HIDEの日記
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2004年01月31日(土) 明日は

明日は、ヨルダン時代の親分の山本芳幸氏が早稲田のシンポに出るらしい。久々に外出して、行って来よう。JENの赤堀さんもパネラーらしいし。彼女も一躍時の人になっちゃったなぁ。


2004年01月30日(金) 対策に困る

2月下旬の宮崎大2次に向けて決意を固めたけども、2次試験は、小論文と面接。普通の学科試験とは違うから、対策するにもちょっと困ってしまう。来週くらいに試験終わらしちゃいたい気分。はぁ。


2004年01月29日(木) 授業料。。。

自治医大の入試は、昨日の学科で落ちてしまったので今日は、することがなくなってしまった。それにしても昨日の試験監督には腹が立つ。今頃役人どもの面接が行われているのかなぁ。受験料5万円は、気を引き締め直すための授業料と考えて、本命の宮崎大をがんばるぞぉ!


2004年01月28日(水) これだから、公務員は(怒)!

自治医大の入試、学科試験。試験場にちょっと早めにつく。で、受付の後、試験室に入るはずが、、、鍵が開けてなくて、試験室入口で15分くらい待たされる。そして、試験開始。試験監督は県職員なんだけど、全然緊張感ない人で、ヘラヘラ。後ろの方は説明の声聞こえてないということで、再び説明する時も、声の大きさ変わらず。

初っ端の数学、撃沈。初めの10分間は、1問も解けず。焦りが焦りを呼んで、ボロボロ。英語と理科で挽回できるのか分からないけど、とりあえず、残りの科目に取りかかる。試験監督は相変わらず、ヘラヘラしてる。どうにか、爆発せずに、試験を終えたけど、受験生に対して、あの試験監督は、失礼の一言に尽きる。しかも受験料は5万円。一言言ってやりたかった。あんたらには、かったるい仕事かもしれんけど、こっち(受験生)は、マジに受けて来てるんやで(怒)!!!

試験終了から2時間くらいで、学科試験の結果発表。明日の面接に進める人が発表される。面接に進めたのは、94人中、わずか12人。最初から、無理だったんでは?って感じ。5万円払って、アホな試験監督にあたってイヤな思いをさせられにきたのか???でも、センター試験終わってから、気が緩んでたから、気を引き締め直すいい機会だったと考えることにしよう。本命は宮崎大だし、うん。


2004年01月27日(火) 明日は、、、。

明日は、自治医大の入試、神奈川県予選。マジヤベー。っていうか、へき地のない神奈川県。神奈川県枠は2、3人。高校野球と一緒で全国でもかなりの激戦だろうなぁ。


2004年01月26日(月) 出願

今日から、国公立大学の願書受け付け開始。他の受験生にプレッシャーかけるため(単に早く出して、出願者数を増やして様子見の受験生が宮崎に出願しないようにするだけだけど)、今日、出願しに郵便局へ。月曜日とも重なって、郵便局は大混雑。結局1時間くらいかかったかなぁ。切手買って、郵便為替を買って、さらに書留で送るまで。。。

夕方、インターネットで出願状況調べたら、大学に願書を持ち込んだ人は、2人しかいなかったみたい。明日以降、どんな感じで増えていくのかなぁ。


2004年01月25日(日) イランからのメール

イランで通訳として働いていたイラン人スタッフからメールが来る。帰国してからもう2週間かぁ。帰国してから慌ただしい生活してたから、イランがもう遠い過去になりつつある。ヨルダンやNMLはもっと遠い記憶になってしまってるんだなぁ。今頃クルド人の子どもたちはどうしてるかなぁ。


2004年01月24日(土) コンサル向き?

イランの報告書用の仕事の続き。今日は、クリニック周辺でやった簡単な調査のまとめ。公衆衛生の調査なんだけど、内容とか、手法とかめちゃくちゃで、報告書に載せる時は、匿名にして欲しいくらいめちゃくちゃな調査。でもその調査を指揮した人は、満足らしいから、とりあえずまとめて、中身があるようにとり繕う。そして、一見中身がありそうなレポートを完成。オイラは、コンサルに向いてるのかなぁ。オイラの修論は、副査の先生からは、コンサルの報告書みたいだ、って説教くらったし(それは中身云々ではなく、構成が)。もともとの学部がコンサルに近い分野(都市計画)だったからかなぁ。


2004年01月23日(金) そういえば、そろそろ

昨日朝帰り(?)したせいで、今日もぐったり。そういえば、自治医大の入試、神奈川県予選(?)ももうすぐ。全然、準備してないや。ヤバヤバ。


2004年01月22日(木) センターリサーチ返却

朝4時にツクバを出て、横浜を目指す。高速を使わないようにして帰るつもりだったんだけど、結構時間もかかり、首都高を使う。首都高に入った途端、眠気に襲われる。。。予想通りの展開。大井のPAで休憩&睡眠。7時半頃に家にたどり着く。

今日は、予備校のセンターリサーチの返却日。。。ところが、横浜に行ってから、引き換え券を家に忘れてきたことが発覚。再び家に戻ってから出直し。

結果は、前期はどこの予備校もB or C判定。後期はC判定。ようするにボーダー上をうろついてるって感じかな。やっぱ、平均点が高かったみたい。センター受ける前の目標よりはいい位置につけてるから、まぁいいかな。


2004年01月21日(水) ツクバへ

久々のツクバへ。2ヶ月ぶりかな。コンピューターを借りて、今日中に、クリニックの図面を終わらさねば。研究室のM2は論文の手直しで忙しそう。そろそろ最終発表か。昼食の後、図面作りスタート。手書きのドラフトが行方不明になってるから、一部記憶を頼りながら。さすがに枚数も多くて(4枚)、夕食後、さらに午前2時過ぎまで。。。おそらく、図面を受け取る人たちは、この苦労に気付くことはあるまい。


2004年01月20日(火) ムカ!

センターも終わって、ちょっと一息。

夜、イランメンバーの一人から、電話。早くクリニックのサイトの配置図のファイルを作れと。「報告書のため」って言われれば、素直に、「早くやらなきゃ」って思うんだけど、「個人的な報告会のため」って言われると、なんでやねん!って思ってしまうのは天の邪鬼だから?でも公私は分けるべきじゃん、って思っちゃうさ、あんな高圧的に言われちゃ。


2004年01月19日(月) 情報操作

センター試験の結果を予備校で合格ライン判定してもらうために、駿台、河合、代ゼミをハシゴ。これって、下手したら情報に踊らされる可能性もあるのでは、と。例えば、点数ごまかして、申告、しかも大量に偽造して提出したら、ボーダーが狂って、他の受験生が回避してくれたり、とか。高校生にそこまで知能犯はいないかな。


2004年01月18日(日) センター試験2日目

センター試験2日目。もう雪はやんじゃったみたい。試験場に向かう途中、町田駅で、ふと。そういえば、なんで、神奈川県の住民が、神奈川県の受験生のための試験場に行くのに、なぁんで、東京都を通らなきゃならんのじゃ?

今日は、国語、数学1、数学2。国語はちょっとパニクったけど、数学1は落ち着いて解けたけど、数学2は、問題訂正の意味が分からずにパニクる。。。結局ヒデ的には、補足なくてもどうにかなってたんだけども、それで時間が足りなくなる(泣)。。。

今日も家に帰ったら、インターネットで解答を見て自己採点。昨日ほどではなかったけども、どうにかまともな点数。8年前よりは合計が100点近く上がってる。これなら医学部もどうにかなるかも?目標は得点率80%だったけども、85%を越えて、ラッキー!でも予備校の平均点予想を見てちょっとがっくり。どうも全体的に点数が高かったみたい。

センター試験直前にイランに行って、これでセンターボロボロだったら、周囲から何言われるか分からんかったけども、どうにか、一安心。


2004年01月17日(土) センター試験1日目

昨日はなかなか寝つけず、結局寝たのは1時過ぎだったかな。まだ雪は降り出してない。8年前は、横浜国大だったけども、今回は、麻布大学まで。席は、なんと最前列だった。これじゃ、別の人の焦ってるところを見られないやんか(笑)!?最初は英語。それから、地理、物理、化学、生物。最後の生物は、保険みたいな感じで受けただけだから、完全無勉強。他の科目は模試と対して変わらんと思うけど、生物だけは難しく感じた。

英語の試験中に雪が降り出したみたいで、外は真っ白。ウキウキ!

家に帰った後は、インターネットで解答を見て、自己採点。驚!の一言。なぁんか、すんごい点数がいい。試験直後はそこそこかな、と思いきや。油断せずに明日もいい点取らねば。


2004年01月16日(金) 雪よ降れ!

いよいよ明日はセンター試験。ヒデも人間だったらしく、緊張してきた。今までの、「自らのプレッシャーを楽しみながら、周囲の受験生が緊張してパニクってるのを横目に見て、ニヤリとしてこそヒデ」って豪語(?)してきたけど、その勢いが、なくなってきた。明日は雪。そういえば、中学受験の時も雪だったなぁ。ってことは、天候が味方してくれるってことかな。


2004年01月15日(木) 悪あがき

今日も化学の講義。センター試験前最後の授業。でも、相変わらず、睡魔との格闘に負けてしまう。理論化学はまぁ、いいとして、有機化学はさっぱり。たしか、20点くらい配点あったかな。どうにかせねば。あと今日と明日しかないけども。。。


2004年01月14日(水) 時差ボケ

駿台の冬季講習に復帰。化学のセンター試験対策。でも時差ボケでネムネム。ついつい睡魔に負けて、寝てしまった。果たして大丈夫なんかな。。。


2004年01月13日(火) 健康診断

今日は、大学に提出する健康診断書を作ってもらうために、一番近所のそこそこ大きな病院へ。この病院来たのは、いつ以来だろう。少なくとも物心がついてからは、来た記憶がない。

身長や体重は、ナースが測ってくれたんだけど、その紙がどっかにいってしまったらしく、何故か自己申告。しかも発行に1週間かかると思いきや、その日のうちにくれて、びっくり。でも健康診断書を厳封してくれ、と言ったら、病院の封筒に入れて、のり付けしてくれたまでは、いいんだけど、「厳封」のスタンプを押す代わりに、手書きで「厳封」と。大丈夫かなぁ。。。ちょっと不安になってきた。


2004年01月12日(月) お疲れモード

時差と疲れのせいか、一日中、寝て過ごしてしまった。イランとは5時間半の時差。日本だったら、夜更かししたような感じの時間だから、なかなか直すのが大変。。。センター試験まであと5日。


2004年01月11日(日) 解団式(ミッション14日目)

朝、成田に到着!そういえば、ヨルダンから帰って来た時もこのフライトだったなぁ。しみじみ。またもや、ターミナルに横付けせずに、バスでターミナルへ。何でやねん!嫌がらせかぁ!

バスを降りると、マスコミのカメラが待ってた。それから、空港内の一室で解団式。ここにもマスコミが。果たして、そんなに取材価値あるんかなぁ。

今回は、政府のチームとして、行ったから、至れり尽せり。トランジットや短時間での滞在にもホテルを確保してもらえたり、大使公邸に御招待があったり。2週間という短い時間、それに大人数、果たして、それだけの効果はあったのかなぁ。他の、日本赤十字とかのチームの方が、もっと過酷な状況で、長期に渡って活動するけども。日の丸の魔力なのかなぁ。それによって驕った人間になってしまわないように、気をつけようっと。


2004年01月10日(土) トランジットな1日(ミッション13日目)

早朝、まだ薄暗い中、フランクフルト空港に到着。朝早すぎて朝食は機内ではなくて、空港内のレストランでサーブされる。こんなのは初めて!窮屈な機内よりも、足の伸ばせるレストランで食べる方がやっぱりいい!

成田へのフライトは午後なので、一旦空港のホテルへ。チェックインしたけども、中途半端な時間で寝るのもリスキーだったから、お風呂に入って、フロントそばでネットして、チェックアウト。それからレストランのお食事券を使って2度目の朝食!シェラトンなので、食べ物がすっごい!サーモンとかも山ほど取っちゃったし、お酒も飲もうと思ったら、飲めたらしい。

空港内のラウンジで最後のミーティング。反省点などなど。ドクターの1人が、「こういうところに来るなら、最低限の英語力を!」って言った時に、心の中で、拍手喝采!でもそれを聞くべきだった人はすでに帰国してたからなぁ。

成田へのフライトはジャンボジェット(ボーイング747)、、、なのに、ターミナルからバスで飛行機へ。400人くらい乗るのに、ターミナルに横付けしないなんて、非効率な。

機内で爆睡するために、スコッチとジンを頼みまくる(って言っても合計で4本くらい)。最後の方は、スッチーがイヤそうな顔し始めたので、そこで止めておく。それでも充分爆睡。


2004年01月09日(金) アンマン空港爆発事件はこうして起こった!?(ミッション12日目)

今日はケルマンからテヘランへ移動。朝、ケルマン国際空港へ。大量の荷物・機材を抱えて、空港の中へ。セキュリティチェックで、仲間の一人の使い捨てカメラを爆弾ではないかと調べ始め、いきなり、シャッターのボタンを押す。おいおい、もしそれがホンモノの爆弾だったら、、、。思い出すだけでぞっとする。まぁ、仲間(日本人)のカメラだからそんなことは起きないけども、アンマンの空港での手榴弾爆発事件が何故起こったのかがよくわかった。ようするに、セキュリティチェックするオフィサーの訓練不足。この一言に尽きるんだと思う。そんな怪しいものだったら、やたらといじらずに調べないと。。。

しかも夕方、自分のベストから、カッターナイフが出てきた。それはケルマンからテヘランに向かう飛行機の中でも着てたやつだから、カッターナイフを知らぬ間に機内持ち込みしちゃってたってことらしい。わざわざ、セキュリティチェックでベストを脱いで、X線検査を通したのに。お粗末としか言い様がないかな。カッターナイフを入れっぱなしにして、忘れていた自分もアホやけども。

テヘランの空港でローカルスタッフとはお別れ。寂しいなぁ、やっぱり、こんな短いミッションでも。

ホテルの部屋数の関係で、ヒデを含む数名は別の安ホテルへ。それでもヒデには、充分。安ホテルって言っても、それは最初の2時間しか部屋にいなかったホテルと比べての話で、個人旅行だったら、さらに安いところに泊まるかな。夕方大使公邸のディナーに御招待されているので、それまでは、部屋でお風呂に入ったり、ちょっぴり勉強したり。帰国したらすぐにセンター試験。。。大丈夫なのかなぁ。

夕方大使公邸でのお食事。JMTDRのミッションに何度も来てる人たちは、スーツ着てる。最初から、期待してたん?それに大使も必ず御招待しなきゃいけないもんなん?うーん、オトナの考えることはよく分からん。久しぶりの日本食、それにビール!!!に舌鼓を打っていたら、あっという間に、フランクフルトへ向かうための準備の時間。

再びホテルに戻り、荷物を持ってチェックアウト。午後にチェックインして、夜にチェックアウト。朝食代を取られたのは、、、。チェックインする時に言っておきゃあよかった。

空港で、また大量の荷物・機材をチェックインするのに汗かきながらの重労働。個人の荷物と合わせて50個近い荷物をチェックイン。ラウンジで怪しげな飲料を発見。ヨーグルト(向こうのヨーグルトは甘くなく、ややしょっぱい。)に炭酸が入ってるやつ。予想通り、日本人の口には合わなかった。。。

ルフトハンザ航空のフランクフルト行きに乗った瞬間。女性陣は、今まで、ずーーっと頭を覆っていたショールを外す。かなりストレスだったんだろうなぁ。久しぶりに口にしたお酒の効果もあってか、爆睡。


2004年01月08日(木) 引渡式(ミッション11日目)

どうにか、6時にクリニックに向けて出発。今回モニターとして使っていた一番大きなテントを日本に持って帰るために畳んで、代わりのテントを設置して、イラン保健省がクリニックをそのまま運営出来るように設営し直し。それから、ゴミを燃してたら、引渡式の時間。目録渡して、ブツの周りを一回りして、おしまい。ヨルダンのミッションの時の引渡式と大違いでびっくり。あの時はホント(T T)。だって、目録と1個1個照らし合わして、抜けてたりすると文句言われたり、挙げ句の果てには、「車」にも目録が必要だ、と言われる。ようするに、「本体1つ、タイヤ4本、フェンダーミラー2つ、ルームミラー1つ、、、」って感じで。しかも、ジャッキがないから、買ってつけろなどと言われたり、傷の箇所も1つ1つチェックしたり。天と地との差だね、こりゃ。

引渡式の後は、みんなで写真撮ったりして、ホテルを引き払って、ケルマンへ。ドライバーがケルマンのホテルへの道が分からずに、街の中をぐるぐる。夕食は、なんと、ローカルスタッフが日本人スタッフを御招待。イタリアレストラン。長い間、チキンティッカか、レトルト、α米って生活だったから、すんごいおいしい!多分、イランで食べたもので一番うまかったのは何か?って聞かれたら、ここで食べたイタリアン!って答えちゃいそう。幸せー!(後から聞いた話だと、ローカルスタッフは、日当を150米ドルも!!!もらっていたらしい。。。イランの物価からすると、彼らはこの2週間の稼ぎで半年は確実に暮らせるんじゃないかな。)


2004年01月07日(水) クリニック終了(ミッション10日目)

いよいよ、クリニックの営業は今日で、最後。なんだか、短かったなぁ。お昼過ぎには、人が溢れてしまい、入口を一旦閉鎖。駆け込み需要かな、今日の混み方は。でも必要とされてるから、今後はイラン保健省が引き継いでくれるらしい。ちょっとは安心かな。明日は引渡式が、10時からだから、その準備のために早朝出発。起きられるかなぁ。。。


2004年01月06日(火) あなたは、「2週間派」?、それとも「長期派」?(ミッション9日目)

なんとなく、クリニックにも慣れてきたかなぁ、と思いきや、活動するのは、もうあと2日。患者の数も増えてきている。1日あたり150人強。まぁ、急性期の患者はいなくて、風邪とかが多いけども。2週間の活動期間ってのは、短いよなぁ。それ以上になると、日本での所属先に戻れなくなるから、という理由が根強いけども。ヨルダンの時も、これは議論の対象だったけども。「2週間だけきて、ちょこちょこっとやって替わって行く」のと、「日本で仕事を辞めてきて、どっしりと構えて活動する」のと。


2004年01月05日(月) 散々な一日(ミッション8日目)

今日は、本来の(?)、医療調整のポジションで働く。と、言っても、業務調整が本来の、登録で、医療調整って何?って感じだから、戸惑うばかり。怒鳴られまくる。気の短い人たち?それともヒデの性格を知っていて、怒鳴っているのか。まぁ後者ならいいんだけど。


2004年01月04日(日) クリニックへ(ミッション7日目)

やっと、今日からクリニックへ。他のスタッフに遅れること3日。サイトは、学校の中。出入り口はイラン軍に守られていて、同じ敷地内には、配給所も。なんやかんやで、テントが風で飛ばされないように、ロープで木に結んだりして、午前中終了。午後は、クリニック周辺を見て回る。どこもかしこも家が崩れてる。無傷な家は1軒もなくて、みんな家の前にテント張って生活してる。


2004年01月03日(土) バムへ(ミッション6日目)

いよいよ、今日バム入り!ホテルで押さえている部屋数を大幅に減らすことになったから、荷物の移動。結構な量。それから、チェックアウト。イラン人価格と、外国人価格というのが設定してあるらしくて、チェックアウトになんと2時間半!こんだけの時間あれば、ケルマンからバムに行けてしまう。ついに出発!っと思ったら、今度は、ローカルが出発前にご飯食べたい!って。。。ヨルダンでもよく食べた、ケバブ。結局ケルマンを出発したのは5時半。もう外は暗くなってて、外は見えず。

バムでは、ホテルを宿舎として使ってた。他のスタッフからは、「やっと、来たかー」って冷やかされる。ホテルは、壁とか天井とか、ひび割れてる。余震もたまに。でも揺れる、っていうよりも、下から、ドーンって突き上げられて、それでおしまい。震源が浅いからかな。


2004年01月02日(金) 急変。。。(ミッション5日目)

夜中寝てて、突然体が、震え出した。高熱だったのか、痙攣だったのか、よく分からない。とりあえず解熱剤の飲む。しばらくして、冷静に戻ってきたので、熱を測ってみたら、39度。。。ってことは、やはりさっきは、かなりの熱で震えてたのかも。朝には、37度近くまで下がったので、とりあえず、他の人には、内緒にしとく。

結局、今日はバム入りせずに、明日バム入りすることに。やっと、って感じ。


2004年01月01日(木) あけおめことよろです(ミッション4日目)

イランのホテルで2004年を迎えた。しかも風邪でダウンしながら。。。朝5時、バムに向けて資機材を積んだトラックが出発。今日、クリニックを設営して、診察開始かな。でもヒデは、ケルマン。。。

スタッフの一部がバムから、休養のために戻って来る。医師がヒデの体調を診るのも目的だったみたいだから、食欲があるように、がんばって食べる。後から聞いた話だけど、あの時、食欲がなかったら、日本に送り返す気だったらしい。危ない、危ない。


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