白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2006年05月31日(水) お手紙

机の引き出しを整理していたら、桜の花がプリントされた和紙で作った葉書を見つけた。

桜の花の咲く頃に仲良しの人に送ろうと思って買ったのに、使わないまま五月が終わっていこうとしている。結婚当初はなんだかんだとイベント事が多くて、言葉通り「雑事に追われる」という感じだったのだけど、最近ではのんびりと本を読んだり、ゲームに熱中するゆとりも出てきた。実家で暮らしている時よりも、ずっとのんびり暮らさせてもらっているのに、まったくもって不甲斐ない。

手紙や葉書を書くという行為は、その瞬間だけでもそれらを届ける相手のことだけを考える貴重な時間だと思う。ひと文字ひと文字、言葉を選びながら綴っていく時間が大好きだ。自分の好きなことを疎かにするようじゃいけないなぁ……と少し反省。

今夜は久しぶりにアーノルド・ローベルの「がまくんとかえるくんシリーズ」でも読んでみようと思う。彼らを好きになったきっかけは学校の教科書にものっていた『お手紙』という作品だった。いまでも私にとっては特別な作品。そんじょそこらの恋愛小説よりも胸がきゅうっとなってしまうのだ。

週末あたりにでも、手紙か葉書を書いてみようかなぁ……なんてことを思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年05月30日(火) 箒とハタキ

我が家では掃除機と室内箒を併用しているのだが「今時、室内箒を使っている人がいるなんて信じられない」と非常に驚かれてしまった。

そりゃあ、掃除の性能って意味では室内箒よりも断然掃除機に軍配が上がるが、ちょこっとしたゴミを掃除するのにいちいち掃除機を出すのは大変…てな時に室内箒はもってこいなのだ。「2人とも仕事をしているから」というのにかこつけて、掃除機をかけるのは1週間に1度だけ。平日はもっぱら室内箒を活用している。

そんな話から職場の人と「どんな風に掃除をするか」という話題で盛り上がったのだけど「ハタキ」の存在にも驚かれてしまった。「ハタキが無ければ、どうやって掃除するの?」と質問したらば、たいていの場所(部屋の桟や家具の高いところ)は手が届くから雑巾さえあればハタキは必要ないとのこと。背の低い私には考えられない芸当である。

「今時、箒とハタキだなんて古風だねぇ。それに白い割烹着があれば完璧じゃない!」と、すっかり面白がられてしまった。だけど、持ってるんだな…白い割烹着も。流石に普段は使わないけど、不幸事とか法事とかのお手伝い用に1枚。これは結婚したから買ったんじゃなくて、独身時代から活用していた1枚。

私は33年間、箒とハタキと雑巾は掃除の必須アイテムだと信じて疑ったことが無かったのだけど、3つのうちの2つものアイテムが、どうやら一般的ではないらしい……と知って非常にショックを受けた。それとも、同僚達の方が一般的ではないのだろうか?

自分の中だけの常識って常識でも無かったりするんだなぁ。特に家庭内でのことは「自分ちだけの常識」ってのが多いのだろうと思う。箒とハタキはどこの家にもあるものだと思っていただけに吃驚である。きっと同僚達も私と同じくらい吃驚したのだろう。

たまには、こういう話を人に聞いてみるのも良いものだと思った。なんてことのない話だけど、ちょっと面白い。いつか我が家からも室内箒とハタキが無くなる日が来るかも知れないけれど、しばらくは使い続けるだろうなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年05月29日(月) 言葉には気をつけないとなぁ。

職場の同じグループに年輩の男性が入ってきた。いったん定年の道を選ばれたのだけど、人手が足りないので「お願いします」と強引にお願いしたらしい。仕事も出来るし穏かな人柄で、世代は違うけれども良い感じで業務についておられる。

私は直接彼と関わることはないので「同じグループの人」以上の興味は無かったのだけど、CADの相方情報だと独身を通してこられたらしい。CADの相方は彼が独身でいることに興味津々で「どうしてだと思う?」と、しつこく聞いてくるたびに私は「ご縁が無かったんじゃないかな」と適当に交わしていたのだけど、相方は彼をよく知るグループ内の男性にまで同じ質問をはじめたので、正直、唖然としてしまった。

そういう事って口にするもんぢゃない。同じ立場の仲間内(私に)にだけこっそりと話す分には100歩譲るが、公の場で口にすることではないだろう。誰しも、他人には口にしたくない事…ってあると思う。世間をよく知らない若者ならまだしも30代後半の女性のすることではない。

彼女は悪気のない人なので、その質問に悪意は無かったのかも知れない。だけど、もし「彼は同性の恋人と暮らしているんだよ」とか、「婚約者が死んでしまったらしいよ」とか「病気で結婚できなかった」とか、「病気の家族の面倒を看ていて婚期を逃した」とか、あるいはもっとヘビー級の答えが返ってきた場合に彼女はどういう対応をするつもりだったのだろう。「それは気の毒に」とでも言うつもりだったのか。それとも彼女の好奇心を満たすような不幸な返答が欲しかったのか。

彼女があまりしつこく聞くものだから、質問された人は「母1人子1人だったみたいだし色々と苦労されたんじゃないかな」と言葉を濁して話は終わったけれど、彼女はそれでも納得がいかないようだった。CADの相方は悪い人ではないのだけれど、デリカシーに欠けると言うか、想像力に欠けるところがある。

辛い目にあったり、苦労したりした人は優しくなれる…てな言葉があるが、CADの相方も決して順風満帆な人生を送ってきた人ではない。「こんなこと人には言えないから辛くて…」なんて経験をしてきた人なのに、どうしてそんな言葉が出てくるのか不思議でしょうがない。また、彼女自身はお子さんに恵まれなくて周囲から心無い質問をされる事に傷ついているのに、どうして自らも同じことをしてしまうのだろう。

恐ろしいのは彼女がちっとも自覚していない…ってことだ。CADの相方の言葉にプンスカと腹を立てつつ、私も知らず知らずのうちに、とんでもなく酷いことを言っているんぢゃないかと思って、恐ろしくなってしまった。言葉には気をつけないとなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年05月28日(日) 及川光博ワンマンショー

昨日は同僚のTさんに連れられて及川光博のワンマンショー(コンサート)へ行ってきた。

Tさんは10年来の及川光博ファンで、ずっと「連れ」が欲しかったらしい。2週間ほど前から「踊りの振り付けとか予習してきて」とDVDやCDを大量に渡されたが、ズルッ子の私は、それをほとんど観ることなく当日に挑んだ。

及川光博と言えば「ミッチー」とか呼ばれていて、王子様スタイルで女性のことを「ベイベー」とか言う、愉快なお兄さんというイメージがあったが、本物もイメージ通りだった。「エンターテナー」としての美意識が高く、歌の間に挟むトークを聞くだに人間として真面目で、まっとうな人である…と言う点において、私の中の及川光博の株は一気に上昇した。

ただ「ハマったか?」と聞かれたら答えは「NO」である。

ショーとしては面白かったのだけど、私にはちょっと合わなかったようだ。美輪明宏ちっくなトークを聞いたり、皆で決められた踊りをしたり、彼の言葉に決まった返事をしたり(『笑っていいとも』の「そうですね」みたいなお約束が沢山ある)という行為をするのが、どうも新興宗教染みていて好きになれなかったのだ。意地の悪い言葉で表現するなら「彼のファン達って、よく躾けられてるなぁ」という印象。もちろん郷に入れば郷に従え…って事で、私も集団に混じって踊ったり楽しんだりはしたのだけれど。(予習をしなくても充分についていけてホッっとした)

芝居にしても音楽にしても、私は舞台の上にいる人を貪りたいのだと思う。舞台の上から指示されて動いたり、お説教じみた言葉を聞くのは真っ平ゴメンなのだ。宗教にハマる感覚って、あんな感じなのかなぁ……なんてことを考えながら舞台の上と会場の人々を観察していた。私はハマれなかったけれど、これもまた経験である。

まぁ、だけど否定するつもりはないのだ。ショーとしては楽しめる作りだったし、及川光博のトークは、至極まっとうで好印象。彼自身、真面目な努力家なのだろうと思う。どちらかと言うと好きなタイプのエンターテナーなので、ハマれなかったのはちょっと残念。これも相性なのだろう。

今日は夕方から乙女な母を自宅に招いて鍋をする予定。戴き物の『きりたんぽ鍋セット』など。ここのところ週末ごとにお客を招いている気がする。人が来てくれるってのは嬉しいものだ。今夜も楽しく過ごしたいなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年05月27日(土) 朝ごはん談義

今日は健康診断だったので朝食を摂らずに家を出た。

毎度ながら血圧が低いだの、採血しにくいだのと言われたくらいで、所見レベルでは取り立てて問題は無かった模様。詳しいことは結果待ちとのことで検診専門の病院を後にした。朝食抜きで腹ペコなので、少し歩いたところにあったサブウェイで朝食をと摂ることに。サブウェイはファーストフード店の中では結構好きな部類……と言っても初体験は32歳。そして今日は2度目のサブウェイ。滅多に食べないファーストフードってのは、どうしてこんなに美味しいんだろう……と1人でサンドウィッチを満喫した。

思えば旅行をのぞいて「外で朝食を摂る」って事は滅多にない。平日はそんな余裕が無いにしても、休日に遊びに出掛ける時も朝食を食べてから行くのが定番になっている。なので「マクドナルドの朝ごはん」なんてのも食べる機会がほとんど無くて、人生で2〜3度くらいしか体験していない。

1日3度ある食事のうちで朝ごはんが、いっとう好きだ。

朝ごはんって、パンだったり、ご飯だったり、その時によって主食は変わるけれど「1日の最初に食べる食事」のせいか、さほど豪華な物でなくても美味しく感じるから不思議だ。結婚して所帯を持ってからは毎日夫と向き合って朝ごはんを食べているのだけれど、独身時代も1人でPCに向かって、それなりに楽しく朝ごはんを食べていたように思う。休みの日にはホットケーキだの、フレンチトーストだのを作ったりして「この情熱はどこから来るんだろう?」と我ながら不思議だ。

自宅で食べる朝ごはんは、旅館やホテルの朝ごはんのように豪華じゃないけど、それでもなんだか落ち着くと言うか幸せと言うか。単に「家にいる」って事が好きなだけかも知れないけれど。用事を終えて買える道すがら、朝ごはん用にオレンジを買った。明日の朝食も楽しみである。

……などと朝ごはん談義を書くよりも、夕方から出掛けた及川光博のコンサートの感想を書くべきだった。まぁ、それは明日にしよう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年05月26日(金) ぼそぼそ。

昨夜はなんだか寝付けなかったので寝床を抜け出して、漫然とネット遊びに興じた。

結婚前は「うっかり夜中までネット」なんてことが多かったけれど、最近はとんとご無沙汰だった。もっとも、夫が夜勤の時は1人遊びもするのだけれど、ネット遊び以外のことが大半なのだ。昨日だって本当なら「ゆとりの時間」にしておきたい事は山ほどあったのだけど、あまり熱中し過ぎて本気で眠れなくなったら困るので、だらだらとWebの読み物を流すのがよろしかろう…と。

定期周遊先で「今、まさに更新しました」という瞬間に行き当たって、なんとなく嬉しくなってしまった。「あぁ。この人も起きてPCに向かっていたのだなぁ」と思うと、何やら愛しいような気持ちになってしまうのである。もっとも、それは自己満足の域を出ない陰気な喜びではあるのだけれど。

そして今日は実家に顔を出そうと思いつつ、前日の夜更かしが祟ったのか、残業が効いたのか、腰が痛くて終業間際の整骨院へ駆け込んだ。治療後「雨も降っているしなぁ」と一目散に帰宅。夫は会社の送別会で遅くなるとのことなので、ぼそぼそと夕食。週末だし、まったりと1人でビールでも飲みたかったのだけれど、明日の健康診断に向けて自粛した。

お腹が満たされると、やはり乙女な母のご機嫌が気になるので電話をかけてみた。案の定…な感じで、無理をしても顔を出せば良かったかと少し後悔する。今までは何かあっても私に思う存分愚痴ることが出来たが、今回からはそうもいかない訳で。実家にいた頃、私は「この家の大黒柱は私なんだなぁ…」とウンザリしたものだが、現在あの家は愚弟と乙女な母のどちらが軸になっているのだろう…と、ふと思った。せめて仲良く暮らして欲しいと願う。

外は雨だし、なんとなくイケてない週末だけど、お風呂にでも入ってダラダラ過ごそうと思う。明日は同僚のTさんのお供で及川光博のライブに行く予定。取り立てて好きな訳ではないのだけれど、私は本番に強い性質なので行ったら行ったで楽しめるんぢゃないかなぁ……などと思いつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年05月25日(木) 選択肢は1つだけ

愚弟が仕事を辞めることになった。今の会社に就職したのは昨年末。まだ半年も経っていない。

前回は解雇だったが今回は自主退職。もっとも、会社の業績が悪くて給料の遅配&未払いが原因なので、愚弟を責める訳にもいかず。なにやら、会社経営が立ちゆかなくなってきたので、本来の業務とは全く畑違いである怪しげな健康グッズの販売まで始めたそうな。

仕事を終えて、ご機嫌で夕食の支度をしていた時に電話でそんな話を聞かされた日にゃぁ、姉はたまらないと言うものである。とりあえず「頑張りなさい」と言って電話を切ったが、夫に報告するのが非常に気重だ。

私にそこそこの収入があるのが不幸中の幸い。しばらくなんとか頑張ってもらうつもりだが、乙女な母のこともあるし、どうしようもなくなったら援助の増額等も考えることだって出来る。結婚する際、今の職場で続投することになった時は「ちょっと休ませて欲しいんだけど」と思ったものだが、今となってはありがたい限り。

なんとかなっていくように、ちゃんと準備されているのだなぁ…などと感心した。

実際はそんなに暢気に構えていられる状態ではないのだし、私のガッカリ感も相当なものだが、起こってしまったことを、とやかく言ってもどうしようもないのだ。何か困ったことが起こった場合の選択肢は1つしかないのだ。

とりあえず頑張る。

今回、頑張るのは愚弟自身な訳だが、ガックリと凹むであろう乙女な母のサポート等、私もシャキッっとしなくては。ふらふらしている場合じゃないなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年05月24日(水) 夜の景色。

先週の中頃から窓を開けて寝る日が出てきた。

窓を開けて寝るだなんて防犯的にはどうかと思うのだけど、壁をよじ昇ってまで侵入していただくほど御大層な家でもないので、まぁ大丈夫かな……と。引越ししてきたのが冬真っ盛りだった。新しい家で季節を越えたのだと思うと少し感慨深いものがある。

窓を開けて寝ていたある日の夜中。ふと目が醒めてトイレに立ったのだけど、その時に窓から見た景色が見慣れないのに驚いた。まるで旅先でみる風景のように馴染がないのだ。結婚してそろそろ4ヶ月。窓から外の景色を見ることは何度となくあったけれど、思えば夜に、しみじみと外の景色を見た事など1度も無かった。

夜中に目覚めた時、窓から見る景色はちょっと特別な感じがする。秘密めいた……とでも言うのだろうか。ワクワクするような、ちょっと哀しいような不思議な光景だ。

夜の景色でいっとう馴染が深いのは子供時代に育った家から見た田んぼの様子。その次は長屋の台所の窓から見える向いの長屋。いま、夫と暮らしている家から見る夜の景色も、そのうち馴染深いものになるのだろうか。もう、すっかり新しい家に慣れたと思っていたのに、まだまだ馴染んでいない空間があったのだなぁ。新しい生活は、まだ始まったばかりなのだから当然と言えば当然過ぎることなのだけど。

そんなこんなを書いてみた訳だが今夜はちょっとヒンヤリする。窓を開けるどころかカーディガンを羽織る始末。本格的に暑くなるのは先なのだろうなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年05月21日(日) 晴天の日曜日

今日は朝から(起きたのは昼前だけど)グッタリモード。昨日、友人達を自宅に招いてはしゃぎすぎてしまったらしい。胃腸の調子がヨロシクないので朝昼兼用の食事を夫の分だけ用意して私は飲み物のみ。昨日は自分で作った料理なので、さほどコッテリした物は無かったのだけど、一週間の疲れが溜まっていたのか、どうにもこうにも。

夫と2人でサッカーの試合を観に行くつもりだったのだけど、そんなバイタリティーは、どこを探しても出てこないので夫だけで行ってもらった。私は実家に届け物があったので、散歩がてら歩いてお出掛け。陽射しが強かったので今年、初めて日傘をさした。

雨が続いた後の晴天の日曜日。流石に外に出ている人が多かった。広げた新聞紙の上で土を配合しているガーデニング好きなご家族を何組か見かける。私はガーデニングの趣味はないのだけれど、いいものだなぁ……と横目でチラリ。休みの日に、どこかへ遊びに行くのも気分転換になって良いけれど、自宅やその周辺で過ごすのも良いものだ。

実家に届け物をして帰宅途中、お布団を干しておけば良かった…と軽く後悔。1時間でも2時間でも干すのは可能なのだけど、あまり欲張るのもイケナイだろうと諦める事に。体調がスッキリしないときにバタバタ動くとロクな事がない……って事は、これまでの経験で実証済みなので。帰宅後、ちょびっとだけオカリナの練習など。友人と合奏出来るレベルに到達するのは果てしなく遠そう。

ゆるゆると1人で過ごす時間ってのも良いものだ。明日からまた働かなくちゃいけない訳だし、ゆっくり鋭気を養おう……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年05月20日(土) 祭りの後の…

私は祭りの後の気だるい空気がとても好きだ。

今日は職場の同僚…もとい友人が遊びに来てくれた。居酒屋ちっくな料理を並べて軽く宴会。悪ふざけの好きな私は「居酒屋白蓮 お品書き」なるものまで作ってテーブルに並べる凝りようである。

祭りの後の気だるさ…と言うのだろうか。お客様を自宅に招き、滞りなく送り出して、食器だのを完璧に片付けた後の気だるい空気が大好きだ。翌日の朝食に、前日に残ったオカズが並んだりするのもご愛嬌。先客万来。お客様大好き。

亡き父は客好きな人で、出張途中で新幹線に隣り合わせた人を自宅に連れてきて一泊させるような人だった。夫にその話をすると「白蓮さんは気性がお父さん似にんだよ」と言われる。自らの容貌以外で父に似たところなど無いと思っていたけど、確かに私は本質的なところで亡き父に似ているのかも知れない。

今日はとても楽しい1日だったが、それはそれとして、明日はのんびり過ごしたいなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ


2006年05月19日(金) 夏のワンピース

先日、夏に着るワンピースを購入した。

ひらひらとしたクラッシックなデザインで黒地に花が散っている。本当は白いワンピースが欲しかったのだけど、たまたま気に入ったデザインが黒だったので、まぁ…それも良いかと。普段は限りなく気の抜けた格好をしているか、さもなくば勇ましい格好を好むのだけど本質的には、ひらひらしたものが大好きだ。

明日は職場の友人が遊びにやってくる。いまの職場で働いてかれこれ1年半。すっかり馴染んでしまったせいか、同僚にも愛着が沸きまくっている。ことに女性陣の可愛いらしいことと言ったら。

CADの相棒はサッパリ気質の姉さん系で、私と似かよったところがある人なのだけれど、私の数倍情熱的で猛々しい。なのに夫に首ったけで、伴侶を語る時の彼女は、いじらしいほど可愛らしい。事務の仕事をしているTさんは、私と同じ年なのだけど、小犬のように可愛いらしい瞳をしている。本人は大柄であることを気にして「自分は女らしくない」と思っているようだけど、彼女ほど女性らしい人を私は知らない。

身近にいる女性達と自分を較べて思うだに、私は「可愛げ」という物が不足している気がする。もちろん、私にだって美点はある。逞しいところとか、口の減らないところとか。だけど精神的な部分での「可愛らしい」ってことについては、かなりレベルが低いようだ。夏のワンピースを着て私の中にも存在するであろう可愛らしさを引き出したいものだ。自分自身は「可愛い人」が大好きなのに、なかなかそんな風にはなれないところがもどかしい。

明日は張り切って夕食を作り、友人と気持ちよく飲みたいなぁ……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年05月18日(木) 針仕事

猛ダッシュで帰宅したら、出勤前の夫(今週は夜勤)が居間でTVを見ながら針仕事をしていた。先日買った夫のパジャマの裾上げをしているようだった。

私は針仕事が大の苦手。その事は夫にも伝えてあったから、奮起して自分でやろうと思ったらしい。週末にでも、ゆっくり取り組もうと思っていたのだが夫の気持ちが嬉しくて「少々縫い目が歪んでいても、仕上がりが悪くてもそのままでいこう」と思った。

飼い主に誉めてもらおうと尻尾をビュンビュン振るワンコのように得意気な顔で、夫は出来上がったパジャマを着て見せてくれたのだが……絶望的な出来栄えだった。縫い目のひと針は優に3センチはあったし、切りっ放しの裾をアイロンもあてずに、二つ折りにしただけ。その上、ギュウギュウに糸を引っ張っていたから、裾が巾着のように縮んでしまっていた。

夫に殺意を抱く瞬間……って、こういう時かも知れない…と思った。ただでさえ苦手な針仕事だというのに、草臥れて帰宅してから取り組まなくちゃいけないなんて!

だが一生懸命頑張った夫を責めるのは筋違い。だいたいからして買った日に始末しておけば良かったのに先延ばしにしていた私も悪かった。それに夫は「手伝おう」と善意でやってくれたのだ。つとめて平静に怒りを笑に変換して「気持ちは嬉しいけど、あんまりだから私がやり直すね」と夫を仕事に送り出した。

裾を切りなおして、アイロンを当てて、我が家にはミシンが無いので、手縫いでチクチクと裾をかがった。用事が増えてしまったのは甚だ遺憾ではあるけれど、こんなことまで頑張ろうとしてくれる夫の気持ちが嬉しかった。もっと喜んであげれば良かったなぁ……と反省。出来るだけそういう顔をしないように気をつけたつもりだけれど、きっと不機嫌が顔に出ていたと思う。夫に悪い事をした。夜勤用の交換ノートに「ありがとう」と書いておこう。

週末は、もう1枚のパジャマの裾上げに取り組まなくちゃなぁ……なんてことを思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年05月17日(水) 否定すること。

以前働いていた職場の同僚から電話があった。60代の女性で、苦労人だったせいか、私の事を何くれとなく気に掛けてくれて結婚する際も過分なお祝いを戴いた。私は彼女の人柄が大好きなのだけど、彼女は選挙の時に張り切ったり、新聞を読むようにすすめたりする団体の人だ。団体自体は嫌いだが、まぁ、しかし所属の云々はおいといて、けっこう長くお付き合いが続いている。

そんな彼女から今日、はじめて「新聞」のお誘いがあった。「良い読み物だから贈呈させて欲しい」とのこと。正直なところノルマがあったりして大変だから止むを得ず…ってところだったのだろう。

そんな話を夫にしたらば、いきなり全否定&攻撃しだしたので面食らってしまった。あの団体を嫌っている人は多いので、夫の考えがオカシイとは思わないけれど、なんと器量の狭い人なんだろう……とガッカリしたのも本当だ。

世の中には色々な考えの人や色々な所属の人がいる。そした互いに否定しあって生きている。「○○を信じている人は駄目」「若い頃に運動部じゃなかったヤツは信用できない」「独身者は駄目」「子供を産んでいない女は半人前」「専業主婦なんて遊んでるのと一緒」「オタク趣味の人はキショイ」「大学を出ていない人は駄目」等、書き出したらキリがない。実際、それらの偏見めいた印象は、的を得ている部分もあるのだけど、だからって否定から生まれることなど何もありゃしない。そして不思議な事なのだけれど、他者からの否定に敏感だったりコンプレックスを持つ人ほど、自分と違う所属のものを全否定したり攻撃したりするような気がする。

いきなりの否定ほど非生産的でくだらない物は無いと私は思っている。

まぁ、しかし「何でもこい」受け入れ態勢が正しいとは思っていない。良いことも多いが失敗も多い。ただ私は門戸が狭いと窮屈でたまらないと思ってしまうのだ。

今回の出来事については、自分自身が境界線を引いてしまえば済むことだし、もしもそれを侵されることがあれば、その時に攻撃すれば良いことだ。夫とは喧嘩した訳でもなんでもないけれど、いつか「否定すること」について話し合ってみたいなぁ(熱くなっている時は逆効果なので)…って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年05月16日(火) 静かな家庭。

我が家に義母とお兄さん一家を招いた翌日のこと。向き合って朝食を食べていたら夫が「なんだか……静かだなぁ」と言った。2人で今日の予定を確認しながらニュースを観る…という、いつも通りの朝の光景で、私には取り立てて静かだとは思えなかったのだけど、夫はさらに言った。「昨日は6人もいたものなぁ」そこまで言われて、はじめて気が付いた。夫婦2人の暮らしってのは、存外静かな物だ……ってことを。

私も夫もお喋りな人間だし、夫は始終、でたらめな替え歌を歌っている人なので夫婦2人しかいない暮らしでも「静かだ」と感じることは無かったのだが、たとえば子供やご老人がいるご家庭のように「常に家の中で何かが起こっている」ということはない。何もかもがコンパクトに、静かにまとまっているように思う。

そう言えばお隣の御宅など、いつも小さな子供さんがバタバタと走り回っていて、時にはお母さんの「コラッ!」なんて怒鳴り声が聞こえてたりする。結婚して家庭を作るって「誰かと一緒に暮らす」というだけの事ではなかったんだなぁ……と当たり前のことを、今になって実感した。

もちろん結婚は子供を産むための目的でもなければ、小さな集団生活をはじめるキッカケでもない。だけど、なんだろう……人間は群れで生きるタイプの生き物だから「血族を増やしたい」って欲求が、どこかに潜んでいるのだろう。大学時代からずっと1人暮らしをしていた夫の口から「静かだなぁ」なんて言葉を聞くとは思ってもいなかった。これは、たぶん良い意味での変化なのだろう。

独身の頃…諸般の事情から一家の大黒柱的ポジションに立たされたときも「家族」とか「家庭」について考えさせられたものだけど、今回は、また違った意味で考えさせられてしまった。

今週は夫が夜勤週間で1人の夜を過ごしている。今のところ「淋しくて耐えられない」と思うことはないけれど、年齢を重ねてもなお夫と2人きりだったり、自分1人きりだったりした時に大丈夫でいられるかは謎である。なんだかウダウダと書き連ねてみたところで今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年05月15日(月) 母の愛。

昨日、母の日は我が家に義母と夫の兄一家を招いて夕食会をした。

夕食会…といっても「じゃがいも餅入りの味噌鍋」だったので、じゃがいも餅を作る以外は、それほど手間もかからなかった。小さな家に総勢6名。我が家のテーブルは4人がけなので、私は折りたたみ椅子。夫には私のPC机の椅子に座ってもらった。まぁ、何かと至らないところもあったとは思うけれど、義姉や義母に助けられて、笑いに満ちた楽しい夕食会になった。

義母には夫の隣に座ってもらって義母の給仕は夫にしてもらったのだが「この子に、よそってもらうなんて初めてじゃないかしら」と義母が嬉しそうにしていたのが印象的だった。両脇を息子に挟まれた義母の嬉しそうな事と言ったら! 母の愛というものは、かくも強く、そして揺ぎ無いものかと胸が熱くなってしまった。

義母と私とでは、夫と関わってきた年数も違えば、立場も違う訳だけど「愛情の深さ」なら、義母の方が遥かに上だろうなぁ……と思う。これは僻んで言っているのではなくて「無条件の愛」と言うのだろうか。ちょっと上手く説明出来ないのだけど「親ってありがたいなぁ」という種類の愛情なのだ。これが自分自身の母親となると、そういう目線で見ることが出来ないのだけど、義母とは少し距離があるので、そんな風に思えるのかも知れない。

最も「世の中全ての母親が偉い」とまで考えを発展させるつもりはない。現実世界を見渡すと「これは、どうよ?」と言うような母親だって、いっぱいいるのだから。

昨夜の夕食会は夫もいたく満足したようだった。夫は、どちらかと言えば不肖の息子だったのだから、これからは存分に義母を大切にしなくちゃなぁ…と思う。そんなこんなで昨日は素晴らしい夜だったが、なんだかんだと草臥れたらしくて、今日は朝からズタボロ風味。シチューを2回も吹きこぼすだなんて、どうかしている。お風呂に入って、早めに寝よう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年05月14日(日) 台所で過ごす時間。

今日は夕方から夫の兄一家と義母が遊びにやって来る。わざわざ日にちを選んだ訳ではないのだけれど、母の日ということで親孝行には丁度良い感じ。

朝から買い物に出掛けたりしてバタバタと活動。八百屋で葱が驚くほど安かったのでニンニク葱味噌を作ってみた。いしいしんじの小説の中に「肉味噌」を作る食堂のおかみさんが出てきたのだけれど、それを読んで私もそういった類のご飯の友を作ってみたくなったのだ。忘我して葱を刻んでいたら、頭がクラクラしてしまった。そこまでして刻まなくてもいいのに…と自分の馬鹿さ加減に呆れるの巻。しかしながら、ご飯にのっけて食べられる保存食って、いいなぁ……と思う。

乙女な母には前もって母の日の贈り物を渡してあったのだけど、当日に知らん顔…ってのも何かと思い完成したニンニク葱味噌を持って実家へ。乙女な母は、それなりにご機嫌のようでホッっとした。何しろ乙女な母は「行事」を意識するタイプなので、母の日・誕生日・クリスマスを疎かには出来ないのである。

ただいま夕食の鍋の具材を仕込み中。じゃがいも餅入りの味噌鍋を作る予定。美味しいのだけど、じゃがいも餅を作るのはちょっと面倒。もっとも「面倒だなぁ」と言いながらも台所に立つのは、ちっとも苦痛ではないのだ。台所での作業は、PC遊びや本を読むのと同じくらい好きな事かも知れない。

楽しい夕食になれば良いなぁ。PC遊びで息抜きしてないで、そろそろ料理の準備に勤しまなくちゃ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年05月13日(土) 雨の土曜日に

せっかくの週末だと言うのに生憎の雨模様。朝から整骨院へ出掛けた。湿度が高くなると身体が痛くなる人が多いのか待合室は満員御礼。引き帰そうかと思ったのだけど、大人しく待つあたりが患者の患者たるゆえん。整骨院で施術を終え図書館へ出掛けたが、今日は本の神様から見放されていたらしく、これといった収穫は無かった。

明日は夫の兄一家と義母が遊びに来るのでお昼間は、せっせと掃除など……と行っても、いつも通りのセットに少し色を付けただけで、特別に磨きたてたりはしなかった。まぁ、最初から良い格好をしていたら、後々が大変だろうし……とて暢気に構える。

自由時間はお茶を飲んだり、昨日届いた友人からの手紙を読んだり。スミレのイラストの可愛らしいレターセットで友人らしいなぁ……と思わず顔がほころんでしまった。そう言えば誰かを想って手紙を書く…なんてこと、ついぞしなくなっている。友人に荷物を郵送する時も、前もってメールで「ごめん。手紙も何も入れてないから」と書く始末。これって、忙しいとかそういう問題ではないような気がする。心の貧しさが反映されているような気がしてならない。

そんなこんなでサッパリ地味な土曜日だった。体調も、いまいちパッっとしない。こんな天気の日は誰しも身体がダルかったりする訳で、じっと大人しくしているしかないのだけど。

明日はお天気になるとのことで、ちょっと嬉しい。せっかくお客様が来るというのに足元が悪いと気の毒だもの。千客万来で嬉しい限り。家に誰かを招くって大好きだ。明日は楽しい1日になるといいなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年05月12日(金) 約束手形。

久しぶりの困り事の解決の糸口を見い出さぬまま、自分の中で昇華してしまった。取りあえず納得してみる…って過程が重要なのだ。まぁ、いずれ燻る事もあるだろうけど、その時にまた困ったらいいかと。

それとは別の話だが、最近、夫が咳をしていて気になって仕方がない。そのうち治るかと様子を見ていたけれど改善の兆しが無いので、いかがなものかと。

夫には「週末にでも病院に行ったら?」と言うのだけれど「ウルサイなぁ…」とご不満の様子。何度か言っているのだけれど、あまり子供っぽい態度を取られると「じゃあ、好きにしたらいいよ」と言うような投げやりな気持ちになってしまう。

自分の事を無条件で心配してくれる人…1番に考えてくれる人がいるって事は、私にとって特別な存在だと思っていたが、別の見方をすれば「夫婦なんだから心配するのは当たり前」とも言えるのだろう。

私は健康で暮らせるように努力する…って事は伴侶に対する誠意だと思っているので、結婚後は仕事も遊びもビックリするほどセーブしている。独身の時は、どこかしら「いつ死んでもいいや」的なところがあったのだろう。婚姻届と言う名の約束手形は私にとって、とても重い。

約束手形が有効の間は、夫に誠意を尽くすだろうと思う。これは私のスタンスなので夫に押しつけるつもりはサラサラ無い。「しがみついてでも…」と思えないのは、私の愛情が足りないからか、それとも性分がそうさせるのか。まったくもって謎である。謎は謎のまま、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年05月11日(木) バットと御婦人

帰りの通勤電車で読んでいた本が終わってしまい、うつらうつら居眠りをしていたら、向いの席の足元に置いてある鞄に目がいった。スポーツタイプの鞄には、ちっとも可愛くないマスコットがぶら下がっていて「高校生とかの間で流行っているのかな?」とて目を上げたら、鞄の持ち主は40歳後半の御婦人だった。まぁ、娘さんや息子さんに貰った…なんてこともあるなぁ……と1人ごちて再び目を閉じようとして、ハッっとした。

なんと。スポーツタイプの鞄にはバットが差してあったのだ。

平日の夕方にバットを携えた御婦人。もしかすると、昼間に野球かソフトボールでもされていたのだろうか。よくよく見れば服装もスポーティな感じで身体もよく引き締まっている。五月の空の下で、40代の御婦人が広いグラウンドでバットを振ったり、ボールを追って走ったりしていたのだろうか。もしかしたら、お仲間だっているのかも。野球は1人では出来ないのだから。なんか、いいなぁ……野球は子供達とおぢさん達だけの物ぢゃないんだ。

妙齢の御婦人達がグラウンドを走り回っている姿を想像してニンマリした。

バットを持った御婦人は私よりも手前の駅で颯爽と降りて行った。彼女のおかげで、私は楽しい想像に思いを巡らせた訳だが、よくよく考えてみると、あのバットは彼女のものだとは限らない。もしかしたら、彼女は教師かも知れないし、あるいは家族の荷物を運んでいたのかも知れない。よしんば彼女のバットだったとしても、平日の昼間に御婦人達で野球をする…ってシュチュエーションは、かなり苦しい。

まぁ、だけど。「たぶん、そうであろう現実」を想像するより、あのバットは御婦人の愛用品で、仲間と野球に興じていたに違いない……と思っていた方が、ずっと楽しい。ちょっぴり楽しい、ひと時だった。

さてと明日は待ちに待った金曜日。今週は連休ボケで、いまいちピリッとしなかったけれど、今日あたりからやっとエンジンが掛かってきた。あと1日とは言うものの張り切ってまいりましょうかね…ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年05月09日(火) 懸案事項

う〜む。久しぶりに困り事アリ。

生き死にに関わるような事ではないので、どうって事ないと言えばそうなのだけど。自分の中でどう処理をして判断するか……それが問題。私はどんな事でも一足飛びに結論を出したがるところがあるのだけど、今回はちょっと先送りに。頭を冷やすべし。

昨日も暑かったけど、今日も暑かった。暑さがそのまま夢に反映されたらしくて、昨夜は大規模な火事場で逃げ回っている夢を見た。夢の中で都合良く夫も私も生き残っていて「あ。乙女な母とお義母さんに無事だって連絡しなきゃ」と連絡手段を思案していた。我ながら律義者だと感心する。

今日は帰りにスーパーに寄ったら、びっくりするほど鰯が安かったので、かねてより1度作ってみたかった「鰯のつみれ汁」を作ってみた。夫の帰宅まで食べるのはオアズケだが、お出汁の味は素晴らしいので期待出来そうな予感満載。

PCに向かってみたけれど、いまいち何も書く気になれない。まぁ、こういう日もあるか……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年05月08日(月) 連休明け初日

昨夜はめずらしく眠れなかった。

夫の寝息を聞きながらベッドを転がってみたり、じっと目を瞑ってみたりしても眠気が襲ってこないので階下に下りてPC遊びなど。実家にいた頃も、そして今もPCの前が「自分の棲家」って気がする。PCが無い頃は勉強机の前がテリトリーだった。私は机が好きみたいだ。一畳にも満たない小さなスペースだけど、1人遊びをするには充分な空間。

悶々と時間をやり過ごしながら不健康なことばかり考えていた。心配事…ってほどでも無いのだけれど「眠れない夜」というのは、ロクなことを思いつかないものだ。まずもって快食快眠の毎日だけど、たまにはこんな夜もアリ。

9連休明けの出勤。久しぶりに仲間の顔を見てホッとした。帰省だの旅行だのの話を聞いたりするのは楽しかったけれど、仕事自体は流石にキツかった。あまりにも草臥れたので、仕事帰りに整骨院へ寄ってみたが満員御礼大繁盛。連休疲れだったり、あるいは仕事のペースに身体がついてこなかったりする人が多かったのだろうなぁ。

晩御飯くらいは美味しいものを食べたいなぁ……とて、時間もないくせに張り切って食事の用意をした。最近、食事の用意をするのが楽しくって仕方が無い……が、草臥れている時は手を抜いた方が良いらしい。晩御飯は美味しかったが、エネルギーを消耗してしまった感じ。

休みの後遺症が早く取れるといいのになぁ。まぁ、明日はもうちょっとシャッキリするだろうなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年05月07日(日) おやつにゼリー

連休最終日。なのに生憎の雨。しかも大阪南地方はドシャ降り。仕方が無いので夫と2人、家で過ごす事にした。

TVを観たりPCをしたり。私はそれでも御満悦なのだけど、夫は手持ち無沙汰な様子。あげくの果てに「ゼリー食べたい。プリン食べたい」と駄々ッ子のようなことを言う始末。夫も私も雨の中を買いに行く気にはなれないし、そうかと言って放置しておいてもウルサイので、オヤツにゼリーを作ることにした。夫が「夜勤従事者用配給物」で会社から貰ってきたリンゴジュースと粉ゼラチンを使用。規定よりも少しゆるい目のゼリーなど。夫、大喜び。

食べたい時が美味しい時だよね……と思う。

実家暮らしの頃はゼリーなんて作らなかったけれど、安くて手軽で美味しいオヤツだなぁ…と再発見。ジュースがなくても、常備している紅茶とか珈琲で作ることも可能だし、ヨーグルトとか牛乳って手もある。季節の果物なんかがあれば、もっと美味しくなるだろうし。

思えば9日もあった連休も今日でオシマイ。なんだか、ちっとも休み足りない。ハイキングに出掛けたり、友人が遊びに来たりと、それなりに行事もあったし、ヲタク的な幸せも満喫したし、満ち足りた休みのはずなのだけど。身体が休みに慣れちゃったみたい。また働かねばならないのに困ったものだ。

「もっと・もっと」と求めるのが人としてあるべき姿なのか、それとも「いまあることに感謝」するのが良いものか。後者を支持していきたいのだけどなぁ。まぁ、あまり欲どおしい事は思うまい。明日から気持ちを切替えて、頑張らなくちゃね……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年05月06日(土) 贈り物がいっぱい。

今日は我が家に友人が遊びに来てくれた。

お昼ごはんを一緒に……って事で、朝っぱらからグラタンを作製。お客様の分と自分の分、夫の分(出勤日なので夕食に)そして、実家にも持って行こうと作ったものだから、かなりの量のホワイトソースを作ることに。毎度ながらホワイトソースを作るのって面倒臭くて草臥れる。しかし思えば家族の人数が多ければ、毎日これくらいのペースで食事の支度をしなくちゃいけないのだ。大家族のお母さんってスゴイ。

友人のお土産はケーキと花束。ケーキも嬉しかったけれど、優しい色合いの花束に感激するの巻。しかも花屋さんがアレンジした花ではなくて、長いままのお花をそのまま束ねて自由に活けられるようにしてくれる……という行き届きように吃驚。まったくもって見透かされている。花束は友人が帰ってから1人でじっくりと活けさせてもらった。

友人とは結婚式の写真や、新婚旅行の写真を見せたり、ご飯を食べたりケーキを食べたり……と楽しい時間を過ごした。1人遊びは得意だし、1人でいるのも平気だけれど、本質的にはさびしん坊なので、お客様は大歓迎。とくに「自分ちでご飯を食べてもらう」ってのが楽しくてしょうがない。私は誰かにご飯を食べてもらうことに喜びを感じてしまう人間なのだ。「美味しい」とダイレクトに賞賛してもらえるのが良いのだろうか? ただ、これは商業レベルの料理ではなくて、あくまでも家族や友人知人限定の話なのだけど。

友人を送り出してポストを見たら小さな荷物が届いていた。

遠くの友人からの贈り物で、掌に収まる可愛らしい木製のオカリナだった。オカリナには花の絵が描かれていて、小さいながらもちゃんと音がする。お誕生日でもないのに贈り物を貰うって嬉しいものだ。さっそく演奏してみたが、指の運びから何から、すっかり忘れてて酷いものだった。友人と合奏が出来るように追々練習しようと思う。宝物がまた1つ増えた。

そんなこんなで今日は非常に満ち足りた1日だった。もちろん「物を貰って嬉しい」ってのも本当だけど「気にかけてもらってる」ってことが嬉しいと言うか。要は「自分で買った物」と「好きな人から貰った物」では大切度が違う……ってことなのである。物はどこまで行っても物でしかないけど、それ以上の存在にも成り得るから不思議だ。

楽しかった黄金週間も明日でオシマイ。そろそろ憂鬱の虫が疼いてきた。最終日は心残りの無いように楽しく過ごしたいものだなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年05月05日(金) 1人遊び

9連休のうち3日間は夫のいない1人の休日。

「休みの日だけど夫は仕事なんです」と言うと「1人じゃ寂しいでしょ」とか「退屈でしょうね」とか言われるのだけど、案外そんな事も無かったりする。独身生活が長かった…ってこともあるかも知れないけれど、1人遊びは得意中の得意。一応、夫には「1人だと寂しいし退屈だよ」と言っているけど、嘘をついていると言うより円滑な夫婦生活の彩りって感じで。

昨日は夫を送り出してからPCに向かいっぱなしで、書き物をしたりゲームをしたりしていた。たまには爛れたヲタク生活もたまには良いものだ。が、流石に2日もそれでは人としてどうかと思ったので、今日は朝から掃除をしたり、布団を干したり、ウォーキングがてら隣街の郵便局に出掛けたり。今日は子供の日ということで、帰り道の途中で菖蒲の葉っぱを買ってきた。菖蒲湯にする予定。せっかくなので菖蒲の花を活けたかったのだけど、子供の日特別価格で高かったので断念。

夕食のメインは餃子。普通のと、海老餃子を2種類。それに南瓜の煮付とワカメスープなど。せっせと餃子を包みながら「専業主婦って、こんな感じなのかなぁ…」と妄想したりした。仕事の相棒は「家で主婦をしているなんて耐えられない」ってタイプの人で「白蓮さん、絶対仕事は手放しちゃ駄目だよ」と言うのだけれど、私は「こういう生活も良いかな」なんてことを思ってしまった。今は働きながら家事をしているので、分かっていて手を抜いている部分が多いのだけど、専業主婦だったら、もっと丁寧に生活できるなぁ……などと、またまた妄想。

「昔っぽい暮らし」と言うのに憧れている今日この頃。昔のお母さん達は丁寧に丁寧に家と向き合っていたように思う。女性は家で家事をする…みたいな社会情勢が背景にあるので、それが素晴らしいとは言わないけれど。掃除は洗剤たっぷり。お料理だって化学調味料のお世話になっている身としては、昔のお母さん達の丁寧な仕事ぶりを見上げずにはいられない。

明日は友人が2人ばかり遊びに来る予定。何をする…って訳ではないけど、ご飯を食べたり、お茶を飲んだり楽しい時間が過ごせると良いなぁ。そうこうしながら貴重な休みが終わりに近づいているのだけど、とりあえずは目の前の休みを楽しもうってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年05月04日(木) 男性の中の母性

結婚して丸3ヶ月。今のところ子供のいない夫婦なので、結婚したからといって生活が劇的に変わった訳で無いのだけれど世間的には「既婚者」として扱われるので、職場などで何気なく話す「世間話」の内容は、ちょっぴり変わってきたように思う。

4月に転勤してきたM氏は私と同じ街に住む31歳。職場は大阪の北地方で、大阪南住人の比率が少ないせいか、M氏は地元ネタ」やなんかで、いきなりフレンドリーにしてくれる。だけど個人的にM氏はちょっと苦手なキャラ。悪い人ではないのだけれど、なんかこぅ……毒のある俺様キャラが好きになれず現在に至る。そんな訳で私はM氏に対して一線を引いているところがあるのだけれど、先日話をしていて「M氏ってちょっと面白いかも」という発見があった。

M氏は現在子供が2人。職場の印象からすると「子育てなんて興味ないね」って感じなのに、これが以外と子煩悩な人だった。誰だって自分の子供は可愛いものらしく「食べてしまいたいほど可愛い」なんて言うのはよく聞くけれど、M氏の子煩悩っぷりは今まで出会ったパパさん達とはちょっと性質が違う感じ。彼は私に「早く子供が出来るといいよね。子供っていいよ……」と1人語りをしながら言うのだ。

子供って、たまらんほど可愛いよ。父親の俺でも、こんなに可愛いと思うのに、これが自分のお腹を痛めた子だったら、たまらんやろうなぁ……って思うとさぁ。女性っていいよなぁ……。

母親の絶対性を羨ましがるパパさんは多いけれど、M氏は夢見るようなうっとりした目つきで「俺も子供が産みたい」みたいな勢いで語るのだ。子供の話をしていても、母親のような視点があって、私がいままで出会ったパパさん達とはちょっと違う。女性には母性本能…ってのが云々なんて事が言われるけれど、男性の中にも似たようなものはあるのかも……とM氏を見ていて思った次第。

個人的には「母性」って言葉は幻想じゃないか……と思っている。女性にそれが備わっていないとまでは言わないけれど絶対視するのは危険だろうと。比率としては少なくなるかも知れないが、母親以上に母性の強い男性もいるだろうし、いまいち子供を愛せない母親だっているだろうし。性差や社会の構造上「母は子を育て、父は糧を稼ぐ」ってお約束は承知しているけれど。

それにしても結婚したとたん「子供」という問題が現実的になってきた。子供は授かり物だと気楽に構えているけれど、今後は悩まされる事もあるだろうなぁ……とは思う。結婚して家庭を築くって何なんだろうなぁ……なんて事を考えリしつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年05月03日(水) 黄金週間前半戦

黄金週間前半戦が終了した。

いままで、どうやって過ごしていたか……と言うと。夫と2人で地元の山に登ったり(自宅出発から帰宅まで全て徒歩)、徳島の友人一家が遊びに来てくれたり、網戸の掃除をしたり……と極めて地元密着型の休日であった。

明日から夫は出勤なので、1人寂しい黄金週間に突入する。夫は「俺もいないことだし東京のFさんち家にでも行ってきたら?」と言ってくれるのだが、そこは33歳の哀しいところ。気持ちはあるけど身体がついてこないのだ。つい、この間スペインへ行ったところなので「出掛けたい」という気持ちよりも「休みたい」という気持ちの方が強いのである。自宅で『MOTHER3』などプレイしながら、地味に過ごす予定。

今日は実家に用事でちょこっと立ち寄ったのだが、長屋の前の庭…とは言い難い敷地が雑草が生えまくりで荒れていて、苦いものが込み上げてくるのを抑え切れなかった。私が実家にいた時だって、行き届いていた……とは言い難かったけれども、それでももう少し、マシだったような気がする。乙女な母や愚弟から伝え聞く話も、決して楽しいものではなくて、なんだか申し訳ないような腹立たしいような。

結婚して家を出たことに悔いなどないが「なんだかなぁ…」と思わずにはいられない。明日は夫が飲み会なので、実家で夕食を食べるのだけど、正直なところイマイチ気乗りがしなかったりする。実家……とは言うものの、私にとって安らげる場所では無いのだ。率直に言うなら心配の種。

ま。そりゃそうと黄金週間はまだまだ前半戦が終わったところ。せっかくの休みだし楽しく過ごさなくちゃね……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年05月02日(火) スペイン道中【マドリード後半〜スペインの日本人】

スペイン観光最終日後半。夕方から闘牛観戦へ向かった。

私達を担当してくれた現地の日本人ガイドT子さんはスペイン在住数十年で大の闘牛ファン。「私は1年に60回ほど闘牛を観ますが今日の闘牛は仕事でなければ、チケットを買ってでも観たいと思うほど特別な闘牛です」とのこと。T子さんは熱っぽく「闘牛について」説明をしてくれた。

たとえば……闘牛が始まるのは闘牛場の日向の部分と日陰の部分が中心で真っ二つに割れる時間であるとか、闘牛は生死をかけての戦いだから、牛が死ぬまで決して席を離れられない……とか。素晴らしい闘牛をしたマタドールには牛の耳が与えられるのだが、どういった基準でそれが決められるか……とか。私は自分の信条的に「食べる以外の理由で動物を殺す」のは賛成できないのだけど、マタドールの洗練された動きは美しいと思ったし「これもまた文化だなぁ」と思った。同じツアーの中で途中、気分が悪くなって出て行く女性もいたし、その反面すっかりハマってしまったらしい人もいた(これは男性が多かった)。

人間には誰しも嗜虐性があるので、闘牛だとか格闘技に興奮するのは当たり前のこと。私自身は比較的嗜虐性の強い人間だけど、「マタドールが勝とうが負けようが最終的に牛は死ぬ」のが分かっているだけに、心を熱くすることは無かった。なので「心優しいから闘牛に興奮しなかった」という訳ではない。闘牛を生で観て「人間の本質」について深く考えずにはいられなかった。

闘牛の大好きなT子さんは、かなり年輩の女性なのだけど、話が巧みで面白い人だった。スペインでの生活が長すぎるせいか「スペイン人でもなければ、日本人でもない」不思議な喋り方とゼスチャーが印象的で、有吉佐和子の『非色』の中で出来た「日本を離れて変質した桜」の話を思い出してしまった。人間の生き方って、色々あるなぁ…とか、「どこで生きるか」ってことを選び取って行く人生もアリだよなぁ…とか、そんなことを考えた。

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……とまぁ、そんなこんなでスペイン旅行の記録はオシマイ。帰路の飛行機は特に印象に残ったことは無かった。強いて言えば乗り換え地点、オランダの空港にはいたるところにお洒落な募金箱があって、私達夫婦は残ったユーロを全部入れてきたのだけれど、あれは素敵なアイデアだと思った。海外旅行をすれば「もう使わない小銭」が出てくるものだし、ご家庭で死蔵されるなら、世の中のお役に立った方が良い。日本の空港の国際線にも、そういった募金箱があれば良いのに。

旅日記を書く前は、道中の事柄を書いた後に「美味しかったもの」とか「スペインのヲタク事情」とか、見聞して印象的だった事をまとめて書くつもりだったけど、日々の日記を書けない…って状況に、そろそろ嫌気がさしてきたので、書きたいことは山ほどあるけど、今日で終わりにしようと思う。思い出を書くのもいいけれど、現在進行形の生活の方が大切に思うので。

明日からまた通常日記を書きませう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


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