白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2008年04月30日(水) 日焼け

結婚指輪をはずしたらリング状にクッキリと白い型がついていた。どうやら日に焼けしてしまったらしい。

最近、娘を連れて毎日外に出掛けている。買い物を兼ねて午前中ちょろり。お昼寝前にちょろり。そしてお昼寝後、夕方にちょろり。顔には日焼け止めクリームを塗っているで、手にも塗れば良いのだろうけれど、手は日焼け止めを塗ったところで家事をしていたら取れてしまう。子供がいない時は日傘を差していたけれど、そう言うわけにもいかないし。UVカットの手袋も一応持ってはいるのだけれど、娘のご機嫌によってバタバタと出発してしまうことが多く、そうなると自分の身支度は適当になってしまいがちで、帽子をかぶるので精一杯。

高齢出産・高齢育児に挑む私にとって日焼けはご法度。若いお母さんと違って日焼けしたって、そうそう元には戻らないのだ。それどころかシミ・ソバカスといった副産物だって出てくる。ここは気を使わなければいけないポイントだと分かっているのだけれど……現時点ではまったく出来ていない。

「日焼けは母親の勲章さ!」などと、うそぶいてみるものの、小さな赤ん坊を抱いていながらも身綺麗にしているお母さんを見ると、もう少し頑張らねばと焦ってしまう。

そんな私の悩みとは裏腹に、娘はすっかりお出掛け好きの乳児になってしまった。外に出してくれとばかりに玄関のベビーサークルにかぶり付いている姿は檻の中に閉じ込められた動物さながら。娘は外に出掛けて、色々な物を見て観察したり、家族以外の誰かに抱っこしてもらってり、相手をしてもらうのが楽しくて仕方がないらしい。愛想の良さが板についてきた感じだ。

今後、娘が歩くようになったら、もっともっと外へ出ることになるだろう。ならば今のうちから身綺麗にして外に出たり。日焼け対策をする習慣を付けておかねばなぁ…と反省してみる今日この頃。夏の終わりに「やってて良かった」と言うか「しまった…」と言うかは自分次第。このままでは後者になりそうな予感満載だが、少しでも気をつけるようにせねばなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年04月29日(火) 昔の子育て

年配の人から「昔の子育て」について話を聞くのが面白い。

昨日は娘を公園へ連れて行ったら、たぶんご近所に住んでおられるだろう婆様2人から挟み撃ちにあった。「赤ちゃん可愛いねぇ。抱っこさせて」と娘の相手をしてくれた婆様は決まって自分達が子育てしていた頃の話をしてくれる。昨日のテーマは赤ん坊のお風呂について。

婆様2人は声を揃えて「今の若い人は赤ん坊をお風呂に入れるの大変よね」とおっしゃる。赤ん坊をお風呂に入れる手間隙なんて、今も昔もそう変わらないだろうけど、核家族化しているために母親が1人でなんでもしなくちゃいけない…とか言う話かと思っていたら、そうでは無かった。

自分達が子育てしていた頃は内風呂が無かったから、毎日銭湯へ行っていた。赤ん坊を洗った後に自分がお風呂に入るのだけど、自分がお風呂に入っている間、銭湯の脱衣所には「赤ん坊を見てくれるおばあさん」がいて、その人が服を着せてくれたり世話をしてくれていたので、のんびりお風呂に入ることが出来た。「赤ん坊を見てくれるおばあさん」は常時2人くらいいて、ちょっとした心づけを渡したりしていたとのこと。

銭湯では女達が適当に他人の赤ん坊の世話をしていた…って話は聞いたことがあるけれど「赤ん坊を見てくれるおばあさん」が常駐していたなんて話は始めて聞いた。地域的な風習なのか、それとも世代の問題なのかは分からないけれど、婆様2人が「そうそう。昔はそうだったわねぇ」と頷きあっているところを見ると、実際にそういう銭湯にそう言うシステムがあったのだろう。

現代なら責任問題云々があって、そんなことは出来ないだろうけれど、昔は今よりも大雑把に、かつ大らかに子供を育てていたのだろうなぁ。そう言うのって、ちょっと羨ましい。

それにしても私の住んでいる地域はまだまだご近所づきあいが残っていて、年配の人から話をが聞くチャンスがあるのは、ありがたい。密室育児だったらストレスが溜まっているだろうなぁ…と思う。

黄金週間中だけど夫は仕事。これから娘をお風呂に入れて寝かせるという大仕事が残っている。そろそろPCを落として準備をせねばなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年04月28日(月) つつじの森とネックレス

昨日は家族で浄水場のつつじを見に行ってきた。

つつじの名所として有名な浄水場とのことだけど、私も夫も初めての場所。娘を抱っこ紐で抱っこして電車に揺られてのお出掛け。電車を降りるとつつじを目当てにやってきた人がゾロゾロと歩いていて、なんとなく楽しい雰囲気が漂っていた。

浄水場の公園では、フリーマーケットが開催されていたので、つつじを見るより先に冷やかしてみた。娘の夏服を2着購入。娘の夏服はもう充分に用意しているのだけど、可愛らしかったのと青空の下で気持ちが良かったのとで、うっかり手が伸びてしまった。子供の物となると財布の紐が緩くなってしまいがち。まぁ、それもお楽しみの1つと言うことで。

娘の服以外は、これと言って買うべき物は無かったのだけど、手作りアクセサリーを売っている人がいて、夫が「何か1つ買ってあげるよ」と言ってくれた。娘が小さい間はアクセサリーとかお化粧は無縁(普段はノーメイクだけど、お出掛け等の時はしている)のものだと思っていたのと、私が家庭に入って収入が減った分、贅沢はしないでおこうと考えていて、自分のアクセサリーを買うなんてことは娘がある程度成長してからだなぁ……と思っていただけに、夫の気持ちがとても嬉しかった。今はまだ使えないけれど、娘がもう少し大きくなったら使おうとネックレスを買ってもらった。

そしてお目当てのつつじ鑑賞。浄水場のつつじは聞きしに勝る見事なもので、つつじの壁…と言うべきか、つつじの森と言うべきか。明るい空の下、鮮やかな色のつつじが豪快に咲き誇っていた。つづじの群生って、なんだかモンスターのように見える。「つつじに喰われそう」と思ってしまうぼとに。つつじを眺めながらお弁当など。外で食べると何でも美味しい。

帰りは1つ向こうの駅までブラブラ歩き。柏餅と漫画を1冊買って帰宅した。気持ちがパリッっと切り替わるほどにリフレッシュ出来た休日だった。娘の服とか、豪快なつつじとか、他にも色々と良かったことがあったけれど、夫にネックレスを買ってもらったのが心に残った。買ってもらったネックレスは娘がなんでもかんでも引っ張らないようになるまで楽しみに取っておこう……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。

ここまで豪快につつじが群れているのを見たのは生まれてはじめて。なんだか圧倒されてしまった。









2008年04月25日(金) 人に優しくない医療

ご家族に入院治療中の病人がおられる友人がいるのだけれど、自宅から片道2時間もかかる病院に転院になったとの話を知った。

医師不足等、現代医療が抱えている問題は沢山あり過ぎて、なかなかそこまで手が回らないのも承知しているけれど、入院患者の家族のことも少しは配慮してもらえたら良いのになぁ…とつくづく思う。入院治療も1週間程度のものだったら、一種のイベントとして乗り切ることも可能だが、長期の治療となると患者自身もその家族も心身共に疲れてしまう。

かつて愚弟が長期に渡って入院・治療している時、電車で片道1時間半かかる病院に入院している時期があった。足の悪い母にその距離が通えるはずもなく、ウィークリーマンション等を探したものの、病院の近くに丁度良い物件が無く、費用がかかるのは承知の上で、毎日タクシーで往復してもらったことがある。幸い、近くの病院に転院することになったのだが、あれがずっと続いていたら…と思うとゾッとする。

長期に渡っての入院の場合、医療の点数の関係で転院を迫られることが多々ある。(もちろん治療の関係で…ということもある)転院のたびに病院が自宅から不便な場所になる……なんてケースも多い。最近では完全看護で付き添い不要の病院も多くなっているものの、現実問題として考えると家族に長期の入院患者がいた場合、やはり日参せずにはいられないのだ。

長期療養が必要な病人が家族にいるということは、ただでさえ大変な状態なのに、自宅から病院が遠いとなると、経済的にも精神的、身体的にも大きな負担となってしまう。

今の医療の体制では患者の家族の事情まで考えていられない…ってのが現状なのは分かっているけれど、なんとか出来ないものかと思う。自宅から離れた病院で長期療養をする患者の家族のために、格安の宿泊施設を用意している病院もあるようだが、そういう恵まれたケースはまだまだ少ない。

日本は医療技術に関して先進国と言っても良いと思うけれど、その医療を受ける人間は置いてけぼりの印象がある。変えていかなきゃいけない事だし、個人的にもささやかながら活動したい。人に優しい医療であって欲しいなぁ……と願いつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年04月24日(木) 春雨とチーズケーキ

今日は朝から雨模様。お外に出たくて仕方の無い娘は物足りないようだけど、お天気ばかりはどうしてあげることも出来ず。せいぜい遊んでやったり、玄関から外の景色を見せてやったり、おんぶをして誤魔化したりするのが精一杯。

実家の母が言うところによると「この子は女の子の育てやすさが全く無いね。やんちゃな男の子みたいだわ」とのこと。母親達は「育てやすい子」とか「育てにくい子」とか言う話をするけれど、私にとって娘ははじめての子供なので、正直なところよく分からない。「大変だなぁ」と思うこともあるけれど「赤ん坊って、こんなものでしょう」と思う以上のことは特に感じない。

娘は健康で、生きるエネルギーを沢山持って生まれてきた子なのだな……とは思う。今まで病気ひとつせず元気に大きくなってくれている親孝行な子だ。本当にありがたい。親として子供に望むことは「とりあえず天寿をまっとうする人間になってください」ってこと。生きていくには大変な世の中だけど、それでも素晴らしいことは一杯転がっている訳で、せっかく生まれてきたのだから目一杯それらを享受してほしいと思う。

どうせ雨で外に出掛けられないのだし……とてお菓子を作ることに。本当はシュークリームが作りたかったのだけど、材料の関係(バターが足りなかった)でチーズケーキを焼いた。グズグズ言う娘を背負ってのお菓子作り。娘にはまだお菓子作りは退屈らしく背負われたまま眠ってしまった。まだまだお菓子作りは初心者だけど、気軽に作ろうと思えるようになっただけでも一歩前進したように思う。

午後からはお天気が回復してくるとの事なので、エネルギーを持て余している娘を連れて外に出掛ける予定。完全に雨が上がらなくても、小雨くらいなら傘を差して出掛けても良いし。午前中は用事をしたりお菓子を焼いたりで、娘をあまり構ってやらなかった分、午後からはしっかり構ってやらねば。チーズケーキを励みに午後からも頑張るぞ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。

チーズケーキは作り慣れてきたので、そろそろレパートリーを増やして別のお菓子にチャレンジしたい今日この頃。








2008年04月23日(水) ささやかなお楽しみ

今日は朝から暖かい…を通り越して暑いと言った方が相応しいお天気。張り切って掃除を済ませ、お布団を干し、ベビーカーを押して図書館へ出掛けた。小説を何冊かとと料理の本を借りる。今更ながら『東京タワー』など。予約の波が終わったらしく、普通の棚に並んでいたので。大評判だったけれど、面白いのだろうか? かなり楽しみ。

ここ数日、娘がベッドでお昼寝をせず(ベビーカーだの、おんぶだのでは眠る)なんだか体力の切り売りのような感じで草臥れ気味なので「なにか自分にご褒美をあげたい…」とて、甘いものを買うことにした。

駅の近くに「いきなり団子」という熊本県の名物を売るお店がある。一坪ほどの小さな店で、月の半分くらいは百貨店などで開かれる九州物産展などに出店し、残りの日は店を開ける…という不定期営業のお店なのだけど、今日は運良く営業していた。ウキウキといきなり団子を1つ購入。

大阪では聞きなれない熊本弁の店主が「赤ちゃん、見せてもらおうかな」と店先まで出てきて少しばかり娘の相手をしてくれた。オカリナをこよなく愛する店主は、オカリナだけでなく民族楽器に興味があるらしく、アイヌの竹笛を吹いてくれた。蛙の鳴き声のような面白い音の出る笛で、娘も私も和ませてもらった。

帰宅後、ベビーカーで寝てしまった娘を起こさぬようにベビーカーごと玄関置いたまま、蒸したての温かいいきなり団子を食べた。甘い物を食べるとなんだかホッっとする。娘の寝ている隙に、ささやかなお楽しみ。これで午後からも頑張れるぞ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年04月22日(火) 空の色に似合う花

桜が散って、菜の花もそろそろ時期はずれになってきたなぁ…と思っていたら、牡丹だのアマリリスだのといった鮮やかな色目の花が開き始めた。自然の景色ってのは上手いこと出来ているなぁと感心させられる。その時期の空の色に似合う花が咲くのだから。桜や菜の花は、ぼんやりと霞がかった空の色に似合う花だし、牡丹やアマリリスは、たっぷりと光を含んだ空の色によく映える。向日葵は鮮やかな夏の空に、コスモスは澄んだ秋の空に。

それぞれの花はその季節の空に似合うようになっているのだ。

話は変わるが、無断転載の件について。ブログの運営元に入ってもらって、無断転載をした本人からメールを貰った。メールには謝罪と「記事を削除します」と書かれていた。本当に謝罪する気持ちがあるのだろうかと、意地悪なことを思ってしまった。最初に連絡した段階で謝罪と削除がなされていたら、そんな事は思わなかっただろうけれど。しかし「謝罪と削除」がなされたのであれば、それ以上のことは求めるべくもない。無断転載自体は今でも許しがたいと思っているが「これで終わりにしましょう」と返事を返した。

いまさら追求するつもりはないけれど、彼はいったいどういう心持ちで無断転載をたのだろう。ブログには私以外の人の書いた文章が多数使われていた。(私以外の無断転載分もすべて削除された)「なかなか良い文章だなぁ」と思うものが多いところから考えると、彼はたぶん「文章を読む」のは好きなのだろう。「だったら、何故そういうことをしたんだろう?」と残念に思う。「同じ趣味を持つ人に悪い人はいない」と思いたい気持ちがあるのだけれど、そうとは言い難いってことを思い知らされた。不愉快な出来事だったし色々と考えさせられることも多かったが、とりあえず解決したのだから、気持ちをあらたにしたいと思う。

ここ数日は天気が良くて暖かいので娘と外にいる時間がやたらと長くなった。「暑過ぎて外に出られない」という時期になるまで、存分に外遊びを楽しもうと思う。午後からもまた娘を連れて散歩に行かねばなぁ…って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年04月21日(月) 懐かしい人達

週末は元職場の人達が我が家に遊びに来てくれた。

夫は生憎休日出勤。娘と私でお出迎え。来てくれたのは女性ばかり5名。6畳の居間(和室)がいつもより狭く感じた。ちゃぶ台に珈琲だの紅茶だのを並べたらギュウギュウ詰め。まさしく「狭いながらも楽しい我が家」というところ。至れり尽くせりのではないけれど、お客様は大歓迎。狭いなら狭いなり、不自由なら不自由なりになんとかなるものだ。

女が6人も集まれば喧しいことこの上ない。元職場の近況報告だの、それぞれの恋の話だの、私の子育て報告だの話題の尽きることはなかった。2時から6時までの4時間がアッっと言う間に過ぎてしまったどころか「喋り足りないなぁ」と思ってしまったほどだ。

元職場では私の後任に入った人が、いまいち使えない人だったらしく、来月で解雇するとのこと。「戻ってくれるなら、いつでも大歓迎なんだけど」と冗談とも本気ともつかない調子で言われた。「手伝ってあげたい気持ちは山々だけど、娘を預けて働くとしても、少し遠いからお迎えの時間に間に合わないしねぇ」なんて返事をした。しかし本当のところは保育園云々なんて言う話は詭弁に過ぎず、娘と離れ難いってだけなのだけど。

ずっと専業主婦でいられるほどお金持ちでもないので、いつかは仕事をする日も来るだろうけれど、今はまだ娘との時間を大切にしたいと思っている。「今しか出来ない経験をさせてもらっている」と思うと、日々の生活が愛しくてならないのだ。

それにしても久しぶりに懐かしい人達に会えたのはとても嬉しかった。みんな元気そうで何より。切迫早産で、なかばバッくれるような形で職場を去ってしまったのに、こうやって遊びに来てくれるなんて本当にありがたい。また、みんなで会いたいものだなぁ……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年04月18日(金) 親切にされて

昨日は雨が降る中、娘を抱っこ紐で抱っこして傘を差してスーパーへ行った。わざわざ雨降りのひに買い物へ行かなくたった食事の仕度は出来るのだけど、娘が外に出たいとうるさかったのだ。「お出掛けしようか?」と言うなりニッコリ笑う娘。まったくもって赤ん坊って生き物は外に出るのが大好きだ。

ひとしきり買い物をしてレジに並んだ。「袋はいりません」とレジの人に告げると、レジの人が「よろしければ、その袋(エコバッグ)に荷物をお入れしましょうか?」と言ってくれた。しかし、そのスーパーでは、そういうサービスは実施していない。赤ん坊連れだったので言ってくれたのだろう。「ありがとうございます。助かります」と甘えさせてもらった。

娘を産んで「子連れ」という立場になってみて、人の親切が身に染みるようになった。

今日だけでなく、電車で席を譲ってもらったり、ベビーカーで道を譲ってもらったり。今まで私は社会の中で常に「譲る」あるいは「親切にする」立場にいた。恥ずかしながら「してあげる」的な上から目線で社会と係わっていたように思う。それが娘を産んで人に助けてもらうようになり「人の親切ってなんていいものなのだろう」と思うようになった。この感覚は娘がいなかったら、自分が「お年寄り」という立場になるまで分からなかったかも知れない。

娘のおかげで気付かされることの多いことと言ったら!

昨日は雨の中出掛ける羽目になってうんざりしたけれど、とても嬉しい1日だった。今はまだ「親切にしてもらう」立場だけれど、娘が成長して自分がお返し出来る立場になったら、それまでとは違った気持ちで出来るんじゃないかと思う。自分の受けたものを返していける人間になりたいなぁ……と思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年04月17日(木) ニュアンスの違い

今日はガラス屋さんに来てもらった。

私達家族が住んでいる家は中古住宅で、家を購入した時から居間のガラス障子のガラスが一部欠けていた。それほど気にならない程度の小さな欠けだったので、今までそのままにしていたのだけど、娘の指なら入ってしまうような大きさで、娘も動くようになった事だし……と交換してもらうことにしたのだ。

このガラス屋さんには結婚した年の夏、玄関に網戸をつけてもらう際にお世話になった。ガラス屋さんのご主人はその時のことを覚えておられて「そうですか、赤ちゃんが授かったんですか。良かったですね」と娘の誕生を祝福してくれた。

赤ちゃんが授かった…って、いい言葉だ。赤ちゃんが出来たと言うよりも、ずっと良い。ちょっぴりニュアンスが違うだけなのだが随分と印象が変わるように思う。

私はずっと「子作り」とか「子供を作る」って言い方がちょっと苦手だ。そりゃぁ、まぁ子供の誕生にはそれなりの行為が必要なのだし「子供を作る」という言い方も間違いでは無いのだけれど、やっぱり赤ちゃんは作るものではなくて、授かるものだと思うのだ。

娘が産まれて半年が過ぎたけれど、娘の寝顔を見ていたり、抱っこしてお風呂に入っている時、いまだ「私はこの子の母親なんだなぁ」としみじみする事がある。娘を授かって本当に良かった。娘を育てるにあたって、しんどいことが全く無いと言えば嘘になるけど、幸せの方がずっと大きい。

ガラス屋さんが作業している間、1人でお利巧にお昼寝していた娘はガラス屋さんが帰ったとたん、火がついたように泣き出してなだめるのに手こずった。添い寝していないとバレると泣き出すのだから困ったものだ。すっかり甘えん坊になっているが、しかしそこが可愛い。

今日は「赤ちゃんが授かったんですね」なんて言葉を久しぶりに聞いてちょっと嬉しかった。最近は「子供が出来たんだ。へぇ」的な言葉を聞く方がずっと多かったので。居間の障子のガラスは1枚だけピカピカなので明日は、他のガラスを念入りに磨かねばなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。

【追記】無断転載の件は、ブログの書き手からの反応が無かったのて、ブログの運営元に連絡して中に入ってもらうことにした。今後の展開に期待したいところ。


2008年04月15日(火) 無断転載

とあるブログで私の日記の文章がごっそり転載されていることを知った。

私の日記は、あくまでも素人の遊びの範囲で書いていて、それ事体に金銭的価値は無いので、権利云々を声高に叫ぶつもりはないが、正直なところ気分のいい話ではない。まさか自分がそういう事体に直面するとは思ってもみなかった。

そのブログを読んでみると、日にちごとに文体が違っているので、もしやと思って検索をかけてみたら、どうやら無断転載で成り立っているブログのようだった。「この文章気に入ったから自分の日記として使っちゃおう」的に使われているのだとすれば、私の書いた物も気に入ってもらえたと言えなくもない訳だが、モヤモヤせずにはいられない。

とりあえずブログの主には削除してもらうよう申し出てみたが、どういった反応が返ってくるやら。場合によっては積極的な手段に出ることも検討したい。

今日はバタバタしていたので、本当なら日記はお休みしようと思っていたのだけれど、備忘録として書いてみた。とりあえずはブログの主の反応を待ってみよう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年04月14日(月) 2人合わせて1世紀

週末は娘を連れて和歌山の田舎に住む夫の祖母の家へ行ってきた。娘にとって曾祖母になるその人は、来年早々に100歳を迎える。あちこち弱っていて寝こみがちだと言うものの、いまだ畑に出る達者な婆様だ。

電車を乗り継いで一路和歌山へ。途中、半分ほど散ってしまった山桜を沢山目にした。菜の花畑も沢山。夫の従兄に駅まで迎えに来てもらって義祖母宅へ。

義祖母は以前、お会いした時よりも少し小さくなったようにも思われたが、それでも皺の深い顔をクシャクシャにして出迎えてくれた。産まれてから1年に満たない娘と、あと1年足らずで100歳になる義祖母。義祖母に娘を抱いてもらって写真を撮りながら「2人合わせて1世紀か…」なんて事を思った。

100年という時間を目の当たりにしたような…ちょっと不思議な気分だった。

義祖母は曾孫を堪能した後「昼寝をするから」と早々に離れに籠ってしまわれた。私達は母屋でもてなしを受けた。「昼食を済ませて行きます」と連絡したのだけれど、食卓には都会で食べる2倍くらいの大きいいなり寿司が沢山用意されていた。他何も苺にケーキ、イカを焼いた物などご馳走が一杯。ご馳走を戴きながら、義祖母と一緒に暮らしている叔父や従兄とお喋りなどして楽しい時間を過ごした。

帰りには地元で取れた清見オレンジやデコポンをどっさりお土産に持たされる。帰る間際に離れに引っ込んでしまった義祖母に挨拶に行ったら「私もお土産を用意したから」と包みを渡された。中には時も手で取れたキノコと筍。それに蜜柑とサバの缶詰が入っていた。義祖母に挨拶した後、従兄が気を利かせてくれて「缶詰はどこで買えるし重いから、置いて帰りなよ」と缶詰を袋から出してくれた。

「お土産に缶詰」なんて今の感覚だと不思議に思うのだけど、ずっと田舎で暮らしてきた義祖母にとっては今でも「ご馳走」なのだろう。孫と曾孫に美味しいお土産を持たせてくれる義祖母の気持ちがとても嬉しかった。

子供は国の宝だと言うけれど、長生きしているお年寄りもまた宝だと思う。子供の頃は「お年寄りが宝」と言う感覚は全く理解出来なかったものだけど。義祖母は100歳まで生きたいと言う。義祖母の願い通り、これからもお元気で長生きしていただきたい。

回は義祖母に娘の顔を見せるのが目的だったけれど、従兄達とのお喋りも楽しかった。遠くに暮らす親戚とは、そうしょっちゅうは行き来する事が出来ないけれど、家族揃ってまた遊びに行きたいなぁ……なんて思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年04月11日(金) 「初恋」と「初好き」

夫と娘の将来について話をしていて「この子もいつか誰かを好きになったりするんだろうねぇ」なんて流れになった。近所の母親先輩達から「今の子はおませだからバレンタインデーはなかなか熱いよ」なんて話を耳にしたりする。娘はまだ赤ん坊で、そんなことを考えるのは早過ぎるのだけど気にならないと言えば嘘になる。

と、夫が面白いことを口にした。「俺、思うんだけど『初恋』と『初好きは』は違うんじゃないかな」

初好きなんて言葉、聞いたこともないけれど、夫の言いたいことは一瞬で理解することが出来た。「初恋」と「初好き」その2つは似ているけれど微妙に違う。例に上げて言うならこんな感じだろうか。「○○くん(さん)が好き。大きくなったら結婚したい」と素直に口にするのが初好き。「○○くん(さん)が好き……だけど、そんなの恥ずかしくて言えないや」ってのが初恋。初恋は、初好きには無い「切なさ」というトッピングがあってこそ成立するような気がするのではないかと。

「娘の初好きには動揺しないだろうけど、初恋となると動揺するだろうなぁ」と夫。成長した娘がどんな恋をするのかなんて想像もつかないけれど、きっといくつかの恋をするのだろう。もしかしたら、たった1つの恋かも知れない。どちらにしても、たぶんそれは素敵なことだ。

夫とそんな話をしていて、自分の「初好き」や「初恋」のこと、そして数少ない恋のことを思った。それらは心の秘された部分に追いやられているけれど、いまだ決して色褪せることはない。

私の傍でキャッキャと声を上げて笑う娘に、いつの日か切なさに涙する日が来るのかと思うと不思議な気がする。娘が両親以外の誰かを好きになったり恋しく思ったりする日まで「お母さん大好き」を楽しませてもらおう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年04月10日(木) 添い寝

昨夜は春の嵐という勢いで風雨が激しかったけれど、今日は午前中になって快晴とはいかないまでも、なんとか雨が上がったので娘を連れて買い物に。せっかく咲いた桜は昨日の風雨で半分以上散ってしまった。湿り気を帯びた桜の花弁がベッタリと道路に張り付いているのは、なんとも寂しい。

桜は散ってしまったけれど、気の早い花水木が1つ2つ花を咲かせていた。自然の木々や草花は無秩序に咲いているように見えて、自分達の出番が終わると、律儀にも次の主役にバトンを渡していく。春という季節はアッっと言う間に過ぎていくのだなぁ……なんてことを思ったりした。

最近、娘がお昼寝をする時は添い寝をするようにしている。娘はたっぷりお昼寝をする子では無いのだけれど、私が傍に張り付いていると比較的眠ってくれるのだ。娘を寝かしつけると時は、本と編み物セットを自分の頭の上に置いて、娘が寝たら一緒にお昼寝をしたり、あるいは本を読んだり編み物をしたりして時間を過ごしている。

今までは娘がお昼寝をしているスキに用事をしたりネットで遊んだりしていたのだけれど、添い寝をするようになってそれが出来なくなってしまった。不自由を感じる部分もあるのだけれど、午後の時間を娘とゆっくり過ごせるのは悪くない。

娘が産まれてもうすぐ6ヶ月。私の生活様式は娘の成長に合わせて日々変化している。娘を産む前は子育て中に自分の自由な時間が減ってしまうのは、さぞストレスだろうと思っていたが、やってみるとそんな事も無かった。気負わなくとも流れに沿っていけば、そのようになっていくものらしい。

今日も午後から散歩に出掛けて、娘と一緒に添い寝をする。今日の添い寝本は図書館で借りてきた大崎善生『スワンソング』。ネットで遊ぶ時間は減ってしまったけれど読書時間は格段に増えた。しばらくは、このペースで楽しんでいきたいなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年04月08日(火) 幼子に教わる

最近、娘と一緒に「家の前の集会」に参加することが多くなった。

我が家の前の道は車幅の広い自動車ならすれ違えないくらいの道幅で、車通りがほとんど無いため、近所の子供達の遊び場になっている。上は小学校4年生から下は1歳半までの子供達と、その母親達がワイワイ集って賑やかにやっていて、私と娘もその中の一員として参加している。

もっとも娘はそんな子供達と一緒になって遊べる訳ではないので、私に抱かれて彼らの遊びを目で追ったりしているだけなのだが、それでも充分に楽しいようだ。私も家に籠っているよりも、育児の先輩方に色々な話を聞けて楽しい時間を過ごしている。

娘と最も年齢が近いのは斜め向いの家に住む3兄弟の末っ子君。1歳半になる彼もまた、お兄ちゃん達の遊びにはついていけないのだけれど、それでもテトテト歩いてお兄ちゃん達を追いかけている。最初の頃、彼は自分よりも年下の娘を遠巻きに眺めていたのだけれど、このところ娘に興味を示すようになった。それどころか、娘のお世話をしてくれるのだ。

自分の玩具や宝物(石ころや葉っぱ)を「はい」と渡してくれたり、お兄ちゃんが道端に脱ぎ捨てたジャンバーを持ってきて娘に渡してくれたりする。わずか1歳半の幼子にも自分より小さくて弱いものを大切にしようという心が芽生えているのだなぁ。彼が娘のお世話をしてくれるたびに胸が熱くなってしまう。

誰に教えられた訳でもないのに、自分よりも小さくて弱いものを大切にしようとする……って事は、それが人間にもともと備わった資質なのかも知れないなぁ……なんてことを思う。性善説を唱えるつもりはないけれど、人間には温かく優しい心があるのだろう。大人でさえ弱者を労わることが出来ないことがあると言うのに、1歳半の幼子がそれを簡単にやってのけるのだと思うと、背筋が伸びる思いがする。

娘を育てるようになって「今さら」なことを思い出すことが多くなった。これは子供を育てることで得る二次的な収穫だと思う。幼子に教わりつつ、私も人として良い方向に成長したいものだなぁ……と思いつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年04月07日(月) お花見

週末は家族でお花見に行ってきた。夫はこの1週間、やたらと忙しくて草臥れ気味だったので休みはゆっくり家で過ごそうかという話もあったのだけど「桜は時期を逃したら見られないので」ということで決行することに。

朝早く起きて娘と夫の寝ている寝室を抜け出してお弁当を作り。買って済ませる…という方法もアリだと思いつつ、年に1度のお花見だからと張り切ってしまった。お弁当箱にギッシリおかずを詰め込み、お握りは1つ1つラップで包んだ。私自身、寝不足がつのっていて早起きはしんどかったのだけど、遊びに行く時のお弁当作りの楽しさは格別なものがある。

電車に乗って奈良県の大和郡山城へ行ってきた。お城の天守閣は喪失して石垣しか残っていないのだけれど、お堀のぐるりに桜が植えられていている。大阪城ほどの混んでいなくて、ほどほどの人出で賑わっていた。桜の木の下にシートを広げて昼食など。風がふくと桜の花弁が散り、絵に描いたような桜吹雪を見上げてながらお弁当を食べた。

私達が楽しかったのは言うまでもないが、娘がいつにも増してしそうだった。お天気が良くて気持ちが良いと言うこともあったと思うが、周囲の楽しげな雰囲気に感化されていた部分もあったのではないかと思う。娘はシートの上でキャッキャと声を上げて寝返りをしたり夫に遊んでもらったり。

お天気も良く、桜も素晴らしく、文句無しのお花見だった。

私は毎日幸せに暮らしていると胸を張って言うことが出来るのだけど、日々の生活となると楽しいことばかりとは言い難い。憂鬱な日もあれば、嫌なことやしんどい事だって多い。だけど稀に「ものすごく楽しい1日」ってのがあって、そういう1日を過ごすと「また頑張ろう」と思えるのだが、週末のお花見はまさに「ものすごく楽しい1日」だった。

日々の生活はしんどい事も多いけれど、また頑張って過ごしたいなぁ……と思う。週明けの今日は生憎の雨模様。せっかくの桜が散ってしまうなぁ。また来年の今頃に家族揃って桜の花を楽しみたいものだと願いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。

桜とお弁当。お弁当はタコウィンナー・チーズはんぺん焼き・鶏と蒟蒻の甘辛煮・南瓜煮付け・アスパラの胡麻マヨネーズ・オクラと玉葱とエノキのカレー炒め・ミニトマト。おにぎり3種(梅干・おかか・ゆかり)






2008年04月03日(木) お手紙

手紙が届くあてなど無いのに郵便屋さんが来るとドキドキしてしまう。

ネットが普及する前は趣味の友人と文通をしていたことがあるのだけれど、今はその彼女ともメールでやりとりするようになっている。もともと手紙好きなのでPCや携帯電話でメールをするようになっても、季節ごとに葉書を送ったり「ここ1番」と言うような大切な話がある時はペンを取ることもあるけれど、そう頻繁に手紙や葉書を書かなくなっている。

自分が書かないのだから手紙が届かないのは当たり前なのに、郵便屋さんが立ち去った後、ポストに入っているのがダイレクトメールや請求書だけだったり、あるいは何も入っていなかったりするとがっかりする。

春になってポカポカと暖かくなってくると無性に「お手紙が届かないかなぁ」と思ってしまう。たぶん大好きな絵本…アーノルド・ローベルの『おてがみ』の影響だろう。仲良し2人が肩を並べてお手紙を待っているあの場面は春の陽だまりの中じゃないかと思うのだ。作品の中に季節をほのめかす文章は無いのだけれど、あれは、とある春の日の出来事のような気がしてならないのだ。

昨日は友人から葉書が1枚届いた。今日は何も届かなかった。

桜の咲くこの素晴らしい季節になるとポストの前でボンヤリとお手紙を待っていたいような心持になる。現実はそうボンヤリもしている訳にはいかず、しかしそれでも郵便屋さんがくると「あっ」っと身構えてしまう。

娘がアーノルド・ローベルの絵本を読むようになるのは、まだ少し先の話だけれど、いつか暖かい春の日に娘と一緒にあの絵本を読みたいものだ。そして出来ることなら娘にもお手紙の楽しさを伝えられたらなぁ……なんて事を思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年04月02日(水) 逞しくあれ!

先日、娘に親友が出来た。左手の人差し指だ。これまで指をしゃぶる時、何本もの指をガバーッっと咥えていたのだが、いつの間にか左手の人差し指だけを咥えるようになった。これからしばらくの間、左手の人差し指は彼女の良き友となるだろう。手持ち無沙汰で退屈な時、あるいは不安でたまらない時、左手の人差し指は娘を慰めてくれるに違いない。

毎日娘と向き合ってくらしている中で「素敵なお母さんになりたい」と思っていたのだけれど、最近は「逞しいお母さんになりたい」と思うようになった。成長するにつれ娘は逞しくなってきて、私に対する要求も高度に…そして獰猛になってきた。「遊んでくれ」「抱っこしてくれ」「外に連れて行ってくれ」エネルギーの塊のような赤ん坊とガッツリ向き会うには、こちらもタフでなければならない。

素敵でなくてもいい。逞しい母でいたい。

何人もの子供を連れて街を闊歩する母親の姿は後光が差しているように思える。しっかりと太って、あるいは痩せぎすの彼女達は決して美しいとは言えない。しかし我が子と向き合って育て上げている自信に満ち溢れていて頼もしいことこの上ない。

娘は成長途上な訳だが、私も母親として成長途上なのだと思う。まだまだ逞しいとも頼もしいとも言い難いけれど「逞しい母」を目指して頑張りたい。最近、ちょっとヨレヨレしているが娘が歩くようになる頃にはもう少し逞しくなっていたいものだ。今のところは逞しい母を目指して修行中というところ。

昨日のエイプリルフールは気のきいた嘘を付くことなく1日が過ぎてしまった。毎年、Web上にある何某かに騙されて「ムキーッ。やられたぁ」となるのだけれど、昨日はネットを繋いでいる時間が短かったため騙されることもなかった。少し残念に思う。来年は逞しくなって、気のきいた嘘をつきたいものだ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


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白蓮 |MAILHP