TRPG回顧録 DiaryINDEX|past|will
今日は久し振りにTRPG遊びたい病がぶり返してきました。 ホントに血反吐を吐くまでD&Dが遊びたいです。 しかし、突発的に遊ぶと言ってもマスターする時間的余裕もなし。 俺を満足させられるマスターも世の中に極僅かです。 世の中にはD&Dをただ10年やっているだけの人と10年ガッチガチにやっている人の2種類の人種がいるのですが、 ただ10年やってるだけなら余裕でマスタリングやルール解釈で説き伏せるだけの自信あり。 手前ぇ、何年やってんだ。 ってな感じで。 去年JGCへ行った時、3日目で酷いクラッシクのDMにあったんです。 その人は自己申告では10年選手なのですが、マスターフレンドリーなマンチキンなプレロールドキャラクターしか用意せず。 所持品もゴミみたいなものしか寄越さず一切の等価交換なし。 すいません、こっからはルール知らない人を置いていって話を進めます。 まずウェポンマスタリー。 9LVで作成しファイターはロングソードとライトクロスボウをスキルトでとっている他は全部ベーシック。 しかも武器はロングソード以外なし。 マスターにライトクロスボウを持ちたい旨を伝えるも DM「ダメです。」 他に色々基本装備で不足があり、無償か等価交換でその物品を持ちたい旨伝えるも DM「ダメです。」 の一点張り。 トドメにクラシックなのに、 戦闘はヘクス、クラシックなのに1マス5Feet(これは別にいい。)。 しかも恐らくルールもろくに知らないのにスペースリクワイヤを導入しています。 つまり武器を振る場合隣接してたら当たるかもよ? ッてなことを匂わしてくるの。 それで俺はというと、 俺:「そういったルールをAD&Dに譲って簡略化して作成されたシステムであるクラシックの戦闘でワザワザその処理をするのですか?」 と聞いてやりましたとも。 そうしたらそのマスター(多分俺の言った意味を10分の1も理解してないでしょうね。)臆面もなく DM「ハイ。」(即答) って言いましたとよ。 それでなんとなくその日のゲームが予想つきました。 これ以上はもう何も言えません。 ココまでルールに対して理解してないマスターだとゲームしずらいと思いました。 恐らく向こうでは私がゲーム中に何をやっているのか、または何を言っているのかもわからなかったでしょうね。 おまけに上記の戦闘システム、雑魚戦でしか使わず、 ドラゴン出てきた瞬間にヘクス使わないで簡易戦闘に変えようとしやがんの。 それでパーティ全員ブレスの射界に入れて葬ろうとするの。 これには全員で反対した。 しかもこのマスター、ドラゴン戦でヘクスを使用しない理由は DM「ドラゴンのフィギュア持って無いから。」 俺の気分は例えるなら 将棋という看板に騙されて本将棋をしに行こうとしたら、 やっていたのはただの回り将棋だった気分。 もう殺意すら通り越して呆れました。 しかも全員で抗議する中反対を押し切って簡易戦闘を続行。 強引に全員をブレスに入れようとするので、俺は已む無くマスターを引っ掛けることにする。 俺:「確かドラゴンって最初に1D6して1を出さないとブレス吐けないんだよね?」 ってカマかけてやった。 本当は他にもルールがあるんですけど俺は相手によってそのルール出し方や ニュアンスをぼかして出すんです。 んで他のプレイヤーを同調させて反乱を企てる。 それでビックリしたのがこのDMどうするのかと思ったら、 DM「わかりました、 素手で殴った方が強いので 素手で殴ります。」 !? アナタハニホンゴモシャベレナイノデスカ?? すまねぇ、これ以上俺を笑わせないでくれ。 これ以来もう俺は自称10年選手のD&Dプレイヤーを信用しない事にしました。 だって俺のほうがマスタリング上手いもん。 これで勉強になったのは細かいウェポンマスタリィの運用と普段俺が恵まれた環境でD&Dしてんだな。 ってこと。 正直途中でマスター俺が変われば良かった。 俺「だってプレロールドキャラクターでしょ? あんたの作ったキャラは誰が動かしても変わらないでしょ? 君が僕の使っているキャラ使っても同じでしょ? だったら君と僕の席を替わってよ。 僕の方がマスター上手いから。」 ってな事言って。
さて今回は前回の続きです。
今回はマスタースタイルについて。 よくテーブルトップのRPGを演劇に例える話を聞きます。 そうしますとプレイヤーは役者でゲームマスターは演出または映画(または映像)監督になるのでしょうか? ココで私が論旨にしたいのは演出家的マスターと映像監督的マスターの違いに付いてですね。 これは偏に混同されがちな演出と監督の認識の違いについてですが。 演出は文字通り演技を引き出すのが仕事です。 監督は文字通り監督する(上にたって全体の指揮、取り締まり、管理を行う)のが仕事。 この違いは、 例えば 道 端 というシーンが有ったとすると、 ココに石を置きますね。 と、言うのが演出で ココに石を置くから転んでくれ。 というのが監督。 演出は置いた石を 具体的にどうしろ とは言わないです。 それをどう料理するかは役者(プレイヤー)次第ということです。 だから、その石につまづいて転ぶも良し、石と全くからまないのも良し、それは役者の判断に委ねられます。 それが役者の下した判断なら演出家はあえてそれに口を出しません。 演出家は役者の演技を引き出すのが仕事で具体的に指示をだすのが仕事ではないからです。 さてここまで演出と監督の違いを説明した上で (この違いについては近年ではプロと呼ばれる人たちでも混同されていらっしゃる方も多いので注意してください。) 私が師と仰ぐマスターの方々はこの演出家的マスターが多いと感じます。 のびのびとプレイヤーを遊ばせる環境を作り結果的に 内容の濃い文字通りのロールプレイングゲームにしていると感じました。 演劇とテーブルトップのRPGとの違いは純粋に戯曲(脚本)の有無ではないかと最近思うようになりました。 具体的にマスタースタイルのカテゴライズって意味があるのか? って言う問題はさておきまして。 こんな感じでマスターの傾向を探ってみるのも面白いのではないでしょうか?? それでは今日はこの辺で。
テロ牧師
|