21世紀最初の大晦日

 21世紀最初の年が終わる
     なんて言われてもどうもピンと来ない

 節目なんて言い方をすると
   ノストラダムスに沸いた1999年から
   Y2Kの2000年問題
   夢の未来世紀2001年21世紀まで

 と、ここの所毎年節目の年になってしまう
 大体がキリストが生まれた年(?)を基準にしただけだから
 文化が違えば年号の数え方だってぜんぜん変ってきちゃう

 それに意味があるのか?と言われれば、う〜んと考えてしまう
 ま、なんにせよ盛り上がって馬鹿騒ぎしたいだけかも、、、

 ただ一年、ってのは確かに節目としてそこにある
 地球が太陽の周りを一周するのが一年
 何処が始まりで何処までが一年かは人間が決めた事だけど

 やっぱり生活してるとエンドレスに続くのはしんどい
 一年一年始まって終わって行く位の節目が無いと
 精神的にも不安定になってしまうかもしれない


 この一年、、、いろんな事があった
 楽しい事も辛い事もしんどい事も
 来年はいい年になんて言うけど今年もいい年だった
 来年“も”いい年に
2001年12月31日(月)

シュレック

 昨日の心地よい足のダルさを引きずりつつ起床
 チャリンコの楽しさは実は次の日のこんな部分にもある
 少しダルい位がちょうど良いのかも知れない

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 映画「シュレック」を見た
 
 この映画、とにかくCGが凄い!
 見ている途中でCGだと言う事を忘れてしまいかねない
 それぐらい凄い綺麗でリアルなCGだった

 だけど今のCG技術なら
 まるで実写のように描く事だって可能なので
 アニメである事を何処まで残すかがセンスになるのだろう

 そういうセンスが欠落してしまっていたら
 きっとこの手の映画は成立しない
 あざとさが前面に出てしまうような気がする

 しかもこの映画そのCG技術に決して頼っていない
 ストーリー、構成が非常に良く出来ている
 その上でキャラクターが楽しく可愛く
 声を当てているハリウッドスターも素晴らしかった

 特にドンキーの声をやっていたエディ・マーフィは凄かった
 彼の演技力、面白さを再認識させられた

 何にも考えないでとにかく笑える!
 こう言う映画もいい!
2001年12月30日(日)

この仲間と一緒なら

 早朝4:00AMに目覚める
 ビル10階分階段を上がったところが今日の現場
 仕事する前から汗だく、、、

 淡路島で8:30amに仕事を終わらせて
 大阪箕面に到着したのが10:00am前だった

 明石海峡大橋が掛かる数年前まではとても考えられなかった時間
 フェリーで淡路島に渡っていた時は昼を過ぎて夕方に帰着していた物だ

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 午後から仲間とチャリンコの旅
 淀川べりを枚方から大阪城まで

 往復全行程50km弱の旅
 往路3人でスタートして大阪城で1人と合流
 復路は4人で枚方に帰って来る予定

 前日までとはうって変わって風も無く陽射しも暖かい
 上着を着てペダルを漕ぎ始めた事をすぐに後悔する

 やっぱり1人っきりで走るより仲間と走るほうが楽しい
 ずっと一緒に走ってる訳でもなく
 それぞれ自分のペースを守りながら走っているのに

 遅れても待っていてくれる人が居る
 スピードを上げても後からやってくる人が居る

 車で林道を行く時と同じような
 それともまた違うような感覚
 仲間との一体感と孤独感の間

 休日の大阪城は観光客で賑わっていた
 天守閣前で休憩、最後の仲間と合流
 復路を走り出す

 太腿から膝、足首にかかる心地よいダルさ
 川面に反射する夕陽
 休憩して仲間に貰うチョコレート

 四駆と共に辞める事が出来ない趣味になる
 そんな気がしてくる瞬間

 この仲間と一緒なら

 この仲間と一緒なら

     

本日の自転車走行距離:47.7km

2001年12月29日(土)

今期総決算の反省

ラリーメイトナニワからRCRC今期最終戦、ナニワダートラ2001のビデオが送られて来た。
 当たり前の事だが自分の走行の姿はビデオでも無いと見れない
 ナニワはプロ機材で撮影した走行ビデオを送ってくれるので有り難い

 ビデオは各クラスの上位入賞者+自分の走行2走

 客観的に見ると自分の中で走れていた感覚と
 実際に走っている姿のギャップが随分と大きい
 自分が運転している時に感じているほど走れていないのだ

 しかし本格的に競技を始めて丸2年
 最初の頃撮影されたビデオと比べれば成長は感じる
 勿論まだまだ開眼には至らない

 今期総決算のビデオを見て反省し、来期の糧に
 徐々に、徐々にでも成長できれば、と思う

2001年12月23日(日)

急場しのぎ

 晩飯に焼き鳥屋に行った
 大手焼肉チェーン店の焼き鳥屋

 店は新しく綺麗で、料理も工夫と演出のあるもの
 が、演出過多と言えなくも無い

 晩飯時で客数が多いとは言え料理が来るのが遅い
 店員の笑顔は良いけど対応が良いとは言えないのだ
 結局最後まで来なかった商品があり
 清算時に引いて貰う顛末になってしまった

 よくよく考えてみれば大手“焼肉”チェーンの焼き鳥屋
 そう言えばここも少し前まで焼肉屋だったような気がするし
 ここの所この店が国道沿いに増えている、と言うか
 増えて来ているんじゃなくて替わって来ているのだ

 焼肉を捨てて焼き鳥へ

 苦渋の決断を迫られた理由は勿論“あれ”だろう
 だが急作りの店作りはあまり成功していないようだ
 店員も戸惑っている様子が窺える
 
 このままでは“あれ”の関係無い鳥料理でも客は離れていくだろう
 狙いは良い所を付いていてもやり方が駄目だったらやっぱり駄目

 たかが飯、されど飯
 気持ち良く食わせてくれれば演出なんていらないのだ
2001年12月22日(土)

マニア受け

 何にでもマニアがいてコレクターがいる
 およそ人の考え得る事は必ずと言って良い程趣味になっている

 大掃除で屋根裏から出てきたミクロマン
 小学生の頃小遣いを貯めて買って遊んでいた物だ
 部屋は汚いくせにそういう事には細かい僕は
 ちゃんと箱にしまって大事に扱っていたらしい
 部品もほぼ欠品が無く揃っていて
 箱は汚れていても中身は綺麗に保たれていたのだ

 インターネットオークションに出された数々のおもちゃ達
 そんなに期待せずに小額からのスタートにしていたのだけれど
 やっぱりその筋の趣味人が多数いるらしい
 予想外の高額取引になってしまった

 ゴミになるところだった物が人の手に渡る
 大事にしていた物だけに大事にしてもらいたい
 ましてや捨てられてしまうのは心苦しい
 そういう意味ではマニアはありがたい
 僕もどこかでありがたがれてるかもなぁ
2001年12月21日(金)

ヒーローがヒーローになる為に

 名馬テイエムオペラオーが引退する
 去年のG1レースを総なめ
 今年は去年ほどの調子は維持していないものの
 天皇賞を三連覇している

 オペラオーが居なくなる事は
 競馬会に少なからず影響を与えている

 超の付く人気実力馬が居なくなる事で
 競馬そのものの人気がどうなるか心配する事もそうだが
 今週末のラストラン、有馬記念で一矢報いたい
 そんな各陣営の気持ちが日曜日に花開くかどうか

 ナリタトップロードにメイショウドトウ
 テイエムの最後の花道を阻む事が果たして出来るのか?
 もちろん他の馬も虎視眈々と来年からのヒーローを目指す

 強いライバルが居ないとヒーローはヒーロー足り得ない
 ヒーローがヒーローでありつづける為に
 ライバルがヒーローになる為に
 新しいヒーローが出現する為に

 ゲートが開くのは平等だから
2001年12月20日(木)

自分の物

友人から電話で昼飯の誘いが有った

 家から近いラーメン屋を指定して自転車で走る

 ついこの間までこんな距離でも車で出掛けていたのだが
 自転車で出掛けるのが気持ち良いと感じる様になった

 ただし昨日の今日なので少し膝が重い

 昼飯の後ファストフードで長時間ダベり
 友人と別れた後にその足で買い物へ
 
 家でトレーニングマシーンをやったり
 腹筋や腕立て伏せをやるのは続くと思えないけれど
 自転車なら楽しく続けられそうな気がする

 勿論時間の余裕が有る時じゃないと遠出は出来ないけれど
 ちょっとした買い物や暇潰しを自転車に頼るなら

 楽しむ自転車
    散歩するように走るポタリング

 徐々に自分の物になってきた


            本日の自転車走行距離:5.9km
2001年12月12日(水)

全線走破?

 今日はポタリング日
 ただしポタリング日和ではない

 早朝出発の予定だったが寝坊
 昼食を食べてからの午後出発に変更した

 今日のコースは京都八幡木津自転車道
 早朝出発して木津の最終ポイント往復にしたかったのだが
 午後出発では木津までは辿り着けても帰って来れないだろう
 と言う事で目標点を木津川の流れ橋に設定
 全行程45kmの大体半分強の24.8km
 家から起点への距離も合わせて50km以上になる

 天気は決して良いとは言えず、どんよりと暗い
 気温も低く冷たい風が吹いていて寒い

 起点の嵐山からゆっくりと自転車を漕ぐ
 平日の自転車道は歩く人走る人も殆ど居ない
 まるで貸切りの様に感じる位である
 グランドで練習する声も聞かれず、、、寂しい

 ま、一人でゆっくりポタるにはちょうど良い
 気持ちを入れ替えて何にも考えずにゆっくりと

 山の紅葉はもう終わりのようだ
 ついこの間まで見事に色づいていた山がくすんで見える

 流れ橋までは意外に早く到着する事が出来た
 少し長い目に休憩を取って帰路に着く事にした
 時計が3:00pm前を差していたので
 ある程度急いで帰らないと明るい内に家に帰り着けない

 スピードを上げて
     と思ったけれど思うようにスピードが上がらない

 勿論その時点でサイクルコンピュータで29km
 休憩をゆっくりしたので疲れているのも事実だけれど
 それよりも何よりも敵は“強烈な向かい風”
 メーター読みで行きの半分強しかスピードが出ない

 陽は傾き辺りは薄い夕焼け色に染まって行くのに
 一向に前に進む感じがしない
 行きよりも休憩取りながら更にゆっくり
 徐々に暗くなる中1.5倍の時間を掛けてゴール
 しかも嵐山まで行かずにショートカットしてしまった

 なんにしろ半分
   全行程の半分走破した自信は付いた

 次は次こそは全行程の往復
  90kmを早朝出て夕方までに帰って来る!

            本日の自転車走行距離:53km
2001年12月11日(火)

ハント、ハント、ハント!

NEWヒーローは何処からやってくるか分からない
 K-1ワールドグランプリ2001決勝を制したマークハントの事だ

 失礼だが正直今回の大会でマークハントは完全にノーマーク。大方の予想ではジェロム・レ・バンナとアーネスト・ホーストが優勝候補として上がっていた。

 マークハントは敗者復活戦の福岡大会でBブロック優勝を果たして決勝進出してきた。つまり彼は“敗者”だったのだ。福岡大会でも初戦のレイセフォー戦で実は負けている。壮絶な打ち合いの末判定で負けてしまったのだが、勝者レイセフォーは頬の骨を骨折、二回戦に出場することが出来なかったのだ。判定で負けながらも相手を“破壊”して自分はすっきりと無傷の顔で二回戦に駒を進めた。

 正直驚愕の結果だった。決勝の東京ドーム大会で嵐を巻き起こすような気はした。が、一回戦の相手はバンナである。バトルサイボーグと称されるそのパンチを受けて立っていられるとは思わなかった、受けの強いマークハントであっても。

 昨日の試合をビデオで見て本当にビックリした。マークハントはバンナをロープ際の連打で見事にKOして準々決勝を突破。準決勝のステファンレコ、決勝のフランシスコフィリォを判定で破って見事グランプリを制してしまったのだ。準決勝、決勝は判定決着だったが、マークハントの強さは準々決勝のバンナのKOで十二分に証明されていた。まさにNEWヒーロー誕生の瞬間であった。

 次の大会からは勿論ノーマークなんてありえない。みんながハントを狙って来るそういう立場になって改めてハントの真価は問われてくる。来年からのハントの快進撃、また他の選手の巻き返しに是非期待したい。
2001年12月09日(日)

馬鹿と鋏は

 早朝、真っ暗な中でのセッティング
 神社の中なので街灯さえ灯されていない

 昨日の明るい内にしたセッティングが効いて来る
 森の中を通ってやらなければならない部分だけでも
 暗い中しなくて良いだけぐっと楽に作業が進む

 昨日機材車に載せて置いた自転車も大活躍
 バイトの移動とか軽い機材の持ち運びに使われていた
 
 車が便利な場所、自転車が便利な場所、台車が手運びが
 と現場の状況によって、その用途によって変わって来る

 どんな道具にしろ、ようは使い方
 それは人間だってそうかも知れない
 使えない人間も場所によっては目が出る可能性だってある
 使い方を間違えたら何もかもうまく行かない

 事だってある

 人間も道具も上手く使える人間
 上手く使われる人間になりたい


         本日の自転車走行距離:9km
2001年12月08日(土)

有効なアイテム

 明日の早朝中継の為のセッティング
 下鴨神社まで自転車で向かいました

 緩やかな上りが続く片道9kmの道のり
 集合時間よりも30分早くの到着にも関わらず
 カメラマン二人は既に現場下見をしていた

 当日時間を有効に使う為、
 今日の内にある程度のセッティングを済ませる

 今日の現場にはバイトを呼んでなかった為
 少人数の作業になり結構大変になった
 中継車から現場までの距離が結構ある上
 ぐるっと回らなければ車まで行けないのだ

 そこで大活躍だったのがたまたま乗っていっていた自転車
 重い荷物を持っての移動は出来ないが
 軽い荷物なら十分持ち運びが出来、作業も早い
 こう言う範囲の広い現場には有効なアイテムだと分かった
 かと言っていつも持って行くという訳にはいかないが


       本日の自転車走行距離:9km
2001年12月07日(金)

睡眠

 本格的に冬が訪れたのだろう
 昨日の希望どおりすっきり晴れた空は放射冷却を呼び
 薄蒼い空の下ぐっと冷え込んだ空気が体に凍みる

 午後になって多少温度が上がってきた
 仕事もけりが付き、いつもの様に晩飯までは暇な時間

 出かけようかと思ったけれど
 自転車を持ってきてない
 車で出掛けて無駄遣いをするよりは
 と思って部屋でビデオを見ることにする

 海外ドラマを見ながら寝てしまった
 同室の大先輩はゴルフの打ちっぱなし
 冬の一日は無駄に過ごされる

 いや、睡眠も無駄じゃないか
2001年12月05日(水)

ベテランと新人

 朝起きると雨が降っている
 予報では昼からは回復するとは言っているが
 この分では自転車は持って行けない

 現場に着いた時点では雨は小雨に
 でも止んではくれないし
 土の上での仕事だから長靴は放せない

 雨の中来年から繰る新しいレポーターを紹介された
 6年続けていたレポーターが結婚の為辞めるのだ
 新しいレポーターは年齢もぐっと若返り
 顔も可愛く素直そうな感じで好印象
 ただしモデル中心にやってきたので
 喋りの仕事はあまりやってきていないとの事らしい

 正直、一朝一夕に出来る仕事ではなく
 専門的な知識や経験が必要になってくる仕事
 前任者も6年掛かって会得した物が数多くある

 来年早々から回りの僕たちスタッフが大変になるだろう
 だけど真っ白なキャンバスに一つ一つ色を乗せるように
 素直な彼女に一つ一つ覚えて貰える様、僕達も努力しよう

 雨が止み、厚い雲の隙間から陽が差してきた
 逆光の中を多くの馬が息を白くさせ歩いている
 空気が澄み、冷え込む中
 緊張と熱気が湧き上がってくる

 明日もあさっても晴れてくれたら嬉しいのだけれど
2001年12月04日(火)

分かってあげる事、分かってもらう事

 母親と喧嘩した

 きっかけは凄くすごぉく些細な事だった
 自分の善意、家族への気持ちを踏みにじられた気持ちだった
 実はそんなにも怒り狂っている訳でもなかったけれど
 一応怒りの態度だけは表して置かなければ

 そんな気持ちだった


 相手の気持ちを汲み取る事
 相手に気持ちを汲み取ってもらう事

 日本人はアピールするのが下手とよく言われる
 僕にとってもそれは例外ではないようだ

 相手の為にしてあげた事を殊更アピールするのはハシタナイ
 そんな気持ちが邪魔をして、結局気づかれないまま過ぎて行く

 した事、してあげた事の気持ちが汲み取って貰えない
 相手に汲み取って貰えずじまいの行為や気持ちは
 しなかった事、してあげなかった事になってしまう

 こっそりやって置いて良い方に向けてあげたりする事は
 そりゃぁ格好良いに決まっているけれど

 見返りの無い善意や行為はやっぱり続かない気がする
 見返りを期待して始めた事では無いにせよ
 やっぱり何かしらの見返りと引き換えに次の善意を生む

 様な気がする

 分かってあげる事、分かってもらう事
 そしてその為に努力する事

 喧嘩もたまにはいい物かも?
2001年12月03日(月)

大阪モーターショー

 朝のインテックス大阪は人であふれ返っていた
 東京に続いて開催の大阪モーターショー
 仲間と友人と待ち合わせてインテックスで落ち合う

 モーターショーに出向くのは初めて!
 しかしどのメーカーも力が入っている
 ブースは立派でコンセプトカーは今にも走り出しそう
 既に発売されている車はさわり放題乗り放題
 競技に力を入れているメーカーは競技車輌を出展
 海外のメーカーも用品メーカーも気合の入り方が違う
 ゆっくり見ていたのでは一日で見切れない量、面積

 嬉しくなって写真を撮りまくって歩き回った
 36枚撮りのフィルムが計3本
 2台のカメラをぶら下げていた首はコリコリ

 途中昼飯をはさんで夢中で見て回っていると
 午前中の開場直後に入ったのにも関わらず
 最後の輸入車ショーを見ている時には外はすっかり暗くなっていた

 駐車場から車を出すと大渋滞が待っていた
 あれだけ車を見た後も車の渦の中、、、なんだかなぁ
 
        
   SUBARUのコンセプトカーSTX
     こんなピックアップが発売されたら是非乗りたいが、、、
 
2001年12月02日(日)

生だよ生

 まだ暗く寒い境内はそれでもスタッフの熱気で充満していた

 前日にセッティングを終わらせてリハーサルもしているので
 当日のセッティングは余裕のあるものになった
 何より本番前に朝ご飯が食べられる、嬉しい事だ

 紅葉は照明に照らされ美しく
 スタッフ全てがエンディングに向かって仕事をこなす
 やっぱり生中継は良い!
 一つのラストに向かっていく
 泣いても笑ってもそこで終わり
 生中継は良い!

 年に二回の大中継は成功、あくまでも自分の仕事はね
 次は来年春か?恐らくまた京都
 その時もまた現場で走り回ってるだろう
 ま、宿命か
2001年12月01日(土)

大魔王の脳溶け日記 / 大魔王

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