●●● 俺色アストリンゼン
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2008年09月24日(水) |
にいさんがころんだの巻 |
「駅の通路で転んで右ひざを強打、救急車で運ばれた。骨折していたので今日はとりあえずこのまま帰宅します、面目ない」
会社でにいさんからのメールを読んだのが先週の水曜日のこと、その時はあとあとこんな大変なことになるなんて夢にも思いませんでした。 いや人間、年をとったらと言うか、むしろ今はひょっとしたら若い人の方が骨はもろいのかもしれませんが、うかつに転ぶものではありませんね。 にいさんが今回骨折したのはひざから下、腓骨の部分。たてに3箇所ほど裂け目が入っているのですが、幸いずれたりしているわけではないようです。 それでも手術をせずにギプスのみの治療ということになると、ひざを覆って太ももまで固定されてしまうことになり、片足をまるっきり曲げられない状態で骨がくっつくのを待たねばならないわけです。 急なことでただでさえ動転しているところへ、そんな苦行が長く続くのはとても耐えられないと、思い切って手術をする道を選んだわけですが、どう考えても手術だなんて、転んだ痛みよりもさらに痛いに決まっているような……。はたで見ている私も複雑な気持ちです。
加えて、今は私が会社に行きつつ帰りに病室を見舞ってにいさんの身の回りの世話をしているわけですが、あれこれ必要なものを都度買い揃えて病院までひょこひょこ運搬する毎日、帰りも必然的に遅くなりますし、体力的にかなりきついものがあります。 今回つくづく思ったんですが、こういうのは介護する側の方がよりイヤな感じで疲弊するものなのですね。 介護される側の肉体的な辛さは自明なので、
「このカワイソーな人を目の前にして私が『疲れた』だなんてとても言えない」
という気持ちにさせられ、介護する側はつい自分そっちのけでフル回転で尽くしてしまいます。 でも通常のペースを乱され、こちらもいっぱいいっぱいなのもまた事実。にいさんは私に何も無茶なわがままを言うわけではないんですが、それでもいつもより余裕をなくしており、普通なら女の私に当たり前にさせないようなことを私がしてあげても「ありがとう」のひとことも出なかったりして、いけないいけないと思いつつ、それが積み重なると私も笑えなくなってくるわけです。 これを溜めたままでは、のちのち我々の関係によくない影を落とすと思い、3日目ぐらいになって魂の抜けた面持ちで、にいさんごめん、私疲れた。と宣言してしまいました。当然罪悪感でいっぱいでしたが仕方がありません。それでもそうやってちゃんと口に出してからは、すっきりしてむしろ肚が座りました。 「今だけの非常事態なのだから、してやれることは何でもしてあげよう」という気持ちです。
おかげさまで手術は月曜日に無事済み、あとはリハビリです。松葉杖を手放せるまではやはり全面的に私がお世話をせねばならず、当分は大変でしょう。
でもベルリンには予定通り行くことにしました。 キャンセルも考えましたが、「そんなことをされたら漏れがかえって辛い」と猛反対されたのです。そりゃまあそうだろうなと思います。 しかしそうは言っても気が気でない部分もあるのですが、そこはにいさんを信じて精いっぱいドライに楽しんでこようと思っています。
そんなわけで、当面ばたばたしそうではありますが、半ばやけくそでこのばたばたルーティーンの中に「日記の更新」もぶちこみ、ちょこまか経過を報告できたらと思います。
ところでその、こんな時に何なんですけど、いちおう気になるのは、ここまで着実に埋めてきたにいさんの「性交カレンダー」の行方だったりします。 「10月でついに完成……という段になって、これだもんね。ま、しょうがないね」 と私がなぐさめますと、にいさんはくやしげに肩をぷるぷると震わせ、
「くっ……、だが漏れはあきらめんぞ。10月31日にぎりぎり出来るかもしれないじゃないか」
と、骨折したカラダで往生際の悪いことを申します。 まあそんな、「漏れは是が非でも性交カレンダーを完成させるのだ」というしょうもない目標でも、それによって治癒が早まるのなら、本人的にも会社的にも万々歳なのでそれもいいのかもしれません。
(小声で) そん時ゃ騎乗位なんでしょうかね、やっぱり……。
2008年09月14日(日) |
にいさん、この人を見よの巻 |
おかげさまでにいさんの「性交カレンダー」、8月・9月とも、着実に埋まっております。 あとは来月、10月を残すのみとなったわけですが、よくよく考えたら人間誰しも、とまでは言わないまでも、本人が気づいていないだけで、 「実はこの月だけセックスしたことがない」 という月って、実はひっそりあるのではないでしょうか。 「にいさんの性交カレンダーを埋めてやっている」などとすっかり上から目線を決め込んでいる私でさえ、もしかしたら11月〜3月のどこかにそのブラック期間があるかもしれず、そうなれば私はキングオブ非モテのにいさんにすら負けることになるのです。 どうでもいいことではありますが、でもやっぱり腑に落ちないのは事実。だってにいさんの初体験が一体いくつの時だったか知ってます?
大きな声では言えませんが、27ですよ、27!
もちろん早ければいいというわけでは必ずしもないとはいえ、今どきさすがにこれはないでしょう。 しかしこれで驚くのはまだ早いのです。この時の相手とのセックスにまったく快感を見いだせなかったにいさんは、あろうことかセックスそのものに絶望し、
「漏れにはセックスは合わないのかもしれない」
と極端な結論を出して、その後14年間、ただの一度もセックスせずに暮らしたというのです。 ということは必然的に、にいさんは
「三十代で一度もセックスしなかった男」
ということになるわけで、初めてその事実を知らされた時はあまりのことに、私もどういう顔をしてよいものかわかりませんでした。 聞けば、風俗などもどうしても行く気になれず、するにしてもどうしても自分が好きになった人とだけしたかったとのことで、 「好きな人はいなかったわけではないが、口説いても振り向いてもらえなかった」 ということであったらしいです。
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あの秋葉原事件のとき、犯人が童貞かつ包茎であることに激しくコンプレックスをもっていた、ということが後々明らかになりましたが、そのときもにいさんは
「25で童貞、んでもって焦って人を殺すってか? アフォか、んじゃ漏れなんてどーなんの」
と鼻でせせら嗤ったものでした。 あの事件はあたかも不安定な雇用形態、ひいては世間の労働事情が問題だったということですっかりキレイにまとめられてしまいましたが、私の目にはやはり彼の性的なコンプレックスの方がより理由としては比重が大きかったのではないかと映りました。第一あの子、正社員として働いていた会社を自らさっさと辞めたりしてましたよね……。
「漏れはたしかに27まで童貞だったが、でも別に焦ったりってことはなかったぞ。 だって漏れの好きな過去の偉人には高齢童貞なんかザラにいるし(といってここで数名の名前を挙げたのだが忘れた)。彼等がいると思えばそんなの、どってことなかったがな。」
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先日お友達ににいさんのことを話した際、「いやもう、各方面におたくな人で……」と説明したところ、 「それは普通に『博学』って言ってあげようよ」 と言われ、おたくに対するそんな美麗表現があることなどすっかり忘れていた自分に気がついたわけです。 やたら本を読んだり知識を貯えたりすることに対し、ついつい「おたく」とか「頭でっかち」とか、マイナスな評価を下す傾向は私の中にもあるかもしれません。 でもあの犯人がそうやってひと昔前の青年のように、若さ特有の寂しさや不安をがむしゃらな読書や勉強で埋めようと努力していたなら、揺れ動く心を守り、支えにできるようなボキャブラリーも自然に得ていたはずなのです。にいさんがそうであったように。
そのにいさんは今、
「中途半端に27とかで童貞を喪失して、漏れは今はげしく後悔している。 むしろ45歳でわやたそに童貞を捧げたということにしたかった。もう過去を書き換えてそういうことにしておいてほしいんだがダメか。」
と言っています。何ていうかこのセリフ、加藤君と、全国の加藤君予備軍に聞かせてやりたいものです。
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