私は娘を産んでからワイン派からビール派へ宗旨替えした。
何だかんだ言って私はアルコールが大好きだ。20代の頃は、そこそこお酒も強かったので「一晩でワインのフルボトル1本開けちゃった」なんて事もあったのに、年齢を重ねる毎にアルコールが弱くなり、出産を機に吃驚するほど飲めなくなってしまった。年齢のせいか、出産で体質が変わったためか、それとも2年弱の禁酒生活が効いたのか理由のほどは分からない。
今ではビールだと350缶1本で満足してしまっている。せいぜい飲んでも2本止まり。もっとも、本気になって飲めば飲めなくはないのだろうけれど、娘がいると「常にベストな状態でいたい」と思うため、本気モードで酔っ払う気になれない……ってのも、飲めなくなった理由の一因かも知れない。
そんなこんなでアルコールが弱くなってからは、ワインよりもビールの方が好きだったりする。ワインだと少量で酔っ払ってしまうので飲んだ気がしないのに対し、ビールだと「お疲れ様! 自分!」などと言いながらゴクゴク飲めるのが気に入っている。
……とは言うものの、専業主婦になった今は毎晩晩酌することもなく、週末や特別な日(お給料日とか御馳走を作った日とか)以外は、アルコールは飲まない。それに、ちょっとでも節約したいってこともあり、たいていはビールではなく発泡酒や第3のビールを愛飲している。ちなみに……我が家では発泡酒や第3のビールのことを総じて「ビールのような物」と呼ばれている。
ビール>>>越えられない壁>>>発泡酒&第3のビール
ビールを愛するがゆえに、私にとってビール以外の飲み物は代用品でしかなくて「この値段だから、まぁ…こんなものか」と妥協して飲んでいる。なので銘柄にこだわる事もなく、プライベートブランドの安物にも果敢にチャレンジしている。「美味しい!」とは言えないまでも、それこそ飲めなくもない。
だが先日、そんな私の考えを覆す「ビールのような物」に出会った。
某プライベートブランドの第3のビールなのだけど、それは安売りなのか、もともとそういう値段設定だったのか88円で売っていた。「これだけ安ければ不味くても悔いはない…」と覚悟を決めて買ったのだけど、美味しい不味い以前に、吃驚するほど味が薄くて水みたいだった。あまりの物足りなさに買い慣れている105円の第3のビール(これはメーカー物)をもう1本開けてしまったほどだ。
「88円のピールと105円のビールを1本ずつ飲むくらいなら、本物のビールを1本飲めば良かった」と後悔したのは言うまでもない。
私も今時の主婦らしく節約好きなのだけど、たまに頑張り過ぎて失敗することがある。これからは「ビールのような物」を買うにしても98円未満では買わないようにしよう。何事も限度があるよなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。
今日は斜め向かいに住む娘の友達(3歳男児)親子を招いてパン祭りを開催した。昨夜は酷い雨で、午前中は外で遊べないだろう…ってことで、突然の開催だった。
家族以外の人間を招いてパン祭りを開催するのは2度目。小さい子供とのパン作りって、面倒事も多いけれど、かなり楽しい。パンの出来よりも「作って楽しい」をメインにするので、作るのはシンプルな白パンをベースにした惣菜パン。午前10時に来てもらって、パンを焼いて、作ったパンを皆で食べて解散……と言う流れ。
今回、用意した具材は魚肉ソーセージ、竹輪、チーズ、下拵えしたジャガイモ、それに餡子。味付けはケチャップとマヨネーズ。発酵させた生地に各自好きな具材を乗せたり、包んだり。子供達に任せると「餡子を塗った上にチーズを乗せて、その上に魚肉ソーセージが乗っかっている」なんて、とんでもパンが出来たりするけれど、あえて彼らの好きなようなさせている。食べ物を粗末にする意味での遊びなら許さないけれど「自分の好きな物を全部乗せてみよう」なんて発想は大事にしてあげたいと思うのだ。完成した変てこりんなパンはスタッフ(親)が責任を持って食べれば良いだけの話。
チーズの好きな娘は生地の上からこぼれるほど大量にチーズを乗せたパンを作り、娘の友達はつまみ食いに余念が無く、予定していたよりも沢山のソーセージが必要になった。大人もけっこう本気になって楽しめるもので、私自身もパン作りは回数を重ねるごとに上達している気がする。
もちろん、今日の昼食は紅茶と惣菜パン。みんなで作ったパンは文句なしに美味しくて、娘も娘の友達もパクパクと食べていた。子供と一緒に何か作って食べるのは単純に楽しい。準備等の手間を考えると、そうしょっちゅう出来るものでは無いけれど、これからも出来るだけこういう機会を作りたいと思っている。
それにしても毎回残念に思うのはパン作りをはじめると、作るのと子供達の要求(もっとチーズを出してくれ…とか、餡子取って…とか)に応えるに必死で、ビデオや写真を撮れない…ってこと。毎回「あっ。しまった…カメラ用意してたのに…」と思うのに、1度も実現した試しが無い。出来あがったの撮れたら良い方で、今回は完成品の写真を撮ることさえ忘れていた。本当に大切な思い出は心の中に……とは思うものの、もう少し段取り良く事を進めて、1度くらい「パン作り中」の写真やビデオを撮っておきたいと思う。
そんなこんなで今日は楽しい1日を過ごした。夕方からやたら冷え込んでいるけれど明日はまたまた寒いとのこと。今日はインドアだったので明日は寒くても外遊びに付き合ってやらねばなぁ……なんて事を考えつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。
週末は大阪城公園へ梅見に行って来た。もちろんお弁当持参で。
娘はここ最近、週末が近付いてくると「お父さんお休みになったらお弁当持ってピクニック行こうね」と楽しみにしていたのだけど、ここのところ週末は雨だったり寒かったりとピクニックどころでは無かった。外でお弁当を広げるには少し肌寒いかも知れないなぁ……と思いつつ、朝から張り切ってお弁当作りなど。娘も年齢を重ねるごとに、食べられる物が増えているのでお弁当作りも益々楽しい。
我が家が大阪城公園へ行くと「こども天守閣」のある児童公園スペースで遊ぶのが恒例になっているのだけれど、かつて無いほどの人出で驚いた。「暖かくなって御天気になったら外へ遊びに行きたい」と言う欲求は誰だって同じなのだなぁ。人間も虫と変わらない。暖かくなれば外に出て、お日様の光を浴びたくなるものらしい。
公園で娘を遊ばせてから梅園へ移動。お目当ての梅は満開を既に過ぎていたけれど、それでもギリギリ楽しむことが出来た。予想よりも暖かくて、シートを広げてお弁当を食べていると眠たくなってしまうほど。興醒めだったのは進入禁止すスペースにシートを広げてお弁当を食べている人や、写真を撮っている人が多かったってこと。特に素人カメラマンのマナーの悪さには辟易させられる。梅の根を傷めないように進入禁止にしていると言うのに、ズカズカと踏みつけるなんて。彼らは自然の美しさを愛しているのではなくて、カメラを愛しているのだろう。
お弁当の後は大阪城公園内を周回している観光用の汽車に乗った。娘は汽車を降りる際「まだ降りない〜。もっと乗る〜」と大泣き。最近、自己主張が激しくて頼もしいやら困ったやら。なんとかなだめて、散策したものの、撤収の際はまたまた大泣き。「パン屋さんでパンを買って帰ろう」と促して、なんとかスムーズに撤収することが出来た。
帰宅後、娘は何度となく「また行こうね」と話していた。そんなに喜んでもらえたのなら、父と母も頑張って連れて行った甲斐があると言うものだ。実に楽しい1日だった。余談だが、私達が大阪城公園へ行った日、大阪城公園では
地面が陥没していたらしい。今朝の朝刊で見て驚いた。
そう言えば私達は娘が生まれてから毎年欠かさず梅見に行っている。0歳児の時のことを思えばお出掛けもずっと楽になったなぁ。来年もまた家族そろって梅見に行きたいなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
大阪城公園の梅。桜ほどの華やかさは無いかも知れないけれど、梅見は酔っ払いが少ないので、桜よりも風情を楽しむことが出来るような気がします。
最近、友人や知人、あるいは未知の人とちっとした交流があって嬉しい。お手紙だったり、メールだったり、あるいは電話だったり。「長時間一緒にいてお喋り」した訳ではないので、日頃思っていたことや伝えたいことの、ごく一部しか伝えられなかったけれど、それでも何も無いよりも何かある方が嬉しいものだ。
実際。相手と長く一緒にいたからって、思っていることの全てを伝えるなんて不可能なのだし。
人は年齢を重ねるにつれ、自分を取り巻く環境が変わっていく。仕事だったり、家庭のことだったり。あるいは自分の健康状態だったり。一時期親しくしていた人と疎遠になったりすることは、よくある話。でも、パチンと切れてしまうのではなくて、ちょっとした繋がりから「元気にしている」と近況報告を貰ったり、あるいは「順風満帆とはいかないけど頑張っている」と知らされるとホッっとすると同時に「私も頑張ろう」とも思う。
……とは言うものの、親しくなった人とずっと関係を続けていくのって案外難しい。それだけに「思えば付き合いも長くなってきたなぁ」と思える人との交流は大切にしたいと思う。
私は日々の生活に手一杯で、なかなか自分の手の届く範囲でしか頭が回らないことが多くて、手紙にしろ、メールにしろ「書こう」と思いながら、ついつい時間が経ってしまったりする。だからって手の届かない範囲のことを「どうでもいい」と思っている訳じゃない。むしろ、年齢を重ねてもなお付き合っていける人達は大切にしたいと思っている。
要するに私は「さびしん坊」なのだと思う。
そうそう手広くやっていける訳ではないけれど、出来るだけ繋がりが途切れてしまわないよう努力したい。特に今週は色々とあって、そんなことを強く思った。気持ちの良い季節が訪れることだし、葉書の1枚でも書いてみようかなぁ……なんて事を思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。
2010年03月10日(水) |
娘よ、貴女もそうですか。 |
最近、私は娘を見ていて確信してしまった。娘も妄想の一族だってことを。
世の中の人間は大ざっぱに2種類に分けられる。「妄想する人」と「妄想しない人」だ。妄想の一族とは「もう、そうするしかない一族」の略称。有名どころで言えば『赤毛のアン』のアン・シャーリーが筆頭だろうか。
娘は私に似ず超体育会系。体力もあるし、運動神経も発達しているようだ。たぶん運動会で活躍するタイプだと思う。私は子供の頃から文科系人間で「運動会なんて無くなっちゃえばいいのに」と、いつも思っていた。だから娘は「私と違うタイプに成長するのだろうなぁ」と思っていたし、それはそれで楽しみでもあった。
だが……最近の娘を見ていると、どう考えても娘は「妄想の一族」としか言いようのない遊びを好む。外遊びに命がけなのはずっと変わらないけれど、家にいると「ごっこ遊び」ばかりしている。それも、登場人物を駆使してちょっとしたストーリー付。積み木や折り紙なども、最初は「作業」がメインなのに、いつしか登場人物が増えてきてドラマを作っている。積み木で汽車を作って動物達が遊びに行ったり、折り紙で作った「やっこさん」が風邪をひいて、病院へ行ったり……と言った具合。娘は1人で何役もこなしていて、ちょっとした1人芝居のようだ。
1人っ子や長男長女は、どうしても1人遊びが上手になりがちだと言うけれど、誰もがみな「妄想の一族」になる訳ではない。ちなみに夫は「妄想しない人」だ。子供の頃の話をしていても、互いの違いっぷりに驚く事が多い。夫は子供の頃から「ごっこ遊び」はしないタイプの子供だったようだ。
娘もいつか「このお父さんとお母さんは大好きだけど、本当のお父さんとお母さんじゃないんだわ。きっと赤ちゃんの頃に病院で入れ違っていて、私の本当のお父さんとお母さんは、他にいるような気がする…」なんて妄想をするのだろうなぁ。どうしようも無いほど親に似た顔をしていると言うのに。
ちなみに「私の本当のお父さんとお母さんは他にいる」という妄想は、妄想の一族の女なら、誰もが通った道だと思う。私もかつてはそうだった。
娘が私と同じく「妄想の一族」だったことは、嬉しいと言えば嬉しいし、微妙と言えば微妙だ。まぁ…しかし、妄想の一族は「もう、そうするしかない一族」なのであって、その妄想は誰にも止められないので仕方が無い。娘は娘の世界を築いていくことだろう。娘の世界がどんな風に広がっていくのか、これからも見守っていくとしよう……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
2010年03月09日(火) |
雨の日のクッキー作り |
今日は朝から冷たい雨。1日中、引き籠っていようと心に決めた。
ここのところ娘は雨の日でもお出掛けするのが当たり前になっている。「傘・長靴・レインコート」の3点セットは娘にとって魔法のアイテム。しかし、今日は唐突に寒くて、長時間外でウロウロして風邪でもひいたら馬鹿らしい……ってことで、珍しく家から一歩も外に出なかった。
そんな訳で午後からお菓子作りなど。
雨の日の退屈を撃退するのにお菓子作りはもってこい。私はクッキーがそれほど好きでも無いので、お菓子を作る時はケーキか冷菓になりがちなのだけど、娘は小麦粘土にハマっているので型抜きクッキーを作るのは楽しいだろうと、クッキーを作ることに。
予想通り、娘は熱心にクッキー作りに挑んだ。作ると言っても娘はまだ2歳児なので、そうそう上手に出来るはずもなく、時間はかかるし散らかし放題だしで、人様にお見せ出来るような光景ではなかったけれど楽しい時間を過ごした。今回はシンプルなバタークッキーなど。ちょっと前にブームだった「塩スイーツ」を意識して、少し塩を効かせてみたら思いのほか美味しいクッキーが出来た。
クッキーを作っている間と食べている間はご機嫌だった娘だが、1日のトータルとしてはグズグズしたり、ひっくり返って泣いたりすることの方が多くて、母の立場としては「頑張ったのに実入りが少ない」結果となった。まぁ…こんな天気だし、娘の体調も気分も最悪だったのだろう。
明日は曇りとのことだけど、かなり寒そう。早く本格的な春になって欲しいものだ。周囲の子供たちは風邪でダウンしている子が多い。元気で春を迎えたい
なぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
左は娘の作ったクッキー。娘は型抜きではなく手で捏ねました。「アヒル」とのこと。目は私と一緒にポチっとな。
この週末、大阪はずっと小雨が降ったり止んだりでパッっとしないお天気だった。
本当はお雛様を仕舞おうと思っていたのだけれど、お雛様を仕舞うのはお天気が良い日の方が良いと聞いたので、来週に延期。一般的に「お雛様を出しっぱなしにしておくと婚期が遅れる」と言うけれど、私はあまり気にしない派。娘が結婚するのも、しないのも、娘の結婚する時期も娘自身が決めることだ。自分の人生なのだから、自分で切り開いて行ってもらわねば。
お雛様以外だと梅を見に行きたかったのだけど、傘を差してまでいく訳にもいかず、結局この週末は、土曜日に娘を夫にお願いして整骨院へ行ったり、家族で近場のスーパーへ買い物に行ったりと地味な活動に留まった。地味ではあったけれども、娘は「長靴・傘・レインコート」の3点セットを買ってもらってからと言うもの、雨降りのお出掛けが大好き。そんな娘の姿を夫に見せることが出来たのは良かったと思う。
……と、まぁ週末の話はここまで。
ここ最近「インターネット」で遊ぶことへの情熱が激減している。もともとがネット好き人間なので、ネットで調べ物もするし、買い物もする。だけどそれ以外の娯楽部門に関しては、なんだかちっとも気乗りがしない。SNSの育成系のゲームとか、それ以外にも緩い感じで手を出していたものがあったのだけど、緩いどころか放棄してしまいそうな勢い。ずっとお付き合いがある人のHPや日記を覗くのと、自分の日記とHPを死守するのがギリギリのライン。どうして、こんなにやる気が出ないのか自分でも不思議だ。3度の食事の次くらいに好きな遊びだったのに。
じゃあ実生活もダラダラモードかと言うと、それはそうでもなくて、図書館で借りてきた『暮しの手帖』をパラパラめくって家事へのモチベーションを上げてみたり、家の中で、今まで目を瞑っていた場所をチョコチョコ片付けたりしている。もっとも、これは主婦なのだから、当たり前の仕事を当たり前にしているだけ……と言えなくもないのだけれど。
常に同じペースで生きている訳ではないのだから、趣味や興味の方向が変わったり、あるいは波があったりするのも当然のこと。結局のところ自分のやりたい事しか出来ないのだから、流れに任せていきたいと思う。明日はまたまた雨とのこと。体力の有り余っている2歳児をどうやって発散させたものか…などと考えつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。
2010年03月05日(金) |
咲いてくれてありがとう。 |
今年もようやく白い木蓮の花が咲きはじめた。
白い木蓮は私がこの世で1番好きな花。だからこそ日記とHPのタイトルにした。青空にも、夕焼けにも、夜空にも映える白い花。今年もこの花を見ることが出来て嬉しい。咲いてくれてありがとう。
娘に「綺麗でねぇ。この花はお母さんが1番好きなお花だよ」と話したら、娘の感想は「カッコイイ…」だった。……何故? まぁ、ある意味潔い花ではあるけれど、娘はどうしてそんな感想を抱いたのだろう。2歳4ヶ月の娘は、もう「可愛い」とか「綺麗」とか言う単語を使いこなしていると言うのに。激しく謎だ。
それにしても今日は良いことの多い日だ。
今年に入ってから、趣味の読書ペースが減退している。読まないではないのだけれど、面白い本に当たらなくてHPの読書感想は開店休業状態。面白くない本が続くと、読んでも感想を書こうと言う気が無くなってしまうのだ。今日は娘の絵本を借りに図書館へ行ったのだけど「しばらく私の本は借りなくてもいいかなぁ…」なんて思っていた。ところが好きな作家さんの新刊に遭遇。不貞腐れていたのを忘れてウキウキと借りてきてしまった。
そして帰宅したら遠くに住む友人…しかも凄く忙しい日々を送っている友人から手紙が届いていた。春を思わせるピンク色のレターセットで、ちょっと嬉しい手紙だった。私も親しい友人に手紙を書こうと思っているのだけれど、ずっと書きそびれている。ちょっとした時間を裂くだけなのに「書けない」なんて言うのは言い訳に過ぎない。また、私もお便りしようと自戒込みで思った。
1週間の終わりに良いことが多いとは幸せなことだ。来週は雨の多い1週間になるとのこと。せっかく咲いた白い木蓮が大急ぎで散ってしまわないことを祈りつつ今日の日記はこれにてオシマイ。
やっと咲き始めた白い木蓮の花。街路樹なので、そこここで見ることが出来ます。お散歩に行く楽しみが増えました。
今日は娘2歳の雛祭り。
娘が生まれてから、ずっと雛祭りは「ちらし寿司」を作っていたのだけれど、今年は初めて作らなかった。理由は娘があまり好まないから。私は嫌いな食べ物もドンドン食べさせる主義だけど、お祝いの時くらいは好きな物を食べさせてあげたいなぁ……と言うことで、夕食は鶏の唐揚げだの、南瓜の煮付だの、娘の好きな物を並べることにした。来年は娘に手伝ってもらって、ちらし寿司とか、ちょっとした細工寿司を作りたいものだ。
実家の母から「ケーキでも買ってあげなさい」と、娘におこずかいを貰ったので、午後のおやつはケーキにした。昼食後、娘とケーキ屋さんへ。ケーキ屋に入るまで「栗きんとんのケーキ(モンブランのこと)を買う〜」と張り切っていた娘だったが、ケーキの実物を前にして選んだのはガトーショコラだった。帰宅して「美味しい〜」とご満悦だったけれど、娘は半分以上食べ残していた。ガトーショコラは娘にはクド過ぎる甘さだったようだ。
娘が美味しく食べられるのはプリンか苺ショートケーキくらいのものだってことは分かっていたので、私としてはそういうケーキを選んで欲しかったのだけれど「自分で選ぶ」ってのもまた勉強だと思う。たとえ、その選択が間違っていたとしても……だ。娘はこれから先の人生で、もっともっと大切なことを選択して生きていかねばならない。ケーキ選びなんて、ほんの序の口。
めっきりと女の子らしくなった娘と雛祭りの御祝いが出来るのは嬉しいことだ。昨年は雛人形もよく理解していなかった娘も、今年は「お雛様可愛い」と気に入っている様子。お雛様は女の子を災厄から守ってくれる御守りとのこと。娘にはこれからも健やかに成長して欲しいと思う。
子の幸せな成長を願うのは、どの親御さんも同じだと思う。今日は、あちこちで、我が子の幸せを願う親御さんが雛祭りを御祝いしているのだろうなぁ……なんだか胸が熱くなる。娘の健やかな成長を祈りつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。
やっと完成したお人形の枕&布団。手芸は大の苦手なのでベッドを作るよりも面倒に感じたけれど、なんとか完成してひと安心。
2010年03月02日(火) |
満開の花よりもむしろ。 |
娘と一緒に散歩に出掛けたら近所の児童公園の椿が満開だった。
今の家に引っ越してきて4年。娘が生まれてからはお世話になりっぱなしの児童公園なのに、椿の花があっただなんて今までちっとも知らなかった。昨年は今以上に育児に対する余裕が無かったから、椿の花の存在に気付かなかったのだろうか? 椿の花は昨日の雨で潔く花を落としていて、見事な赤い花が「私を見て!」とばかりに堂々と散らばっていた。
はらりはらりと花弁を散らす桜の花も良いけれど、盛りを過ぎたとたん「ぼとん」と潔く花を落とす椿も素敵なものだ。
児童公園は地面も遊具も濡れていて、娘は長靴で水たまりをバチャバチャしながら歩いていたのだけれど、椿の花を見つけて「バラの花と同じ!」と大喜び。「あれはバラに似てるけど椿って名前のお花だよ」と教えると、娘はイマイチ納得のいかない風ではあったけれど、椿の花で遊びはじめた。木製ベンチの上に椿の花を積み上げて赤い山を作ったり、一直線に並べてみたり。果ては椿の花を家族に見立てて、ごっこ遊びをしていた。3人家族の椿で電車に乗って遊びに行く…という物語。娘はまだ純粋に花を愛でるよりも、玩具として楽しむ方が面白いらしい。
満開の花も良いけれど、散り初めの花や散ってしまった花に魅かれてしまうのはどうした物だろう。私には雨に濡れて地面に散らばった椿の花が、木にあって誇らしく咲いている椿の花よりもずっと美しく思われた。これは若い頃には無かった感覚だと思う。20代の頃の私なら同じ光景を見ても「あ〜。雨に濡れて汚いなぁ。触らないでおこう…」なんて思っていただろう。自分自身のこういう変化って、ちょっと面白い。
椿が散って、梅が散って……私の大好きな白い木蓮の花が咲くのもあと少し。その「もう少し」が待ち遠しくてならない。そう言えば白い木蓮も散り際や散ったところが美しい……とは言うものの、咲いてくれないとお話にならない訳で、まずは花が咲くのを楽しみに……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
左から満開の椿。椿の山。そして一直線に並んだ椿。写真で見るとカーネーションのように見えますなぁ。
週末は古いテレビをリサイクル回収所(正式名称は知らない)へ持って行った。
テレビを買い替える際、古いテレビは家電リサイクル法に乗っ取って電気店が引き取ってくれるのだけれど、手数料が馬鹿にならない。手続き等がかなり面倒なのだけど、自分ですると2800円ほどで済んでしまうので、我が家では自力で処分することにした。
手続きが面倒……と言っても郵便局へ行ってリサイクルにかかる費用を払いこんで、テレビを指定場所に運ぶだけのこと。幸い、我が家の古いテレビは軽自動車の荷物置き充分収まる大きさだった。テレビを「テレビくん」と呼んで愛している娘には古いテレビを運び出す際「古いテレビくんは、壊れて動かなくなったから、テレビくんのお家に連れて行くんだよ。テレビくんのお家にはお友達がいっぱいいるからね」と説明して、古いテレビを指定場所へ持って行った。
そこは、ちょっとした倉庫なのだけど、まさに「テレビの墓場」だった。
何もしらない娘は「テレビくん、お友達いっぱいだね!」と大興奮。しかし私は処分されていく沢山のテレビを目の当たりにして、なんだか胸がいっぱいになってしまった。しかし引き取り作業は一瞬のことで、古いテレビはアッっと言う間に私達の手から離れ、カゴ車に入れられて倉庫の中へと姿を消した。
夕食時、家族で鍋を囲んでいると、娘が「テレビくんもお友達とお鍋を食べているね」と言った。私はなんだか娘にも古いテレビにも申し訳ないような気持ちになってしまった。
……とは言うものの、我が家のテレビは17年ほど使って壊れたので、もう充分に働いたと思う。もしかしたら修理出来なくは無かったのかも知れないけれど、地デジ対応の薄型テレビに買い替えるのに迷いは無かった。が……テレビがもっと高級品だった時代なら、修理していたかも知れないなぁ……なんてことを思ったりもした。
そんな事で感傷的になるのは馬鹿げているとは思うものの、どこかのご家庭の居間で、あるいは1人暮らしのお部屋で愛されていただろうテレビ達。人々の生活を目の当たりにして、その家族と共に暮らしていたテレビ達が不用品として倉庫に積み上げられている光景を目にしたら、誰だって感傷的な気分になってしまうんじゃないかと思う。
私はどちらかと言うと物を大切にする方だとは思っていたけれけど、しょせんは贅沢に慣れきってしまったいる人間なのだと思う。「物を大切にしましょう」と言うのは簡単だけど、実行するのは難しい。テレビの墓場に行ったのは私にとって貴重な経験だった。実行するのは難しいけれど、これからは「物を大切にする」ってことを、実践していきたいなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。