人間の趣向って恐い……と思うことがあった。
昨日、乙女な母と愚弟と話をしていて
めずらしく芸能人の話題が上がった。
「じつはね。お母さん、Kがタイプだったりする」と乙女な母。
乙女な母は、乙女であるがゆえに
「誠実そうで、爽やかで、真面目な好青年」が好きだと思っていたので
↑乙女な母自身、そんなタイプの人が好きだと話している。
乙女なK君が好きだというのは、以外な発言だったし
なによりもKは私が「人として嫌い」と思うタイプの人間だったので
ちょっとエキサイトして話をしてしまった。
「ところでKの、どこが好きなの?」
「だってKの、○○なとこが感じ悪いと思うけど?」
「Kがたまに見せる、○○な部分って、人してどうかと思うし?」
……ってなことを乙女な母に尋ねてみたら。
乙女な母が毅然と言ってのけたのである。
Kの「あんなところ」や「こんなところ」が嫌なヤツってのは分かっているけど
だけどKの「あんなところ」や「こんなところ」は可愛いと思うし
やっぱり母はKみたいな男性がタイプである……と。
私は乙女な母がK君の「嫌なところ」に気付いていないと思っていたが
乙女な母はKの「嫌なところ」も気付いていたし、それを知ってもなお
「やっぱりKは母の好みタイプの男である」と言い切った。
まぁ、人の趣向はそれぞれなので、それは、それで良いのだが
母娘で、キッパリ趣向が別れたのは珍しいことだった。
私が特に嫌いな芸能人=乙女な母が特に好きな芸能人
別にどうってことは無いのだが、不思議な感じだった。
ここは1つKと同性である愚弟の意見も聞いてみることに。
愚弟の発言は、なかなか興味深いものだった。
俺も姉と同意見でKは嫌いだし、男として、どうかと思う
……って言うかさ……俺、思うんだけど……
Kの性格とか内面って、本質的に死んだ父と似てるよね。
目から鱗が落ちた思いだった。
今まで私は、どうしてKという芸能人を、そこまで嫌いと感じるのか
自分自身でも不思議に思っていたのだが、なるほど納得。
たしかにKの「あんなところ」や「こんなところ」は死んだ父と似ている。
母が好きだと感じ、私が嫌いだと感じる理由も解明されたも同然だ。
「嫌やわぁぁ。やっぱり、お母さんって男を見る目がないのかなぁ?」
……とて、乙女な母は、ちょっぴりショックを受けたようだった。
父は放蕩者で、家族に迷惑をかけまくって死んだので
「もう父みたいな人はこりごり」というのが母の口癖なのだが
今回のことで乙女な母は「そんなタイプの男が好き」ってことが
見事に立証されてしまったのだった。
娘としては「それでも好きだったのね」って事実は嬉しくもあったが……
人間の趣向って恐いなぁ……と思わずにはいられなかった。
いま流行りの「だめんず・うぉ〜か〜」なども、こ〜ゆ〜事なのだろう。
好きという感情は理屈ではなく、もっと深い部分から沸きあがってくるもので
自分では、どうしようもないモノなのではないかと……
……ってことは「一緒になる運命」ってのも存在するのかと思ってみたり。
もちろん理性で「好き」だと感じることもあるだろうが
「惚れる」とか「惹かれる」ってなことになると
もっと動物的だったり、本能的だったりするのかも知れない。
私は運命論者ではないし、「運命」を言い訳に使うのは嫌いだが
それでも見えない糸と言うか、繋がりと言うか
そ〜ゆ〜ものは存在しているのか知れないなぁ……と思った。
「引き合う作用」ってな感じのものがあるんぢゃないかと。
広い意味で使ってみるとするならば
示し合わせている訳ぢゃないのに、似た趣味の人が集って友人になった。
……みたいなこととか。
なんとなく、「日記らしからぬ」そんなことを書いてみたりして
今日の日記は、これにてオシマイ。
今日はネット友人のJさんとお逢いした。
Jさんとは、なんだかんだと1年半ほどのお付き合い。
ランチを一緒にする約束をして、大阪市内で待ち合わせ。
まったくの初対面で、写真を交換した……ということもなかったのに
ちらりと見ただけで、その人がJさんだと分かってしまったのには驚いた。
待ち合わせ場所に人が少なかったということもあるが
たぶん、人がいっぱいいてもJさんを見つけられたと思う。
それくらい「ネットJさん」と「リアルJさん」にはギャップがなかった。
ネットで知り合った人と1対1でお逢いするのは4度目のことだが
「イイ人だと思うけど、もし変な人だったら、どうしよう?」とか
「話が盛り上がらなくて、沈黙しちゃったら、どうしよう?」とか
何度経験しても「ドキドキ感」は相当のもので
今回もドキドキしていたのだけれども
なんだか、初対面とは思えないような感じだった。
年齢が1つしか違わない…ということもあっただろうが
クラスメイトと再会したような、やたらと気安い感じだった。
ランチを食べながら、お喋りに突入。
仕事のこと、将来のこと、ネットのこと、ペット自慢、家族のこと……
初対面だったのに、次から次へと、話のネタが出てきた。
ランチの後は、お店を変えて、そこでも、ひたすら喋りまくる。
いい感じのテンションを保ちつつ5時間以上も、ぶっ通しで喋っていた。
聞きたいこと、伝えたいことが多すぎて5時間でも足りなかったくらい。
ネットを通じて、お付き合いをする中で「いい人だなぁ」とは思っていたが
生・Jさんは、ネットの印象のままの「いい人」だった。
もしも、同じクラスだったり、同じ職場だったりしたら
絶対に友人になっちゃってるだろうなぁ〜〜と思ってしまったくらい。
理屈ぢゃなくて「ウマが合う」という感覚。
私自身が働く女性なので、仕事に熱いJさんは、とても魅力的だった。
色々な話をしたが、いっとう熱く語ったのは「仕事のこと」と「将来のこと」
突き詰めて言うなら「これから先、いかに生きていくか」ってこと。
↑だからってクソ真面目トークをしていた訳ぢゃないのだが。
20代後半から30代って仕事人として、とても重要な時だと思う
…というのが、私とJさんの共通した意見。
今は昔に較べると、女性でも仕事人として生きやすくなっている時代だが
やっぱり、まだまだ…ってな部分が多いのも事実なので
働く女性ってのは色々と考えてしまったりするのだ。
29歳のジレンマとか、結婚適齢期が……ってなレベルの話ではなくて
30代を実り多いものにするには、どうしたらいいだろう……みたいな。
仕事人生活でJさんは大きな転換期を迎えようとされているのだが
良い方向に転がって欲しいなぁ……と思わずにはいられない。
お互い、悩み事だの、困り事だのあるけれど
「泣き言を言いながらでも頑張っていきましょう♪」と言ってお別れした。
ネットやってて良かったと心から思った。
本当に……それは、それは楽しい1日だったのだ。
とても、日記には収まりきれないほど得るものがあった。
Jさんとの感激の対面について、ちょっとだけ書き残してみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。
<私信>
Jさんへ。
私も早いとこパートナーを見つけて、のろけ話をご披露します〜♪
2002年06月10日(月) |
ひねくれ者的発想かもね。 |
『もしも世界が100人の村だったら』って本を人から借りて読んだ。
読書日記には残しておきたくないタイプの本なので
こっちの日記書こうと思う。
……というのも、私の好みの本ではなかったからだ。
『もしも世界が100人の村だったら』は書店でも山積みで売られているが
もともとはWeb発だったはず。
ちょっくら前に、大流行して、ネット世界の住人達を感動させたようだが
このテの理論の展開って、私は好きぢゃないのだ。
なにも頭から否定してかかるつもりはないのだけれども……
私は『もしも世界が100人の村だったら』を読んで思い浮かべたのは
「上見て暮らすな、下見て暮らせ」という日本の古い言いまわしだった。
『もしも世界が100人の村だったら』の考え方が間違っているとは思わないし
現実問題として考えるならば「まってくもって、その通り」だと思う。
広い世界には、色々な人がいて、色々なことがあって
自分には思いもよらない暮らしをしている人がいる。
しかし「私の位置はAよりも下だがBよりも上である」というような
幸せのはかり方というのは、どこか間違っているのではないだろうか?
間違い…と言うよりも、むしろ「傲慢」という方が適切かも知れない。
『もしも世界が100人の村だったら』で書かれていたことを引用してみるなら
文字が読めるから、教育を受けたから、食べ物が豊富だから……
だから自分は幸せだと定義してしまうのは短絡的だと私は思う。
あらゆることに恵まれているから幸せだとは限らなだろ。
あらゆることに恵まれていないから不幸だとも限らないだろう。
もちろん「戦争」や「貧困」といった状況が幸せだと言うないのだが。
他者と自分をくらべて、自分の幸せを計るという方法は
あまりにも「自分」というものを粗末にしているような気がしてならない。
確かに「何かと比べたい」という気持ちは誰にだってあるものだが
それを基準にして、安心するというのは、いかがなものだろうか?
そして……「自分より不幸な人がいるから」なんて発想じたい
どこか病んでいるように思えてならなかった。
他者との比較で確立するのではなく
「自分は自分」「私は私」という意識を持つ方が素敵ぢゃないの?
……みたいな。
広い世界を見渡してみて、つつましく、喜びを感じながら生きていこう
……という考えは素晴らしいと思うし
日頃、考えようともしない「世界」について考えるのは良いことだと思う。
『もしも世界が100人の村だったら』に出会って
自分自身の幸せを再確認した人がいるのなら
それは決して、悪いことではないとは思うのたけれども……
なんとなく「自分」を大切にしていないような理論の展開ではないかと
私は、そんな風に思ってしまったのだ。
素直に感動できなかったのは、私が「ひねくれ者」だからかも知れない。
屁理屈っぽく「流行物」について語ってみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。
2002年06月09日(日) |
「なぞなぞ」は苦手ってことで。 |
昨日は怒り心頭のあまり、ぐっすりと眠れなかった。
朝、鏡を見ると、目の下がクマっぽい。表情もなにやら殺伐とした感じ。
今さらだが「怒る」ってのは、健康によろしくないようだ。
蒸しタオルで応急処置をして寝不足度満点で家を出た。
通勤電車で寝よう……と思ったけれどテンションが高すぎて眠れずに
けっきょく、いつものように読書をしながら県境の山を越えた。
ここのところ読書不振だったのに、怒りを忘れるほど本の世界にハマる。
とんでもなく「痛いてててっ」なタイプの作品だったが
読んでいるうちに、昨夜の電話なんて、ど〜でもイイように思えてしまった。
ささいなことでも、出会いのタイミングって大切だと思う。
たいそうムカついたのだが、一夜明ければ「あんなもの」という感じ。
気持ちの切り替えは早いに方がいいのだ。
楽しいことだったら、反芻していたいと思うのだけれども。
それにしても、昨日の電話は、なんだったのだろうか?
怒りがおさまると、色々な疑問が頭をもたげてきた。
そもそもY氏と私の間には、Y氏の妻(私の先輩Yさん)がいるはずなのに
妻を飛び越えて、直接、電話を掛けてくるのって、ちょっと変?
しかも「なにかあったら僕の携帯に電話をしてきてください」
なんて携帯番号を教えてくれようとしたのには本気でビビッてしまったし。
↑流石に「なにかあったらご自宅にお電話します」とお断りしたが。
「いまさら」過ぎるところも、なんだか妙な感じだし。
不惑を向かえた人とは思えない唐突ぶりではあるまいか?
……とか、なんとか思ったりしたが「なぞなぞ」を解くのは苦手なので
考えるのはやめておくことにする。
落ち着いて考えてみると狐につままれたような感じである。
たっぷりと不愉快な気分を味わって、踏んだり蹴ったりだったが
ここ1ヶ月のうちで最高潮にエキサイトした出来事だった。
毎日、地味〜に暮らしていても「ちょっとした事件」ってのは
向こうの方から飛び込んでくるものだと、つくづく感心してみたり。
山椒は小粒でピリリと辛い……ってなトッピングであった。
今日は「いい読書」ができたので、本の感想でも書いておこうと思ったが
プンプン怒ったせいで、エネルギーを使い過ぎてしまったらしく
やる気はあるけど身体がついてこない。
ウルトラマンで言うなら、カラータイマー点滅中ってところだ。
仕事が暇だったのは不幸中の幸いだった。
今夜は早く寝よう……って言うか、きっと早く寝ちゃうと思う。
落ち着いて、昨日と今日を振り返ってみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。
ブチ切れてしまいました。
ここ半年の間で最高潮のキレっぷりだと思います。
そんな訳で今日は長くて、暑苦しくて、見苦しい日記になると思います。
だけど頭にきちゃったので書いちゃうぞ……と。
今夜は、とんでもない人から、とんでもない内容の電話がありました。
できれば声も聞きたくないな……ってな人からの電話。
電話の主は私の先輩にあたるYさんの御主人のY氏。
Y氏は現役の医師で、愚弟が事故に遭い「死ぬかも」って事態に陥って
「小さなことでも良いので助言してください」とお願いした時に
まったく相手にしてくれなかった人だったりします。
平たく言えば「足蹴にしやがった」って感じでした。
Y氏は開口1番
「お久しぶりですが弟さんの具合はいかがですか?」ときたもんだ。
……って言うか、1年も前のことだし。
……って言うか、退院した時に一応、嫁のYさんに連絡してるし。
「おっさん、今さら、何ぬかしとんねん?」
……って言いたいところでしたが、私も常識的な大人なので
「その節はご心配をお掛けしましたが、おかげさまで……」
なんちゃって、月並みに、ご挨拶をしました。
誰だって自分が1番可愛い。だから都合の悪いことは言いたくない。
ましてや派閥とかある医師の世界……
愚弟が死にそうだって時に、親切な入れ知恵をしてくださった某氏は
よっぽとお人よしだった……ってことで納得しましょう。
えぇ。あの時のY氏のことなんて、今さら、ど〜だってエェんです。
Y氏は「あの時、僕が何も言わなかった理由は……」からはじまって
言い訳の雨、嵐。「いまさら、そんな話いらんちゅ〜ねん」と思っていたら
「現在のリハビリは……」とて今度は説教の雨、嵐。
いやいや。ご心配してくださってありがとう。でも今は順調なので
あなたの助言なんていらないんです。
……って言うか、あなたとお話するりのも不愉快です…と思いつつ
ここまではY氏の好意として受け取ることにしました。
が、しかし……
Y氏は、その後でとんでもないことを言い出しやがったんです。
なんとY氏は縁談を持ってきたのでした。
しかも、その縁談のお相手というのは
5年以上も前にY氏と、Y氏の母上にすすめられて「Y氏の顔をたてるべく」
何度かお逢いした上で、丁寧なお断りした男性でした。
「あいつは、僕よりも、ずっと骨のある男だから」とY氏。
……って言うか、そんなエェ男やったら
もっとエェ女紹介したれ…ちゅ〜ねん。
「ところで、彼の連絡先とか、今は分かるかな?」とY氏。
……って言うか、その人のことなんて
記憶の端っこにもなかった…っちゅ〜ねん。
何、考えとんぢゃぁ! 頭カチ割って、脳味噌ストローで吸い出したろか!
人を馬鹿にするのも、えぇ加減にせぇ!
……と啖呵の1つでも切ってやりたいところでしたが
私も常識ある大人ですし、なによりYさんの御主人……ということで
とりあえず丁寧にお断りさせていただきました。
ちなみにYさんが、この件を知っておられるかどうかは不明です。
Yさんが関与しているとか、いないとか……ってことも
私にとっては、ど〜だって、良い話なんですが。
それにしたって、厚かまし過ぎやしませんか?
1年前……頭を下げてお願いして、足蹴にされたなんてことを
今さら、ど〜こ〜言うつもりはありませんが
「どのツラ下げて、そんなこと言う訳??」って思わずには入られません。
……って言うか、純粋に腹立たしいし、ブチ切れてしまいました。
こんなに熱く怒ったのは久しぶりのことです。
憂さ晴らしに、会話劇チックに記録してやろう……とか
とりあえずYさん本人に
「こと」と「しだい」をたずねてやろうか?……とか
色々と思ったりしたのですが、ここで発散してオシマイにします。
限りあるエネルギーは大切に使わなくちゃ……
それにしてもムカッ腹が立ったなぁ!!
なんだか、ちっとも「怒り冷めやらぬ」なのですが
これ以上書いていても、なんですので
今日の日記は、まとまりなく、これにてオシマイ。
建築士のTさんは『ヒカルの碁』という囲碁漫画にハマッている。
昨日など、そっと後ろから忍び寄ってきては「右上スミ小目」とか言いながら
私がせっせとトレースしている図面の角を扇子で指しては喜んでいた。
↑作品に出てくる、いつも扇子を手にしているキャラクターの真似らしい。
「あぁ。若いってスバラシイ!」ってなTさん24歳。
それでも、一応、若手のホープで、いい仕事をする仕事人である。
Tさんは、よほど囲碁漫画にハマッてしまっているらしく
昨日は、扇子を片手にうろちょろと『ヒカルの碁』について語っていた。
Tさんが、あんまり楽しげに扇子を持っているものだから
なんだか私も扇子で遊んでみたい気分になって
昨年、友人の N嬢がプレゼントしてくれた扇子を引き出しから出してきた。
ちなみに私は、どんなに暑くても、団扇や扇子は使わない。
なんだか手を動かすのが面倒くさいような気がするので
汗がダラダラ流れるほど暑くて、涼をとる手段が団扇しかなかったとしても
私は汗を流しっぱなしにして、あおがない……というタイプだったりする。
そんな訳でN嬢からもらった扇子は、ずっと引き出しで温存してあった。
↑N嬢ごめんね。悪気はなかったんだけど使ってませんでした。
今風のデザイン的な扇子ではなくて、和風ティストで小振りの扇子。
薄野に、薄い紫色のトンボが飛んでいて、涼しい感じが素敵。
ゆっくりと扇子をあおいでみると、ほのかに焚き染めた香の香りがした。
やわらかな風に乗って、うっすらと広がってゆく香は、心地が良く
今さら遅いよ……って感じだが
扇子って道具は「風を送る」だけに使うものではないのだと気が付いた。
そう言えば、華道で使う扇子は重要アイテムだったりするものなぁ。
伝統的なものってのは、なかなか奥が深いでござる。
一生懸命にあおいで風を送ったりしなくても
ゆっくりかざして、香を楽しむだけでも、案外涼しくなるのかも知れない。
今年の夏は、ぜひとも扇子を持ち歩こう……などと思いながら
今日の日記は、これにてオシマイ。
2002年06月06日(木) |
優しい人ほど涙を流す |
心優しい人ほど、涙を流す……ってのが私の持論だったりするのですが
本当のところは、どんなものなんでしょうか??
ちなみに私は「現実生活」では、ほとんど泣きません。
悔しくて歯ぎしりする事は多いですが(苦笑)
しっとり、さめざめ泣くこたぁ〜ありません。可愛げないです。マジで。
映画や、本を読んで泣くのはへっちゃらだったりするんですけどね。
現実生活で泣いたのなんて、忘れちゃったくらい昔過ぎて
いつ泣いたのかも分からないくらいだったりします。
それくらい泣かない人です。私は。
だから……って訳ぢゃありませんが
私は「泣いちゃってる人」には無条件に弱いです。
これは理屈ぢゃありません。
世の中には、涙を武器にしちゃう人がいるのは百も承知ですが
少なくとも「私が関心を持ってる人」の中で
そんな、みみっちぃ人はいないって思ってます…って言うか信じていますし。
……って言うか、そんな人はいないでしょう。間違いなく。
優しい人ほど涙を流すのですね。
心を痛めたりするのですね。
「ごめんなさい」とか思ったりするんですね。
ホントは、これっほっちも悪いコトしてなかったりするにね。
あぁ。ホントにイイ人ほど痛い目に逢うってのは、どうよ?
泣いてるあなたは優しい人なんですよ……きっと。
そりゃぁ、けっして喜ばしいことぢゃないとは思うけれど。
私は、そんなあなたを応援しちゃう。しちゃう……みたいな。
今日は突発的に書いちゃったりなんかして
日付も「超・フライング」だったりするんだけど
これは私の日記なので、私の書きたいことを書いちゃうのです。
Uちゃん、頑張れ。こっそり応援してるし。←あくまでもこっそりだけど。
「めぇる」とか「掲示板」とかに書こうと思ったんだけど
なんか……こう押し付けがまし〜感じしたら嫌だしなぁ〜とか思って
うっかりココに書いちゃったの。まぁご愛嬌っでことで。
ぢゃ、今日の日記はこの辺で。
……って言うか、今日は2回目の日記なので明日はお休みするかもね。
↑明日付けの日記で更新しちゃってるし(笑)
それもまた、激情的でイイぢゃん♪ ってことで、ごめんなさいまし。
なんだか私信ちっくだけど今日の日記は、これにて、オシマイ。
休日の今日、梅酒を作った。
昨年作った梅酒が上出来だったので今年は張り切って2瓶ばかり。
1つは定番のホワイト・リカー漬け。
1つは趣向を変えてブランデー漬け。
梅雨を前にした楽しい行事……って感じである。
2キロばかりの青梅を、丁寧に洗ってヘタを取って
水気を飛ばして、竹串でブスブスと穴をあけて
青梅と氷砂糖とアルコール類を瓶に入れたら出来上がり。
あとは、熟成するのを、待つぺし。待つべし。待つべし。
「いい匂い」のする単純作業ってのは精神的に良いような気がする。
「香りの効果」ってほど大げさなものぢゃないけれど
匂いを嗅ぎながら、ニマニマと考え事をするのはなかなか楽しい。
うんざりするほど単純作業が多かったであろう昔の人の生活は
単調で刺激は無かったろうが、今よりゆったりしていたかも知れないなぁ
……なんてことを思ったりした。
ちなみに今日は梅酒を作るのには、もってこいの良い天気だった。
秋頃には、きっと美味しい梅酒が出来ていることだろう。
「梅酒」を作っていると、ついぞ思い出されるのは
高村光太郎の『智恵子抄』に収録されている一篇の詩。
亡き妻が生前漬けた、琥珀色の梅酒になぞらえて
妻のことを書いていた詩があったなぁ……とか、なんとか。
一般的に年代物の梅酒は美味しいと言われるけれど
私は「ほどほど」に浸かった梅酒の方が好きだったりする。
以前、年代物の梅酒をいただいたことがあるのだが
たしかに「まったり」して「まろやか」ではあったが
どこか重苦しいような味で、ちょっと胸につかえるような気がしたのだ。
我が家の場合は梅酒が「年代物」と呼ばれるまでに消費されてしまうので
よほど戴き物でもないかぎり「年代物」を飲むことはないのだけれど。
今年は2瓶漬けたので、少しは長持ちするだろうか?
ホワイト・リカーとブランデーに浸かっている青梅は
今のところ「浸かってる青梅」に過ぎないが
これからしばらく、変化していくのが楽しみである。
氷砂糖が溶けていく過程とか、お酒の色が変わっていく過程とか。
しばらくは毎日様子をうかがうのだが、そのうちにだんだん飽きてきて
見向きもしなくなった時、梅酒は飲み頃を迎えているはず。
梅酒が完成する日を楽しみにしながら
今日の日記は、これにてオシマイ。
今日は10年来のペンフレンドと会ってきた。
前回あったのは……たぶん半年くらい前のことだから久しぶりの再会。
昼前に大阪市内で待ち合わせてベトナム料理店でランチ。
真っ昼間っからビールで乾杯ってのはご愛嬌というところ。
それにしても「昼酒」というのは背徳の味がして、やたらと美味しい。
昼食の後は映画へ(イマイチな作品だったので感想は割愛)
今風なお洒落系アジア・カフェでお茶をして別れた。
共通の話題といえば、音楽と「人形」ネタってところだったろうか。
色々な会話の中で
白蓮さんは、お母さんを甘やかせ過ぎだわ。
私なんて息子から、そんなことしてもらったことないし。
子供がしっかりすると親はダメになるのかしら?
なんてことを言われてしまった。
その意見はとても正しくて、ある意味において間違っている。
私だって、もう少し親がしっかりしていなけければ
ホニャララした子供になっていただろうから。
ちなみにペンフレンドのご子息は私より1〜2歳年長なのだが
ただいまフリーター生活を満喫中だったりする。
どこのご家庭にも「こまったこと」の1つや、2つはあるというものだ。
ペンフレンドと私とは、親子ほど年が離れているのだが
本当に 良い友人関係を築いているように思う。
ペンフレンドは生粋の「お嬢様育ち」のマダムなので
少々ガラッパチな私の話が楽しくてたまらないしらく
私はペンフレンドの鷹揚なところや、豊富な知識が
刺激にもなるし、勉強にもなる。
たぶん、私とペンフレンドの関係は「学びたい一対」なのだと思う。
自分の知らない世界や、体験できないことを
友人を通じて学んでいくというのは楽しいことこの上ない。
世界は広ければ広い方がイイ……と私は思う。
もっとも、そう、あっちこっちに手を出していられないのが現実なのだが。
それにしても楽しい1日だった。
ペンフレンドと別れてから、家族へのお土産にケーキを買って
自分用に晴雨兼用の日傘を購入(安物自慢をしたいくらいの安日傘!)
日傘は、この夏の通勤で活躍してくれるだろうと思う。
明日は部屋の片付けをしなければ……などと思いつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。
2002年06月03日(月) |
正論が常に正しい訳ではないでしょう。 |
正論が常に正しいのではない
……なんて事を思わずにはいられない今日この頃だったりする。
景気は回復しつつある…ってな話もポツポツ聞かれるようになったけれど
まだまだ厳しさは相変わらずのようで
私が派遣されている職場でも「リストラ」問題は深刻である。
若手社員の間にも、そろそろ「悪い噂」が横行していたりする。
会社として生き残っていくためにはリストラも仕方のないことかも知れないが
他人事とは言うものの、やはり胸が痛む。
「仕事できない人を置いとくのは無駄だから当たり前のこと」
…というのは正論だろう。反論の余地は、どこにもない。
しかしながら「親がかりで暮らしている独身のお嬢さん」や
「1人暮らしをしているが、いざとなったら駆け込む場所のある娘さん」
……のように「働いて糧を得る」ことの重みを感じていない人達の口から
このテの言葉を聞くと、内心、腹立たしい気分になってしまうのは
私だけのことだろうか?
いっぱしに所帯をしょって立つオヤジが言うのであれば
それもまた「社会の厳しさ」として納得できる部分もあるのだけれど。
「利益を生み出さない」社員は企業にとってお荷物なことこの上ない。
しかし、彼らにだって生活ってものがある。
家のローンだの、子供の教育費だの、老いた親の生活費だの
どうしてもお金がいる世代の人間がリストラされちゃったりしたら……
ちょっとや、そっとの大変さではないと思うのだ。
「仕事やめちゃったら、とりあえず、のんびり休養して……」
なんて暢気な事が言える、そこいらの娘さん達と
所帯持ちのオヤジ達とでは「労働」の重みはまったく違う。
もちろん「娘さん」だって、重みのある「労働」をしている人もいるのだが。
正論が、いつも正しいという訳ではないと思うのだ。
極論だが「いっそのこと自殺しちゃいたい」って言う人がいたとして
「死にたきゃ死ねばいいぢゃん。死ぬのは個人の自由だしさ」
なんてのも正論と言えば正論だが、どこか違うよな気がするのだ。
ましてや「死にたい人がいたら、背中押してやるよ」
なんてことを言うとなると、それは言語道断……だと思う。
人の痛みが分からないのか、もしくは感情が欠落しているのか……
正義感とか、倫理感とか、そ〜ゆ〜問題ではなくて
「それって、どうかしてるんぢゃない?」と思わずにはいられない。
リストラ関連の話題でもって、蔑んだり笑ったりできる人というのは
私の中では「どうかしている人」としか思えないのだ。
そして案外「どうかしている人」の数は多かったりもするし
「どうかしている人」は、ものすごく身近にいたりなんかもする。
私とて、いちいち腹を立てたり、反論したりする訳ではないのだが
「なんだかなぁ」という思いは拭い切れない。
やたらとシビアなことを書いてみたりなんかして
今日の日記は、これにてオシマイ。
6月である。6月といえばジューン・ブライド。6月の花嫁。
先日、電話で話をしていた友人が
今年は6月に結婚式が重なって、寿貧乏だと愚痴っていた。
私達の年代は「今年で30歳チーム」なので20代のうちに
……ってな感じで、結婚に踏み切る人が多いのだろうか?
私の親しい友人で結婚の予定があるのは今のところK嬢ただ1人。
なんだか甲斐性無しの揃い踏み…という感じで複雑な心境だ。
なんとなく結婚話で盛り上がり「理想の結婚」とかなんとか
そんな方向に話が流れていった。たわいない話である。
新婚旅行は、どこがいい…だの、式は教会式で…だの
ホテルもいいが、レストラン・ウェディングもイイね…だの。
ちなみに私は「結婚式」ってものに、あまり思い入れを持っていない。
「入籍」さえすれば万事OKぢゃないんだろうか? と思っている。
「理想の結婚像ってどんなの?」と聞かれて
そうだねぇ。チャーミー・グリーンの爺婆夫婦かなぁ……
年とっても手ぇ繋いで、名前で呼びあったりするんだぁ……
などと思っていることを言ったらば
「それは、それで素敵だけど、私が聞きたいのはそうぢゃないのよ」
「たとえば…ドレスとか着たくないわけ?」
とて、なにやら哀願するように聞いてくる。
何故、そんなに「熱く」なるんだ??
電話越しなので彼女の表情は分からなかったが
きっと捨て犬のように、ひたむきな瞳をしていたんぢゃないか思う。
やはり、結婚式続きで、ちょっと神経質になっているんだろうか(?)
仕方がないので、私は軽〜く「ちいさな夢」を語った。
そりゃぁ私は「ドレス好き人間」だからウェディング・ドレスは着たいよ。
だからって披露宴とか、式がしたい訳ぢゃなくてさ……
ウェディング・ドレスでダーリンにお姫様だっこしてもらったら
それだけで満足しちゃうなぁ……みたいな。
長〜い沈黙の後で、友人は言った。
「……ものすごい以外なことを聞いてしまった気がする」
彼女は、いったい、私の答えに「なに」を期待していたのだろうか?
「白蓮が…まさか、そんな恥ずかしいこと考えてたとは…驚いたよ」
……私だって驚いたよ。
彼女は乙女系だと思っていたが、実は現実的な女性だったようだ。
世間の独身女性は披露宴のシュチュエーシュンに対する夢は持っていても
「お姫様だっこ願望」なんてのは持ってないのだろうか?
……って言うか、私って…もしかして…馬鹿?
もっとも、よくよく考えてみると
彼女も私も結婚の予定など、どこを見渡してみてもなかったりするので
まったくもって、ど〜でも良い話だったりするんだけれども。
やたらと恥ずかしくて汗をかいてしまった。
キジも鳴かずば撃たれまじ…である。
これからは「隠れ乙女」と名乗ろうかのぅ。とほほ。
恥ずかしい話を書いてみたところで今日の日記は、これにてオシマイ。
2002年06月01日(土) |
カンパネルラの思い出 |
読書日記に『銀河鉄道の夜』でも書いておこうとて
書き始めたはいいけれど、色々なことが思い出されてきて
やたらと脱線してしまったので、こっちの日記に書くことにする。
恥ずかしながら私にとって『銀河鉄道の夜』は「激ラヴゥ」の1冊で
もっと恥ずかしいことを書いておくならば
ネット・デビューした頃は「カンパネルラの妹」というHNを使っていた。
↑カンパネルラとは『銀河鉄道の夜』の登場人物。
あまり長すぎるHNは実用向きではない…ということに気付いてから
「カンパネルラの妹」というHNは返上してしまったのだけれども
今でも思い入れの深い名前だったりする。
話は逸れてしまうけれど、我が家には私と弟のほかにも
もう1人子供がいた……らしい。私の上に、男の子が1人ばかり。
死産だったそうなので、実際には「いない」も同然なのだけれども
両親にとって、初めての子供だった……ということと
「死産」という哀しい結末が衝撃的だったことから
私は小さい頃から両親や親戚から「赤ちゃんの時に死んだ長男」の話を
それこそ「耳にタコができる」ほど聞かされて大きくなった。
彼は、私にとって「幻の兄」のような存在だった。
ちなみに幻の兄は、物事がスムーズにすすんでいる時は登場しない。
たいてい何某かトラブルがあった時に話題にのぼってくるのだ。
もしも「あの子」が生きていたら、今頃は……みたいな感じで。
その後に続くのは、たいてい、この言葉。
そうでなくても、せめて白蓮が男の子だったら良かったのに。
正直なところ私にとって幻の兄は迷惑な存在だった。
「なんだぃ。私だって、けっこう立派にやってるぢゃないか」
などと悪態をつきながら、彼のことを忌々しく思ったものだ。
だが、そんな風に敵対視しながらも
どうした物か、私は自分の中で「幻の兄」の幻想を育てていたらしく
銀河鉄道の夜に登場するカンパネルラという少年に
いつしか、幻の兄の存在を重ねあわせるようになっていた。
ちなみにカンパネルラは「ドラえもん」に登場する「出来杉くん」のように
よく出来た少年で、物語のラストで姿を消してしまうのだが
「現実であって現実でなし」というシュチュエーションも
どこか自分の作った幻想とマッチしていてお気に入りだった。
だから「カンパネルラの妹」だったのだ。
カンパネルラの妹は、兄を慕い、兄のようになりたいと思っていた。
頭が良くて、優しくて、男前で(男前は私の中のイメージ)、頼り甲斐があって
カンパネルラの妹は、兄の後ろにくっついて行けば良いのだ。
なんて素敵♪ 妹は甘えっ子と昔から相場が決まっているし♪
どんどんと大きな存在になっていった幻の兄だったが
今の私は、もう彼の存在を必要としない。
何一つ助けてくれない「出来杉くん」よりも
まったく出来は悪いが、そこにいる「のびたくん」的な愚弟の方が
当たり前だが、よほど私の力になってくれている。
それに……
カンパネルラは「サソリの火」に焼かれてもかまわない…と言ったが
私は「サソリの火」になんて焼かれたくない。
今を生きて、やりたいことが、いっぱいあるから。
なんとなく憧れてはいるけれど、カンパネルラは憧れの王子様であって
幻の兄でも、なんでもないんだよなぁ……と今は思っている。
つらつらと、たわいもない思い出話を書いてみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。