連休中の話。楽しかったこと、その2。日曜日の夜、娘を夫にお願いして小学校の同窓会に出席してきた。
同窓会に集まったのは40人中、約半数。同窓会と言うと「昔は格好良かった(可愛かった)子が年を取っておじさん&おばさんになってがっかりした」なんて話を聞くけれど24年ぶりに会った同窓生は吃驚するほど劣化していなかった。身贔屓抜きに素敵に変貌している子が多かった。当時、お洒落で格好良かった担任の先生も57歳。そのお年とは思えないほど若々しくてお元気そうだった。
1番嬉しかったのは当時「愛すべきガキ大将」だった男子が年商10億の会社を経営する社長さんになっていたってこと。彼はクラスで1番大きくて、1番小さかった私は散々殴られたものだった。(私は殴られて殴り返すようなタイプだったけれど、腕力差ゆえによく泣かされた)小学校在学中にお父様が亡くなって、お葬式に出席した時、彼は小学生ながらもしっかりとお母様を支えていて「男の子って何かあると急に大人になるんだなぁ」と思ったのを今でも覚えている。グレた時期もあったりして「彼は大成功するか、道を踏み外すかのどちらかだろう」と思っていたのだけど、立派に成功していて嬉しかった。
最も遠くから駆けつけてきてくれた子は北海道在住。わざわざ同窓会に出るためだけに帰省したとのこと。出席した面子は男子も女子も、それぞれに立派な社会人になっていて、それ相応に幸せそうだった。
それにしてもクラスの半数が集まったのは、幹事になった子の努力の成果。当時みんなが住んでいた家を歩いてまわったとのこと。消息不明の子はネットで検索をしたらしい。(社長になったガキ大将などはネットで名前を検索して見つけたらしい)その他、あの手この手を使って探偵のように消息を探し出したとのこと。
子供時代を共に過ごした仲間ってありがたい。24年もの空白があっても、すぐに昔に戻れるのだもの。同窓会はかなり盛り上がったのだけど、私は娘のことがあるので途中退席。ゆっくり話を出来なかった子もいたけれど、懐かしい人達と会えて嬉しかった。
帰宅して夫に「みんな吃驚するほど素敵になってて、ガッカリする子はいなかったよ」と報告した。「でも、白蓮さん、それはね……」と夫。そう……夫が言うことは私も分っている。同窓会に出席した面子は、そこそこ幸せにやってる人達ばかりだってことを。遠くにいて出席出来なかった人もいるだろうけれど、そうでない人も多かったようだ。「○○さん、いまは大変らしいよ」との話もチラホラ。
今回、同窓会に出席した面子が次の同窓会にも幸せそうな顔をして出席出来る確約なんて、どこにも無い。そして今回は出席できなかった子でも次回は出席出来るようになっていることもあるだろう。私だって1番大変な時期に同窓会があったら出席出来ていなかっただろうと思う。
幸せは永続的なものでは無い。嫌な話だけれど、誰しもずっと幸せでい続けるなんてことは不可能なのだ。今の幸せに感謝しつつ、幸せでいられるように努力を惜しまぬようにしなくてはと自戒した。次の同窓会も出席出来る状況だといいなぁ…なんて思いつつ今日の日記はこれにてオシマイ。
連休中の話。楽しくなかったこと、その1。
雛人形を飾った日、大阪は雪が降っていた。雪なんて滅多に積もることのない大阪に雪が積もるだなんて大事件。ウィークディなら通勤に支障を来たして大変だけど、週末だったので自宅で暢気に雪見など。暖かい部屋で中国風白菜鍋、偏炉(ピエンロー) を突付きながら、のんびりと夕食など。
「娘をお風呂に入れて寝かし付けたら、あとは大人のまったりタイム」となった時、私の携帯が鳴った。乙女な母からだった。「具合が悪いから来て欲しい」とのこと。手足が痺れ、息が苦しいとのこと。電話の声からしてただごとでは無さそう。この冬1番の寒い夜に生後4ヶ月の娘を連れ出す訳にもいかないので、夫に娘を託して実家へ急いだ。
乙女な母はグッタリと横になっいた。「息が出来ない・胸が苦しい・手足が痺れる・寒い」と訴える。今すぐどうこう…というレベルではなさそうだったが、これはちょっとヤバいぞと、救急車を呼ぶ。救急隊の指示に従い掛かり付けの病院へ電話。掛かり付けの病院へ搬送されることとなった。乙女な母は救急処置室へ。私は外出中の愚弟と夫に状況報告。愚弟は小1時間ほどして病院へやって来た。
乙女な母は60歳。そんな年では無いけれど、何があってもおかしく無い。入院・手術等は覚悟しなくては…と思っていたら、看護士さんに処置室へ入るよう言われた。
乙女な母は……過呼吸だった。
今まで過呼吸にかかった事が無かったため、余計にパニックになってしまったらしい。過呼吸だと分っていれば私も救急車を呼ばずに処置出来たのになぁ。適切な処置をすれば救急車を呼ばなくて済んだのに…と反省。「手足が痺れる・胸が苦しい」などと言われたものだから、別の病気を連想してしまっていた。ちなみに原因は不明。とりあえず良かったね…と言うことで、乙女な母を連れて愚弟の車で実家へ帰った。
帰宅したら娘は夫がお風呂に入れて、哺乳瓶で冷凍母乳を飲ませて寝かしつけてくれていた。それなりにおりこうだったとのこと。しかし、眠る時にお乳が無くて私がいない……という異常事態に興奮したのか、その夜は珍しく夜泣きが酷くて大変だった。
少し残念だったのは、
いざと言う時のために用意していたまとまった現金(へそくりに非ず)を、こんな形でデビューさせてしまったこと。本当なら夫がピンチの時、山内一豊の妻のように「こんな事もあろうかと」と出したかったのだけど。「とりあえず家にあるだけの現金を……」という夫に「大丈夫。こういう時の用意はあるから」とサラリと出してしまった。夫は「へぇ。なるほど。用意がいいなぁ」と思ったとのこと。
吃驚させられたが、今回は大したことが無くて良かった。と思うと同時に、今後はこういう事(もっと大変な事)もあるだろうなぁ…と改めて思った。とりあえずは良かった…って事で今日の日記はこれにてオシマイ。
この3連休は楽しい事とや、そうでない事が入り混じって盛り沢山だった。とても1度では書き切れそうにないので何回かに分けて順を追って記しておこうと思う。
まずは楽しかった事その1。立春も過ぎたと言うことで居間に娘の雛人形を飾った。我が家は狭くて段飾りを置くスペースが無いので、お内裏様とお雛様だけのこじんまりとした親王雛。居間の出窓に置けるくらいの可愛らしいサイズなので、飾りつけも簡単なのだけど、それでも初めてのことなだけに、夫と2人で雛人形と一緒に梱包されていたパンフレットを見ながら1つ1つ丁寧に飾り付けていった。
家に雛人形が飾っているなんて子供の頃以来のことだけど、いいものだなぁ……と思った。そして、夫と2人で選んだ雛人形は驚くほど我が家に馴染んでいて、10年くらい飾られているような馴染みっぷり。あちこち見てまわって「これだ!」と思う物を選んだつもりだったけれど、自分達の生活空間に、こうまでしっくりハマるとは驚きだった。
娘はまだ雛人形よりも、自分の手で掴んで口に運べる玩具の方が良いのだけれど、もう少し大きくなった時に気に入ってもらえると嬉しいのだけど。関東風の木目込み人形は、関西で多い着せ込み人形に較べると華やかさには欠けるので、子供の目で見ると物足りないかも知れない。娘もいずれそういう良さが分るようになるとは思うのだけど、果たしていつの頃になるのやら。
雛人形を眺めつつお茶を飲みながら、夫と2人で「雛人形って子供が小さい時には飾っても、大きくなると飾らない家が多いようだけど、私達は娘が大人になっても飾ろうね」なんて話をした。娘の成長を祈って母(娘の祖母)が買ってくれた品なのだから、末長く大切に親しんでいきたいと思う。
初節句の日まで可愛らしいお雛様を眺めながら毎日が過ごせるなんて、ちょっと嬉しい。しばらく楽しませてもらえそうだなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
日記を有料版に移行して画像がアップ出来るようになったので、試しに雛人形の写真など。気が向いたら今後も画像をアップしていこうかと思ったり。
2008年02月08日(金) |
マラソンと算数の次に嫌いなもの |
専業主婦になって以来、家にいる時間が格段に増えた。娘はまだ友達を作るような年齢でもないので、家にいたところで日中、我が家を訪ねる人はほとんどいない。宅配便の人か、せいぜい乙女な母くらいだ。……と思っていたら、定期的に招かざる訪問者がやってくる。
彼らがやって来るのは平日の午前中。「普通の専業主婦なら掃除や何やらで忙しい時間帯」に……だ。彼らはきまって2人組み。性別はたいてい女性。たまに男性もいる。服装は「授業参観に行きます」というような真面目な感じで、所属が違っていても似通った雰囲気を持っている。そう……彼らは新興宗教の勧誘員。専業主婦になるまで、彼らがこんなに頻繁にやって来るとは思ってもみなかった。
私は今までマラソンと算数の次に会社の飲み会が嫌いだと言って憚らない女だったが、仕事を辞めた今は「マラソンと算数の次に新興宗教が嫌い」に訂正しようと思う。なにしろ人の弱味に付け込む輩は昔から大っ嫌いなのだ。
家族に不幸事が重なった時期には、うんざりするほど色々な宗教からお誘いがかかったものだ。特に愚弟が事故で指を切断した時など「そんなもん信じたからって、失った指が戻ってくるかよ!」とムカッ腹を立てたのは一切ではない。
何某かの宗教を信仰するのは否定しない。だが人の弱味に付け込むような真似をする輩の宗教は大嫌い…ってだけなのだ。わざわざ勧誘に来るような宗教は、決まって人の弱味に付け込む輩だ。おかげさまで今は穏かな暮らしを送らせてもらっているが、娘を抱いて玄関先に出ると「子育てにも役に立つお話を…」なんてアプローチで攻めてくる。もちろん、お引取りいただく訳だが、夫の転勤等のため、慣れない土地で子育てに孤軍奮闘しているお母さんだったら、ふらりとしてしまうかも知れないなぁ……と思うと腹立たしい限りだ。
私は本質的に「喧嘩上等!」というような気質を持っているのだけど、勧誘員はご近所の人だったりするケースもあるので、丁重にお引取り願っている。子供のいないときならまだしも、娘がいる今はご近所さんとは仲良くやっていきたいと思うのだ。娘が成長して、迷惑をかけたり、あるいは助けられたりすることが沢山出てくると思うので。
本当に素晴らしい物ならば、わざわざ人を誘わなくったって、自然と人が集まってくるだろうになぁ。
専業主婦になって家にいると、新興宗教以外にも怪しげな誘いも多いのだが、自分をしっかり持って対処していかねばなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
赤ん坊を見て「この頃が1番幸せだね。何の苦労も辛いこともないんだから」と言う人がいるけれど、実際に赤ん坊を育ててみて「それは違うんじゃないかな」と思うようになった。
赤ん坊は興奮することがあったり、はじめての経験をした夜は、うなされることがある。もうすぐ4ヶ月になる娘も例外ではない。新生児の頃と違って寝付きも良くなったし、夜に泣く回数も減ったのだが、何か刺激的な事のあった夜はウンウンとうなされて泣く。抱いてやったり、背中をトントンして声をかけてやったりすると落ち着くのだけど、それはそれは辛そうな顔をしてうなされるのだ。
赤ん坊に聞いてみないことには分らないけれど、脳内で日中に受けた刺激を寝ている間に処理しようとして、処理し切れずに混乱してしまうんじゃないかなぁ……と推察する。そんな夜は夫と2人で娘をあやしつつ「どんな恐い夢を見ているのだろうね」話したりする。辛そうにウンウン言ったり泣いたりしていた娘が、私や夫の腕の中でやすらかな顔を見せてくれると言うのは本当に可愛くて愛しい。
もの凄い速度で成長する赤ん坊は、心も身体も不安定。頭が混乱してパニックになったり、成長痛のようなものを感じたりしているように思う。赤ん坊は、お腹が空いたでもなく、おしめが濡れているでもないのに泣く時があるのだけれど、彼らにしてみればちゃんと何某かの理由があるのだろう。
子育てを終えた人達は「赤ちゃんが小さい時は大変でしょ?」と言って労ってくれるのだけど、親だけじゃなくて赤ん坊自身も大変な思いをしているんじゃないかなぁ。もっとも、これは赤ん坊に聞いてみた訳でもないので、個人的な推察の域を出ないのだけど。
人は大きく飛躍・成長する時に苦痛を伴う。もしかすると赤ん坊は少しずつ、それを学んでいるのだろうか……なんて事を思ったりしつつ娘と過ごす今日この頃。
昨日の結婚記念日は、夫と2人で食べようとチーズケーキを用意していたのだけど、夫も同じようなことを考えていたらしく、私がお気に入りのシュークリームを買ってきてくれた。夜遅くに2つも甘い物を食べるのはどうか……って事で、昨日はシュークリームを食べ、チーズケーキは今夜食べることに。2日続けてお楽しみだなんて贅沢過ぎるなぁ……なんて事を思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。
2008年02月05日(火) |
結婚記念日(2年目) |
今日は夫と結婚して2年目の結婚記念日。2年目の結婚記念日は「藁婚式」と言うらしい。質素倹約を意味し贅沢を戒めよ…とな。子供も生まれたことだし、なるほどなぁ……と思う。
夫と生活を初めて丸2年。はじめての1年に較べると、この1年は喧嘩をすることがグッっと減った。もともと喧嘩をする事なんて滅多に無いのだけれど、それでも1年目は意見の食い違い等が何度かあったのに対し、この1年はそういう事も激減している。環境の違う中で暮らしてきた2人の「擦り合わせ」が良い感じで出来てきたのだろうなぁ……と思う。
この1年は「妊娠・出産・はじめての子育て」と娘のことが全てだった。娘を産んでみるまで、夫がどんな父親になるか想像もつかなかったが、想像以上に良い父親で吃驚している。私は……まぁ、ほどほどの母親ってところだろう。特別良い母親でもなければ、悪い母親でもないような。娘が生まれたことで、夫と私との間に「娘を育てる」という共通の目標が出来たのは良かったと思う。
今のところ夫とは仲良く暮らせているように思う。私にとって夫は夫であり、娘の父親であると同時に、最高のヲタク友達でもある。今後、私達は娘の親として生きるウェイトが多くなってきるだろうけれど、それ以外の部分も大切にしていけたらなぁ……と思う。
結婚記念日のイベント的なことは週末に済ませてしまったので、今日は特別なことはしないのだけど、全く何も無し…と言うのも寂しいので買い物に出掛けた際、チーズケーキを買った。食後に食べる予定。今日はひと手の間かけて、冷蔵庫にあるジャムを使ってソースを作り、チーズケーキにかけようと。ほんの少しだけ特別感を……と言うことで。
つつがなく結婚生活を続けていけたのは夫の努力の賜物だ。私には欠けているものを補ってくれる夫には、心から感謝している。来年も仲良く結婚生活を続けていられたら良いなぁ……と思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。
昨夜、娘を寝かしつけた後、お茶を飲みながら夫と節分の煎り豆を食べていたら、忘れていた記憶が不意に蘇ってきた。
私が小学校の低学年の頃。実家では節分の日には律儀に巻き寿司とイワシを食べ、豆まきをしていた。父が煎り豆についてくる安っぽい鬼のお面を付けて鬼の役をしてくれるのが嬉しかったのを憶えている。お昼間、折り紙で折った三方の中に、年の数だけ豆を入れてもらって食べたりして、私にとって節分はちょっと特別な感じのする日だった。
そんな節分の日の夜。就寝後、トイレに行きたくなったか、喉が渇いたかで目が覚めて階下に降りたら、居間で父と母が煎り豆をアテにして晩酌をしているところに出くわした。当時はまだ缶ビールがまだ普及していなかったのか、瓶ビールだったように思う。スナック菓子等を食べる習慣の無い両親が煎り豆を食べている姿は私にとって珍しいものだった。そして子供達が眠った後で、大人は秘密の時間を持っているのだなぁ……なんて事を漠然と思ったものだ。
昨日は夫と煎り豆を食べていて、記憶の底に追いやられていたその光景がフラッシュッバックしたのだ。懐かしさを感じると共に、自分自身が当時の両親と同じ立場になっていることが、なんだか不思議に感じられてならなかった。
その時、私達夫婦は煎り豆をつまみながら、娘のことを話していた。「だいぶん大きくなったねぇ」とか「今日は楽しそうだったね」とか。当時の両親も煎り豆をつまみながら子供達のことを話し合ったりしていたのだろうか? 両親が歩いた道を私もまた歩いていることの不思議。やけに感慨深い夜だった。
寝る前、夫にその事を話して「私を親にさせてくれてありがとう」と言った。「こちらこそ、ありがとう」と夫。しみじみと良い夜だった。娘はまだ豆まきを喜ぶ年ではないけれど、いずれ私達家族も節分の日に豆まきをしたりするのだろう。これから先の節分も家族で平和に過ごしたいものだなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。
娘を「おんぶ」するようになってから疲れ気味でいただけない。
言うまでもなく原因は「おんぶ」なのだけど、おんぶが直接の原因かと言うとそうじゃなくて、本当は「おんぶをして家事をする」のが良くないようだ。娘はおんぶしていると大人しくしてくれるので、おんぶをして家事をすると劇的に家事がはかどるのだ。昨年末は実家に通っていて大掃除をする余裕が無かったので、これを機に少しずつ家の中の大掃除をはじめた。なんと言うか……家事ってのは、やりはじめたらキリが無くて、毎日夢中で励んでしまっていたのだ。そう……クタクタに疲れてしまうほどに。
おかげで娘をおんぶするようになってから家の中はピカピカになった。日々の掃除に抜かりはないし、毎日ピンポイントでどこかしらが綺麗になっていく。が、家の中のピカピカ度が増していくのと平行して私の疲れ度も増していった。
なんだか家の中綺麗〜。頑張ってる私スゴイ〜。
馬鹿じゃないか……と、ふと思った。そもそも私が仕事を辞めて専業主婦になったのは家を磨き上げるためでは無かったはずだ。私の仕事は「娘を自分の手で育てつつ家族が楽しく暮らせる家庭を作る」ことであって、家政婦になった訳ではない。「なんだか家の中綺麗〜。頑張ってる私スゴイ〜」なんてのは自己満足でしかない。もちろん自己満足もある程度は必要だけど、自分の原点を忘れてしまうようでは話にならない。
家の掃除はほどほどにして、自分自身がもう少し余裕を持てるようにしなければ……と反省した。夫も娘も私がクタクタになるほど家の掃除をすることを望んでいる訳じゃないのだ。何か1つ事をはじめるとブッチギリで走ってしまうのは私の悪い癖だ。独身の時はそれでも良かったけれど、所帯を持って母親になったのだから、この癖は直すようにしなければなぁ。
そんな訳で今月の目標は「何事もほどほどに」にしたいと思う。明日は夫が休みなので、夫に娘を見てもらって美容院へ行くつもりでいる。週末はリフレッシュすることに重点を置いて過ごしたいなぁ……って事で、今日日記はこれにてオシマイ。