長崎の夜

 さっき仕事が終わって、ホテルへ帰ってきました。
 仕事なんで仕方ないけど、どこも行ってる暇が無いのがちょっとさびしい。
 片道5時間かけてきてるんだから、ちょっとくらい観光したい気にもなります。
 明日は9時からお仕事なので、もう寝ます。

 なんとなくホテルの写真。


2005年02月27日(日)

これから長崎

 行ってきます。
 仕事です。
 本日21時半開始です。
 明日未明に終了(予定)です。
 明日9時から12時まで立ち会いです。
 …頑張ります。
2005年02月26日(土)

暗記もの

 昔から思ってたんですが、暗記ものって意味ないですよね。
 昔ならいざ知らず、いまの世で調べて分からんことってまず無いと思います。
 ネットさえ使えれば、大抵のことは調べられるし。
 ネットになくても専門書とか辞典とかが山のようにあるので、絶対に調べられる。
 つまり、暗記している知識がたくさんあるよりも、調べる手段や調べる手法に長けていた方が、結果として知識量は豊富になると思うんです。

 そもそも知力というのは、問題提起に価値があるわけで、問題を解くことと自体は、時間と手間さえかければ、それほど難しいことではないです。
 暗記していれば、調べずに回答が出せるので結果に辿り着くのが早いかも知れませんけど、その暗記している内容が間違っているかどうかは、結局何かで確認しなけりゃ分からないですし、調べる方法が見あたらない場合というのは、かなりレアケースになっていると思います。

 暗記が必要な局面を思い浮かべると、真っ先に思いつくのは試験です。
 しかし、こういう試験は、そろそろ廃止にすべきじゃないかと思うんです。
 そもそも、そういう試験に受かったことで、なにか得るものってあるんでしょうか。
 ぱっと思いつく利点が無いのではないでしょうか。

 しかし、記憶力が劣化してるのもまた事実。
 人の名前とか、スケジュールとか、本当に物忘れが激しくて困ります。
 暗記の訓練によって忘れにくくなるのであれば意味はあるのかな、とも思うのですけどね。
2005年02月25日(金)

またまた言葉について

 いま読んでる本が、「漢字と日本人」という本なので、言葉についていろいろ考えてます。
 日本語は、音が先にある言葉と、文字が先にある言葉に別れるそうです。
 具体的には、明治時代が分水嶺らしいです。

 どういうことかというと、明治以前の日本語は、所謂大和言葉で、同音異義語が少なかった。
 ところが、開国して外来語がどさっと入ってきた。
 これを、片っ端から漢字で置き換えて、熟語を作っていったわけです。
 この時には、同音異義語になることをまったく気にせず、漢字の意味だけでこしらえていった。
 結果として、たくさんの同音異義語が作られたわけです。

 「伝染」と「電線」、この二つは、発音もまったく一緒です。試しに声に出してみましょう。
 なのに、文脈などによって、日本人は瞬時にこの言葉を見分けて、使い分けているのです。
 よくよく考えると、これって神業と呼べるほど凄いこと、と言う内容が書かれています。

 何気なく使っている日本語ですが、中身を知るといろいろと驚きがあります。
 国語辞典を作っている人って凄いなぁって思いませんか?
 外国語を勉強する前に、まずは母国語をしっかりと使いこなすのが先決だと思うのです。
 その意味や成り立ち、仕組みをきちんと理解して、自由自在に母国語が使えるようになれば、
 外国語の習得も容易になるんじゃ無かろうか、と思ったりするのです。
2005年02月22日(火)

言葉というもの

 言葉というのは、事象を固定するものだとふと思った。
 世界にあるモノや、感じたこと、そういう、漠然と、しかし確たるものを、浮かび上がらせる。

 思考は言語で行われているという事実、それに対する本質的かつ根本的な感性との隔たり。
 完全な言葉というものは、いつの日か発明されるのだろうか?
 言葉を言葉で説明するということは、いまの世での困難ランキングでもかなり上位に入ると思う。
 試しに、言葉を明確に定義してみようとしても、出来るものじゃない。
 これは、人間の定義、生き物の定義、世界の定義、そういうものと似ていると思う。

 言葉に出来ない、まだ「それ」を形にする手法が見つかっていない、そういう事象。
 世界には、そういうものがまだたくさんあるんだと思う。
 言葉が万能ではないのは、人が万能ではないという何よりの証明になるんじゃないかな。

 言葉を紡ぐのは難しいなぁ。
2005年02月20日(日)

物語は、染み込んでいく

 良い本を読んだり、良い音楽を聴いたり、良い映画を見たり、良いゲームをやったり。
 前にも書いたとおり、感情移入の度合いが半端じゃない。
 それ度合いは、その対象となった作品の出来が良ければ良いほどに、強くなる。

 そして、作品が終わったときに、作品の持っていたチカラが染み込んだのが、分かる。
 これは、理屈じゃない。
 それは、終わった後に残る気怠さ、高揚感、澄み渡っている思考、それが証明している。
 物語に没頭していくことで、得られる経験もある。
 それは、物語であるからこそ、得られるものでもある。
 だから、好きな作品の傾向が幻想ものになるのかもしれない。
 リアルなものは、リアルで体感できる、そう分かっているから。

 そうして積み重ねた経験は、絶対に自分の糧になっていると断言できる。
 すべてが虚構だとしても、嘘っぱちだとしても、その世界の中では真実だから。
 何かの役に立つ、なんてケチくさいことを考えてちゃあ、この愉悦は理解できないだろう。
 すべてが無意味で、実生活にはこれっぽっちも役には立たない。
 それだからこそ、価値のある物事が、本当に「価値がある」ものだと思う。
 役に立つものが悪いってわけじゃない。
 役に立つものが良いってことは当たり前。
 役に立たないのに、役に立つものと等価交換が成り立つ。
 これは、すごいことだから、つまりは、その物事に「価値がある」。

 ただの独りよがりかもしれないけど、しょせん価値観はその人にしか通用しない。
 そうであるなら、その価値観を鋭く冴え渡らせていきたいと思う。
2005年02月13日(日)

資格試験合格!

 今日は、資格試験に行ってきました。
 会社がお金を出してくれて、講習も受けさせてもらっての試験なので、落ちるわけにはいかないぞ、とプレッシャが結構ありました。講習を受けたのは半年前なので、もう内容なんて、記憶の彼方の薄霞の中…。延ばし延ばしで放っておいた、僕が悪いので自業自得なのではありますが。
 まったく勉強できていなかったので、内心びくびくだったのですけど、なんとか合格!
 ボーダが正答率65%以上のところ、70%ですり抜けました。
 良かった良かった。
2005年02月12日(土)

最近寝不足

 ほら、気付いたら今日もこんな時間。
 寝ないと駄目だってことは分かっちゃいるんだけどねぇ。
 夜の方が、落ち着くというのは、あるいは人の本質か?
 いや、そんなことはないのだろうな、きっと。

 夜になると、いろんな考えが思い浮かんでは消えていく。
 哲学に興味を持ったのは、果たしていつのことだったか。
 きっと、それは他愛のないことからだと。
 小学生の時、テレビゲームに没頭していた頃。
 ふと、自分の生きているこの世界も、あるいは誰かのゲームなんじゃないかな、と思った。
 自分という個も、そのゲームに出てくるキャラクタなんじゃないか、と。
 そう考えて、すごく不思議な気分になった。
 自分の世界の外側に、もう一回り大きな世界があって、さらにその世界の周辺にも。
 世界って、なんなんだろうな、と思った瞬間だった。

 なんて、ひどく矮小な考えを未だに引きずって、僕はここにいる、とか夜になると考える。
 太陽の光が満ちる中では、こういう考えは蒸散して表には出てこないのに。
 まぁ、良いか悪いかはいつか分かることだから。
 とりあえず、そろそろ寝よう。うん。
2005年02月10日(木)

検察庁に行ってきました

 先日の速度超過の件で、行ってきました。

 見事なまでにお役所でした。
 2番に書類提出して、
 名前呼ばれて中に入って、内容確認して、署名して印鑑押して、
 3番の前で判決が出て罰金確定するのを待って、
 名前呼ばれたら、お金払って領収書もらって終わり。
 しめて、30分くらいでした。

 いろいろと想像していたので、かなり拍子抜けでした。
 反省文とか書かせられるのか、とか思ってた。

 8万は痛い…。
2005年02月07日(月)

本の読み方

 昔から、僕は本を読むときには、常に映像で読んでいます。
 活字を追いながら、頭の中で映画を見ている感じ。
 エッセィでも何でもそうです。
 なので、まだるっこしい展開はちょっと苦手です。
 必要最小限で、的確な状況描写があり、後は会話が多い方が楽しい。
 会話のシーンも、特にそういった描写が無くても、頭の中で展開されている映画では、キャラクタたちの表情がくるくる変わっています。困っていたり、笑っていたり、意地悪そうだったり。
 それにつられて、自分の表情も変わっちゃったりします。
 なので、公共の場ではあまり読めないのです。
 だって、本を読みながら、困ったり、怒ったり、にやついたりしている人って、ちょっと、ね。

 視点は、基本的に主人公です。
 神の目線で見ていることって、まず無いです。
 なので、ミステリィとかで謎を解けた試しがありません。
 探偵役に感情移入して読むことも多いのですが、解決までの道筋は別です。
 解決編では、助手に感情移入していることが多いですね。

 こういう読み方をしていると、読後の疲れがかなりあります。
 しかし、良い作品を読み終えた後の充足感、満足感もかなりのものです。
 現実的なリアルの作品よりも、ファンタジィやSFといった夢物語が好きなのも、こういう読み方をしていることに関係しているんだろうなって漠然と思います。
2005年02月01日(火)

日々 / いけだ