いが激しかったな。でも一番酷いのは家庭科の先生か。今回の説明会の指揮をとってたのはこの先生だったみたいだけど。
この先生はやっぱり好き嫌いが激しい。けどそれだけじゃない。受験前の生徒たちをわざと揺さぶり、不安にさせ、それを見下すような先生だ。人の気持ちがわからない。PTAのお母さん達が球技大会をした子供達のために朝から生徒たち全員ブンのトン汁を作ったときも、「ごくろうさまです」の一言も言わず「何でそんなに作ったのよ」お前自身がが言われたら顔真っ赤にして怒るくせに。
私が高校合格して制服を着、友達と報告に行ったときも、たまたま近くにいた家庭科の先生は私に向かってこう言った「貴方がきちゃぁねぇ…」…ふん。私が着て悪いのか。
私の学年が受験のシーズンに入った時も、わざと荷物検査をさせ、忘れ物一点につきマイナス一点。この時期の生徒は一点でも点数を上げたいと思うのが普通だろう。なのにうちの中学の教師どもはそういう残酷な事を平気でやる。
…今度は推薦取り消しかよ。いったいどれだけ人に人生狂わせば気が済むんだよ。
今にでも学校やら教育委員会やらに怒鳴り込みたい気分だが、それではHが折角我慢して言わないでおいているのに私が言っていざいこざが出来てしまっては台無しだろう。そうだ。一番悔しいのはHだ。今までの努力が自分が遅刻したせいで水の泡になってしまったんだから。学校を、自分を憎んだだろう。
まったく、何のためにカウンセリングルームを導入したんだ。生徒ではなく、まず教師が行け。

これからの教育は絶対に改めなければいけないだろう。
…今まで私は黙って見てきたが、私をなめるなよ。後輩先輩の交友範囲は広いんだ。卒業しても情報は入ってくるからな。
一度私が在学中に脅しをかけたことがあっただろう?そうそう荷物検査で推薦範囲から外れてしまった子が大勢出たときね。でも親は何も言わなかった。これ以上自分の子供の内申下げられると困るからだ。だから私が言った。私もいい加減、教師達のやり方にうんざりしたからだ。脅しっていう脅しじゃ無かったと思うんだが、
何だか先生やけに驚いてた。確か…「もうそろそろ、いい加減にしないと教育委員会に訴えますよ。今は一人で動くのが怖いだけ。だけど、一人が動けばあとに続く者が現れますよ?」
こんな感じのことを言っただけだったが…。それを例の家庭科の先生に言ったんだが…いや、さすがに内申下がるかと思ったが(だって絶対性じゃないんだし)家庭科テスト98点取ったら4だったよ。やっぱあんまり下げられないみたい。本当は5なんだけどなぁ…。
あぁ。話がまとまってない。人事じゃなく、時運も経験のあることだからなおさらむかつく。むかつくと話がまとまんなくなる。
ま、日記だし。読み取ってくださいな。


2001年12月18日(火) コンセント

人間の死は多くの謎を生む。
残された人間は一生かかってその謎を解いていかねばならない。


2001年12月01日(土) なんか。

アメリカ大変だよね。
でも攻撃されてる方がもっと大変。
出来る事なら戦争なんてものは起こってほしくなかったんだけど…。
こんな暗い雰囲気を雅子ちゃんの出産おめでとうムードがかき消して
くれれば良いんだけど。
キョウの方も、元気がないようなので早く立ち直ってほしい所。
そして、お年玉に期待すべし。
…槙井さん。すいません。古典分かりません。


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