白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

目次過去未来

【検索からお越しの方へ】
日記内検索をご利用いただくか、読書関係のお探し物はHPへお越しくださいませ。
当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2004年03月31日(水) やるせない別れ。

就職活動記録。結果待ち1件は返事来たらず。やはり駄目だったのかとガッカリする。離職票が届いたので職安へ。失業保険が貰えるまでに働いている予定……なのだけれど、万が一のことを考えて手続きをしてきた。転ばぬ先の杖。備えあれば憂いなし。ちょっと気になる仕事があったので、明日また面接。ガンガン行こうぜモード復活の兆しアリ。

明日から4月。新しい年度。春は出会いと別れの季節というけれど、この春、17年来の友人Mちゃんが遠くに行ってしまう。携帯もメールもあるから離れてたって平気……と普通なら思うのだけど、Mちゃんの場合は、そういう訳にもいかない。もう、そうそう会えないし、連絡も取り辛くなるだろうと思うと、名残りがついない。

Mちゃんは重度の障害者で、ほとんど寝たきりの生活なのだ。しかも言葉が不自由で「文字盤」を使わないと意思の疎通ができない。今まではMちゃんのお母様がMちゃんの手足となっていたのだけれど、Mちゃんのお母様も60代となり、もうMちゃんの世話をするのは限界だということで、Mちゃんは遠くの施設に行くことになった。

Mちゃんとの出会いは、交流会のようなものだったと思う。Mちゃんから『アルプスの少女ハイジ』が好きだと聞いて、にわかに話が盛り上がり、当時思春期ヲタク少女だった私は「じゃあハイジのイラスト描いてきてあげるよ」とて、Mちゃんにハイジのイラストを描いて送ったのがはじまりだった。Mちゃん家に遊びに行ってお、茶したり、Mちゃんの好きな本をテープに吹き込んで送ったり、手紙だの、なんだのと、絶えることなく付き合いが続いて現在に至る。友人といっても、ここ2年ほどは年賀状と手紙だけの付き合いだったし、近くに住んでいたからって、そう会うこともなかったのだけれど、いざ「会えない」となると、やはり淋しい。

Mちゃんが施設に行くだろうことは、随分前から分かっていたことだけど、だけど、やっぱり、やるせない。「そうするより道がない」というのが、たまらない。世の中は不公平な事が多すぎるように思う。自分で努力してどうにかなるならともかく、Mちゃんの場合は、Mちゃん自身が自由に動けないし、他者とのコミュニケーションを取るのが大変だしと、あまりにもハンデが重過ぎる。

施設に入ってしまったら、Mちゃんは今までのように気軽に手紙の代筆を頼めないだろうなぁ……とか、ついつい陰気な事を考えてしまう。が、しかし行かねばならないのなら、Mちゃんが行った先で良い人と巡りあえることを祈るしかない。やるせないけど、これが現実。Mちゃんが行ってしまう前に、もう1度会っておきたいな……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年03月30日(火) 物に縛られる

就職活動メモ。結果待ち3件中、2件返事アリ。1件はアウト。1件は次のステップへ……と言っても次の面接は来週月曜。退職時に掲げた「3月末まで・10アタックで決める」という目標は達成できそうにない感じ。明日で3月もオシマイだしなぁ。

午前中、乙女な母を病院へ送り届けて唐突に思った。このまま遠くへ旅に出たいと。

1人で自動車を運転していると猛烈に「遠くへ行きたい願望」が押し寄せてくる。不思議なことに、何か買い物をした後は「遠くへ行きたい願望」は出てこない。たとえば買ったものが生鮮食料品でなくて、ティッシュペパー1箱だったとしても、買い物をした後は「早く家に帰らなくちゃ」という気持ちが先に立つようだ。

1つ所に自分を繋ぎ止める物は「人」だと思っていたけれど、ぢつは無機質な「物」なのかも知れない……なんてことをふと思う。スナフキンも、山下清も、山頭火も、身軽だったらか旅暮らしが出来たのではないか……と。たくさんの物を持っていればいるほど動き難いんぢゃなかろうか。

以前、大量の本と机を処分しようとした時のことを、ふと思い出した。

「本も机も、無くたって生きていけるから捨てるわ」と言って、愚弟とFに大反対されたことがあったのだ。「置くところがないなら私の実家に置いてあげる」とFは言い、「机は姉の拠り所だから捨てちゃ駄目だと思う」と愚弟は言った。あの時は捨てる気満々だったので、意外な反対に吃驚しつつ、せっかくなので置いておくことになったのだけれど、彼らの行動はある意味正しかったのかも知れない。あまり身軽になってしまったら、1つところに留まる理由が見つからない。

自分にとって本当に必要な物なんて、ほんの少ししかないのに、やたらと無駄な物ばかり抱え込んで暮らしているような気がする。物はあくまでも物でしかない。たいていの物はお金があれば買えるのだ。なの縛られる。意思のない物に縛られるだなんて愚かしいのぅ。

ま。何かに振り回されている限りは現状維持でいるだろう。いつか遠い日、物に縛られないなれると良いな……などと妄想しつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年03月29日(月) 2週目突入

素浪人生活2週目突入。

今日は取り立てて活動なし。結果待ちが3件ばかり。ガンガン動いていきたいのだけれど、結果を待っている分が次のステップに進んだ場合、身動きが取れなくなると困るので動きようがなく悶々とする。夜、CADスクールより電話。担当してくれていた先生から仕事のご指名。とても嬉しい話だったが、しかし勤務場所が遠すぎた。通勤時間に2時間以上。そいつは無理だと泣く泣く断念。

昨日、大きな用事が片付いたのでゲームの封印を解いた。昨日の夕方から深夜にかけては猿ゲーム体制。面白いんだけど……面白いんだけど、ゲーマーとしてはEDスチルが集められないのは、どうしても不満が残る。最初に聞いてはいたので覚悟はしていたが、コンプリートへの情熱が掻き立てられないのが難点。とか、なんとか文句を言いつつ、せっせとED直前セーブデータを収集している。ぼちぼちプレイしよう。

東京のN嬢より写メールが届いた。上野公園の桜。

大阪の桜は、まだまだ早い感じなのに、東京はもうけっこう見られるのだなぁ。唐突に東京へ行きたくなってしまうも就職活動で10敗するまで逃走しない予定。早く定職につかなくちゃ。働かなくちゃ。

「働かなくちゃ」と真剣に考える気持ちに嘘はないが、「このままずっと失業生活ができたら、どんなに素敵だろう」と思ったりもする。なんちゅーか、食べるために生きているんだか、生きるために食べてるんだかというシンプルな暮らしも、これはこれで悪くない。

時間がゆっくり流れているので、のんびり趣味の時間を持てるというのが何より素敵。ゆっくりと食事の支度が出来るってのも素敵。周りからは「そういう生活がずっと続くと飽きてくるよ」と言われるけれど、どうなんだろう? 飽きるまでやってみたいのだが、そいつは出来ない相談である。

明日の午前中は乙女な母の病院。就職活動の方は、まだ微妙に動き難いのだけれど、ちらっと職安を覗いてこよう。良さげなのがあれば、軽く動いてもいいかな……とか。夜はペンフレンドと食事。近況報告をしなくては。

それにしても失業してからも、なんだかんだと欲張った日々を送っているなぁ。落ち着きがないと言うべきか。明日も落ち着きなく張り切っていこう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年03月27日(土) そぞろ歩き。

今日は就職活動のことは忘れて花見へ行った。花見と言っても満開にはほど遠く、気温も肌寒いくらいだったので、浮かれ花見というノリではなかったけれど、その分人が少なくて、ゆるゆるとした時間が持てた。

ちょっぴり遠出して夙川沿いをそぞろ歩き。学生時代はよく歩いたなぁ……などと思い出に浸る。苦楽園のケーキ屋さんでお茶。ケーキがとても美味だった。バナナのフロマージュも、抹茶のムースも夢のように美味しかった。ケーキに添えてあったバニラアイスは、バニラビーンズの粒々が効いていて、ほど良い軟らかさが舌に心地よく、のどにするりと通っていった。花を愛で、甘いものを食べて、そして喋る。なんと贅沢な時間だったろう。

花見といえば「桜」を見に行った訳で、もちろん桜は美しかったが、雪柳の白さが印象的だった。雪柳を見ると三浦綾子の『塩狩峠』を思い出してしまう。ラストでヒロインが雪柳を抱えて泣き伏すんだよなぁ……などと。ふとしたことで自分を追いかけてくる本というのは、自分にとって特別な作品なのだと思う。

夜は、いかりや長介氏の追悼番組を見た。好きだったなぁ……ドリフターズ。いや、いまも進行形で好きなのだけど。公開録画に参加して「おいっす」と言うのを夢見てた子供は、みなそれぞれに立派な大人になっているんだろうなぁ。テレビの長さんに向かって、こっそり「おいっす」と呟いてみた土曜午後八時。懐かしい物達は、少しづつ遠ざかってゆくのだなぁ。そういう自分も、いつか遠ざかる日が来るわけで。

今日は良い1日だった。明日も楽しく過ごしたいものだなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年03月26日(金) 休息。

今日も面接に行ってきた。今日の会社は、前職場とは良い意味で180度違う社風で面食らった。面接も「面接」というより、面談という感じで、もし入社したら上司になるだろう女性と1時間半も話をした。図面を触る仕事なのだが、今まで使っていたCADは、ほんの触りしか使わないとのこと。せっかく習った3次元もお呼びぢゃないのだけれど、ああいう会社だったら働きたいと思うような、そんな体制。

22名ほどの小さい会社なのだが、すごく個人主義というか合理的と言うか。「一般事務」の女子社員なんてポジションがなくて「自分のことは自分で」するのが基本のようだ。社内が妙に生き生きしていた。「長く働いてくれる人がいい」とのことで、出産だの、親の介護などで、在宅勤務で仕事をしている人がいる……てなところなどは素敵だと思った。今まで使っていたCADの活躍する場面は少なく、残業も多そうだが、しかし興味深い仕事なので「この会社だったら働いてみたい」と思ったが、しかし結果が出るのは来週の水曜日。じっと待つべし。

今週はガンガンに頑張ったせいか、今日は家に帰ってきたとたん炬燵に潜り込んで、泥のように寝てしまった。仕事をするよりは楽な生活とはいうものの、また違った緊張感があるようだ。しかし週末は就職活動もお休み。土・日は「お休み」を楽しもう。

歳をとると涙もろくなってしまう……という話を某所で拝見。

私自身、親が死んだ時も泣かなかったくせに、違うところでは、けっこう大泣きしてしまった経験があるだけに、すごく分かる。そういうことに対して痛みを感じたり、泣けたりするのは「経験ゆえに」という部分があるのかも知れない。痛みや哀しみという体験の希薄な人よりも、それらを経験してきた人の方が、そのテの痛みや哀しみには過敏になるんぢゃないかと思う。

生きていると、どうしようもなく哀しく理不尽な出来事に遭遇する。

哀しい時は、哀しんだ方がいいと思う。物分りが良くて、格好のいい人よりもずっと人間らしいぢゃないか。哀しみという感情は理屈では割り切れるもんぢゃないのだ。しかしそんな気持ちを胸に、やはり人は生きていかなくちゃいけない……というあたりが、さらに哀しい。そして私は、そういう事柄をハスに構えて流す人より、身悶えして哀しがる人の方が好きだ。

失業して1週間。やたらと濃厚な1週間だったなぁ。ま。とりあえず、この週末は就職活動のことは忘れよう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年03月25日(木) 求職一直線

本日の就職活動。派遣会社を通じて企業さんと顔合わせ。先方の話を聞くだに……会社の雰囲気を見るだに……前職場は瓜二つというノリ。もちろん丁寧にお断り申し上げた。それにしても、あの仕事、あの待遇で、あんな条件を付けていたら志願者は少なかろうなぁ。他人事だが営業さんの仕事も大変だと同情した。

派遣会社の営業さんって、なんだか『山椒大夫』みたいだ。人を買って売りさばく……みたいな。なんにせよ生物を扱う仕事は厄介そうだ。私には出来そうにない。

顔合わせの後、職安へ。正社員の面接申し込み&請負の仕事を募集しているところに履歴書提出。そんな訳で明日も面接。以前、就職活動した時よりも仕事の数が増えているような気がする。今週は雨と寒さで縮こまっていた月曜日以外は、ずっと出ずっ張り。1日1万歩も達成できているし。なんてアクティブな私……と自画自賛。

昨日、面接に行った派遣の仕事から早速断りの電話がきた。これで2敗目。残念だなぁ……と思っていたら、別の派遣会社から仕事の紹介。しかし微妙に条件が合わず、お断りする。寄り好みしている場合ぢゃないのだが、色々な意味で切羽詰るまでは贅沢に行くつもり。

そんなこんなで、ここのところは「求職」一直線なので、とても視野が狭くなっている。ゲームにハマっている時のノリと似ているかも知れない。おかげで面倒で草臥れる就職活動も今のところは苦になっていない。この姿勢、どこまで貫けるものやら自分のことなのに、自分でも興味深々。

明日は午前中、母を病院へ送って行って、午後から面接。世の中には山ほど働く場所があるのだもの。どこかに赤い糸の職場がきっとあるはず……なんてことを思いつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年03月24日(水) 活動日記。

本日は面接2件。派遣会社からの電話1件。

1件目は仕事内容が素晴らしく魅力的で、私としては「是非ともお願いしたいです」という感じなのだが、魅力的な仕事だけあって応募者殺到とのこと。書類選考をして2〜3日中に合否が分かるらしいのだが、なんとなく無理っぽい予感満載。スキル云々よりも年齢が。仕事の性格上、私が書類選考するならば、間違いなく「長く勤めてくれそうで、かつ可能性がいっぱい」ということで若者から選ぶだろうと思うので。ま。駄目モトで結果を待つべし。

2件目は小規模の派遣会社の仕事だったのだが、この派遣会社はちょっと変わっていた。梅田のハズレにある、いささか湿っぽいビルの5Fにあって「変な薬でも飲まされて外国へ売り飛ばされるんぢゃないだろうか?」と心配するような怪しい雰囲気が漂っていた。ちょっとビクビクしていたのだが、担当者は人の良さげなおぢさんで、面接とかスキルチェックとか言うよりも、むしろ「遠縁の子に、いい仕事世話してあげなきゃ」というような感じだった。ここの感触は微妙。行けそうな気もするし、無理そうな気もするし。ちょっと時給が高い目なので、求められている物に追いつかないかもなぁ……ってところが心配。前職場と同業界なので、図面読むのは楽そうなのだが。

電話があった仕事は、相手が弱気でこっちが強気。イマイチ魅力的な仕事ではないのだけとれど、その気になれば明日からでも働けそうな勢い。安売りするべきか出し惜しみするか……そこが問題である。とりあえず明日は派遣先の企業さんと顔合わせ。もしかしたら、思っているより魅力的な職場かも知れないし、真っ白な気持ちで話を聞いてこよう。

それにしても1日で2件は欲張り過ぎかも知れない。ちょっと草臥れびた。帰りに阪神百貨店で食後のデザートにロールケーキ、朝食用に食パンを購入。流行に疎いのでよく分からないのだが、ロールケーキって最近、流行っているのだろうか? あちこちの店で目についた。

失業してから体重が1.5キロ減。失業の心労から……ではなくて、間食をしない(仕事をしていると配給のお菓子を食べる機会が多くなる)のと、乙女な母につきあって禁酒しているのが効いているのだろう。アクティブに活動しているという部分もアリ。就職活動のかたわら新婚主婦のように多彩な夕食を作ったりしているので、栄養状態は良いと思う。

明日は顔合わせの後で職安に行ってみるかなぁ。「幸せ探して30歳」ではなくて「職を求めて西・東」なんである。さてと明日も頑張るぞ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年03月23日(火) デコボコ

今日は真面目に就職活動。真面目に素浪人街道を突っ走った。

職安を2つ覗いて、明日は2つ面接。派遣会社経由の仕事なので面接よりも登録というノリだろうけど。既に登録しているところから2件電話。1つは進めていた話が競合で落ちたという物。もう1つは仕事の紹介。そんなこんなで、網だけは大きく広げている。大物……とまではいかなくても、手堅い獲物が引っ掛かると良いのだが。

中途半端な時間にFより電話アリ。夜遅くにしか電話なんてしてこないのに、どうしたのだろうと思っていたらば、ちょっとショックなことがあったとのこと。新人賞に出したシナリオが一次選考にも残らず凹んだのだとか。自信があった作品だったようで、自信の分だけ凹み幅が大きかったらしい。

心から、そうなりたいと思うなら、いいかげんスマップにドップリ浸かった生活を卒業して、ガンガン書かなきゃ……と説教したり、頑張り続けることも1種の才能。「やれない」ようでは何も始まらないしさ……などと叱咤したりすること小一時間。もっともFに言った言葉は、形は違えど、そのまま自分に跳ね返ってくる言葉ではあったのだが。

凹むのもいい。凹んだ部分を修復する弾力性を持っているなら。

もっと良いのは、些細なことで一々、凹まない……ってことなんだろうけど、これはちょっとムツカシイ。少なくとも私には無理だ。凹んだり、戻ったり。デコボコと行ったり来たりしているうちに時間が過ぎているような気がする。特に今のように仕事を探している時などは、デコとボコを行ったり来たりするのが忙しくていけない。転職も初めてではないので、その辺の調整も随分上手になったけど。

色々なことが少しづつ上手にこなせるようになっている気がする。

さて。明日は午前中に家事を済ませて、午後から就職活動。街へ出るので帰りに甘いものでも買って帰ろうかなぁ。ああ……しかし甘いものより、むしろワインが飲みたい気分。黒い牛のマスコットのついた「トーレスサングレデトロ」あたりをクイッと……って、自宅では飲めないのが辛いところだ。やはり明日は甘いものだな……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年03月22日(月) 色気。

仕事に行かない月曜日とは何とも珍妙なものだ。

今日は張り切って職安へ行こう……と思っていたのだけれど、生憎の雨。しかも寒い。地元職安へは自転車or徒歩20分&電車。出掛けていく気にはなれず、今日は見送ることに。とっとと仕事を見つけなければいけないのに、雨と寒さに挫けてしまった罪悪感に苛まれつつ陰鬱に1日を過ごす……はずだったのだけれど「どうせ今日はお出掛けしないんだし」とて、気持ちよくお昼寝したり本を読んだり。素浪人生活を楽しんでいる場合ではないのになぁ。イソップ童話の『アリとキリギリス』ではないが、今の楽しみのツケは後で払わねばならない。

しかし実際、憂鬱なことを抱えながらも、根がぐうたら者なので無職生活は楽しんでしまうだろう予感はしていた。なので「無職を目一杯楽しまない」ために、PCのLANカードは愚弟が出勤する時に預けて、愚弟が帰宅したら返してもらうことにした。そうでもしなければ愉快にネットの漫遊を楽しんでしまいそうな自分がいるので。日中ネット禁止以外に、早起きを戒めとする(←昼寝をしたら意味が無いとも言えるが)

昨夜は日記を書いた後、愚弟のHPについて、愚弟とおおいに盛り上がった。そのジャンルのHPの中では、そこそこのレベルだと思うのだがHIT数が伸び悩んでいる。固定ファンも少ないようだ。まだ初めて2ヶ月弱だとか、横の繋がりもあまりない……てなこと差し引きして考えても、予想していたより伸びが悪いようなのだ。

愚弟のHPは「親切・丁寧・きちん・きちん」がモットー。シンプルで見やすい構成なのだが、今のところはその良さが全てアダになっている感じ。同ジャンルのHPと見比べてみるだに、スキがない分だけ色気がないのだ。優等生だが、しかし人をハマらせる要素に欠けているような。「色気って不思議だよなぁ」なんてことを、つくづく語りあった。

HPの話に限ったことでなく、人間の色気(魅力と置き換えてもいいが)もそういうところがあるように思う。スキとかアラがあっても色気のある人と、なんでもそこそこ上手に出来るけれど色気の無い人と。自分の「色気」について、ちょっと考えてみた。理想は色気ムンムンお腹一杯……なのだが「ムンムン」には程遠い現実アリ。

それより何より明日は職安へ行かなくちゃ。ぐうたら虫退散。ぐうたら虫退散。と呪文を唱えつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年03月21日(日) そして復活。

打たれ弱いが、回復力には自信有……てな感じで本日は復活。

……と言っても今日は日曜なので、具体的に就職活動ができる訳でもなく、取り立てて予定もなかったので地味にボソボソと過ごした。前職場の制服をクリーニングに持って行ったり、散歩がてら図書館へ行ってみたり。「図書館は基本的に行かない」と思っていたのだけれど、カンフル剤にはなるかな……と。

地元を歩いてウロウロすると「こういう生活って楽しいよなぁ」と思ってしまう。適性とか、そういうことを言い出したら、私には「専業主婦」というポジションがいっとう向いているような気がする。クリーニング屋さんへ行って、図書館へ行っただけでもすっかり楽しい気分。スーパーにたどりついた頃には、もうウキウキショッピング体制だった。ミンチ肉がお買い得だったので、今夜はピーマンの肉詰め&椎茸ミンチをメインディッシュにした。時間に余裕があると、自然と食事作りには力が入ってしまう。台所仕事って楽しすぎる。

そして夜。久しぶりにFと電話。ちょっとした連絡事項で済ますつもりが、またしてもくだらない馬鹿話で盛り上がって長話。お互い享楽的なことに現を抜かしている場合ではないのに、どうにもこうにも。ある意味、悪い刺激だったような。

今日はもう日記をサボって寝ちゃおう……と思っていたらばSさんから深夜メール。昨日の日記を読んで心配してくれたらしい。昨日は絶望的な日記を書いたのだってことをすっかり忘れていた。あわてて返信。そして日記を書き始めて現在に至る。

他人から「強いねぇ」とよく言われるが、以外と打たれ弱いので落ち込む時は、ドーンと落ち込んでしまうのだ。落ち込みモードの時は、何もかもが真っ暗に思えて「ああ。もうどうでもいいや」などと投げやりになったり、果ては物騒なことを考えたりするのだが、何故だかしら立ち直りも早い。たぶんこれは1番の取柄だと思う。てか、それを取り除いてしまったら、これという売りが無くなってしまうと言っても過言ではない。

そんな訳で明日からは、職探しに飯炊き&家事全般に張り切っていくぞー! とて決意を新たにしたところで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年03月20日(土) 憂鬱事。

浪人生活1日目。家に籠もって気だるく過ごした。

現在進行形で憂鬱なこと有。「失業して明日からどうしよう」てな話ではなくて、乙女な母の健康問題。肝臓と糖尿がかなり悪化しているらしい。もともと乙女な母は亡父と同じくC型肝炎持ちなのだが、これまた亡父と同じく汚いお酒の飲み方をする人で、遅かれ早かれ肝臓を駄目にするだろうと思っていたのだけど、ついに来たかという感じ。

乙女な母自身もけっこうショックだったらしくて一応禁酒を決意したのだが、一体いつまで続くやら。今まで「病状悪化→禁酒→ちょっと良くなる→飲酒再開」というループを繰り返しつつ、少しづつ悪い方に流れてきたという経緯を見ているだけに、私も愚弟も乙女な母の禁酒宣言については、あまり期待していない。

亡父の時そうだったが「首に縄をつけてでも辞めさせるべきだ」と進言してくれる人もいるのだけれど、意思を持った人間を動かすなんて不可能だと思う。まして自分よりずっと年齢の高い人を、どうのこうのするなんて、そう簡単に出来ることぢゃない。それが出来れば、祖母も亡父も、もうちょっとマシな死に方をしていただろう。

愚痴よりも考えるべきは現実問題である。乙女な母が短期間でも禁酒するとなると、そのストレスの捌け口を考えるのがまず大変。でもって、タイミングよく私が失業したものだから、どっぷり依存モードに突入しちゃってるってのも大変。

ま。あまり理想ばっかり追ってないで、とっとと仕事を見つけて、兼業主婦復活する覚悟をすれば良いことなので、深く悩むべき問題ぢゃ無い……ってことなのだが、憂鬱な事この上なし。

そんなこんなで、今日は「憂鬱」を言い訳にして1日無為に過ごしてしまった。だらだらとネット巡回をして、食事の支度をして。家にいるならいるで、もうちょっと愉快に過ごせたはずなのになぁ。昨日の今日ってことだし、ちょっとくらい塞ぐのも良いってことにしよう。明日から気持ちを切り替えて行こうかのぅ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年03月19日(金) 何もかも、いまさら過ぎる。

今日は今の職場で最終日だった。

1年と3ヶ月しかいなかったが、やはり1日の大半を共に過ごした場所とはのお別れなのだから感慨深い物があるだろうなぁ……と思っていたのだが、小指の先ほどの気持ちも沸いてこなかった。引継ぎ関係は一ヶ月以上も前に終わっていたので、取り立ててするべきこともなく、お世話になった人々に挨拶をして、まっことサッパリした最後になるはずだったのだが……最後に大嫌いな上司Jにガッツリ捕まった。

上司Jは経営者サイドの人なので挨拶に行くつもりだったのだが、軽く済ませるもりだったので、個室に直々の呼び出しだなんて吃驚だった。

いまさらだが、貴女のような人材を無くすのは会社として損失だと思う。優秀さに気付かず「女の子扱い」してしまっていたが、能力を見極めて、もっと仕事を回せば良かったかと後悔している。使いこなせなくて、本当にすまなかった。もし仕事が決まらなかったり、何か思うことがあったら、いつでも戻ってきて欲しい。貴女なら、いつでも受け入れたい。

なんて事を言われた。これはどう受け止めたら良いのだろう?

真正直に受け止めたとしても……だからって手放しには喜べない。私は1年3ヶ月の勤務期間中、仕事が暇すぎて、後半はずっと遊び暮らしていたのだ。今更だがラスト3ヶ月は、する事が無さ過ぎてネットやりまくり、3D作りまくりで1日の半分は遊んで暮らしていたのだ。図面のこと、PC化のこと、HPのこと……様々な提案を、ことごとく撥ね付けてきた人から、いまさら未練がましいことを言われても嬉しいとは思えない。確かに最後の半年はかなり好意的になってはいたが、だからって何もかもが遅過ぎるぢゃないか。

たとえるなら、散々話し合って別れることになった恋人から「本当は俺、お前のことが死ぬほど好きやってんぞ」と言われて萎えた……というくらい、ガックリきてしまった。

それとも案外、最後の嫌がらせだと思った方が良かったんだろうか? したたかな上司Jなら、そういうこともありえなく無いし、いっそその方が余程スッキリして良い。が、しかしたぶん本気だったんぢゃないかなぁ。最後まで「これは冗談ではなく本気だから、いつでも戻ってきなさい」と言っていたものなぁ。実際、辞めた人がクドかれて戻って……という前例がある会社なだけに。だからって私の場合、戻る可能性なんて全くありゃしないのだが。

とりあえず無事に勤めを終えてホッとした。

ホッとしたのも束の間、帰宅したらば、恐ろしくガックリする話アリ。この事はまた明日の日記にでも書こう。私という人間はつくづく苦労性なのだと特大の溜息。「情けなくって涙出てくらぁ」という感じだが、しかしたぶん大丈夫なはず。その大丈夫さ加減が忌々しくもあるのだが。とりあえず「グッバイ・フォーエバーだぜ上司J」ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。

<追記>
職場で良くしてくださった方々には心から感謝しているということも書き添えてみたりして。


2004年03月18日(木) 現実を踏まえるだに。

素浪人のネット友人から「4月から、お抱えになることが決まりました」と文を貰った。まっこと目出度い。来週から素浪人となる私としては、羨ましい事この上ない。吉報というのは励みになるなぁ。私も彼のように良き職を得たいものだ。傭兵きどりで派遣生活に飛び込むのも良し。骨を埋められるような場所を探すも良し。とりあえず来週から生活が変わる。

今日は地元JR線で事故のため始発から電車がストップしていた。復旧は午前9時の見込みとのことだったので、バスと私鉄を乗り継いで職場へ。普段なら1時間で行けるところを、ぐるっと大回りで2時間の道程。バスは乗り慣れないので揺れに合わせるのが下手糞過ぎてフラフラするし、私鉄は超満員でムギュムギュ押されてヘロヘロになるしで、非常に草臥れた。遠距離通勤をしてる人達を心から尊敬。

今は求職中なので「仕事」とか「時給」という言葉がやたらと気になってしまうのだけどネットで仕事を検索していて気付いたことがある。大阪と東京では派遣で働くときの時給が、ざっと200円は違うのだ(下手すると、もっと違うことがある)たかが200円。されど200円。1日8時間、20日勤務だと3万2000円の差が出る。残業とか入ると、そんな騒ぎぢゃないはずだ。東京だとファイリングなどでも、大阪のCADオペ並に時給が出るんだなぁ……と思わず溜息。

某・大きな掲示板郡で派遣板を見ていたら、とある地方の営業事務で時給1100円とあったのに対し、東京23区内の人が「その仕事だったら普通は1500円くらいあるでしょ」と書き込みが。時給差400円。1ヶ月に換算したら……凄い金額だ。

思わず「東京に移住したいのぅ」なんて思ったが、しかし地方と東京根本的に物価が違うんだよなぁ。東京は家賃も食費も桁違いにかかるらしいと小耳に挟むだに、東京に住む人々の給与が高いのは当然なのだろう。確かに東京へ行くと飲食費が、やたらと高くつくなぁ……と思った覚えがある。東京の人々は物価高のなか頑張って生活しているのだなぁ。

先日Sさんの夫君と「理想の隠居生活」について熱く語った。たとえば……隠居したら、朝から釣りに出掛けて、その日の晩は釣果をアテに日本酒で一杯やったり……ブランチ用にパンを焼いたり、自分ちで饂飩や蕎麦を打ってみたり、花や野菜を育ててみたり。図書館へ出掛けて本を読み、旧友達と親交を深めたりして、ゆるゆると暮らしたいなぁ……などと。しかし世知辛い話だが、現実を踏まえて考えてみるだに、生きていくには、これがけっこう、お金がかかる。晴耕雨読の地味な隠居生活どころか、現実的には「隠居」だなんてけっこうな身分になれるかどうかさえ怪しい気がする。

この大いなる「隠居ドリーム」が夢で終らないようにするには、コツコツと労働あるのみ……ってことなのかなぁ。なんだか今の状態では小さな子供が「大きくなったらウルトラマンになるんだ♪」とか言うレベルの、途方もない夢のような気がしてきた。

ま。とりあえずは遠い日の隠居生活より目先の現実。明日で今の職場とはお別れ。気持ち良く締めくくってこなくっちゃなぁ……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年03月17日(水) 桜梅桃梨

昨夜は系列会社の人が送別会を開いてくれた。

職場の飲み会なんて基本的には大嫌いなのだけれど「会社の送別会とは別に、個人的に送ってあげたいから」などと、ありがたいお話だったので喜んで参加させてもらった。送別会を開いてくれたのは今年定年を迎えて嘱託で働いている60歳の女性。参加者は50代の女性と、40代の新人Aさんと、30代の私。バラエティに富んだ年齢構成の、こじんまりとした送別会だった。

今の職場には1年ちょっとしかいなかったし、結婚だの出産だのという目出度い退職でもなんでもなく「仕事が暇過ぎるし、その他諸々思うことがあるので辞めます」などという、我儘な辞め方なのに、気持ち良く送り出してくれることが嬉しかった。

60代の女性から「桜梅桃梨(おうばいとうり)で行きなさい」とはなむけの言葉を頂戴した。「梅桜桃梨」とは、桜は桜らしく、梅は梅らしく、桃は桃らしく、梨は梨らしく咲きなさい。桜は桃になれないし、梅は桜になれないのだから、それぞれが精一杯美しく咲けば良い……というような意味だとのこと。とても綺麗な言葉なので、覚えておこうと思う。

最近、なんだかんだとテンション下がり気味だったのだけれど、なんだか少し元気になったような気がする。「白蓮さんは、まだ30年働かないといけないのよ」と言われてハッとした。先は長いのだもの。とにかく自分が良いと思う道を歩いていこう……

決意をあらたにしたり、しんみりと別れを惜しんだり。しかし湿っぽい会ではなくて、どちらかというと馬鹿話をして笑っていた時間の方が長かった。問題発言の多い新人Aさんは、60代女性から「あなたは余計なことを口にし過ぎる。言っていい事と悪いことを考えなさい」とピシャリとやられているのを見て「だよね。だよね。そうだよね」と心の中で喝采を送ってしまった。新人Aさんと付き合うのも、あと少し。このことだけは正味、嬉しい。

「桜梅桃梨。桜梅桃梨で頑張らなくちゃ」と、呪文のように唱えてみたところで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年03月16日(火) 前向きを装う。

今の会社で過ごす日々も一週間を切ってしまった。

引継ぎも終わってしまっているので、仕事らしい仕事もなく、まったりと時間を消化しつつ、そのかたわらで新しい仕事を物色中。もちろん平日の昼間に動ける訳ではないので、派遣会社に声を掛けて探してもらっているだけなのだけれど。ただいま2つ申し込んで話が進みかけたけれど、2つとも流れてしまった。ただいま2敗中。(←10敗したら傷心旅行へ行く予定)職探しはまだ始まったばかりなので凹んでいる場合ぢゃないが、それでも軽く凹む。

軽く凹んで、ふと思った。「前向きに頑張るって、なんだろう?」って。

自分で書くのもなんだと思うが、私は周囲から元気で明るく、前向きな努力家タイプだと思われているのだと思う。実際「幸せになりたい願望」が強いので、それに向かって驀進していくところはあるが、だからって心の底から前向き人間かというと、案外そうでもなかったりする。

表面的には前向きを装いつつ、しかし最初から投げていたり、果敢に諦めていたりするような事柄が多かったりするのも事実だ。もちろん、自分自身、そんなことは認めたくないので、そういう部分を表に出さないようにはしているけれど。心の底から前向きで明るくて、お気楽で、極楽な人って、いるのかなぁ……明るそうな人の心も解明していけば、ほの暗かったりするんじゃないかなぁ……って気がする。

前向きを装うのと、心の底から前向きであるのとは大違いだと思う。

よく「なんでも悪い方にばかり考えていたら、悪い方に流される」とか「前向きに頑張っていたら、道は開ける」というけれど、突き詰めていけば「前向きを装え」というとこなのかも知れない。自分で自分を武装して、そして行動する。動かなければ何も始まらない……というのは事実だろうから。

まぁ、そういう訳なので「10アタック・3月一杯で仕事を決める」って目標が実現することを見越して新しい服でも買おうかと思っている。その実「……しまった。20アタック・4月一杯とかゆー目標にしておけば良かったか」と思ってるなんてことは闇に葬ることにして、今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年03月15日(月) 頭痛。

昨日は出産のために里帰りをしている友人宅を訪問。愉快な時間を過ごした。

友人を友人・夫君と「隠居論」について熱く語り合ったり、友人・夫君が帰ってからは女友達同士の秘密話をしたり。楽しく語り合ったこと、真面目に語り合ったことなどを日記に記しておかねば……と思いつつ、今日は朝から頭痛。楽しい文章など書けそうにないので、昨日の話は見送ることに。こんなことんなら昨日のうちに書いておくべきだった。

それほど酷い頭痛ではないのだろうけれど、頭痛なんて滅多にしたことがないので、このテの痛みに慣れていないらしくて、なんだか駄目駄目だった。最近いつになく真面目に暮らしていたから、脳みそが反乱を起こしたのかも知れない。

日々なんだかんだと色々なことに手を出しているのだけれど、とかくエネルギーが不足しているように思う。高性能のモーターを搭載してガンガン行きたいのになぁ。仕事的には楽させてもらっているのに毎日「草臥れた。もう嫌だ。いっそ隠遁したい」なんてことを思ってしまうのは、これいかに。こんなことで転職して、ちゃんとやっていけるのだろうか……たぶん、やっていけるのだろうなぁ。

一晩寝て頭痛が去ったら元気になっているだろう……ってことで、シケシケのまま今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年03月13日(土) ある軌跡。

訳あって、故人のPCのメンテナンスをした。故人のPCといっても専有機ではなく、共同使用者がいて、その共同使用者はPCオンチゆえに「なんとかして欲しい」と頼まれてのことだった。

PCのメンテナンスといっても大それたものではなくて、デフラグかけたり、スキャンかけたり、その他諸々。ちょこちょこっと環境を整えたに過ぎなくて、大それたものではなかったのだが。

PCを触っていたらば故人の書いた文章を見つけて……読んでしまった。

日記と呼ぶには簡潔過ぎる闘病記録。どんな薬を飲んだとか、どういう治療をしたとか。個人的な感想や愚痴は一切なくて純粋な闘病記録だった。それと闘病仲間に配っていただろうフリーペーパー類。真面目だった故人が偲ばれるような内容だった。

故人が逝ってしまって、かれこれ1年。今頃になって、ああいう物を目にするとはなぁ……。プライベートなことは一切排除した文章で、PCを触る人間が誰でも読めるような場所にあったとは言うものの、読むべきではなかったと思う。見つけた瞬間「読んじゃ駄目」と思ったのだが、好奇心に負けて読んでしまった。技術者として生き、生涯娶らず、長い闘病生活を送った故人が、どんな文章を書いていたのか、読んでみたかったのだ。もちろん故人が好きだったから……という気持ちもあった。

もしも故人がこのことを知ったら……きっと笑ったんじゃないかと思う。「そんな、つまらない物を読むなんて物好きやなぁな」と。だけど、やってはいけないことをやってしまったなぁ。恥ずかしいことをしたと深く反省している。

自己嫌悪に陥りつつ、故人のことを偲びつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年03月12日(金) 証明写真。

2日続けての派遣登録は流石に草臥れた。草臥れたというよりも「消耗した」という方がしっくりきそう。1つ目の会社は専門分野のみ扱う会社だけあって、試験がやたらと難しく建築法規なんかも出てきたりして、まったくお手上げ状態だった。2つ目の会社は大手さんで「ふーん」という感じ。手っ取り早く仕事が見つかるといいんだけどなぁ。

そりゃそうと。就職活動をするにあたり、久しぶりに「証明写真」を撮った。自分の顔のことは、よぉく分かっているので「別嬪さんに映ってなきゃ嫌だ」なんて我儘なことは思わないが、しかしそれでも写真の出来に不満アリ。「薄らボンヤリ」と言うか「生まれてこのかた苦労なんてしたことない」と言うような表情で映っているのだ。

私はよく「生まれてこのかた苦労なんてしたことのない人」のように見えると言われる。

特に前情報が伝わっていない初対面の人からは、まずもってそう思われるようだ。なので人と話をしていて、何かのはずみに「顔の印象と話の仕方が違う」とか「話してみると意外なことが多くて吃驚する」とよく言われる。そういう時は「こう見えて、けっこう苦労人なんですよ。わははっ」とボケるのを身上にしている。

苦労顔とか、不幸顔に見えるよりは、ずっと素敵だと思うのだけど、もう31歳なのだし、そこそこの経験が顔に出てきてくれても良いと思うのだが。私の理想は「キリリとシャープ」な顔なのだが、どうした者か「薄らボンヤリ」な色合いが強く出ているようだ。不可解過ぎる……一応世間的には、やや迂闊なところもあるが、おおむねチャキチャキしたしっかり者で通っているのに。もしかしたら、私の本質は写真に滲み出ている「薄らボンヤリ」の方が正しいのかも知れない。写真とは、げに恐ろしき。

明日は週末。今週末は、ややこしい考え事などは、いったん横に置いといて、思う存分楽しむぞ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年03月10日(水) 好きな花を愛でると

今日は転職活動第一弾……ってことで、派遣会社に登録&仕事の紹介をしてもらいに行ってきた。

ネットで応募した仕事だったのだが、ちょっとスキル的に高望み気味だったので、最初の段階で弾かれてしまうだろうと期待していなかったので、何の準備もしておらず、昨日はアタフタ写真だの履歴書だのを準備した。とりあえず行ってきたのもの、なんか無理っぽそうな感じ。私にはレベルが高すぎて。まあ肩慣らしってことで次に賭けよう。

白蓮転職計画では10アタック以内で決めて4月から始動……なのだが1〜2ヶ月の穴は覚悟しておいた方がいいだろう。もしも転職活動が上手くいかなかったら有り金はたいて傷心旅行へ行く予定。1週間ばかり東京のFん家に転がり込むのもアリかなぁ……とか。いっそインドにでも行くかな……とか。後ろ向きなことは考えず、とりあえず最短ルートで進んで行けることを信じることにしよう。

そりゃそうと、ついに木蓮の花の季節到来。なんだか嬉しくてたまらない。

木蓮の花は上を向いて咲く。その風情が健気で良い。葉を全部落とした状態で、花だけガツンとつける潔さも、変色したりする前に散ってしまうキッパリしたところも好きだ。春を告げる花なのに、梅や桜ほどメジャーでなく、あくまでも地味仕様なところも激しくツボ。

日々の生活は愉快なことも多いけれど、不愉快なことも多く、うっかりすると不愉快の波に流されてしまいがちだ。しかし律儀に巡ってくる季節の花々を見ると自分の中の流れが変っていくのを感じる。などと格好つけて書いてみたが、本当は寒さに滅法弱いので、暖かくなってゆくのが単に嬉しいだけなのかも知れない。私の脳みそは単純構造・純正部品で構成されているゆえに。

さてと明日も派遣会社へ行かなくちゃ。今度はまた別の会社。今までお世話になっている派遣会社に不満がある訳ぢゃないけれど、網は大きい方が良いかなと。とりあえず欲張って行こう……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年03月09日(火) 思い込み癖

通勤途中の道すがら黒い毛の塊を見つけて、非常にビビった。

最初は黒猫が丸まって寝ているのかと思ったが、毛の塊は春まだ浅い空の下ピクリとも動かない。「朝っぱらから黒猫の死体?」と憂鬱な気分になったが、よくよく見ると黒い毛の塊は黒猫でも黒猫の死体でもなく、黒いウイッグだった。その場所は美容院の裏手で、不要品置き場になっていたのである。練習用のウイッグなのだろうけれど、捨てるならビニール袋かなんかに入れておいて欲しい。ドキッとしたおかげで寿命が8時間くらい縮まった。

昨日の寒さとはうって変って、今日は1日ポカポカと暖かかった。まさに「春めいて」という感じ。ぼんやりと青い空に、やわらかい日差し。妄想日和。体感的な心地良さに刺激されて、ツマラナイことが次々と頭の中に浮かび、いったん形になったそれらは、自分勝手にどんどんと大きくなってゆくのだ。妄想と追いかけっこをしていたら、帰りの電車で一駅乗り越してしまった。夢うつつにも、ほどがある。

ネット巡回コースに入っている人形系のHPが閉鎖されていて軽くショックを受けた。一方的に見ているだけだったが、そうとう楽しみにしていたのになぁ。ネット生活的に驚いたこと、もう1つ。こっそりシンパシーを感じていた人形系のHPのオーナーさんが男性だった。べつに男性だからって問題はないのだが。ものすごくサッパリした気持ちの良い日記を書く方で「それは、ちょっと男らしすぎやしないか?」と思ったことはあったのだけれど、美しいサイトの作りと素敵なお人形達のイメージが先に立っていたせいか、すっかり男性だと思い込んでいたのだ。思い込みって怖い。

常日頃「この妄想癖は、なんとかならないか」と思っていたが、妄想癖よりも思い込み癖の方が重症のような気がしてきた。黒いウイッグを黒猫だと勘違いしたのも思い込みが発端になっていた訳だし。なんだかなぁ。なんだかなぁ。

何気に脳みそ消耗気味なので、明日は仕事帰りにお気楽な映画なと観に行ってこようかな……って思っていたらば、派遣会社から連絡が。せっせと履歴書を作成して現在に至る。明日は面接だよ。トホホ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年03月08日(月) イグアナ希望。

12月末から通っていたCAD教室が終了した。

よく頑張ったね。偉かったね……と自分を褒めつつ今夜は1人ビールで乾杯。大金を投入して学び得た物は多かったのか、少なかったのか。結果を出すのはこれからが勝負。これはCADに限ったことではなくて、実務系のソフトってのは基本を習っただけでは仕事にならない。仕事に結びつけるのは、努力あるのみ、運あるみ。

昨今は、何かと仕事に就くのが大変だと言うけれど、私よりもずっと先輩にあたる39歳のCADオペレーターさんが、昨年末に事務所を独立開業したという話を聞いた。年齢的にもキャリア的にも、ずっと上の人ではあるけれども、彼女は確かCADの世界に入ったのは30代に突入してからだと聞いている。凄いなぁ……私も、そんな風になりたいなぁ。私の場合は、まったく手探り状態だけど、ちょっとだけやる気が出てきた。

CAD教室の最後の課題は、クラスの中では、まずまずな感じに仕上がった。物理的なこと踏まえて考えてみるに充分な出来栄えだったと思う。……て・ゆ・か、私の場合は一応現役のCADオペレーターなのだから、そこそこ見栄えのする作品が出来るのは当然と言えば当然なのだが。

「頑張ろう。頑張ろう」って言葉を呪文のように唱えつつ、毎週のように「もう駄目だ。こんなことやめうと思ったのが間違いだった」と内心では弱音吐きまくりだったので、やり終えた事への充実感よりも、むしろ「ホッとした」という部分の方がはるかに強い。

自分の意志で、やろうと決めた事でも、仕事とか勉強の類は楽しいよりも、しんどい部分の方が多いように思う。一途に仕事が好きでないという弱さを感じずにはいられない。その辺は自分の中で上手いこと折り合いをつけてやっていくしかないのだうなぁ。真面目に、勤勉に頑張るってのはホント楽ぢゃない。

イグアナのように海藻など食べて、海辺で、ゆるゆると暮らせたらどんなにか愉快だろうなあ。ちなみにイグアナは自らが太陽の方向に移動することによって体温を調節し、また日がな体温調節以外の行動を起こさないので低カロリーの海藻を食べるだけで身体を維持出来ているのだとか。生きるために食べ、食べるために生きるというシンプルな暮らしを実践しているという訳だ。

ま。そりゃそうと、とりあえず1歩前進したのだから、まずは目出度い。私にはシンプルな暮らしなど、夢のまた夢という感じだし、嫌でもなんでも働かねばならないのなら、少しでも愉快に働けるよう努力しよう……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年03月07日(日) 食事の効用。

今日は楽しい日曜日だと言うのにダルダルだった。

たいていご機嫌に暮らしているが、たまにはそうでない日もある訳で。体調だったり、お天気だったり。今日の大阪は雪まで降って踏んだり蹴ったり。気持ちがちっとも盛り上がらず、陰鬱な面持ちで職務経歴書を作って、ふて寝をしたりしていた。

なので週末恒例の食料の買出しは愚弟に任せた。

元気のない時というのは凝った食事など作る気なんてサラサラないのに、ゆりによって今日の夕食は鉄板焼きの用意を買ってきたと、乙女な母&愚弟。鉄板焼って、食べるのは美味しいけれど、仕込みが面倒なので作り手としては鬱陶しいことこの上ない。とん平焼き用の山芋を摩り下ろしたり、コンニャクに切り目を入れたり、〆に食べるガーリックライス用のニンニク刻んだり、何種類もの野菜をそれぞれ切ったり、その他諸々けっこうな作業。ホットプレートの後片付けも面倒だし。

どうせホットプレート料理なら、せめてお好み焼きにして欲しかった……と思いつつ、材料があるので嫌々ながら準備した。

自分自身は食欲もないし、なんでこんな面倒な作業をしているんだろう……と遠い目をしていたのだけれど、いざ焼き始めると、これがけっこう美味しかった。元気の出ない時こそ美味しいものを食べなきゃいけなかったのだなぁ。嫌々だったが作って良かった。

思うに。私が1人暮らしなんかした日にゃあ、駄目駄目になっていくような気がする。家事全般は得意だが、なにしろ何かに熱中しだすと「ご飯なんて、どーでもいいや」という方向に流れていってしまうので。ましてやロー・テンションの時に食事の支度をするなんて考え難い。1人暮らしでも、ちゃんと食事を作ってる人って偉いよなぁ……と心から思う次第。

美味しい食事を食べて、ちょっと元気が出てきたし、明日からまた頑張ろう。明日はCAD教室最終日だし。気持ちを切り替えていかなきゃね……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年03月06日(土) 変化。

最近HPや日記に対して求めていた物が、じわじわと変化してきているのを感じざるを得ない。

ネットを始めた頃は、兎にも角にも「同行の志が欲しい」とて、鼻息も荒くガフガフと、あちこちに触手を伸ばしていたのだけれど。最近は「書いちゃったら、それで満足」というような感じ。

今日は午前中CAD教室の自習へ行って、午後からIさんと難波で待ち合わせてAでお茶。その後ウロウロと……てな事を書かねばならぬ道理など、どこを探してもありゃしない。たまに鼻息も荒く「私は○○について、こう思う」なんてことも書くが、書いたからって、何がどう変わるでもない。

不毛である……実に不毛である。

だからって「もう、や〜めた」と思うわけでもない。何やら、種も苗もない植木鉢に、せっせと水と肥料を投入しているような気がする。ただ、何もない植木鉢であったとしても、いつ何時、どんな場所から、種が飛んでくるかも分からない……て部分が醍醐味と言えば、そうかも知れない。

淡々と続けている方々は偉いよなぁ……と、つくづく思ったところで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年03月05日(金) わん。

我が家の愛犬さち(パグ・14歳・メス)が癌であることが判明した。

先日、前足に腫瘍のようなものが出来ているのを見つけて獣医に連れて行ったらば「簡単な手術なので、すぐに取りましょう」という運びになり、切除した部分を病理検査にまわしたら良性の腫瘍ではなく、癌だということが分かったのだ。

癌といっても何ヶ月後に死ぬというような極めて性質の悪いものではなく、3年〜4年の生存率が80%とのこと。彼女は現在14歳。正直なところ明日死んでも不思議ではない年齢であるし、癌に犯されつつ3年生きたとしても17歳。犬的には充分過ぎるほどの寿命だと思われる。しかし今回手術した場所以外にも、1ヶ所ゴマ粒ほどの腫瘍が出来ていて、今はそれを切るかどうかという問題で家の中が落ち着かない。

私としては彼女の年齢を考えるだに、もう手術はいいかな……と思っている。次々と癌が出てくる可能性もあるらしいし(出てこない可能性もある)、それより何より御老体にメスを入れるのも、過剰な医療も反対なのだ。自分の足で散歩ができたり、美味しく食事ができたりという、犬らしい暮らしをさせてやって、そこそこで見送ってやりたいと思う。「14歳まで生きたし、もういいか」と、おざなりに思っている訳ではないし、可愛くない訳でもない。彼女の腫瘍を1番に発見したのも私だし。(←発見が早くて良かった獣医師から言われた)

私は彼女の犬としての尊厳を大事にしてやりたいと思うだけだ。

しかし乙女な母の意見は違うらしい。あらたに発見された癌も手術したいようだ。今はとりあえず獣医からもらった免疫力を高めるサプリメントを飲んでいるだけなのだが、乙女な母は薬による治療もしていきたいようだ。

こればかりは、どちらの意見が正しいかどうかなんて言えないだけに難しい。そして何よりも難しいのは、愛犬が癌だというこで乙女な母がパニックに陥っているということだろう。TV番組などで、寝たきりのペットを見るたびに「うちの子だったら、あんな治療をしてまで永らえさせない」と言っていたのに、現実問題となると意見も違ってくるらしい。

癌がどうなったとしても、愛犬との別れは、そう遠くない日にやって来るだろう。それを思うだに頭が痛い。今回のことについては猶予があるので、じっくり話をしていくこともできるのだが、癌だというだけで不安定になっちまうようでは、死んでしまった日にはどれだけ大変なことになるだろうなぁ……正直、先が思いやられる。愛犬のケアよりも、乙女な母のケアの方がずっと大変そうだ。

どんなに可愛がったとしてもペットは飼い主よりも先に死んでしまうのだ。そもそも飼い主が先に死んでしまうようではペットが可哀想過ぎるし。避けては通れない道なのだから、なりゆきに任せるより他に手立てはないし、あれこれ思い煩ったからって何がどう変化する訳でもないのだから、あまり考えないようにしなくては。

ま。癌といったって彼女自身はいたって元気で、毎日甘えて暮らしている。生きてる間に可愛がってやらねばなぁ……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年03月04日(木) 封印。

ゲームを一時的に封印した。

プレイ時間わずか4日。一周してみて、システムもだいたい分かってきて「さあ、これからコンプリートだ」というノリノリの時期ではあるのだが、昨夜Fから「ゲームもたいがいにしろよ」と叱咤の電話があったのだ。

「早く結婚できるように頑張りなよ」というネタ以外で、私を叱咤してくれるのはFくらいなものだ。たいていの友人・知人は「もっと、のんびりしてたっていいんぢゃない。今の白蓮さんでも充分頑張ってるよ」と言ってくれる。そう言えばCADを習いはじめる前もFは「こんなに、のんびり暮らしている白蓮は白蓮ぢゃない」と嘆いていたっけか。

昨夜のプレイをもって泣く泣くゲームを封印。息抜き程度に加減してプレイできれば良いのだろうが、そんなの出来ない相談だし。封印が解かれるのは3月末頃なるだろう。ちなみに封印したゲームは愚弟に預けた。手元に置いておいたらプレイしてしまうと思うので。

それにつてけもFに叱咤されるってのは、いただけないなぁ。まっとうに頑張っている人から叱咤されるのは理解できるのだが、Fの場合、まっとうに頑張っているとは言い難い。シナリオライターになると志を立て、地方公務員という職を捨て上京。志とは裏腹に、必死にシナリオを書く気配もなく、ヲタク腐女子的楽しみや、SMAPのファン活動に没頭しつつ、まったりとフリーター生活を楽しんでいる31歳に説教されてしまうだなんて、かなりトホホである。が、しかし今回のFの説教は正論だったので軌道修正を決意した次第。

やる時ゃ、やらねば。ゲームは、いつだって出来る。封印を解いたら、とりあえず徹夜でプレイだ。それまでは、しばらくゲームを忘れて頑張るぞ……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年03月03日(水) 歌。

今日は午後から私のいる2階フロアの面々は出払っていて、御機嫌だった。仕事も暇だったので、のんびりモード。立体を作ってみたり、仕事に使う資料をのんびり編集してみたり。知らず知らずに鼻歌なんかも出たりして。

先日読んだ中山可穂の小説の背景に流れていたシューベルトに触発されたらしく、なんとなく音楽モードにスイッチが入ってしまった。私は普段からBGMはいらない派。自宅でネット探訪をしている時でさえCDを聞くことは皆無だ。何かを読むときは、ひたすら読む。料理をしている時などはCD聞きながら……てなこともあるが、もともと「○○しながら」というノリは得意でないのだが、今は身体が音楽を求めているらしくて、ここ数日は懐かしい曲を口づさんでばかりいる。

そんなこんなで、今日は「誰もいない」という油断があって、仕事中だというのに給湯室で歌を歌ってしまった。むろん朗々と声を張り上げて歌った訳ではないのだが、鼻歌にしては歌詞までちゃんと聞こえるような歌いっぷり。御機嫌で歌いつつお茶を入れていたらば……いつの間にか帰社していた上司に見つかってしまった。しかも、よりによって大っ嫌いな上司Jだった。

「恋してるんですか?」と上司J。もちろん否定した。

恥ずかしいったらない。その時、私が歌っていたのは『カロ・ミオ・ベン』という歌曲で、もうどうしようもないほど恋の歌だったのだ。給湯室とはいえ、勤務中に御機嫌で歌っていただなんて、小言の100個は言われるだろうと思っていたのだが、上司Jは「ほぉ」と言っただけで、何も言わずに去って行った。(←呆れ果てて言葉が出なかったという気もする)

それにつけても謎なのは上司Jの趣味である。じつは、こっそりクラッシック好きなんだろうか? 比較的メジャーな曲なので、クラッシック好きでなくても知っていて不思議ではないのだが、イカサマな歌を聞いてサラッと突っ込めるところからす推測するだに、クラッシック好きだと考えるのが妥当だろう。大嫌いな人だけど、何気に趣味が似通っているんだよなぁ……上司Jと私は。

しかし、どうせメジャー路線を歌うなら『ラルゴ』とか『野ばら』にしておけば良かった。せめてミュージカル系だったらなぁ……なんていうのは考え違いというものだう。たとえ給湯室とは言うものの、職場で歌を歌うということ自体が間違っているのだ。反省せねば。とりあえず海よりも深く反省したところで今日の日記はこれにてオシマイ。

ゲーム覚書
『アンジェリーク エトワール』を一周してみた。3種類ばかりEDを見るも、セーブデータに手抜かりが多かったので、このままの状態でコンプリートは大変そう。ここは潔く最初から作り直すことに。手間暇を惜しんでいてはゲームなんて出来やしないのである。しかしながら一周したので、これからは少しスローペースでプレイしたい。


2004年03月01日(月) 衝動のままに。

昨日は、日記の存在を忘れてしまうほどゲームに熱中してしまっていた。夕方からプレイをはじめて、途中、食事だのお弁当の仕込みだの入浴だので中断しつつ、午前二時まで猿夢中。ゲームへの食いつきっぷりは、飢えた野獣も同然と言っても良いだろう。

三度の飯と、読書に並ぶほどゲームが好きなのだが、今プレイ中のゲームは『アンジェリーク エトワール』という10年来のシリーズゲームで、私は発売当初からのユーザーなので思い入れの深さも格別なのだ。「親戚の子供の成長を見守るオバチャン」的心境なのだ。「あんたも、えらい大きぃなったねぇ。オバチャン、あんたが赤ちゃんの時はオムツ変えたってんでぇ」ってなノリ。ドラクエにしてもFFにしても、シリーズゲームの長期ユーザーは、多かれ少なかれ、そういう部分があるんぢゃないかと思われる。

とにかく昨夜は「明日は会社サボって1日中ゲームしてたい」と不埒なことを考えるほど、身悶えしつつゲームに没頭していた。当然ながら「ゲームに夢中なので欠勤します」てな言い訳は通用しないので渋々出勤。現在(昼休み)に至る。今日はCADの授業があるので、しばらくゲームのことは忘れなくては。

1日中、ゲームへの情熱に流されてしまいそうな予感がしたので、今朝は早めに家を出て、久々に「2駅コース」を歩いて出勤してみた。今も休日以外は毎日1万歩という目標は、どうかこうにか達成してるが、ウォーキングを意識しはじめた頃の情熱はどこにも見当たらない。些細な行動1つ取っても衝動的だなぁ……と思う。本当に些細なことであれば衝動に流されるのも良いだろうが、大事なことまで衝動で決めてしまうとなってくれば、これで良いのだろうかという疑問が生じる。良い訳はないよなぁ。

自分の道を、すっかり見据えて着実に歩いている人を見ると、無条件に尊敬してしまう。

思ってるだけぢゃ駄目だってことは分かっているんだけど……だけど、今夜も猿夢中でプレイしてしまう予感満載。私にとって本を控えるとか、ゲームを控えるってことは愛煙家の禁煙とか、ダイエッターのダイエットと同じなのだろう。明日から、明日からは、まっとうな道に戻るぞと、あてにならない決意をしつつ今日の日記はこれにてオシマイ。

覚書 井上光晴『地の群れ』中山可穂『弱法師』の感想をアップすること。


目次過去未来


エンピツ投票ボタン(押していただけると励みになります)↑
My追加

yurarraをフォローしましょう

【同月同日の過去日記】
$lastyear

白蓮 |MAILHP