Leaflets of the Rikyu Rat
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そうして弟のアトピーは回復に向かって行った。
しかし、僕と弟との仲は、依然として悪いままだった。 ただ、少し変化した点がある。 弟の、母親に告げ口をする頻度が下がったのだ。 その代わり、反撃をしてくるようになった。
ある日のことだ。僕は中学二年、弟は小学六年くらいだったろうか。 僕は相変わらず弟に対しイライラしており、そしてそれを隠そうとはしなかった。 何故なら弟に対する僕の「強さ」は物理的にも精神的にも明らかだったからだ。 そしてそれなのに、弟は、その「圧倒的な強さ」を誇るはずの僕に反撃をやめなかったからだ。 その日、どうしてそんなことになったのかは良く覚えていない。 毎日がそうだった。 何か些細なことが気に食わなくて、弟に罵詈を浴びせる。 弟も僕に暴言を吐き返す。 睨む。 睨み返される。 軽く手が出る。 少し強めに返される。 そんな幼稚な遣り取りが、日々繰り返されていた。 やがて最後には弟が屈するか、僕の気がすむかによって小競り合いは収束へと向かうのだったが、しかしその日は違った。 何か胸に期するものでもあったのだろうか。 弟は決して旗を巻こうとはせず、幾らでも僕に対して立ち向かって来た。 何度でも蘇るゾンビのように、倒されては起き上がり、僕の拳には己の拳を以って立ち向かって来た。 そして僕はそんな弟を、完膚無きまでに、叩き潰した。 僕はそれしか術を持たなかった。
憎悪の目を滲ませ立ち向かってくる一回り小さいその存在に、 僕もまた激しい憤りを覚えていた。
弟の癖に、生意気な。弱い癖に、生意気な。 一度徹底的にその差を分からせねばならない。 もう二度と反抗する気力も湧かぬ程、有りっ丈の力を以って捻じ伏せる。 何があってでも。どんな手段を以ってしても。
玄関で殴り倒し、胸の下部付近を力の限り踏ん付けた。 「ひぐっ」 反射的に弟の口から声が漏れる。 僕の足を掴み、どかそうとするが、ショックのせいで思うように力が入らないだろうか。 「ひっ・・・ひっ・・・くひっ・・・ひっ・・・」 呼吸なのか。痙攣なのか。泣いているのか。それともその全てなのか。 ピッチの早いしゃっくりのような、過呼吸のような音声が、耳の奥まで響く。
まだ足りない。 これだけではまだ足りない。全然足りない。 もう一度。
足を上げ、一拍の後、全ての体重をかけ踏ん付ける。 「ぎゃひっ」 また鳴いた。 「ひっ・・・ひっ・・・・・ひっ・・・・・・ ・・・ 」 僕の足に置かれた手は、最早それを支えるだけの物体と化す。 声は弱々しくなり、音声すら遠ざかっていく。 引きつった空気音・呼吸音だけが場を支配した。
足を上げ、自分の部屋へ去る。 階段を上りしな床に転がった弟を一瞥した。 自発的な動作は微塵もせず、ピクリとも動かずただ横たわっていた。 いや、ピクリとも動かずと言うには語弊がある。 激しい呼吸と共に身体は上下していた。 眼はしっかりと見開かれていたが、それはただ宙の一点ををなぞっているに過ぎなかった。
やがて母親が帰宅する。 我が家の空気に残った僅かな暴力の残滓を少なからず感じたのだろうか、 いつもより注意深く僕を視ていた気がしたのだが、穿ち過ぎかも分からない。 僕は何も変わりが無いような素振りで飯を食い、眠り、日々を送る。 弟もおそらく同様であった。
それから僕と弟はほとんど喋らなくなった。 諍いすら無くなった。 平和的な日々が到来したのだった。
数週間後、弟は入院した。
どこぞの温泉が良いと聞けば母親は弟を連れて湯治に行き、 何某の薬が良いと聞けば高い金額を支払って弟に与えたが、大きな成果の出たものは無かった。 ステロイド剤は副作用が懸念されるため出来る限りは使いたくないと母は溢していたが、 劇的な効果を示すそれを使わざるを得ないこともあった。
東京の環境が悪いのだろうか、空気が良くないのだろうか。 そんな風に母親は呟くようになった。 今となっては、父親が脱サラし、実家のある鹿児島へ戻ったことの、大きな要因の一つであったような気もする。
だが、鹿児島に戻ってからも弟のアトピーはなかなか良くならず、 母親は片っ端から健康食品を買ってくるようになった。 それらも決して大きな効果は上げなかった。 しかし、ある時点から弟のそれは回復に向かって行った。 それはどれだけ回ったか分からない、最後の医者の助言によるものだった。
「痒いときは、我慢なんてしないで掻きたいだけ掻きなさい」
僕の目には、これまでも掻きたいだけ掻いていたように見えたのだけれど、違ったらしい。 眠っているときなどは制御が利かなくなっていたせいか無意識にがしがしと掻いていた。 起きている間は我慢と葛藤の末どうしても辛抱できないとき、掻くに至っていたようだ。 そしてその我慢や葛藤が精神的負担やストレスとして身体に影響が出ていたらしい。 弟はボリボリと身体を掻きながら、「すごくラクになった」と言った。
アトピーなんてものに罹るのは食生活が悪いからだ、 生活環境が悪いからだ、なんてのは途轍もない大嘘だと思う。 うちの母親は異常なほどの健康オタクだった。 野菜は完全無農薬の有機野菜しか買わない、なんて当たり前だった。 お米だって農家である祖父が無農薬で一から作り上げた米しか食べなかったし、肉も国産のものしか買わなかった。 インスタントラーメンやカップラーメンなんて絶対に食べさせて貰えなかったし、 レトルトも冷凍食品も食べれなかった。 それでも弟はアトピーを患った。そしてそれはどこまでも酷くなっていった。 痒くて痒くて仕方が無いと弟は自らの肌を掻き続ける。 皮膚が捲れ血が滲み出て、それでも痒くて仕方ないと弟は掻き続ける。 我慢できないと掻き続ける。 血だけでなく透明な液まで滲み出し、膿む。 そんな弟を見ていて、気味が悪くてしょうがなかった。 布団で眠ればシーツは染みと血塗れになり、それが乾き斑の模様が残る。 その光景は実に気味悪く、禍々しいものであった。 次から次にシーツを汚して行く弟が汚らわしく見えて仕方無かった。 「これは僕だけしか使えないの」と自分専用のシーツ取得を主張した。 稀に隣で寝ていた弟の血が己のシーツに付着したときなどはあまりの気持ち悪さに癇癪を起こしたが、母親に激しく叱られた。 「なんで僕だけこんなのが出てくるの」と弟は泣いた。 僕は「この恐ろしい病に罹ったのが自分でなくて良かった」と心から安堵した。
物心がついた頃から弟が疎ましくて仕方なかった。 ベビーカーに乗ってきゃっきゃと笑っているその存在に腹が立ってしかたがなかった。 歩けるようになり、全てに於いて僕の真似をしようとするにつれて、 その憎悪に拍車がかかった。 「真似するなよ」と言っても「なんで?」と笑って答える弟が、 そしてその質問に答える術を持たなかったことが、 またそんな僕を嘲笑う弟が、憎たらしくてしかたなかった。
誤ってコップを割れば父親に叩かれた。 その様子を見てにやける弟が恨めしかった。 嫌いな野菜をどうしても食べれなければ父親に殴られた。 その隣で「僕は食べれるよ」と宣言し「あら偉い」と母親に褒められ勝ち誇ったようにこちらを見やる弟。 怒りを静めるために食後子供部屋で殴ったら、母親に告げ口をしに行き叱られる僕。 「謝りなさい」と言われ拒んだら頬を抓られた。 痛みに耐え切れず泣いたが母親は許してくれなかった。 開放されたい一心で「ごめんなさい」と言う。 「お母さんにじゃなくて××に言いなさい」と弟の前へ行かされる。 そこにはいるのは涙目を浮かべた弱弱しい子供でしかないように見えるが、 僕はそいつが瞳の奥で笑っていることを知っていた。 どうしても謝りたくなくて、泣き喚く。 しかし物理的な苦痛を与えられ、最後には渋々と弟に赦しを請った。 弟はその瞬間一番嬉しそうな顔をした。 次第にどうしようも無い程の怨嗟が募り、また僕は弟に暴行を働く。 どんなに口止めしても母親に告げ口しに行く。 僕と弟との諍いに終わりは無かった。
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