ゆらゆら日記...カヅミ

 

 

昨日、家に帰ると - 2002年05月30日(木)

部屋に入れたら邪魔になるから、と言って家の前に積んでいた新聞紙が
なくなっていた。ポストに何故、「新聞を読まないんですか?
契約しているんですよ。」と書かれた新聞の請求書が入ってた。
契約しているとするなら俺が保存していた新聞を持っていくのも
どうかと思うけど。新聞、授業で必要なのに。
そして、今日は新聞が届かなかった。


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あ - 2002年05月29日(水)

授業中、携帯がなって追い出された、鬱。


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ライブ - 2002年05月25日(土)

#Gのライブだった、正直もうウンザリ。だるかった。
馬鹿屑の多さにも辟易した。
アンコールのひさ子さんの歌は良かったな、意外と上手くて
びっくりした。


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学校サボった - 2002年05月20日(月)

そして、ウィーザーのライブを見た。1STの曲を5曲もやってくれたので満足。
それにしても往復8時間はきつ過ぎる。


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友達が来た。 - 2002年05月19日(日)

起きるのもなんだか嫌でだらだらしてると、溝上君から電話があって
起きた。家にビデオと本を返しにくるそう。なので待っていると
やってきた。手持ち無沙汰っぽかったので三国無双やる?と聞くと
YESというのでやってもらった。携帯を買ったことなどを話す。
三国無双にも飽きた頃、溝上君が部屋の掃除をしようと言い出す。
確かに、殆ど床が見えなくて床が10センチほど高くなっている現状を
見たらそういいたくなるのもわかる。で、掃除した。
2時間ほどやったがあまり綺麗にならなかったのでいい加減、疲れて
飯を食いに行った。部屋に戻るのがちょっと憂鬱。
溝上君とわかれ、10時に情報センターで待ち合わせてた和田君とネットをする。
部屋に帰りたくない。



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携帯を買った。 - 2002年05月18日(土)

2,3時間ずっとまどろんでた。
昨日の(正確には今日)寿からの電話でそろそろ買わないとな、と思い
起きてから(3時に起きた)1、2時間程だらだらとしてた。
そして、AUショップへ。
5時半に契約、その他諸々が終わり6時半に出来上がるということで
時間つぶしにゲーム屋さんへ。真三国無双2を5000円で買ってしまう。
ついでにプロミスリングとディペッシュモードのCDも。
携帯の代金が1800円だったのでこれはいいやと思い、散財してしまった。
機種はなんか二つ折りの上の部分を模様替えみたいにつけ換えられる奴。
GPS携帯は売切れだった。残念。写真がとれるのが良かったのに。


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誕生日 - 2002年05月17日(金)

朝起きて、学校に行き、がんばって勉強し、いや授業を2つサボったけど。
ネットをやった後、帰路に着き、家に帰ったあとは誕生日だからなんか良い事が
あるかな、とか思いながらボケーっとしてた。
で、夕方になって誕生日だからということで結構、豪華な食材と酒を買った。
飲んで食べた。風呂に入ると半端じゃなく気持ち悪くなった。
時計は0時を指していた。すると寿から電話がかかってきた。
誕生日だからということでかけてくれたらしい。
午前4時ぐらいまで話した。もう何を話したかよく覚えてないけど
嬉しかった。


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BEAT HAPPENING - 2002年05月15日(水)

ボックスが来た。再配達を3回してもらった。取り敢えずうれしい。
ゆっくり聞いてこうと思う。しかしダブったのをどうしようか。

なんもすることがなかったので、先週の土曜日に借りた映画を見ることにした。
名前ははっきり覚えてないけどエレクトリック80000万Vとかいう映画。
結構面白かった。かかってる音楽もかっこよかったし、ただしギターウルフは
抜かします。でも、映画の雰囲気にはあってたけどね。浅野の弾いてるギターの
ノイズには痺れました。


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いつのまにか - 2002年05月14日(火)

日記を書くことに対してサボり癖がついてしまった。
つうか元来、俺は何事に対してもやり通した事はなくて、あるとすれば
ゲームをクリアーするとかそのくらい。まあ、そんなことはどうでもいいのだけれど
それならば何故、俺は今まで日記を毎日書きつづけて来たのだろうと考えると
やはり、それは毎日、だらだら生きてく中で俺の中の真面目な心が何かひとつぐらい
生活の中でちゃんとしておかないと、と思ったのだろう。結果、俺は狂ったように
学校はサボっても日記はサボらないといった、ちょっとおかしな感じに
なっていた。今は学校にも真面目に行ってるのでそういう、何か真面目に
やっておかないとまずい、という気持ちも働かないのでネットも前に見たいに
1日ぶっ続けでやったりしないで長くても3時間ぐらいで切り上げるように
なった。他に要因をあげるとするならネット生活に飽きたっていうのも
あげられるんだろうけど。

COMIC CUEを頼んでたのだが来ました。6冊。
すごく面白かった。


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猛スピードで母は - 2002年05月13日(月)

「猛スピードで母は」という本を読みました。関係ないけど「母は」の部分は
変換しないと「ははは」ってなります。この作品、この前の芥川賞に見事に
受賞してたけど、結構、酷評されてたような気がする。特に石原慎太郎が
めちゃくちゃ言ってた。まあ、殆どの作品を貶してたけど。
作者の名前は忘れたけど、この人、「サイドカーに犬」って作品でも芥川賞の候補に
選ばれてて、それが確かデビュー作だったような気がする。なんかの新人賞を取って
芥川賞候補に選ばれるというお馴染みのパターンで。
芥川賞自体も新人賞なんだけどね。

で、作品自体は平易な文で書かれてて小学生でも読めるような感じだった。
内容も俺のイメージでは小学生の課題図書といった趣。でも、非常に面白かった。
主人公の母親がすごくかっこいい。同書収録の「サイドカーに犬」がこれまた
面白かった。俺はどっちかというとこっちの方が好きでした。
主人公が女だってことに十数ページ読んだあとに気づいたときはちょっと
悲しかったけど。


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初免許更新 - 2002年05月07日(火)

今日は学校があるんだけど福岡にいるのでいけない。

朝早くに起きて免許更新をするために車で1時間ぐらいのところへ母親に
送ってもらって行った。ちょっと緊張していたが、実際行ってみると
大した事が無くて拍子抜けした。簡単な流れ作業の手続きで終わった。
母親は仕事があったので俺を送っただけで仕事に出掛けた。なので
俺はバスを使って自宅に帰らなければならない。せっかく外に出てきたの
だから遊んで(CDを漁りに)行こう、と思って天神に行った。福岡にも
実は結構マニアックな店があるらしいけど、歩くのがめんどいので
バスから降りてすぐのショッパーズのタワーレコードに行った。
確か半径100メートル以内のところにHMVもあったけど何処にあるか忘れたので
タワレコ、ショッパーズの8階へ向かい、取り敢えず片っ端から試聴。
特に良いのがなかった。スーパーカーとかインディーズのエレクトロニカが
結構良かったかもしれない。でも、どうでも良かった。朝から何も食ってないので
腹が減ってしょうがない午後の1時くらい。洋楽のCLUBコーナーに行って
名前が聞いたことがあるのが無いか探す。見つけた、TO ROCOCO ROT
手にとって説明文を読む。「まったくもって素晴らしい。」と書かれているので
買う。クッキーシーンもついで買う。何か物足りないので邦楽のインディーズ
CLUBコーナーを見る。ゼニゲバ、渋さ知らず、渚にて、ROVO、突然ダンボール
などがあってどれか買おうかと思ったりする。でも、本当に欲しいのは
テニスコーツやマヘルシャラルハシュバズであったわけなのでどうしようもねえ、
とか思ったりもしたりする。すると七男旅人の例の2枚組みのCDが目に飛び込んで
来やがった。試聴できたので試聴した。1曲目でやられた。気がつくと
ショッパーズからいつのまにか出るところで手にタワレコの袋が2枚。
お金も1万円(祖母からもらった)近く使ったので帰る事にした。
時計などを持ってないのでよくわからないが1時間近くバスを待つ。
その間、クッキーシーンを読んでいると、テニスコーツのインタビューが
載っていた、嬉しい。古守泉が連載してる答えの変わりに平手打ちって奴と
うんこ次郎の漫画を読んだ。この2つも好き。後ろに座ってる婆がすげえ
むかついて、途中で読むのを止めた。
で、家に帰って七男旅人を聞いたんだけどすげえ良かった。


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服 - 2002年05月06日(月)

寝ていると父親に起こされ服を買いに行った。
ボーダーのシャツとジーパンとソックスを買った。
ボーダーのシャツは父親が選んだ。
明日は学校があるのだけど行けないので友達に
電話して代わりに行ってもらうことにした。
飯を3回奢るから、と言って。


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星野の里 - 2002年05月05日(日)

家族で祖母の家に行った後、祖母を伴ってそのような場所に向かった。
結構退屈だったけど、そこは蕎麦の生産地らしく、そう言う関連の
情報(写真、歴史など)が陳列されてて、なんとなく気を紛らわした。
昼に食った茶蕎麦が上手かった。剣玉が100円で売ってたので弟に
買ってやった。その後、池に行き、鯉がいたので葉を投げて鯉が
食べようとして吐き出す様を観察した。弟は剣玉の玉の方を投げ入れていて
鯉に食べさせていた。結構食いついていた。神社があったのでお祈りしておいた。
何を祈ったかは忘れた。
帰り道に祖母が羽が生えた犬の銅像があるとかアルツハイマーっぽい発言を
していたが、実際にあって驚いた。伝説があるそうで駅の名前にもなってるとか。
祖母の家に戻り、バーベキューをした。その後、従兄弟とゲームをして
遊んで帰った。

家に帰った後、小林君に連絡をとり、夏にやるバンドについて話をした。
夜の10時くらいから朝の5時くらいまで、寿などと携帯で連絡を
取りつつバンド名を決めた。あと、小林君と俺で20曲くらい夏までに
作ってることも決めた。多分、上手くいかないだろうけど、頑張って
やるつもり。小林君が「古賀君に引っ張られるんだよ」と寿太郎に
諦観を含んだ物言いで言っていたが高校のときには向こうが「バンドをやろうよ」と
目をランランに輝かせていたのは俺は忘れてないです。
詳しく言えば「古賀君がやるなら俺もやるよ」と。俺は当時エレキギターを
持ってないのでやりようがねえ、と思い断ったんですが。
ついでに言うと小林君もシンセしか持ってなかったはず。
それで思い出したけどギターよりシンセのほうがかなりまし、なのだそうで
小林君はシンセをやるらしい、本気かどうか知らんけど。


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福岡に帰る日 - 2002年05月04日(土)

夜8時、駅に着くと酒をかっくらってる屑みたいな親父が独り言を
壁に向かって喋ってた。ああは成りたくない。


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