It offers a cup of wine at common days!
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 恫喝ごっこ

いつの頃からか外出先の家族から電話がかかってくると
「あぁ゛?(怒」
というようなガラの悪い声で応対するという遊びが
家族内で横行するようになった。

と、ある日。
残業していた私とのメールの遣り取りの直後、
電話が鳴ったので、絶対私だと確信して家族が電話に出た。
「あ゛〜〜ん?? ナンダヨ!?」
低めの男の声で思いっきり凄んでみせる。

「・・・!
あっ、あの・・・、××ですけど・・・(ビクビク」

私の母であった。

「おおおおおおおかーさんっっっ・・・!」

落としかけた受話器を握り締め、
急に快活そうに返事する義理の息子。

「どーもっっっ!! こんばんわっ!
おとーさんのお体のお加減はいかがですか!?」

万年少女のようにたおやかな母は、下品とは無縁の世界にいる。
なので、相当怖かったのだろう。
ロクに用事も話さずに電話は終わってしまったらしい。

何も知らない私が帰宅すると、
「フォローしといて(涙)」
と、家族が事の顛末を話し、泣きついてきた。
「うんうん、い〜よ」
にこやかに微笑んで、早速実家に電話する。

「・・・さっき、電話かけてきた?
ふんふん・・・
それで、△△が電話に出た時、
もの凄く怖い感じじゃなかった?
うんうん・・・ そーなのヨ・・・

 いつも私、あの声で 恫喝 されてるの!

怖いでしょぉ?」

隣りで家族が怒りに戦慄いている。
まぁ 怖いっっっ

2007年05月26日(土)



 癌摘出手術に付き添う

大腸癌の2度目の開腹手術。
内視鏡や腹腔鏡など体への負担がラクそうな手術ではなく、
また開腹。
患者の体力的負担をどう考えているのか?
定期検診で見逃しまくり、
既にそれらでは取れない大きさになってから気付いたという
慈恵医大に対して大いに疑問を感じる。

手術に至る経過も不信ながら、その後もダメ押しの連続。
手術前々日から絶飲食のはずが、
「トンカツ、ワカメと豆腐の味噌汁、ご飯、お茶」
なんて出てくるわ
(※絶飲食の前の絶食時点で、手術前の油・海藻類は禁止)
手術は13時から始まるところ、
時間ギリギリになって、わぁわぁアレコレするものだから
看護士は手術のメモを落とすわ
血栓防止のタイツは寸前まで忘れるわ
結局手術室に入ったのは10分くらい過ぎてしまってからで、
別の患者さんと一緒になってしまった。
術後も、
「前の手術痕が壊死していたので綺麗にそこも取っておきました」
という説明を担当医が誇らしげにしていたが、
前の手術もおまーがやったんだよ!!
と家族が睨んでいたことに気付いた様子はなかった。

手術開始が13時30分、終了は17時近くだった。
2〜3時間と聞いていたので、家族は何かあったのかと気を揉んだ。
原因は
「腸がかなり癒着してしまっていたので、
綺麗に剥がすのに時間がかかってしまいましたw」
とのこと。
「腫瘍は2箇所ありまして、ここからここまで切りました」
と、切り取った腸をデンと見せる医師。
(このシーンで約1名が半失神して説明から脱落w)
そのガーゼに包まれていた腸は
生臭いとはまた違った汚い匂いがして、かなり鼻についた。
「前回の縫合部がここで・・・今回見つかったのはこことここ」
切り取られた腸の丁度中央部分が三角形に緑色に変色している。
それが癌なのかと思ったが、医師は
前回切り取ったところにほど近い部分にある
1つはニキビくらい、もう1つは小指の先くらいの大きさの
ぷちっとしたもののほうを指し示した。
これが"癌細胞"!
ちっちゃいのぅ〜
ちょっと興味を持って身を乗り出し、しげしげ観察。
「癒着が激しく悪くなっていた部分の前のこの健康な部分から
前回の縫合部の少し先まで切って、結腸と繋ぎました」
こんなプチ程度の癌なのに大きく切ったのはそのせいか。
まーなんとなく納得、半分へぇ?なところ。

術後、回復室にしばらく収容され、
病室で面会することができたのは19時近くになってからだった。
患者本人はまだ麻酔が抜けきらず静かに眠っていた。
看護士が起こしてもいいというので、
寝ている患者のそばに立ち、軽く肩を叩きながら声をかけた。
「無事終わったって!」
「・・・うーん」
「良かったね!」
「・・・」
かなり麻酔に弱い性質のようで、また眠ってしまった。
前回のようにチューブだらけということはなく、
患者の顔色もそれほど悪くない。

とりあえず、成功した模様。
よかった、よかった。


2007年05月18日(金)



 医者からの電話

義理の母がお腹の鈍痛が続いて気になると言うので、
胃腸科で有名な△△先生の精密検査を受けさせるために、
ちょっとコネを使った。

そして、その検査が終わって数日後、
ボソボソとした低い声で一本の留守録が家に入っていた。

「□□で一緒だった×××病院に勤務している△△ですが・・・」

親の家ではなく、わざわざこちらに連絡してきたということは、
まさか、母自身には告知を躊躇うような内容なの?!

留守録の声は聞き取りにくく、用件がよく聞こえない。
慌てて、コネに電話をかけさせた。

「んーんー
あぁ・・・ハハハ!( ^▽^)
いいよ! うんうん」

なんだか楽しそうである・・・。

「何だったの?!」
電話が終わるなり、コネに聞く。


「慶早戦のチケットが欲しいんだって!!」


佑ちゃん人気でプレミアチケットになりつつあるらしい。
コネは、野球部とは切っても切れない部の現役コーチなので、
依頼してきたというわけだ。

・・・紛らわしいんだよ!! ったく!!
タイミングと言い方を考えろ!

2007年05月15日(火)



 へんな靴

よく買い物に出かけるショッピングモールに
妙な形のドハデな靴が売られている。

かなり大きくて
やたら軽くて
妙な形で
穴だらけで
ドギツイ色。

どんな服にも合わせようがないと思われる
強烈な個性をもった靴だ。

「こんなん、誰買うんだろうねぇ〜w」
と横を通り過ぎるたびにバカにしていたが、
なぜか毎回その強烈な個性の靴から呼ばれているような気がして、
とうとうある日、ベランダ用として
ショッキングピンクにグリーンの縁取りという
まぁ色はハデだが、形は無難なサンダルタイプ(athens)
を買ってしまったのだった。
家では
「軽いけど、風に飛ばされないんだね!」
と感心したものの、
そもそもネタ扱いだったこともあって、その後は忘れてしまった。

そして、今回の小笠原で。
ボートではツルツル滑るビーチサンダルを脱ぎ捨て裸足で
という従来の姿なのは、私たちだけであった。
なんと、ほとんどの人があの例のヘン靴を履いている!
「この靴、そんなにいいんですか?!」
「全然滑らないんだよね〜」
ぬぅわぁにぃ?!
試しに、人のを借りて
潮でビシャビシャで滑りそうな部分に足を突っ込んでみた。
「!!」
これはすごい・・・! 本当に滑らない!

それから内地に帰ってきて、
誰かさんが海に寄付してしまったシュノーケルの補充にと
ダイビングショップに訪れると、
なんと、また例のヘン靴が燦然と輝いていた。

これは神のお導きだ、もう買うしかない・・・!

と、近寄ってよくみてみると、
穴がミッキーの形になっているものがある。

うわっ かっわいい〜〜〜♪ ←直撃

すぐさま合うサイズを探したが、子供用か大人用のXLしかない。
そいじゃ、ネットで探そっと
と、気軽に考えて検索してみると、
なんとどこもかしこも完売御礼ではないか!
こんなに人気があるとは・・・!!

ミッキーが買えなかった悔しさに涙にくれながら公式サイトを見ると
今月、今度は「キティバージョン」が出るという。
ミッキーバージョンのように穴の形が特殊なのではなくて、
ストラップのボタンがキティという地味めなものだが、
もう買う気モード120%!!
早速、翌日の昼休みに銀座ギフトゲートへ直行した。
発売してまだたった数日しか経っていなかったが、
もう23cmのものはピンクもブルーも在庫残り1点という有様。
しかも、あの穴に留めるタイプの専用アクセのキティは初日で完売し、
あるのはモスグリーンのリボンだけ。

こんなへんな形の靴なのに、こんなに人気があるなんて
解せない!!!

そう騒ぎながら、帰りには
濃紺のcaymanとアクセのリボンの入った袋をぶら下げている自分。
うう〜ん 流行り物に弱すぎるのか・・・

ヘン靴(CROCS)の日本公式サイトはこちら

2007年05月14日(月)



 小笠原父島紀行その2〜食べ物

島は、おがさわら丸という船(愛称「おが丸」)を中心に動いている。
入港日は
内地から客がわーっとやってくる日であり、
わーっと帰っていく日でもある。
島民は約1000人、船の最多乗船人数も約1000人。
島民みんなで出迎えと見送りをしてくれて、
船ならではの温かい光景を見ることができる。

とまぁ、船は大事な客を乗せてくるものであるが、
と同時に、物資を運んでくる大事なライフラインでもある。
その日は、スーパーの入荷日にもなるので、やたら混みあう。
そんな中を、向かいの店で買った麦わら帽子を被ってウロウロする
多分邪魔なオバハン(=私)。
とは言っても、
みんなが殺到する肉や卵のような普通の食材に足を向けることはない。

なんだか黄色のゴロゴロしたものがある・・・。
「亀の卵」
なるほど・・・(・∀・)
なんだかグロテスクな色をしたぐちゃぐちゃなものがある・・・。
「亀の肉」
おおぅ・・・( ・∀・)
この漬け鮪みたいなのはなんだ・・・?
「島寿司」
楽しい!

ということで、
地元料理がうまいと評判の宿のメニューが俄然楽しみになる。
着いたホテルは、港から歩いたら1時間半くらいはかかる扇浦にあった。
勿論、名前はホテルでも間違うことなき民宿で、
夕飯は18時〜19時の間にとらないとなくなってしまうし、
ほとんどの部屋はバス・トイレが共用。
しかし、共同風呂は大きくはないがあっつあつで、
海で冷えた体には最高だった。
そして、食事。
初日のメニューは以下のとおりだった。

 カンパチの刺身
 鰆のサンガ揚げ
 ハパイヤスロー(パパイヤのコールスロー)
 島ゴーヤチャンプル
 島はちみつのカラメルがけ焼きプリン
 ごはん
 海藻のようなものの入った味噌汁
 お香々

珍しいものだらけな上に、
この中で肉はゴーヤチャンプルの中のスパムだけという
とってもヘルシーなメニュー。
しかし、ボリュームはたっぷりなので物足りなさはない。
旅情も味わえるし、夕飯が早いので体にはいいし、
言うこと無しである。

他にも、
 パッションフルーツ
 かぼちゃの煮付けバナナピーマン
 パパイヤチャンプル
 鰆の島寿司
 はるたまとマグロのサラダ
と、珍しいものが毎日出て楽しかった。
(しかも、どれも美味い)

ただ、おが丸のサイクルに合わせてあるので、
4日目以降は初日からと同じメニューになってしまうのと、
ご飯と味噌汁以外は、温かいはずのメニューも全て冷たい
というのが気になった。
温度は、初日はたまたまかと思ったが結局毎日そうだったので、
もしかして、惣菜を外から買っているのかも?
最低でも、開始時間きっかりに来た客ぐらいには
温かいものを出すような心配りをして欲しかったナ・・・( ´・ω・)∩

毎日、
 1. 野菜と魚だけ
 2. 食事終了は毎日18時半
 3. 早寝早起き
 4. 三食決まった時間に食べる
 5. 朝から夕方まで運動(ダイビング)
という生活のどれが効果的だったのかはわからないが、
お腹の調子は今まで経験したことも無いほど良く、感動した。
自分のお腹でも普通の人と同じでいられるとは!
そして、
自宅に帰った翌日から激しくお腹壊し三昧になったので、
早く小笠原に帰らねばと思った。

2007年05月06日(日)



 小笠原父島紀行その1〜自然

東京都最南端の常夏の島。
飛行場がなく、美しい自然が残されている島。
硫黄島など第2次世界大戦で激戦のあった島。

まー、こんなイメージで行ったわけだが・・・

まず、気候。
あまり暑くない。
日差しは強いが、気温的には薄手の長袖でちょうどいいくらい。
昼夜の寒暖の差はあまりないので、過ごしやすい。
しかし、局地的(宿周辺のみ?!)という噂はあるが(笑)
日中は太陽が出ていても、夜はじっとり露に濡れるため、
夜、洗濯物を干して寝てしまうと、翌朝とんでもないことになる。
結局、最終日まで器材もビショビショで、非常に困った。

そして、海。
沖縄のようなライトブルーではないが、濃紺の美しい海。
子供の頃想像していた海の色だった。
色の割には、ベタなぎ。
お陰で、酔ったり、揺れて怖い思いをすることもなかった。
海の中はモルディブなどとは比べるべくもないが、
シュノーケリングでも、たくさんの魚を見ることができる。
ただ色的にはかなり地味で、綺麗なのは、
アカバ(アタハタの現地語)とウミウシくらい?
クマノミ(ニモ)もおっきくて色綺麗じゃない種類だし・・・。
オススメのポイントは、やはり
80匹以上のイソマグロの群れを見ることのできるケータ。
圧巻だけど、流れがすんごいので
ナイスショットな写真を撮るのはなかなか厳しい。
海でイヤだったのは、寒さ。
濡れていなければ気持ちのいい風も、
21度前後とちっとも温かくない海から上がった人間には地獄だ。
しかし、同じ船に乗り合わせた人たちは
ほとんどドライスーツや特殊な防風ジャケットを持っていて
(どちらもとても高価なんだな・・・)
(身も財布も)震えているのは私くらいのようだった。
ただ寒くても天気はいいので、
焼きたい人はあっという間に真っ黒になれる。

激戦の爪痕。
映画『硫黄島からの手紙』で、硫黄島は旬の観光地かと思いきや、
現在も自衛隊の基地で、島民すら入れない有様。
しかし、父島の戦跡ツアーで十分なまなましく知ることができる。
私たちがお願いしたガイドさんは「板長」さんというベテラン。
彼の案内はハンパではなく、
高所恐怖症なら即死、普通の人でも数ミリ足がずれたら絶命
という絶景に立ちながら、戦争についての話を聞かせて貰える。
また、かなりハードな道無き道(+夜露で滑りやすい)を行くため、
足腰に自信がない・股を大きく開けない・ロープにぶら下れない
という人は、野鳥鑑賞トレッキングツアーか夜景ツアーなどに
格下げしておいたほうがいいw

小笠原は、さまざまな固有種が生き残っており、
植物や野鳥などに興味のある人にはとても面白い場所だが、
トゲトゲした草とかうねうねした幹というくらいの判断しかつかない
私のような人種には地味な島かも。
しかし、花粉症にも悩まされないし、気候も温暖だし、
体にはとても良さそうな島だよな〜〜〜

2007年05月05日(土)
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