せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2008年12月24日(水) イブの猫

 「ジェラシー 夢の虜」の稽古。中央総武線が止まったりして、ばたばたと開始。中国語のセリフにあたふたしながら、新しい発見もいろいろ。くわしくは、稽古日記をご覧下さい(携帯も可)。
 終了後、2丁目のタックスノットへ寄り、中国語指導のシムと話す。今後の予定、そして、芝居についていろいろ。
 佐野眞一の「阿片王」という、今回とても参考になった本を教えてくれたマサキさん、お久しぶりなミヤシタさんと上海のこと、僕が思う川島芳子について、あれこれおしゃべり。あまり遅くならずにお先に失礼してくる。
 部屋に戻って、ベランダに出しておいた猫エサ用の小皿を手に取る。それほど寒くない今夜も瀬戸物の小皿はひんやりと冷たい。
 サッシを開けたまま、キッチンでキャットフードを皿に入れる。
 と、ベランダに猫たちがやって来た。
 おお、待ってたのか、となんだかうれしい。
 人見知りしない黒いの(しっぽが短い)とおっかなびっくりのキジ虎の二匹。
 キャットフードをベランダに置くと、わしわしと食べ始めた。
 先週末から、少しずつ距離が近くなったようで、サッシを開けたままずっと眺めていても逃げないようになった。
 きれいに食べ終えたところで、キジ虎は帰って行ったのだけれど、黒いのがそのまま座って懐手をしている(猫が両手を内側にたたんですわっているポーズ)。
 なんだろう? こんなの初めてだ。帰りがたいってかんじ?
 思いついて、部屋の真ん中にキャットフードを新たに少し置いてみた。まあ、ダメもとで。
 そしたら、立ち上がって部屋に入ってきたじゃないか! びっくり。
 物怖じするでもなく、普通に上がり込んで、またかりかり食べ始めた。
 で、食べ終えるとソファのにおいをくんくん嗅いで、そいじゃ!とでも言いたげなふうで出て行った。
 外に出ても、いつものように自転車置き場の屋根をのしのし音をたてて帰るでもなく、ベランダの向こう側に座ってこっちを見ている。
 こうなると、窓は閉めにくい。15分ほど、閉めては開けてまだいるのを確認ということをなんとなく繰り返しているうちに、いつしかいなくなっていた。
 イブの夜に、なんだか不思議な交流をした気分。サンタは来なかったけど、猫が来たなあと思ったりする。
 写真は、やってきた2匹。相変わらず暗い。そして、築35年のマンションのおんぼろさが露呈してる(笑)。

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2008年12月23日(火) 浅草

 浅草公会堂へ春謡妙左京こと石関準くんが出演の舞踊会「春謡会」を見に行く。
 ぜひ見たいと思っていた春謡妙左さんの「屋敷娘」は仕事の都合で間に合わず。終演後、楽屋口で艶やかな娘姿にご挨拶する。
 遠藤くんと合流して、妙左京さんの出し物「幻お七」を見る。
 八百屋お七のお話を、羽子板を見ながらお七と吉三の物語の思いをはせる娘の夢物語として描いた、清元の踊り。
 初めは、舞台にこたつがある娘姿、そこに吉三が登場。後半は、櫓のお七の場面そのままに、雪景色の中の恋に狂うお七の姿に。
 満員のお客様に愛されているなあというのがわかる、しっとりしたいい時間。
 いいものを見せてもらった。
 終演後、楽屋口で挨拶。三枝嬢、もっちゃん、宇田くん、久しぶりの岩瀬あき子ちゃんと一緒に。
 その後、ゲスト出演の中村京妙さんによる「おりき」。樋口一葉の「にごりえ」のおりきの踊り。
 新開地の銘酒屋の女の自堕落なかんじ、ふと別れた男を思うしんとした時間、曲に乗った息と体がすばらしかった。役者の踊りとはこういうものなんだと感動する。
 その後、フィナーレまでを拝見して、失礼する。
 三枝嬢のリクエストで、浅草で古くからある「蛸最中」を買いにもっちゃんと三人で行く。田原町の交差点の古びた店。僕はばら売りの蛸最中と栗最中を一つずつ。かばんに入れようとしたら、「壊れるから気をつけて」と、店のおばあちゃんに言われ、ビニール袋で大事に持って帰ることにする。
 その後、劇団劇作家の合評会に。今回も、おもしろい作品が登場。芝居について話すことは、自分の芝居との向き合い方を考えさせられるいい機会。稽古真っ最中の今はなおさら。
 終了後、軽く飲みに行くというみんなと別れて帰ってくる。僕は僕の芝居と向き合うために。
 お茶と一緒に食べた最中は、ほどよい甘さと、餡の湿気に負けないぱりっとした皮がとてもおいしかった。
 浅草という街は、ある意味地元なのだけれど、この頃は、ふと立ち寄ってしまう身近な街だ。
 クリスマスの飾り付けはほとんどなく、町中がもうお正月仕様。
 ここは一年中がお正月のような街なのかもしれないなあと思った。



2008年12月22日(月) 秘伝豆

 とても暖かい日。暖房を入れずに、それでもちっとも寒くない明け方。
 よし!と決心して、出がけに洗濯をする。なんとなくためてしまっていた玄関マットや何かも一気に。
 午後から急に寒くなり、雨が降り出す。あーあ、台無し・・・。
 「ジェラシー 夢の虜」稽古。
 稽古場のドアを開けたり閉めたり、がちゃがちゃする子供たちを「コラーッ」と大声で怒鳴り、一人泣かしてしまう。くわしくは「稽古場日記」をご覧ください(携帯からも可)。
 この頃毎日、豆を煮て食べている。大豆やひよこ豆や小豆を一晩水につけて、圧力鍋で約8分。そのまま食べたり、スープに入れたり(これが一番多い)。
 友人から「秘伝豆」というのをもらった。
 山形県の西村山の産。母親のふるさとだ。
 山形は、濃厚な味の枝豆「だだちゃ豆」で有名だが、これはほぼそいつを保存用にしたものらしい。
 説明書きの通り、一晩水につけて、塩水でゆでて、食べてみた。
 「あまりやわらかくならないうちに鍋からあげて冷まします」とあったので、そのとおりに。
 うん、これは完全に枝豆の味。しかもとても濃い。
 僕の母親は、正月料理として、いつも「ひたし豆」を作るのだけれど、これで作ったらかなりいいんじゃないだろうか。
 当たり前に食べていたひたし豆だけれど、郷土料理だったのかもしれない。
 スーパーでも売っていたりするそうだ。今度、探してみようと思う。

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2008年12月17日(水) 富士見丘小学校演劇授業

 先週に続いてのオーディション。
 劇中に登場する「火星人」の希望者がいなかったので、今日は「火星人」の場面をみんなにやってみてもらう。
 卒業公演で「火星人」役というのは、みんなやっぱり微妙だったのだろう。でも、とってもいい役なんだけど。
 今週の月曜日に、クラス事で火星人の役をみんなでやってみるという授業をやってくれたそうだ。
 火星人らしいしゃべり方を工夫した人を見たり、また自分でも演じてみるうちに、とてもいい役だとみんな再認識したようだ。
 これは別に無理矢理なことではなくて、ちゃんと読んで演じてみれば、どの役もみんな演じがいのあるいい役だということに気づいてもらえたのだと思う。
 今日は授業の初めに、まず声を出すウォームアップ。
 雨の日の三時間目は20分休みも外に出られないから、ストレッチをしながら、吐く息をいろいろな音にしてみる。
 つづいて、火星人のオーディション。全員が演じてみているので、今日は希望者プラス、こちらからお願いしたいという人たちを馬場先生に指名してもらう。
 みんなそれぞれの工夫がおもしろい。いかにもな火星人キャラ、なぜか外国人のようなしゃべり方になっている人、抑揚のあるなし、声の高低、自分はこうやるという意欲がさまざま感じられた。
 10分ほど休憩をもらって、先生方と最終のキャスティングについての打ち合わせ。
 その後、発表。ドキドキするのは、子供たちだけじゃなく、ぼくらも一緒だ。
 それから、決まったばかりのキャストで、全編を読んでみる。
 大きな輪になって腰を下ろして。
 約50分。なかなかの長丁場をみんないい集中で乗り切ったと思う。
 自分の出番をうっかり忘れてしまったりしたときの他の子「どうしたの?」という無言の圧力orチェックが感じられる。みんなでつくってるんだというかんじが、自然に生まれているのだと思う。
 最後にフィードバック。大人が感想を言う前に、子供たちから感想と意見を言ってもらう。
 さまざまな感想、そして、こういうふうにがんばりたいという意見がいっぱい。自分のせりふをおぼえるだけじゃなく、自分の前の人のせりふもちゃんとおぼえないととか、役の気持ちを考えるとか、その他いろいろの大人があとで言いそうなことが、子供たちの中から生まれてくる。
 これをやってくださいと言われてやるより、まず自分で何をしなくてはいけないか考えて、そのことをがんばることの方が、ずっといいはずだ。とてもうれしい。
 今日で年内の授業はおしまい。次は1月になってからだ。僕からは、誰に対してしゃべっているセリフなのかを考えておいてくださいという宿題を出しておく。
 さあ、お正月休みの間に、6年生たちはどんながんばりを見せてくれるだろう。楽しみだ。


2008年12月16日(火) 美術打ち合わせと猫

 夜、新宿で、美術の小池れいさんと打ち合わせ。樺澤氏、坂田さんと一緒に。
 ミッシング・ハーフ、初演のデザインをどう活かすか。
 予算の問題や、駅前劇場の寸法のことなどを考え、今回はこれで・・・という線が見えてきた。
 帰り、三丁目の交差点で交通事故。タクシーが大破していた。交差点の真ん中のありえない場所。
 家に戻って、ベランダの猫にえさをやろうとしたら、キジトラの猫が顔を出した。
 時折、2階の廊下で会うやつだ。
 毎晩来る、黒猫とは違うのだけれど、まあ、いいかと小皿にエサをのせて置いて、しばらく様子を見てみた。
 まっすぐこっちを見たまま、近寄ってこない。写真を撮ってみる。
 エサの載った皿を差し出したら、「フーッ」とうなった。あれれ。
 それでもいいやともう少し手を伸ばしたら、逃げて行ってしまった。
 夜中、なんとなく気配を感じて、窓を開けたら、(たぶん)いつもの黒猫がいた。
 エサをかりかり食べている様子を初めて見る。
 写真は失敗。夜の黒猫はむずかしい。逃げていく後ろ姿に肉球だけが鮮明に。


2008年12月15日(月) タンゴ

 「修学旅行」の旅の途中のみっちゃんこと相楽満子さんが来てくれる。顔合わせ以来。
 このところ連日やっているお互いの距離を近くするウォームアップを今日も。
 その後、台本の冒頭部分をさらっと読んでみて、予告していたタンゴの練習。
 実際の振付は、清水美弥子さんにお願いするのだけれど、練習用のDVDをみんなで見ながら、基本のステップを2つ。
 1人ではなかなかわからないところも、向き合って2人一緒に踊るとああこうかとわかってきたりするのがおもしろい。
 他のダンスと違って、2人で踊るものなんだなあというのが、今日の発見。
 タンゴは今日が初めてというキャストのみんな(遠藤君は以前、ワークショップで少し踊ったことがあると後で気がついたそう)は、さすが役者だけあって、相手がいてこそというタンゴが、するっとできるようになってしまった。それもまたおもしろいと思う。
 役者は顔で踊るというのが、ダンサーではない役者の踊りへの向き合い方の一つだと思うけれど、相手がいてこそ、というダンスも、また役者ならではのものになるのではないかと思った。


2008年12月14日(日) ワークショップ3日目

 昼間、ゴールドスミスワークショップの最終日。
 持ち寄った雑誌の写真を切り抜いて、コラージュをつくってみる。
 気になる写真を1枚、もう1枚、そして気になる言葉を1つ。そして、そこからイメージされる言葉を書き出してみる。つづいて、写真をプラスして、一つの作品をつくる。僕が気になって切り抜いたのはギュスターブ・モローの「出現」と、サッカーの試合中の選手たち、そして言葉は「記憶を掬う匙」というもの。そこから、光りと闇、時間といったイメージが生まれた。昨日の老人ホームでインタビューをするというエクササイズが僕の中に何かを残していたのだと思う。
 つづいて参加者それぞれがどんな現場でどんな仕事をしているかをお互いに共有した。
 壁に貼った、それぞれが持ち寄った写真について、ただの紹介ではなく、写真の中の人物として語るというエクササイズ。
 前回、前々回と参加しているけれど、こんなふうに、他の人の仕事について知ることが出来たのは初めて。とても興味深かった。
 いろいろなエクササイズをしながら、見えてくるのは、自分が何者なのかということだ。
 僕が、大切にしたいと思うことは何なのか。
 最後のエクササイズ。内戦で橋が落とされた東ヨーロッパの街でのワークショップを再現してみる。
 見えない川にかかる一本のつなをわたっていくというもの。一人ずつ、それぞれのやり方で全員。
 つづいて、今度は同時に2人が両端から渡り始める。さあ、どうする?
 正しい答えはどこにもなく、渡り始めてもどうしたらいいか、まだ悩んでしまう。それでも、渡り始める瞬間。
 僕は、長い棒を横にもってやじろべえのようにバランスをとっているシゲコさんとむきあった(僕は、軽業師のように傘を持ってバランスをとってた)。向き合って、傘を捨て、彼女が棒を持つ手に僕の手を重ねて、二人で一緒にバランスをとって、そのままくるっと180度回ってすれちがうことに成功した。
 いろんな人がいろんな方法を見つけていくなか、僕は助け合うという方法を選んだということがおもしろかった。
 内乱の続く街では、やや甘い、成立しない方法かもしれない。でも、僕は、緊張感の中、そんな方法を選ぶのだということ。
 見えない川とロープ、そしてとんでもない緊張感を、全員が感じながら、全員でつくった輪の中をまっすぐに歩いていく2人を全員でどきどきしながら見守った。
 落ちないように、うまくいくようにと。
 見えない川とロープは、その時、僕たちを強くむすびつけてくれていたと思う。
 演劇のおもしろさ、つよさを、たしかに感じた瞬間だった。
 3年計画のロイヤルナショナルシアターとロンドン大学ゴールドスミス分校のワークショップは、今日でおしまい。
 一回目から、実はその前の演技のクラスでもお世話になったクリッシー・テイラーさんとも今日でお別れ。とってもタフな人だと思っていた彼女が、最後の挨拶で涙ぐんでいた。
 ほんとうにいい時間をすごさせてもらったと思う。感謝してもしきれない思いだ。
 リチャードが参加者のブログをつくってくれた。そこで今回の参加者はまた出会い、情報を共有することができる。
 まずはさよならだけれども、また、やあひさしぶりと言って会えそうな仲間たちと知り合えたことに感謝。僕も、自分の仕事をしっかり続けていきたいと思う。

 夜は「ジェラシー 夢の虜」稽古。ウォームアップのあと、場面をつくるエクササイズ。
 今日は、キャラクターを設定してもらう。劇中に登場するキャラのベースと同じ要素を持っていたり、一人称をいろいろにしてもらったり。
 「僕」の高山さんに「あたし」の日下部くんが活躍するプールサイドの場面がにぎやかにおもしろかった。
 稽古場の予約をうっかりしていて、今日は早く上がることになる。早めの時間、長い夜を川島芳子と過ごした。朝まで。


2008年12月07日(日) 顔合わせ

 夜、「ジェラシー 夢の虜」の顔合わせ。
 「ミッシング・ハーフ」のみ出演の大門伍朗さんを除く全員が集まった。
 僕だけが全員を知っている状況なので、まずは紹介を。
 それにしても、こんなに色とりどりの個性を持つ俳優さんたちに集まってもらえて、顔ぶれを見ているだけで、うれしくなってしまう。
 その後、新作の世界についての説明、それぞれ演じてもらう人物の紹介。イメージしていた劇中の人物と、演じてくれる俳優さんたちがいいかんじに重なって、頭の中のキャラクターがより生き生きとしてくる。
 制作からの連絡事項のあと、再演なので、とにかく台本が全部ある「ミッシング・ハーフ」を読んでみる。僕と日下部さんと大門さんの代役でフライングステージのマミィこと石関くんで。
 初演から約20ヶ月。稽古の時も読み合わせを通してしたことはないので、初めて全編の読み合わせをした。
 再演の舞台の稽古初日にいつも思う、「こんなにしゃべるんだ・・・」という思いが今回も。でも、今回、ほぼ出ずっぱりしゃべりっぱなしなので、そんなことを考える間もなく、自分の中から言葉と思いを紡いでいく。
 1時間20分ほどで終了。読みだけなので、こんな時間だろう。
 初めて読んでもらった日下部さんとのその場のやりとりが、とてもおもしろい。
 読み合わせなのに、ライブな駆け引きを楽しませてもらう。
 終了後、制作の樺澤氏に、「同じ音が出てるね」と言ってもらい、ほっとする。
 初演でやったことをなぞったつもりはないけれど、読んでいくなか、気持ちの流れが蘇ってきていた。
 ほんとうにひさしぶりに全編を生きてみて感じたこと、分かったことを大事にして、新しい「ミッシング・ハーフ」を作り上げていきたいと思う。
 終了後、居酒屋に流れて、初めましての乾杯。直接、間接の知り合いがそれぞれ多い座組なので、わいわいと楽しく盛り上がる。
 家の方向が近い、岡田梨那ちゃんと一足お先に失礼して帰ってくる。
 さあ、始まった。
 新しく入手した川島芳子関係の資料を、また読み始めた。


2008年12月06日(土) 川島芳子

 テレビ朝日で「男装の麗人」がドラマ化されていたのを見る。
 原作は村松友視。川島芳子の半生を彼女が語るままに描いた「男装の麗人」は、彼のおじいさん、村松梢風の手によるものだ。
 祖父の川島芳子との関係をさぐる手つきの村松友視の「男装の麗人」より、村松梢風が描いた、どこまでほんとかわからない「男装の麗人」の方が、お話しとしてはおもしろい。
 川島芳子の生いたち、そして、女スパイとしての活躍が、まさに「おもしろく」描かれている。
 おもしろいといえば、最初に登場する川島芳子は、「痔」で苦しんでいたりもする。
 ドラマは、彼女の一生をきっちり描いていた。
 一生を描くとまあ、こうなるんだよねという構成。
 清国の第十四王女として生まれながら、日本人の大陸浪人の養女になり、清国の復辟を願いながら、女スパイとして活躍し、ラストエンペラー溥儀の妻の天津からの脱出に関わり、第一次上海事変を陸軍少佐田中隆吉とともに引き起こす。
 村松梢風の「男装の麗人」が描かれるのは、このタイミングだ。
 1932年、村松梢風は、川島芳子と2ヶ月間ともに暮らし、彼女が語る「半生」を小説にした。
 だから、梢風の「男装の麗人」には、その後の人生は描かれない。
 男装の麗人として脚光を浴びるが、それが軍部の邪魔になり、命を狙われ、また、伊藤ハンニとつきあい、天津に食堂を開き、終戦とともに、逮捕されて、処刑されるまでの後半生は。
 若き日の川島芳子を演じたのは黒木メイサ、そして、終戦後から処刑されるまでの晩年を演じたのは真矢みき。
 真矢みきの男装ぶりは、さすがに板についていて、すばらしかった。
 「わたしはいったい何者なのだ」という問を終生かかえていた芳子が、処刑の寸前に「わたしはわたしだ」とつぶやき終わるというのは、それなりな終わり方だとは思うが、今ひとつぴんとこない。
 僕は、川島芳子は「自分は何者なのだ」という問いはしなかったんじゃないかと思う。自分は男でもあり、女でもあり、中国人でもあり、日本人でもある。そんな自分を、一人分の人生の何人前も行ききった人じゃないかと。死の直前に思うのは、「私は私」という確信ではなく、反対に「私は何者なのだ?」という問いかけじゃなかったろうかと思う。
 「ジェラシー」の中の彼女の生き方、その全部を見せてもらい、あらためて、僕は僕の目と手で描き直してみようと思った。


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