3度目?の緊急事態宣言が発令されたんですかね。もうこんなことを1年もやってるのね。なんかダラダラ生きてますね。ワタクシ。
コロナ生活、リモートワークが増えたことで、仕事におけるストレスは確実に軽減されている。「出勤」「職場でのコミュニケーション」がこんなにストレスになってたんだな、と実感中。在宅勤務だったりすると、仕事とプライベートの境界線も、ある意味曖昧になるし(場所的、精神的な面で)。逆の意味でのプレッシャーもあるけど、それでもやはり、精神的には仕事がアマクなっている気がする。どこか、厳しさがなくなっている気がする。
プライベートでは、バンドをまったくやらなくなってしまい、休日は閉じこもることが多くなっている。バンド、再開できないまま終わってしまうのはイヤなんだよなあ。ドラムのレッスンは続けていて、前よりは少しはできるようになっているという自信はあるのだが。
これまでは仕事の憂さをバンドや音楽で晴らしていたようなところがあって、平日は地獄だけど休日はパラダイスでいいではないかなどと、ある意味、切り替えがうまく出来ていたと思うのだけど、コロナ生活の中で、そういうものを奪われてしまい、中途半端に生きてますね。生かさず殺さず、でなんとなく生かされているというか。感情の起伏のないまま、無駄に時間が流れていくというか。
あとになって振り返ったときに、このコロナ生活期間は、人生におけるまったくの空白期間としか感じられないのではないかな。もうおれの人生、そんな無駄な時間を過ごしているヒマはないはずだけど。残り時間を考えるとね。
ゆっくりと生殺しにされていく感覚。こんなん、早く終わってほしいと、強く思う。
今の若い人にLPなんて言っても何のことだかわからないだろうけど、おれが小学校2年生の時に初めて買ってもらったLPをヤクオフで奇跡的に見つけて入手したのだ。クラシックのピアノの小品集。「乙女の祈り」というタイトルで、ビクターが発売したモノだ。演奏者は忘れてしまっていたけど、ワルター・ハウツィッヒという人だった。
2002年にその頃所有していた200枚ほどのLPを一気に廃棄したことがあり、おそらくそのときに「乙女の祈り」も自分の手元から離れていったはずで、もう2度と巡り会うことはないと思っていた。だからなんかとっても嬉しくて。入手する方法なんてないだろうと思ってたから。
当時、ピアノを習い始めたばかりの頃で、モチベーション低めだったんだけど、このアルバムに出会い、ピアノの音の美しさというか、ピアノ曲の旋律の魅力というか、そういうことに気づかされて、「がんばって練習しよう」という気になれた思い出のアルバム。それこそ擦り切れるぐらい聴き込んだよね。
ピアノを続けていなければ、その後に高校でバンドに入るとかもなかっただろうし、またさらにその後にドラムを始めるということもなかっただろうから、まさに自分の人生を変えた一枚といえるんじゃないか。大げさでなく、そう思う。
演奏もなんだけど、なにしろ好きだったのがライナーノーツに書かれている各曲の解説。藤田晴子さんという人が書いている。調べたら、音楽家であり、法律家だって。もう100年ぐらい前に生まれた人で、20年ぐらい前に亡くなっているって。そんなこと初めて知ったけど、すごい印象に残っていたのが「雨だれの前奏曲」の解説。ヤフオクで落としたのは、このライナーをまた読みたかったからってのもある。今読んでも不思議な文章で、当時小学校2年生の頭では理解不能だったと思われる。もう一度、読むことができてよかった。ライナーの紙がかなり劣化しており、朽ちてしまうのではないかと心配なので、こちらに記録しておくことにする。
13.雨だれの前奏曲 シューマンと同時代のポーランドの作曲家ショパンの前奏曲は、24曲もありますのに、そのなかで、「雨だれ」の名で知られているこの曲が、ずばぬけて有名です。 この曲に「雨だれ」の名がついてしまったのは、1838年にショパンといっしょにマジョルカ島にいった女流作家ジョルジュ・サンドが、後にこの島でのある日の出来ごとを、才筆にのせたことがきっかけになりました。 冬のある日、まちに出たジョルジュ・サンドが大雨にあい、川まで氾濫して足を奪われ、夜おそくに、ぐしょぬれになって、当時彼らが住んでいたヴァルデモサの昼でもうす暗い僧院に帰りつくと、ひとりピアノに向かって留守番をしていたショパンが、「君たちが死んじゃったのを知っていたよ」といい、自分自身も湖に溺れて、胸に重い氷のような水のしずくが、拍子をとるように落ちた、などと口ばしるほど夢と現実の境もさだかでない恐怖のなかで、「自作の嘆賞すべき前奏曲」を弾いていたのだそうです。ジョルジュ・サンドはしかしどの前奏曲がそれであるかは書いていません。ですが、今では、この作品28の15の前奏曲を、なんとなくこの話と結びつけて「雨だれ」とよぶのが通例になってしまいました。ところが、ほんとうのところは、この曲はマジョルカ島で作曲されたのではないということもいわれていますので、なかなか愉快です。
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