HIDEの日記
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2003年12月31日(水) |
風邪引いた(ミッション3日目) |
激しいノドの渇きで目が覚める。部屋の暖房にやられた。。。ノドが痛くて、咳が止まらない。まずい、完璧に風邪ひいた。案外、バム行きのメンバーから外れてて、よかったとちょっと安心。本隊の出発を見送った後、ホテルの部屋で、ぐったり。朝までに到着していなければならない、テヘランからのトラックがまだ着いてない。結局大幅に遅れて到着は、夜。
2003年12月30日(火) |
テヘランからケルマンへ(ミッション2日目) |
ホテルの部屋に入ってみてビックリ!キッチンがついていて、ベッドは正方形のキングサイズ!しかも、なぁんと、召使い用のベッドまで!!!でも8時にホテル出発だから、7時半にはチェックアウトしなきゃ、だし、これが最後のバスタブかもと、お風呂に。結局2時間お風呂の中で。せっかくのベッドは使わずじまい。。。
大使館の車で、空港へ。テヘランの街並を見ながら、快適なドライブ、、、とは行かず、ひどい大気汚染で咳き込んでしまう。。。排気ガスの臭いも懐かしい匂いなんだけど、ちょっときつい。
イランエアーで、被害が一番大きい街バムのあるケルマン州の州都ケルマンへ。寝不足だったから、爆睡。約1000km、1時間半のフライト。
ケルマンの空港に降り立って、ターミナルに入ってびっくり。野戦病院状態。ターミナルに入ってすぐのところに、イラン赤新月社が、患者を寝かせ診療活動をしてた。外国のメディアはさっそくこの悲惨な光景を撮影してる。でもなんか、変。パフォーマンスにしか思えない、「イラン赤新月社が、海外からの援助なくても、しっかり被災者を手当てしてますよ。」、もしくは、「こんな悲惨な状況です。」とでも言いたげな。ケルマンはバムから約150km離れてて、被害ゼロ。寝かされてる患者は、これからテヘランに運ばれる人たちかと思って、見てたが、そうでもなさそう。一人、急変した患者は、車に乗せられて、空港から、どっかの病院に運ばれていった。やっぱり、パフォーマンスだと確信。確かに、空港に降り立ってそこが野戦病院状態だったら、メディアへのインパクトはすごいけど。
第1陣と合流するために、ケルマンのホテルへ。ここでテヘランからの荷物を待って、明日バムに行くらしい。昼食後ミーティング。第1陣で入ってた副団長のO氏のファシリテートでミーティング開始。自己紹介などなど。冒頭で、彼が「英語が多少変でも構わない、アメリカの大統領、ジョージ・ブッシュですら満足な英語が話せてないんだから」、って始めたのが(もちろん英語で)、すっごい印象的で、吹き出しちゃった。ただそのジョークを理解できてなかった人もいたらしいけど。
本隊は明日、バムに出発することになったんだけど、ヒデは、連絡係りとして、ケルマンに数日残ることに。。。理由は、英語がしゃべれるから、とのこと。おいおい、あの程度の英語で、しゃべれる、っていう部類に入るのかい!?海外で活動するんだから、ある程度は、英語力って必要なんじゃん!?
ミーティング後、街に買い出しに。なんだかヨルダンに帰って来たみたいな感じ。看板とか。あのミミズの這ったようなあの懐かしい文字。アラビア語とペルシャ語は違うけど、どーせ読めないんだから、一緒。さぁ、2週間がんばるぞぉー!
2003年12月29日(月) |
出発!(ミッション1日目) |
成田空港に8時半集合だから、3時半くらいに起きて、5時前の始発電車で成田に向かう。外は寒い。。。イランも寒いらしい。。。寒さはホント苦手。昨日送られてきた、メンバーリストを見たら、1人の医者を除いて、全体的に平均年齢が若い構成になってたから、これはひょっとして、野営かなぁ、って予想が頭をよぎる。メンバーのうち半分くらいは知ってる人。何度か飲んだことある人だったり、ヨルダンで一緒に働いた人だったり。
成田空港の一室で、日の丸の入った、ジャンパーとベストを渡され結団式。おとなしく、端っこに座る。その後、ビジネスラウンジでコーヒーを飲んだりしながら、出発を待つ。
ルフトハンザ航空フランクフルト行きに乗って、出発。飛行機に乗ってから、ちょっと受験のコトが心配になってくる。。。でも今はイランに集中。勉強道具も一応持ってきたけど、多分勉強してるヒマはないんだろうなぁ。機内では、イランの状況などをまとめたファイルとかに目を通して、それから、爆睡。とにかく寝る。
フランクフルト空港で、スタッフのミーティング。自己紹介などなど。多分、これが最後かなぁ、ってみんなでラウンジのビールを。
さらに4時間半のフライトでテヘランへ。25時半着。入国審査で1時間弱足留め。同じフライトにメキシコのレスキューチームも乗ってたらしい。思わず話しかけて、しかもその時来てたCHIVASのユニフォームを彼らに見せてみたり。でもこの時期にレスキューチームって、、、ちょっと遅すぎるんじゃ。。。
入国審査が済んだら、資機材、荷物のピックアップ。ところがあまりにも多すぎて、1台のトラックに積みきれず、あわててもう1台手配。医師、看護師には先にホテルに行ってもらい、調整員が荷物の番。結局トラックを送りだしたのは、朝5時。ホテルにチェックインしたのはすでに30日午前5時半。
派遣決定から、出発まで、時間がありすぎて、なんだか変な感じ。「緊急」じゃなくなっちゃいそう。。。とりあえず、駿台予備校に行って、イラン行ってる間に、窓口返却の予定だった小論文の添削を郵送返却に変えてもらったり、床屋に行って、髪を切ったり。中途半端な興奮状態がずっーっと続いてて、ちょっとヤバいなぁ。。。
2003年12月27日(土) |
イランに行ってきます。 |
イランで昨日大きな地震があったらしい。ヒデは月曜日から、JICAの緊急援助隊医療チーム(ニュースで、「政府の医療チーム」って報道されてるやつ)で2週間イランに行くことに。おそらく、「受験生」っていう身分で参加するのは前例ないだろうなぁ。ぎりぎりでセンター試験の4日前に帰国すると思う。「迷ったら"GO!"」っていう性格だから、しょうがないかな。精一杯イランで働いてきます。
昨日の夜からアドレナリン出まくりで、イランに付く頃にはどうなるんだろう、ってちょっと不安。。。
昨日の夜からのダイジェスト(?) 26日23時過ぎ。インターネットでイランの地震のニュースが流れる。とりあえず、JICAに電話。 27日2時半頃。イランに行ける人を募るMLが流れる。早速手を挙げる。(JICAに電話) 8時過ぎ。募集を締め切ったとMLで流れる。この時点では、まだ参加の可否は知らされていない。 10時40分。第1陣が成田から出発。(12時のニュースで、第1陣の顔ぶれをチェック。) 13時45分。JICAから参加決定の連絡を受ける。赤パス持参とのこと。 17時45分。参加メンバーのリストをメールで受け取る。今回のメンバー構成は普段より全般的に若い気がする。ヒデは最年少じゃなかった。 20時。現地は夜は寒いから、ダウンジャケットとか必要とJICAから電話。
時間が経つにつれて、どんどん被災者の数が増えていくのに、すぐに出られないのは、ちょっと辛い。時期が時期で、フライトを押さえるのが大変だったらしい。それに第1陣が受入体制を整える時間も必要かな。
できるだけのことをして来ます。
2003年12月26日(金) |
プロ意識と職人魂はどこに消えた? |
ヒデは、自分の仕事にプロ意識を持っていない人は大嫌い。たとえ、それが正社員であれ、バイトであれ、プロ意識を持ってやるべきだと思う。
そのポリシー(?)のせいで、昔、ローソンでバイトしてた時、プロ意識のかけらのない、バイトの後輩とケンカしてコンビニをやめたことも。ヒデがバイトでその店に入った頃は、ちゃんとそういう教育もしっかりして、店長とバイトが一丸となって、店を繁昌させようとしてた。でもしばらくしてバイトの面々が一気に入れ代わり、新しく入ってきた連中にプロ意識をしっかり教育してる余裕がなくなって、旧世代のバイト(プロ意識有り)と新世代のバイト(プロ意識なし)との間にスタンスの溝が。。。新世代の人たちにとっては、結局バイトは金稼ぎの手段でしかなくて、店が儲かろうと潰れようと、給料さえ出てれば、関係ないみたい。結局そういうプロ意識を新世代の連中に浸透させられなかったヒデたちにも責任があるんだけどもね。結局ヒデとケンカしたやつは、数カ月後、店の品をバイト中に盗んでたのを店長に見つかりクビ。ヒデはバイト辞めた後も、その店に買いに行ったり、店長とも仲良く話したり。いつでも戻って来い、って感じで。
今日は、ストレス発散も兼ねて、ドライブ。鎌倉や逗子、藤沢のあたりを車を走らせる。師走で交通量も多いけど、気持ちよかったぁ。で、その帰り道。。。
鎌倉から家に向かって、横浜の西部を走ってた時、片道2車線の道路で、追い越し車線側で前を走っていた路線バスが止まって、乗客の乗降を始めてびっくり。歩道側の車線には、同じ会社の路線バスがバス停に止まってる。つまり片側2車線あって、その2車線ともで路線バスが乗客を乗降させてるのだ。そこは国道と県道の渋滞の激しいことで県内でも有名な交差点のそばで、対向車線は渋滞で追い抜くに追い抜けない状態。しかもすぐに発車すればまだトラブルが少ないんだけど、夕方で乗客が結構いて、5分くらいに感じたけど、多分3分くらいはその状態。メキシコならまだしも、ここは、日本。ありえない。メキシコだったら、まずクラクションの嵐。そして、運転手とケンカが始まってるかな。
最近高速バスがバス停を通り過ぎて、高速を逆走が発覚、っていうニュースが続いてるけど、それもプロ意識や職人魂が薄れてきてるからじゃないかなぁ、って思う。ちゃんとプロ意識とか持ってれば、そんな人為的な単純ミスが起こる可能性も低いと思う。それに、職人魂を持って、一所懸命にやってる姿を見ていたら、万が一そのようなミスが起きても、乗客も運転手に対してそんな怒りを覚えないだろうし、マスコミにタレ込んだりしないと思う。よく、ヒデは、要求が高いとか、厳しすぎるとか言われるけど、どうなんだろう。最近の社会のプロ意識や職人魂の欠如を嘆いているのはヒデだけ?
ストレス発散した帰りに、またストレスが。。。
2003年12月25日(木) |
気になったサッカーニュース2つ |
今日は、気になるサッカーニュースが2つ流れてた。1つ目は、イタリアのペルージャに入るって言われていた、ドイツの女子選手が、移籍を断った、ってやつ。理由は、「男子の試合じゃ、試合に出られるのは、せいぜい数分だから。」とのこと。ホントその通りだと思う。いくら、男女機会均等と言っても、ちょっと無理があるし、どちらかというと、ペルージャ的には、男女機会均等なんてどうでもよくて、話題作り、客寄せパンダだったんだと思う。
もう1つのニュースは、川淵キャプテンが、「自衛隊選抜チームとイラク人チームとをマッチメイク」するとい言ったというニュース。おそらくほとんどの人は、「なぁに、言ってんだか!」って思ったかもしれないが、ヒデ的には、すんごいいいことだと思う。是非実現して欲しい、万が一ホントに自衛隊がイラクに行ってしまうなら。ホンネとしては、現段階の議論のやり方で自衛隊がイラクにことには反対だけど。でもイラクで地元の人たちとそういう交流ができるチャンスがあるのなら、是非。自衛隊チーム全員がブッシュのマスクかぶって、こてんぱんに完敗するのもいいのでは。米軍が許してくれないか。ただ、自衛隊が現地でそこまでユトリを持てるのかなぁ。
今日から29日までは冬季講習なし。ってことで、今日は久しぶりにジョグ&お散歩へ。何も考えずにいつものコースへ。つまり米軍通信隊基地の横の道。今日は明るいうちに行ったから、芝生では野球やってるヒトとかも。ホント警備あまあま。今日なんて、狙われてもおかしくない日だったんだよね。ちょっと迂闊だったかな。ついでに、入口の写真も撮ってきた。怪しいやつとして、次に行った時、捕まっちゃうかなぁ。
2003年12月23日(火) |
"Man for others" : 人のための人であれ(訂正ver.2) |
横浜駅西口の地下街はケーキ屋さん一色。いろんなケーキが。もう年末だね。最近稲垣潤一の「『クリスマスキャロル』が流れる頃には」がまた流行ってるみたい。9、10年くらい前のヒット曲。このまま山下達郎の「クリスマスイブ(だったっけ?タイトル。『きっと君はこなーい、一人きりのクリスマスイブ・・・』ってやつ。)」みたいにクリスマスソングとして定着していくのかなぁ。そしたら、さらに20年後に「『クリスマスキャロルが流れる頃には』が流れる頃には」って曲が出来たり。さすがにないか。
それと目に付いたのが、ユニセフ募金を募ってる、ミッション系の学校に通う生徒達。やっぱ、ユニセフだと、みんな財布のヒモが緩くなるのかなぁ。これがUNHCR募金とか、JSO募金とかだったら、どうなるんだろう?
昨日高校に行った時も、ユニセフのポスター貼ってあったっけ。カトリックのイエズス会系(上智大学と同じ系列)の学校だったから。やっぱ、慈善活動を行う「愛の活動」というのがあって、イラクの劣化ウラン弾とかに関するポスターとかと一緒にユニセフ協会の募金のお願いが貼ってあった。ちなみに学校のポリシーは"Man for others(人のための人であれ)"。初代校長の残した言葉だけど、ヒデもこの言葉が好き。確かに、昔のOBに比べて、最近のOBはこの意識が薄れてきてるって言われてるけど、ヒデはそんなに負けてないと思う。受験が終わったら、「愛の活動」のコーナーで、ヨルダン話したいなぁ。
冬季講習は今日で3クール目が終わり。昨日、小論文の講師に大学受験で提出する、「履歴書」と「自己推薦書」を添削してもらったやつが、今日戻ってきたんだけど、なかなかよさげ。受験生の大半が高校生か普通の浪人生っていう一般入試で、「履歴書」っていうのが、すごいよね。それがあるから、その大学を受けようと決めたんだけども。その履歴書がヒデにとって、数少ないアドバンテージだから。
2003年12月22日(月) |
Happy Birthday!!! |
今日は、RイコとMつぞーさんの誕生日!ハッピーバースデー!!!
昨日は終電逃したせいで、今日は朝から眠かった。。。朝、Nチ先生から携帯にメールが。「認識できないメール形式のため、表示できません。」って。多分パソコンからのメールだけど、Nチ先生っていうのが、笑える。やっぱり、って感じで。
冬季講習は2コマ目が空いてるから、高校に追加の調査書をもらいに。今日は終業式だったみたいで、母校の制服を着た連中を駅でいっぱい見かける。学校では、むかーし世話になったソフトテニス部顧問のRンチョク先生や数学のAツシ先生や高3の時の担任で今は指導部長に出世したIイノ先生に会えた。そういえば、今、苦手としている科目が、彼らの教科(化学、数学、物理)なのはナゼ?いや、これから成績あげるぞー!
今日は、ヨルダン組の忘年会、っていっても、MワとRエコとNチ先生っていういつもと全然変わらんメンバー。でも場所は、新宿のアラビアンロックというお店。内装と、人件費が値段に反映。そして料理の質は反比例っていうお店。中華の青龍門みたいな感じのお店。ってことで、お酒と料理は。。。って感じだったけど、ヨルダンでよく聞いてた曲がガンガンかかってて、みんなで懐かしむ。
そして、帰り途。休日ダイヤということを忘れてて、家にたどりつける電車はなかった。。。平日だったら23時5分発の小田急で終電に間に合うんだけど、休日ダイヤだったから、23時ちょうど発が終電接続だったらしい。乗った電車は23時10分発。その電車は終電に間に合いそうで、間に合わない、っていうちょっとムカ!ってする微妙な時間帯を走ってた。。。
終電 昨日乗った電車 新宿 (小田急) 2300発 2310発 相模大野(小田急) 2344発 2347着 大和 (相鉄) 2408発 2410着
相模大野で小田急、もしくは大和で相鉄のどっちかが3分待ってくれればなぁ。休日とはいえ、忘年会シーズンだし。それに、終電23時って早くない!?(渋谷に出て、東急東横線経由だったら、もう45分遅くても相鉄線の終電に横浜で乗れて、帰れるんだけども。。。)東京駅八重洲南口からつくばセンター行きの高速バスの終バスと同じやん。茨城と横浜市瀬谷区は同じ扱い!?どうなのよ、小田急さん&相鉄さん!
2003年12月20日(土) |
「カブール・ノート」と「栄光と狂気」 |
激寒。布団から出られない、こんな寒さじゃ。天気予報は、確かに寒くなる、って予報してたから、その通りになったわけだけど、段違いに寒い。風も冷たいし。。。
先日、衝動買いをしてしまった本、山本芳幸氏の「カブール・ノート」を今日読み終えた。なんか、山本芳幸氏っていうと、遠いヒトな響きになるけど、山本さん(ヨシさん)、つまりヨルダン時代のボスである。今さらながら、って感じだが、この本を通じて、アメリカがモスクワオリンピックをボイコットした理由のメインがアフガン問題だったと知った。今までは単純に東西冷戦が原因としか、教科書では習わなかったが、そういった具体的な理由がしっかり存在していたことを今日まで知らずに、ちょっと恥ずかしかった。
モスクワオリンピックというと、「栄光と狂気」という本を思い出す。オリンピックに人生をかけたアメリカ人のボート選手の話で、モスクワオリンピックの頃に、選手生命で一番のピークを迎え、代表にも選ばれたが、政治的な理由でアメリカがボイコットし、峠を越した体力で、ロサンゼルスオリンピック代表を目指すというストーリーだ。アマチュアイズムを貫き、脚光を浴びない地味な競技に、全てをぶつけていく、ボート選手のお話。96年に松竹で映画化されたけど、全然ヒットしなかった。確か、その当時の松竹の幹部の「奥なんとかさん」が気合いを入れていた作品だったから、この映画でコケて失脚してしまったと記憶している。当時ヒデもボート部に所属していて、試写会を見に行ったし、本は今でも本棚に。久しぶりに読み返してみたいけど、勉強せな。。。
2003年12月19日(金) |
ケニアからジャンボー! |
今日から冬季講習第3クールスタート。このクールは、朝一のクラスも取っているから起きるのが一苦労。でも今日からは数学の講義。数学の講義を受けるのなんて何年ぶりだろ。高校時代は理系だったし、もともと数学は嫌いじゃない。算数は大好き!だからちょっぴり、感動。でも講師はヒデより若いかも。授業は楽しいから、モシモシケレ(アラビア語で、ノープロブレム)。
家に帰ったら、ケニアからクリスマスカードが届いてた。ヨルダンで一緒に働いていたMサヨからだ。相変わらず元気そうで何より。でも封筒には、「この郵便物は、運送中湿潤して到着しましたので、当局で乾かしました。おわび申し上げます。」って付箋がついててびっくり。うーん、こんなここともあるんだなぁ、って。いったいこの郵便はどこを経由してきたんだろう。
今日は冬季講習をサボって、六本木のサントリーホールまで、NHK交響楽団定期公演を聞きに。「N響」ってやつ。一昨日急にJICAインターン時代の友達から、「チケットもらったんだけど、ヒマ?」って聞かれて、迷わず、「行く行く!」って。
会場にいってびっくり、なんとS席。チケットには8150円と印字してあった。え、こんないい席!でも周りを見回すと、なななんとハイソっぽいヒトがいっぱい。着物姿のヒトまで。そんな中、今日のヒデの出で立ちはというと、上下ジーンズ、黒のタートルネック、オレンジのスニーカー、黒のコート、そして、メキシコのプロサッカーチームCHIVASのマフラーというカジュアル、という服装。ま、いっか、音楽は楽な服装で楽しもう。逆に着慣れてない服装なんかで行ったら、緊張して音楽が耳に入らない。ビーチサンダルにハーフパンツとかじゃないから、OK!?。
こういうコンサートホールは初めてだったから、ステージの後ろにも席があることにびっくり。普通オーケストラと向かい合って、指揮者の背中を見ながら、聞くと思いきや、指揮者と向かい合った側にも。でも公演を聞いてるうちに納得。あそこは、指揮者の表情とかがよく分かる席なんだろうなぁ。ツウ好みの席?でも機会があったらあっち側でも見て(聞いて?)みたいなぁ。
演奏を聞きながら、平和を実感。というのも、メキシコ留学してた頃に日本から買って行って帚木蓬生さんの小説「ヒトラーの防具」を思い出したから。主人公は、ドイツ人と日本人とのハーフの陸軍将校。彼が、ドイツ駐在武官としてドイツに赴任する。そこで主人公は、ユダヤ人問題(主人公の妻となる)や、精神病患者の扱い(小説の筆者は精神科医)などのエピソードを体験する。そんな一つにオーケストラ(主人公のドイツの下宿の大屋が演奏家)のことが出ていて、「コンサートではヒトラーの好きな題目だけしか演奏されず、聴衆は軍服姿ばかり」的なことが書かれていた気がする。そして最後に、主人公が剣道をやっていたという関係でヒトラーのボディガードになるというストーリーだった。
その本は、メキシコから帰国する際に、プロのサッカー選手を目指して、日本からサッカー留学していたヒトにあげてしまったから、読みたいけど、もう1回買わねば。。。さらにこの本は、ヨルダンにいた時に、ジャパンプレスの方々と飲んだ時に、今はNTVの夜のニュース「今日の出来事」のキャスターをつとめている山本美香氏とその小説の話で盛り上がってさらにびっくり。
で、話は脱線しちゃったけど、やっぱ、音楽という娯楽に一般市民が親しめる「余裕」が平和なんじゃないかなぁ、って思う。昔、鴨川のシーワールドでシャチのショーを見ながら同じように思ったけど。よく戦争の悲しさを訴えるために、戦争中に上野動物園のゾウが殺された話とか使われるし。似たようなもんかな。
2003年12月17日(水) |
「環境に問題意識を持とう」 |
最近はモノを書く時、ボールペンが便利だなぁ、って思う。学生時代は、ボールペンは全く使わずに、シャーペンばっかしだったけども。今は予備校でノート取る時も必ず、ボールペン。なんか、「書いてる!」って感じがするからかなぁ。それに書き殴る時もボールペンの方が、好き。オトナになったのかな。
今日は、Y々木ゼミナールのマーク模試の結果が帰ってきた。相変わらずボーダーよりちょっと下のあたりでくすぶってる。でも「地理」の欄のコメントに、「環境などの分野にも問題意識を持とう。」って書いてあった。あんた誰に向かって言ってるんじゃい!?今更あんたに環境に問題意識持とう!って言われなくたって、こっちは修士「環境科学」持っとるんじゃい、それに学位どうこうじゃなくても、そこらへんの試験に出る環境問題しか知らない学生なんかよりもよっぽど社会に目が向いとるわい!って突っ込み入れそうに(笑)。受験勉強のはかなさを噛み締める今日この頃。。。
新聞にアメリカのとある有名な博物館のB-29の展示に関する記事が出ていた。広島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」機の復元されたやつが展示されているのだが、原爆の被害に一切触れられていないことに対して、反核団体が抗議しているという。それに対して、博物館側は、純粋に航空技術の傑作機を集めて、その1つとしてB-29を展示してある。だから原爆の被害の説明はしないのだと説明しているという。またもし被害の説明まですると元軍人の団体からクレームが来るらしい。
でもここで博物館側の説明に1つの矛盾が。もしホントに「傑作機」としてB-29を展示したいのであれば、「エノラ・ゲイ」である必要はないんじゃん?って。これって、どっかの国の国会で交わされている議論と大差ないよね。
今日から冬季講習第2クール。医学英語っていう講座。そこで、ふと気付いた。あれ、ひょっとして、ヒデって、他の受講生よりも、講師の方が、年齢近いんじゃん?確かに、講師の雑談に含まれる「昔話」にフツーに付いて行けてる。なんでだろー?ってやっぱ、世代が講師側なんだろうなぁ。ちょっと歳取ったみたいな気がした(泣)。。。
でも予備校講師は話すのが仕事だけあって、話がおもしろい。受験が終わったら一緒に飲んでみたいなぁ。
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