航宙日誌
『革命戦記』と輝&Ark☆の珍道中?

2015年11月03日(火) 岩槻鷹狩行列祭

 世の中は『文化の日』の旗日。カレンダーは関係ないけど、たまたま定休にぶつかったこの日、んたま市内(昔は別の市だった)岩槻で、鷹狩行列祭が催されると知って、行くことにした。
 今は同じ市内とはいえ、人形の町でも有名な岩槻には随分、昔、いや、相当な昔々、家族で出かけた記憶がある。確か岩槻城城址とか……。あんましよく覚えてはいない。
 まあ、それくらい久々だったわけで、東武線に乗るのもこれまた、いつが最後だったか……春日部に行ったのが最後で、前世紀だったような^^;;; それにもまして、いつも適当に見ていたのか、東武野田線……名称変わってやんのッッ!? それとも、あれは愛称か何かですか。東武アーバンラインとか☆
 何にせよ、それほど時間がかかるわけでもなく岩槻駅に到着。既に行列スタート時刻は過ぎているので、駅前に出ると、スタッフさんのテントがある。チラシを貰い、そろそろ、行列が「会うはず」と、さすがに道を急ぐ。それほど歩くでもなく、行列を待つ観客の集まる道に。

 そもそも、何故、岩槻で鷹狩行列かといえば、今年で三回目なのだそうだけど、徳川家康公没後四百年(及び岩槻区誕生十周年を兼ねた)記念行事でもあるそうな。
 実は岩槻周辺は江戸時代、家康も幾度か訪れた『鷹場』だったとのこと。
 岩槻に限らず、浦和から我が大宮(もう伏せるの疲れた)にかけた辺りは将軍家や御三家の鷹場だったのです。もう少し時代を下った吉宗以降、鷹場が復活(「生類憐みの令』で一度、廃止になった)した後、大宮周辺は紀伊徳川家の鷹場で、本陣の北沢家とかが鳥見役のお役目についていた──とはそれこそ、大宮史なんかにも載っていたりして、輝も知っていました♪ ちと離れた戸田に残っている尾張家鷹場の碑とか、昔々、わざわざ探しに見に行ったこともある。
 輝が『徳川家贔屓』なのは、この辺の縁にも理由があるのかもしれませんね。
 それはさておき、初代家康様までが、この近辺にまで来ていたとまでは知りませんでした。

 既に、将軍様一行は交差点で待機中。向こうから、出迎えの岩槻の殿様一行を待っているとのこと。将軍様は馬上で、実は中三らしい☆ 何とお若い! つーか、幼いくらい。オマケに、どういうわけか、その一行には織田信長や伊達政宗、家康の子孫のはずの吉宗までがいたりと──時代バラバラ;;; まぁ、正体はどこぞの偉い人^^らしいんだけど──待ってる間、その格好でスマホのチェックはせんでくれっっ!!
 そうこうしていると、岩槻藩一行も到着。イベント開始★ お互いの口上だったり、鷹狩行列なんだからと、模擬鷹狩とか。岩槻藩の出迎えの『踊り』とか。
 そして、行列は岩槻小学校校庭まで移動。折角だからと、ついていく。そして、見物。メイン・イベントはやっぱり、改めての模擬鷹狩。子ども行列に参加していた子たちが腕に鷹を止まらせる、と。……実は鷹だけでなく、フクロウとか隼とかもいて、鳥の数を増やしてましたけど^^ 道路ではほとんど人の頭しか見えんかったけど、さすがに広い校庭なので、しっかりと見られましたけど──実は最近、初めて買ったデジカメで狙うと、中々難しい。動画で、何回か挑戦したけどね。
 そして、最後には行列を演じた方々の紹介に。校庭に全員揃うと、中々壮観やね。最後の最後には忍者三人組の口上が。そーいや、路上イベントでも声が……人多すぎて、全然、見えんかったけど。
 イベント終了後には鳥さんたちとの触れあいコーナー?も。っても、本当に大人しいコにしか、触れないけどね。シロフクロウさんは大人しかった。んで、フワフワ☆
 そうこうしている内に、夕暮れ近くに。当然、人も疎らになってきたので、帰ることに。
 帰り道、岩槻銘菓との店に寄り、幾つか和菓子を買ったりと。『時の鐘』とか、川越だけじゃないのね。岩槻駅前まで来ると、大分、空も蒼が濃くなっていて──雲一つない中、何と飛行機雲がっ☆ いや、そんなに珍しくないかもしれないけど、お得な気分になった☆


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