我が家のトイレのペーパーホルダは取替えが面倒くさい。

写真にある形なのだが、ペーパー芯の残りを取り替えたり、新しくセットするためには、芯の左にあるねじ式のキャップを外さなければならない。その後、反対側から金属製の心棒を抜き取り、木製の芯を抜きとらなければならない。新しいペーパーの取り付けには、この逆の手順が必要だ。ペーパーに木の芯をセットし、木の芯を落とさないように、金属製の枠に押し込み、位置を保ったまま反対側から金属製の心棒をセットする。金属製の心棒が手前側の枠の穴にうまくはいるように注意して、最後にねじ式のキャップをしっかりしめる。
面倒なのだが、最近はこの儀式がなかなか気にいっている。
トイレには専用の文庫本が置いてある。入るたびに、1〜2ページずつ読み進めてまだまだ一冊を読み終えるにはどれほどかかるのかわからない。仕事では決してありえない非効率な空間は、淡々とそこにある。
我が家ではここ20年、年賀状の裏面を自分でデザインし作成している。かつては、プリントゴッコの絵の具を使う古いタイプだった。下書きの絵を装置にセットしてフラッシュで感光させ、絵の具を塗って転写していくので、刷ったばかりのは乾かす必要があり、部屋中に年賀状が広げられて一大行事だった。
パソコンを使い始めた1988年くらいからは、グラフィックソフトで作成している。文字フォントや装飾も色々できるし、手書きの画像を取り込んで手作りっぽい雰囲気を残しつつ、印刷は連続してできるのでとても楽になったし、場所もとらない。

去年くらいからは、娘たちも自分でパソコンを使って、独自のレイアウトをできるようになって、家族一種類ではなく3種類の年賀状を作成している。
部屋に流れるBGMも今では3種類になってきた。
急逝した叔母の葬儀に参列してきました。父のすぐ下の弟さんの奥様だったので従兄弟たちとも年が近く少年時代の夏休みは彼らが泊りがけで来てくれるのが嬉しくて待ち遠しかったことが思い出されしんみりと読経を聴き合掌してきました。 実はこの叔母は現役衆議院議員の実妹であり、同氏も参列しておりました。親族代表で挨拶をされましたが、「自分は長男であるのに上京したが、その後の兄弟の面倒を見させてしまった。今あるのは妹のおかげで借りを返せないまま逝ってしまった」と声を詰まらせて述べているのを聴いて、政治では国際派で冷静に先進的な英断をされる氏であるだけに、貰い号泣してしまいました。

自分の親がまだ元気なことに感謝。
デパートのおもちゃ系SHOPやゲームセンターには、必ず何台もの100円のベンディングマシーン、通称「ガチャポン」が並んでいる。キャラクターフィギアやシール、ペンダント、昔懐かしミニスライムなんていうのもある。中には新進気鋭のデザイナーの作品だけを扱って売り切れ必至のアイテムなんかもある。

そんな中最近嵌っているのが100円の駄菓子・・・といってもチョコとラムネなのだが、中々これがどうして昔の買い食いの禁断の味が味わえる。中でもいけるのが(笑)通称ジャリチョコ!正に庭に巻いてあるジャリさながらの不ぞろいの形とあまり美味しくなさそうな色。床に落とすと正に誰かが持ってきたジャリに見える。中身はチョコレートで、買い物に付き合いつつカップに100円分買ったジャリチョコをチビチビ食べながら時間をつぶすのが休日のささやかなリラックスなのである。
(写真はジャリチョコじゃなくてマーブル。こんなノーマルもある。
ニューヨークが気になっている。
かっこいいが、キツそうな街で、危険な街だが魅力的。いってみたいが、チャンスがなければ、自力で行こうと思い切れもしないが、9.11から立ち直りつつあるように見える、その活力が自分にも力をくれそうな期待感がある。イスラエルは、退廃的な緊張だが、N.Y.は整然とした緊張をイメージしている。

本屋で見つけたちょっとしたエッセイ3部作を読み始めた。 笑うニューヨークは、ニューヨーク在住のデザイナー竹内玲子氏の体験を綴ったものだが、リアルなガイドでもあり、益々そこへいってみたくなると同時に、体験したような気にもなってきて、少し熱をさましてくれる(笑)
今はトイレの窓辺においたままにしておいて、入るたびに2ページくらいずつ読み進めている。ついつい在場時間が多くなってくる。
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