書き殴り日記



書き殴り日記...ミケ

 

 

体重記録更新 - 2011年03月29日(火)

おいしいラーメン食べたー。
めかとろラーメン。めかぶと、とろろのラーメン。

食べた瞬間に、私の好きな味だーと思った。ジャストフォーミー!!

私はラーメン食べてると、大概途中で飽きてくるので、にんにくやら、お酢やら、一味唐辛子やらを入れることが多く、最後らへんは、もはや原型をとどめていない。
でも、めかとろラーメンは最後まで何も入れないで食べた。

また、食べに行きたい。
でもね、太ったから自粛だね。

体重が、最高記録更新中。

もうさーなんなんだよー。
本能的に、必死に生きようとしてるのか、食欲がすごいのよ。
あの地震以来。

地震あった当日は、全く食べれなかったんだけど、なにこのギャップ。
ただのストレスだろうか。過食か。
なるべく日常になるよう、日常が戻ってくるよう努力している。


池上さんのテレビでの使命、すごいねー。
貢献しすぎってぐらいしてるね。
毎日見るね。池上さん今月でやめれないみたいね・・
池上さんまだ解説してほしいな


宇多田ヒカルのgoodbye happinessの
♪何も知らずにはしゃいでた あの頃へはもう戻れないね〜
 
が、とってもシリアスに聞こえた。



...

朝まで生テレビ - 2011年03月25日(金)

朝まで生テレビナウ!!!
超面白いわ〜

酒を飲みながら、私も参加してる気になってる。
野次ばっかだけど。
ホリエモンの顔が蝋人形。
お前も蝋人形にしてやろうか!!!BYデーモン閣下

パネラーは
ホリエモンとか勝間和代さんとか。池田信夫、片山さつき
なんか知らん民主の参議院の人、東京都副知事、この前池上彰さんの番組にでてた私注目の東工大の松本准教授。そして、東京電力の執行役員営業部長。
その他、よく見る経済ジャーナリストのおばちゃんとか中国人社長とか。

緊急討論!やるぞ!日本復活!!だそうです。
朝まで生テレビ・・議論が白熱しております。

♪チャーラーチャーラチャッチャー

二週間たってね、疲労が出てきたね。私も旦那も。
良く眠れない人も多いんじゃないでしょうか。
眠りが足りないと、人は後ろ向きになったりしますね。
よく眠れない日が2週間も続けば、さすがにクマもひどいわ(笑)

おっ田原総一郎いったれや!!!あ、すいませんね。テレビの話ね。

田原総一郎「聖徳太子知ってる?」←この動画、突然ブチ切れるおじさんの動画。あー面白い。

私もブチ切れたいわー。
もうね、いろんなことでストレスたまるわな。

地震なんかね、理不尽ですよ。
みんな感情の行き場がなくて、不安だとか悲しみとか怒りエネルギーがすごい。
もう痛々しいもの。疲れる。
私にシックスセンスはないですけど、これはビリビリ感じるよ。

枝野が悪いとか、東電しねとか、マスコミが悪いとか、政府が情報隠してるとか、放射能汚染とか、買占めとか、募金詐欺とか、芸能人の募金は売名だとか、殺伐とした聞きたくない情報がどんどん入ってくる。
もう、聞きたくねえ!!ただでさえ、地震でダメージひどいのに。

悲しい現実も、毎日毎日見てたら、こっちがもたない。
ふと見る、朝や夕方のニュース、見るたび、泣き疲れた。

たまには、情報を強制的にシャットアウトする必要があるんじゃないだろうか。

たけしも言っていたけど、日本国民みんな具合悪くなっちゃうよって。

もーだから、私だって言わせてもらいますよ。
枝野は「安全です」なんて一言も言ってなかったぞ。

「直ちに健康に被害はない」って言ってた言葉の意味、確かにわかりづらい表現かもしれん。
情報の受け身だけではだめ!情報も自分から取りに行かなきゃと思う。

分からないから怖いんですと池上彰さんも言ってました。
よくわからないものは、底なしに怖いです。
知っても怖い部分もあるけど、怖さの程度がわかります。
怖さの程度や目安を知ると、ああこの程度なら大丈夫ねってわかる。
気持ち的に、全然違うと思うのだが。

分からないまま、新聞やテレビの言葉とかイメージだけに踊らされて、パニックを起こしてカップラーメン、電池、トイレットペーパー、水の買占め行動にでたりするのは、あかんぞ!!
自分だけ良ければいいってこと??
はあーイライラすんなーーーーコラー!!やめろバ○野郎!

おーっと非常事態は冷静に。

やっぱり、テレビの力はでかいなー、こえーなーと思う。
放射線とか放射能って言葉がもう怖いもんね。レントゲンだけじゃないよ、宇宙からいつも降り注いでるんだよという事実。

マスコミには、文系ばっかだから、正しく伝えることが出来ないんだーって言ってましたよ。本当か!?ホリエモンよ。




...

東日本大震災2 - 2011年03月23日(水)

前回の続き

お店を探すまで、携帯の充電器買ったり、お金をおろしたりしながら、結局PRONTOへ入り休むことに。

とはいっても、店の中は非常に混んでて、相席は当たり前状態。
しばらく席を案内されるまで待つことに。

そこで初めて、テレビをじっくりみることになった。
津波の映像をみて、信じられなかった。なにこれ。
津波10メートル!?

席に案内されるも、非常に狭くて、6人掛けのテーブルの真ん中を案内される。
片方は、中国人女性二人組だった。
外国でこんな目にあったら怖くて仕方ないだろうなと思った。
自然と、会話をするようになり、やっぱり怖くて中国に帰りたいと言ってた。
日本語ペラペラだった。

もう片方も女性二人組だったが、こっちは、友人同士でもなんでもない感じ。しかしお互いとも同じ行動してた。
地図と、路線図をにらめっこしてた。ここから歩いて帰るつもりか。

夕方の7時。。ぐらいまでいた。
余震も多く、そのたびぞっとした。

家族とは連絡とれず。ドコモ全滅。災害用伝言板があったはず、しかしつながらない。
くだらない、広告はでてくるくせに、災害用伝言板は表示されない。
いらつく。

U子ちゃんのiphoneは、ネットにつながってた。メールもきてた。
どうぞ使ってくださいと、貸してくれた。

お借りして、妹と、旦那にメールがやっと送れた。
無事を確認。

バスが動き出したとのこと。隣のテーブルにいたおばさん一人が歩いて帰るわと、動き出した。「今日中に帰れなくなるから」と言い出した。

こういうとき、近い場所なら、歩いてもいいが、遠いなら無理して歩くな!ということを聞いたことがある。
自宅が10キロ以内なら全員帰れるが、そこから20キロまで1キロ距離が増えるごとに10パーセントが帰宅困難になる。20キロ以上は帰宅できないらしい。

結局、バスがどこまで動いているのかなど確認するために、駅へ戻る。
すんごい行列。渋滞。

あきらめて、駅にいるか、避難所へいくかなど悩んだ。とにかく情報がない。
マンガ喫茶も、ホテルもいっぱいだそうだ。

携帯は、充電がなくなり、充電しながら使っていると、携帯が熱くなってしまい、勝手に電源がきれてしまう。

最後のかけで、都内にいる友人に、泊めてくれとメールした。
なかなかメールが送れず、非常にストレスがたまる。
またメールが送れたとしても、気づいてくれるだろうか・・

風が強くなり、一気に寒くなってきた。
とにかく、寒さをしのげる場所へ行こうとした。
このとき、非常に頭が痛くなってきて、熱があるかもな、やばいな思った。

友人は、ありがたいことにメールに気づいてくれた。しかし、道路がまったく動かないから避難所へ行った方がいいかもと勧められた。

確かに道路は混雑してたし、私は頭も痛くなってきて動けなくなってきたし
ちょうど、母親から避難所の場所がメールで送られてきたので、その友人に避難所わかったから大丈夫だよありがとう、ごめんねと伝えた。

ここで、母から聞いた避難場所が実は自分の母校の系列の専門学校のことだったんだけど、私は勘違いして、隣の母校へ行った。

すると、びっくりしたことに、入り口は、ひとつにされていて、その前に男性が4、5人で構えていた。

なんと、「学生証がないと入れません」「教員と学生だけです」「ここは避難所ではありません」と威圧的に叫んでいた。

張り紙も「ここは避難所ではありません」とわざわざ貼ってある。

なんかもう一気にがっかりした。この非常事態に・・わざわざ人員を確保してまで、追い返すんだ。

呆れた。嫌な思いをした。一気に疲労が。

今調べたら、この日卒業式だったらしい。自分の大学の生徒や保護者を保護していたからだろうけど。知らない人より、自分のとこの生徒や保護者の方が大事ってことね。それは、当たり前かもしれない。
でも、ものすごく冷たいと思ったし、がっかりした。


そして、また駅へ戻り、南口の地下へ続く階段で休むことにした。
この辺で、疲労がピーク。

驚くことに、おにぎりを配ってる人がいた。
このころもう、コンビニは何も売ってない。
しかもおにぎりの中身はいくらと鮭!!

毒が入ってたらどうしようとU子ちゃんとそこまで疑心暗鬼になりながらもおいしくいただいた。そういえば、ずっと何も口にしてなかった。お腹痛くなったら嫌だったから。おにぎりうれしかった。

自分の身内以外は、出ていけと言う人もいれば、だれかれかまわず、おにぎりを配ってくれる人もいる。

こういう非常事態にこそ、人間性てでるんだね。個人だけでなく団体や企業の体質もね・・

もう、小田急線は動かなさそうだった。
線路にヒビが入ったそうで。


駅で、待とうと覚悟してたけど、やっぱり辛い。
ダメ元で、都内住みのもう一人の友人にメールする。

おいで!私も歩いて帰ってきたんだよ。とメールが返ってきた。
友人に感謝である。

でも、U子ちゃんのことも言わなきゃと思った。
U子ちゃんは、「私はいいんで、どうぞ、ご友人のところへ行ってください」と言っていた。
そりゃ、遠慮するよねと思った。私がU子ちゃんの立場なら、そう言うし、申し訳なさすぎて辛い。

だから、友人に、U子ちゃんも大丈夫か聞いた。
返事はオッケーだったので、Uちゃんに大丈夫だよと伝え、歩いて向かう。

Uちゃんのiphoneが、大活躍。友人の家の住所を入れるとナビしてくれた。

すごいね。
私の携帯なんかより充電もつし、ドコモより、メールも使えた。
iphoneって、色々電波ないとか、使えないとか聞くけど、んなことなかった。欲しくなったわ。

なんせ、私だけひとりだったら、友人宅にはたどり着けなかった。

友人の実家の方へきて!ということだったので、向かった。
新宿から4キロという近さ。

友人も、おじさんもおばさんも起きていて出迎えてくれた。
もう深夜1時過ぎだった。申し訳なくて、ありがたくて、泣きたくなった。

お風呂も、布団も用意してくれてた。いたれりつくせり状態だった。

U子ちゃんは、友人宅の立派さにびっくりしてた。
お風呂入って、寝ようとした。

U子ちゃんは寝た。私は眠れなかった。
そしたら、緊急地震速報がなり、部屋にあったテレビをつけた。

明け方まで余震は続くし、だんだん明るくなってくると同時に、テレビの映像はヘリからのきれいな朝焼けと同時に対照的な壊滅的な景色が映り、無性にくやしくなって、涙がでた。

朝になって、真面目なU子ちゃんは、仕事場へと新宿へ行くことに。
友人に二人でお礼を言って、朝8時には出た。

U子ちゃんと、家についたらお互い連絡頂戴ね!と約束して私は電車に乗った。意外に新宿駅は混んでなかった。

本当に、U子ちゃんには色々救われた。

旦那に駅まで車でお迎えしてもらった。
缶コーヒーを持ってきてくれて、そんなこと初めてだったので、気を使ってくれたんだなと思った。
大変だったでしょ、気が張ってたんじゃないのって言われて、つらかった。

一気に怖くなって、生きててよかったとか、みんな無事がいいよとか思って、涙がでた。




...

東日本大震災 - 2011年03月22日(火)

「東北地方太平洋沖地震」が正式名称らしい。

3月11日から、11日経ちました。

今、色々と感じることなどはさておき、11日の当日の出来事を覚えているうちに記録しておこうと思いました。


地震が起きた11日は、友人とグッチのファミリーセールに行くために新宿へ。
友人は自分の赤ちゃんを母親に預けてきた。

友人の子供を預ける時間に合わせ、午前10時前に駅集合。

何回か、グッチグループのセールに行ったことはあるものの、セール初日に、しかも開始時間と同時に行くのは初めてだったので楽しみだった。

初日だからか、品物も多かった気がする。
1時間ぐらいみて、会場を後にした。
何も買わず。というか買えずというのが真理。

友人とは、ここで解散する予定だったが、預けた赤ちゃんがおとなしくしてくれていたようで、じゃあ、ランチしよう!となった。

ミロードの上のベトナム料理の食べ放題。
安いし、おいしいし、適当に入ったけど正解だった。
色々あーだ、こうだ話して、あははと笑ってたね。その後のことなどつゆ知らず。

そして、ランチ後解散。また遊ぼう!なんていいながら。

私はここから一人で、新宿をうろうろし始める。

伊勢丹で働いている友人に会いにいったりして。
ちょっと話して、またねー!ってあいさつして別れた。

伊勢丹ぐるっと見て、よしそろそろ帰るか・・
最後にTOPSHOPのビルでも、のぞいていくかと中へ入った。

2階へ上がるために階段上っていると、反対側にはエスカレーターがあって、あーエスカレーター乗ればよかったなあと思いながら、今度は階段の上の方へ視線をやると

液晶モニターが、ぐらぐらと前後に動いてた。(今考えれば結構な揺れだったはず)
なんで動いてるんだろう?と思うくらいで、このとき地震とは全く気が付かなかった。歩いてると気が付かないらしい。

そして2階についたとき、お客さんの雰囲気がちょっとおかしくて、なんだ?と思いながらも、私はまだ地震とは気が付かず、のんきに洋服を手に取ろうとしていると、旦那からメールがきて「今度はでかいぞー!!大丈夫?」とあり

同時に、足元にグラグラッと大きな揺れを感じ、やっと地震と気が付いた。

私は、どうしたらいいのか分からないで、茫然としていた。おそらく10秒ぐらいだろうけど、すごく長い時間に感じた。
気が付くと周りのお客さんは、少なくなっていて、みんな外へ逃げていたのかもしれない。

どうしようとか、怖いとか思いながらその場であたふたしていると、防火扉が私の方へ、開いてきたので、私は小さく「うわ」とか「わわ」とか言いながら手で抑えていた。周りに誰もいなかった気がする。

私だけ慌てて、周りはひどく落ち着いているようにみえた。
そして、誰でもいいから、これ地震だよね!?って確認したかった。
アイコンタクトとりたかった。

すると、私と同じくあたふたしてる人と目があって、その子は手にパンツを持ちながらあたふたしてた。

「地震ですよね!?」とお互い同時に言って、どうしよう!!と話していると、男の店員さんがやってきて
「外へでましょう」と案内してくれた。いないと思ってたお客もいたらしく、お客さんたちがぞろぞろとついてきた。たぶん私が周りを見渡す余裕がなかった証拠だ。

そこでさっき出会った子は「あ、パンツ置いてかなきゃ・・」と言ったので、少し笑って和んだ。

外へ出ても揺れが続いていて、ガラス張りの中のシャンデリアがぐわんぐわん揺れていたのが見えた。

外には、たくさんの人がいて、コックさんらしき人、お店の従業員。
みんな外へでて固まってビルを見上げていた。

しかも、みんな落ち着いてた。キャーとかワーとか特に聞こえず。
再び、大きな揺れがきて、知り合った子と自然に手を取り合って身構えてた。

私は、仙台に数日前に震度5が来て、仙台にいる友人に「大丈夫?」とメールしたことを思い出し、まさか・・と思った。

これは、大変なことになったかもとうっすらと思いながら、電車動かないかもと思った。

手を取り合った子をU子ちゃんとします。
U子ちゃんに、家は近いのかと聞くと、たまたま同じ小田急線だったので、じゃあ、一緒に駅へ行ってみようとなった。

U子ちゃんは、3か月前に三重から出てきたばかりで、今月いっぱいで帰る予定だったそう。

U子ちゃんが、駅に行く前に石鹸屋のLushに行きたいと言い出したので、駅へ向かいがてら、Lushへ。

今月末で三重へ帰る予定だから、たくさん買い物をして実家に送るらしい。

私も、一緒に石鹸を見ていたけど、正直、気が気じゃなかった。
店員さんは、地震におかまいなく、私の手に実習してくれたり、石鹸の説明をしてくれた。
はっきり言って、今一番どうでもよい情報を聞かされていた。
私は一刻も早く、地震の情報が欲しかった。
店員さん、地震怖くないのかな?とか思いながら、私もできるだけ冷静に、慌てているのを隠すように「ああそうなんですかー」なんて相槌うって。

すでに、携帯はパンク。メール遅れず、通話できず困っていると
携帯にウェザーニューズから、震源は宮城北部と送られてきた。
やっぱり・・と思って仙台の友人が気になる。

南口のフラッグスビジョンの下にたくさんの人が集まっていた。
ニュースを流しているんだろう。

買い物を終えたU子ちゃんと、一緒にフラッグスビジョンを見上げた。
津波警報がでてた。大変なことが起きたのはよくわかった。

でも画像が大きすぎてなんだかよくわかんない。アナウンサーの声も何言ってんだかよくわからない。

ちょうどそのとき、またもや大きな地震が起きた。地面がはずむような縦ゆれ。
後ろには、卒業式だったであろう袴姿の女子学生がいて
女性の「キャー」という声を私たちは間近で聞いた。

女性の「キャー」の声は、私の恐怖をあおった。一気に全身の鳥肌がたって、ここにいたくないと思った。
高層ビルは、ゆらゆらとしなり、倒れてきたらどうしよう!!と思った。
何より、ここで密集した大勢が一気にパニックになって将棋倒しになったりしたら大変だと思った。

逃げようと思っても、いったいどこが安全なのか、どこに逃げたらいいのかもわからなかった。

私は、都内で、被災したくないなあと思っていたことが現実になっちゃったんだということに、こんなこともあるんだなと一方で他人事のように思った。

なんかもう、フラッグスビジョンを見上げる人たちが、ゲームとか映画みたいだなと思った。

U子ちゃんと、とにかく階段の上へ行こうと手を取り合ってあがった。

そうしてると、頭にサバイバルだとか、阪神淡路大震災とか、帰宅難民という単語がポンポンと浮かんできた。

そうだ、自分は、帰宅難民だ・・と思った。

U子ちゃんは、食糧について心配しはじめた。
とりあえず、落ち着こうと、たい焼きを食べることに(笑)

U子ちゃんと一緒にいて本当に良かったと思った。
私一人なら、どうなっていたんだろうと思う。

深刻になると、何ものどを通らなくなる私とは対照的なU子ちゃんだった。
このたい焼きおいしいんですよっと教えてくれた。

何も食べたくなかったけど、おちつくにはちょうどよかった。

とにかく情報がないのは辛いなと思ったこと、新宿でもここまで揺れたのだから、実家はどうなったんだろうと、ドキっとした。

駅員に、電車の状態などを聞きにいこうとしたら、すでに報道陣がいた。
確か、フジテレビ。

空には、ヘリコプターが飛んでた。

駅前にも小さなテレビがあるけど、何言ってるんだかわかんない。情報がない。

電車が動くまで、どこかで休もうということにした。




...




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