岸部・・・?

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2005年12月31日(土) タイムマシーン

徹夜明けの今朝、家族の朝食の時間があまりにも平和だったので、「未来からタイムマシーンでやって来た」っていう設定で未来の自分から今朝の朝食を眺めてみる気になった。その視線によると、70歳ぐらいの自分が28歳当時を体験するような気持ちで物事を見ることができる。

母ちゃんを見れば、「ああ…こんなに若かったなあ。母ちゃんの飯うめえ!」とか、父ちゃんが新聞を読み耽る姿を見れば、「いつもこうやって世間の動向に目を向けていたなあ」とか、散らかった台所を見れば、「おお!婆ちゃんも健在やな」とか。家族も、物も、普遍的じゃない全てが、さも普遍的らしくそこに存在していて、すごくいい感じ。

これが普段なら、「母ちゃん老けたぜ!歳はとりたくないもんだな!」「オヤジ新聞の音うるせえ!人の話聞け!そしてお前の話は聞きたくねえ!」「クソババア使い方が汚ねえ!毎度毎度散らかすなこの老いぼれ!余命いくばくもないぜ!」などと、自分を撃ち抜く言葉とも知らずに吐き捨てていたところ。

上記の異常な懐かしみは、自分で作り上げたオナニー的な郷愁とも言えるけど、今いる誰かがいなくなった時に現実に思い起こすであろうものでもあるし、現にある日常を感謝することにも繋がる。父ちゃんがいる風景から父ちゃんを消してみると、父ちゃんがそこにいることが当たり前じゃないことがわかる。でも、今は消してみる必要はない。

そんな風に、家族が健康でいることを感謝したい気持ちで満たされ、うっすら涙さえ出そうになって、その気持ちを家族に披露したいところだったけど、年の暮れに息子が涙目でそんなことを訴えてくれば、当の本人達は、「やばい、朝っぱらから息子がわけわからんこと言い出した。来年から不安すぎる。」などといらぬ不安を抱えることになるので、その自作の郷愁と感謝の気持ちを胸の奥にしまった。

「そうやって家族がおれのこの感謝の気持ちを知らずに死んでいくのはよくないな」と思ったおれは、いっそのことタイムマシーンからやって来たことを暴露して感謝の意を述べてしまおうか(例:「お母さん、おれはタイムマシーンに乗って未来からやってきたおれだ。未来のおれから告げる。ありがとう!」など。)とも思ったけど、その後の気まずさを想像したらそんなこと絶対できん!しかも、そっちの方がよっぽど狂ったと思われて即病院行きやないか!っていうか実際おれはちょっとおかしいんじゃないか?

結果、「日常の平和を噛み締めたい」と一人で呟いてみるに過ぎなかった。その言葉に母ちゃんは賛同したけど、父ちゃんは新聞を読んでいた。人の話聞け!


2005年12月27日(火) わしにはわからんあほじゃけえ

M―1は、おもしろいとかとは違う境地に入ってきたように思う。


2005年12月20日(火) 暮れなずむ

髪を切りに行ったら安藤忠雄みたいな髪型にされた。
でもしばらくこれで行く。年末年始、久しぶりに会う友人達には、忠雄で会うことになるな。まあべつにいいや。

安藤忠雄といえば、夢の中の喫茶店にやたら厳しい顔をした忠雄ルックなおっさんがいた。そのルックスライク忠雄はしばらくすると店員を激しく叱咤していて、「もういいよ!」みたいなことを言って店を出て行こうとした。ルックスライク忠雄は、おれらの横を通り過ぎる時にいきなり、おれめがけてテーブルをひっくり返し、かと思うと、すかさずおれの首を絞めにかかった。なんで?と思いながらも苦しくて「やばい、まじ死ぬ」と思った瞬間、横からマスクをかぶったレスラーが飛び蹴りで助けに入ってくれて助かった。ルックスライク忠雄はそれでもガンとしておれを睨み続けていた。そこで目が覚めた。気がついたら胸に手を置いていた。胸に手置いて寝たら怖い夢見るのあれなんで?変なシステム。朝勃ちぐらい変なシステム。それと、あん時助けてくれたマスクドレスラーありがとう!

ところで今日、「今日の晩飯はマグロ丼よ〜」ってことで母親が山芋をすってたわけですよ。そん時に母親が「ああーっ!」て言うんで見たら、すった山芋が間違ってキッチンの前のところに垂れていて、「うわー精子みたいやな」って思った直後、母親が慌てて指ですくい取り出したんですよ。丁寧に。丹念に。なんか、そんな状況とか、精子をすぐに連想してしまう自分とかが、すごく嫌でした。


2005年12月08日(木) エンターチナーやね

南米人っぽい人が缶コーヒーを飲んで「んん〜うめえなこりゃ・・・」としばらく缶を見つめたあと、「おおぅ!」ってわざとらしくカメラに気付くCMが今一番ムカ面白い。

さっき見たGの嵐(ジャニーズ嵐の番組)に、「感情を込める人」という人が出てきて、まじで焦った。どういう人かというと、お金を払って、道端に数十冊並べられた漫画本を選んで「じゃ、これを。」と頼むと、感情を込めて漫画を朗読してくれるという人。たかが朗読と思わないで欲しい。北斗の拳と東京大学物語を朗読していたけど、あれはまじでやばい。テレビで流れたのはほんの数十秒だったけど、あんな高尚な朗読は見たことがない。風貌は、数学の秋山みたい。

おそらく、ヒマを持て余した彼が部屋に溜まった漫画を眺めているうちに思いついたのではなかろうか、いやきっとそうに違いないそのシノギだけど、素晴らしいと思った。彼が福岡にいたら毎日通い詰めておれの空いた時間を全て彼に費やし、あらゆる本を読ませたい。時間の許す限り、お金の許す限り、社会の許す限り、そうしたいと思った。あんなもんを道端でやってるというのだから日本は意外にも文化度が高い。エンターチナーやね。


2005年12月06日(火) 昼下がり

日曜・昼のたかじんのテレビが今一番面白い。

で、その後にラーメン食べに行くことになって、

「よし!行こ!」って言った直後にだらーってするのが気持ち良い。


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