白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2005年05月30日(月) コンパクト

愛用のコンパクトが割れてしまった。

特に落とした記憶は無いのだが、さっき開いたら鏡に大きな亀裂が走っていた。あのコンパクトは高校の修学旅行で行った北海道で買ったもので、ロマンティクなデザインがとても気に入っていて「死ぬまで大切に使おう」と思っていたのに。

現実的に事を考えるだにファンデーションのケースに付いている鏡が大抵は事足りるのだから、コンパクトなんて持ち歩く必要は、どこにも無い。だが「コンパクト」というアイテムが好きだったのだ。乙女趣味ではあるけれど、コンパクトの蓋を開くときの、軽いトキメキは、ファンデーションケースの鏡や、折りたたみ式の機能的な鏡では味わえないものだと思う。

ファンデーションケースの鏡に映った自分の顔は、心なしか味気なく見えた。

形あるものは必ず壊れるのだから、仕方がないことなんだけど、一抹の寂しさを拭いきることは出来ない。知らない間に割れちゃうだなんて。残念だけど諦めなくちゃね……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2005年05月29日(日) 従姉妹の結婚式

今日は従姉妹の結婚式に出席してきた。

従姉妹の花嫁姿は素敵だったし、とっても楽しい結婚式だった♪ と書きたいところなのだが、近年にない不愉快な結婚式だった。従姉妹の花嫁姿が素敵だった……ってところだけは本当なのだが。

7つ年上の既婚者である従姉妹に絡まれて散々だったのだ。30代の独身女性なら、誰しも通る道なのかも知れないけれど、見当違いも甚だしく、適当に流しつつも内心ではかなりムッっとしてしまった。「白蓮ちゃんは若く見えて羨ましい」だの「素敵なドレスね。私なんて、こんな服で云々…」だの「白蓮ちゃんぱ理想が高いから結婚出来ないのよ」だの「独身だと自由でいいわね」だの。

若く見えると言ったって、未婚で子供を生んでいないとなれば、多少若く見えるのは当然なのだ。結婚して子供を生んだ女性とまったく同じじゃ、あんまりにも可哀想過ぎる。ドレスに至っては10年も前に購入した物。今のシーズンの結婚式には、いつも同じドレスで写っていて「お洒落な私」って訳でもない。結婚話にいたっては「私の理想が高い」のではなく「私に少々難アリ」なだけだし、「独身だから自由」だと言われても、ウィークデイはガッツリ仕事。週末の1日は家事専従の身の上としては、首を傾げざるを得ない。

帰りの車内で愚弟に「今日の○○姉ちゃんには、ムカっ腹立っちゃった」と告白したらば「なんか、スゴイ勢いだったもんなぁ。でも、それってヤッカミも入ってると思うで」と言われたが、イマイチ腑に落ちない。

もっとも私も大人なので、その場はニコニコ笑って、従姉妹の追撃をスルーしていたのだが、その父親(私の叔父)が、ちょっとしたトラブルからご立腹だったらしく、宴席でずっと不機嫌をブチかましていたのにも、ほとほと参った。お祝いの席なんだから、もう少し押えてくれよ……とハラハラしながらの食事が美味しいはずもなく。自分の親戚とは言うものの宴席のマナーを知らない人にウンザリしてしまった。適当に場を盛り上げて、世間話でもしておけば良いのに。

不愉快な結婚式だったが、従姉妹を祝う気持ちは本物である。末長く押し合わせに……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2005年05月28日(土) ふうっ。

直接的に係わりのある人ではないのだけれど、職場の人が、夜間作業中に心臓発作で緊急入院した……という知らせを聞いてゾッっとした。ちなみにその人は私と同世代である。

私自身は、なんだかんだ言っても派遣社員なので、そこまで過激な勤務がある訳でないので、言わば他人事ではあるのだけれど、一緒に働いている社員さん達に関しては、いつそうなっても不思議ではないので居たたまれないものを感じてしまった。

「命がけで仕事をする」って言葉を文章として書いてみると、ちょっと素敵な感じがするが、自分の命をはかりにかけてまで、しなければならない仕事なんて、そうそう無いと思うのだ。そこまで人間を酷使するって、なんか間違ってるよなぁ……と思う。昨日、業者さんから届いたメールの送信時間は午前0時31分だった。私がどうにか出来る類の事ではないのだけれど、自分が酷く悪人になったような気がした。

職場の人達も正直ショックだったようだ。それにしても「そうか。○○君は、いいヤツだったのになぁ」なんて冗談が飛び出したのは戴けなかった。そんなことを口にした彼は身近な人の死に遭遇していないのだろうと思うのだけど。

ものすごく身勝手な発想なのだが、せめて自分の周囲の人は、そういう目に合わないで欲しいなぁ……と強く願う。

明日は従姉妹の結婚式。気持ちを切り替えて、お祝いモードで参りましょう……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2005年05月27日(金) 同月同日に。

来月、33歳になる。

私の周囲には私と誕生日が同じ人がやたらと多い。なんだか不思議な感じだが、誕生日に、同じ誕生日の人を想うというのは、ちょっと良いものだ。1番身近なところで言うと愚弟。仲良しのNさん。過去の人で言うなら、今は亡き曾祖父も同じ誕生日だった。先月お別れした人もそうだった。

愚弟とは、物心ついてから、ずっと「誕生日のプレゼント交換」をしている。子供の頃はプレゼント交換にも趣向を凝らしたものだが、近年はテンション下がりまくり。互いに欲しい物を言い合うようでは、ポチ袋に現金を入れて渡したって変わらない……ってことで、プレゼント交換は止めて「姉弟で使えるもの」を買うことにしている。近年のヒットは『20世紀少年』の大人買い。今年は『まっすぐにいこう。』のコミックスを大人買いする予定。「しかし誕生日に漫画の大人買いってのも、なんだかなぁ」と愚弟が言うので「じゃあ、炊飯器でも買う? それともアイロン台はどう?」と提案するも「ぢゃあ、漫画でいいです…」(←なぜか敬語)とのこと。

まっすぐにいこう。』は、ケーブルテレビのアニメで2回ほど観たのだが、速攻でファンになってしまった。ヒロイン郁子ちゃんの「飼い主」としての姿勢に好感が持てるのも良いし、マメタロウのいじらしさが、胸キュンでたまらない。犬好きのハートを鷲掴みにしてくれる作品なのだ。今すぐにでもアマゾンで購入したい衝動に駆られるのだが「誕生日に買う」という事に意義があるので、しばし我慢。

それにしても今日は「誕生日が同じ人がいる」という話が書きたかったのか「誕生日プレゼント」について書きたかったのか。まったくもって、まとまりが無い。最近、書きたいことが多過ぎる。職場であった吃驚な出来事の話だの、自分の事ではないのに切なくなった話だの。たぶん、それらは書かずに終わっちゃうんだろうなぁ……という予感満載。思う存分書き散らすにはエネルギーが足りませぬ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2005年05月25日(水) 着ぐるみを着て…

大好きな漫画家、川原泉の漫画の中に着ぐる身を着て見合いに行く娘さんが登場する。

「着ぐるみを着て見合い」ってのが、メインの話ではないのだが、やけに印象的なエピソード。大好きな作品でもあるので、たまに読み返すのだけれど、今夜は寝る前にちょこっと読んでみよう……そういえば、ここ1〜2年、お見合いの話も来なくなったなぁ。

週明けからバタバタと仕事漬けだったのだが、その合間は先日買った文庫本『鋼の女 最後の瞽女・小林ハル』のことばかり考えていた。色々と思うところがあり過ぎる、あとを引く作品で、なんだかとってもモヤモヤしている。

強く生きる事と、我を張って生きる事は違う。人に尽くす事と、人を愛する事は違う。人に優しくす事と、人を甘やかせる事は違う。本のページを繰りながら、そんなことを考えてばかりいた。そういうのって、難しいなぁ……。ふと我が身を振り返るだに、どれもこれも間違った方向で進んでいるような。自分を否定するつもりはないけれど「ちよっと待てよ」と疑問に思った次第。

明日は水曜日。やっと折り返し地点。通勤鞄に軽めの本なと入れて、頑張るかな……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2005年05月22日(日) 備えた1日。

今日は明日から始まる毎日のために、色々なことを備えた1日だった。

朝も早くから起き出して活動開始。景気良く洗濯機を稼動させるの巻。日々の洗濯物に加えて、シーツだの、「しろたんだきぐるみ」だのをガンガン洗う。しろたん枕は愛犬のお気に入り。抱きしめると犬の匂い漂う逸品である。洗濯機を稼動させつつ、台所でお弁当のオカズの冷凍ストック作りなど。ヒジキ煮だの、付け合せパスタだの、何種類かのオカズを作り、小分けにして冷凍。数ある家事の中でも食事作りは好きだなぁ……と毎度思う。その他諸々用事をこなしつつ、合間にネット。

午後は買い物。スーパーで食料品。ホームセンターで洗濯カゴだの、その他諸々を購入。ホームセンターって、なんだか好きだ。私にとって、お洒落な雑貨店よりも燃え上がる空間。うっかり買う予定には無かったものまだ買ってしまった。身体を洗うゴシゴシタオルをば。ま……1つくらい衝動買いも良いでせう。ブックオフにて本の仕入れて、豊かな気分で帰宅。

夕食は鉄板焼。戴き物の大きな海老をメインに、野菜などを焼く。もちろんビールも美味しく戴いた。勤勉に働き、まことに意義深い休日だったと思う。しかしながら働いて終わる休日って言うは、ちょっぴり切なくもあったりする。まぁ、昨日は存分に遊んだのだから、その辺だ満足しておけよ……て話なんだけれども。

いまは無性にゲームがしたい気分。育成ゲームが良いんだけどなぁ……。今までの人生で最高のハマった『プリンセスメーカーシリーズ』の最新作『プリンセスメーカー4』早く出ると良いのになぁ。 間に合わせで何かPCゲームでも買おうかなぁ……と思案しつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2005年05月21日(土) 宝塚歌劇の魅力。

宝塚歌劇を観に行ってきた。

取り立てて誰のファンだとか、猛烈に好きだと言う訳ではないけれど、宝塚のキラキラした空間が好きでならない。同行した友人に「私にとって降りた瞬間にワクワクできるのは、宝塚駅と東京駅だけです!」なんて話をするくらい、宝塚駅に降り立った瞬間から心浮き立つのを感じるのだ。

芝居が『長崎しぐれ坂』ショーが『ソウル・オブ・シバ!!』の2本立て。芝居好き人間としては、ショーよりも芝居の方が楽しみなのだが、芝居はサッパリ駄目だった。何が駄目ってお話が駄目。小説で読むには面白いのだろうが、宝塚向きで無いと言うか、トキトキが無いと言うか。友人達も不満だったようだが「これって、私達だけがブーブー言ってるのかな?」と思いきや、前の席の御婦人も後ろの席の御婦人も、気持ちよく扱下ろしていたので、どうやら本当にイマイチだったらしい。

ショー『ソウル・オブ・シバ!!』は、けっこう良かった。ショーはあまり好きでない私も楽しむ事が出来たくらいだ。宝塚らしいレビューだったと思う。アラビア風ダンス、男役のタキシードダンス、ニューヨーク舞台のダンス……宝塚のお約束が勢ぞろい。トップさん達が羽を背負って大階段を降りてくる頃には、すっかり良い気分になっていた。

久しぶりに宝塚の舞台を観て、ふと気付いたことがある。宝塚へは何度か足を運んでいるが「面白かった。良い舞台だった」って時よりも「イマイチだった。不完全燃焼な舞台だった」って時の方が、むしろ多いのだ。帰り道の阪急電車は友人とイマイチだった部分を語り合うのが恒例行事。アタリハズレが激しく、ハズレた時の酷さったら格別なのだ。それなのに「あぁ、また宝塚行きたいなぁ」と思ってしまうから不思議である。

乙女を意識した街の雰囲気が好きだ。「生きるの死ぬの」と言ったコテコテの恋愛を見せてくれるのも良い。頭がクラクラするような派手な舞台と衣装を見ると、それだけで楽しい気分になる。私にとって宝塚は意次元空間なのだ。だからこそ日常生活からトリップできるし、それが素晴らしいストレス発散となるのだ。

宝塚帰りに大阪で夕食。思いつきで入ったお店が素晴らしく美味しくて、久しぶりに美味しい食事とワインを楽しんだ。「通いたい店」が1軒増えて嬉しい限り。

異次元空間に遊び、ストレスを発散したおかげで「また頑張らなきゃ」って気になった。思い切りよく遊ぶと「自分の成すべき務め」ってヤツがハッキリ見えてくるような気がする。とりあえず日曜日はお弁当用の冷凍食品作成に励もう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2005年05月20日(金) 昼酒万歳!

日中、社用で外に出たらば、胴体に「ワインライナー」と描かれたバスを見た。

幼稚園児の教材に使われるようなカットイラスト風の葡萄の絵が描かれた車体がプリティなバスは大阪と広島を繋ぐ定期便のようだった。平日なだけに人はまばらだったけれども、稚拙な葡萄の絵が描かれたバスが走り去る光景は私の目を釘付けにするに充分だった。

ワインが飲みたい! と強く思った。

と同時に『南プロバンスの12ヶ月』というエッセイ本を思い出した。ひと昔前、働きアリ日本人の心を鷲掴みにしたベストセラー。私はブームに遅れること数年、ブックオフの100円均一コーナーで購入し、ひどく感銘を受けた記憶がある。「お酒を飲むなら昼間に限る」と。ちなみに、それ以外の事柄は、全く印象に残っていない。

あの本を読んで以来、私は昼酒に目覚めしまったのだ。青空の下でバーベキューをしながら飲むビールは美味しい。お正月の気だるい日中に飲む清酒も美味しい。はたまた、ちょっと贅沢な物を食べながら、気の合う友人と飲むワインも美味しい。仕事をした後のお酒も美味しいが、働かないで飲むお酒はもっと美味しいように思う。お日様の光を感じながらの、ほろ酔い気分に勝るもの無し。

昼酒万歳!

「約束の時間に送れちゃう」とて、小走りで街を縦断しながら、昼酒に思いを馳せた午後だった。そして今は予想以上に早く帰宅することが出来て幸せ気分を満喫中。明日は友人と宝塚を観に行くのだ。週末を思い切り楽しもうと思う。そう言えば『南プロバンスの12ヶ月』にも週末を楽しむフランス人の話が書いていたっけか……ちなみに、その本は売り飛ばしてしまって手元に無い。

明日は早起きして用事を済ませ、心置きなく宝塚を楽しんでこよう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2005年05月19日(木) むしろペシャンコ

自分以外の人間に仕事を頼むのってムツカシイなぁ……と思う今日この頃。

今の職場は、いわゆる「元請会社」ってポジションにある。大きな仕事を戴いて、下請けさんに流し、下請けさんは、またその下に……という流れの上にいる訳だ。今までは「いち図面描き」として、忙しいながらも上司の庇護のもと、図面に没入していれば良かったのだが、最近はそうとも言っていられず、派遣社員ながら下請け業者さんにお願いして、あれやこれや動いてもらっている。

「元請」ってのは因果な商売だなぁ……と思う。お客様は神様だからしてその要望は絶対無敵。下請け業者さんが目一杯頑張ってるのを承知で、言わなきゃならないことがあったり。今風な言い方をするなら「マジ・ゴメン。正直・ゴメン」と謝りつつ、お願いのメールや電話をする毎日。自分が逆の立場だったら途方に暮れるだろうなぁ……と思う。無茶ばかり言っているので、せめて「親切・丁寧・キチン・キチン」と某引越しセンターのような対応をモットーにしたいと思っている。

時代劇で火消しの女将さんが火打ち石を打つ気持ち……なんとなく分かる気がする。「工事が無事に済みますように」「事故とかありませんように」とか、そんなことが頭から離れない。

そんなこんななで奮闘している訳だが、今日はトラブルに次ぐトラブルで、気持ち的にクタクタだった。打たれ強い人になりたいと思っているが、どうにもこうにもペシャンコである。今までしていた仕事とは大変さの種類が違うと言うか。慣れてないと言うか。こういう世界で出世していく人って、強靭な心と身体の持ち主なんだろうなぁ。今まで、あまり考えたことが無かったけれど「出世」ってスゴイことだったんだと認識した。

ペシャンコになりっぱなし……てな訳にもいかないので、空気を入れてまた明日。週末を励みに、もうひと頑張り……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。

<追記>
「使わない諭吉」派の女性からメール有。なんだか、やけに嬉しかった。
やはり性差ではなく個体差なのかも。


2005年05月18日(水) 使わない諭吉。

仲良しの同僚Uさんが「昨日、買い物で夢中になったら残金が500円になっちっゃてて……お昼ご飯を買うのも困っちゃう」ってな事を言ったのが発端になって「財布の中身」について、やたらと話が盛り上がってしまった。

いい年した大人は「1000円×年齢」分の現金を財布に入れておくものだ……てな話を何かの本で読んだことがあるけれど、一般庶民はなかなかそうも言っていられないように思う。私とて給料日前は素寒貧……てなことがあるので、うっかり使いすぎてしまったUさんの心情は分からなくも無かった。

だが私は常に「使わない諭吉」という心強い伏兵を隠し持っているので、本当のことを言うと「財布に500円ぽっきり」なんて事はまず有り得ない。

ぢつは「もしも」の時のために必ず1万円札を忍ばせているのだ。「もしも」と言うのは「可愛いお洋服があったから、うっかり衝動買い」とか「読みたかった漫画を古書店で見つけたから大人買い」とか、そういう事ではない。たとえば急病であるとか、不祝儀であるとか。あるいは素寒貧の時に友人から「今日はどうしても1人でいたくないから、飲みに付き合ってくれない?」なんて誘われたりした時とか。ま「もしも」なんて事は、そう滅多に無い訳なのだが。

そんな話を同僚達にしたらば「それって男性的な思考だよ。女性の発想じゃない。女性は、常に誰かに助けてもらう……って発想があるから、そういうことはしないものだよ」と言われてしまった。その場にいた同僚達数人も「使わない諭吉」の話は、いまいちピンと来なかった様子。

なるほど。女性ってのは、そういうものなのかも知れないなぁ……と言いたいところだが、それって性差ではなく個体差なのではなかろうか? 女性だからって「常に誰かに助けてもらう」ってな発想を持っているとは思えないのだが。機会があれば、友人知人に聞いてみようと思う。

今日はどうしても新刊本の匂いが嗅ぎたくて、駅構内の本屋に駆け込んだ。心地良い読み物がいいなぁ……と思っていたのに、手に取った本は『鋼の女 最後の瞽女・小林ハル』面白そうではあるけれど、心地良い本では無いだろうに。なんだか、ちょっぴりドツボな感じ。財布の中に使わない諭吉を忍ばせて、明日もまた頑張ろう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2005年05月17日(火) はじめての遅刻

社会人になって、かれこれ10年。初めて「寝坊して遅刻」という失態を犯した。

これまでも「寝坊したおかげで猛ダッシュ」という事はあったけれど、電車が遅れたとか、体調不良とか、所用がある(病院とか役所の用事)以外のことで遅刻をしたのは正真正銘初めての体験。いい年して……てか賃金労働者として恥ずかしい限りだ。しかも、もっと恥ずかしいのは「いっそ休んでしまおうか」と布団の中で悶々としてしまったことだろう。本気で休みたかったのだけれど奮起して出勤。元来の生真面目さがそうさせた……のではなくて、1度そういう事をしたが最後、2度と戻ってこれないような気がしたのだ。

かつて無い寝坊の理由は色々とある。いま抱えている仕事は週の前半は、のんびりしていて中盤から後半にかけて大忙し…てなサイクルなので気が抜けていたということ。最近、睡眠のテンポが崩れていて朝が辛いということ。そして最大の理由は勤労意欲が、いちじるしく低下しているということ。

仕事はそれなりに楽しい。職場の人間関係も良好で、文句のつけどころはないのだが、今の私には「働かねば」という意識が低すぎるのだ。

多くの人がそうであるように、私が働く理由は「生きていくため」である。仕事が生き甲斐とか、そういう思いは微塵もない。もっと突っ込んで書くならば「私と家族の生活を維持するため」だった。「私が頑張らなきゃ我が家の生活は崩壊してしまう」という思いが私を働かしめていたのだが、実はそんな事は無かった…って事が判明して、シャカリキに頑張る気力が失せてしまったのだ。

私は愚弟は事故で左手が不自由になっから、かなりの額の給付金を受けていた……ってことを、つい先日まで知らなかったのだ。姉よりも高額所得者だったなんて。聞いてないよー。

愚弟が給付金を受けていたことは知っていたが、そんな高額だとは思ってもいなかった。事実を知った時の衝撃と言ったらありゃしない。そうと知っていたら私の身の振り方は180度違っていたのに。だからって私は乙女な母の面倒を放棄するとは言わないけれど、私がいなくても生活できとという事実を隠蔽していたのはフェアーではないっつー訳で。しかも、何度か「今、姉が家を出るって無理だよね?」というような話を真面目にしたのも一再では無かったのに……だ。

愚弟の給付金の話は昨日今日のことではなく、自分の中では、とっくに解決した出来事だと思っていた。終わってしまったことを今さらどーこー蒸返す気などサラサラないが、自分が思っていた以上に衝撃的な出来事だったのだと言うことを、今回の寝坊で思い知らされた次第。

ま。プライベートの云々はさておき、仕事人として誉められた事では無いので、気持ちを切り替えて働かねばなぁ。「お仕事大好き」って人よりも「お仕事大嫌い」な人の方が多いのだしね。明日はちゃんと起きよう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2005年05月16日(月) 躑躅咲く五月。

通勤電車の車窓の見れば躑躅がやたらと色鮮やかだ。

躑躅って、どうしてあんなに、おどろおどろしい当て字が付いているんだろう……とてネットで検索してみれば「ツツジの当て字の躑躅は、羊がこれを食べて足踏みして死んだところからの命名といい、本来の漢名は羊躑躅(ヨウテキチョク)」とあった。全ての躑躅に毒がある訳ではないようだけど、毒のある躑躅もあるそうな。

「躑躅」という当て字を知らなかった子供の頃、私の中にある躑躅のイメージは「地獄に咲く花」だった。もしも地獄があるとして、花が咲くとするならば、絶対躑躅に違いない……と頑なに思い込んでいたのだ。攻撃的なまでに派手な色彩と、ババーンと集団で咲いている様が「地獄にお似合い」としか思えなかった。大人の視線で見てみると日本の五月の空には似合いの花なんだけどなぁ。光の色が濃く感じられる空の下では桜の花でパンチが弱い。

そろそろ陽射しが強くなってきたので、日傘を持ち歩こうかと思案中。しかしながら日中は作業着(上は作業着、下はスカート)なので、日傘を持つのは滑稽な気がする。作業着を着て日傘……なんだかなぁ。本当ならばキッパリと陽射しの下を歩きたいところなのだが、お肌の曲がり角を過ぎた三十路の身としては、そうも言っていられないのが悩ましい限り。

それにつけても早春から夏になるまでの季節って好きだなぁ。時分の太陽の光を浴びると「うぉぉっ。生きてるぞぉ」って気分になるのだ。ま、そりゃそうと明日は日傘を持って出勤するかな……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2005年05月15日(日) 牛肉=ご馳走…だけど。

最近、牛肉を食べたいと思わなくなってしまった。

もともと哺乳類系タンパク質より、魚類系タンパク質を愛好していたのだけれど、哺乳類系タンパク質を食べるのならば「やっぱ牛肉でしょ」と思っていたのに、ここのところは牛よりも鳥か豚……という好みに移行してきている。なので「久しぶりに焼肉とビールなんてどう?」と誘われてもイマイチ乗り気になれない今日この頃。「むしろ焼き鳥がいいです」という感じ。

……とは言うものの、幼い頃に刷り込まれた「牛肉=ご馳走」という意識はいまだ健在なので「牛肉を食べる」というイベントちっくなノリは今でも好きだ。だけど、正直「ばんざーい。今日は牛肉だぁ」というトキメキを感じなくなっているようだ。年のせい……とは思いたくないけど、やはり関係しているのかも知れないなぁ。

年を重ねても変わらない部分はあるけれど、変わっていく部分もある訳で。食べ物の嗜好は変わっていく類のグループなのだろうと思う。

加齢による変化を強く感じる今日この頃。しかし、子供の頃からちっとも変わっていないなぁ……という部分も強く感じたりするのも事実。レースとか、刺繍とか、ヒラヒラとか、お姫様ちっくな物が好きなんだ……ってことを再確認するようになった。6〜7年ほど封印していた感覚なのだけれど。

牛丼解禁が近づいているようだけれど、たぶん私は豚丼を食べてしまうと思う。それくらい牛は御呼びぢゃないのだ。明日のお昼は会社近くの「すき家」でお持ち帰り豚丼でも食べるかなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2005年05月14日(土) 思い出の人形。

このたび10歳の時から大切にしていた人形を捨てることにした。

特別な事情がある訳でなく、ここのところ、すっかり思い入れが無くなっていることに気付いたから「そろそろ捨てるか…」と思ったに過ぎない。人形の名前はアリス。小公女のヒロイン、セーラ・クルーが愛した抱き人形のような、典型的な「お人形さん」である。アリスという名前は『不思議の国のアリス』ではなく、『エレン物語』に登場した「アリスお姉さま」由来する。アリスお姉さまは牧師の娘さんで、ヒロインに「なすべきつとめを成しなさい」という言葉を残した早世の美女で、長らく私の憧れの女性でもあった。

幼い頃は心の拠り所でもあったアリスだが、彼女に語りかけることもない今、手元に置く意義は無いなぁ……ってことに気が付いて、捨てようと思った次第。

20年も大切にしていた人形をゴミとして捨てるのには抵抗があり、信仰も無いのに「人形供養にでも出すかな…」とて調べてみた。人形供養をしているお寺や神社は沢山あるが、儲け主義と言うのか、イマイチ納得がいかずに、結局ゴミとして捨てることに。「今までありがとう」とお礼を言って、ゴミ袋に詰めたら充分かな……と。結局のところ人形は物に過ぎない訳で、供養ってのも持ち主の気持ちの問題だろうと。

20年も一緒に連れ添った人形だが、埃まみれになっていた戴き物の縫いぐるみと一緒に、ゴミの日に捨てる。大切な人形だったが、捨てるとなるとゴミ……ってことろは、ちょっぴり切なくあるけれど、これもまた仕方のない話。大切な物は年月の流れと共に変化していくのだもの。今の私が必要としているのは、アリスの実態ではなくて、その思い出だけなのだと思う。

人生の基本は等価交換……とまでは言わないけれど、人形のアリス以上に大切なものもある訳で。それにつけても区切りとか別れは突然やって来るもんだと、心境の変化に我ながら驚いてみたところで今日の日記はこれにてオシマイ。


2005年05月13日(金) 陰鬱週間。

今週は珍しく日記皆勤賞! 読み返してみると、なにげに陰気な内容だけど、そこのところは気にしない方向で。

帰宅した午後11過ぎ。上司から携帯に電話あり。またしても休日出勤の依頼かとドキドキしたが、スケジュールの確認だった。共に働くチームの面子が、それぞれに「いっぱい・いっぱい」で、ちょっと心配。身贔屓を抜きにしても、カッコイイ男達だと思う。だけど、それが良いとは思えないあたりが微妙な感じ。

友人から小さな絵を戴いたので、仕事帰りに絵を入れる額を買いに行こうと思っていたのだが、今週はそんな時間には帰宅出来ず。鞄に絵を入れたまま1週間が過ぎてしまった。早いところ、ちゃんとした額に入れて飾りたいと思うのだけど、鞄に絵が入っているってのも悪くないなぁ……と思ったり。額のイメージは出来ていて、形や素材はこだわらないけど、銀色の額に入れようと決意している。

それにしても「手書き・手描き」の物は、力に満ちているなぁ。戴いた絵を見て、つくづく思う。絵でも文字でも。息遣いが感じられると言うか。存在感が違うのだなぁ。仕事でもプライベートでも電脳世界に頼りきっているので、余計に惹かれてしまうのかも知れない。

さてと週末は何をして過ごそうかなぁ。楽しい計画などを頭の中に描きつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2005年05月12日(木) 漫画の好み

漫画好きの相棒と漫画をトレードするようになって、そろそろ半年が過ぎようとしている。

私は活字を読むのが大好きなのだが、漫画を読むのもかなり好き。毎日顔をあわせる人に同好の志がいるだなんてラッキーなことだと、ホクホク漫画を運んでいるのだが、困ったことに私と相棒とでは漫画の趣味が合わないらしい。

私が持って行く漫画は、相棒に大好評らしく、読了後は毎度熱く語ってくれるのだけれど、相棒から借りる漫画は全く好きになれなくて、感想を言うに困ってしまう。古い漫画…俗に言う往年の名作漫画については、相棒も私も嗜好は同じなのだが、最近の漫画となると、何故だか見事に平行線だ。

相棒から借りた作品で駄目だったもの色々。『はちみつとクローバー』『のだめカンタービレ』、タイトルは忘れちゃったけど、安野モヨコの作品。他にも色々。数え上げればキリが無い。今回は稲中卓球部の作者が描いた『シガテラ』という青年誌掲載の作品を借りたのだが、これは壊滅的に駄目だった。「好きぢゃない」を通り越して「そうとう嫌い」な領域。どれも今どきの漫画で、評判の良い作品なのになぁ。「今どきの感覚についていけないのかも」なんてことを思ったり、「いやいや。今どきの漫画でも好きな作品もあるさ」と開き直ってみたり。

今までの「受け付けなかった遍歴」から察するに、私は「毒にも薬にもならないニュアンスを楽しむタイプの作品」と「攻撃的(←暴力描写があるという意味ではなく)あるいは、人を小馬鹿にした作品」は好みでないようだ。

いい加減「じつはイマイチ好みが合わないかも」と言っても良いように思うのだけど、つい言いそびれて現在に至る。そして私も「マイ・お宝漫画」を彼女に運ぶのだ。ちなみに、次回配本は『北斗の拳』の予定。相棒は愛のドラマにのたうちまわってくれるのだろうか。それとも男気に涙するのだろうか。相棒から漫画を借りるのは、ちょっぴり憂鬱だが、自分の好きな漫画を貸すのは悪くない。「それって、どうよ?」と思うのだけど、こればかりは仕方がないと言うか。

ま。漫画の好みは合わなくたって、そういう交流が出来るという事が尊いのだ……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2005年05月11日(水) 良かった探しの功罪

「良かった探し」とは、ひと昔前に流行ったアニメ番組『愛少女ポリアンナ物語』のヒロイン、ポリアンナ(原作の小説は『少女パレアナ』)の得意技。どんな逆境にあっても「良かった」を探して三千里。原点は聖書にあるようだが、その辺の事情は割愛。いつも笑顔のポリアンナ嬢は善良な日本人のハートを鷲掴みにしていた……ように思う。

どんな状況下においても「良かった」を探すのは素晴らしい事だと思う。せっかく生きなきゃいけないのなら、しかめっ面でいるよりも、笑顔で過ごした方がいい。これは幸せに生きるための知恵だと思う。笑う角には福来るではないけれど、物事を良い方に考えて前向きに生きてこそ幸せも訪れようと言うものだ。

だが、ふと思うのだ。「良かった探し」にも弱点があるのではないか……と。

良かったを探すということは、自分に折り合いを付けるということに通じるようにも思われる。「良かった」を探すことで根本的な問題から目を背けているような気がするのだ。たとえば、何年か後になって「あの時は、本当にあれで良かったと思う?」と聞かれたとして「本当に良かったと思う」と即答できれば合格だけど、思わず口篭ってしまうようなら「良かった探し」は失敗だったと言っても過言ではない。

「良かった探し」を全面否定するつもりは無いけれど、物事の本質から目を背けたり、適当に妥協したりするのは、いただけない。ふと自分を振り返ってみるだに「良かった」を隠れ蓑にして、あえて目を瞑ったり、妥協していたことが多過ぎるような気が。もっと真摯に生きなくちゃなぁ。

「良かった探し」もほどぼどにして、見るべきものはシッカリと見つめていきたいものだ。ここ何年間、ちょっと自分自身に対して手を抜いていたと言うか、ズルくなっていた部分があることに、ふと気が付いた次第。「私も大人になったからねぇ」なんてのは言い訳。こいつは改めなくちゃなぁ…と思ったところで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2005年05月10日(火) 新しい朝。

「新しい朝が来た 希望の朝だ」という歌い出しからはじまるラジオ体操の歌は実に素晴らしいと思う。

昨日は陰気なことを書いて少し反省した。中途半端に書くのなら、いっそ書かない方が潔い。どうして、今回は中途半端な行動に出てしまったものやら。大人気ないことこの上ない。

本日はお客様と打ち合わせ。手ごわい方なので、シャキッっと身を引き締めていかねば。いつまでもウダウダ言っている場合ではないのだ。天気は良いし鞄の中には読みかけの本だってある。仕事帰りには甘い物でも買って帰ろう。

では張り切って行って来ます……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2005年05月09日(月) ロバの耳。

この数日は負の感情に振り回されっぱなしだった。

やっと気持ちに整理がついたので、少し落ち着いたことだし、事と次第を日記に書こう……と、さっきまでせっせと書いていたのだが、今回ばかりはWEBに載せるのを躊躇ってしまった。比較的、なんでもアリで続けている日記ではあるけれど、あまりにも痛々しくてアップするのを中止した。

今までだって重大事件にもかかわらず「あえて書かない」ことは多かったのだから、今回もそういうことにしようと思う。しかして「あえて書かない」ことの方が、適当に書いている話よりも、激しくブチかましたいことだったりするから性質が悪い。「王様の耳はロバの耳」とはよく言ったものである。

しかしながら今回のことでは、久しぶりに怒りもしたし、かなりガックリした。自画自賛、悲劇のヒロイン気取りも甚だしいが、今までの私の良い子っぷりが泣けてくる。まいったなぁ…つくづくまいった。

過ぎ去った時間や、失ったものを数えていても埒が明かないので、ここは1つ気持ちを切り替えていきたいのだが、今回は一筋縄ではいかない感じ。キッパリ・スッキリ・サッパリが身上なんだけど。ま、そのうちサッパリするでしょう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。

【追記】 残念ながら色っぽい系の話にあらず>今回のこと


2005年05月05日(木) 旅の効能

ただいま。昨夜、大阪へ帰還いたしました。

旅先ではドラマティックなアバンチュールがあるはずもなく、そのまま旅先に居付いてしまうこともありませんでした。自宅と向いの婆様と職場の土産を鞄に詰めて、出掛けた時と寸分違わぬ様子で戻ってきました。

旅先では向こうの人に甘えつつ、至極愉快に過ごしました。旅の目的は人と会うこと、喋ること。なんちゅーか。ほどほどに見聞して、機関銃のように喋りまくってきました。本当ならば3泊4日の旅の様子を書き記したいところですが今回は敢えて省略。お世話になった方にお礼を書いたら、明日からの生活に備えてお昼寝でもしようかと。

それにつけても旅は良いです。本を読んだり、お芝居を観たりすることでも、日常生活から離れることは出来るのですが、それらの娯楽と較べてみるだに、旅の持つ力は圧倒的なものがあるのです。日常から切り離された時間の楽しさと言ったらありません。「ずっとこのままでいたいなぁ」と思う反面、自分の居るべき場所に戻らねばならないことは、誰しも知っている訳で。松尾芭蕉のように日々旅にして旅を栖とす……とはいかないものです。

明日からまた仕事の日々。次の大きな休みはお盆休みでしょうか。楽しかった時間の余韻を味わいつつ、そろそろ現実に戻らねばなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
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白蓮 |MAILHP