狛の日記...狛。

 

 

19810921 - 2002年09月21日(土)

これがmacoの誕生日。


0921という日付がとても大好きで,
1つ歳を重ねるのが嬉しかった時期があった。

でも,0921が友だちの命日になったとき,
歳を重ねることに怯えていた。

自分一人がどんどん大人になることが不思議で,…怖かった。

「20歳」という年齢がどうしても受け入れられなくて,
成人式に出席する気になれなかった自分。
晴れ着を着る気になれなかった自分。

何が変わるわけでもないのに,
心のどこかで自分が大人になることを否定していた気がする。


自分が「20歳」だと心から思えたのは,受け入れられたのは,
…昨日でした。

1歳の誕生日を迎えたHちゃんを見ながら,その家族を見ながら,
誕生日ってステキだなぁって実感できた。


誕生日そのものがステキというよりも,
誕生日を祝ってくれる人がいることが幸せです。



生まれてから21年,
辛かったり,苦しかったり,泣いたり,怒ったりしたことは
数え切れないほどあるけど,

それ以上に幸せがあって,笑いがあって,喜びがあった。


でもそれは,自分の力なんかじゃありません。
周りにいる人たちのおかげです。

ありがとう。ありがとう。

家族,友だち,先輩や先生たち,
街中で出逢った人たち,関わりを持った人たち,
そしてその人たちを取り巻く人たち。

その全ての人がいたから,今の自分はいるんだと思う。
一人でも欠けてしまったら,今の自分はいなかったと思う。


だから,
一生出逢うことのない人も含めて,
世界中のみんなに感謝します。


ありがとう。ありがとう。


...

おこちゃま。 - 2002年09月20日(金)

たくさん子どもと遊んで、
たくさん子どもに遊ばれて、

筋肉痛と腱鞘炎に悩まされる3日間だったけど、

毎日朝6時に家を出発するのは辛かったけど、

記録物が終わらなくて寝不足になったけど、

でもそんなことよりも、

今日退院していく患者さんを見てとっても嬉しく思いました。

離れるのは寂しいけど、
やっぱり病院が似合う子どもはいないと思う。
家でお母さんやお父さんと一緒に過ごしてる姿が自然だし、当たり前。
どんなに楽しいお話も、たくさんのおもちゃも、
お母さんの愛情には敵いませんからね。


今日はお母さんとお父さんと一緒に帰るんだろうな…。



バイバイ、Hちゃん。3日間ありがとう。

1歳のお誕生日おめでとう☆

おうちでゆっくり休んで、
家族の愛情いっぱいもらって、
美人さんになるんだよー!!


...

お祈り中。 - 2002年09月14日(土)

9月11日にいろいろ想いを綴ったけど、

どんなに強く願ったり、心から祈ったりしても、何も変わらないと思った。
…だって、何も変わらなかったんだもん、この1年。


どんなに願っても、どんなに祈っても、亡くなってしまう人がいる。
どんなに願っても、どんなに祈っても、戦争は終わらない。



昔、ナイチンゲールは修道女にこう言ったんだって。



「手のない天使はいらない」


いつでも祈るために手を組んでいる修道女たちは、
戦争の現場では何の役にも立たないということ。

祈るよりも先に手を動かさなければ、何も始まらないということ。


この言葉を聴いて、ドキリとした。

そのとおりだと思った。



祈りや願いは、あくまで自分のためのものだから。

平和になってほしいなら、
心からそう思うなら、

行動しなきゃ何も変わらないと感じる今日この頃。




それでも、
祈ってしまうのは、心の弱さ・曖昧さなのかもしれないなぁ。



神様、今日一日を感謝します。
明日もどうか、笑顔でいられますように。


...

実習のこと。 - 2002年09月13日(金)

感情を表に出すことのステキさ。
笑うことの幸せ。
以心伝心の難しさ。

感情が欠落してしまった子供。
感情が表情に表れにくい人たち。



言葉や声や表情といったコミュニケーションが困難な人と接して、
それでもその相手をとてもスキになれた。

たった2日間関わっただけなのに、
お別れするのが寂しくなってしまう自分に、
ほんの少しだけ嬉しくなった。

人を好きになることは、きっと簡単だと思う。
相手のことを知りたいと思って、興味を持てば、
あっという間にその人のことをスキになれるんです☆

当たり前なんだけど、再確認したということです(^^)v


...

20020911 - 2002年09月11日(水)

NYでは、
今年の9月11日にたくさんの特番が組まれるという。
CMなしで、ずっとずっとテロ関連の報道が続くのだという。


そんな中、
大統領婦人だけは、NYの母親たちにこう呼びかけたんだって。


「1日中、TVの電源は消しておきましょう。」


なぜだか分かる?


「子供たちの心の傷跡を、再び抉る必要はない。
 9月11日にはTVを消して楽しいお話をして過ごしましょう。」

・・・ということ。



友だちの命日を忘れてしまう人がどこにいる?
大好きな人の命日を忘れてしまう人がどこにいる?
家族の命日を忘れてしまう人がどこにいる?

大きな声で何度も繰り返されなくても、
嫌というほど自分が知ってるはずじゃない?



「どうしてもツインタワーのない風景を見ていられない」
「飛行機が追突する瞬間を見ていられない」

そう訴える人に

「忘れないために、ちゃんと見ておきなさい」

とアドバイスする専門家はいない。
見たくなければ、聞きたくなければ、
目を閉じて、耳を塞いでおきなさい、と言うだろう。



それと同じ。
ちゃんと忘れないように、
もう一度9月11日という日付を心に刻む人がいる一方で、
目をそむけ、耳を塞いでしまう人がいることを
知っておくべきだと思う。




今日という日を、
世界中の人はどうやって過ごすんだろう。


真呼は、
のんびりといろんなことを考えながら
相変わらず幸せばかり探してます。



0911という日付を
忘れることはできないから、
忘れちゃいけないから、

せめて
0911という日付よりも
もっと大切な、
幸せな日が来てほしいと思う。

世界中が幸せになれる記念日が、
あってほしい。


...

しまった・・・。 - 2002年09月07日(土)

今相当寂しん坊症候群…。
真呼はきっと一人暮らしできない気がした。




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one love - 2002年09月06日(金)

DVDを観てみた。

でも、途中でやめた。



「ひとひらの自由」


この曲まで観てやめちゃいました。



もう十分。
もう満足。

そんな感じ。



泣いてるTAKUROも、
悲鳴のように歌うTERUも、
必死で弾いてるHISASHIも、
静かに座って弾くJIROも、


そういえばONE LOVEツアー6公演参加したうち1回も見なかった。

それは、どうしてもこの曲は、顔を上げられなかったから…。
ただひたすら下を向いて、立っているのが精一杯だったから…。



ううん、HEAVY GAUGEツアーでこの曲を聴いたときから、
1回も顔を上げて観たことはないと思う。

HEAVY GAUGEの後半戦で5、6回。
EXPO'01で2回。
ONE LOVEで6回。

その全てで、
1回もこの曲を奏でるGLAYを観てないんだから、
笑っちゃうね。


でもそれはど、
真呼にとっては「曲」そのものが大好きで、大切で、
純粋に「聴きたい」と思う曲だったんだと思う。



だから、
はじめて演奏中の彼らを見て、
自分があんなに感情的になった理由が分かった気がした。



あぁ、TAKUROも、TERUも、HISASHIも、JIROも、
みんなみんな感情丸出しで演奏してたんだ…、って。



でも、きっともう演奏してくれないような気がする。
だって満足そうだったもん。

十分泣いて、十分叫んだら、
きっとこの曲にこめた想いは、上手に体に溶け込んで、
次のステキな曲を生み出す原動力になるだろうからね。

あの曲を奏でていたころのGLAYがもう過去のことに思えてしまう。
きっとGLAYは、
次のステージへ行っちゃって、
新しい想いを言葉に乗せて、音に乗せているんだろうね。




...

自己嫌悪。 - 2002年09月03日(火)

宿題終わったのに、
何となく中途半端な部分があって、
…発狂しそうなほど嫌。


どうしてもっとちゃんとできないんだろう(涙)

その一言です。



もうすぐ実習なのになぁ。


...



 

 

 

 

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