回り道

 後輩がディレクターデビューすると言う
 来週のデビューの為の今週は研修

 たった一つしか年の違わない後輩と出会ったのは
 彼がアルバイトとして番組のロケに来ていた時だ

 学校では学科違いの1学年違い
 学校では一度も出会う事は無く
 仕事の現場で出会う事になった

 僕も彼も多分回り道を続けてここに立っている

 回り道を繰り返した事が良い方に繋がる事もあるし
 勿論逆の事だってある

 回り道を無駄にしないためには
 回り道を自分で否定しない事しか方法が無い

 回り道が生かせる仕事かどうかは彼に掛かっている
 ウサギとカメの競争のゴールはまだまだ先だから
2002年05月07日(火)

ご馳走

 ゴールデンウィーク最終日の今日
 バーベキューコンロを載せて京都の山深くに行く

 京都市内から2時間近く
 冬、雪深い時に鍋をしに来る林道

 雪が積もっている姿を見慣れているせいか
 雪の無いこの林道が不思議に感じてしまうが
 一年の殆どはこう言う景色なんだろう

 雪の林道では少しずつしか進めなかった道をずんずん進み
 木漏れ日の美しさに感動しながらいつものBBQポイントへ

 時々走る車はあるが
 それ以外は木漏れ日と鳥の声だけがそこにある

 せっかくの休みに人込みに酔いに行く事は無い
 こうして澄んだ空気と風に酔えるのが何よりも嬉しい

 ご馳走は肉ではなくこの風と空気
 たったこれだけでリフレッシュされる
 安いもんだ
2002年05月06日(月)

仲間に引っ張られて

 仲間と一緒に自転車道を走る
 正直仲間に“連れられて”と言った方が正しい

 最初は待ち合わせの加減で仲間よりも随分前を走っていたが
 その内追いつかれ、抜かされて、置いていかれてしまう

 片道45kmの嵐山木津自転車道

 何度も走っている道だが未だ完全往復はした事が無い
 正直しんどいからいつも途中で帰ってきてしまうのだ
 でも今日はとにかく着いて行くしかない

 意地と根性で辿り着いた片道のゴールには
 ポツンと終点の碑が立っているだけ
 ここでまだ半分か、と思うとどっと疲れた

 復路を半分過ぎた所で仲間と別れる
 じゃあ、とそっけない位に分かれていく
 僕だけが嵐山に向かってペダルを踏む事になる

 今まで連れられて、引っ張られていた分
 風に向かい走る復路はグンとペースがダウンする

 最初から一人でのポタリングだったら
 きっと最後まで辿り着いていなかっただろう
 辿り着いていたとしても
 明るい内に帰って来る事は無かっただろう

 家に帰って仲間から電話が来た
 無事に辿り着いたかどうかの確認の電話だ

 そっけない位の別れの後も
 心配していてくれた事に感謝
 
 今日も仲間に何かを貰った気がする

     本日の自転車走行距離:92km
2002年05月05日(日)

出航

 一人っきりで海の上
 周りは空と海しかない世界
 とても耐えられそうにも無い

 堀江謙一さんはそんな海にまた旅立つと言う

 30年前と違ってGPSもある
 衛星電話もビデオカメラもトイレも完備されている

 それでも気持ちは30年前と変わらないのだろう
 早く出発したいと語るくしゃくしゃの笑顔は
 50歳をとうに過ぎた男の笑顔ではなく
 野山を駆け回る少年の笑顔だった

 きっと無事にサンフランシスコに辿り着き
 アメリカからその笑顔を見せてくれる事だろう

 堀江さんの無事を祈って
2002年05月04日(土)

もう少しの

 初めての仕事で一杯一杯になった
 いつもの感覚で打ち合わせもそこそこ
 その感覚に落とし穴があった

 もう少しの気合
 もう少しの取り組み
 もう少しの理解
 もう少しの打ち合わせが

 もう少しの余裕を生む

 今日の反省が次に活かせれば
 いや生かさなくては今日の仕事の意味が無くなる

 もう一度もう一度

 
2002年05月02日(木)

雨天中止

 雨、危険の為にジェットコースターは走らない

 昨日何度もチェックをして万全に準備をした
 今朝も早朝から機材セッティングに時間を掛けた

 でもやはりジェットコースターは走らない

 ま、こんな事もあるさと撤収を済ませる
 いつも成功して終われる訳ではない
 それも今回は誰にも責任の無い失敗

 雨男は誰か?
 それだけが責任の所在を問う声だった
2002年05月01日(水)

大魔王の脳溶け日記 / 大魔王

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