白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2010年01月29日(金) お久しぶりの整骨院

昨日は娘を実家の母に預けて整骨院へ行ってきた。

ここ数日、首と肩の凝りが酷くて「このままでは吐くレベル」になっていた。一昨年の秋に首と肩の凝りが原因で、強烈な頭痛と眩暈と吐き気で起き上がれない状態になったことがあったので、今回はそうなる前に手を打った。整骨院へ行くのは久しぶりのこと。

「これは酷いですね。まぁ…なかなか来られないでしょうけど、出来るだけ通ってください」と言われる。これは「身体の凝り」に限ったことでは無いけれど、我慢に我慢を重ねていると「我慢の限界」がジリジリと上昇してしまって、気付いた時には大変なことになってしまう。酷い目に合わないように自分で気をつけなくては。

実際のところ、そうそう娘を実家の母に預けて整骨院へ通う訳にはいかないので、次に行けるのは夫のいる週末だろうか。それにしても、私の通っている整骨院の先生は腕が良くて毎度吃驚させられる。夫と私の間では「ゴールデンフィンガー」と呼んでいて、半ば神格化された存在だ。治療してもらったおかけで、随分と楽になった。

1月もこの週末でオシマイ。今月はずっと体調不良に悩まされていたけれど、月が変わるのを期にスッキリしたいものだ。

話は変わるが石垣島ラー油を買ってから、その可能性を模索する日々を送っている。中華風スープに入れたり、麻婆豆腐に垂らしてみたり。「納豆にかけて食べると美味しいですよ」とメールを戴いたので、それも試してみたけれど、これも美味しかった。結局のところ石垣島ラー油は、あくまでも「美味しいラー油」に過ぎないので、ラー油らしく使ってやればちゃんと実力を発揮するらしい。今回は話の流れから勢いで買ってしまったけれど、買うのが大変な品物なので努力して次を買うことは無いと思う。

今週は暖かい日があったり、寒い日があっりと寒暖の差が激しかった。そんな中、気温が10度を下回ると公園から小さい子供の姿が消える…ってことを発見した。寒さが極まってくると、公園に来るのは犬の散歩をする人か、もしくは隠居した爺様ばかりだ。娘と私は寒風吹きすさぶ中でも、挫けず砂遊びをしたりしているのだけど、早く暖かくなって賑やかな公園で遊びたいものだ。

なんだかんだ言いながらも、この週末は先週末に比べると断然元気に過ごせそうなので嬉しい。この1ヶ月、週末は休養してばかりだったので、この週末こそは家族で何か楽しいことをしたいなぁ……などと思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2010年01月27日(水) パッカー車と白いワンピース

毎日楽しく暮らしているのですが、不思議と「何か書こう」と言う気になり難い今日この頃。

娘は日に日に可愛らしく、なんだかもう日記で親馬鹿を慎むのも面倒くさくなってしまうほどの勢い。最近のブームは「ままごと」「人形のお世話」「お母さんのお手伝い」の3点。いつも私のお手伝いではツマラナイだろうと、娘にも「お仕事」を与えてみたところ毎日勤勉に働いている。

働く…と言っても、自分のオムツを必ず(←ここ重要)自分でゴミ箱に捨てること。毎度呪文のように「Yのお仕事はオムツを捨てること。パッカー車が持っていく…」と呟きながら捨てている。娘は何故かパッカー車(ゴミ収集車)を愛していて、外出するとパッカー車を探すのに忙しい。娘は仕事を終えると誇らしげな笑みを浮かべて戻ってくるので、大げさに褒め称えるのが私の仕事だ。

そして私は体調もほぼ回復して、やっと通常モードに戻ってきた……のだけど、ガッツリと何か書くほどの余力は無い。1日の仕事を終えると「摩耗しているなぁ」と感じる。

つい、さっきなんとなくネットをしていたら、春の洋服の通販が目に付いた。春の服って可愛くて良いなぁ。「ふわふわ&ひらひら」は見ているだけで心が躍る。こんなことを書くと気恥ずかしいのだけど、数ある洋服の中で私が最も好きなのは「白いワンピース」だったりする。20代の頃は着ていたこともあるけれど、今は白いワンピースを着るだけの気力も勇気もありはしない。白いワンピースって素敵だけれど「汚れ」は大敵。今の生活パターンでは、とても着れそうにない。「生活が落ち着いたら着よう…」なんて思っていたら、ずっと着られそうにないなぁ。

いっそ、うんとお婆ちゃんになってから着てやろうかなぁ…なんて思ったりする。

毎日の生活はなかなか理想通りには進んでいかないけれど、とりあえず体調も戻りつつあるのだし、焦らずボチボチやっていこう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2010年01月25日(月) 石垣島ラー油とか色々。

この1週間でやっと体調が元に戻ってきた。朝夕の咳は抜けきっていないし、下腹部も弱い痛みがあるけれど「どうにもこうにも」ってほどでは無い。薬を飲み続けていた影響で胃が荒れ気味だけど、一時のしんどさを思えば、なんて事ない。

この週末は地元で地味に過ごしていた。土曜日は娘を夫に任せっきりでゴロゴロ三昧。日曜日はこれまた地元のスーパーで買い物をした程度。毎度ながら食事は作っていたけれど、それ以外の用事は放擲していた。夫は「宅配でもいいし、俺がスーパーで惣菜を買ってきてもいいから、ゆっくりしたら?」と言ってくれるのだけど、しんどい時こそ少しでも美味しい物を食べなくちゃ…と思うのだ。もちろん、台所に立つのもしんどい時はそう言う手段も使うけれど。

話は全然変わるけれど、ネット通販で「石垣島ラー油」と言うものを取り寄せてみた。

流行り物好きな夫の後輩が「食べてみたくてたまらないんですけど、なかなか買えないんですよ」と話していたらしく、すっかり世間の流行から取り残され気味の私は「ラー油くらいで大げさな…」と思いつつ、調べてみたら売り切れ続出。たまたま、その日の翌朝から数量限定で通販を開始するお店を見つけたので、申し込んでみたらあっさり買えた。限定2本のうち1本は我が家用に、そしてもう1本は夫の後輩にあげた。

「そんなに評判が良いなんて、どんな美味しいラー油なんだろう…」と、ものすごくワクワクしていたのだけど「なるほど…確かに美味しいね」とは思ったものの、そんなに大騒ぎするほどの物とも思えなかった。ハマっている人はご飯にかけて食べるとのこと。夫が試したのを味見させてもらったけれど「ラー油ご飯よりもバター醤油ご飯の方が美味しいのでは?」と思ってしまったほどだ。でも、確かに美味しいのでラー油好きの人なら試してみる価値はあるかも。

娘との散歩途中で白い木蓮の蕾が、ほんのり膨らんでいるのに気がついた。毎日寒いけれど来週は早くも立春なのだ。立春が来たらお雛様を出さなくてはなぁ。先週の月曜日も同じことを思ったのだけど、今週こそ体調をスッキリ元に戻して、週末は楽しく過ごしたいものだ。今週もボチボチ頑張ろう……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2010年01月22日(金) 合法的アウトロー?

前回の日記で「私って実は引き籠りに向いてるかも」なんて事を書いたのだけど、今日はその続き。

引き籠り生活中に録画していた『世界遺産への招待状』と言うテレビ番組を観た。その回は中国で仏教の聖地と呼ばれている「五台山」の紹介だった。中国では出家する人の数が増えているらしく、その事についても掘り下げてあって、なかなか面白い回だった。

その番組を観ていて「そう言えば、話したこと無かったかも知れないけれど、私は若い頃から出家願望があったよ」なんて事を夫に話した。私はありがちな日本人で、これと言った信仰をもたないのだけど、若い頃…と言うか幼い頃から「出家」と言う生き方に興味と憧れを持っていた。本当にそんな生き方が出来るかどうか…とか、信仰が無いのにふざけた事を…とか、突き詰めて言えば馬鹿な妄想に過ぎないのだけど「人はこんな風にも生きられるのか」と言うような驚きと共に、憧れのような物をずっと持ち続けていた。

しかし私は結婚して子供までいる。そして、独身時代も憧れていただけで本気で出家をしようとした事さえない。結局のところ、そこまでぶっちぎって行くだけの情熱は無かったし、自分を取り巻くしがらみ(具体的に言えば家族)を捨てることは出来なかった。そして、そうこうしているうちに結婚して子を成した。

子供を持った今は出家なんて考える余地などない。今の私には娘が一人前になるのを見届ける義務と責任があるのだから。

しかし、いまだ「社会や人と隔絶された世界」に憧れを持つのも事実だ。夫は「出家って合法的アウトローと言うのかなぁ。寅さん的風来坊が現実にいたら後ろ指差されるけど、出家だと後ろ指差されないよね。周囲の人のことを考えずに自分のやりたいことを突き詰めた生き方って意味ではどっちも同じなのに」なんてことを言った。私は今まで、そんな発想を持ったことは無かったのだけど、なんだかすごく納得してしまった。私が山頭火や尾崎放哉に憧れるのも、そういう意味合いでは出家に憧れる気持ちと繋がっているのかも知れない。

人はなかなか自分の望むようには生きられない。だけど自分の望むように生きるのが幸せなのかどうは誰にも分からない。色々と思うこと、考えることはあるけれど、まずは今、自分が置かれた立場に感謝しつつ暮らしていきたい。今週もなんだかんだと無事に過ごせたことに感謝しつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2010年01月20日(水) 引き籠り体験

お正月から風邪でダウンしていたため半月ばかり家に引き籠っていた。

2歳3ヶ月の娘はどちらかと言うと体育会系人間のため、生まれてこの方、暑くても寒くても外遊びをしていて「1日中、家にいるなんて考えらない」という暮らしを続けてきた。しかし、育児支援スペース等で会うお母さん達の中には「外遊びは数日に1回かな」なんて人も少なくは無い。もっと凄い人になると「買い物以外、ほとんど引き籠ってます。今日は1ヶ月ぶりに外出した」なんて人も。私はそんな話を聞くたびに「よくそれで親も子もストレスが溜まらないものだなぁ」と毎度不思議に思っていた。

妊娠中も切迫流産で自宅安静の経験があったのだけど、あの時は色々な意味で不安定だったから引き籠りを楽しむような余裕はなかったが、今回のような形で、引き籠ってみると、引き籠り生活って慣れてみると案外楽ちんなんだなぁ……ってことに気がついた。これは私にとって大発見だった。

最初のうちは「ずっと家にいるなんて鬱々とするなぁ…」と陰気な気分に襲われたりしたものだけど、親も子も慣れてくると人と会わない生活が存外平気になってくる。娘はともかく私の方は「娘がこれで良いなら、こういう生活も悪くない」とさえ思う始末。

よくよく考えてみると外に出て人と接触するって行為は疲れを伴うものだ。相手に気を使ったり、相手から気を使われたり。楽しいこともある反面、それと同じくらい嫌な目にもある。笑うこともあれば、ひそかにイラっとすることも。外に出るってことは楽しみであると同時に、自分の中にある大切な何かをすり減らすことでもある。

それに引き換え、家に引き籠っていれば、ものすごく面白いことにぶつかることは無いけれど、外部からのストレスは皆無だ。慣れてしまえばパラダイス……と言えなくもない。

勿論、私も分別のある大人なので、引き籠りの生活は私にとっても娘にとっても良いはずは無いってことくらい分かっている。特に成長期の娘は外に出て遊んだり、人と接触する中で学んでいくことが多いのだ。家に閉じ込めておいて良いはずが無い。

そんなこんなで体調の回復と共に引き籠り生活には別れを告げたのだけど「引き籠る」ことについて違う見方が出来るようになったのは大きな収穫だった。今まで「プチ引き籠り」な感じのお母さん仲間の話を聞いても全く理解出来なくて、半ば異世界の話を聞くようなノリで聞いていたのだけど、これからもう少し親身になって話を聞くことが出来るような気がする。

「私って実は引き籠りに向いてるかも」って気づいたのも大きな発見だった。これは、意識的に気をつけておく必要があるかも。ちょっと方向を間違えると人間って、簡単に流されてしまうものだから。

そうこうしながらも、これまでの生活に戻って来たのだけれど、この2週間は、身体的にはしんどいながらも貴重な経験だったなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2010年01月19日(火) 身体が資本!

今回の風邪騒動では今更だけど「人間って身体が資本だなぁ」って事を改めて思い知らされた。

大人チームは熱の出ないタイプの風邪で、なんとなく休み辛い気分になってしまって、それが余計に風邪を長引かせてしまったのだと思う。娘の風邪が最盛期の時は、夜、咳で眠れない娘の相手と格闘し、日中はグズグズする娘の相手と家事。その上自分も風邪となると「あ…私、弱ってる」って感覚が自分でも分かった。しかし小さい子供を抱えていると休むと言っても限度があって、手を抜けるとこは抜いたとしても、絶対しなければいけない用事が出てきてしまう。

そんなこんなで体調不良を胡麻化しながら暮らしていたら、突然の下腹部痛。子宮と卵巣が炎症を起こして痛い目にあった。身体が弱っていると、普段なら平気なことでもドカンとダメージになって押し寄せてくる。

そんな中、夫の仕事が落ち着いていて、買い物や家事など随分手伝ってもらえたのはラッキーだった。そして実家の弟もこれまた仕事が落ち着いていて平日休みの時などに買い物を頼んだり出来たので、なんとか乗り切ることが出来た。

今回はそんなこんなで手助けがあったので乗り切れたのだけど、小さい子供を抱えつつ孤軍奮闘で家事育児をしているお母さん達はどんなに大変だろうと、つくづく思った。

実際のところ私は実家の近くに住んでいるけれど、正直、実母は頼りに出来ない(むしろこちらが手助けしなければならない)。なので、もし夫や弟が繁忙期だったら、熱があろうがなんだろうが、自分でどうにかしなければならないのだ。そりゃぁ、そうなったらデリバリーだの、ネットスーパーなんかをフル活用して、場合によってはご近所の仲良しな応援をお願いしたりして、なんとかするのだろうけれど、病気の時ばかりは「ちょっと手助けがあったらなぁ」と思わずにはいられない。

私の住んでいる市も育児サポートのようなことはしているけれど、登録制でしかも予約が必要なので「いますぐ」ってことには応じてもらえない。一時保育と言っても、病児を預ける訳にもいかないし、そもそも自分が動けない時にはどうにもならないし。こういう時に手助けになるサービスがあったら利用するのになぁ……なんてことを思ったりした。もっとも、介護サービスでさえままならないようでは、育児サポートなんてなかなか無理だろうけれど。

けっきょくのところ、世知辛いようだけど「身体が資本」であり「自分の家族は自分で守れ」ってことなのだと思う。

……とは言うものの、現実はなかなかそうはいかない。相田みつを風に言うなら「病気だってするさ。人間だもの」だ。どこのご家庭も、こういう事態をどうにかこうにか乗り切ってきておられるのだろうなぁ。トラブルに負けない柔軟性と強さを養っておかねばなぁ……なんて事を思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ、


2010年01月18日(月) おうちピクニック

家族全員が風邪に見舞われたため、お正月からずっと引き籠り生活を続けていたのだけれど、だからって毎日陰気に暮らしていたかと言うと、そうでもない。

「外遊び命! お散歩万歳!」の2歳児をずっと家に閉じ込めておくなんて大変だろうと憂鬱になっていたのだけれど、娘自身体調が万全ではなかったため「風邪が治るまでお家で遊ぼうね」と言い聞かせたら、案外素直に受け入れてくれて、新しい室内遊びの開発に余念がなかった。

中でも熱心だったのが、折り紙や紙粘土で工作をしたり、水薬の空き瓶に小豆を入れて玩具を作ったり…といった「作り物」の製作と「おままごと」だった。

実は娘のおとし玉にお金ではなく「ままごとキッチン」をお正月にプレゼントしていたのだ。木製キッチンがオークションで安く手に入って、お正月早々届いたのだけど、それ以降娘はすっかり「ままごと」に夢中なのだ。そのうえ、年末に私の友人が娘に「フェルトで作った手作りオカズのギッシリ詰まったお弁当箱」をプレゼントしてくれたので、娘のままごと遊びは唐突にグレードアップ。キッチンでお料理をして、お弁当を作り「ピクニックごっこ」をするのが、今1番熱い遊びだったりする。床に膝かけを敷いて、ぬいぐるみやお人形を並べて(もちろん私も娘も参加する)ピクニックをして遊ぶのだ。

そして、なんと……それが昂じて、ある日など昼食にお弁当を作り、水筒にお茶を入れ、居間にシート代わりのタオルケットを敷いて「おうちピクニック」を開催した。事情を知らない人が見たら異様な光景だったと思うけれど、私も夫も本気で楽しかった。

引き籠り生活はしんどかった(しかも私はまだ治ってないし)けれど、娘の成長には良かったように思う。性別の分からない「赤ちゃん」だった娘が、この冬、いきなり「女の子」になった。娘の急激な「女子化」は我が子ながら驚かされる。娘自慢の親馬鹿話を書き出したら、それこそキリが無いのでこの辺にしておくけれど、体調不良の思考力低下も相まって私の頭の中は、娘可愛さのあまり、いささかお花畑化している。

……などと楽しげな話を書いてみたけれど、引き籠り期間はもちろん楽しい事よりも、そうで無い事の方が多かった訳で、気が向いたら「しんどかったこと」も書いておきたいと思う。続きは追々と……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。

娘のキッチンと自慢のお弁当箱。私の子供の頃にも、こんなキッチンがあれば夢中になっていただろうなぁ…と、ちょっぴり娘を羨ましく思ったりします。










2010年01月16日(土) 弱り目に祟り目。

お久しぶりの近況報告など。

お正月明けからずっと体調不良で日記どころではありませんでした。キッカケは娘の風邪。娘は1晩熱を出しただけで、それ以降は熱を出すことは無かったのですが、何故か治りが悪くて2週間ほどグズグズ。そうこうしているうちに夫も私も娘と同じタイプの風邪に罹ったらしく、家族総出でグズグズ。呼吸器系にダメージが来る風邪で、咳がなかなか止まずに大変でした。咳が出るので寝付けないのか、娘は夜中に泣くことが多く、そのため私も安眠出来ず、心身共にクタクタになっていました。

娘も夫も少しずつ回復してきたなぁ……って頃、気が抜けてしまったのか私の風邪が酷いことに。その上、突然の腹痛。どうやら消化器系の腹痛ではなく、婦人科系の腹痛。弱り目に祟り目って感じです。

娘を実家の母に見てもらって病院へ行ったら、何某かの最近で子宮から卵巣まで炎症を起こしているとのこと。何が原因かは検査をしないとハッキリ分からないのだけど、大病ではなさそうなのでホッっとひと安心。抗生物質と痛み止め、それに痛み止めの座薬までもらって帰ってきました。

「座薬まで出してくれるなんて大げさだなぁ…」と思っていたら、痛み止めを飲んでいるにも関わらず、けっこうな痛みが襲ってきて医師の処方になるほど納得。けっきょく座薬を使うことに。座薬を入れるだなんて大人になってからは初めての経験で「どうやって入れたら良いものやら…」とビビリまくっていたのですが、案外使いやすくて吃驚しました。いまどきの薬は上手いこと出来てるなぁ……と感心した次第。

そんなこんなで、ここ2週間は自宅で悶々と過ごしていました。辛うじて食事の支度はしていたし、娘の相手もしていたけれど、怒りの沸点が低くなっていて、ちょっとした事で娘を怒ってばかり。いつもなら見過ごせる範囲のことでも、ついつい「こらっ」と怒ってしまっていて、娘には可哀そうなことをしたなぁ……とは思うものの「お母さんだって人間なんだよ」と弱音を吐いてしまう始末。

その上、いまだ完全回復には至っておらず、いまだ咳は酷いしお腹は痛いしで散々だったりします。まぁ、一時を思えば随分楽になってきたし「治ってきた」という実感はあるので、もう少しの辛抱かなぁ……と思っています。

この1週間で元気になって、来週末は楽しく過ごしたいものだなぁ……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2010年01月12日(火) 生存確認。

生きてます。

元気にしています…とは言い難いのですが、どうにかこうにか。家族して絶賛風邪っ引き中。長期仕様。落ち着いたら、また出てきます……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2010年01月06日(水) 愛する人のいる世界

昨日は年明け早々、恩師の訃報を知ってショックを受け話を書いたけれど今日もその話の続き。

先生が亡くなったことを知らされてショックを受けたのとは別のことなのだけど、その葉書にはちょっと吃驚することが書かれていた。先生は昨年の4月に亡くなられていたのだけど、そのご主人は先生が亡くなる2ヶ月前に亡くなられていた。先生は伴侶の後を追う形で亡くなっておられたのだ。

先生のお嬢さんは短期間で両親を喪ってしまったのだ。その哀しみはいかばかりかと思うと、なんとも辛い話だけれど「お嬢さん」と言っても、私よりも年長でご自分のご家庭を築いておられるので、哀しんでばかりもいられないだろうし、時間をかけて哀しみを乗り越えていかれるのだろうと思う。

とても哀しいことだけど「夫婦の最後」としては理想的だったのではないかなぁ……と思う。

先生はとても線の細い女性だった。子供の頃は気付かなかったけれど、今にして思えば色々な意味で生き辛いタイプの人だったと思う。真面目で心やさしく繊細な女性で「普通のおばちゃん」「普通のお母さん」とは少しタイプが違っていたように思う。仲の良いご夫婦だったようだし、ご主人が心配して先生を迎えに来たのではないかと思ったりした。

三国志に出てくる桃園の誓いではないけれど、誰しも愛する人とは死ぬ時も同じでいたいと思っているだろう。ごく稀に、先生のようなケースもあるけれど、大抵は片方が先立ったり、あるいは取り残されたりする。私は強気そうでいて、実はかなりの淋しん坊なので、娘が成人して私自身もそこそこの年齢が来たら早めにお暇したいと思っている。ものすごく自己中心的な発想だけど、愛する人達を次々と見送るくらいなら、ひと足お先に逝かせてもらいたい。

……などと、常々そう思っているのだけれど、実際はしたたかに生きていくような気もする。

いつまでも少女のような雰囲気を持っていた先生が、ご主人を追うようにして亡くなったという事実は、とても先生らしくて、哀しいながらも受け入れられるような気がした。

私自身がどういう晩年を過ごすのかは皆目見当もつかないけれど、今私が生きている世界に愛する人…別れ難い人がいるってことは、幸せなことなのだと改めて思った。今更ながら、あれこれ思い巡らせてみたところで今日の日記はこれにてオシマイ。


2010年01月05日(火) 新年の訃報

年明け3日。訃報が届いた。

全く覚えの無い人から年賀状(寒中見舞い)が届いていて「誰からだろう?」と目を通してみると、子供の頃にお世話になった書道の先生の娘さんからだった。先生は昨年の4月に亡くなられていて「生前はお世話になりました」との通知だった。

3歳から大人になるまでずっと書道をしていて、亡くなられたのは最初に習った先生だった。優しい女性で長らくお世話になったのだけど「私は子供の先生は出来ても大人の指導は出来ないから」と違う教室に通うことを勧められて、途中で教室を辞めることになったのだけど、私にとっては大切な恩師で、それ以降もたまに顔を出したりしていた。書道を辞める時は報告に行ったし、それからも何度かお会いしたのだけど、電話で結婚の報告はしたけれど、結婚してからは1度も顔を出していなかった。

先生は自分の親と同じ世代の方で、近くに住んでいることもあり「いつでも会える」と思っていた。むしろ「いつ行っても先生はそこに居てくれる」と言うような甘えがあったのだと思う。どうして結婚の報告を兼ねてお会いしておかなかったのだろうと、今さらながらに悔やまれる。

人の死はいつだって唐突だ。

特に自分より年長の人とは「いつ別れが来てもいいように」くらいの気持ちでいなくちゃいけない。人の死と向き合うたびに「自分の大切な人とは悔いのないよう接していこう」と心に誓うのに、また同じ過ちを繰り返してしまった。とても優しい先生だったので、不詳の弟子の不義理は笑って許してくださるだろうけれど、もう1度お会いしたかったと残念でならない。

お世話になった先生のご冥福を祈りつつ、自分の周囲にいる人達とはもっと真摯に向き合っていこうと心に誓いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2010年01月04日(月) あけましておめでとうございます

新年明けましておめでとうございます。今年も拙いながらもボチボチ書いていきたいと思いますので、おつきあいいただければ嬉しいです。まずは年末年始の覚書など。

年末は31日から夫の実家へお泊り。娘にとっては生まれて初めてのお泊り体験。少し前から「大晦日はおばあちゃんのお家にお泊りするよ」と話聞かせていたのが良かったのか、朝から大興奮。お節料理の用意を済ませて夫の実家に着いたのは午後3時過ぎ。娘&義母の張り切りっぷりは素晴らしかった。遊んだり、お鍋を食べたり。しかし大晦日と言っても娘はいつも通りに午後7時就寝。

その後は大人のまったりタイム…となるはずだったのだけど、娘は前日から風邪気味で熱こそ出なかったけれど、咳が酷くてその夜はグズグズ言って大変だった。楽しかったのも本当だけど、正直「しんどかった」の方がウェイトの高い大晦日イベントになってしまった。私と夫は大変だったけれど、おばあちゃん孝行(私達にとっては親孝行)が出来たし、娘も喜んだので良かったと思う。

翌元日は義母の作ったお節料理を食べて、お昼前にはお暇した。本当は初詣に行く予定だったのだけど、朝からとても寒かったので義母が「寒いし足が痛くなるから出掛けるのは遠慮するわ」と言うので、そのまま帰宅することに。その後は自宅でのんびり過ごして、私の作ったお節料理を食べた。

2日の夜は実家の家族とお正月会。3日目は娘も元気になったので近くの神社に初詣。夫の実家で年越しをした以外は実に地味なお正月だった。娘が風邪気味でグズグズだったので、娘が元気になってきた3日目以外はゆっくりすることが出来ず、なにげにしんどいお正月だった。

まぁ、それでも家族揃って大病もせず無事に新年を迎えることが出来たのは本当に嬉しい。お正月の3日間はザッっとこんな感じで過ごしたのだけど、ちょっと嬉しいことがあったり、哀しい知らせがあったりした。それらについては、また追々と書いていけたらなぁ……と思う。

夫は今日から出勤。お節料理も今日の夕食で食べきった。お節に飽きたので明日はカレー。(お節もいいけどカレーもね…というコピーを作った人は天才だと思う)気持ちを切り替えて頑張って行こう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。

我が家のお節料理。今年は黒豆と栗きんとんは夫の実家から貰ったので写真を撮った時点では入っていません。凝った物は作っていませんが家族3人で美味しく戴きました。








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