せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2009年02月27日(金) 富士見丘小学校卒業公演「お芝居をつくろう」

 朝から雨。僕の熱はようやく平熱にもどった。
 さあ、子供たちもみんな来れたかな?と授業の前、校長室に行ったら、昨日、代役をお願いしたマサキ役の彼がダウンしてしまい、お休みだということが判明。他に、女の子がもう一人欠席。トシキ役もお休み。キャストが3人いない本番。どうしよう。大人はほんとうに途方に暮れた。
 校長室で相談。先生方は、大人が代役で入ってほしいという意見を言ってくれる。健翔さんからもいろいろなアイデアが出た。そして、いろいろ話し合った結果、子供たちに決めてもらうことにした。
 体育館に集まった全員を前に話をした。
 本当は、今日のこの時間は「6年生を送る会」の時間だ。下級生がいろいろな出し物をしていたはずなのだけれど、下級生にお休みが多いので、一昨日急遽、延期ということになり、6年生が本番の直前に練習ができることになった。
 その時間に、練習ならぬ話し合い。
 正直に話をした。「僕たち大人は、みなさんの芝居の中に入って代役を演じることもできます。カンペを持って客席から手伝うこともできます。でも、これはみなさんの芝居です。どうすることが一番いいか、みなさんで決めてほしいと思います。じゃあ、輪になってください。」
 全員で輪になって腰を下ろし、意見を言ってもらった。はからずも劇中の場面と同じだ。外クラスの子からは、アイデアを提案しているのは外クラスなんだから、外クラスがセリフを言ってもいいと思うという意見が出た。みんな誰かに任せるという意見ではなく、自分たちにできることをやりたいという意見だと聞きながら気がついた。みんながそれぞれの意見を言う中、やっぱり中クラスのみんなに決めてもらおうということになり、いつもの3チームに分かれた。
 この時間では、今日、一週間ぶりに学校に来ることができた魔法使いアリスのための練習もしないといけない。
 僕は、魔法使いと火星人の練習の担当。魔法使いのヘッドドレスがとてもかわいい。昨夜夜遅くまでかかってつくってくれたものだ。全員そろった魔法使いチーム、元気にもりあがった。火星人チームも、いいチーム感で安定してきた。転校生と先生と役人たちにも、もっとこうしてみたらといろいろアドバイス。
 その間、篠原さんが見てくれた中チームでは、マサキとトシキのセリフをどうするか話し合い、結果、いるメンバーで割ろうということになった。
 一つ一つのセリフを誰が言うことができるかを、子どもたち一人一人が提案した。場面によっては動きもある。僕ならここで一緒にサッカーに行かなくてもだいじょうぶ。ここで急に強気になるのはおかしいから、自分じゃない方がいい、などなど。
 外クラスチームは、この芝居全体のテーマになる設定を提案する役である和馬役の彼を中心に、ミーティング。輪になって。こちらには渡邉さんがついていてくれたのだけれど、彼がまとめる必要もないくらい、活発に「もっとこうしたら」という意見が出たそうだ。
 そして、中クラスが、セリフを分担して一度ずつ軽く練習してみたところで時間切れ。4年生がイスをもってくる時間になったので、特活室に移動する。
 雨は雪に変わった。「去年だったらよかったのに」と火星人のリーダーが言った。去年の「雪の降る日に」の設定そのままの天気だ。
 特活室で最後のミーティング。僕からは、がんばって伝えてくださいと。健翔さんの「行くぞ」「おー!」という気合いに、ラストの歌詞「大変だったけど、楽しかったよ、みんなといたから」を足して、みんなで大声で繰り返した。
 そして、本番。
 1年生から5年生までが見ている前で。
 今回の芝居はディスカッションドラマだ。しかも、体育館全体の広いエリアを使う。劇中劇の構造も複雑だ。外クラスのみんなが提案する「こんなお芝居はどう?」というのが、そのまま中クラスで演じられるスタイルの芝居になっている。
 低学年にちゃんと伝わるだろうか、ちゃんと大人しく見ていてもらえるだろうかというのが、とても心配だった。
 でも、それは余計な心配だった。下級生の子供たちはずっとみていてくれた。客席の後ろで見ていると、場面が体育館のフロアの真ん中から、本舞台、体育倉庫側のひなだん(外クラスのみんなはここから全部を見ている)へと動くたびに、子供たちの頭がいっせいに動くのがわかる。
 照明の伊藤さんから聞いた話。下級生は大きなパイプイスに座っているのだけれど、二列目以降になるとかなり見えにくかったらしい。頭を左右に動かして見ていたのが、思いついて、イスを降りて立って見ることにした子がいたそうだ。でも、立った時点で、座っているときより背が低くなってしまい、あきらめて、またイスに座ったんだそう。
 直前に練習したセリフの割り振りは、まるで初めからそうだったかのようにスムーズに進んだ。誰もほんの30分前に急遽練習したセリフだとは思わないだろう。
 大人が考える「ショーマストゴーオン」とは全然違う、もっとやらなきゃいけないことをやるのが当たり前という姿勢で子供たちは芝居をつくりあげた。割り振られた子がピンチヒッターでスターになるというのでもなく、ほんとうにみんなのために、当たり前のことをしているだけというように。こんなこと、絶対に大人にはできない。昨日、伊藤さんに聞いた記憶力のピークは12歳というのが本当なんだとしても、すごすぎる。昨日のマサキ役の彼のがんばり方が、子供たちみんなに「やればできるんだ」と火をつけたのかもしれない。
 火星人が登場する場面。伊藤さんがバックライト仕込んでくれた。逆光に浮かび上がる妖しい姿、と登場するのは赤いタコの形の火星人。下級生は大喜びだった。
 魔法使いのかわいい衣装も女子に大受けだった。
 そして、終演。今朝の授業開始前には、無事に開演できるんだろうかと、ほんとうに心配だった舞台が見事に幕を下ろした。子供たちのがんばりのおかげで。
 4時間目は特活室で振り返り。
 講師陣から一言ずつという時間になって、胸がいっぱいになる。この文章を書いている今もそうだ。
 子供たちに輪になって座ってもらい、感想を言い合ってもらう。劇中と同じに次の人を指しながら。
 助け合ってできてよかったという意見がなによりもうれしい。
 僕は、急遽割り振ったセリフなのにきちんと演じてくれてすばらしかったです。今日はお休みの3人の声や演技が、みんなの声や演技から浮かび上がってくるようでしたと話した。
 あと一回、今度は一般の公開。
 給食の後、特活室に集合して、午前中と同じように気合いを入れる。
 そして、本番。
 今年は、上演中の撮影を一切禁止した。写真もビデオも。おかげで観客の大人たちがとてもきちんと集中して見てくれるようになったのがうれしい。
 昼間は受けなかったセリフのおもしろいニュアンスやつっこみで客席が沸き、演じる子供たちもどんどんリラックスしていった。
 一回目はドキドキだった急遽割り振ったセリフは、もう何のあとかたもなく演じている彼ら一人一人のものになってしまっている。すごいなあと思いながら、芝居って残酷だなあとも思う。
 ラスト近く、今日でこの小学校は廃校になると話す先生にざわめく教室、やってきた国の役人が「落ち着いてください」と言ってもおちつかず、「座りなさい」と言っても席に着かない子どもたち。僕は、ここで子供たちに「座りたくなかったら座らなくていいから」と話し、役人役の彼には「座るまで『座りなさい』って言っていいからね」と伝えた。今日は、その「座りなさい!」が初めて4回繰り返された。そして4回目の「座りなさい!」はびっくりするくらい迫力があった。その後、悠然と子供たちを見ながら歩く役人の彼。小柄な彼がとっても大きく見えた場面だった。彼は、永井さんの授業で、犬が乗り込んできたエレベーターで一人困っていた男子を切なく演じていたんだった。
 ラストの歌。稽古の始まりでは、エンディングの位置のまま客席を向いて歌っていたのを、稽古の後半、輪になって内側を向いて歌う演出に変更した。その方が声が出やすいし、「みんなで」歌っている気がして、声も出やすくなるじゃないかと思って。
 間奏で本舞台前のひなだんに移動、整列して2番を歌う。「信じることで初めて開く、心の中の宝箱、ひとりひとりのたから箱、今はみんなのたから箱」。
 そして、芝居は終わった。拍手。お疲れ様でした。
 特活室の振り返り。みんな実にいい顔をしている。ほんとうによかった。今、こうしてみんながいい顔をしてここにいてくれることが、とってもうれしいです、と話した。
 うまくやろうというようなことだけじゃなく、ほんとうにみんなに力を合わせて助け合って、芝居をつくったんだと思う。
 芝居の出来も大事だけど、そこに至るまでの過程が大事なんだ、それが、授業で演劇をやることの意味なんだと改めて思った。
 伊藤さん、篠原さん、渡邉さんと照明の片付け。
 三年前に卒業したヤエガシくんたちが来てくれる。「放課後の卒業式」の年の彼らだ。みんな中学三年生。女子がぐーんと大人っぽくなっている。
 ヤエガシくんにギャラリーの照明の片付けを手伝ってもらいながら、おしゃべり。高校の合格が決まったと報告。おめでとう。二人そろって、永井さんの後輩だね。同じ高校に受かったアンドウくんとは、中学の野球部でがんばってたんだそう。ヤエガシくんもアンドウくんも、卒業公演は即興劇のエレベーターのパートに出演していた。ヤエガシくんの妹は、今年の6年生で、出演していた。「見てるとやりたくなっちゃう」という言葉がとてもうれしかった。
 その後、先生方と振り返り。今年もまたいい芝居をみんなで造ることが出来てほんとうにうれしい。
 今日の朝の一時間の話し合いの時間が、どれだけ中身の濃いものだったかということを、みんなが話した。子供たちがどうしたらいいかを話し合ったあの1時間は、富士見丘小学校でなければ、絶対にありえない時間だったと思う。
 何年か前だったら「こどもたちに決めてもらう」という選択肢は、僕らの中から出なかったと思う。
 今、その選択肢を当たり前のように思いつけること、子供たちを信頼することができること、そして、子供たちが実際、話し合いの結果、どうするかを決めることができたというのは、富士見丘小の演劇授業の忘れてはいけない大きな成果だと思う。上演した舞台の出来のすばらしさだけが、すべてじゃない。
 「どんなことがあっても芝居の幕は開けなきゃいけない」「ショー・マスト・ゴー・オン」という話を、子供たちにしたことはないのに、子どもたちは、当然のようにそれを実践した。
 演劇人として、こんなにうれしいことはない。ありがとう、みんな。拍手。


2009年02月26日(木) リハーサル

 1、2時間目を小返しの練習にあてて、3、4時間目で通し稽古というか、本番前の最後の通し、リハーサル。
 明日の本番にインフルエンザのため参加できないトシキ役の彼の代役を検討する。トシキは、中クラスの中ではわりとセリフの多いキャラクター。
 大人が相談した結果を中クラスのみんなに伝え、練習してもらう。
 何人かにセリフを割り振り、今日、風邪から復活して来てくれたマサキ役の彼に、その中でも長いセリフをお願いする。彼は、永井愛さんの即興劇の授業で、犬になってエレベーターに乗りこんだ子だ。今回も、クラスの中でもクールなキャラクターを自然にのびのびと演じてくれている。病み上がりで申し訳ないのだけれど、がんばってほしい。
 リハーサル開始。
 オープニングのダンスをふわふら踊っているマサキ役の彼を見ていると胸がいっぱいになる。がんばれ!と心の中で声援を送る。
 割り振ったセリフは、芝居が始まったら、みんな見事に自分のものにしてしゃべってしまえていることにびっくり。一度練習しただけなのになんで? どれだけ、人のセリフを覚えてるんだ!?
 マサキ役の彼にお願いしたトシキの長いセリフ、渡邉さんがプロンプターでついていてくれたのだけれど、これも彼が当たり前のようにさらさらとしゃべり始めたのでびっくりする。受け答えだけじゃない自分の気持ちを話すセリフ。3つあるうちの最後の1つが出てこなかったのだけれど、それでもとんでもないことだと思う。こんなことができてしまうってどういうことなんだろう。
 リハーサルの前にみんなに話した、誰かが失敗したら「なんだよもう!」と怒るより、「だいじょうぶかな?がんばれ!」と思うほうが、芝居はよくなるということを、みんながそのまんまやってくれた、そんなリハーサルになった。みんなで力を合わせて60分の芝居をみんなが生きた。そのことがすばらしい。大人も一緒にがんばった。
 5時間目にも急遽練習ができることになったので、歌の練習とラストシーンの練習をする。
 そして、子供たちと振り返り。
 明日の一二時間目も練習はできるけれど、明日になってやってくる子のための最後の練習にあてたいということを伝える。だから、今日までにやったことは、ちゃんと確認をしておいてくださいと話す。
 最後に、明日の本番に備えて、今日お休みだった女の子が明日のお休みだったら、セリフをこう分けますという案を伝える。一応、練習しておいてねと。でもでも、どうかがんばって来てほしいと思う。
 大人たちは、伊藤さんと一緒に照明の仕込みに取りかかる。
 去年の卒業生のイナバさんとニヒくんが来てくれた。今日まで試験休みなんだそうだ。1年ぶり。二人ともすっかり大人になったなあというかんじ。楽しくおしゃべりする。
 18時近くまでかかって終了。
 その間、校庭ではサッカークラブが練習をしている。火星人役の彼たちも元気に走り回っていた。
 さあ、明日は本番。


2009年02月25日(水) 富士見丘小学校演劇授業

 熱はまだ下がらないのだけれど、出かける。これは風邪じゃない、知恵熱だと言い聞かせる。
 毎年、この時期に必ず風邪を引くのだけれど、こんなにぎりぎりになってというのは初めて。
 この頃の急に寒い陽気、特に体育館での練習は、やっぱりハードなんだと思う。ずいぶん気をつけていたつもりだったのだけれど・・・。いや、これは知恵熱。
 今日は、1時間目から4時間目までの授業。
 前半は小返し、後半は通し稽古の予定だったのを、昨日の通しを踏まえて、全体の小返しの稽古を午前中いっっぱいていねいにすることにした。
 あちこちで芝居が立ち上がってくる。そんなかんじ。
 子供たちはすごい。昨日と今日で全然違うことになっていく。文字通り、稽古すればちゃんとよくなっていく。
 授業の合間に音楽の染谷先生とそんなことを話す。一日ごとによくなっていくということのすごさ。そして、それを彼ら自身がわかっているということのすごさについて。
 持ってきたカラーウィッグは、やはり小学生の女の子にはどぎつすぎるので、別のヘッドドレスをつくることになった(かぶってみた魔女っ子たちはべそをかいてしまった。ごめんなさい)。
 後半の全員が登場する場面の動きを、昨日のつづきでていねいにつくっていった。
 わあなんて大勢なの?!と思っていたシーンが、そんなに大勢には感じられなくなってきたのは、一人一人がちゃんとしたキャラクターとして描かれている台本のせいもあるけれど、子どもたち一人一人がちゃんとその場にいてくれるからだと思う。しょうがないからいる、いさせられているような子は一人もいない。なんでもなく、あたりまえにそこにいられることのたのもしさ。
 明日はリハーサル。
 僕は、午後からの仕事を休ませてもらって、まっすぐ家に帰り、まずは寝ることにして、夕方から病院へ行く。


2009年02月24日(火) 富士見丘小学校演劇授業

 午前中。20分休みの間に、外クラスのイスのバミリをきめる。昨日の中クラスの教室のイスの位置とは違う、輪になって話し合う形。テープの色も赤にする。
 火星人の衣装の確認をする。火星人は台本に指定してあるとおり「タコ」のような形なのだけれど、衣装もそのまんま「タコ」だ。演じる子たちにデザイン画を描いてもらい、それを元に図工の澁谷先生がつくってくれた。赤いトレーナーに、腰のまわりに8本のタコの足がぶらさがっている。8本のうちの何本かには針金の芯が入っていて、自在に曲げられる。足には白い綿で吸盤のようなものがいくつかくっついている。頭は赤いニット帽。赤いのがなかなかなかったのを、昨日100円ショップで見つけて買ってきた。
 衣装合わせをしていたら、火星人役の子が「(タコの)吸盤は普通中側じゃない?」と言いだした。言われてみればたしかにそのとおり。でも、これはタコじゃなくて火星人だから、外側にくっついててもいいんじゃない?ということにする。というか、内側につけてしまったらせっかくのアクセントが見えなくなるので。
 今日は3、4時間目をグループに分かれての練習、午後は、照明の伊藤さんを迎えての通し稽古という予定だ。
 まず、全体の授業予定を説明してから、3チームに分かれる。
 僕は体育館で中クラス、篠原さんは視聴覚室で外クラス、渡邉さんには体育館で火星人と魔法使いをお願いした。
 渡邉さんとは、後半、火星人と中クラスの場面を一緒にやりましょうと話していたのだけれど、全然時間が足りない。前半の転校生の場面をつくるので、ほぼ時間いっぱいになってしまった。
 渡邉さんも火星人チームをつくるのでいっぱいで、魔法使いは平田さんが急遽担当してくれることになった。
 かなりばたばたなかんじで午前中が終了。
 午後は、まずオープニングの歌とダンスの練習をしてから、通して演じてみてもらう。
 今日もお休みの子が何人も、大人達が交替で代役を演じた。ここ数日の練習がちゃんとできている後半に比べて、前半があちこちでうまくいかなくなってしまう。たしかにひさしぶりだものなあ、全体を通すのは。
 洋平役の彼がセリフが出なくて涙ぐんでしまう。セリフの最後で誰を指すのかわかっているのに、名前が出てこない。同じ外クラスの子がアドリブで「次の人を指せばいいんだよ」とフォローしていたのがすばらしい。でも、名前がなかなか出てこないのが、もどかしかったんだと思う。そして、友達のフォローがうれしいと、余計泣けてきたりもするんだよなあと思ったりもする。
 全体としては、午前中のチーム毎の練習のせいで、それぞれのチームはよくまとまっているのだけれど、全員のチーム感というのがいまひとつな通し稽古になった。
 特に、火星人と魔法使いは初めて衣装をつけて登場したので、他のチームは、観客と同じような気持ちで盛り上がってしまった。その後、また芝居にもどるということが、できなかったかもしれない。篠原さんが、後の振り返りで「観客としてリラックスして見ちゃったあと、前のめりになって見る出演者に戻れなかったね」と話していた。
 それでも、全体の上演時間は約60分。いいかんじだけど、もう少し短くなるだろう。
 終了後の子どもたちとの振り返りでは、「みんなでつくろう」ということを話す。
 それぞれのチームだけでがんばるんじゃなくて、ほかのチームとのやりとりをちゃんとしよう。
 火星人も魔法使いもとってもおかしいけど、観客としてじゃなく、仲間として見るようにしよう。
 明日はどんなことになるか楽しみだ。
 魔法使いの衣装が、火星人にくらべて少し地味かもしれないということで、派手なウィッグをかぶってみてはどうだろうということになり、劇団の倉庫に取りに行くことにした。
 予定していた劇団劇作家の合評会は、遅くなってしまったので、急遽お休みさせてもらう。
 というか、寒くてしかたない。風と雨がほんとに刺すように冷たくかんじられる。
 それでも、倉庫でピックアップした後、岸本くんの家での「新・こころ」の同窓会に顔を出すことにする。
 もっちゃん、まみぃ、鶴丸くん、まちゃ、えんちゃん、桑島くん、久しぶりの面々。
 男ばかりのキャストなので、当たり前だけどみんなが男で、その男感(?)にドキドキする。
 もっちゃんの手料理をごちそうになり、一日遅れの誕生日を祝ってもらった。
 どうもありがとう!
 去年もこうしてお祝いしてもらったんだったと思い出す。
 遅くならないうちに、お先に失礼する。さっきまでふらふらしていたのに、暖かさとやさしさのおかげで元気になれたような気持ちでほっかりする。
 家に帰って熱を計ったら39度を超えていた。・・・とにかく寝る。


2009年02月23日(月) 富士見丘小学校演劇授業

 体温計の電池が切れてしまったので、富士見ヶ丘の百円ショップで購入。
 すごい昔、印刷会社でバイトしていたとき、取引先の社販で買ったきり、電池を替えたことはなかった。
 今日は、3、4時間目の授業。後半の稽古をする。
 授業前に、大人たちは体育館にイスを並べる。
 まず、客席最前列のパイプイスを並べる。本番のときの客席がどこまでかわかるように。
 それから、中クラスのイスの位置にバミリの赤いテープを貼る。3列×5+1の計16席。
 休み時間の間に、魔法使いと火星人の衣装の確認。いいかんじにできあがっている。
 今日は欠席が三人いる。風邪だそうでとても心配。
 低学年は明日から学級閉鎖のクラスもあるそうだ。
 今日から健翔さんが来てくれて、お休みの子の代役を生き生きと演じてくれる。
 体育倉庫近くの仮設のひな段と本舞台前のひな段との間は約20メートル(もっとか?)。この間に、中クラスがいつもいて、外クラスの子たちはこの広い体育館のはしとはしでやりとりをする。
 健翔さんが思い切りのいい芝居をしてくれたおかげで、外クラスの子たちの声が自然に出てくる。なんでこんなことができるんだろう?というくらい、離れた距離での普通の会話が成立してる。
 ラストの全員が登場する場面の稽古をして、ようやく、みんなで芝居をつくったなあというかんじがしてきた。チーム毎の一人一人ががんばってるんじゃなくて、6年生全員でつくる場面。少しずつ形になってきたと思う。
 大勢の中での芝居は、すぐによくわからなくなってしまう。
 どうしたら、見ていてわかるかということを考えるよりも、演じている彼ら自身がまずわかることが大事だ。
 今、誰に話しているかということを一人一人確認しながら、芝居をつくっていく。
 今回のお芝居は、大勢でのディスカッションが多いので、誰に話しているのかというのが、ちょっとわかりにくい。全部のセリフがみんなに対しての意見であったりもするので。
 それでも、一人一人に「誰にしゃべってる?」と確認していく。
 なんだか、よく聞こえないセリフだなあというのは、声が出てないんじゃなくて、誰に向かって話していいのか自信が持てないからだったりする。
 後半に登場する先生と国の役人たち。それまでのわさわさわした場面が、すっと真剣な空間になっていく。
 誰に話してる?と確認したら、ハヤシさんが演じるスズヤマ先生が、きっちり相手の正面に立ってセリフを言ってくれた。かっこいい。
 それに対する役人役のシンカワくんも、受けて立っているのが頼もしい。
 から向き合ってくれたのがうれしい。
 そんな大人達に対する子供たちの反応も確認。びっくりすると、カラダはどうなる?と、女の子を急に「ワッ!」を脅かしてみた。背中がびくっとして、息が止まる。ほらね、カラダが変わったよね?と話す。
 全員が登場する場面の話の中心はどこかも確認。話をちゃんと聞いてないと、その人だけ、そこにいないことになってしまうよと話す。みんなで場面をつくるというのはそういことだよと。余計な動きをすると、集中してないってことが、すぐにわかってしまうよと。
 大人でもむずかしい場面。まずはとりかかった、そんなかんじの稽古。
 授業のあと、給食をいただきながら、明日の打ち合わせ。
 明日は、午前午後、計4時間の授業。
 家に帰って、体温計の電池を交換して計ってみたら、やっぱり・・というくらい熱が高い。イチゴとビタミンをたくさんとって寝る。 


2009年02月22日(日) 青年劇場「博士の愛した数式」

 劇団劇作家の同人である福山啓子さんの台本、演出による「博士の愛した数式」を観にシアターサンモールへ。まだ熱っぽいのだけれど、気合いを入れてシャワーを浴びて出かける。
 原作は、小川洋子の同名小説で、映画化もされてる。
 事故によって90分しか記憶が残らないようになってしまった数学の元教授と、シングルマザーの家政婦とその息子のお話。
 開演前、みっちゃんこと、相楽満子さんに会い、ハグ。
 劇中に登場する数についてのエピソードが、とても美しい。
 素数、ルート、完全数、友愛数などなど、目の前に繰り広げられるのは、人と人とのドラマなのだけれど、そこに数式の世界が加わっても、とってつけたようなかんじがしないのがいい。かえって抽象的なイメージが広がって、世界に不思議な奥行きが生まれてくる。
 マイケル・フレインの「コペンハーゲン」は、量子物理学の用語、たとえば「不確定性原理」というものが劇中、大きな意味をもって登場するのだけれど、それと同じようなと言ったらいいだろうか。
 数学や物理学というのは、ものすごく理系の現実的なものだという印象があるのに、実はものすごく文学的、芸術的なものなんだと気がつかされる、そんなかんじ。
 ラストシーン、登場人物たちが登場してお茶を飲んでいる、それだけの場面で泣けてくる。言葉にならないものが、きっとたくさん胸にひびいたんだと思う。
 終演後、福山さん、福島さんにご挨拶。
 帰りにヨドバシカメラで買い物をして帰宅する。
 熱はようやく平熱に。鼻水が出てしかたないのは、花粉症から来る風邪だからかもしれない。
 夜、富士見丘小の明日の授業のためのレジュメを準備する。
 限られた授業時間を有効に使いたい。子どもたちと一緒に、ああでもないこうでもないと作っていく時間が、今年はとても少ない。ある意味、とても能率的に進んでいるのだけれど、いろいろやってみるのが、芝居づくりのおもしろさだと言えないこともないので、あんまり能率的にやってしまうのもどうだろうかと考える。
 でも、大人達が右往左往する時間は無駄なことは間違いない。
 明日から金曜の本番まで、ラストスパート、がんばろう。


2009年02月21日(土) 電話で話す

 朝、篠原さん、平田さんと電話で打ち合わせ。
 メールのやりとりより、電話で直接話した方がすっきりする。
 何より、朝から電話で話すと元気が出るような気持ちになる、この頃だ。
 今日は一日、仕事。
 仕事先の最寄り駅を下りてすぐの横断歩道で、いやな寒気に襲われる。
 案の定、熱が出ていた。またか・・・。
 年度末の仕事の前倒しで、今週が仕事の山だ。こちらの締め切りは3月3日。富士見丘小学校の卒業の卒業公演は金曜日なので、二つのピークがほぼ重なっている。
 葛根湯を買って帰り、部屋を暖かくして横になるががたがた震えて眠れない。
 気合いを入れてつくった野菜スープも食欲がないので、そのまま。しかも、また作りすぎた。
 買ってあったハッサクとバナナを食べてみる。


2009年02月20日(金) 朗読劇「蟹工船」

 非戦を選ぶ演劇人の会のリーディング「9条は守りたいのに口ベタなあなたへ」でご一緒した、板倉光隆さんが出演している小林多喜二の「蟹工船」の朗読劇を観に(聞きに)、三鷹の武蔵野芸能劇場へ。
 伽羅というユニットでの公演で、キャストはみなさん声優としてはベテランの方ばかり。
 開演前に上演時間が1時間50分と知り、これはかなりつらいんじゃないかと思ったのだけれど、全然そんなことなかった。あっという間だった。
 北洋に船で出て、蟹を捕って加工する労働者達の最低最悪の生活と、資本家による搾取と、ひどい労働条件の中での命がけの闘いが描かれている「蟹工船」。
 イデオロギー的なものがクローズアップされて、やや青臭いものになってるんじゃないかという予想はまるっきり裏切られた。
 俳優ってすごいなあと思った。
 非戦を選ぶ演劇人の会のリーディングでもいつも思うことだけれど、俳優というのは「伝える」プロだと思う。
 文字で読んだりしただけでは、ただのメッセージにしかならない言葉が、俳優の肉体、声とカラダを通して出てくると、生き生きとしたものにかわっていく。
 今日、出演の俳優さんたちはみなさんとてもすばらしかった。一人で何役もの人物を演じ分けていく、その技術が当たり前にあるのがすごい。語られる色が見えてくるような、そんなリーディングだった。
 小林多喜二が書いた言葉や世界は明らかにそこにあるのだけれど、何よりもまず、そこに人間がいた。人間がちゃんといる芝居は、いくらでも観ていられるんだと思った。
 話の内容ではなく、むしろ、俳優の力のすごさに感動して泣けてしまった、そんな舞台。
 終演後、板倉さんにご挨拶。ほんとにひさしぶりの山崎くんにもばったり会って、近況の報告など。
 今日は、小林多喜二が拷問により殺された日ということで、ロビーに彼の享年である29本の薔薇が飾られていた。
 終演後、どうぞお持ち帰りくださいと言っていただき、一本をいただいて帰る。
 びっくりするくらい大きな真紅の薔薇の花。家につくまでにややぐったりしていたのだけれど、水切りをして活けたら、しっかり蘇ったのがとてもうれしい。


2009年02月19日(木) 猫缶

 「祝/弔」で共演したコガさんが、「ジェラシー 夢の虜」を見に来てくれて、差し入れにキャットフードをくれた。カリカリじゃない缶詰だ。
 ベランダにやってくる猫たちには、いつもカリカリしかやっていなかったのだけれど、公演が終わってすぐ、猫たちにもお裾分けというか、僕が食べるわけにはいかないので、缶詰を出してみた。
 大喜びで食べていたのはいいのだけれど、その後、いつものカリカリを食べなくなってしまった。
 猫ってそういう生き物だよねえと思ったが、ここで、カリカリをやめて猫缶に切り替えるというのも、負けを認めるようでくやしい。というか、いつもはカリカリ、時々猫缶というペースに慣れてほしい。
 というわけで、食べるまで他のものはやらないよという意地を通した結果、猫たちはカリカリを食べる日常にもどってきた。
 今朝、久しぶりにコガさんの猫缶をあけてみたところ、ベランダに黒いのがてくてくやってきた。
 間近に見るのはけっこうひさしぶり。心なしか少しやせたような気がする。
 いつも一緒のトラの姿は見えず、一人で全部を平らげてまたひなたぼっこに戻っていったのを見届けて、仕事にでかけた。


2009年02月18日(水) 富士見丘小学校演劇授業

 3、4時間目の授業。
 篠原さん、渡邉さんと早めに待ち合わせをして、体育館のセッティング。
 平田さん、馬場先生と一緒に。
 体育倉庫側の仮設ひな段を組み立て、客席と通路の位置を決めて、パイプイスを置く。
 劇中に登場する「海」の見え方を確認する。動かし方をあれこれしてみて、おお、これでいこうというプランが決定。キャストの誰にお願いするかも決めた。
 4年生の保護者の方が、魔法使いの衣装をつくって持ってきてくれる。とっても、いいかんじ。
 魔法使い役の女子たちがやってきて、フィッティング。デザインを検討する。おもしろいアイデアがまた生まれてくる。感謝。
 本番の記録映像を撮影してくれる吉野さつきさんと青山学院大学のみなさんが今日は下見ということで来てくれる。
 吉野さんとは、AGSの「ゴッホからの最後の手紙」に客演したときにお会いして以来、十年ぶりにご挨拶する。
 子供たちがやってきて、授業開始。
 今日は、先週やった中クラスと外クラスそれぞれの位置と動きを、全体で確認していくのが目的。
 この広い体育館全体を使った演技エリアにどんなふうにいるのか、どんなふうに登場するのか、退場するのかを確認してもらいたい。
 先週の授業のあと、子供たちが自分のセリフについて「こんな気持ち」と台本に書き込んだものを、馬場先生が抜粋して送ってくれた。
 とてもおもしろく読ませてもらったのだけれど、今日はそのことについての返事はできないかもしれない、それは来週の稽古でと先に説明をして、まずはこの体育館で何をしなくてはいけないのかを確認していってほしいと話す。
 まず、冒頭のダンスから。一度、踊ってもらってから、その前に歌うオープニングの歌を歌ってもらう。この歌とダンスのつながりについては、要検討。今日は、まずはこんなかんじで・・というところを演じてみてもらう。
 その後は、本編を冒頭からラストまで。途中、出はけが曖昧になったところを、ちょっと止めて確認修正しながら、最後まで行ってみる。
 中クラスチームは、前回、時間がなくて、ラストまで行けなかったのだけれど、ラストまでいっている外クラスチームにひっぱってもらう形で最後まで演じてもらう。
 そして、その場でエンディングの歌を歌ってもらった。
 初めての通し稽古終了。
 子供たちから感想を聞く。
 先週は見ることができなかった別チームを見ることができたのが、いい刺激になったようだ。
 僕は、みんなが一人一人工夫して演じてくれたことがとてもうれしいとまずは話す。でも、自分の役がどんな人か工夫することも大事だけれど、言葉を相手に伝えることも大事だと。ボールに色をぬったりきれいにしたりすることはとてもいいことだけれど、まずちゃんと投げなくてはいけないねと。そのためには、誰に話しているのかをもう一度考えてみてください。それじゃだめだから、こうしてほしいという言い方は、僕はしないつもりです。それもいいけどもっとこうしてみてくれる?というふうなことを言うと思います。もっと、もっと。どうしたらもっとおもしろくなるのか、どうしたら、自分が満足できるのか、その「もっと」の部分を今度の授業までにいろいろ考えてきてください。
 篠原さんは、本番まで自分を大事にしてくださいと話した。
 50人全員でつくりあげないといけない、この舞台。一人が一役を演じているので、誰がいなくても、芝居が成立しない。
 今日は、風邪で休んでいた子が二人いた。一人休んでも大丈夫なようにつくるやり方もあるかもしれないけど、それじゃおもしろくない。一人一人が、全体にとってかけがえのない一人なんだということを、実感してほしい。そのための演劇授業だと思うから。
 その後、給食をいただきながら、今日も振り返り。今日の子供たちの様子について、演出プランについて、あれこれ話す。
 次の授業は、来週の月曜。馬場先生に、それまでにやっておいてほしいことを、それぞれの役ごとに伝える。
 月曜日は、後半からの芝居づくり。火曜は、前半二時間をチームに分かれての練習、後半を全体で通しということにした。
 あとは、リハーサルを入れて、4回の授業。さあ、どうなるか。稽古の進め方、限られた時間の中で、これだけは伝えないとということを、ちゃんとリストアップしておこうと思う。


2009年02月14日(土) こどもとおとな

 鹿殺し「ベルゼブブ兄弟」を見に、赤坂レッドシアターへ。
 昨日から体がだるく、今日は仕事が休みだったので、昼間はずっと横になっていた。
 出がけにふらふらするので、熱をはかったら、あららという数値。
 二日続けてハードな芝居だったら・・と思いながら、えいっと気合いを入れて出かける。
 父が亡くなったので十数年ぶりに集まった四人兄弟たちのお話。それぞれの子どもの頃のせつねい思いが語られる。
 前回の「電車は血で走る」もそうだったけれど、子どもの頃の夢をいつまでも持ち続けて大人になった主人公たちというのが、今回も登場。
 その中で、一人、完全に「大人」として登場する父親役の今奈良さんが圧倒的な迫力と存在感。
 鹿殺しのメンバーは、今回もいいチームワークで芝居をつくりあげているなあと思った。
 終演後、今日もそのまま失礼して、チョビちゃんにメールを送っておく。
 このあと、神戸、大阪、福岡とツアーがつづく。行く先々で思い切りはじけて、熱い芝居をくりひろげてほしいと思う。


2009年02月13日(金) ホラー

 スロウライダー「クロウズ」を見に、シアタートップスへ。
 今日は、ゲストで日下部そうくんが出演だそう。思いがけず、とてもうれしい。
 開演してすぐに、「僕はホラーが苦手だ」ということに気がつく。
 感染すると一度死んだあとゾンビとして生き返ってしまい、カラダが腐らない限り生き続けてしまうという疫病が流行した日本。防腐剤の処方を禁止したため本土では流行はおさまったものの、ある島ではウロコと呼ばれる女医が防腐剤をつくりつづけているため、ゾンビたちは共同体をつくり生き延びていた。その島に、県の職員がやってきて、ゾンビ達を退治しようとする・・・というお話。
 以前、フライングステージに客演してくれた數間くんが、県の職員を演じている。エリート意識の固まりだった彼が、感染してゾンビになり、最後には犬のようになっていくさまが哀しい。部屋から閉め出されたことを受け入れられず、ドアを叩きながら、自問自答しつつ死んでいく様子がとても見事だった。
 芝居としては、前回、スロウライダーを見たときと同じように、これはコメディなんじゃないかと、コメディとしてつくった方が、こわいんじゃないかなと思った。今回のように、ホラーとしてつくって、おかしみがあるというのも、もちろんありなのだけれど。
 そうくんは、ゾンビたちの一人で、たんたんとゲームをしているキャラクター。当たり前だけれど、フライングステージに出てもらっていたときとは全然違っていることに、ドキドキする。
 ラスト、やっぱりそうなるか・・・と思いながら、それでも、やはり救いのない(ように思える)ラストシーンに、とどめをさされたようになり、ふらふらと立ち上がり、劇場をあとにした。
 數間くん、そうくんにも挨拶できず・・。申し訳ない。
 家に着いてから、二人にメールを送る。


2009年02月11日(水) 粋な着物

 午後から、石関くんと一緒に大門伍朗さんのお宅へうかがう。
 着なくなった着物を下さるとのことで、公演終了後のご挨拶をかねてお邪魔する。
 稽古場、劇場でほんとうにありがたかった明太サンドのフランスパンを今日もいただく。
 着物を見せていただきながら、芝居の話をたくさんする。いい午後のひととき。
 こんなものまでもらっちゃっていいの?というような着物までいただいて(石関くんは、公演終了直後に一度うかがって、すでに振り袖や打ち掛けを大量にいただいている)、「この着物が着られる芝居、きっとやりますから!」と宣言する。大きな柄のなかなか見たことのないような、いかにも大門伍朗という人が仕立てたというような着物たち。おもしろい舞台を、いつか企画してみようと思う。
 大門さん、どうもありがとうございました!


2009年02月10日(火) 富士見丘小学校演劇授業

 2、3時間目の授業。授業の前に、篠原さんと待ち合わせをして、富士見ヶ丘駅前のドトールで、今日の授業についての打ち合わせ。
 今日は、特活室と視聴覚室、二つの教室に子供たちは分かれ、僕と篠原さんがそれぞれの教室で授業というか、演出を担当する。
 今回の舞台、「お芝居をつくろう」は、演劇を作ろうとする小学6年生たちが「どんな芝居がいいだろう」とディスカッションをするお話。彼ら(便宜上「外クラス」と呼ぶ)が考えた芝居が、舞台上で次々と演じられる(これら劇中劇に登場するクラスを「中クラス」と呼ぶ)。この芝居の中には、さまざまなキャラクターが登場する。転校生、火星人、魔法使い、先生や役人たち。
 今日から、本番まで成田独歩さんこと、渡邉力さんが見学に来てくれている。彼は、今年の六年生を去年、一度教えている。「どんな授業をしたの?」と聞いたら、「絵を元に芝居をつくってもらった」とのこと。1年ぶりの再会だ。
 初めに、特活室で子供たちに、今日の授業の目的について説明する。今日は、前回の授業で、おおざっぱに伝えた位置と動きを、細かくていねいに、劇全体を通じてやってみる。前回の授業からの変更点もあるのでよろしくと。
 篠原さんは特活室で「外クラス」、僕は、視聴覚室で「中クラス」プラス、劇中劇の登場人物たち全員を相手にしての授業を始める。
 最初に、部屋全体を自由に歩いてもらう。ゆっくり、速く。そして、僕が手を叩いたら、ストップモーション。今回、「中クラス」のみんなには、このストップモーションを何度もやってもらうことになる。まずは、そのためのウォームアップ。
 冒頭から、出はけと位置についての説明をして、演じていってもらう。子供たちは、セリフが全部入っているので、どんどんすすむ。誰も台本を手にしていないので、いちいち書き込んで覚えてねということもあえて言わない。今、この場で覚えてもらう。わからないことがあったら、僕たち(関根、篠原)や先生方に聞いてくれれば、わかるからねと言いながら。そのために昨日まとめた演出プランの共有なのだ。
 稽古をしながらの細かい修正は、今日、僕の方にずっとついていてもらうようお願いをした馬場先生に書き留めていってもらう。同様に篠原さんの方には、平田さんがついていてくれる。担任の先生、田中先生と金丸先生は、両方の教室を往復して全体の様子を見ていてくれる。
 4時間目は体育館が空いているので移動しようという予定だったのだけれど、稽古が白熱してしまい、また移動すると時間が足りなくなって終わりまでたどり着けないかも知れないと思ったので、そのまま、視聴覚室で続行(特活室も同様)。
 劇中のストップモーションの場面、さっきのウォームアップではあまりぴんと来なかっただろうこの動きが、劇中に何度も登場するうち、子供たちの表情が変わってきた。
 「かっこよく止まるにはどうしたらいいんだろう?」「止まるためには動いてないといけないね」などと細かく、ダメ出しをする。
 ストップ、解除、ストップという連続の動きも登場する。順番にセリフを言うだけではない、カラダも一緒にそこにあるおもしろさが、どんどん生まれてくる。
 中クラスの子供たちの一人一人が何を思うか、人の話をどう聞くか、それが、どんな行動になるかなどなどを次々明確にしていく。わかりやすい人間関係が立ち上がると、俄然、一人一人が生き生きとしてくる。大人っぽい女子、子供っぽい男子、少しクールな男子などなど。あちこちで、魅力的なキャラクターが生まれてくる。また、そんなお互いを見ることで、自分のキャラクターが逆に見えてもくる。
 今日は、中クラスだけ、つまり、外クラスのみんなが考えている想像の世界の登場人物たちだけの場面をつくっている。
 中クラスの登場人物の様子を、少し離れたところで、外クラスのみんなはずっと見ている。今日は、そのこともきちんと説明して、出番の終わった、またはこれからのキャラクターにその位置にいて見ていてもらうことにした。
 外クラスの人物は、中クラスには混ざってこないで、演技エリアの外から見守って、セリフを発するのだけれど、劇の終盤、その構造がくずれていく。外クラスのみんなが、中クラスの中に入ってくるのだ。
 ただ、中クラスの人物からは彼らは見えない。外クラスの人物は、中クラスのみんなが見えている。二つの全然違う次元が同時に存在するのだ。子供たちに、その説明をする。今はいない(となりの教室にいる)外クラスの人物の役を僕がやって、その場面をつくってみる。子供たちから「かっこいい」という声があがった。
 この子たちは、次元の違う場面の重なりあい、舞台ならではの演出のおもしろさを知っている。そして、それを「かっこいい」と言える。演劇授業の積み重ねは、上手にセリフがしゃべれるというようなことではなく、こういうセンスが彼らの中にいつのまにか根付いていくことなのかもしれない。
 後で篠原さんに聞いたら、外クラスでも同じ場面で同様の反応があったそうだ。演出家として、こんなにうれしいことはない。
 全部の役の位置と動きを確認して、あとは最後の全員が登場するシーン、外クラスと中クラスが一緒になる場面だけを残して時間切れ。今日はここまでにする。それでも、なんとかラストまでたどりつけてよかった。
 特活室に全員集合して振り返り。外クラス、中クラス、どちらの子の顔も生き生きとしている。みんなでおもしろい、ちょっと大変だけど、できたらかっこいいことに取り組んでいるということのおもしろさが感じられるよう。もちろん、大人達もわくわく楽しい気持ちでいっぱいだ。
 給食をいただきながら、大人達の振り返り。澁谷先生、染谷先生と、衣装、音楽の打ち合わせ。火星人の衣装、いいかんじに仕上がりそうだ。とってもべたな火星人。エンディングの曲が生徒の作曲であがってきたのを聞かせてもらう。これもいいかんじだ。馬場先生、金丸先生、田中先生とも打ち合わせ、今日の感想と子供たちに伝えてほしいことなどを話す。
 来週は、2時間合同で体育館での授業。冒頭の歌とダンスから、全体の位置と動きを、外クラス、中クラス一緒に確認して、芝居をつくっていく。
 今日はお互いに見ることができなかったそれぞれの芝居が、一緒になるとどうなるのか、子供たちがおもしろがってくれるとうれしいと思う、ラストの場面の位置と動きを、もういちど検討してみよう。もっともっとおもしろくなりそうだ。


2009年02月09日(月) 演出プラン

 夜、なんとかまとめた演出プランをメールで送る。
 いつも、その場で思いついたあれやこれやを持ち込んで芝居をつくっているので、台本をもとに、まずはこうしようというプランを決めるのはいつもと違う大変さ。
 しかも、全部を書き出すというのは、なかなか大変な作業。でも、いつもと違う頭を使うようでおもしろい。
 夜遅く、平田さん、篠原さんと電話で打ち合わせ。
 あとは、明日の二時間の授業でどこまでいけるか。このわくわくする気持ちを、子供たちに伝えたい。



2009年02月08日(日) 帝劇女優

 両国のシアターΧへ行く。シアターX名作劇場、水上瀧太郎作「地下室」と額田六福作「月光の下に」の二本立て。日本の近現代の短編劇を100本上演しようという企画。演出の川和孝さんは、とてもお世話になった方だ。僕が今、戯曲を書いているのも、彼に「書いてみたらどうですか」と勧めてもらったからだ。
 このシリーズを見るのは、実に十年ぶりだ。キャストの宮崎敦吉くんから案内をもらった。彼とは、なぜか阿佐ヶ谷のアーケードでばったり会うことが多い(彼の地元なのだけれども)。
 久しぶりに見た、名作劇場は、ああ、十年経ったんだなあと感慨深かった。
 宮崎くんは、「地下室」でいやみな男を公演。
 もう一本の「月光の下に」は、兄が医師として成功するために身を売って学費を調達した妹が、病院が開業するというそのときに、その過去が明らかになってしまうというお話。
 女優さんが多く登場する芝居なのだけれど、セリフが要求する中身がとても濃くて、いまひとつそこまで行けていないようなもどかしさをかんじた。
 それでも、終幕、過去が明らかになろうと、私は少しもかまわない、逃げ出さずにここで戦っていくと宣言する妹の姿がかっこいい。もう、感動とかそういうこと以前に、かっこよかった。
 この作品は、大正7年に帝国劇場で初演されているそうだ。出演は、七世松本幸四郎に、森律子、川村菊江。帝劇女優たちだ。森律子は、その中でもトップスターだが、女優になったということで、一時期、女学校(跡見)の同窓会名簿から除名されている。また、実の弟が、友人に女優になった姉のことを非難されて自殺してしまう。手元の資料「物語近代日本女優史」(戸板康二)を見たら、大正5年のことだった。なんということだろう。
 そんな事実の重みを知ると、この芝居のラストの妹の決意が、ただならぬものに思えてくる。
 女が女優が、世間の不当な非難をものともせず、力強く、胸を張って生きていくのだという、高らかな宣言のように思えたラストシーン。
 終演後、同じ回を見に来ていた山本健翔さん、宮崎くんとおしゃべり。
 もちろん、川和さんにもご挨拶を。
 家に戻り、富士見丘小学校の卒業公演「お芝居をつくろう」の演出プランを検討する。
 次回、火曜日の授業までに全体のミザンセーヌを全部決めてしまわないといけない。
 朝までがんばる。


2009年02月04日(水) 何でもない日

 芝居が終わるとなんでもない日常のことしか書くことがないのかもしれないと気がつく。
 ここ数日、出しそびれていて燃えるゴミを盛大に捨てる。大きな袋で2つ。
 台本を何本か読む。日程の調整でどうなるかわからないのだけれど、なんとか出演できるといいなと思いながら。
 大門さんから、差し入れで何度もいただいたモツ煮込みを、僕もつくってみる。
 以前、臭みが抜けずに軽く失敗したので、今日は、生姜と一緒に下ゆでをきちんと。
 例によって作りすぎる。野菜や豆腐を投入しながらのアレンジで、明後日くらいまでは煮込み三昧の予定。


2009年02月03日(火) 片付けのはじまり

 芝居の後の片付けをようやく始める。
 部屋一杯の荷物をそれぞれの場所にしまい、洗濯を今日は5回。
 今回の衣装も、思い切って洗ってしまう。ネットに入れて洗濯機に。トラブルもなく終了。
 その後、仕事に出かけるが、千代田線を乗り過ごしてしまう。
 下北沢までのりっぱなしだった、ここしばらくの習慣が身についてしまったのだと思う。
 あわてて電車を降りて、無事に仕事場へたどりつく。
 歩きながら、ぶつぶつセリフをしゃべっては、あ、もう終わったんだと思ってやめる。
 夜、早い時間に寝てしまい、朝方に目を覚ます。明日の舞台のことを考えないで、眠ることができるのは、久しぶりなのだけれど、ちょっと淋しいような気持ちにもなる。
 芝居が終わっても、それはそれ、淋しくなったり懐かしくなったりという気持ちには、このところあまりならないのだけれど、今回は、キャストスタッフ、すべての人と一緒に過ごした時間が、いとおしく懐かしい。
 夏の公演の準備を始める。2006年に上演した「ムーンリバー」の続編にあたる新作。
 改めて読み直して、あれこれとプロットを考える。
 久しぶりのOFFOFFシアターで何ができるか、それも楽しみ。


2009年02月02日(月) ご挨拶(当日パンフより)

 PCサイトの「「ジェラシー 夢の虜」「ミッシング・ハーフ」のページにはアップしたのですが、こちらにも載せておきます。どうぞご覧ください。
 
「ジェラシー 夢の虜」

 川島芳子のことを初めて知ったのは、有吉佐和子原作のテレビドラマ「開幕ベルは華やかに」だったと思う。川島芳子が主人公の舞台のバックステージで起こる殺人事件を描いたミステリー。といっても、2002年の正月特番のドラマとして放送された、浅野温子と風間杜夫が主演して、加藤治子が川島芳子を演じる大女優を演じたものではなく、1983年に原作が出版されたのとほぼ同時に放映されたドラマの方だ。主演は、中村敦夫に白川由美、川島芳子を演じる大女優は高峰三枝子だった。僕の中では「川島芳子」というとどうしても高峰三枝子が演じる姿が浮かんでしまい(!)、なかなか実際の川島芳子の顔はイメージできなかった。
 今回、ほとんど初めて様々な資料にふれ、川島芳子の写真を見た。思ったのは、一枚ごとに全然違う顔をしているということだ。ほぼイメージどおりの男装している写真、日本髪に結った着物姿、モンゴル式の花嫁衣装を身につけた姿、そして、晩年の質素な普段着、同じ人物とは思えないくらい、バラバラだ。
 1932年、「男装の麗人」という小説を書くために、村松梢風という作家が、上海の屋敷で川島芳子と一緒に2ヶ月暮らした、という事実は、ほとんどの資料に書いてある。でも、そこでの暮らしがどんなものだったか、どんなことが起こったのかは、どこにも書かれていない。
 「ジェラシー 夢の虜」は、その書いてなかったことを存分に書いてみた作品だ。史実には、ほぼ忠実に沿いながら、いくつもの大きな嘘を盛り込んだ。歴史年表からは絶対にうかがい知ることのできない、人物の息づかいや足音と一緒に。
 1932年の2ヶ月を誰もがちゃんと書いてくれなかったことに、今ではとても感謝している。おかげで、年表を追うような一生の物語では描けなかった彼女に出会うことができた。
 最近、川島芳子が生きていたというニュースが報道された。処刑されたのは身代わりで、本人はひっそり戦後を生きていたというのだ。嘘か本当か、すでに彼女がなくなってからの報道なので、真偽のほどはわからない。
 いずれにしろ、今はもうこの世にいない川島芳子が、僕にはとても身近に感じられるようになった。どれが本当かわからない彼女の顔、そのわからなさこそが、彼女なのだろう。だが、そのどの顔の裏側にも、底知れない寂しさが透けているように思えてしかたない。


「ミッシング・ハーフ」

 映画「雨に唄えば」は大好きな作品だ。映画がサイレントからトーキーに移り変わる過渡期に、声の悪い大女優の声だけを演じることになる新人女優が、最後には大スターになる。ジーン・ケリー、デビー・レイノルズ、ドナルド・オコナーの演技が楽しい。でも、いつしか、声の悪さでスターの座を奪われる女優リナ・ラモント役のジーン・ヘイゲンがとても気になるようになっていた。
 サイレントからトーキーへの移り変わりという話を最初に目にしたのは、市川崑が撮った金田一耕助シリーズ「悪魔の手毬唄」だ(主演は岸恵子!)。物語には、トーキーの登場によって職を失った活動弁士が登場する。そして、映画の中で断片が映し出されるのが、日本で公開された字幕(スーパーインポーズ)付映画第一作の「モロッコ」だった。
 日本映画の草創期、映画には女形の俳優が多数出演していた。「女優」というものが生まれたのは、1908年に川上音二郎が帝国女優養成所を作って以来。まだ100年の歴史しかないことになる。1919年9月に花柳はるみが「深山の乙女」「生の輝き」に出演したのが、「女優」というものがスクリーンに登場した最初なのだそうだ。
 それまでは当然のように女を演じていた女形たちは、女優が女を演じるのが当たり前になっていく時代の変化の中、どうしていったんだろうか?というのが、「ミッシング・ハーフ」を書き始めた最初にあった思いだ。
 女形をやめて成功した人物としては、映画監督の衣笠貞之助がいる。では、成功できなかった人はどうしたんだろう?
 サイレント第一作の「モロッコ」。モロッコという国の名前には、タレントのカルーセル麻紀さんが性転換の手術を行ったところというイメージも強くある(僕らの世代ならではか?)。
 落ちぶれたサイレント映画のスターという存在は、ビリー・ワイルダーの「サンセット大通り」でも鮮やかだ。グロリア・スワンソン演じる女優、ノーマ・デズモンドは、世界的に有名な、ゲイが大好きなキャラクターの一つになっている。
 そんなこんなの吹き寄せ、寄せ集め、不思議なつながりが、この「ミッシング・ハーフ」という作品になった。
 たしかに生きていたという証はどこにもない、でも、もしかしたらいたかもしれない、いや、きっといたにちがいないと思えてきた大勢の彼ら、彼女たちに、この作品を捧げたいと思う。

 本日はご来場ありがとうございました。最後までごゆっくりご覧下さい。

 関根信一 


2009年02月01日(日) 千穐楽

 14時開演「ジェラシー 夢の虜」千穐楽。千穐楽らしい、落ち着いた芝居になったと思う。
 19時開演「ミッシング・ハーフ」千穐楽。今日も開場前に、そうくんと一緒に小返しの稽古をしてのぞむ。「ジェラシー」が終わったせいか、不思議な身軽さが感じられる。そして、本番。ライブを生ききることができたんじゃないかと思う。二度目の「モロッコ」の語りのあと、拍手をいただいた。ラストのそうくんとの別れの場面の「モロッコ」の語り、映画に自分がとりこまれていくことへの戸惑いをこんなに感じたのは、初演以来でも初めての経験。そして、終演。

 全員でバラシをして、その後打ち上げ、始発まで。
 中国語指導のシム、振付の美弥子ちゃん、衣装の中西さんも朝までつきあってくれた。
 今回、キャストのみんなと飲むのは、顔合わせ以来。
 あっという間に朝になった。
 今回、ほんとうにいいキャストとスタッフに巡り会えたことの幸せに感謝。
 この場を借りて、お礼を申し上げます。
 ありがとうございました!

 戦前の上海という、とっても遠い時間と場所が、演じながらどんどん身近になってきたのは、スタッフのみなさんが創り出してくれた空間で、キャストのみなさんが、まさにその時間と場所を生きてくれていたからだと思います。
 一人一人にこの場を借りてご挨拶を。

 高山奈央子さん
 最高の川島芳子でした。こんなに人間くさい彼女は、これまで彼女を描いたどんな作品にも登場しなかったでしょう。ほんとに迷惑な(稽古場では「たとえるなら『和田アキ子』と言いましたが)彼女のキャラクターが、どんどん魅力的に見えてきたのは、僕にとってはとても予想外なことでした。そして、とてもうれしかったです。劇中、二人きりの場面が二回ありましたが、そのどちらもが、僕にとっては最高に楽しい場面でした。「女優対決」をねらって描いたわけではなかったのですが、俳優としてカラダが喜んでしまう、そんな時間をいただきました。ありがとうございました!

 日下部そうさん
 「ジェラシー 夢の虜」では、村松梢風をモデルにした作家、村西敏雄、そして、「ミッシング・ハーフ」では、徴兵逃れの映写技師、大江卓哉を、生き生きと演じてくれました。
 二本同時の稽古というだけでも大変なのに、膨大なセリフをよくこなしてくれました。
 「ジェラシー」での飄々とした女好きな作家ぶり、「ミッシング・ハーフ」での若々しい一途さ。どちらもすばらしかったです。
 「ミッシング・ハーフ」の千穐楽、僕は舞台の上に一緒にいながら、とんでもない高揚感、幸福感に包まれていました。普段はできないことができてしまうのが舞台、だとは、いつも思うことですが、あの時間はまさにそんな1時間50分だったと思います。素敵な旅をご一緒できたこと、とてもうれしいです。ありがとうございました!

 加藤 裕さん
 川島芳子の愛人、田山少佐を演じてくれました。男のいやらしさ、弱さ、強さ。人物を一色で塗りつぶすのではなく、いろんな面から見たそれぞれを演じてくださいという、僕の要望にきっちり応えてくれました。セリフにも書いたように「人間として最低」なキャラクターでありながら、とっても魅力的な人物として生きてくれました。ありがとうございました。

 相楽満子さん
 川島芳子の影武者として登場する従軍記者、梅原早苗を演じてくれました。
 クロカミショウネン18「祝/弔」を見に来てくれた時に、劇場の入り口で出演をお願いした今回の舞台でした。
 「夢の虜」というサブタイトルは、劇中の人物がみんなとりつかれている思いですが、その夢におぼれて滅んでいく、切ない役を存分に演じてくれたと思います。どうもありがとうございました。

 遠藤祐生さん
 去年の「新・こころ」、そしてクロカミショウネン18「祝/弔」、暮れのgaku-GAY-kaiと、僕の芝居にずっと付き合ってもらっていますね。
 今回は、蓄音機の修理をしに来たまま、タンゴを習うという理由で、ずっとマリーさんの部屋に通ってくる健ちゃんこと、木島健太郎を演じてくれました。
 物語をずっと外側から見ているという難しい役どころ、まさしく「目という役割」ですが、ていねいに演じてくれたと思います。舞台上でたくさんの心配をさせてしまってすみませんでしたね。どうもありがとうございました。

 岡田梨那さん
 僕が演じるマリーさんの同僚のダンサー、品ちゃんこと、大槻品子役を演じてくれました。戦前の上海のダンサーという雰囲気をまさに体現してくれたと思います。
 みんなが抱えているものがとんでもなくヘビーななか、ほとんど唯一、けろっとしているキャラクター、そのくったくのなさがとてもよかったです。
 今回バラシをしながら、出演のオファーをしたのは、共演していた「祝/弔」でおなじようにバラシをしている最中だったと気がつきました。あのときは、ほとんどからみがありませんでしたが、今回、一緒に芝居ができる楽しさを存分に味わわせてもらいました。どうもありがとう!

 藤あゆみさん
 劇団劇作家の劇読みvol.1、相馬杜孝作「在り処」で演出させてもらったのが一作年。いつか、ご一緒したいと思っていたのですが、今回、出演していただけてほんとうにうれしかったです。
 マリーが住む部屋の大家、林美矯(リンメイジャオ)を演じてくれました。
 セリフは全部、中国語とカタコトの日本語という大変さというか、ハードルの高さをよくクリアしてくれたと思います。
 特に、カタコトの日本語は、中国語指導のシムも絶賛していましたが、胸に迫るものがありました。どうも、ありがとうございました!

 石関 準さん
 「ジェラシー 夢の虜」では、川島芳子の秘書兼小間使いの千鶴子を、そして、「ミッシング・ハーフ」では、裏方の仕事が大変のこの芝居をささえてくれました。
 川島芳子をフライングステージが取り上げるからには、セクシュアリティの面からのアプローチが必要だと考えました。でも、川島芳子について調べれば調べるほど、セクシュアリティのゆらぎよりも、人生を演じてしまう、もてあそんでしまう、彼女のキャラクターに惹かれました。
 でも、今回、ごくごく普通の地味な女性をあえて演じてもらうことで、フライングステージらしさ、性のゆらぎのようなものが舞台上に生まれたのではないかと思っています。(僕が、演じているマリーさんも、同様ですが、彼女は設定からしてめちゃくちゃなことになっているので・・)。
 お疲れ様でした。

 岸本啓孝さん
 劇団員になってから初の本公演。田山少佐を密かに慕う部下、山本和人を演じてくれました。
 タイトルの「ジェラシー」というのは、タンゴの名曲からとったものですが、劇中に登場する人物が感じる「ジェラシー」の一番、シンプルな形をまっすぐに演じてくれたと思います。
 今回の舞台では、戦前の軍隊での同性愛的な感情というものを、なんとか舞台上にあげてみたかったのですが、本人でも自覚していないかも感情がどんどん明らかになってくる過程がとてもおもしろかったです。お疲れ様でした。

 大門伍朗さん
 「ミッシング・ハーフ」での四役の早変わり。初演以来の、マリーさんの召使い、宦官の手術人、歌舞伎役者四世沢村源之助、陸軍大将甘粕正彦。こんな四役を演じられるのは、大門さんしかいないと、今回、あらためて思いました。
 特に、沢村源之助の楽屋の場面、僕にとってはこの芝居でしか使ったことのない七五調のセリフまわしに、よく付き合ってくださいました。
 劇中、手を握ったり、肩を抱いたり、近い距離で話したりするシーンが何度かあるのですが、そのたびとっても近い距離で見る、大門さんの目から、暖かい力をたくさんいただいているのをかんじました。どうもありがとうございました!


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