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明日は、ヨルダン時代の親分の山本芳幸氏が早稲田のシンポに出るらしい。久々に外出して、行って来よう。JENの赤堀さんもパネラーらしいし。彼女も一躍時の人になっちゃったなぁ。
2月下旬の宮崎大2次に向けて決意を固めたけども、2次試験は、小論文と面接。普通の学科試験とは違うから、対策するにもちょっと困ってしまう。来週くらいに試験終わらしちゃいたい気分。はぁ。
自治医大の入試は、昨日の学科で落ちてしまったので今日は、することがなくなってしまった。それにしても昨日の試験監督には腹が立つ。今頃役人どもの面接が行われているのかなぁ。受験料5万円は、気を引き締め直すための授業料と考えて、本命の宮崎大をがんばるぞぉ!
自治医大の入試、学科試験。試験場にちょっと早めにつく。で、受付の後、試験室に入るはずが、、、鍵が開けてなくて、試験室入口で15分くらい待たされる。そして、試験開始。試験監督は県職員なんだけど、全然緊張感ない人で、ヘラヘラ。後ろの方は説明の声聞こえてないということで、再び説明する時も、声の大きさ変わらず。
明日は、自治医大の入試、神奈川県予選。マジヤベー。っていうか、へき地のない神奈川県。神奈川県枠は2、3人。高校野球と一緒で全国でもかなりの激戦だろうなぁ。
今日から、国公立大学の願書受け付け開始。他の受験生にプレッシャーかけるため(単に早く出して、出願者数を増やして様子見の受験生が宮崎に出願しないようにするだけだけど)、今日、出願しに郵便局へ。月曜日とも重なって、郵便局は大混雑。結局1時間くらいかかったかなぁ。切手買って、郵便為替を買って、さらに書留で送るまで。。。
イランで通訳として働いていたイラン人スタッフからメールが来る。帰国してからもう2週間かぁ。帰国してから慌ただしい生活してたから、イランがもう遠い過去になりつつある。ヨルダンやNMLはもっと遠い記憶になってしまってるんだなぁ。今頃クルド人の子どもたちはどうしてるかなぁ。
イランの報告書用の仕事の続き。今日は、クリニック周辺でやった簡単な調査のまとめ。公衆衛生の調査なんだけど、内容とか、手法とかめちゃくちゃで、報告書に載せる時は、匿名にして欲しいくらいめちゃくちゃな調査。でもその調査を指揮した人は、満足らしいから、とりあえずまとめて、中身があるようにとり繕う。そして、一見中身がありそうなレポートを完成。オイラは、コンサルに向いてるのかなぁ。オイラの修論は、副査の先生からは、コンサルの報告書みたいだ、って説教くらったし(それは中身云々ではなく、構成が)。もともとの学部がコンサルに近い分野(都市計画)だったからかなぁ。
昨日朝帰り(?)したせいで、今日もぐったり。そういえば、自治医大の入試、神奈川県予選(?)ももうすぐ。全然、準備してないや。ヤバヤバ。
朝4時にツクバを出て、横浜を目指す。高速を使わないようにして帰るつもりだったんだけど、結構時間もかかり、首都高を使う。首都高に入った途端、眠気に襲われる。。。予想通りの展開。大井のPAで休憩&睡眠。7時半頃に家にたどり着く。
久々のツクバへ。2ヶ月ぶりかな。コンピューターを借りて、今日中に、クリニックの図面を終わらさねば。研究室のM2は論文の手直しで忙しそう。そろそろ最終発表か。昼食の後、図面作りスタート。手書きのドラフトが行方不明になってるから、一部記憶を頼りながら。さすがに枚数も多くて(4枚)、夕食後、さらに午前2時過ぎまで。。。おそらく、図面を受け取る人たちは、この苦労に気付くことはあるまい。
センターも終わって、ちょっと一息。
センター試験の結果を予備校で合格ライン判定してもらうために、駿台、河合、代ゼミをハシゴ。これって、下手したら情報に踊らされる可能性もあるのでは、と。例えば、点数ごまかして、申告、しかも大量に偽造して提出したら、ボーダーが狂って、他の受験生が回避してくれたり、とか。高校生にそこまで知能犯はいないかな。
センター試験2日目。もう雪はやんじゃったみたい。試験場に向かう途中、町田駅で、ふと。そういえば、なんで、神奈川県の住民が、神奈川県の受験生のための試験場に行くのに、なぁんで、東京都を通らなきゃならんのじゃ?
昨日はなかなか寝つけず、結局寝たのは1時過ぎだったかな。まだ雪は降り出してない。8年前は、横浜国大だったけども、今回は、麻布大学まで。席は、なんと最前列だった。これじゃ、別の人の焦ってるところを見られないやんか(笑)!?最初は英語。それから、地理、物理、化学、生物。最後の生物は、保険みたいな感じで受けただけだから、完全無勉強。他の科目は模試と対して変わらんと思うけど、生物だけは難しく感じた。
いよいよ明日はセンター試験。ヒデも人間だったらしく、緊張してきた。今までの、「自らのプレッシャーを楽しみながら、周囲の受験生が緊張してパニクってるのを横目に見て、ニヤリとしてこそヒデ」って豪語(?)してきたけど、その勢いが、なくなってきた。明日は雪。そういえば、中学受験の時も雪だったなぁ。ってことは、天候が味方してくれるってことかな。
今日も化学の講義。センター試験前最後の授業。でも、相変わらず、睡魔との格闘に負けてしまう。理論化学はまぁ、いいとして、有機化学はさっぱり。たしか、20点くらい配点あったかな。どうにかせねば。あと今日と明日しかないけども。。。
駿台の冬季講習に復帰。化学のセンター試験対策。でも時差ボケでネムネム。ついつい睡魔に負けて、寝てしまった。果たして大丈夫なんかな。。。
今日は、大学に提出する健康診断書を作ってもらうために、一番近所のそこそこ大きな病院へ。この病院来たのは、いつ以来だろう。少なくとも物心がついてからは、来た記憶がない。
時差と疲れのせいか、一日中、寝て過ごしてしまった。イランとは5時間半の時差。日本だったら、夜更かししたような感じの時間だから、なかなか直すのが大変。。。センター試験まであと5日。
朝、成田に到着!そういえば、ヨルダンから帰って来た時もこのフライトだったなぁ。しみじみ。またもや、ターミナルに横付けせずに、バスでターミナルへ。何でやねん!嫌がらせかぁ!
早朝、まだ薄暗い中、フランクフルト空港に到着。朝早すぎて朝食は機内ではなくて、空港内のレストランでサーブされる。こんなのは初めて!窮屈な機内よりも、足の伸ばせるレストランで食べる方がやっぱりいい!
今日はケルマンからテヘランへ移動。朝、ケルマン国際空港へ。大量の荷物・機材を抱えて、空港の中へ。セキュリティチェックで、仲間の一人の使い捨てカメラを爆弾ではないかと調べ始め、いきなり、シャッターのボタンを押す。おいおい、もしそれがホンモノの爆弾だったら、、、。思い出すだけでぞっとする。まぁ、仲間(日本人)のカメラだからそんなことは起きないけども、アンマンの空港での手榴弾爆発事件が何故起こったのかがよくわかった。ようするに、セキュリティチェックするオフィサーの訓練不足。この一言に尽きるんだと思う。そんな怪しいものだったら、やたらといじらずに調べないと。。。
どうにか、6時にクリニックに向けて出発。今回モニターとして使っていた一番大きなテントを日本に持って帰るために畳んで、代わりのテントを設置して、イラン保健省がクリニックをそのまま運営出来るように設営し直し。それから、ゴミを燃してたら、引渡式の時間。目録渡して、ブツの周りを一回りして、おしまい。ヨルダンのミッションの時の引渡式と大違いでびっくり。あの時はホント(T T)。だって、目録と1個1個照らし合わして、抜けてたりすると文句言われたり、挙げ句の果てには、「車」にも目録が必要だ、と言われる。ようするに、「本体1つ、タイヤ4本、フェンダーミラー2つ、ルームミラー1つ、、、」って感じで。しかも、ジャッキがないから、買ってつけろなどと言われたり、傷の箇所も1つ1つチェックしたり。天と地との差だね、こりゃ。
いよいよ、クリニックの営業は今日で、最後。なんだか、短かったなぁ。お昼過ぎには、人が溢れてしまい、入口を一旦閉鎖。駆け込み需要かな、今日の混み方は。でも必要とされてるから、今後はイラン保健省が引き継いでくれるらしい。ちょっとは安心かな。明日は引渡式が、10時からだから、その準備のために早朝出発。起きられるかなぁ。。。
なんとなく、クリニックにも慣れてきたかなぁ、と思いきや、活動するのは、もうあと2日。患者の数も増えてきている。1日あたり150人強。まぁ、急性期の患者はいなくて、風邪とかが多いけども。2週間の活動期間ってのは、短いよなぁ。それ以上になると、日本での所属先に戻れなくなるから、という理由が根強いけども。ヨルダンの時も、これは議論の対象だったけども。「2週間だけきて、ちょこちょこっとやって替わって行く」のと、「日本で仕事を辞めてきて、どっしりと構えて活動する」のと。
今日は、本来の(?)、医療調整のポジションで働く。と、言っても、業務調整が本来の、登録で、医療調整って何?って感じだから、戸惑うばかり。怒鳴られまくる。気の短い人たち?それともヒデの性格を知っていて、怒鳴っているのか。まぁ後者ならいいんだけど。
やっと、今日からクリニックへ。他のスタッフに遅れること3日。サイトは、学校の中。出入り口はイラン軍に守られていて、同じ敷地内には、配給所も。なんやかんやで、テントが風で飛ばされないように、ロープで木に結んだりして、午前中終了。午後は、クリニック周辺を見て回る。どこもかしこも家が崩れてる。無傷な家は1軒もなくて、みんな家の前にテント張って生活してる。
いよいよ、今日バム入り!ホテルで押さえている部屋数を大幅に減らすことになったから、荷物の移動。結構な量。それから、チェックアウト。イラン人価格と、外国人価格というのが設定してあるらしくて、チェックアウトになんと2時間半!こんだけの時間あれば、ケルマンからバムに行けてしまう。ついに出発!っと思ったら、今度は、ローカルが出発前にご飯食べたい!って。。。ヨルダンでもよく食べた、ケバブ。結局ケルマンを出発したのは5時半。もう外は暗くなってて、外は見えず。
夜中寝てて、突然体が、震え出した。高熱だったのか、痙攣だったのか、よく分からない。とりあえず解熱剤の飲む。しばらくして、冷静に戻ってきたので、熱を測ってみたら、39度。。。ってことは、やはりさっきは、かなりの熱で震えてたのかも。朝には、37度近くまで下がったので、とりあえず、他の人には、内緒にしとく。
イランのホテルで2004年を迎えた。しかも風邪でダウンしながら。。。朝5時、バムに向けて資機材を積んだトラックが出発。今日、クリニックを設営して、診察開始かな。でもヒデは、ケルマン。。。
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