白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

目次過去未来

【検索からお越しの方へ】
日記内検索をご利用いただくか、読書関係のお探し物はHPへお越しくださいませ。
当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2003年07月31日(木) 仕事辞めたい病。

転職して7ヶ月にしかならないが、仕事を辞めたい病に罹っている。

私が働いている会社は、いまどき珍しく一時が万事アナログな会社で、高性能のCADを装備してCADオペレーターも常駐していたにも係わらず、私が入社するまで、ほとんどCADは活用されていない状態だった。「CADってこんなに便利なんです」ってことをアピールする事が最初の仕事だったと言っても過言ではない。鎖国時代の日本にキリスト教を持ち込んだ宣教師って、こんな心持だったのかなぁ……と思うほどに。

信じ難い話だが、若い世代の人でさえ、ほとんどPCを使わず、また使おうとする意欲もない状況で自分が異邦人になったような疎外感を感じていたところに「データを盗んだりしていないか?」などと、あらぬ疑いを掛けられ(疑いは晴れたのだが)その上、専門外の仕入事務仕事を任されるという、踏んだり蹴ったりな日々なのである。

CADの普及化はそろそろ軌道に乗ってきて認知されつつあるし、HP製作やカタログ作り、チラシ作りも慣れてきて「そこそこ」の仕事が出来るようになったのだが、全て手作業のアナログ事務には、とても耐えられそうになく……と言うか手間のかかるアナログ方式で事務をしていたのではCADの仕事など物理的に手が回らないのだ。長く働いていくために図面描きの仕事は手放すつもりは毛頭ないので年末のボーナスを手にしたら辞めようと密かに計画したりして。秋から始まる三次元CADの講座を受けてCADの技術に磨きをかけておけば転職にも有利かなぁ……とか。

そんな事を考えている私だったが、上司からちょっと嬉しい指令を頂戴した。今まで手作業でしている事務作業を全般的にPC化しても良いとのこと。「経理を統括している上司の意向もありますし、そう簡単には進められないかと思います」と進言したらば、そろそろ改革は必要なので、責任は全て持つから強引に変えていっても良いとこのこと。

事務をPC化できるのなら、図面描きと仕入事務を両立させるのも可能だろう。たぶんバッシングはくるだろうけど、どうせ辞めるつもりだったのだから、ここは1つ思いっきり好きにさせてもらうことにしよう。それで仕事がやりやすくなれば残留すれば良いのだし、それでも駄目なら派遣暮らしに戻るだけのことだ。

仕事の大変さは変らないけれど、モヤモヤが吹っ切れたので気持ち的には楽になった。

「働くの嫌い」とか「週末だけが生甲斐」とか言いながら、意欲的に働かなくちゃいけないってのは因果なものだが、しばらくはベストを尽くしていこうと思う。どうせ働くなら少しでも楽しく……という程度の気持ちは持っているのだから。明日も頑張って出勤するぞということで今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年07月30日(水) この土地で暮らすなら

お気に入りのWEB日記に『近々引越しします』ってなことが書いてあったのを読んで、私も引越ししたくなってしまった。31年間で引越し歴3回。しかし生活圏があまり変わらない引越しだったので、引越しの大変さは知っているが、生活環境が変化する新鮮さは知らなかったりする。

だからかも知れないけれど、私は引越し願望が強い。

引越しとは直接関係ないのだが、根無し草社会人生活が長かったので働き先だけなら、けっこうな数をこなしている。そして転職するたびに「この土地で暮らすなら」というシュミレーションをするのがお楽しみだったりする。転職に限らず「知らない土地」へ行くと必ずといっていいほど「この土地で暮らすなら」という妄想に耽るのだが。

この辺りの部屋を借りて住んで、買い物するのはココ。郵便局は近いけど銀行が遠いなぁ。スーパーが遠いのが難点だなぁ……自転車は必須かも。良い本屋は見当たらないが古本屋はまずまず良い店があるので我慢できるかも。散歩するなら、このコース。お。ここの犬とは仲良くなれそうな予感がする。クイックマッサージ屋さんが徒歩圏内にあるってのは、魅力的だなぁ……てにな具合に。

それゆえ不動産屋さんのチラシとか、店頭にある間取り図を見るのも大好きだ。不動産屋さんの前で、ボーッとしていて店の人から声をかけられて気まずい思いをしたことも。冷蔵庫はここに置いて、本棚はここ。作りつけのクローゼットがあるから洋服ダンスは処分できるな……なんて考えだすと、どうにもこうにも止まらない。

引越ししたい。引越ししたい。引越ししたい。

引越しする予定もなければ、引越しする必要性もないのだけれど。事情が許せば引越し魔になっていたかも知れない。たまぁ〜に、いるよなぁ。取り立てて理由もないのに、しょっちゅう引越ししてる人って。その気持ち、なんか分かる気がする。

いまのところは「この土地で暮らすなら」ってシュミレーションを楽しむこしにしよう。これから先の人生で、あた何回くらい引越しできるのかは分からないけれど、次の引越しを夢見て、今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年07月29日(火) 移動メロンパン屋さん。

今朝はメロンパンを食べて出勤した。

昨夜地元で噂の『移動メロンパン屋さん』を発見したのだ。『探偵ナイトスクープ』だの2chの地方板だので話題になっていて「1度食べてみたいなぁ」なんて思っていたのだけれど私の住む街にも、その勢力を拡大したらしい。店じまいをするところで遭遇したので、思わずダッシュで突撃してしまった。

「オシマイみたいですけど良いですか?」と店主のオヤヂさんに聞いたらば、片付けの手を止めて気持ち良く了承してくれた。メロンパンは1個120円也。美味しいかどうか分からないので2つ買うことにした。「ずっと食べたいと思っていて探したいたんですよ」なんて話をしていたらば、もう店じまいだし、ちょっと形の悪いのが残ってしまったからとメロンパン2つ分の金額で、4つも入れてくれた。すごく得しちゃった気分。そんなに沢山欲しい訳でもなかったのに、オマケというだけで単純に嬉しくなってしまうから不思議だ。

そして翌朝の今日、オヤヂさんに言われたとおり、メロンパンをトースターで軽くあたためて食べたのだけれど、なかなか美味しかった。目から鱗……とまではいかなかったが、クッキー生地があっさりしていて、パン部分が普通のメロンパンみたいにパサパサしていなかったのだ。メロンパンってのは普通、コーティングしているクッキー部分と、パンの焼き上がり時間が異なるために、クッキーに合わせて焼くとパンがパサパサになるそうなのだが、あのメロンパンは、どんな風に焼いたのだろうなぁ。あの美味しさで120円だったら、けっこう良い感じだと思う。

なんだか嬉しかったので「メロンパン 移動」で検索をかけてみたのだが、どうも私が行き当たったお店は元祖の移動メロンパン屋さんではなくて類似店だったようだ。トラックではなくワゴン車だったし、なにより私が買った時間は8時をゆうにまわっていたのに、元祖のメロンパン屋さんの営業時間は6時までだとのこと。美味しかったから類似点でも良いのだが、1度は元祖のメロンパン屋さんのメロンパンを食べてみたいものだ。

類似店だったというオチがついてしまったけれど、なんとなく世間の話題に乗っかってみたような気がして、ちょっと嬉しい。嬉しがりというかミーハーと言うか。特に食べ物関連の流行物には弱いのだ。次は是非「元祖」のお店を探してみよう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年07月28日(月) へなへな日記。

週末、精力的に活動すると月曜日は草臥れている……というのが毎度のパターンなのだが、今日も御多分に漏れず、へなへなだった。仕事がバタバタしていて1日がアッと言う間に過ぎていったのには助かったけれど。帰宅してもイマイチ「なにかをしよう」という気力が起きず。夕食後の時間を、ぼうっと過ごす。今日は昼休みに日記の更新をする余裕がなかったので、なにか書こう……と思いつつ、脳味噌がイマイチ活動していない感じ。読書も進まず。

「書かなきゃ」のメールが数通アリ。

ペンフレンドへの定期便とか、お返事のメールとか、友人へのご機嫌伺いとか。暑中見舞いももらいっぱなしで、ほったらかしている始末。不義理な今日、昨日、一昨日、一昨日……てか今日この頃。それなりに意欲はあるのだけれど、身体がついていってない感じ。気持ちのエネルギーを身体の方に使い回しが出来ないものかと、つまらないことを考えてみたりする。

ダメだぁぁ。こんな日は何を書いてもダメそうだぁぁ。

こんな日は悪あがきをせず、何もしないに限る。PC落として早めに床につくかなぁ。それにしても忙しいと言ったって、前職場よりは、ずっと楽をさせてもらっているんだけどなぁ。人間って楽に慣れるのは早いらしい。こんなことで、この先やっていけるのかと心配になったりするけれど、たぶんやっていけるだろう。今だかつて「どうしようもない」なんてことは1度もなかった。頑張ろうが、頑張るまいが、物事はそれなりに進んでいくのだもの。

なにやら今にも寝てしまいそうなくらい、ダメダメなので今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年07月27日(日) 寺参りへ行く。

今日は6時に起床して高野山へ行ってきた。高野山ってのは弘法大師がはじめた真言宗の総本山。和歌山県の山奥にあるので、私の住んでいる場所からだと、けっこうな距離のドライブなのだが、父方のお寺が真言宗なので、幼い頃から、なんだんだと馴染みのある場所だったりする。

今回の目的は母が死産した子供(生きていたら私の兄にあたる)の三十三年の供養。その昔。「死産した子供など○○家の墓に入れるわけにはいかない」と父の母親から納骨を拒否された父と母は「せめて真言宗の総本山のある場所に入れてやろう」と、遺骨を高野山へ納めたのだそうな。なんでも水子供養は三十三年で切り上げになるとかで、乙女な母の「今年はどうしても、お参りに行きたい」とて、家族揃って出掛けたんである。

そっかぁ……幻の兄は生きてたら三十三歳なのか。もし兄がいたら、もう少し楽させてもらえたかなー。とか思ったりするが、現実問題として、兄がこの世に生まれていたら私も愚弟も存在しなかっただろうから、この考えは妄想に過ぎないんだが。

暑さと混雑を避けるために早起きして出掛けたのは正解だった。日差しもキツクなかったし、車も空いていたので、思いがけず早い時間に高野山へ辿り着いた。私自身は信仰心もないし、宗教行事には熱心ではないのだが、教会にしろ神社仏閣にしろ、ああいう宗教施設のある場所にいくと、それなりに厳粛な気分になるから不思議。

高野山名物の変わったお墓(しろありの墓だの、愛犬の墓だの)を見物したり、持ち上げたら願い事が叶う石とかを試してみたりしつつ参道をブラブラ歩き。本来の目的であるお参りを済ませて、自分ちのお土産に胡麻豆腐、向いの婆さまのお土産に高野槙を買って早々に撤退した。早起きは三文の得と言うけれど、予定より早い時間に帰宅することができて良かった。乙女な母も気がすんだようで何よりである。

思えば今年はやたらと宗教行事に参加しているような気がする。面倒だし興味はないんだけど、乙女な母が、それで納得してくれるなら、それでいいか…って感じ。宗教を否定するつもりはないのだけれど、私自身は信じることもできないし、形式的な行事をこなしたからといって、何がどうなるとも思えないのだ。だからって他所のお宅に伺って仏壇があれば手を合わせたりもするし、日本人の常識的なことはちゃんとしようとは思っているけれど。

ま。ともかく、ひと仕事終えてホッとした。

明日から、また一週間。「あー。仕事、行きたくねー」とか思いつつ、そういう訳にもいかないので頑張っていきましょう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年07月26日(土) 種、潜む。

今日もちょっとだけ仕事の話。いま図面を描きながら事務の仕事の引継ぎをしているのだけれど、事務系の上司にあたる人の期待が厚くて気が重い。広告作りの時、一緒に仕事をしたことのある人なので気心が知れているのと私とウマが合う分だけ期待してくれているらしい。「引継ぎ期間が短いんだから覚えられなくても、ひととおりの事は私が教えられるから大丈夫」とか「一緒に頑張っていこう」とか、とても好意的な目で見守っていてくれるのは嬉しいのだが。

嬉しいのだが……しかし私は彼女のお役には立てない。なぜなら彼女の部署での仕事は引継ぎ業務に入っていないのだ。今までアシスト有りでしてきた仕事を、恐らく彼女は1人でしなければならないのだが、まだ正式に知らされていないらしく私がその仕事を引き継ぐものだと思っておられるようなのだ。心構えや仕事の段取りなどもあるだろうから人員カットの旨は早く伝えてあげればいいのに。人事のことに口を挟む訳にはいかず、黙っているしかないだけに彼女と顔を合わせるのが居たたまれない。なるようになっゆくのを、じいっと待つばかり。

愚痴ばかり書いていても不毛なので、気を取り直して楽しい話でも。

昨日はお気に入りのイアリングを失くしてしまって、とてもブルーなき分だった。お気に入りというより「大切な」という品物。けっして高価なものではなかし、ただでさえイアリングは落としやすい物だから、いつか、そういう事になるだろうってのは予測していたのだけれど、イアリングは亡き祖母がプレゼントしてくれたものだったのだ。11歳の年に貰ったので、かれこれ20年も前。シルバー製で十字架の形をしたイアリング。大切な物なら机の引出しにでもしまっておけば良いのだろうが「その物の本分を発揮しなくっちゃ意味ない」と思って、バンバン使っていたのが間違いだったのかも……とか嘆いてみても後の祭り。

失くしたアクセサリーというのは、出てくる確率が非常に低い。そしてイアリングなどは出てきても壊れていたりすることが多くて、ほとんど諦めていたのだけれど、これが出てきたのだ。しかも無傷で。今朝、出勤したらばアルミサッシの桟のところに並べて置いてあったのだ。誰かが拾って置いてくれたのだろうなぁ。朝日を受けてキラキラ光るイアリングは映画のワンシーンみたく、出来すぎた美しさだった。誰が拾ってくれたのだかは分からないけれど、どうもありがとう。

1日の成分のほとんどが「不愉快」で構成されるような日でも、エアポケットのように楽しい種が潜んでいるのって、なんだか不思議な感じがする。だからこそ嫌なことがあっても、そこそこ平気でやっていけるのだろうなぁ。うむ。それにしても嬉しかったなぁ。イアリングを発見した時は。

明日は早朝から出掛ける予定。あまり暑くならないといいんだけどなぁ……ってことで今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年07月25日(金) 今時、それってどうよ?

ここ数日、やたら滅多と肩凝りが酷くてたまらない。

原因は仕事がドッと増えたってこと。人員削減のため結婚退職する事務の女性の後任を入れないで彼女のしていた仕事を分担することになったのだ。そして何故か図面描きの私も事務をすることになった。ひとくちに事務といっても色々ある。営業さんのサポートだって事務だし、経理だって、庶務だって事務。エクセルとワードが使えて、一般常識があれば雑用くらいなんとか出来るかと思っていたのだが、私が任されたのは仕入に関する事務だった。生まれてはじめて伝票と格闘する日々なのである。

しかも。いまどき台帳を手書きしているんである。テレビCMでお馴染みの勘定奉行とか、そういうソフトはないんである。集計表みたいなのもエクセルぢゃなくて手書きなんである。しかも社名は判子で押したりするんである。20年前にタイムスリップしたのかと思った。もっとも20年も前となると私はまだ就学児童だったので、労働現場なんて見た事ないんだけど。

会社には会社のやり方があろうから、会計ソフトを入れてくれとまでは言わないけれど、せめて集計とかはエクセルでやりたい……と提案したいところなのだが、いまは引継ぎを受けている立場なので、とりあえずは仕事を覚えることが先。そして引継ぎをしながら図面をまわしていくことが先なのだ。

ああ。図面描きながら、仕入関連の事務なんて無理過ぎる。

ぶっちゃけ。速攻で辞めてやろうかと考えたりもした。しかし……だ。仕事内容が気に入らないからといって、ブッチして辞めるというのは大人げがないし、結婚退職する人の手前、引継ぎの人間が先に辞めるという訳にもいかない。気持ちよく辞めさせてあげたいぢゃないか。「引継ぎなんて嫌です」とか言って私が無理やり辞めちゃったら、きっと引きとめられると思うし。

やるだけやって、どうしても無理で嫌だったら辞めよう……

ただでさえ数字に弱く、計算が苦手なのに、手計算しなきゃならないとはなぁ。何を言っても(書いても)愚痴になってしまうんだけど、とりあえずは遮二無二やるしかないだろうなぁ。つい、このあいだまで「楽ちん図面描き生活」を満喫していただけに、けっこうキツイ。上手いこと気持ちを切りかえて適当にストレス発散を心がけることにしよう。うだうだと愚痴を書いてみたところで今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年07月24日(木) 締め上げる愛。

仕事帰りに『北京バイオリン』って映画を観てきた。私が大好きな映画である『リトルダンサー』の中国版という触れ込みだったので、ものすごく期待していたのだけれど、まったくもって私の好みではなかった。「面白くなかった」のではなくて「好みではなかった」のである。映画としては、そこそこの出来だと思ったのだけれど。今日は、ちょっとネタバレっぽいことも書くので、観ようと思っている方はご注意くださいませ。

天才少年と周囲の人々の物語……という点においては『リトルダンサー』とまったく設定が同じだったのだが、主人公の少年が持つ音楽への愛や、バイオリンへの情熱があまり伝わったこなかった上に、何よりも主人公と父親の関係がイマイチ好きになれなかったのだ。主人公の父親は愚かしいまでに息子を愛していて、その不器用な愛に胸が熱くなることもあったが、そのあり様が私には受け入れ難かったのだ。相手を締め上げるような愛と言うのだろうか。その思いが一途であるのは分かるけれど、相手を締め上げて鬱血死させかねないような愛しかたで、正直なところゴメンこうむりたい感じだった。

主人公の父親以外にも、ひょんなことから親しくなった独身の若い女性だの、バイオリンの師匠だの個性の光る人物が登場するのだけれど、どうしたものか彼らは共通して「締め上げる愛」の持ち主だった。どんなに純粋でも一途でも、あれではダメなんぢゃないかなぁ。とことん人を愛してしまったら、そう上手いこと感情をコントロールするのは無理だと思うし、小起用な愛というのも、それはそれで嫌な感じだが何か違うような気がしたのだ。なんとなく全編を通して「愛の物語」というよりも「恋の物語」に近いような印象を受けた。ただひたすらに感情のまま突き進んでいく暴走した感情というか。

愛というのは摩訶不思議な存在だなぁ……

ラストの締めくくり方もイマイチ納得のいかない感じ。あれだけの才能の持ち主だったら、何がどうあっても世に出て行くだろうと思う反面、いやいや世の中そんなに甘くないよ…と思ったりもした。結果的にどうなるかは誰にも分からないのだろうけれど。何かにつけて不満の残る作品だったなぁ。

ま。とにかく。久しぶりに映画を観ることができたのは良かった。面白いとか面白くないとかという次元ではなくて、ザクッと現実から離れることができるトリップ感が良いのだ。今日は映画も観たことだし、明日も頑張って働こう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年07月23日(水) おばあさんになっても。

今日こそは戴いたチケットで映画を観ようと思っていたのだけれど、よくよく考えてみると本日は水曜レディースデイ。最終回は混雑しそうな気がしたので、明日か明後日にでも行こうと、真っ直ぐに帰宅。ヤバイなぁ……今週でオシマイなんだしチケットを無駄にしないようにしなきゃなぁ。「今日は混んでそうだから」と言うのは自分へりの言い訳。草臥れていて行く気になれなかったのだ。本当は。

帰宅したらば前職場の同僚から暑中見舞いが届いていた。

向日葵の柄のかもめーるにボールペンで走り書き。忙しい合間をぬって、ササッと書いたであろうハガキに胸が詰まった。頑張ってるんだなぁ。みんな。それにしても忙しい時にも、こんな風に手書きの暑中見舞いを出せるだなんて出来た人だ。出来すぎな人なだけにバテていないかと、ちょっと心配。「飲みに行きましょうメールください」とあったけれど、飲みに行きたいような気分なのかなぁ。またメールしてみよう。

暑中見舞いを読んでいて、ふと元・相棒の引越しの後片付けを手伝いに行った時の話を反芻してしまった。元・相棒は「私のいる場所はこんなところぢゃない」という気持ちの強い人で「やりがいのある仕事がしたい」というようなことを始終話していたのだけれど、転職して考えが変わったらしい。「取り立てて仕事に理想がないなら、面白い仕事ぢゃなくてもいいから、おばあさんになるまで働けたらいいかな」と思うようになったのだそうな。

思いもつかない言葉だったので、ひどく驚いてしまった。

私は「理想は専業主婦」とか「隠居願望が強い」とか散々っぱら言い散らかしているのだけれど働けるあいだは働いているだろうと思っている。宝くじでも当たれば別だろうが(それ以前に買ってもいないし)生涯、働き続けるのが当然のように考えている部分があったのだが、それは「当然」ではないのだということに、はじめて気付いたのである。働く場所が無くなるとか、働ける身体でなくなる可能性を実感として感じたことがなかったのだ。なんという能天気。色々な事情で働けなくなる可能性なんて、どこにでも転がっているのに。

先のことをウダウダ考えるのが好きなくせに肝心なところが抜けているぢゃないか。

もうちょっと、しっかりと先のことを考えた方がいいのだろうなぁ。行き当たりバッタリでブッちぎるというテもあるだろうけど。なんとなく、そんなことを考えてみたりして、だけど答えが出るわけもなく今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年07月22日(火) ようこそ蝉のみなさん!

急に暑くなったせいか、今朝は蝉の声がやたらと大きく聞こえた。お天気と暑さに誘われて土の中から這い出してきたのだろうなぁ。「ようこそ蝉のみなさん。7年目の娑婆はいかがですか?」などと呟いてみるものの、彼らは繁殖に忙しくてそれどころではないだろう。梅雨明けも、すぐそこに……といった風情。今日は仕事帰りに映画を観てこようと思っていたのだが、仕事がバタバタしていたのと、暑かったのとで映画を観る気力がなくて直帰。映画より缶ビールの方が恋しい感じ。

夕食後、さっさと用事をすませ、リニューアル作業をしていたHPをアップした。「HPをリニューアルしました」といっても見た目はそんなに変わっていないし、しかも面倒くさい内職作業は愚弟にやってもらったというテイタラク。ありがとう愚弟。あんな安いアルバイト代で、いい仕事をしてくれて姉は嬉しいよ。リニューアルに際して愚弟が想像以上に、几帳面な男であることが発覚。ついでに私が相当に大雑把な女であることも発覚。ま。今更どうのこうの騒ぐようなことぢゃないんだけど。

今年の梅雨は、やたらと長くて「早く梅雨が明けるといいのに」と思っていたのに、いざ夏の兆しを感じると、ついつい引いてしまう自分がいる。20代前半は自信を持って「私。夏が好きだし、夏に強いんです」と言えたのに、近頃は「寒いのは苦手ですが、どうやら暑いのも得意ぢゃないみたいです」ってな感じ。ここは1つ体力作りに励んだ方が良いのかも知れない。憧れの隠居生活を素敵に過ごすために健康な身体は必須アイテムだもの。夏に何かをはじめるとなるとキツイから、この秋からでも是非。口だけにならないようにしなくてはなぁ……って自信ないんだけど。

子供達は夏休みに突入したらしい。電車が空いていて助かるなぁ……と思う反面、羨ましくてたまらない。絵日記も書くし、自由研究もするし、ラジオ体操もするから夏休みが欲しい。午前中は再放送のアニメを観たり、宿題をしたりしてまったり過ごし、午後は帽子をかぶって遊びに行くのだ。プールなんかも良いなぁ。夏休み中に「登校日」ってのがあったけど、あれも結構好きだった。見慣れた学校なのに、よそよそしい感じがして。あぁ……夏休みっていいなぁ。

夏休みを妄想して遠い目をしていないで、明日も仕事に行かなくては。連休明けはキツイけど、今週は稼働日数が1日少ないのだから張り切って行こう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年07月21日(月) 思い出はプライスレス。

今日はN嬢から戴いた映画のチケットで映画を観ようと思い、お昼前に家を出た。電車の中で、ふと「あ。チケット入れたけっけか?」と心配になってチケットを確認したのはいいが、そのチケット「土・日・祝」は使えないという事実が判明。そう言えばN嬢に「残業ないなら平日でも行けるよね」と念を押されていたような気が。うっかりにもほどがある。電車に乗って大阪市内へ行き、とんぼ帰り。買い物をして帰ろうかとか、絵画展でも……と思わなくもなかったが、帰宅して「あること」をしようと不意に思ったのである。

「あること」というのは、PCを買うまで使っていたワープロのデータを変換である。乙女な母はから「押入れのワープロを早いところ処分して欲しい」と苦情がきていたのだが、ついつい面倒で先送りにしていたのだ。PC化した時に、どうしても必要なデータはDOSに落として、PCに持ってきたのだが、ワープロのデータというのも馬鹿にならない量だったので作業途中で力尽き、現在に至っている。

押入れからワープロを引張り出してきて、変換させるフロッピーを準備してみて愕然とした。個人的な楽しみとして書いたにしては、あまりにも量が多過ぎる。私は「PCのおかけで、よく文章を書くようになった」と吹聴していたのだが、どうやらPCを買う前から、始終くだならないものを書いていたらしい。感慨に浸るのは置いといて、とりあえずデータをDOSに変えて、PCで読み込ませることにした。以前もした作業だもの。簡単簡単♪

しかしPCはフロッピーを読み込んではくれなかった。
何故? 以前はちゃんと出来たのに。

「困った時はグーグルに聞け」ってことで調べてみたらばXPではDOS化したワープロ専用機のデータを読むことが出来ないらしい。98なら出来たのだが。で。そんな時に活躍するのがデータを変換させる「コンバーター」って奴なのだが、これがまたけっこうなお値段なのだ。正規で買えば46000円。ダウンロード版で1種類のコンバートしかできないタイプでも9000円。9000円くらいなら出せない額ではない。だが「それだけにしか使えない」と分かっているものに9000円を出すのは、ちょいと痛い。今更、ワープロ専用機のデータをPCに持ってきたいと考えることじたい、どうかしているかも。もっと早くに手を打っておくべきだったのだ。

ふと「思い出はプライスレス」というマスターカードのCMを思い出してしまった。

実際問題、ワープロのデータを使って何かがしたい訳ぢゃないのだ。ただ「残しておいても良いかも」ってノリでしかない。「いっそ棄ててしまおうか」と思ったり「いやいや。こういう記録って、若さゆえの過ちってことで置いておくと良いかも」とも思ったり。悩みに悩んだ末、結論は先延ばしにすることにした。愚弟の友人M坊のPCは98だから、お願いしてみるのもアリかな……とか。ケチらずに9000円出して買うのが大人って気もするのだが今日は色々な方法を試してみて、くたびれたので、また来週……

今日は膝カックンな1日ではあったけれど、そこそこ楽しい連休だった。明日からまた頑張って働かなくちゃ……とか、明日は仕事帰りに映画を観るかな……とか、ぼそぼそと考えつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年07月20日(日) 祭りの夜に。

今日は久しぶりに帰阪したN嬢とデート。天王寺で待ち合わせて、お気に入りのケーキ屋さんへ直行。私は枇杷のタルト、N嬢はオリジナルのクリームブリュレ(杏のコンポートと生クリームのトッピング)を注文した。美味しいケーキを食べながら近況報告など。残念ながら、お互い、これと言って景気の良い話はなかった。これと言って不幸な出来事がなかっただけでも良しとしなければならない……といったところか。久しぶりにお芝居や本の話に花が咲いた。高校時代にハマった佐々木丸美の話や、最近のブームスタジオライフの芝居話などなど。とても楽しいひとときだった。

ケーキ屋を出て少しブラブラ。フリーマーケットを覗いてみた。もう仕舞いかけのようで、目ぼしい商品はほとんどなかったが、ツタヤの中古CD売り場でニ胡の姜建華のベストコレクションを見つけた。前々から気になっていたので手にとってみたらば『ラストエンペラーのテーマ』だの『ツイゴイネルワイゼン』だの好きな曲が入っていたので、即決で購入。もう最後だからとツタヤの店員さんの好意で100円にしてくれた。いい買い物が出来てとても嬉しい。ちなみに今、聞いているのだけれど、なかなか良さげな感じ。さらにぶらぶらとショッピングモールに突入してN嬢はスカートを購入。お互い、良い買い物に満足しつつ名残を惜しみつつ分かれた。

帰宅して夕食。本日のメニューは鉄板焼き也。ビールを1本ちょいと晩酌。今日は地元の町のお祭りで、すぐ近くの世話役さんの土地で待機している布団太鼓を御神輿が迎えにくると言うので、乙女な母と愚弟と犬、それに向いの婆さまと4人で連れ立って見物に行った。

私の地元の祭りは、さほど激しいものではなくて、掛け声も「よーい よーい よいやぁーせぇ」と、やや間の抜けた感じなのだが、それでも一応ギャル神輿なども出たりして、それなりに盛んだったりする。神輿を担いだ若衆がダッシュをはじめる四辻では、揃いの法被を着た祭り関係者や、ダブダブの「あっぱっぱ」を着たオバチャン連、肩上げのついた浴衣を着たチビッコなで賑わっていた。

声をかけてくれる友人がいて、一緒に祭りを見物できる家族があるって幸せなことなのだなぁ……なんてことを思った。気重なことも多いし、毎日の暮らしに満足しているわけではないけれど、今日のような1日を過ごせるってのは、ありがたいことだと思う。そう言えば、今の長屋に引っ越してきて、もう何年か経つけれど、私は今年はじめて、ゆっくり神輿見物をしたのだ。今夜、感じたことは忘れないようにしよう……

非常に満足した夏の休日について書いてみたところで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年07月19日(土) TVの時間。

世の中で行われている「あたりまえのこと」が不思議でたまらなくなることがある。

転職する前は残業尽くしの職場にいたので自宅で過ごす時間が極めて短かったために、TVを見る暇がなかった。なので世間の話題にも微妙に取り残され気味だった。新聞は読むし、ネットのニュースはチェックするけれど、話題のCMなどは知らないまま終わることも多くて「暇ができたら、いっぱいTVを観るぞ」という、ささやかな願いを胸に、今の会社へ来たのだが「TVをほとんど観ない」という生活スタイルは一向に改善される気配がない。

あれほど楽しみにしていたのに何故なんだ?

自問自答してみるに私の中で「TVを観る」という行為は、ものすごく優先順位が低いらしい。帰宅後、夕食の前後は居間のTVを観ているが、夕食の後は片付け物をしたり、翌日のお弁当の下ごしらえをしたりする。入浴して、PCで遊んだり、本を読んだり、あるいは手紙やメールを書いたり、友人と電話をしたりしていたら、アッと言う間に就寝時間がやってくる。そこにはTVの入り込む余地がないのだ。TVを目の敵にしているのではなくて、単に「TVまで手が回らない」ってだけのことらしい。

それにしても世の中の人々は、いつTVを観ているのだろう?

私には不思議で不思議でたまらない。時間がたっぷりある学生さんや子供と呼ばれる年齢の人は別として、普通に働いている世の大人達は、いつTVを観ているのか気になってしまう今日この頃。取り立てて熱中するような趣味がなかったり、あるいは屋外でしか楽しめないことを趣味にしていたりするなら、余暇をTVに費やす気持ちも分からなくはないのだけれど。もっとも、私が本やPC遊びに熱中するように「TVが面白いから、TVを観るために時間を作っているくらいだし」と言われてしまえばグウの音も出ないのだけれど。

どうでもいいけど、なにげに気になる今日この頃……てな感じ。結局は「時間の使い方」ってところに終始してしまうのかなぁ。それとも「生活における優先順位」の話になるのか。どちらにしても自分以外の人の「自宅で過ごす時間」って、垣間見ることがないだけに永遠に謎のままなのだろうし、それを知ったからって、何がどうなる…って問題でもないのだけれど。

実にくだらない事なのだけど、不思議で気になる事を書いてみたところで今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年07月18日(金) 助っ人参上!

数日前の日記に「夜逃げ・引越しのお手伝いをします」と書いたけれど、本当に依頼が来るとは思わなかった。元・同僚のCADオペレーターが昨日「引越しをしたので手伝いにきて。どこから手を付けて良いのか分からない状態」とメールがきたので「いいよ。いつでも参上」と返事をしたらば「今日でもいい」とのこと。今日でも……って、あんた。そんな訳で、今日は仕事がひけてから、急遽、引越しの後片付けをしてきた。

後片付けと行っても、引越しは水曜日と聞いていたので、それほど片付ける物はなかろうと、たかを括っていたのだけれど、まだ食器類のダンボールも開いていない状態で吃驚した。「食器類は半紙に包んで梱包したら、ちょっと高くなるけど洗う手間と労力がはぶけるのに」なんてことを言っても後の祭り。(ちなみに食器を包んだ半紙は油キリに使うと良い)そんな訳で、今日は他人の新居で、食器を洗って拭く……という作業に従事してきた。

片付けの最中、手を動かしながら色々な話をした。彼女と会うのは半年ぶりくらいか。仕事のこと。派遣業界のこと。正直なところ、あまり良い話はなかった。日頃、ブツクサ文句ばかり言っている今の職場の状況が「恵まれているのかも」と思えるほどに。働く場所があって口を養える給料がある……ってことを、しみじみと思い知った。ちょっと反省。足元ばかりを見ていたら、周囲を見渡すことを疎かにしてしまう浅はかさよ。先の先のことを考えたりして、我が身を引き締めた時間であった。

食器片付けの後は居酒屋で一杯。勘定を間違えていたのか、驚くほど安かった。「ありがとう」と唱えつつ、ありがたく恩恵を受ける。10時以降の居酒屋って、レジ打ち……あるいは、注文ミスが多いような気がするのは、私の思い過ごしなのかなぁ。ま。気にしないでおこう。

この週末は東京のN嬢が帰阪する。久しぶりに顔が見れるのが楽しみ也。色々な話をしよう。良い事も。悪い事も。……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年07月17日(木) クレジットカードを作るの巻

この度、晴れてクレジットカードのユーザーになった。

私は「いつもニコニコ現金払」を座右の銘として生きてきたので
31歳にもなって、ローンを組んだり、カードで買い物をした経験がなかった。
カードを使わなければ買えないような物は最初から買わなければ良いと思っているし
海外に行くこともないので必要ないかな……と作る機会を逃していたのだが
インターネットで買い物をするとカードが無いと微妙に不便だし
ご贔屓劇団のチケット予約の方式が、この7月から変更になって
指定口座引き落としだったのが、振込みかカード決済になって
毎回、振込み手数料を取られるのもなんだか割に合わない気がして
とうとうカードを作ることにしたんである。

私は世の中がどう変ろうと、頑なに現金払い主義を貫こうと思っていたので
ちよっぴり残念な気もするが、流されるなら気持ちよく流されてみよう
……と言うより、むしろイソイソと生まれてはじめてカードで買い物をした。
かなり前から気になっていたのだが、カード払いしか受け付けていないとかで
今までは指をくわえて「見てるだけ」に徹していたものを買ってみることにしたのだ。

ちなみに購入したのはこんな商品
私は、ちょっとしたプレゼントに花束や電報を贈るのが好きなのだが
電報だと文字数が増えれば増えるほど料金が高くなるのが困りもの。
この、ぬいぐるみカードだと、送料込だし、書ける文字数もそこそこ多い。
カードだって、そこそこ可愛いのが選べるし
ぬいぐるみの種類が多いのも嬉しいぢゃぁないか。
ちなみに私が選んだのは「カエル」のぬいぐるみ。一応「梅雨のお見舞い」ってことで。

はじめて使ってみて思ったけれどカードって本当に便利だなぁ。
カードを持ったのをキッカケに浪費癖がついちゃった人の気持ちが分かるような気がする。
私も気をつけなくては。もともと計算とか算数は得意ぢゃないし。
カードの利用はネットでプレゼントを買う時と、チケットの引き落としだけにしよう。
「自分のものは買わない」くらいの気持ちでいないとマズイことになりそうだ。
上手に利用しなくちゃね……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年07月16日(水) 自動洗髪機

今日は仕事帰りに散髪へ行った。
散髪と書いたが行っのは床屋ではなく美容院。
「カットに行く」というより「散髪へ行く」という方が気に入っているので。
髪を短くしたら、洗うのも乾かすのも楽チンで良いこと尽くめだが
小マメに散髪へ行かなければならないのが面倒。美容院苦手なので。
今、担当してくれている美容師の兄ちゃんは無口な人なので助かってるけど。

美容院の待合椅子に座ると、まず来店の主旨について尋問を受け
シャンプーは、手洗いかオートシャンプーかの選択を迫られる。
そして手洗いは、プラス料金になります……という説明を聞かされるのだが
私は断然「手洗い」を選ぶ。懐が寂しくても手洗いに限る。
見栄を張っているのではなくて、私はオートシャンプーってのが大嫌いなのだ。
前回、1度だけ「せっかくだから物は試しで」とトライしてみたのだか
どうにも性に合わなかったのだ。

オートシャンプーというのは、説明するまでもなく自動洗髪機のことだ。
自動髪洗い機といっても、機械の手がニョッキリ伸びてきて洗ってくれるのではなく
シャワーの水流を調節して、髪をかき混ぜるようにして汚れを落とすような物で
耳栓をさせられて、お釜のような物に頭を突っ込んで行われるのだが
自分が人間でなくて、物のように扱われているような気がして
水流に揉まれながら途方もなく哀しい気分に襲われてしまったのだ。
お客として来店して、そんな扱いを受けるだなんて……
お金を払っても、人間の手で洗ってもらう方が数倍素敵だ。

今日は人間の手で洗ってもらった。
シャンプーの後のマッサージが上手い人だったので極楽。極楽。
もしかしたら私は美容院でしてもらうことの中だと
シャンプーの後のマッサージが、いっとう好きなのかも知れない。
……だったら美容院より、クイックマッサージに行けよ……てな話なのだが。

ちょっとだけ頭が軽くなって気分スッキリ。
散髪でスッキリしたところで、週の後半も、頑張って乗り切りたいなぁ
……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年07月15日(火) 模様替えの達人

日記を書いていない期間といっても、ごく数日のことなのだが
ごく数日の間には色々なことがあった。
マーフィーの法則ではないが、そういう時に限って、そういう事はあるらしい。
で。今日は色々とあったことの1つを記しておこうと思う。

金曜日。乙女な母が、ご乱心だったのだ。

私は台所の片隅に、ひっそりと本棚付き机を置いて
マイ・サンクチュアリと定めているのだが
乙女な母は、私のいない隙を見計らって(もちろん無断で)
本棚付き机を、台所から居間兼寝室へ移動させたのであった。
……一応、乙女な母は「足が悪く」かつ「身体が弱い」ことになっているのに
どこに、そんなパワーを隠していたんだろうと呆れたりしつつ
小学生ぢゃあるまいし、31歳にもなって、しかも事実上、働き頭である私が
どうしてプライベートな時間を取り上げられなきゃいけないのか? とて
……当然ながら、乙女な母と私の間で、軽〜い諍いとなった。

本棚付き机は座卓式なので、掃除がしにくい……とか
もともと本の多さに辟易していた……ってこととか
その他、乙女な母にも言い分があったようだが、だからって受け入れる訳にもいかず
喧々轟々とやりあって、母の言い分と、私の言い分の妥協点を模索した結果
私は本棚付き机を捨てて、シンプルな机を購入することになった。
しかし「机を台所に置く」というところだけは、辛うじて死守。
当然ながら本棚が消える訳だから、大量の本を処分しなければならない。
本を全く読まない愚弟が、自分の本棚の一部を提供すると申し出てくれたおかげで
随分と助かったのだが、それでも大量の本を処分することになった。

タイミングの悪いことに土曜の午後は会社行事に参加する予定が入っていたので
金曜の夜、夜逃げをするかのように本を括り、荷物をまとめ……
土曜の午前中に、本棚付き机をリサイクルショップに運んで……
ホームセンターで、安物の机を購入して……
と言う段取りでもって、怒涛のような模様替えが決行されたのだった。

「夜逃げのような引越しとか、模様替えって、なんか懐かしくってさぁ」
などと過去に思いを馳せつつ、本を選別していたらば
「いつの事を思い出してるの? そ・ゆ・のって何度かあったしさぁ」と愚弟。
身体がでかくて、体力さえあれば引越し屋さんに転職したいくらいだ。
愚弟も私も、引越しとか模様替えの段取りには自信がある。
……もはや達人の域かもしれない。
模様替え、引越し、夜逃げの際はお役に立てると思います。

何年か前に本を大量処分した時は、ほとんど値段がつかなくて悲しかったものだが
今回は予想以上に高く買い取ってくれて3000円ちょっとになった。
ブック・オフの100円コーナーは宝の山……と言ったものだが
もしかしたら、買取の方針を変えたのだろうか?
せいぜい700〜800円になれば良いかと思っていたので、ちょっと嬉しかった♪
ま。本を手放して嬉しいも何もあったもんぢゃないのだが。

今回は、乙女な母の横暴が原因ではじまった模様替えではあったのだが
模様替えとか、大掃除ってのは、基本的に好きだったりする。
たくさん物を捨てたり、ちょこっと新しい物を買ったりするだけでも
なんだか生まれ変わったような気がして。
はじまりはともかく、やらなきゃいけないなら楽しまなくては……とて
100円ショップで収納グッズを買ったりなんかして
机の引出しも、机の上も、見違えるほど美しく生まれ変わった。

そんなこんなで週末は、馬車馬のように働いて、ある意味、充実していた。
そして今週末は、愚弟の本棚に取りあえず避難させた本と
もともと居間にある本棚の中身をチェンジして
愚弟の本棚には、滅多に読まない本を並べる予定。

とりあえず日記を書いていなかった期間に起こった出来事について
長々と書いてみたところで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年07月14日(月) 「こと」と「しだい」について。

お久しぶりです。心配かけちゃってごめんなさい。
喧嘩の後の捨て台詞のように「しばらく休みます」だなんて書き捨てたけれど
あれは、どう考えても子供染みた行為だったと思っています。
掲示板への書き込みや、メールありがとうございました。とても嬉しかったです。

……と言うことで。恥を忍んで出てまいりました。
また、何事もなかったかのように日記を再開しようかとも思ったのですが
心配かけといて「たいしたことありませんでた」では都合が良すぎるかと思い
今日は今回の「こと」と「しだい」を、ちょっとだけ触れておこうかと思います。

「悪質な嫌がらせがあったのでは?」と心配してくださった方もおられたのですが
今度の場合は、悪質な嫌がらせというよりも「行き過ぎた好意」が原因でした。
面と向かって攻撃してこられた場合は、正面から反撃してゆけば良い訳で
私は、こう見えて(?)喧嘩は強かったりして、案外平気だったりするのですが
自分自身は迷惑でたまらないと思っていても、そこに好意が見えたりすると
なかなかキツイことが言えなかったりする優柔不断なところもあったりします。
婉曲に「困ってるし」ってことは伝えてきたつもりでいますが
たぶん今回のことで、私がキレたことに対して
相手の人は「どうして突然キレるの?」と不思議だったかと思います。
しかし私は、その人からの接触を、ずっとずっと迷惑だと思っていたので
私の中では「キレるべくしてキレた」のでありました。

「行き過ぎた好意」に対して厳しい態度に出れないというのは
私が心優しいからではなくて、私自身も、やってしまいがちな失敗だからに過ぎません。
WEB上のお付き合いは、相手の表情や声が聞こえない分だけ
自分のした「行き過ぎた好意」が本当に行き過ぎだったのか、それとも適切だったのか
イマイチ掴みにくくて、メールを送信した後で
「あぁ。あれは差し出がましいメールだったかも」とブルーになることが多々あります。
でもって、しばらくは「隠者のように静かに暮らそう」なんて思うのですが
なんちゅ〜か。不意にちょっとしたメールを貰って嬉しかったことを思い出したりして
「やっぱ。こういうのも必要かも?」とか思ったりするという
不毛な無限ループにハマってしまう経験をしているだけに
同じような失敗をしてしまう人の気持ちも分からなくなかったりするのです。

WEBで他人の日記を読んでいると「読む」という一方通行な行為であることを忘れて
ついついその人と親しくなったような錯覚に陥ることがあります。
しかしWEB日記は、その人の「切り取られた一部分」でしかないのです。
……ってことは、しっかり分かっているはずなのに、毎日追いかけていると
ついつい肩入れしてして読んだり、その人と親しくなったような気になる訳で。
その辺の危うさを私自身、承知しているだけに
私はWEB日記繋がりの人に自分から、接触するのがとても苦手なのです。
「自分勝手な思い込みで相手に接触して良いのかしら?」とか思ったりして。
自分から積極的に動けない分だけ見知らぬ人からメールを戴いたりするのは
そりゃぁ、もう、とんでもなく嬉しかったりします。
リアル生活でも、WEB生活でも、出逢いは大切にしたいと思うし
せっかく、こうやって知り合いになったのだし……なんて気持ちが強くあるので
「ウザイなぁ」とか「迷惑だし」とか思っていても言い出せなかったりするのです。

実際問題として「行き過ぎた好意」に遭遇するだなんて事は滅多にないのです。

親しくしている方々は、常識人だったり、大人だったりする人が多くて
掲示板なども、なかなか愉快に運営できていると自惚れているくらいです。
だけど、その自惚れが敗因でした。
WEB上には、ちょっと困った人がいる……ってことを忘れていたのです。
「私の周りに限って、そんな人はいないだろう」と思い込んでいたようで。
後になって思えば、ずっと前から「オカシナ信号」は出ていたのに見過ごしていました。
回避するチャンスは何度もあったのに、ことごとく見送ってしまって……
今回のことは、私自身の甘さが招いた事だと思っています。

もちろん「自分が悪かった」と思っているだけの、お人良しではありません。
相手の人の取った言動は冷静に考えても「?」だと思っているので
もう2度と接触したくないと思っています。
悪い人でないのは分かっているけど、嫌なものは嫌なのです。
行き過ぎた好意も、自分勝手な思い込みも、押し付けも、もう沢山なのです。
だからもう、その人からメールは受信拒否設定をかけましたし
なんらかのルートでメールが届いたとしても、目を通すつもりはありません。

以上が、今回の「こと」と「しだい」でありました。

そんな訳でご心配をお掛けしましたが、もう大丈夫です。
当初の予定どおりに「やすみがち」なりとも日記を書こうと思っています。
こんなに早く戻ってこられたのは、たくさん頂戴した「言葉」のおかげでした。
明日からは、また当初の予定通り「やすみがち」なりともやっていこう
……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年07月10日(木) 私信とか。

マジで怒っております。

私。あなたと仲良くしたくて日記を書いている訳ぢゃありません。
どちらかというと争いは避けたいタイプなので
何かと言うと出来るだけ穏便にことを過ごしたいと思っています。

昨日の日記にメールの返事を書いたのは
「個人的にメールをするのさえ嫌だった」からに他なりません。
今までの成り行き上、個人的にメールのやりとりがありましたが
それは「都合上必要」だったらかであって
あなた自身に好意を持っていたからではありません。
そこのところ勘違いなさらないよう、よろしくお願いします。



昨日は「日記を休みがちにします」と書きましたが
しばらく本気で日記休みます。
「身辺整理」が終わって、気分が落ち着いたら再開します。
では本日は私信と、お休みの報告まで。


2003年07月09日(水) 色々と。ダラダラと。

こんばんわ。今日は色々とダラダラと。

まずは「免許の更新」についてご質問を頂戴したのでお返事から。
「6月生まれと言っているのに7月に更新っていったい?」
……ってなメールを頂戴しました。
どうも昨年だか、今年だかに制度改正があったらしくて
誕生日の前後一ヶ月に更新すれば良いことになったみたいです。
免許の更新期間が合計2ヶ月になった……てことです。
なので、誕生日を虚言していたわけでもなければ
日記に嘘をぶっこいた訳でもありまらんので悪しからず。
「大げさに書くことはあっても嘘は書かない」のをポリシーにしております。

ま。そんな話はさておいて。

しばらく日記を「休みがち」にしようと思います。
「辞める」でもなく「休止」でもなく「休みがち」なので、そこんとこよろしく。
休むのに断りを入れなきゃいけない……ってことはないかと思うのですが
私自身、毎日読んでいる人の日記がピタッと更新がストップしたりすると
「あれっ。なにかあったのかしら?」とか思ってしまう性質なので
ひとこと書いておこうかな……と。

日記を書く情熱がなくなった訳ではないのですが
ここのところの暑さで、ちょっとばかり、へたばっているのと
どうしたものか突然「身辺整理」したい衝動に駆られてしまっていて
日記を書く時間を、そっちの方向に使っていこうと思っているのです。
身辺整理って言っても「遺書を書く」とかそういうことではなくて
PC机周りを片付けるとか、HPをちょっと見やすく整理するとか
とにかく「身奇麗になりたい」と唐突に思ってしまったのです。

読書の波と同じで、これもまた1つの流行病みたいなものだと思います。

きっとHPの読書禄は今までのペースで書いていくでしょうし
ネットには毎日繋いでいるので掲示板かメールでもって
「おーい」と呼んでいただければ、いつでも「はーい」とお返事いたします。
だいたいからして「どうしても書かねば」ってな出来事があれば
否応なしに書いちゃっていると思います。
適当に「休み」を入れながら……ってのが物事を続けてゆくコツかと思っています。
日記もHPも、そうたいしたもんぢゃありませんが
とりあえず「辞めないでいる」ってだけを目標にしているものですから。
なにげに低い志ですが、これがあんがいムツカシイ。

そんな訳で、しばらくは「書いたり・書かなかったり」になるかと思いますが
だからって「閉鎖を考えてる?」とか、そ・ゆ・ことはありませんので
ご心配ありませんよう、よろしくお願いいたします。
夏本番までに身辺整理が出来るといいな……なんて希望的観測を立てつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年07月08日(火) 飛び込むべきか?

どうしちゃったんでしょうねぇ。今年の阪神タイガース。
強い……強すぎる。もしかしたら優勝しちゃったりするのでしょうか??
夏のロードが終わらないうちは安心はできませんが
いつになく強いので「もしかしたら♪」などと思ってしまう白蓮@関西人

ちなみに私。阪神ファンでもなんでもありません。
日常会話に支障のない程度に情報チェックはしていますし
地元のチームが勝ったら、ちょっとでも景気が良くなるから嬉しいなぁて
……って程度の郷土愛は持ち合わせていますが、それ以上のものはありません。
だいたいからしてTVを観ない生活が板についちゃってますし。
それでも「阪神優勝?」とか思うとドキドキしてしまうのです。
阪神が優勝するのが嬉しいというよりも、むしろ
道頓堀川ダイビングイベントにドキドキ・ワクワクなのであります。
昨年のワールドカップの時は、ザクザク飛び込んでましたものね。
阪神優勝ともなれば、どれくらいの人が飛び込むのやら♪
そして私も「死ぬまでに道頓堀川に飛び込みたい」と考えている1人だったりします。

……ですが、よくよく考えてみるだに
今年というチャンスを逃したら、もう2度と道頓堀川には飛び込めないかも知れない。
阪神が優勝するなんて、それこそ奇跡的なことですし
私も、31歳(あ。私、先月こっそり年を取りました)
道頓堀川に飛び込むなら早い方がいいかな……なんて思ったりして。

もしかして「行っとけ! 飛び込んどけ!」って感じなんでしょうか?

まだ阪神が優勝すると決まった訳ではないので悩む必要はないのですが
今から、ちょっぴりドキドキしてします。
あー。でも飛び込むならヘルパーさんを探さなきゃいけないか。
「なんでも1人で出来るぜ」ってのが私の身上なのですが
ズブヌレで、悪臭をプンプンさせて川から1人で上がるのは恥ずかしすぎるし。
お財布とか入った荷物を持っててくれる人がいないと困るし。
↑やたらと現実的な心配をしてみたりする。

ま。その辺のことは今後の阪神の様子を見て考えるってことで
今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年07月07日(月) 早く寝たはずなのに。

今日は七夕だったのですねぇ。

すっかり忘れていましたが通勤途中の道端に
ちらほら笹飾りが飾ってあったりなんかして思わずムフフとなりました。
私も笹飾りを作って、お願い事の1つでも書いておけば良かったかも。
……って。願い事が多すぎて笹が折れちゃいそうですが。

今日の大阪地方は、とんでもなく暑くてウンザリでした。
なんだか、疲れていたのか、しんどかったのか
……って書くと、しょせんは言い訳にしかならないのですが
今日は、転職してはじめて仕事中に「うつらうつら」してしまったのです。
たぶん一瞬のことだったと思います(て・ゆ・か、そう思いたい)
「あぁ。眠いや」ってことや、気が遠くなりそうなことはあっても
前職場、現職場を通して「うつらうつら」した事なんてなかったのに。
上司に肩を、ちょいちょいと突付かれて、吃驚しました。
起こしてくれた上司も、怒っているという感じではなくて
むしろ「いったい、どうしちゃったんだい?」とてな風で
たいそう吃驚しておられました。ごめんなさい。ごめんなさい。

どうしたも、こうしたも、社会人失格です。

昨夜は11時に就寝したというのに……
たっぷり睡眠は取っていたはずなのに。
穴があったら入りたいです。恥ずかしいやら、申し訳ないやら。
失態を発見してくれたのが好意的な上司だったのが不幸中の幸いでした。
もしも天敵に指摘されていたら、こんなことでは済まなかっただろうと……
天敵が不在だったのは何かのお導きなのかも知れません。

そんな訳で今日は、とても反省しているのでありまする。
今日も早く寝て、明日はシャキッと働かないとなぁ
……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年07月06日(日) つくづく不可解。

今日は運転免許の更新へ行ってきた。
平日に休みを取って行きたいところだったのだけど休み辛い状況なので
仕方なく、渋々、嫌々、休日を捧げたんである。

私は自動車の運転って、どちらかと言うと苦手なのだが
それでもドライバー歴10年のキャリア。
免許取得時は「年齢×1万円」で免許が取れるという時代だったのにも関わらず
20歳の私は、オートマ限定だったのに30万円かけて免許をとった。
要するに、平たく言うと、落ちこぼれだった……ってことである。
当時は、憂鬱な気分で免許証を手にしたものだったが
なんだかんだ言って今ではそれなりのドライバー。
当たり前だが、右折も左折も普通にできるし、車庫入れだって平気である。
縦列駐車はいまだに自信がないけれど……てな感じ。

日曜日に免許の更新なんて行くもんぢゃない。
人の多さと、行列と、待ち時間にウンザリしてしまった。
暇つぶし用にと図書館で借りた本を鞄に入れていって正解だったなぁ。
社会人ってのは色々と忙しかったりいるから、日曜日に是が非でも
……なんて思ってしまうのだろう。私のその一員なのだし。

それにしても驚いたのは免許の更新にカップルで来ている人が多かった……ってこと。
ラブラブ・ファイヤーな若いカップルだけではなくて
そこそこの年齢の人でも、カップルで来ている人も多かった。
免許の更新に……しかも違反者講習にカップルで来る意義って、なんだろう?
私には到底、理解できないことだった。

社会人ってのは、ただでさえ「自分の時間」を作るのがムツカシイ。
好むと、好まざるとに関わらず、働かなければ食べていけないので
仕事中心の生活になりがちで、趣味の時間なんて、なかなか取れないのが現状だ。
そんな生活において「休日」というのは、貴重な時間だと思う。
私など「休日」と「給料」が生き甲斐で働いているようなものだし。
ただ「行列して待ち時間を耐える」という行事に敢えて突撃していく人は
よほど暇な人なのだろうか?? することが無いんだろうか?
日々「もっと時間を!」と思って生きている私は待ち時間など苦痛でしかない。
自分の免許の更新なので、仕方なく並んでいたに過ぎないのだ。

あるいは……彼らは「いっときも離れがたい」ほど愛し合っているのだろうか?
だとすれば、その愛は崇高なものなんだろうなぁ……と思う。
私だったら、その近辺まで一緒に行くことがあったとしても
「マクドナルドで本でも読んで待ってるから、言ってらっしゃいね♪」
……てあたりが、我慢の限界だと思う。とても一緒に待ってられない。
そう考えると、私がかつて抱いた愛情ってのはすべからく偽物ということなのか?

つくづく不思議で不可解な光景だった。

帰宅して、その話を家族にしたらば非難Go−Goだった。
「そりゃぁ、白蓮の感覚が、どうかしている」のだと。
なるほど一理あるかも知れない。
私が運転免許の更新をパートナーと一緒に行きたいという心根の持ち主なら
シングルライフに甘んじることはないのかも。
ま。だからって、こればっかりは変えられるようなものでもないのだけれど。

とりあえず、つつがなく運転免許は更新されたのだった。
次の更新は優良運転者として、講習免除でいきたいなぁ
……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年07月05日(土) 趣味は徒歩?

今日は、のばやんの本を持って難波へ出掛けた。
Iさん&Nさんが、のばやんの本に興味があるとのことだったので
そりゃぁ布教活動に勤しまねばなるまいのぅ……とて、いそいそと。

美味しいもん好き大阪女性ご用達の『ぷち・ろーざ』でランチ。
私は、ここの林檎バターに目がない。
お料理もパンも美味しいし、ケーキが、すんごく良いのだ。
『ぷち・ろーざ』が初めてのNさんからは
「今まで食べたバナナタルトの中で1番美味しいバナナタルトだった」との
大絶賛を頂戴した。お連れした甲斐があるなぁ♪

ランチの後で難波周辺を、うろうろと歩きまわった。
バーゲンシーズンなので人が多いのなんのって。ま。仕方ない。
御堂筋を歩いていて、とある話の流れから
「難波から梅田までくらいなら普通に歩きます」と言ったらば吃驚されてしまった。
難波〜梅田間は地下鉄の駅にして5つ。
歩けなくはないが、ちょっと遠いかも知れない。
今まで意識したことが無かったけれど、私は歩くのが好きみたいだ。

貧乏学生の頃、電車代を浮かせるために歩く習慣が付いたのが「歩き癖」のはじまり。
特に1人でお出掛けしたりすると、とにかく歩きまくっているうよな気がする。
ふらりと神戸に出掛けて、灘から三宮まで軽く歩いてみたり
京都に行った時は「1駅だし」とて、東福寺から京都駅まで歩いて草臥れてみたり。
寺巡りをするとなると、寺が目的なのか、歩くのが目的なのかという勢い。
だいたいからして前職場など駅から徒歩20分の距離だったし……

「趣味はウォーキングです」となると、おこがましい感じがするけれど
「趣味は徒歩です」って程度なら宣言しても良いかも知れない。
建物見物とか、人間見物とか、その辺の動物と遊んだりとか
風光明媚な場所でなくって、歩いていれば、けっこう面白いことに遭遇するものなぁ。
歩きながら、つまらないことを考えたり妄想に耽るのが楽しいのだ。
1人で歩くのもいいし、誰かと歩くのもいい。

これからは、どんどん暑くなるので、そうそう歩いてもいられないだろうけど
今月中に、また1人歩きにでも出掛けてみようかな♪
なんて楽しい計画を考えつつ、今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年07月04日(金) 生産性の無い文章。

最近、昼休みを利用して、日記だの読書感想文などを書くようになった。
以前の職場では「昼休みに書いてFDでお持ち帰り」を基本にしていたのだが
転職してすぐは自分のペースで動き辛くて、遠慮していたのに
このところは少しは慣れてきて、気ままに昼休みを過ごせるようになってきた。
なんだかんだと頭の痛いことが多くて、働きやすいとは言い難いが職場だが
それなりに馴染んできたということなのだろう。

そりゃそうと。昨日は昼休みに書いた日記を、うっかり喪失してしまった。
PCで仕事をしたり、遊んでいると、いくら注意していても
大切なデータを消したてしまうことがある。
今は「うっかり消してしまったデータを復元するソフト」という便利なものもあるが
それでも復元できないことも多くて
「あの時、ああしておけば良かったのに」なんて思っても後の祭り。
うっかり者の私など、今まで何度そのテの失敗をしたことやら。
……こんなの自慢できることでも、なんでもないんだけど。

一生懸命作ったデータが消えてしまうのは、言い表せないほど悔しいことだが
じっくりと落ち着いて考えてみるだに、仕事上のデータでない限り
「消してはいけないデータ」なんて存在しないような気がする。
消えてしまうものは、消えるべくして消えてゆくのだ。
本当に大切なものであれば、また作ればいいのだし、作ることだって可能だろう。
「もう2度と作れない」という安易なものなら最初からあっても無くても良いのだ。
もっとも、これは「私の場合」という但し書きが付くのだけれども。

ちなみに。昨日、失ってしまった日記は、まさに「無くても良いもの」だった。
愚痴とも、不満ともつかない負の感情を撒き散らしただけの醜悪なもので
自分でも馬鹿げていると分かっていたらしく、日記の最後に言い訳まで書いていた。
消えるべくして消えていったのだろうなぁ……昨日の日記は。

私は、生産性のない文章を書く喜びを知っているからこそ
毎日、飽きもせず何某かのものを書き散らしているのだけれども
生産性のない文章を書いて公開することの疑問は、いつも付いてまわる。
私はHPは自己満足の世界だと思っているが
それならば自分のPCという箱の中で遊んでいれば良いかも……と思ったりする。
HPを公開することの疑問は、ずっとずっと謎のまま
HPを公開している限り、ずっとずっと付きまとってくるのだろうなぁ……
辞めようとか、どうしようとか深刻なことを考えている訳ではないけれど
いつ辞めたって不思議ぢゃないのに「続いている」ってことが不思議でならない。

この原動力って、なんなんだろうなぁ。

この疑問は、これまでも何度も書いているけれど
きっと、この先も機会がある度に書き続けていくような気がする。
器に注がれるものが、溢れてしまうまでは、続いていくのだろうなぁ。
……なんてことをウダウダ書いてみたところで今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年07月03日(木) はぁぁっ?

今日は、いつもより1本早い電車で出勤してみた。
特に意味はなかったけれど『早起きは三文の得』ってことで。
私が利用している路線は、通勤ラッシュといっても比較的ゆるやかなのだが
1本早い電車は、いつも利用している時間帯のよりも、ずっと込んでいた。
いつもなら立って本を読める程度なのだが、ムギュムギュと押し合う感じ。

私は、とてもチビッコなので満員電車は、かなり苦手。
↑満員電車が大好きって人は、聞いたことないけど。
しかしながら本日は壁際を確保できたので息苦しいのは随分とマシだった。
後ろに立っている中年男性らしき人と、ピッタリ密着しているのは嫌だったが
まぁ、満員電車のことだし、密着くらいは我慢しなくては……と思っていたのだが
ちょっと我慢しがたい状況に陥ってしまった。

背中側でベッタリ密着している男性は痴漢こそ働かなかったが
なんだか、鼻息が変なのだ。鼻息だけでなくて、口からの息も荒い。
文字にするなら「ハァ ハァ」って感じなのだ。
病気とか呼吸困難ではなくて、性的な意味での「ハァ ハァ」である。

……これはかなり気持ちが悪い。気持ちが悪いが痴漢ではない。
痴漢でないなら文句を言うわけにもいかない……
周囲の人は「ハァ ハァ」を聞いて、何を思っていたのだろう。
私は相当気持ち悪かった。耳元よりも、ちょい上のあたりから
「ハァ ハァ」の息が降り注いでくるんだもの。もう、なんともかんとも。
あぁいう場合は「静かにしてください」と言った方がいいんだろうか?
しかし暑い時期でもあることだし、息遣いを注意するってのも、なんだかなぁ。
直接的な行為はなかったが、あれも立派な迷惑行為だと思う。
ほんの10分ほどのことだったが、非常に不愉快な出来事だった。

ことわざも、たまには外れるようだ。ものすごく損をした気分で出勤した。

不愉快な滑り出しに相応しく、あまり良いことのない1日だった。
夕食のデザートに、向いの婆さまかが差し入れてくれたサクランボがなければ
ブルーな気持ちのまま布団に入るところだったと思う。
婆さまありがとう。サクランボパワーで厄払いだ。
明日はいいことあるといいな……ってことで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年07月02日(水) 可愛いだけぢゃ物足りないし。

今日は、ふと気になんることなど。
一般的に女性は「可愛いもの」が好きだと言われているけれど
「可愛い」という言葉の使われ方は、あまりにも曖昧過ぎるような気して
イマイチ素直に受け入れられないことが多々ある。

例えば……
ピンクという色を指して「可愛い」と表現するのは理解できる。
しかし黒を指して「可愛い」と表現するのは、いかがなものだろう。
人の感性は色々なので、黒を見て「可愛い」と感じる人もいるだろうが
一般的には「かっこいい」とか「洒落ている」とか「素敵」と表現した方が
よほど適切だと思うのに、なにかデザイン関係を誉めるとなると
「可愛い」の一言で片付けられてしまう傾向にあるのは、どうしてだろう?
それって、あまりにも語彙が貧困過ぎやしないだろうか?

偏見かも知れないが始終「可愛い」を口にする人というのは
まずもって「可愛い以外の形容詞を使用しない人」のような気がする。
たぶん彼らの使う「可愛い」は「自分の好みである」という程度の意味なのだと思う。
自分の目に好ましく映る物は、とりあえず「可愛い」でくくっておけ……みたいな。

私は誰かと話をしていて「可愛い」を連発されると、ウンザリすることが多い。
どこが可愛いのか? どの辺が可愛いのか? 本当に可愛いのか?
……などと、どうでも良いことを考えて、思わず遠い目になってしまうのだ。
実際、可愛い攻撃でウンザリする時と言うのは
自分自身が、これっぽっちも「可愛い」と思えない場合が多いようだ。
可愛い攻撃の中にあっても対象物が心底可愛い場合は
流石に、そんな風には思わないから。

……とは言いつつ私も、心ここにあらずで「可愛い」を口にする事があるので
あまり文句を言えた義理ではないのだけれど。
たとえば同僚が髪型を変えた時は、とりあえず無難に「可愛い」と誉めているし。
気心の知れた友人の中には、闇雲な「可愛い攻撃」を好まない人もいるが
一般的には「可愛い」と言った方が、喜ばれる率が高いような気がする。

なんでもかんでも「可愛い」という言葉で表現するのって
昔からあったことなのだろうか?
それとも最近の流行なんだろうか?
私が、気になりはじめたのは、ここ何年間かのことなのだが。

まったくもって、どうでもいいような話なのだが
気になることを書いてみたとこで、今日の日記はこれにてオシマイ。


目次過去未来


エンピツ投票ボタン(押していただけると励みになります)↑
My追加

yurarraをフォローしましょう

【同月同日の過去日記】
$lastyear

白蓮 |MAILHP