ボクは空に恋をした..もえ

* * * * * *
2006年10月27日(金)
つかれた

なんもかもいやになる




どこかとおくへいきたいな

だーれもいない

だーれもしらない

とおいとおいとこ




なんにもかんがえないでいいばしょで

ずーーーっとねむりつづけたい







* * * なんとかなるさ * * *
2006年10月24日(火)
今日父の主治医のDrから 簡単な説明を受けた。

今の病院の検査技師の方が 大学病院まで赴いてくださり
検査表とか検討してもらった結果
型まではまだはっきりしてないけれど
父も白血病の疑いは確実になってきた。

けれど 今の大学病院の体制では
骨髄移植適応とかの場合でない限り
入院治療はできないとのこと。

外来受診でどうかとの 
大学病院側からの打診はあったらしいけれど
今の父の病状や体力的な事情から
それは厳しいだろうとの
Drの判断で まだ白血病に対しての治療方針は
進まないのだと言われた。
病院同士の繋がりとか軋轢とか
いろいろあるのだなーと思った。

差し当たって白血病の病状より
今は肝硬変 すい臓の肥大のほうが優先だと言うことで
転院の可能性は先送りで
今後の様子次第で 
大学病院のほうに罹ることになる可能性もあるけど。

肝臓の方の回復がかなり深刻なようなので
白血病の治療は後回しになる模様。

まぁそれだけ白血病のほうは 緊急を要するほどではないと思うので
少し安堵した気持ちも正直ある。

まだ萌の年齢 立場を考慮して
はっきりとした病状を話してくれないのだろうかという懸念も
捨て切れはしないけれど
現状 萌しか父に関わることは出来ないのだけれど。。。


楽観的に考えれば そこまで切迫した状態ではないのだと
思いたい。
命に関わるほどの重篤な状態であれば
萌に対してだって 詳しい病状は知らせてくれると思う。。。


気難しくて頑固な父の世話をするのは楽ではないけれど
また明日来るねとの言葉には 素直に頷くので
余程体調が悪い時以外は
もう少し頑張って 毎日顔はださなければ。。。


まだ先週土曜に入院したばかりだけれど
一度もお見舞いは欠かしてない。

今日は自分の予約日でもあったので
昼間も顔を出したけれど
肝心の主治医が夕方まで戻られないことと
外来診療の日ではなかったせいもあり
昨日は説明がなかったので 月曜か火曜といわれてたのもあり
一旦家に帰って また夕方に赴いた。


今は気が張っているので
毎日のお見舞いは頑張れているのだけど
片道十数キロ 時間にして30分以上かかる病院の往復は
ちょっと堪える。。。

だけど姉は仕事があり 母は自力歩行すら介助がないと厳しい現状
萌が動くしかない。。。



また元気になって 帰ってきてくれることを
今はひたすら祈るばかり。



認知症に加え 持病の糖尿病
頭の中にいつ裂けるかも知れない血管腫が無数にある母
こんな母を残して 父に先立たれることなんてあれば
もう家の家族はどうなるかもわからない。


いつになれば平穏な生活がくるんだろう。。。











* * * 疲れたなぁ * * *
2006年10月21日(土)
父 今日から入院


前回の検査の結果で 今わかってることは
B型でもC型でもないけど
アルコール性肝炎 いわゆる肝硬変らしい


それと。。。
来週火曜か水曜あたりに大学病院に
紹介状出してもらう予定だけれど
やっぱりガン体質の家系は遺伝があるらしいと
きいたことがあるけど
そういう特異な病気は遺伝しやすいのかな。。。と思った。

普通にはでてこない骨髄の物質が
血小板の中にでてきてるらしく
白血病の疑いもあると言われた。

今のDrの大学の後輩にあたる先生が
今 大学病院の血液内科におられるそうで
来週にはもしかしたら そっちに転院になるかもしれない。


思えば自分の時もそうだった。
専門のDrがおられるとのことで
紹介状を出されて はっきりとした病名が知らされたのは
大学病院に行ってからだった。

父がまだ学生の頃
父の2番目のお兄さんが やはり若くして血液の病気で亡くなってるのは
以前聞いたことがある。

当時と今では医学の進歩も違うけれど
萌自身のこの病気は
やっぱり父方の血のせいなのかも。。。と思った。


でも まだ父が白血病だと診断されたわけではないし
実際自分は今普通とは言えないまでも
こうして発病してからもう6年 生きてる。
だから父の病気に関しても それほど切迫感は感じていないし
Drがあまりにサラリというものだから
白血病という言葉に対しての反応は薄かったと思う。

C型やB型肝炎からの肝硬変だと言われたら
もっと危機感を感じたかも知れないけれど。


一緒に行くと言ってきかない母を連れて
父に付き添うのがちょっときつかった。
母の世話は萌にしか出来ない部分があるので。。。


父が病室で遅い昼食を摂るのを見届けてから
姉のクルマで母を連れて食事に行き
母をなだめてホームに送り
父の身の回りの物を買い
再び父のいる病院


来週 大学病院での検査結果で
そっちに転院となったら またお見舞いに通うのが大変になる。

寝込んでる暇なんてない。。。

どこまで持つんだろうか。。。この身体。




* * * た〜らこ〜た〜らこ〜 * * *
2006年10月20日(金)
一日何度も耳にするたらこの歌

歌ってる女の子のコンビ可愛い


桜塚やっくんとあゆが被って見えるとゆーねーちゃんの感覚が
おかしいと思ってたけど
んーーーー
なんかわからなくもない

視覚がおかしくなってきてるぽい



最近疲れがとれない

病院から帰ってきた午後は
必ずといっていいほど 昼間のお薬飲むと寝てしまう

ついでにまた偏頭痛がちらほら


偏頭痛といえば 偏頭痛持ちのTも
そろそろ毎年恒例の偏頭痛が起き始める時期かも



父が入院したら 少しは日常のお出かけ減って
負担軽くなるのかな

けど心配の方が正直大きいかも

最近またいろいろ情緒不安定



介護とか偉そうなことは言えないけど
時々連れ出す母の補助すら 体力的にも精神的にも
かなり負担が増えてきてる

身体が思うように動いてくれなくて
自分の時間も有効に使えない


愚痴ばっかだなぁ


明日 入院手続きと共に 多分父の詳しい検査結果でるはず

まぁ精密検査は入院してから後になるんだろうけど。






* * * やっぱり * * *
2006年10月19日(木)
土曜から 父が入院することになった。

母がホーム生活で
萌自身のことも気遣って
入院の打診は躊躇してた父だったけれど
Drに説得されたのと
手遅れにならないうちに 治して欲しいとお願いして
自分自身の身体も やっぱりかなりきつかったんだろうと思う。

毎日の通院で1時間半にわたる点滴も
かなり父にも付き添う萌にも負担かかってたし。


土曜にはおおよその入院期間も知らされるだろうけど
早めに良くなってほしいと思う。


今年の12月には 兄の七回忌法要もあることだし
母がこんなな今 父がいてくれないとなにも出来ない。



なんでこう次々続くのか。。。

父の食管理をちゃんとしてあげられなかった萌にも
責任を感じる部分は大きい。


まだ詳しい検査の結果は知らされてないけれど
大変な病気でないことを願うばかり。






* * * ばか * * *
2006年10月17日(火)
昨日確かに日記書いたはずなのに〜
と思ったら
案の定また西暦間違えた

2006年になってなきゃいけないとこ
2003年とか なに

テンキーで押したので
きっと6と3を押し間違えたに違いない


で 昨日分で書いたのをコピペ

意味ないけど いちおコピペ




10月16日分


なんか気分はスッキリ

病院は怖いけど しょーがないしね。


今日はねーちゃんが付き添ってくれるので
心持楽かなー


12月にネトゲのお友達達と オフ会計画が。

それまでになんとか色んなこと克服して
参加出来たらいいな


一番の問題は この病状の変化と
体力か。。。


頑張ろう

頑張りたい





だったらしい


んで今日病院行ってきて
明日は父を連れて また病院行かなきゃ。

明日はねーちゃんいないからしんどいかな。。。



まぁしゃーない



久し振りにご飯作るの頑張ったので ちびっとも久々更新





* * * 喉いたーい * * *
2006年10月13日(金)
昨日ブログには書いてたけど
喉が痛くて ゴックンするのも涙出そうなくらいだったアレ
喉の痛みでほとんど眠れないで朝になって
あんまり身体の調子が悪いので熱計ったら
39度近かった。。。
やっぱ扁桃腺が腫れてるのかな

喉のあたりに湿布貼ってみたり
いろいろしてたけどお水すら満足に飲めない始末。

今すこーしだけましになってきたけど。


熱も37度ちょっとまで下がった。

あんまり高熱が続くとやばいので
救急でも行かなきゃかと思ったりしたけど
多分もう大丈夫
喉の痛みさえ取れれば。。。


地元は14日15日と秋祭りだ。
楽しみにしてるのはチビくらいか。



いろいろしてて 途中からメッセ反応なくてごめんなさい。

寝てたわけじゃないの。


だるくて横になったりはしたけど。


こういう時に限って複数人のお友達からメッセきてた。


大丈夫なんで ごめんね。







* * * キツいな * * *
2006年10月11日(水)
いろいろあったこの最近
昨日はマルクだったので 精神的にも数日前から
参ってはいたけれど
やっぱり身体のダメージもでかいようで。

喉は渇いても飲み物取りにいくのすら億劫とか
食べ物は全く受け付けないとか

普段なら結構食べてたんだけどな。


見かねた家族に実家に呼ばれて
ご飯粒は食べられなかったけど 少しおかず
つまんできた。
ほんの少し食べただけだけど気分悪〜い。


長時間座ってるとクラクラしてくるので
今日も朝から起きてはいたけど
ずっとお布団の中でほとんど過ごしてた。


お団子だけは食べたけど お月見も見逃してたら
もう月が大分欠けてきてた。
何日前の話だよ。。。お月見って。





* * * しんどーい * * *
2006年10月09日(月)
今日は祝日で 病院もないし
昼間いっぱい遊ぼうって約束してたのに
昨日からの体調悪さが一気に加速して
何も出来ない一日

最近にしては いつもより早めに寝たはずなのに
今日も一日中ベッドから出られず。
2回くらいおトイレに起きたくらいで
食べることも飲むことも身体が受け付けない。

やっと身体が起き上がるまでになれたので
滅多に書かないここだけ書いとこう。


ご飯食べてないけどやっぱり寝とこう。
遊ぶのはいつでも出来るしね。


こうやってどんどん堕落した人間になっていくのかなぁ。


思うように身体が動いてくれさえすればいいのに。





* * * * * *
2006年10月05日(木)
気がついたらもう10月だった。
四季の中で一番好きなのが秋
自分が生まれたこの季節。


長いことリア日記放置
ネットしてないわけじゃなくて
もうそりゃバカみたいにやってて
先日もお小言貰ったとこ。


暫く熱の出入りがあって
風邪っぽい感じだったので 自己判断で風邪のせいにしてたら
まぁ風邪もよくない兆候なのだけど
身体の調子がまたよくない。


昨日病院で 今日は雨だったけれど
母が楽しみにしていたので
雨の中 母を連れて夕方過ぎから実家に行ってきた。

母を連れて帰ると伝えておいたら必ず
母が好きそうな和菓子や菓子パンをいっぱい買っておく父。
「お父さんには頭が下がる」と一杯感謝の言葉を口にする母。

母が元気でいた頃は父より強くて
お酒飲まないとほとんど喋らない父は
いつも母のお尻に敷かれてた。
たまに酔いが回ってると よく母と口げんかしてた。

母があちこち弱っても生きていてくれるから
父も元気でいられるんだろうと思う。
どっちかがいなくなったら きっとどっちもいなくなりそうな
そんな気がする。



女心と秋の空
なんていうけど 女に限ったことじゃないと思う。
日々些細な事で人の気持ちはウツロイで
一番居心地のいい場所を探すんだと思う。

誰かの一番でありたい以上に
自分に一番の人の側に心を置きたい。

何でもないことでケンカしても
何気ないことが許せなくて腹が立っても
穏やかな笑顔を絶やさない人になりたい。

誰かの何かが受け入れられないと思うとき
きっと自分も誰かに受け入れられない存在なんだと思う。

友達でも恋人でも知り合いでも
全てを認めて受け入れることなんてそうそうないと思う。
どこかで妥協したり 寛容な心で受け入れながら
プラスとマイナスを上手くかけあって
誰かを認めていくんだろう。


もえ自身灰汁が強くて 自分で気付いてないながら
日々誰かと接しているんだろうと思う。
灰汁の部分に気付いていても
それを流して向き合ってくれてる人々がいるから
自分が存在してるんだと思う。

どこかふわふわと自分で自分の存在がしっかり掴めない気分。
それが体調の悪さのせいだけなのか
気持ちの不安定さからなのか
よくわからないけれど 生きてはいる。



今日 現実逃避 という言葉を聞いた。
確かに今の自分がそうなんだと思う。
けれど 現実で吐き出せない部分や
思うように出来ないことを 仮想の世界で発散したり
得たりすることで 今を生きていられるんだとも思った。

心まで引きこもったら もう 何も 何処にも
輝ける場所なんてないから。

時々ふっと健康な人がたまらなく羨ましいと思う。
心も身体も健康なんて 贅沢すぎることかも知れない。
普段普通に見える人が 身体のどこかを病んでいたり
もしかしたら心が病んでいたりするかも知れない。
全てが満たされてる人なんて そうそういないのかも知れない。

そうは思っても自分以外の人が
全て輝いて見えて 羨ましくて
神様はなんて不公平なんだろうと思ったりする。


秋は好きだけどあっという間に過ぎるからいや。
ずっと気だるい秋だったらいいのに。






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Edit by オレンジミルク 。