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2014年11月27日(木)
pafe.GWC 2014『歌舞伎ラボ 実験上演』

pafe.GWC 2014『歌舞伎ラボ 実験上演』@学習院女子大学 やわらぎホール

受講してきましたよ〜。pafe.GWCとは『学習院女子大学 パフィーミングアーツフェスティバル(performing arts festival at Gakushuin Women's College) 2014』の愛称。今回で十周年だそうです。正門入口に学生さんたちが待っていて、次々に「ごきげんよう」と声を掛けてくれました。ホールに入場すると、既に前座の『聞かなくても損はしないけど、聞くと得をするかもしれない前座講義』が始まっておりました。「伝統芸能の歴史的名演を木ノ下裕一がマニアックにナビゲート」とのことで、美空ひばりとか義太夫の方(名前失念)の名演音源が聴けました。

さて開講。ちゃんとチャイムが鳴りました、久し振りに聴く音だ…なんだか背筋が伸びますよ。直前、同じ列に座って来たひとをふと見ると、新悟くんのご両親…そうです彌十郎さんと奥さまです。キエー緊張する(離れてはいたけど間に誰も座ってなかったので尚更)! 新悟くんの授業参観みたい(笑)。以下メモから起こしているのでそのままではありません、ご了承ください。明らかな間違い等あればご指摘ください。

皆さんラボらしく、白衣を羽織っての登場です(武谷さんは蝶ネクタイにスーツ、新悟くんは羽織袴の上に白衣。宣美の衣裳と同じ?)。

二部構成。まずは『歌舞伎ラボ』の活動方針と自己紹介。ラボは昭和八十九年に設立。今回の催しは学会研究シンポジウム、とのことでした。

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木ノ下裕一:所長・研究員
坂東新悟:研究員・歌舞伎研究部門室長
武谷公雄:研究員・現代演劇研究部門室長
関亜弓:理事長・進行
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武谷さんは早稲田大学の演劇サークルで土を食べたり裸おにごっこをしていたそうです。ははは、劇研をはじめとする早稲田の演劇サークルのイメージを裏切らない。新悟くんは歌舞伎界に送り込まれたスパイだそうです。何のスパイかはわからない。ふたりともあることないことしれっと言うな! 自己紹介の際デモとして、松谷さんが『麦秋』の原節子と子役、『北の国から』の五郎と純、『古畑任三郎』の田村正和、無声映画『雄呂血』の阪東妻三郎を模写実演。「田村さんとバンツマ、父子両方とも出来るんですね〜」と木之下さんがさりげなく解説。このときはゲラゲラ笑って観ていましたが、時間が経つにつれ松谷さんの「模写から役を作り上げる」技量をまざまざと思い知ることになります。

まずは学生からのアンケート回答をもとにディスカッション。「歌舞伎を観たことはある?」「観たひとは今迄に何回観てる?」「歌舞伎と聞いて連想することは?」「歌舞伎に対して思うことは?」の設問で、面白かったのは歌舞伎と聞いて連想することの三位が「海老蔵」だったこと。「六本木の件もありましたしねえ」と木之下さん、ギリギリなコメントをぶっこんできました(笑)。あかん面白い。しかし木之下さんのコメントは歌舞伎をはじめとする伝統芸能への愛が溢れまくっていて、こうしたツッコミも楽しく聞けてしまいます。

さてここから本格的な実演に入ります。歌舞伎と現代演劇の違いを4セクションに分け、武谷さんと新悟くんがそれぞれ演じてみせる。

1. 女形
新悟:歩き方、所作等女形の型を実演。流麗な動きにほおお…と言った声があちこちから。「内股にするため、膝に紙をはさんで歩くと言う稽古方法もあります」。お姫さまと町娘、老齢の女性が自分を指差す所作等、細かい型も見せてくれる。「お姫さまはおっとりしてる、町娘は元気がいい感じですね」。「じゃあ鬱っぽい町娘は? 鬱なお姫さまは? 気持ちは姫の町娘は?」と木之下さんがじゃんじゃんお題を出すと、ぽんぽん応じていく。これがちゃんと“そう見える”!
武谷:蜷川幸雄演出『王女メディア』、平幹二朗演じるメディアを模写。ちゃんと音楽もかかる。「男であることを隠さない女形なんですね」。

2. 身体
新悟:歌舞伎舞踊『鷺娘』、鷺足の型を披露。武谷「それ、鶴でも使えそう」。
武谷:『夕鶴』、山本安英演じるつうの模写。木之下「歌舞伎は様式、新劇は形態模写やね」、武谷「スタニスラフスキーシステムと言うのがあってですね!」、木之下「雀もできひん? 夕雀」「じゃあ孔雀は? 夕孔雀」、次々やってみせる武谷さん。「チュン♪」「いっちょにくらちゅのよ〜」とか言う。孔雀のときの声色は、木之下「美輪明宏に似てる」。大ウケ。

3. 台詞
武谷:鈴木忠志演出『トロイアの女』、白石加代子を模写。あまりに迫真のため、新悟「こわい!」。木之下「鈴木メソッドですね。身体と言葉が分離している」「こういうところは歌舞伎に近い。新劇よりもアングラの方が歌舞伎と共通性がある」。強力なメソッドなので、なかなかこの型が抜けないと白石さんが言ってた、って蜷川さんが言っていたなあと思い出す。
新悟:黙阿弥『三人吉三廓初買』、お嬢吉三の七五調「月も朧おぼろに白魚の篝かがりも霞む春の空〜こいつぁ春から縁起がいいわえ」。木之下「意味を考えちゃうと、何言ってるか解らないと感じますよね。調子(リズム)重視と言うか」、武谷「だいたい内緒にしとかなきゃいけない、お金をとったことを…」、木之下「言いふらしてる!」、新悟「台詞の意味をすんなり解らせないで伝えるために、まわりくどくなっているんだと思います」。

4. 劇構造
武谷:いやーこれは見モノでしたよ、岡田利規『三月の5日間』! 木之下さんとふたりでどんな構成の戯曲か説明している…と思いきや、いつのまにか劇世界のなか。どこから台詞だったか判らない。そしてさりげな〜く新悟くんが舞台に上がってくる。台詞を口にはしていないけど、あのだらっとした現代の若者のたたずまいはチェルフィッチュの出演者の身体表現! 貴重〜! 武谷「『おー』『あー』『えっとー』とか、ちゃんと台詞に書かれてます。あのだらっとした動きも全部ト書きで指定されてるんです」。木之下「新悟さんチェルフィッチュから出演依頼来るかもしれませんよ」。
新悟:実盛物語(『源平布引滝』)。新悟くんのこのかたり、声色が海老蔵さんに似てるな〜と思った。口跡はまた違うんですが。木之下「入口が違うんですよね。歌舞伎は『この強度で行きます! これはものがたりです!』って最初に見せてそのまま行くんですよね。チェルフィッチュはリアルからすうっと劇世界に入る」。新悟「舟も風も再現しますからね。自然現象を表す型もありますし」、木之下「扇子をバッと振ることで風が表現されたり」、武谷「強度がすごい」。

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休憩をはさみ、後半はこれらの手法を応用し『壺坂霊験記』第一景を実演してみる異種格闘技戦。「歌舞伎と現代演劇は共演出来るのか?」。新悟くんは和装、武谷さんは洋装の稽古着に着替えて臨みます。舞台の上には火鉢とスリッパ。『壺坂霊験記』は九月の『やごの会』で、沢市=彌十郎さん、お里=新悟くんで上演されたものが記憶に新しく、細かいあれこれを楽しく観ることが出来ました。

1. 沢市=武谷、お里=新悟。どちらも歌舞伎調
武谷さんの沢市、彌十郎さんの模写かな?

2. 沢市=新悟、お里=武谷。どちらも現代劇調
武谷「杉村春子調でやります」。「最初の歌は明るいものでやってください」と言う木之下さんのリクエストに、新悟くんはエアギターの「恋するフォーチュンクッキー」で応え大ウケ。その後もノリノリ、「ぶっちゃけ」とか「〜じゃん!」とか言う。それを受けて武谷さんもノリノリ。木之下さん笑いつつも「主張強過ぎ! 抑えて!」とダメ出し(笑)。「話が小さいね〜。渡鬼の音楽がかかる」。

3. 沢市=武谷=現代劇調、お里=新悟=歌舞伎調
武谷さん冒頭の弾き語り「涙のキッス」、新悟「サザンオールスターズなんか唄うて」とアドリブで応酬。木之下「選曲が安直だねー」。木之下さんズバズバ言いますが、合間にこの場面で沢市が唄っている歌詞の内容等をさりげなく説明していきます、こういうとこ流石。この辺りから、演者が作品の台詞は勿論その構造、言葉の意味を身体に叩き込んでいるのでどんな要求にもすぐ応えられるのだと実感してくる。と同時にお互いがお互いのジャンルを翻訳する実力にも感服。

4. お里の「くどき」を新悟くんが実演(歌舞伎調)
浄瑠璃(録音)が流れ、歌詞の内容をプロジェクターで映写。木之下「全身で表現するんですね。オペラのアリアみたい」。

5. お里の「くどき」を武谷さんが実演(現代劇調)
劇伴は同じ浄瑠璃。木之下「ジェスチャーになるなー、心情表現になっていかない」。

6. お里の「くどき」を新悟くんが実演(歌舞伎調)
劇伴を中村美津子「壷坂情話」で。木之下「タイトルから判るように、このお話からインスパイアされた歌なんですよね」。前奏が長く曲調も明るい。いまいち。

7. お里=新悟=歌舞伎調、沢市=武谷=現代劇調と歌舞伎調のミックス。「くどき」場面から最後迄通す
劇伴をJ-POP。木之下「なんだっけ、あのー女の子のヴォーカルのグループの、ELT?(ここに辿り着く迄にいろんな間違った名前が出た(笑)。木之下さんJ-POPには弱い様子)の歌の歌詞をくどきの替え歌にして、歌の上手な学生さんにカラオケで唄ってもらいました。上手でね〜、準備いいでしょ」。この歌詞ってのが突然の疱瘡でつらい暮らしを強いられたよね〜♪とか、それでもその目に光は差さない♪とか、もう、見事で(笑)。終盤には忌野清志郎「JUMP」もかかりました。ここらへん即興で対応したようです。こ〜れ〜が〜合ってた!
ここらへん、木之下さんが『東海道四谷怪談』上演の際指摘していた「その時代における流行歌」と言うことですよね。当時の歌舞伎の舞台には、そのときの「ポップス」が流れていたのだから、それを現代劇に翻訳するなら音楽も今のポップスで成立するのではないか、と言う試み。

最後に、実演してみた感想を。

武谷「面白かったです。歌舞伎の身体は型を体感して理解している、だから柔軟に動ける。近代の劇は型がないので悲しい」。
新悟「型がないところから作っていく現代劇は模写等を駆使出来る。歌舞伎は鷺は出来ても、そこから孔雀をやることは出来ない」。

い〜や〜むたむた面白かった…木ノ下さんの探究心と発想力はすごいなあ。実験と言いつつちゃんと“見せる”ものになっている構成も見事。武谷さんの観察眼と、それを即身体に落とし込む技量にも脱帽したし、新悟くんが演じる現代劇が観られたのも貴重でした。ホントにチェルフィッチュから出演依頼が来たらいい!

口々に「面白かったわねえ」と言いつつ帰っていく方多数。次回があったらまた行きたい!

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メモ。

・歌舞伎ラボ公式サイト

・歌舞伎ラボ(pafe.GWC2014)(@kabuki_labo)
twitterアカウント。稽古の様子などが見られます。期間限定で新悟くんもツイートしてたよー

・歌舞伎ラボ - Togetterまとめ



2014年11月26日(水)
『DOUBLE TITANS TOUR Vol.5 ― Brutal Truth Fare Well Tour in Japan』

『DOUBLE TITANS TOUR Vol.5 ― Brutal Truth Fare Well Tour in Japan』@LIQUIDROOM ebisu

FarewellじゃなくてFare Wellってなってるのはなんか掛けてるっぽい。と言う訳でBrutal Truth×Napalm Death×SxOxB、米英日グラインドコア祭りです。出順はSOB→BT→ND。遅刻してSOBは最後の三曲しか聴けず、混雑でステージ上は全く見えず。ひと多かったってのもあるけど、なんかガタイのいいひとが多いんだよ…背も高くてな。転換時ひとが動いてようやくフロアに入れた。上手後ろの段差のあるところを確保して、それからは視界良好。セッティングにダン・リルカが出て来た途端に大歓声。そう、この日はリルカ先生の卒コン(掟さん名言・笑)だったのです……。知命を迎えたのを機に、フルタイムでのレコーディングやライヴ活動から引退することにしたとのこと。今後は裏方をメインにやっていくようです。

ステージからフロアを撮影しようとするリルカ先生に向かって歓声をとばし、メロイックサインで応える観客。先生怖いイメージなんだけどこの日はなんだか柔和なたたずまい、終始にこやかでしたよ。ちょっとしんみり。リッチ・ホークもフロア撮ってました。さよならなのねと言う実感がじわじわ。

しかし始まってみれば阿鼻叫喚です。BTの来日で面白かったことと言えばパンツが飛んだ話なんですが(まあ多分、その場で脱いだり脱がされたりしたんじゃなくて、着替え入れた荷物持ってフロアに降りちゃったひとがモッシュに巻き込まれて蓋が開いちゃったとかしたんでしょう)今回はなんと柵が飛びましたよ。いや、飛ぶってのは大袈裟だが、前列の柵が倒れたか抜けたかして、客がワッショイワッショイ担いでたと言う…クラウドサーフのひとを運ぶみたいに。何が起こってたんだよ前方では。やー昨今はダイヴ禁止とかやめてくださーいとかありますけど、この辺りのひとたちは怪我しても納得のうえでやってるんでしょうからイヴェンター訴えたりとかしませんよね。そして前に行くのは対処に慣れてるひとたちなのでひとに乗るのもひと運ぶのも上手い、中断もなく怪我人も見なかった。正直言って、こういう場が残っていることにほっとする。次々とステージへと泳いでいくひとたちを見てえびす顔でした。

それはともかくいいライヴだった。音がちいさめだったんだけど(耳栓要らなかったしね)、分離もよく皆の音がよく聴こえた。やっぱリッチすごいな! パワーで押す感じじゃないのに音はすごい強力。顔芸はすごいが力んでるふうではまったくない演奏、なのにビートは速いわ鋭いわ。ケヴィンはほんとゴムマリのよう…むっちゃ弾けてました。そしていろいろ挨拶もしてくれた、SxOxBとかとっつぁんの話もしてた。バンド自体の活動も長いけど、日本との交流も深いひとたちだけにしんみりした。リルカ先生はデス声と喋り声のギャップが素晴らしいです。いやー盛り上がった楽しかったしみじみした、二番手だけどアンコールもやってくれました。

さてネイパームデス(て発音されてた)、お初です。確かオリジナルメンバーは残ってないんだよね。ヴォーカルは何代目なんだろう…しかしこの方がいい味出してて。短髪だし(kaollyさん曰く「彼はパンクスだね」)フランケンみたいで。あのー判るひとにしか判らないたとえですがReefのゲイリーみたいな動きをする方でした。プチャヘンズオン! そして唄ってないときはずっとニコニコ、フロアからの声に律儀に応えていましたよ。「次は新曲だよー」とかいちいち言ったりして。終始「バーニーさーん!」と叫んでいる男子がいて、その子にいちいち笑って返事してて、しまいには「で、君の名前はなんて言うの」と訊いていた(笑)。ケヴィンのテンガロンハット被って唄ったり、かわいらしい感じでした。そんなひとがあんな声出すんだもんなあ……そしてNDは音もちゃんとデカかった。バランスもよかった。

リルカ先生の花道を彩れたかしら…と余韻を噛み締めつつロビーに出るとひとだかり。なんとケヴィンがいる! にこやかに、ひとりひとり丁寧に対応していましたよ。よい笑顔。有難う有難う。

いやーいいおまつりだった…ケヴィンやリッチをもう日本で観られることはないのかしら。何か新しいこと始めたら、そのときはきっと来てね。

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その他いろいろtwitterより。

・BTセットリスト
最後と言うこともありベスト選曲、『need to control』から多め。ううう

・Twilog date-141126
・Twilog date-141127
掟ポルシェ(@okiteporsche)さんの愛にあふれたtwilog。様子がとてもよくわかる(笑)リルカ先生のインタヴューどこに載るのかな、楽しみ!

・kaollyさんの描いたケヴィンとリルカ先生
あまりにもかわいいのでリンク張る。そうそうドロンパ思い出すんだよねー(笑)ケヴィンのおなかの★。今はどうなっているのか…超新星寸前なのかなーと思ったりもする……。かわいいんだけど健康面でときどき心配になるよね…かわいいんだけどね……(何度でもかわいいと言う)
そしてこうやって見るとリルカ先生はセサミストリートのエルモやグローバーに似ている。鼻の形とか腕脚が細くて長いとことか

それなりに痩せてた時代。

ゴムマリちゃんになってからは上脱いでくれなくなったのよね…今日も「アツイ!」て言ってたけど脱がなかった。何度も来てるからか日本語の発音いい

・本日のYou Suffer
トリビアの泉でも紹介された「演奏時間が一秒しかない曲」。ライヴではmouse on the keysのカヴァーでしか聴いたことがなかった(それも貴重やん)この曲、本家の演奏で聴けて感無量でございます…やっぱわくねーこれ。やる方もしてやったりってにんまりした顔するよね(笑)



2014年11月23日(日)
『高畠俊太郎 debut 20th anniversary live “'14←'94”』

『高畠俊太郎 debut 20th anniversary live “'14←'94”』@shimokitazawa 440

高畠俊太郎BAND(B:石川具幸、Eg:松平賢一、Drs:松井香趣望)
GUEST:ULTRA POP(Eg:岩崎崇、Drs:片野城、B:石川具幸)
DJ:Naoki Uozumi

15th anniversaryからもう五年かね〜時が経つのは早い。そしてウルトラポップ再結成の告知に気付いたのが二週間前。いや…当日仕事で陸の孤島に詰めっぱなしになるのが判っていたので、行けないかも〜当日券でいいかな…なんて思ってたんですよね……。しかしウルトラポップが出るとなると当日券出ないかもよ? もし行けたときのために前売り買っといた方がいいよ! と慌ててチケットとった。案の定その後前売りは売り切れた。三連休中日と言うこともあり、遠方から来たひとも沢山いたようです。

なんとか仕事を抜けられ間に合いました。十五周年のときは開演時間を間違えると言う大ポカをやらかした(…)ので今回は最初から観られて嬉しい……。開演前ずっとこれ↓+その頃のもろもろ映像が流れていてウケたウケた。



1988年のリハ映像とかもあってこれがもう…俊太郎十代! 若いってか顔が子供! か〜わ〜い〜い〜(笑)。いやーしかしこのひと若いよねー今も。歳上とは思えないわ……。いっつも思うがいっつも瑞々しいなー、このひとは。曲も声も本人も。

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・高畠俊太郎BANDセットリスト(12
01. Time
02. into the sleeping side
03. I just think
04. 花
05. silent
06. beautiful days
07. pev
08. seeing
09. Luky one
10. hum as you go
11. summer rider
12. C-C-C
(俊太郎はVo、04.〜06.Ag、07.はPf、あとはEg)

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出てきた俊太郎はやっぱり瑞々しくて、終始笑ってて、テンパってた。二曲目にしてカポ忘れた! ちょっと待ってて! と楽屋に駆けていき、なかったどうしよう! あれ? あれ? って戻ってきてピアノの上に置いてあったのに気付いて、自分で自分に爆笑してた。その間ずっとアドリブで演奏してたメンバーもニコニコしてた。

バンドを続けていくことはとても難しい。人間関係、メンバーそれぞれの生活や体調の変化。永遠に皆が同じものを目指し、同じ方向を見続けることは出来ない。自分の力だけではどうにもならないのがバンドだ。とても面倒でやっかいなことでもある。俊太郎はソロアルバムもリリースしているし、オールラウンダーなプレイヤーなので、ひとりで出来ないと言うことはない。それでもバンドに拘っている。ソロで活動を始めたのはやむを得ずと言う状況からで、かなり葛藤があったようだった。ウルトラポップのことを、何度も「先輩後輩で結成したバンドだし」「幼なじみから始まったものなので」「体験していることや見ているものが同じなので、笑いのツボも同じ。言葉に出来ない部分の感じ方が同じ」と言っていた。「青春だから」とも。

俊太郎に二十年前何してた? と訊かれた松井さんは、小学一年生でランドセルしょってました。と応えた。そこから二十年にもいろいろあったよね、僕の二十年にもいろいろあった、憶えていることだけでもホントにいろいろあったんで、憶えてないことも入れたらそれはもう。今日来てくれた皆にも、それぞれの二十年があったよね、それを振り返って、いろいろ考えて、今日は楽しんで帰ってください、と俊太郎は言った。

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・ULTRA POPセットリスト
01. ドーパミンの海
02. マリコ
03. メリーゴーランド
04. 退屈と毎日
05. Yellow Body
encore
06. 星ニモ負ケズ
(俊太郎はVo、05.Voのみ(ハンドマイク)、06.Ag、あとはEg)

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「どうせだから思い切りサイケなやつばっかやろうと思って」「二十年前にこんなんやってたら売れないよね〜」「明らかに変わったのが『メリーゴーランド』。もう全然違うでしょ? 何?! 何かあった?! って思うでしょ?」。話す度俊太郎は爆笑していた。メンバーも笑ってた。しかしその「売れない」音楽は、ある種のひとたちにはとてつもない衝撃を与えたのだ。二十年経ってもその衝撃は変わらないし、二十年経った今もその普遍性に驚く。フィードバックの轟音、空間を切り裂くようなカッティング、極彩色が見えるようなリフの絡み合い。バンドにおけるギターの魅力が詰まっている。自分のなかでギターバンド、と言えばやはり今でもウルトラポップとポインターだ。そこに唯一無二のあのヴォーカルがのっかる訳で、いくら本人たちが「大好きな音楽を完コピした」と言っていても、他にはない音とバンドなのだ。そしてそこからオートパイロットの、独自な音作りへとまた進化していった。

当時よりメンバーのたたずまいは柔らかくなった。しかしどんなに笑顔でいても、その演奏には、声には、歌詞には、うっかり触れると指を喰いちぎられそうな殺気がある。それなのにひとなつっこさもある。こんなバンド、他にはいない。今でもいない。

「今日はやること沢山あって大変で。でも始まってみればあっと言う間だね」「ホントはここで引っ込んで、これをアンコールでやるつもりだったの。でも引っ込まなくていいかーって。もう続けてやります!」と「Yellow Body」。インディー時代の初期曲で、「何?! 何かあった?!」の前だ。この屈託のなさ、ニヒルでシニカルな歌詞。同じバンドとは思えない? でも、その両極端を持っているのがこのバンド。ギターを置いて、ハンドマイクで、当時よく着ていたのと似た(まさか同じものでは…ないよな……いやでも体型変わってないしなー)青いシャツ姿で。「リハから唄いっぱなしで、もう喉が…声が出なくてごめんね」なんて言っていたけど、どの口が言うか。真っ青な空をスカーンと抜けていくような声で俊太郎は唄いきった。実質二度目のアンコール、再び「ホント声がもうガラガラ、ごめん」と言って「星ニモ負ケズ」。ハスキーな声でも、それは空へとまっすぐに飛んでいった。

終演後、フロアには沢山の笑顔があった。久々に再会したらしい友人たちや先輩後輩。「来てよかった」「またあるといいね」の声。この歳になると有事や不幸で集まることが増える。入院とか、葬式とか。ライヴで集まることが出来る、ライヴで久し振りに会うことが出来る。なんて嬉しいことだろう。そう、この歳になると「いろいろある」。それでも彼の作る歌と、彼の唄声はいつでも瑞々しい。「ウルトラポップは二十五周年、三十周年とまた集まりたい。そのためにまたこれからがんばります」とのこと。私も日々をしっかり暮らそう。

短い人生、聴ける音楽には限りがある。そのなかに俊太郎の音楽があってよかった。長生きはするもんだ(矛盾)! 仕事の疲れもありふらふらだったけど、なんとなくシモキタを散歩してから帰りました。この街で鳴り続けている音楽に会えてよかった。そして今、聴くことが出来てよかった。

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・MASS: 高畠俊太郎 20周年記念インタビュー 前編
・MASS: 高畠俊太郎 20周年記念インタビュー 後編
ウルトラポップ解散の真相とかさらっと喋ってらっしゃいます。初めて知った話もいくつか。バンドに拘る理由も。「どんな人と一緒に音楽を鳴らすか、それが大きな意味を持っている」。
そしてやっぱり上田現のことは欠かせない。長く短い、二十年

・MCで言及されてたけど今回カメラが結構入ってた。今後記事になるのを期待



2014年11月18日(火)
Jamie Cullum Premium Stage

Jamie Cullum Premium Stage@Billboard Live TOKYO

最新作『Interlude』はスタンダードナンバーのカヴァーを主に構成されたものでしたが、それに沿った企画ライヴと言うことかな?「Premium Stage」の来日公演です。一年に二度もジェイミーが見られるとは! 嬉しい! 1st setを観ました。

で、どうプレミアムかと言うのは会場に着いてから知りました。今回全く前情報入れてなかったので、入場してまず典型的なビッグバンド配置になっているステージに「???」となる。始まってみればジェイミーがヴォーカルに専念し、ピアノを他のプレイヤーにまかせっきりの曲が多い! ヴォーカリストとしての魅力が全開でした。他にたとえようがない全身音楽家。ピアノを弾いたり叩いたり乗ってステップを踏んだり(笑)、痛くないのかとこちらが心配になる程、自分の身体も叩きまくって音を出す。全ての音を演奏に注ぎ込む彼に長年虜なのですが、彼の声、そしてヴォーカリストとしての技量は本当に素晴らしい…と改めて噛み締めた次第です。

ホーンは日英(他の国のひともいたかも)混成、つれてきたメンバーと現地調達(笑)のメンバーの十三人。リハもそれなりにやったと思いますが、この手のジャズの方たちは毎日が本番のようなものなので全く問題なし。ソロも自在に入れてらっしゃいました。そして普段のジェイミーのステージはセットリストがなく、ジェイミーの気の向くままに始めた演奏にメンバーがガッツリ合わせていくと言うコンビネーションを必要とするものですが、今回はセットリストがあったようです。

とは言うもののキューを出す前後のイントロ、アウトロ、曲間はいつもどおりのフリーダムっぷり。スーツでビシッとキメて(でもやっぱり靴はスニーカーですよん)スタンドマイクで唄う姿(後述レポートの写真参照)はなんだかよそいきな雰囲気(七五三…とは……モゴモゴ)でしたが歌声は貫禄たっぷり。このギャップ! そして唄い乍らの登場(最初は姿が見えず騒然となる観客たち)、曲が進むにつれだんだん少なくなる服(最後の方ではシャツも脱ぎたい! とパンツから引っ張り出して暴れておりました。おなかが見えて客席から「あわわ(笑)」と声がとんでいた・笑)、マイクから離れて地声を客席の隅々に迄届かせるその姿はやっぱりジェイミーなのでした。ピアノに飛び乗ったときにはフロアが「キター!」状態でしたね。客席テーブル迄降りてきて、置いてあるおはしでグラスを叩いて唄いだしたときにはもう会場中大ウケ、大盛り上がり。そのままフロアを練り歩き、差し出されるプレゼントを受け取り、女性ファンの手をとりキスしと大忙し。その間ずっと唄ってる。そして唄い乍ら退場していったのでした。

前回オーチャードホールの公演ではピアノに乗ったり客席を練り歩いたりしたことを怒られちゃったみたいですが、今回は大丈夫だったかしら。終演後ピアノにスタッフが集まっていたのを見て「お、おこらないで…のびのび好きにやらせてあげて……」と思いましたよ……。かしこまった席でも素晴らしい演奏を聴かせられる地力のあるひとですが、観客としてはこういう場で気のむくままに動いてくれると胸がすく思いだったりもします。会場側にも都合があるでしょうし、そこらへんは難しいところですね。

はージェイミーのライヴはいつも素晴らしい。音源も勿論大好きだけど、音源だけでしか彼を知らないひとは、演奏する姿を見たらビックリするだろうなあ。そしてきっと虜になる。

・Jamie Cullum Concert Setlist at Billboard Live, Tokyo on November 18, 2014 | setlist.fm

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その他。

・ネクタイが長いのがかわいい。いや、ネクタイが長い訳じゃなくてジェイミーがちっちゃいんだ(笑)ベルトの下迄きちゃうのねーかわいいねー
・ピアノ弾くとき演奏し乍ら椅子の高さをなおしてたのがかわいい。ひとつのステージで複数のプレイヤーが同じ楽器を演奏するのってこういうとこ地味に大変ですよね。でも演奏し乍らってとこがジェイミーらしいね! ライヴの流れをとめないね!
・開演前食事してるとき「(カトラリーだけじゃなく)おはしも出てくるとこがいいねー」と話してたんだけど、それが楽器として使われるとは(笑)

・ビルボード初めて行きました。DXシートカウンター、ド真っ正面。小洒落てる! おちつかない! 
・しかし綺麗なとこでしたわーあのステージ背後のガラス窓の風景はうわーとなりますね。クリスマスシーズンに向けてLEDイルミネーションバリバリでしたが、他のシーズンではどんな感じなんでしょう
・開演するとカーテンを閉めて、最後に再びカーテンを開けて夜景とともに演奏を、って演出もニクい。いつもそうなのかな?

・駒野逸美ジャズトロンボーンBlog『ジェイミーカラム@ビルボード』
今回驚いたことは、ビッグバンドのメンバーに駒野逸美さんがいたこと。セプテットになってからのNKDS見逸ったままなんだけど、まさか菊地さんとこより先にジェイミーのとこで見るとは(笑)。
ご自身の快復経過についても書かれてありました。セプテットはもうないかも知れないけど、演奏も出来るようになっていってるそうでよかったです

・ジェイミー・カラム、ビッグ・バンドを率いたプレミアムな来日公演で極上のステージを披露│Daily News│Billboard JAPAN



2014年11月15日(土)
『いくつかの方式の会話』『皆既食 ―Total Eclipse』

FESTIVAL/TOKYO 2014 アジアシリーズ vol.1 韓国特集 多元(ダウォン)芸術『いくつかの方式の会話』@東京芸術劇場 シアターイースト

1941年生まれの女性の個人史を、1980年代生まれのアートチーム『クリエイティブ・ヴァキ』が検証、韓国の現代史に迫る。ここ九ヶ月で観た韓国映画のあれやこれやがすごく役立った…日付が出ただけで光州民主化運動だ! と判ったり(笑)。

彼女の個人史を三人の役者が体現する。見掛けは若者、語られるのは太平洋戦争、朝鮮戦争、敬愛する大統領(現大統領の父親)とその夫人の話。日々の生活。識字は独学。七十四年(韓国の年齢は数え年です)、どうやって日々の糧を得、こどもを育て、生きてきたか。日本との関わりも大きく、客席はひとしきり笑った直後しんとなる。日本上演用に新しく加えられたエピソード、演出の一部としての字幕デザインも面白かった。韓国に限らず、外国から日本はこう思われているのだろう。

後半、女性本人が登場する。ゴールドシアターを観ていることもあり、その身体の説得力に感銘を受ける。役者ではない彼女の動きや表情に見入る。政治に翻弄される、顔の見えない民衆のひとりが目の前に立っている。本編で言及される絨毯や人形等、持ち込まれている小道具は、彼女が日常で使っているものをそのまま持ってきたものだろう。自国の世界での立ち位置等鋭い指摘は、シンプルな言葉だけに重い説得力がある。見事な構成、演出でした。軽快なスタイルであり乍らかなりの見応え。

よだん。その女性、イ・エスンさんはヨガをやっているとのことで、そのポーズも披露。あの歳であの身体のやわらかさ! 絶対私より身体が曲がる(笑)よ、ヨガやりたい……。

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『皆既食 ―Total Eclipse』@シアターコクーン

役にぽんと身を投げ出す。乾いた演技で、過剰な叙情を一切挿まず、役への献身を示す生瀬さんと岡田さんが素晴らしい。あのランボーとヴェルレーヌの話なのでいくらでもウェットに出来るし、嘲笑の対象にすることも出来る。蜷川さんはそうしない。懸命に生きる人物をただただ見詰め、その行く末を見届ける。「(演劇など)軽蔑にも値しない」と言う台詞を舞台に載せる、その醒め方には恐れ入る。作品と登場人物、そしてキャストへの愛情と尊敬。この出演者とこのスタッフが揃う幸運と贅沢を、失ってから気付くのでは遅過ぎる。

まっすぐな喪失の物語。『わたしを離さないで』でも強く感じた、蜷川さんの描く痛切な“別れ”と“追憶”。大切なものをそっと掌で包み込むような、繊細で静謐、そして胸に迫る舞台。

パンフレットでも言及されているとおり、ランボーは万人が頷く美しさではなかった。しかし彼の詩に触れたひとは、誰しもその虜になった。舞台上にいるのはランボーの実体ではなく、ランボー自身が紡いだ詩と、ヴェルレーヌが人生を賭して描写した彼の追憶から成されたものだ。舞台に立つにあたり、その追憶の人物に肉体と感情を与えなければならない。岡田さんはその人物に血を通わせた。在りし日の歌のなかに生きる詩人がそこにいた。初舞台とは思えない身のこなし、“届く”声にも驚く。それらは終演後に改めて思ったことだ。つまり彼は、登場人物として見られる集中力を観客に与えてくれる力を持っていた。

中盤と終盤で繰り返されるひとつの事件。死を前にしたヴェルレーヌが思い起こすその場面で、ナイフはキスへと姿を変える。魂よりも身体を欲すると口にしていたヴェルレーヌは、追憶のなかでランボーの魂を抱きしめている。そしてその追憶は幻想だと自分でも気付いている。これらの距離感を体現する、生瀬さんの醒めっぷりが見事。アドリブかどうか判断に迷った「鼻血」などは、他の誰の目もないふたりきりの部屋で、寝室で確かにあったであろう睦まじいやりとりとしてひとときの安堵をくれる。ふたりの別れを決定的なものにした発砲事件、それにまつわる裁判は現代でもスキャンダラスなものだっただろう。その渦中にあって夢のなかにいるかのようなヴェルレーヌの佇まい、表情にも、距離感が顕れる。役を通した自分をも対象として見ているかのよう。

舞台が始まった早い段階で身重の妻を殴り倒し「あーあ、そういうやつな、おまえは」と観客に周知させているのに、生瀬さんの演じるヴェルレーヌにはどうしようもない魅力がある。それはこの作品が、ヴェルレーヌを含めた全ての人物を追憶の対象として描き、その“美しい魂”の都合の良さを生瀬さんが身体に落とし込んだからだろう。

このふたりのコンビネーション、彼らの地獄の道行きに花を添える(その交感がどんなに哀れなものであっても、花は花なのだ)登場人物たち。その人物たちが生きる場の美術、照明、音響。中越司さんの美術は、場内に入った途端にため息が出た。大きな窓とカーテン、姿なき風。目に見えるものが、目に見えないものの存在を認識させる。それは大人数投入されている(なかには出演者もいたそう)転換のための黒子も同様で、目に見えない(筈の)彼らの働きにより、登場人物たちは場所や時間を行き来することが出来る。パンフレットのリハーサルショットでは、井上尊晶さんの姿が目に留まる。

ナイフは蜷川さんにとって重要なイメージでもある。最近、『演出術』を再読している。演出手法、表現方法に変化はあれど、常に演出家の意識の底には千のナイフと千の目を持つ観客がいる。観客は、このナイフを拍手と言うキスに替えることが出来る。演出家とともに歩んできたスタッフ、カンパニーへ贈るキスだ。このカンパニーでこの作品を観られたことに、感謝の拍手を贈りたい。



2014年11月08日(土)
『サナギネ』

ベッド&メイキングス『サナギネ』@青山円形劇場

一日でマチネ:幼生サイド、ソワレ:成体サイドを観ました。双数姉妹による1994年の初演を観ているのですが、この形式になったのは再演からだそうです。そして今回の公演にあたり、上演台本として福原充則さんが新しく構成しなおしたところもあるようです。

もう全くの別ものと言っていいのですが記録として書いておくと、初演は『青山演劇フェスティバル〜女子高生1994〜』参加作品。太宰治の『女生徒』がモチーフ。チケットを東西南北の4ブロックに分けて販売(確か選べなかった)。幼生、成体と言う名前もついておらず。舞台は大きな壁で分割され、向こう側の声は聴こえる。それがお互いに影響を与えているかは判らないまま。壁は一度も開くことはなかった。と言うか、開く機能はついていない、そびえ立つ山のようなオブジェだったように記憶している。ベルリンの壁崩壊から五年、お互いは「向こう側」にどんな思いを募らせていたのだろう、などと思い乍ら観た。

美術も衣裳も白が基調、小野啓明さんと五味裕司さんがいぬらしきいきもので、不安定な女生徒を終始心配そうに見守っていた。衣裳や動きから成るふたりの容貌がとてもかわいらしかったのを憶えている。あと明星真由美さんがさんま食べたい食べたい〜とか言ってた(笑)、向かいの席に座った人物の心中を勝手に想像して喋るとかそういうのだったかな。ちなみに予算の都合上、片方のサイドしか観られませんでした(トホホ)。

と言う訳でその初演とも、(自分が抱いている)双数のイメージとも全く違う印象。ストーリーそのものもだが、双数と言うと観念的な言葉、抽象的な美術と衣裳を役者たちのエチュードによって実体化すると言うカラーがあった。と言っても、それは自分が観ていた1995年迄の印象だ。再演以降、劇団の方向性が変わっていったのかも知れない。そこへ加わった福原さんの視線には、生活の実感があった。ホームドラマのフォームを使い、人生を描く。ひとりの女性が故郷を出て行き、都会で流され、その自分をどうでもいいと思い乍ら、こんな筈じゃなかったとも思っている。過去の自分と未来の自分が、現在の自分の目の前に現われる。彼女たちは言葉を交わし、それぞれの時間を生きていく。過去の自分に説教されないように、未来の自分が達観したまなざしを持てるように。

『走れメロス』のモチーフは、福原さんの加筆によって大きくイメージが拡がったように思う。宮澤賢治のテキストもあり、『はぐれさらばが“じゃあね”といった』が思い出される。双数の観念=哲学はここに活きている、と感じた。ひとがひとり生きて死ぬ迄に、どれだけの生活が積み重ねられるのか。どれだけの思いが交錯し、他者の気に留められないまま消えていくのか。それが自分にとって、どれ程壮大な物語なのか。今回の演出版を観られてよかった。

幼生→成体と時系列通りに観たことになり、謎が順々に解かれていくような心地よさもあった。マチネで向こう側からどっと笑い声が聴こえる度(この日のマチネは成体サイドの方がドッカンドッカン受けている感じだった)何をしているのかなと思い、その箇所がソワレで判明すると二重の意味で笑える。余談ですがキンコのとらのバッグ、伊達直人=タイガーマスクかーい! と気付いたときの、目の前がパカーンと開けた感じは気持ちよかったわー(笑)。両サイドが繋がる場面、タイミングを合わせるための間を「チンポジをなおす」で埋めたところも最高。

青山円形劇場入り浸り。もうすぐお別れ。



2014年11月06日(木)
『From the Sea』

FESTIVAL/TOKYO 2014 アジアシリーズ vol.1 韓国特集 多元(ダウォン)芸術『From the Sea』@品川区某所(京急沿線)

F/T名物? 遠足(つれまわし)演劇。正しい名称はサイトスペシフィック・ツアーパフォーマンスと言うらしい。過去参加したこの手の作品中いちばん緊張感がありました。何せ役者と一対一、ゴーグルとイヤホンを装着し、視覚と聴覚を制限された状態で70分つれまわされる。最終公演も終わったので、以下ネタバレ込みで書きます。

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19:00〜19:30出発のチケットを購入。10月22日、集合場所の案内がメールで送られてきました。京急本線、立会川駅。初めて行く場所なので当日は早めに向かい、しばし駅周辺を散歩したりお茶などする。

・立会川駅 - Wikipedia

ネットカフェならぬパソコンカフェと言うところに入った…商店街の感じもなんだかなつかしい雰囲気。坂本龍馬ゆかりの地だそうで、立像などもありました。関連して? 馬グッズもいろいろ売られていた(笑)。うろうろするうち、ゴーグルをした女性とスーツの男性が腕を組んで歩いているのを発見。わっ、あれ、そうだな。なんだか緊張してきた。

時間が来ました、商店街内の受付へ。身軽がいいので荷物は預かりますが、スタートとゴールの場所が違い、15〜20分程歩いて戻って頂くことになります。どうしますか? と言われる。先程見た参加者の様子からして、手ぶらの方がいいなと思ったので終了後戻ってくることにする。ゴーグルとイヤホンの装着、調整、説明を受ける。小雨が降っていたので合羽も着せてくれた。そうだなあ、傘も邪魔になりそうだったものな。さて出発、受付から数軒先のビルのなかに連れて行かれる。階段をあがると右側にちいさな部屋がある。入った右側の窓沿いにベッド、正面にポータブルレコードプレイヤー、その向かい(つまり階段側)に椅子が二脚置いてある。ちいさなテーブルもあったかな、花(確か薔薇)が一輪差してあった。左側にもうひとつ部屋があるようで、襖が少し開いている。その奥は暗闇。椅子に座るよう促され、着席するとゴーグルの蓋を閉じられた。耳に音楽とノイズが飛び込んでくる。身体がかたまる。

しばらくして誰か(スタッフなのだろうが、もはや視界には入らない)からゴーグルの蓋を開けられ、視界が明るくなる。目の前のレコードプレイヤーがまわっている。イヤホンから聴こえてくるのはこのレコードの曲か? 恐らくそれはトラップなのだろうが(確かプレイヤーには配線がなかった)、頭のなかでそう結びつけてしまう。そして頭を右に動かすと、ベッドに女性が横たわっている。こちらに背中を向けている。やがて彼女は寝返りをうち、ゆっくりと目を開ける。視線が合う。しばらく見詰め合ったあと、彼女は起き上がり、隣の椅子に座る。イヤホンから女性の声が聴こえてくる。隣を見ると、女性の唇が動いている。彼女が喋っているのだと気付く。

いーやーこれが怖かった。すっごく長い時間に感じたけど、多分数分もなかったんだろう。狭い空間、初対面の人物とふたりきり、その相手がどう出るか全く予想出来ない状況。この「予想出来ない」ってのが怖い。そして視覚と聴覚を制限され、自分の思うように見たり聴いたり出来ない恐怖。余談だが今思い返すと、たまたまだろうが「女性が背中を向けて横たわっている」あの画ヅラ、『マルホランド・ドライブ』に…似てて……。あのなんとも言えない恐怖感なー…このときちょっと逃げちゃおっかなーと思った……。と言うのも、出発前の説明で「具合が悪くなった場合はその旨伝えて」と言われていたので。そう、これがちょっとした保険になっていた。相手は役者さんで、これは公演だと言う保険。何かあった場合の対処も用意されている。だからこの状態には意外と早く慣れた。と言うか、慣れるようにと腹を決めた。このひとと70分間、パートナーだ。

しかし、序盤はやはり動悸が激しくなり呼吸も浅くなった。パニックになったひともいたんじゃないかな。

さて、部屋を出ます。またゴーグルを閉じられて、手を繋いだり腕を組んだりして歩く。この辺りではもう「頼りにしまーす、宜しくお願いしまーす」って感じで、お散歩気分でした。同性だったってところもあるかなあ。twitterで検索した限り、パートナーが異性だったと言う方が殆どだったんだけど、何故私の場合同性だったのか気になる(笑)。しばらく歩いて今度は別のビルのなかへ。入る前にゴーグルを開けてもらうと、隣の呑み屋のおっちゃんたちが「また来た」と言うような顔をしてこちらを見ている。この辺り、開幕前にいろいろと説明等あったのだろうな。知らなかったらちょっと通報されちゃいそうな怪しさだもの(笑)。

このビルも二階にあがる。商店街のデッドスペースだ。そしてここから対話が始まる。私は失ったものを、ガラスと名付けることにしました。あなたにそういうものはありますか?

これはひとりごとなのか? 質問されているのか? …思わずパートナーの顔をガン見する。頷かれる。その後、間が空く毎にパートナーの顔を見ることにしました。状況によって頷いてくれたり放置されたりした(笑)。ただ、最初のこれで、この相手は対話する気があるなと判断されたように思います。

で、いろいろ話しました。内容は内緒だ! 瞬時に作り話が出来るひとはある意味すごい役者なんだろうな、私には無理だった。あとなんだろ、一期一会の状況、多分二度と会わない相手だからこそもう喋ってしまおう、と言う心境になった。とは言うものの、距離感をかなり計り乍ら、どこ迄話すかを選択していく。

聴かされた方はたまらんって告白をするひともいるだろうし、ひとことも喋らなかった方もいたそう。それを受け止める役者さんたちの思いはどんなものだろう。クレジットされていた出演者は19人。一日に何人の、こう言った話を聴くのだろう。

その後公園、川縁と、ぽつぽつ話をし乍ら歩く。忘れてしまいたいことはありますか? もう会えないひとに伝えられなかったことはありますか? 道中ゴーグルは開けられたり閉じられたり。過去のいろいろなことが思い出され、だんだんしょげてくる。思い出したくないこと迄思い出す。ひとって忘れることは出来ないんだなあ、記憶を取り出さないようにしているだけで、ちょっとしたきっかけであっと言うまにそのときのことが甦る。とぼとぼ歩いていると、パートナーが合羽のフードを被せてくれる。「ゴーグルくもってませんか?」と声を掛けてくれる。ねこがこちらを見ている。和む。なんとなく振り返ると、数十メートル離れてスタッフがついてきているのが見えて我に返る。

別れのあれやこれやを話しつつ、つれていかれたのは橋の上。ゴーグルを開けられると、目の前に橋の名前とその由来が書かれた看板。泪(涙)橋、現在の名称は浜川橋。鈴ヶ森刑場に向かう罪人と家族の別れの場。ようやく、何故この街が上演場所に選ばれたのかが見えて来た。ゴーグルが閉じられ、このツアーいちばん長い距離を歩く。触覚と嗅覚だけが素の状態なので、普段よりそのふたつが鋭敏になっている。パートナーと繋いでいる手、組んでいる腕の優しさ、確かさ。水の匂い、そしてなんだか…ど、どうぶつ? 草? なんか自然ぽいにおい……? ゴーグルが開けられるとそこは……競馬場だった。あーそうか、大井競馬場!!!

レースは開催されていなかったが、他の競馬場の中継映像がスクリーンに流れている。それを見詰めるお客さんたち。イヤホンから、ここは以前海だったと言う言葉。水の上に暮らす自分たちのことを思う。先月観た維新派『透視図』を思い出す。海の、川の、水の歴史とそのうえに暮らす自分たち。失われた光景、二度と見られない場所、二度と会えないひと。イヤホンからはパートナー以外の声も聴こえてくる。その場にない音も聴こえてくる。こどもの声、鳥や虫の声。四季にまつわる音。これも実際にはここにない音だ。しかし、冒頭のレコードプレイヤーのように、記憶と想像力でこの場に“在る”ものになる。

競馬場をあとにする。守衛さんが見ている。ゴーグルを閉じられる。旅の終わりがそろそろだと言う予感。どうやって終わるのだろう? 終演後パートナーと話せるのだろうか? 風通しのいい場所に出たようだ、顔が冷たい。肩に手が置かれ、立ち止まるよう促される。ゴーグルが開けられる、広い橋の上から真っ黒な水面を見下ろす。イヤホンから音楽とノイズ、そして月の話が聴こえて来る。曇天なので月は出ていない。判っていてもなんとなく空を見上げる。やがて音が聴こえなくなる。「終了です、ゴーグルをとりますね」と声を掛けられる。ゴーグルとイヤホンを外してもらい、振り返るとスタッフがふたり。パートナーは消えていた。

スタッフからスタート地点に戻る地図を受け取る。パートナーだった役者さんの名前を訊く。お礼を言って笑顔で別れる。パートナーにもお礼を言いたかったな。こういう別れになるとはなあ。自分にとって彼女は「失ったもの」、「伝えられなかったことがあるひと」になってしまった。雨はすっかりあがっている。ゆっくり歩く。途中泪橋を通る。改めて看板を読む。呑み屋を通りかかるとさっきのおっちゃんたちがまだいて、あ、さっきの、と言う顔をされる。

受付に戻るとスタッフが笑顔で迎えてくれる。質問攻めにする(笑)。昼でも同じテキストなんですか? 同じです。明日の当日券ってやっぱり出ませんよね? 出ないんですよ〜。雨大丈夫でしたか? お足下の悪いなか有難うございます。いえいえすごく面白かったです! 来てよかったです。ふと見ると、奥に見覚えのあるひとが座っている。あっ、記事で見た。コンセプト・演出のソ・ヒョンソクさんだ。日本語はどこ迄解るのかな、こちらが話していたこと聴こえてたかな。

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私の相手は女優さんで、夜のツアーだった。これが男優さんだったり、昼だったら印象ががらりと変わりそう。この土地周辺や競馬場に詳しいひとだと、連想されるものごとも違うだろう。参加したひとの数だけ物語が出来上がる。

twitterを巡ってみると『ダイアログ・イン・ザ・ダーク』を連想したと言う方が複数いた。自分もそうでした。決定的な違いは“役者”の存在。参加者との対話の内容、状況の変化に対応する役者。声も含めた自分の身体をコントロール出来、それらを的確にコミュニケートの手段として扱える、それが役者なのだ。タフなクリエイトだ。すごいことだと思う。

帰宅後死んだようにぐっすり寝ましたわ…やっぱり気を張っていたんだなあ。寝る前「Key West」のMVを観て海繋がり。記憶に残る、忘れたくない一日になりました。

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・韓国のアートを活性化させ、政府も支援する「多元芸術」とは? - 舞台・演劇インタビュー : CINRA.NET
「今回、探していた場所は、『過去の痕跡がたくさん残っているところ』。これを東京の中から探し出すのはとても時間がかかりました。」

(20141109追記:まとめてくださった方有難うございます!)
・『From the Sea』感想まとめ - Togetterまとめ
出演者の方によるまとめ
・『From the Sea』関連私撰まとめ - Togetterまとめ
参加者の方によるまとめ、出演者の方のツイートも掲載されています



2014年11月02日(日)
高橋徹也 レコ発ツアー・ファイナル『REST OF THE WORLD 1999-2014』

高橋徹也 レコ発ツアー・ファイナル『REST OF THE WORLD 1999-2014』@CLUB Que

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Vo、G:高橋徹也、B:鹿島“KID”達也、Drs:脇山広介(tobaccojuice)、Key:佐藤友亮(sugarbeans)
ゲストホーンズ:Tp:山崎千裕、Ts:杉田久子、Tb:永井嗣人
(ホーンアレンジ:sugarbeans)
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レコ発、と言うことだったが、そのレコードから演奏されたのは一曲のみ。そのレコードと言うのは、録音から十五年後にリリースされた幻の4thアルバム『REST OF THE WORLD』だ。所謂お蔵入りと言うやつだが、運命のいたずらはあるものだ。マスターテープが発掘され、さまざまな権利契約をクリアし、日の目を見ることになった。情報が出たのはGW明けくらいだっただろうか、web上で大騒ぎになったのを憶えている。リリースに際して、多くの関係者の方の意欲や協力があったのだと思う。その経緯も踏まえ、デビューからのキャリアを振り返ってみると言う集大成的なライヴになったのだろう。高橋さんご本人だけでなく、当時からのファンやリスナーの方々の思いはいかばかりか。

アンコールでは予告どおり「新しい世界」が演奏された。ご本人曰く「ホーン・セクションを加えたオリジナル・レコーディング・アレンジで演奏したのは、なんと『初めて』」。リリースから十七年後、まるでこの夜、この場を待っていたかのような、集ったひとたちを祝福するかのような音が、高らかに鳴り響いた。

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一曲目はデビューシングル「My Favourite Girl」。歓声(と言うより驚きのどよめき)が上がる。続けて「真夜中のメリーゴーランド」「チャイナカフェ」と畳み掛ける。佐藤さんの指が軽やかに、踊るように鍵盤上を滑る。この曲や「ホテル・スターダスト」は、佐藤さんの演奏が際立っていた。どの曲も音源とはまた違うアレンジが施されているうえ、佐藤さんも鹿島さんもインプロ的なフレーズやソロをぐいぐい入れてくる。瞬時に対応し、全体の流れを底上げする脇山さん。大きなエンジンを積んでる! と言うのがバンドの第一印象。サウンドとしては相当エグい。

そう、このバンドセット…驚いたのはそのグルーヴマスターっぷり。本腰入れて聴き始めたのは昨年からの新参なもので、ライヴはKeyあるいはBとのデュオや、弦楽カルテットとのアコースティックセットでしか聴いたことがなかったのだ。良質な楽曲や歌詞、歌唱を噛み締めると言う形でライヴに参加していた訳だが、それらがバンドセットだとこうなるかと。ゴリゴリのファンク、スウィングなダンスミュージック。もともとの音源に忠実な構成で演奏しても(そしてその音源は勿論素晴らしい)、ライヴと言う有機的な場でないと起こり得ないグルーヴなのだ。このメンバーが揃ったステージにおけるマジックとしか言いようがない。スティーリーダンかトーキングヘッズか? このアンサンブルの妙技! まさに音のいきもの。そして何がすごいって、アクの強いこれらの演奏が、ある種のひとなつこささえ感じさせるポピュラーミュージックとして響くのだ。

それは高橋さんの力量なのだと思う。ヴェルヴェットヴォイスと言える天性の声のよさに加え、ファルセット、ヴィブラート、モノローグと言ったヴォーカリゼーションのスキル、歌詞世界を鮮やかに表現するストーリーテラーの妙で聴かせる。複雑なリズムの海を、優雅にメロディが泳いでいく。そしてギター。あの(あのって言っちゃうわ)鉄壁リズム隊の間を縫うような精緻なコード、カッティング。水面下では演奏のせめぎ合いが繰り広げられる。まさに白鳥だ。ぐいぐい引き込まれる。久し振りのバンドセット(だったそう)で、フラストレーションが爆発した印象すらあった。それも地力あってこそだ。

それにしても…「音楽の天国と地獄」を具現化したような曲を書く。「新しい世界」と「ユニバース」が顕著だが、ポップソングにしては長めの7〜8分のなかに「Circle Line」〜「Hard Core Peace」のあの(あの再び)多幸感をぶっこむ凄まじさなのだ。DCPRG好きにしか判らないたとえで申し訳ないが、高橋さんは菊地成孔との共演楽曲があるので思い出した次第。現在コラボレートしたらどうなるか、聴いてみたくもある。

『REST〜』から演奏された一曲は「ユニバース」だった。『REST〜』のリリースが頓挫し、レコード会社との契約を終了した後、幾度もプライベートカセットや自主制作のアルバムに収録された楽曲だ。『REST〜』収録のトラックにだけ「風を追い越して」と言うサブタイトルがついている。“REST OF THE WORLD”と“新しい世界”、そして“ユニバース”。パズルのピースがぴたりとはまったかのようだった。皆が笑顔だ、ステージの上も、フロアも。メンバーは楽しそうに演奏し、高橋さんは終始笑顔だった。

終わってみれば二時間半の長丁場だったのだが、正直時間を忘れていた。次の曲は何だ、どんな演奏が聴けるんだ? ひたすらこっちもがっついた。終わってしまうのが名残惜しかった。場を去り難く、終演後寄る辺なくフロアをうろうろしてしまった。

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以下おぼえがき。

・ご本人も苦手と仰っているし、演奏に集中するあまり他がお留守になってしまうのでしょうが、MCがユルい(笑)
・お父さん自慢を始める(笑)「お父さん」て言うとこがまたいい
・「お父さん格好いいんですよ、僕と同じくらい(それ以上?)背高いんですけど(フロアどよめき)……格好いいんですよー。見ててあー…、格好いいー、て思うー」
・「前は『ミュージシャン? おまえそんなんで喰っていけるのか』って感じだったんですけど、最近は『おお、がんばってるな』って感じになってきて。こっちも歳をとって、反発心もなくなったので最近は実家に帰って一緒に粗大ゴミ出したりして」
・「こないだ初めて一緒にラーメン屋さんに行ったんですけど、『あつっ、あつっ』なんてラーメン食べてて。あんなに強い、大きいと思っていたひとが『あつっ、あつっ』って…見てたらなんか泣きそうになっちゃいました」
・感極まったわたくし、帰りにラーメン屋さん行きましたよね
・しかしそのラーメンはぬるく高橋さんのお父上のように「あつっ、あつっ」とは言えなかった(がおいしかった)

・MC同様演奏に集中するあまりかメンバーの名前を間違える。「脇山広一ー! 違う! 脇山広介! 誰だ広一って」
・「鹿島達也“KID”ー!ステージネームなんでステージにいるときはKIDて呼んでください。いいなーステージネーム。俺もほしい…ダーク? スマイル?(ぶつぶつ)」
・その後フロアから「キッドー!」と声が飛び鹿島さん笑顔
・鹿島さん「今もう誰も呼んでないよ。高橋だけだよ呼んでるの」

・そうそうフロアのレスポンスがよくてなー! スタンディング、バンドセットときてあの演奏とくれば盛り上がるよね
・男性のお客さんも多く、地方からいらした方もかなりいたよう。福岡から来たって話してたひともいた。連休中日ってのもよかったね

・(アンコールで出て来たときだったかな?)「はー全然疲れてない」
・「42ですよーもうー」(どよめきとともに「わかーい!」て声が飛ぶ)
・42であのプロポーション維持は素晴らしいわ…シャツインでベルトなしであの柳腰

・「再来年二十周年、それに向けていろいろやっていきたいです。ずっとブルースやってる映像が頭にあるんですけどね。3コードで、全部同じような、文句ばっかり言ってるような曲ばっか作って。……そうなったら、見限ってください」(笑)
・そこで菊地さんとのコラボですよ(夢)

・『大統領夫人と棺』に映像作品を収録したDVDが付き、二枚組で再リリース
・「どこそのアイドルみたいな商法」と仰っていたけど、再プレス分も在庫切れの状態で入手困難、中古は結構な価格がついてしまっている。良心的だと思います
・しかもその映像作品が素晴らしいときた!
 Tetsuya Takahashi - First Lady and Coffin (MV digest)

(よだんだがアベフトシを思い出すショットがあってぎゃわーとなった…脚ながー! ほそー!)

・使用ギターは基本ジャズマスター、「ブラックバード」のみギブソンES-330
・ギブソンに持ち替えて、お? と思ったら「ブラックバード」でギャーとなったんでそこは憶えてる。この曲だけだったと思うんだけど
・しっかし「ブラックバード」と「大統領夫人と棺」はベースラインがすごいですね。や、どれもすごいんだけど「大統領〜」のベースはホントすごい……
・それにしても高橋さんと言い小林建樹さんにおける千ヶ崎学さんと言い、いいベーシストが傍にいますね…(しみじみ)
・と言うか、優れたミュージシャンは優れたミュージシャンと出会うことが出来るのだろう
・フロアで建樹さんのこと話してる方がいたのでふと思ったのでした。リスナー、被りますねえ。昨年が初共演だったなんて嘘みたい
(20141105追記:nagameeさまより2013年以前にも共演はあったとご指摘頂きました、有難うございます!
・“RESORT SOUNDS 2003”高橋徹也/小林建樹、opening act>epoch
2003年、Queでのライヴレポート。ちょ、なんでこれ行ってないの自分!)

・やー録ってないのかな今回のライヴ。音源出ないかなあ
・OTOTOYで配信とか…どうですかね……

・そういえば高橋さん、左利きだと初めて知りました(いやほらギターは右だし字書いてるの初めて見たんで)ニヤニヤ
・と言う訳でサインをいただき…ました……や、物販にいらっしゃるんだもん! そこをスルーするのもおかしな話でしょう!
・皆さん思いの丈を伝えてらっしゃいましたがもー緊張して「す、すごかったです来てよかったです」としか言えなかった…アホの子か……
・握手した手がとても大きかった。ギター弾きには恵みの手ですね、生まれながらのミュージシャン!
・着替えずステージと同じ格好で、会場外の階段で対応してらっしゃいました。妙なとこ見てるなってアレですが黒いシャツに白い汗ジミが。寒いのですぐに乾いて、塩が浮いてしまったのでしょう。風邪ひいてないといいのですが。あんな凄まじいライヴ後にこんな穏やかな対応するのかとそのギャップにも感動した……

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セットリスト(高橋さんのツイートより:12

01. My Favourite Girl
02. 真夜中のメリーゴーランド
03. チャイナカフェ
04. 怒りを込めて
05. 人の噂
06. 夕食の後
07. Night & Day, Day & Night
08. 曇ったガラス
09. 赤いカーテン
10. ホテル・スターダスト
11. ブラックバード
12. ハリケーン・ビューティ
13. 大統領夫人と棺
14. 真っ赤な車
15. ユニバース
16. 夜明けのフリーウェイ
encore01
17. 新しい世界
18. 犬と老人
encore02
19. バタフライナイト

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・高橋徹也 レコ発ツアー・ファイナル『REST OF THE WORLD 1999-2014』感想 - Togetterまとめ
やーもーこれ保存版。いろんなひとの思いがつまってて、読んでると胸が熱くなる。まとめてくださった方有難うございます!

・REST OF THE WORLD 発売記念インタビュー - ポプシクリップ
リリースの経緯等。ライヴ後に改めて読むとじわじわくる

・ジャガー・ジャズマスターシェイプ比較特集|ハートマンヴィンテージギターズ
おまけ。いつ迄経ってもジャズマスターとジャガーの区別がつかん…と思って調べていたら見つけた頁