社会人になって、かれこれ10年。初めて「寝坊して遅刻」という失態を犯した。
これまでも「寝坊したおかげで猛ダッシュ」という事はあったけれど、電車が遅れたとか、体調不良とか、所用がある(病院とか役所の用事)以外のことで遅刻をしたのは正真正銘初めての体験。いい年して……てか賃金労働者として恥ずかしい限りだ。しかも、もっと恥ずかしいのは「いっそ休んでしまおうか」と布団の中で悶々としてしまったことだろう。本気で休みたかったのだけれど奮起して出勤。元来の生真面目さがそうさせた……のではなくて、1度そういう事をしたが最後、2度と戻ってこれないような気がしたのだ。
かつて無い寝坊の理由は色々とある。いま抱えている仕事は週の前半は、のんびりしていて中盤から後半にかけて大忙し…てなサイクルなので気が抜けていたということ。最近、睡眠のテンポが崩れていて朝が辛いということ。そして最大の理由は勤労意欲が、いちじるしく低下しているということ。
仕事はそれなりに楽しい。職場の人間関係も良好で、文句のつけどころはないのだが、今の私には「働かねば」という意識が低すぎるのだ。
多くの人がそうであるように、私が働く理由は「生きていくため」である。仕事が生き甲斐とか、そういう思いは微塵もない。もっと突っ込んで書くならば「私と家族の生活を維持するため」だった。「私が頑張らなきゃ我が家の生活は崩壊してしまう」という思いが私を働かしめていたのだが、実はそんな事は無かった…って事が判明して、シャカリキに頑張る気力が失せてしまったのだ。
私は愚弟は事故で左手が不自由になっから、かなりの額の給付金を受けていた……ってことを、つい先日まで知らなかったのだ。姉よりも高額所得者だったなんて。聞いてないよー。
愚弟が給付金を受けていたことは知っていたが、そんな高額だとは思ってもいなかった。事実を知った時の衝撃と言ったらありゃしない。そうと知っていたら私の身の振り方は180度違っていたのに。だからって私は乙女な母の面倒を放棄するとは言わないけれど、私がいなくても生活できとという事実を隠蔽していたのはフェアーではないっつー訳で。しかも、何度か「今、姉が家を出るって無理だよね?」というような話を真面目にしたのも一再では無かったのに……だ。
愚弟の給付金の話は昨日今日のことではなく、自分の中では、とっくに解決した出来事だと思っていた。終わってしまったことを今さらどーこー蒸返す気などサラサラないが、自分が思っていた以上に衝撃的な出来事だったのだと言うことを、今回の寝坊で思い知らされた次第。
ま。プライベートの云々はさておき、仕事人として誉められた事では無いので、気持ちを切り替えて働かねばなぁ。「お仕事大好き」って人よりも「お仕事大嫌い」な人の方が多いのだしね。明日はちゃんと起きよう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
通勤電車の車窓の見れば躑躅がやたらと色鮮やかだ。
躑躅って、どうしてあんなに、おどろおどろしい当て字が付いているんだろう……とてネットで検索してみれば「ツツジの当て字の躑躅は、羊がこれを食べて足踏みして死んだところからの命名といい、本来の漢名は羊躑躅(ヨウテキチョク)」とあった。全ての躑躅に毒がある訳ではないようだけど、毒のある躑躅もあるそうな。
「躑躅」という当て字を知らなかった子供の頃、私の中にある躑躅のイメージは「地獄に咲く花」だった。もしも地獄があるとして、花が咲くとするならば、絶対躑躅に違いない……と頑なに思い込んでいたのだ。攻撃的なまでに派手な色彩と、ババーンと集団で咲いている様が「地獄にお似合い」としか思えなかった。大人の視線で見てみると日本の五月の空には似合いの花なんだけどなぁ。光の色が濃く感じられる空の下では桜の花でパンチが弱い。
そろそろ陽射しが強くなってきたので、日傘を持ち歩こうかと思案中。しかしながら日中は作業着(上は作業着、下はスカート)なので、日傘を持つのは滑稽な気がする。作業着を着て日傘……なんだかなぁ。本当ならばキッパリと陽射しの下を歩きたいところなのだが、お肌の曲がり角を過ぎた三十路の身としては、そうも言っていられないのが悩ましい限り。
それにつけても早春から夏になるまでの季節って好きだなぁ。時分の太陽の光を浴びると「うぉぉっ。生きてるぞぉ」って気分になるのだ。ま、そりゃそうと明日は日傘を持って出勤するかな……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。
2005年05月15日(日) |
牛肉=ご馳走…だけど。 |
最近、牛肉を食べたいと思わなくなってしまった。
もともと哺乳類系タンパク質より、魚類系タンパク質を愛好していたのだけれど、哺乳類系タンパク質を食べるのならば「やっぱ牛肉でしょ」と思っていたのに、ここのところは牛よりも鳥か豚……という好みに移行してきている。なので「久しぶりに焼肉とビールなんてどう?」と誘われてもイマイチ乗り気になれない今日この頃。「むしろ焼き鳥がいいです」という感じ。
……とは言うものの、幼い頃に刷り込まれた「牛肉=ご馳走」という意識はいまだ健在なので「牛肉を食べる」というイベントちっくなノリは今でも好きだ。だけど、正直「ばんざーい。今日は牛肉だぁ」というトキメキを感じなくなっているようだ。年のせい……とは思いたくないけど、やはり関係しているのかも知れないなぁ。
年を重ねても変わらない部分はあるけれど、変わっていく部分もある訳で。食べ物の嗜好は変わっていく類のグループなのだろうと思う。
加齢による変化を強く感じる今日この頃。しかし、子供の頃からちっとも変わっていないなぁ……という部分も強く感じたりするのも事実。レースとか、刺繍とか、ヒラヒラとか、お姫様ちっくな物が好きなんだ……ってことを再確認するようになった。6〜7年ほど封印していた感覚なのだけれど。
牛丼解禁が近づいているようだけれど、たぶん私は豚丼を食べてしまうと思う。それくらい牛は御呼びぢゃないのだ。明日のお昼は会社近くの「すき家」でお持ち帰り豚丼でも食べるかなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
このたび10歳の時から大切にしていた人形を捨てることにした。
特別な事情がある訳でなく、ここのところ、すっかり思い入れが無くなっていることに気付いたから「そろそろ捨てるか…」と思ったに過ぎない。人形の名前はアリス。小公女のヒロイン、セーラ・クルーが愛した抱き人形のような、典型的な「お人形さん」である。アリスという名前は『不思議の国のアリス』ではなく、『エレン物語』に登場した「アリスお姉さま」由来する。アリスお姉さまは牧師の娘さんで、ヒロインに「なすべきつとめを成しなさい」という言葉を残した早世の美女で、長らく私の憧れの女性でもあった。
幼い頃は心の拠り所でもあったアリスだが、彼女に語りかけることもない今、手元に置く意義は無いなぁ……ってことに気が付いて、捨てようと思った次第。
20年も大切にしていた人形をゴミとして捨てるのには抵抗があり、信仰も無いのに「人形供養にでも出すかな…」とて調べてみた。人形供養をしているお寺や神社は沢山あるが、儲け主義と言うのか、イマイチ納得がいかずに、結局ゴミとして捨てることに。「今までありがとう」とお礼を言って、ゴミ袋に詰めたら充分かな……と。結局のところ人形は物に過ぎない訳で、供養ってのも持ち主の気持ちの問題だろうと。
20年も一緒に連れ添った人形だが、埃まみれになっていた戴き物の縫いぐるみと一緒に、ゴミの日に捨てる。大切な人形だったが、捨てるとなるとゴミ……ってことろは、ちょっぴり切なくあるけれど、これもまた仕方のない話。大切な物は年月の流れと共に変化していくのだもの。今の私が必要としているのは、アリスの実態ではなくて、その思い出だけなのだと思う。
人生の基本は等価交換……とまでは言わないけれど、人形のアリス以上に大切なものもある訳で。それにつけても区切りとか別れは突然やって来るもんだと、心境の変化に我ながら驚いてみたところで今日の日記はこれにてオシマイ。
今週は珍しく日記皆勤賞! 読み返してみると、なにげに陰気な内容だけど、そこのところは気にしない方向で。
帰宅した午後11過ぎ。上司から携帯に電話あり。またしても休日出勤の依頼かとドキドキしたが、スケジュールの確認だった。共に働くチームの面子が、それぞれに「いっぱい・いっぱい」で、ちょっと心配。身贔屓を抜きにしても、カッコイイ男達だと思う。だけど、それが良いとは思えないあたりが微妙な感じ。
友人から小さな絵を戴いたので、仕事帰りに絵を入れる額を買いに行こうと思っていたのだが、今週はそんな時間には帰宅出来ず。鞄に絵を入れたまま1週間が過ぎてしまった。早いところ、ちゃんとした額に入れて飾りたいと思うのだけど、鞄に絵が入っているってのも悪くないなぁ……と思ったり。額のイメージは出来ていて、形や素材はこだわらないけど、銀色の額に入れようと決意している。
それにしても「手書き・手描き」の物は、力に満ちているなぁ。戴いた絵を見て、つくづく思う。絵でも文字でも。息遣いが感じられると言うか。存在感が違うのだなぁ。仕事でもプライベートでも電脳世界に頼りきっているので、余計に惹かれてしまうのかも知れない。
さてと週末は何をして過ごそうかなぁ。楽しい計画などを頭の中に描きつつ今日の日記はこれにてオシマイ。
漫画好きの相棒と漫画をトレードするようになって、そろそろ半年が過ぎようとしている。
私は活字を読むのが大好きなのだが、漫画を読むのもかなり好き。毎日顔をあわせる人に同好の志がいるだなんてラッキーなことだと、ホクホク漫画を運んでいるのだが、困ったことに私と相棒とでは漫画の趣味が合わないらしい。
私が持って行く漫画は、相棒に大好評らしく、読了後は毎度熱く語ってくれるのだけれど、相棒から借りる漫画は全く好きになれなくて、感想を言うに困ってしまう。古い漫画…俗に言う往年の名作漫画については、相棒も私も嗜好は同じなのだが、最近の漫画となると、何故だか見事に平行線だ。
相棒から借りた作品で駄目だったもの色々。『はちみつとクローバー』『のだめカンタービレ』、タイトルは忘れちゃったけど、安野モヨコの作品。他にも色々。数え上げればキリが無い。今回は稲中卓球部の作者が描いた『シガテラ』という青年誌掲載の作品を借りたのだが、これは壊滅的に駄目だった。「好きぢゃない」を通り越して「そうとう嫌い」な領域。どれも今どきの漫画で、評判の良い作品なのになぁ。「今どきの感覚についていけないのかも」なんてことを思ったり、「いやいや。今どきの漫画でも好きな作品もあるさ」と開き直ってみたり。
今までの「受け付けなかった遍歴」から察するに、私は「毒にも薬にもならないニュアンスを楽しむタイプの作品」と「攻撃的(←暴力描写があるという意味ではなく)あるいは、人を小馬鹿にした作品」は好みでないようだ。
いい加減「じつはイマイチ好みが合わないかも」と言っても良いように思うのだけど、つい言いそびれて現在に至る。そして私も「マイ・お宝漫画」を彼女に運ぶのだ。ちなみに、次回配本は『北斗の拳』の予定。相棒は愛のドラマにのたうちまわってくれるのだろうか。それとも男気に涙するのだろうか。相棒から漫画を借りるのは、ちょっぴり憂鬱だが、自分の好きな漫画を貸すのは悪くない。「それって、どうよ?」と思うのだけど、こればかりは仕方がないと言うか。
ま。漫画の好みは合わなくたって、そういう交流が出来るという事が尊いのだ……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。
「良かった探し」とは、ひと昔前に流行ったアニメ番組『愛少女ポリアンナ物語』のヒロイン、ポリアンナ(原作の小説は『少女パレアナ』)の得意技。どんな逆境にあっても「良かった」を探して三千里。原点は聖書にあるようだが、その辺の事情は割愛。いつも笑顔のポリアンナ嬢は善良な日本人のハートを鷲掴みにしていた……ように思う。
どんな状況下においても「良かった」を探すのは素晴らしい事だと思う。せっかく生きなきゃいけないのなら、しかめっ面でいるよりも、笑顔で過ごした方がいい。これは幸せに生きるための知恵だと思う。笑う角には福来るではないけれど、物事を良い方に考えて前向きに生きてこそ幸せも訪れようと言うものだ。
だが、ふと思うのだ。「良かった探し」にも弱点があるのではないか……と。
良かったを探すということは、自分に折り合いを付けるということに通じるようにも思われる。「良かった」を探すことで根本的な問題から目を背けているような気がするのだ。たとえば、何年か後になって「あの時は、本当にあれで良かったと思う?」と聞かれたとして「本当に良かったと思う」と即答できれば合格だけど、思わず口篭ってしまうようなら「良かった探し」は失敗だったと言っても過言ではない。
「良かった探し」を全面否定するつもりは無いけれど、物事の本質から目を背けたり、適当に妥協したりするのは、いただけない。ふと自分を振り返ってみるだに「良かった」を隠れ蓑にして、あえて目を瞑ったり、妥協していたことが多過ぎるような気が。もっと真摯に生きなくちゃなぁ。
「良かった探し」もほどぼどにして、見るべきものはシッカリと見つめていきたいものだ。ここ何年間、ちょっと自分自身に対して手を抜いていたと言うか、ズルくなっていた部分があることに、ふと気が付いた次第。「私も大人になったからねぇ」なんてのは言い訳。こいつは改めなくちゃなぁ…と思ったところで、今日の日記はこれにてオシマイ。
「新しい朝が来た 希望の朝だ」という歌い出しからはじまるラジオ体操の歌は実に素晴らしいと思う。
昨日は陰気なことを書いて少し反省した。中途半端に書くのなら、いっそ書かない方が潔い。どうして、今回は中途半端な行動に出てしまったものやら。大人気ないことこの上ない。
本日はお客様と打ち合わせ。手ごわい方なので、シャキッっと身を引き締めていかねば。いつまでもウダウダ言っている場合ではないのだ。天気は良いし鞄の中には読みかけの本だってある。仕事帰りには甘い物でも買って帰ろう。
では張り切って行って来ます……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
この数日は負の感情に振り回されっぱなしだった。
やっと気持ちに整理がついたので、少し落ち着いたことだし、事と次第を日記に書こう……と、さっきまでせっせと書いていたのだが、今回ばかりはWEBに載せるのを躊躇ってしまった。比較的、なんでもアリで続けている日記ではあるけれど、あまりにも痛々しくてアップするのを中止した。
今までだって重大事件にもかかわらず「あえて書かない」ことは多かったのだから、今回もそういうことにしようと思う。しかして「あえて書かない」ことの方が、適当に書いている話よりも、激しくブチかましたいことだったりするから性質が悪い。「王様の耳はロバの耳」とはよく言ったものである。
しかしながら今回のことでは、久しぶりに怒りもしたし、かなりガックリした。自画自賛、悲劇のヒロイン気取りも甚だしいが、今までの私の良い子っぷりが泣けてくる。まいったなぁ…つくづくまいった。
過ぎ去った時間や、失ったものを数えていても埒が明かないので、ここは1つ気持ちを切り替えていきたいのだが、今回は一筋縄ではいかない感じ。キッパリ・スッキリ・サッパリが身上なんだけど。ま、そのうちサッパリするでしょう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
【追記】 残念ながら色っぽい系の話にあらず>今回のこと
ただいま。昨夜、大阪へ帰還いたしました。
旅先ではドラマティックなアバンチュールがあるはずもなく、そのまま旅先に居付いてしまうこともありませんでした。自宅と向いの婆様と職場の土産を鞄に詰めて、出掛けた時と寸分違わぬ様子で戻ってきました。
旅先では向こうの人に甘えつつ、至極愉快に過ごしました。旅の目的は人と会うこと、喋ること。なんちゅーか。ほどほどに見聞して、機関銃のように喋りまくってきました。本当ならば3泊4日の旅の様子を書き記したいところですが今回は敢えて省略。お世話になった方にお礼を書いたら、明日からの生活に備えてお昼寝でもしようかと。
それにつけても旅は良いです。本を読んだり、お芝居を観たりすることでも、日常生活から離れることは出来るのですが、それらの娯楽と較べてみるだに、旅の持つ力は圧倒的なものがあるのです。日常から切り離された時間の楽しさと言ったらありません。「ずっとこのままでいたいなぁ」と思う反面、自分の居るべき場所に戻らねばならないことは、誰しも知っている訳で。松尾芭蕉のように日々旅にして旅を栖とす……とはいかないものです。
明日からまた仕事の日々。次の大きな休みはお盆休みでしょうか。楽しかった時間の余韻を味わいつつ、そろそろ現実に戻らねばなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。