岸部・・・?

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2003年10月31日(金) メモ

mogwaiが福岡にくる。5800円。超低所得者のおれ、迷う。

それにしても、おとといジムオルークに行って、昨日はキダム行った(チケットもらった)。モグワイは11月8日。さすがに芸術の秋、11月3日が文化の日というだけはあるなあ。


メモ
「きもい」=グロース(恐らく、gross)
「生理中」=「(be) of period」   とのこと。


2003年10月30日(木) お前下痢長い

ライブ行った。

ooioo/kim gordon & the sweet ride(kim gordon,ikue mori,jim o'rourke,dj olive)

ということで、とりあえずジムオルーク生演奏を見たかった。
けっこう前にアルカホリックなんたらトリオとかいうバンドでサーストンムーアと一緒に京都に来た時に行き損ねて以来のジムオルーク。

遅れて入ると既に抽象音楽。リズムとかない。なのになんか、前の方の人達のってる。毎回思うけど、君達どうやってのってるんですか?

このキムゴードン&スイートライドってバンドは音源がないからどんなんやるか知らなかったが、見た目でいうと、左端に森イクエがこっち向いてパソコンの前に座ってて、その横でジムがベースを持ってもだえており、その横でキムがドラムのスティックで6弦の切れたギターを叩きながら、なにやら発声したり叫んだりしており、そして一番右端でオリーブという人がターンテーブルの前で黙々と仕事したりくねったり跳ねたりしており、要するに、一番左は静かにパソコンを眺め、右側三人は好き勝手やっている風。誰がどの音を出しているのか判別をつけにくい。ドグラマグラに出てくる“狂人開放治療場”の様相を呈していた。

でも音はやばい。前半の、これシラフじゃ無理って音から、後半の、皆が生産的な音を出し始めた頃の高潮感に、耳から脳汁を出してしまって隣の人に謝ったくらいだった。演奏時以外のジムオルークの動きはローワンアトキンソン。

で、待ち時間に一人の孤独感を存分に満喫してooioo。期待以上に良かった。
ギター×女=勃起 という公式も、今では教育改革によって義務教育からはずされてはいるものの、やはりもう一度組み込むべき時期に来ていると思う。

そして公演終了後、一人駐車場に向かい、駐車料金を払って車で帰る、という一連の帰宅作業をこなすうちに、ライブの興奮を誰とも分かち合うことのできない寂しさがじりじりと追い上げて来、半ばヤケ気味にアクセルを踏む。そうして自分はスピード出しすぎのくせに、交通ルールを少しでも守らない輩がいると罵声を吐く。なんて有様だおれ。ほんと、寂しい。


2003年10月18日(土) やらせについて

エロビデオのやらせ如何を暴こう暴こうとする輩、無意味。
自分でエロビデオを借りてきて、ヤラセを暴いて、誇りに思うなって。

これは”素人企画物”でとかく物議を醸すが、「これヤラセやん!絶対ヤラセやん!」など言って白ける輩が理解できん。
お前どこまで期待してるんだと。
あんなのは、思い込んだもん勝ち。

要は、何のために見るのかということ。期待している真実の裏情報が欲しくて見ているのか、期待していることが繰り広げられる映像が欲しいのか、その点をはっきりさせなければならない。

コントとか劇団とか映画とか、そういう”もしもシリーズ”のようなものであって、真実の報道として期待するべからず。

自身の思い出を語ると、十台の頃に「マジレイプ」なんて書かれたものを鑑賞したところ、始まっていきなり「よろしくお願いします」なんて笑顔でお互いに礼した挙句、本編自体は「そこでおしっこしろ」とか「うんこ食え」などとただのスカトロで、レイプの定義を曖昧にされた経験もあるが、それでも、あれはきっと監禁されてて、礼したのも強要されたんだと自分に言い聞かせて盛り上げものだ。

確かに、どうしてもそうは思えないという例はある。明らかに四十台なのに制服着ていたり。僕が言いたいのは、そういう場合を除いて、判定が微妙な場合に、思い込んだもん勝ちだということ。実際世の中にあるほとんどの価値はそんなもんだ。


2003年10月15日(水) 碁は碁盤で宇宙を表すと言いますが

麻雀は社会の縮図に違いないような気がする。

自分に甘い人=弱い
甘い考えに堕して暴打するので。とにかく運に賭けたりする。
  ↓
きっと仕事もできないであろう


自分の願望・欲望よりも理を先行する人=強い
手持ちの牌と周りの状況で理詰めを行う。
運がある人が強いんじゃなく、運は自分に来てるか否かを判断する。
  ↓
きっと仕事もできるであろう

麻雀はめっぽう強いが仕事はてんで駄目って人には、「ん〜惜しい!」と言っておく。

要するに、自分の願望と理詰め作業との区切りをどこに見極めるか、その作業じゃないかと。周囲の状況と自分の願望・行動範囲の最大公約数を見つける作業。

そういう意味では、自分の内にあるものを形にすることを業とする芸術家などは弱そう。もちろん、両方の作業がうまい人はいて、そういう人は商業的にもうまくいくと思われる。

あともう一種類は、算段も芸術性もなくとりあえず勝つ奴。考えないことが勝因となって勝つタイプで、強いというより、よく勝つねというタイプ。
これは単なる牌遊びに堕してしまった場合で(確かに単なる牌遊びなのですが)、芸術性や哲学性を追い求め、赴きを大事にし、雀荘をサロン(社交場)と勘違いしている私にとっては本当に不愉快だ。盆正月のドラえもんドンジャラで我慢してもらいたいものだ。


2003年10月14日(火) 農泥棒

さくらんぼ泥棒に続いて農産物泥棒が相次ぐ中、先日は米泥棒。

江戸時代には不況になると「打ちこわし」が多発したというが、21世紀になった今なお、その残党がまだ残っているものと見られており、捜査当局はその線を中心に捜索に当たっている。

被害者は「今日朝見たら無くなってて・・・ニュースでは聞いていたけど、まさか自分が被害に遭うとは思ってなかった・・・腹が立つ」と語った。

さっき見たニュースではなめこ泥棒。その被害者は「今日はいっぱい採れると思って来たのに・・・腹が立つ」とその心境を淡々と語っていた。


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