今迄。そしてこれから。



 マネマネマネ



地元から来た友人と二人で映画をみました。
MANMA MIA!

・・・なんか、女であることを楽しくさせるような
もうどうにでも生きていけるような
超絶にポジティブになれる気がしました。

落ち込んだときはこのDVDを見ればいいと思う、うん。

なんて自然
なんて自由

グリークに生まれたらまた違う感覚だったのかな?って思ってしまうくらい笑
開放感でした。

なんかすっきりした。


明日面接の友人は、「なんだか私が主役な気分でやっていける」
と言っていました。

うん、
大丈夫。

世の中広い。




2009年02月22日(日)



 面倒とかいわないけど!

奇跡的なくらい(つまり非日常的なという解釈で)胃のあたりが痛いです。
息苦しいです。

精神的なものなのか、物理的なものなのか、その両方なのかよくわかんないですが
がらにもなくメールを続けてしまった上、夜ご飯を食べていないことが原因だと思われます。

あ、夕方に食べたからタイミング失っただけなんだけどね。



あー息苦しい、苦しい。
わずらいか?わずらいなのか。
でもそんなわずらっている余裕私にはないはずなんだけど。

キャパがただでさえ狭い中に、勉強だとか生き方だとか今後とかでいっぱいなのに、
その領域も出てきたら容量超えてフリーズですよ。

別に、みんなに優しいの知ってるし、ちょっとは心許してくれてるとは思ってるし
でもまだわかんない所たくさんあるし。
自分で自分がそんな事してる場合でもないってのもわかるし。
ああーもう。


月日が経つのが早すぎ。
無駄に動揺してしまいます、内定の知らせとかもらったら
超落ち込むんだろーなーやだなー

しゅん。


だからノートに色々書き出してみました。
私は私のできることを精一杯やることっていう、頭ではわかってるけど
どうしてももやもやしてしまう私に、目からも情報を入れるために。
ちょっとは落ち着くんだろうか?

*


苦しい時の対処法は、未来の自分から今の自分を見てみること。
それは20年来変わらない私の防御法。


*

人生だとか自分のことだとかはわかるのに!!
どうにでもしようと思えるのに!
どうにもわからない複雑怪奇なコト。
なんでメールに一喜一憂恐る恐るしなきゃいけないんだ!

待ってる自分に気づくといらいらする!

*


でも検索してて、ちょっといい言葉見つけました。
「仕事などに支障が出るようなら、意思で克服してください」

……なんと、目からうろこ。
その通りですな。



2009年02月14日(土)



 就職をする活動


M川さんが音信不通・・・・・。
大丈夫でしょうか。
いきなり倒れたりしてないか、ちょっと心配です。

I倉も心配していたようで。
明日誕生日だし、今日中に連絡なかったら、お宅訪問しようかな。



「就職活動」って、ようはなんだ?
とか、一瞬考えたりします。
そして次の瞬間には考えることはくだらないかもとも思います。

なぜなら、仕事に対する価値観、人生観が人によって違うと思うから。
人によって、「就職活動」は受け方が違うんじゃないかな。

*

倫理トレーニングの講座を受けていると、会話をしていても
それを頭が図式化してたりします。
もしくは、論理的に整理していたり、逆に聞きながら心のなかで反論できる点を指摘してみたり。
別に会話の中で唐突に、「いや君それはね・・・」みたいに
御手洗さん的に話はしませんよ?
あくまでも心の中で、です。

そうやって世の中を切ってみてみるのも、楽しいなぁなんて思ってしまいました。

論理的って、聞くとつめたい印象かもしれないけど、
何かをどうにかしたい、って思うことは感情
どうにかするための手立てが論理、
だと私は思います。

大切なのは、温かな心と冷静な頭。
なーんて、生意気ですね。

*




2009年02月11日(水)



 

ガザの話とか聞いて、3キロ地点での生活を目の当たりにしている友人がいて。

「みんなでご飯食べてふつーに仕事に行きました。
すごく変な感じだった。
戦争してるけど 同時に 生活してるんだよね ってか生活が第一優先
午後も2回爆弾の音きいたけど、みんなもうまたかぁって感じで
誰も気にしない。
イスラエルの人たちは戦争について話すのも 考えるのも 非難されるのも
すべてに疲弊してるんだなって感じます」


という言葉にはっとした。
なんか、私はなにしてるんだろう?って思ってしまった。


もっと色々みたいもっと色々触れたい知り合いたい。
なんて、
もっと。なんて、とても曖昧な言葉。

留学したいって思ってたくせに、実行もできてない。
私はなにを学んできたんだろう?

そう考える。

きっと、いつだったか
今は走っている最中だから考えちゃだめだ。
でも、もうちょっとしたら、考えよう。
って思ってた時期があった。

でも、それは誤りだ。
「いつか」は来ない。

気づいたらこまめに掃除することが、大掃除の秘訣と同じように。
気づいたときに、「いま」やらなくちゃ「いつか」は永遠に来ないんだ。


幸いなのは、
「なにしてきたんだろう?」と考えたときに、
してきたことがあること。
してきたこと故に学んだことがあること。
意外と、まだ3年間だということ。
そして、まだまだと思っていると気づけたこと。
世界は広い。
人も多い。
問題は山積み。
体は一つ。
でも、脳内は無限。


世の中はきっと面白い。
その「きっと」の中身を、一つ一つでも具体的にしたい。


*

昨日、Kな子がうちにきて面接に今朝出発。健闘を祈る!
ゆんたくは楽しかった。
伊江島の民泊の話は特に!
そういうの、面白いって思えるようになったのは、このゼミがあったからね。

そう思える自分が幸せだと思った。


一方で、なんだか泣きたい気分になったのも昨日だった。
TY経済のESを取り合えず出そうと、K子に留守番をお願いしぎりっぎりに電車に乗り込んだ。
締め切り10分前に駆け込み提出。(I倉の分も)

そのいく途中、ここの日記が携帯からでも閲覧可能なことを知る。
グーぐるってすげぇなとか思いつつ、数年前の日記を見ていた。
私には数年前の同じ月日に何をしていたか?をいちいち確認するくせがある。
それがなぜか?なんてややっこしい事は考えないが、気になるから気になるのだ。

自分がどの地点にいるか、気になるんだと思う。


そんで、思わず泣きそうになった日記があった。
なんてことはないんだけど・・・・・。


2003年の2月の日記で、

>いらいらしてしまったのは。
>周囲の想いが疎ましかったから。
>特別視されるのはいけないことではないのかもしれないけれど、
>別に私は万能なわけじゃない。
>今の自分は過去の自分の努力が実って出来ている。
>最初から、問題が解けてた訳じゃ無い。
>最初から、得意だった訳じゃ無い。
>私が今の私を手に入れるのに、へらへらと遊んでいただけだと
>そう思っているのなら勘違いも甚だしい。
>そう思われてるのだと思うと哀しい。
>それなりの代償はとられたし、その分頑張ってきた。
>なんの苦労や苦痛もなく道を歩んで来た訳じゃ無いのに。
>どうしてそんな先天的な言葉で片付けてしまうの。

2003年だから、今から6年前。
きっと中学3年の受験時期の日記だと思う。
だいたい、この日記自体「日記」というよりは、
流れていく時間が怖くて消えていく記憶や感情が怖くて
「記録」するための媒体なんだけど。
それ故に、支離滅裂だったり私しかわかんない、むしろ未来の私ならわからなくなるような文も多い。

だから、こんな文章書いてたことも私は忘れてた。




ああ、昔からがんばってたんだな。

って、思った。
なんか、私っぽい。

Kな子に、「MさえもSにするドMだよね」って昨日言われたけど。

なんか、笑えてきた。


未来は、明日は、きっと明るい。
私が前を向いてさえいれば。


*



まだ二十歳。

勝負のときまであと10年。


*


気づいた。
結局、私にとっての恐怖は、「空白の時間」なのだと。

何かの意味を常に見つけようとして、手にいれようともがいてる。
不安がりの、小心者の、小学生からかわってない。

*

2009年02月10日(火)



 Dariln'

苦しいことは、わかっている。

「息苦しい」という感情と
「清清しい」という感情。

普段、私は驚くほど前向きなので、「清清しい」
と感じることは多い。
それはふと一人夜道を歩いていて
「ああ、月が美しい」
と一人ごちた瞬間から、もう明日は明るい気がする。

もしくは、書店で出会った雑誌に影響されて
海を隔てた陸に思いをはせてみる瞬間だったり、
帰路に流れる、夕暮れ時の煮物のにおいだったりする。


私は何でもやれる。

そう思っている、そう思っていた10代。
きっとなんでもできる。
でも、その「なんでも」がなんなのかわからない20代。

ココは、刺激的といえば刺激的なのかもしれないけれど、
情報が多すぎる。
現状を結果と受け取る場合に、結果の原因を環境に求めることほど
さびしいことはない。
だから、それはすべて私の選択なのだと思い出す。
「私の選択」をするには「私の考え」が必要だと、私は思っている。
考えることを放棄した瞬間に、なだれのように舞い込む情報。

それがこわい。


その日によって未来への希望が変わる自分。
結局は、自分に投資したがりの女の子。

*


海外に留学して、勉強して、海で泳いで、笑って、
勉強して、仕事して、恋して、人の役に立って、
恩返しして、母と買い物して、妹と遊んで、
父とお酒を飲んで、姉と旅行に行って、祖母と昔話をする。


なにが悪いのさ。

普遍的な価値を守る職業につけば、普遍的な価値を自分が享受する可能性は低い、と私は思う。
それだけの、厳しい現実。

結局選択は自分にゆだねられるもの。
実存主義をとるならば、人間の形成は「自己」が積み上げていくもの。
だから、人は自由。
自由が故の苦しさをともない、生きていくんだ。

*




2009年02月09日(月)
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