表身頃のココロ
ぼちぼちと。今さらながら。

2003年11月29日(土)

・・・・・・



2003年11月28日(金)

・・・



2003年11月27日(木) 「ファザー、サン」

FILMeX 2003
◆「ファザー、サン」
監督:アレキサンドル・ソクーロフ

しょっぱなから、ただならぬ描写で濃ゆい父子関係が描かれる。
あっちの世界に行きそうな息子を引き戻そうとしているのか。
ベッドの上での濃密な肌のこすれあいぶつかり合い@美しい。

おぉっ!と度肝を抜かれた後、少しづつ、このふたりっきりの親子の背景が分かってくる。

しかし、息子の女友達との会話を通じても、失踪した父を求める息子の友人(危うい
空中の板を渡ることに象徴される微妙な三角関係)の存在を通じても、描かれるのは
この父子のただならぬ『精神的な』結びつき。
して、この濃密な父子に何を感じろと?(笑)

とーちゃん「こらー、まてー、そんなことしちゃいかんぞー」「わーん、ごめんなさいー」
ぱたぱたと逃げる息子、追っかけるパパ。
そばで佇むお友達は目に入らず、くんずほぐれつの父子。
うえーん、置いていかないで〜!(←観客としての私)
ど・・・どうしろと・・?

ひたすら美しい男達の肢体に耽美を感じていればいいのか?
ひたすら美しい映像を愛でていればいいのか?
はたまた「モレク神」のヒトラーのように、そこはかとない可笑みを感じてしまえば
楽になるのか。
私「マザー・サン」も「ロシアン・エレジー」も見ていません。
ソクーロフ経験三本目です・・・出直してきます・・・だっ。

途中、音声の故障で中断。20分ほどの休憩を挟んで再度最初から上映。
結局フィルム二本分(多分)を二度見たことになる。
ちと疲れていたかも。



2003年11月25日(火) 「アリラ」 「綾戸智絵 LIVE 2003」

4th TOKYO FILMeX 2003
◆「アリラ」Alila 2003 イスラエル 
監督:アモス・ギタイ

テルアビブの集合住宅を舞台にした群像劇。
この集合住宅はイスラエルのメタファーであり、いわばテルアビブ版「ショート・カッツ」である、とは開映前の監督のひと言。
アモス・ギタイ作品ということで少々構えていた私に、大変分かりやすい導入の言葉を
いただき、ありがたや。
この映画は40カットで出来ているという紹介もあったが、約120分で40カットは単純計算
で1カットあたり3分。
最近では決して珍しくない長廻しだけれど、面白いのは1カットがそれぞれ独立している
1つのシーンなのだ。
長廻し好きの私だけれど、長廻しは力がないと見ていられない。
しっかりとして美しい撮影に見とれる。
調べてみたら「キプールの記憶」のカメラと同じRenato Bertaという人物。
好みだと思う。

イスラエル政府がパレスティナとの往来を遮断したことにより、低賃金で働く労働者が
いなくなり、現在では中東・アジア各国などから不法入国無許可労働者が押し寄せて
いるらしい。
そんな現状も織り交ぜつつ、兵役拒否で脱走兵になった息子とその両親恋人の顛末・
アパートを密会の場にしたカップルの始まりと終わり・ジプシーかと思いきやばりばり
の警官だった女性のお部屋建て増し計画の頓挫などなどを描く。
それにからむ他の住人達−ホロコーストの生き残りとその東洋人妻(使用人?)
・管理人らしき独身中年男など−皆チャーミング。
イスラエルという国の別の顔を見せてもらいましたぜ。


◆「綾戸智絵 LIVE 2003」厚生年金会館大ホール

少し前の話。
友人から、入手困難な綾戸智絵のチケットが手に入ったから行こうという連絡があった。
綾戸智絵が凄いという噂は聞いていたけれど、一度も聴いたことの無かった私。
即CDをレンタルして聴いた。ライブ版CDの一曲目「アメージング・グレース」。
ゴスペル魂に溢れた力強い声、達者なジャズピアノ。即「行く!」と連絡した。
しかしその後テレビに出るというので彼女出演のバラエティ番組を見てみた。
・・・思いっきり・・思いっきり引いた。ううう。どうしよう。
大阪魂のくどいギャグセンス、そして人生話は悪いけど相田みつをを思い出してしまった・・(相田みつをがいやな私は悪人ですか?)。

さて、そして本日。一曲目、サラ・ヴォーン風のスキャット入り曲から始まる。
8人編成のバックバンドが素晴らしい!ニューヨークから連れてきたらしい。
キャノンボール・アダレイのアレンジいただき風「枯葉」。
エリントンの「スゥイングしなけりゃ意味が無い」←最高。
この2曲の演奏を聴いただけでも行った価値大ありの素晴らしさ!ぞくぞくもの。
「朝日のあたる家」や「青い影」などマイストライクゾーンの曲も多し。楽しい。
最後までゴスペル曲がなかったのが残念だけれど楽しかった。

で、トークである。彼女のトークを楽しみにしているお客さんも多かろう・・。
厚生年金会館という大きなホールの観客を乗せる話術はプロフェショナル。
やはりちとくどいが、楽しい一夜だった。



2003年11月21日(金) 「私の小さな楽園」

◆「私の小さな楽園」EU TU ELES ブラジル映画 2000年
 監督:アンドリューシャ・ワディントン
 音楽:ジルベルト・ジル
 
今日一日、引きこもり気分だったので玄関出る時心が揺れた。出かけたくない。
でも私の本能が、この映画を見逃してはいけないと告げていた。
見逃さなくて良かった!と心の底から思えた一本。

新鮮で瑞々しくもあり、たまげるほど老練でもある。
現実にはありえなさそうな大らかな展開、見た後に知った事だが実話がベースらしい。
この展開をセリフで説明すると、とたんに嘘臭くなった事だろう。
彼らのその心情の説明を始めると何時間あっても足りないし、語ろうとしても彼らには語るべきちょこざいな言葉がない。
悠々と流れる時間と潔い省略に必要最低限のセリフ。
美しい映像。
心に沁みる音楽。
そこはかとなく漂う可笑しさ。

これは私の今年のベスト5には入りそうな気がする。
他の4本は何も考えちゃいないけど。



2003年11月20日(木) ささやかなるしあわせ

出かけた帰り、四谷で途中下車して好きなパンを購入。
その帰りの電車は運良く席があり、買ったばかりの細長パンを抱える形で座った。
とても寒かった今日、パンは焼きたて。
ほのかな熱はいつの間にかほかほかと身体を暖めてくれる。
焼きたての香りは、鼻孔を通じて脳の快楽を感じるあらゆる場所に働きかけ、
えもいわれぬ幸福感を与えてくれる。
ぱりっとした皮の歯ごたえとふんわりとしたその内側と甘みの記憶がほわほわと
よみがえる。
あぁ・・・こころからのしあわせ・・・・。
と、いつの間にか眠りの国の住人になっておったのだった。




2003年11月19日(水)

台東区立朝倉彫塑館



2003年11月17日(月)

◆「奇跡」
◆「吸血鬼」
監督:カール・ドライヤー



2003年11月15日(土) 「延安の娘」 

◆「延安の娘」@東京都写真美術館映像ホール
 監督:池谷薫
 
孤児として育ったひとりの娘が父を求め、再会を果たすドキュメンタリー。
その父は、かつて文革の時代、下放された延安という農村で子供を作ってしまう。当時、下放された子の恋愛は犯罪であり、秘密裡に生まれた娘は里子として出され行方知れずになる。一応、縦糸として再会ドラマの形をとっはいる。しかしそれは、あの時代、下放された少年少女達の過酷な現実であり、痛みを伴った果ての一例に過ぎない。今では中年の大人となったかつての多感な少年少女達・・・かさぶたとなった傷を今更かきむしるのを潔しとしない人、青春を奪われた痛みを世間に分かってもらいたい人・・・いづれも彼らの心からはいまだに血が流れ続けているのである。
文革の時代を生き抜いてきた人たちにいまだ残る痛みや、やるせない苦しみを繊細に綴った映画だった。

「ワイルド・スワン」という本を読んだのは10年程前になる。
これはもう、見事に大きなショックを受けた。三代にわたる女たちと家族の物語としても面白かった。が、文革である!
文化大革命や四人組のニュースは新聞を始め、知識としてはあった。
しかし、この本で具体的にそれがどんなものであったかを初めて知った。
これよりひどいことが過去にもいまこの時にも地球の上で起きているのは承知の上だが、ぐわぁぁんと響いてしまった。
文革は私がのほほんと平和にぼけていた時代に、海を隔てたすぐお隣の国で起こっていたのだ。しかも、迫害された方もした方も私の年代であり、親の年代であり、同時代に生きていた人たちだったのだ。
あるいは「ワイルド・スワン」以前にも文革の時代を告発する媒体はあったのかもしれない。が、私にとって中国は「ワイルド・スワン」以前と以後とは全く違うものとなってしまった。
以後、文革を扱った本が多く出版され、映画も作られた。
現状告発を含む容赦ない中国人の回顧は力強く心に響いた。
以来、「この人は国の体制が変わった時、体制側の論理を受け入れる人か否か。」などという見方を時々するようになった私・・・。かつての日本でも同じ事があったわけだが、大抵の日本人は、それが良いことではないと感じつつも流されていったわけで、中国の人民の取った極端な行動を非難できるものではない。

・・で、「延安の娘」である。
今作られたこのドキュメンタリーは面白い事に日本人によって作られている。そういえば思い出したが、現在都市開発が進み建築ラッシュの北京で、昔ながらの伝統の街並み・家屋敷を記録に残し続ける日本人カメラマンの奮闘を聞いたことがある。かつて狂気の時代を体験後、高度成長時代を過ごし、現在に至る日本人だからこそ、今またその轍を踏もうとしている(かもしれない)中国に向けられる眼差しは他人事ではなく、記録せねばならぬ思いが湧いてくるのかもしれない。




◆「アール・デコ様式 朝香宮がみたパリ」@東京都庭園美術館
 うううううう・・・うるわしい。
 美しい。
 



2003年11月14日(金) 「欲望という名の電車」 青山円形劇場

◆欲望という名の電車 @青山円形劇場
  作:テネシー・ウィリアムズ
 演出:鈴木勝秀 翻訳:小田島雄志
 出演:篠井英介 古田新太 久世星佳 田中哲司 花山佳子
    石橋祐 山崎康一 吉守京太 永島克 鈴木慶一

篠井英介ブランチ、古田新太スタンレーという濃いキャストに目がくらみの観劇。
始まると、久世星佳のステラと篠井ブランチに釘付けになってしまった。

キャストの発表があった時、古田新太はスタンレーのキャラにぴったりだと思ったのだが、実際に見てみると何故か違う。
確かに粗野で無教養で情熱がある・・けれども何か足りない。
帰りにふと気づいた。そうだ、セクシーさが足りないんだ。
客席後ろからの出入りの際にちょっとした小ネタをはさみの笑い取り(照れ隠し?)や叫ぶ姿は、どうしても新感線の彼を思いだしてしまい、マイナス要因がいくつか。

篠井ブランチ。
張りつめた神経で矜持を保ち、哀れにも愛を乞いつつ、気高く壊れゆく姿。

濃いキャラの間に立った久世ステラ。力がなければ出来ぬ技。素晴らしい!

ブランチは登場時から常に黒のドレスを着用。
しかしラストでは、まるで花嫁のような白いドレスにオーガンジーのショール。
対照的に他のキャストは喪服のような黒い衣装。衣装で語る皆のココロ。

舞台はニューオリンズゆえ、始まってすぐに、大好きなザ・バンドの「Down South in New Orleans」が使われほくほく!
休憩中もドクター・ジョンがかかるなど、前半はサザンロックが使われる。
・・と、サザンロックがふさわしい舞台装置は円形劇場ならではのカジュアルさ。
なにせ幕があくと(いや、幕はないけど)キャストが各自椅子だのテーブルだの装置を持って出て来るんだから。

青山円形劇場というステージで見られたことも幸せ。
ただ、円形劇場は10年ぶり位。以前何度か行っているのに、入口を忘れていた私が哀れでなりませぬ(涙)。



2003年11月13日(木) 「CVR」@ザ・スズナリ 「青い春」 東京都現代美術館常設展

本日も何故かハードかつ充実の一日
◆東京都現代美術館の常設展○バックステージツアー
◆演劇「V・C・R(ヴィクター・チャーリー・ロミオ)」@ザ・スズナリ
◆映画「青い春」@シネマ下北沢

午前中、近くまで行く用事があったので、その後、東京都現代美術館の常設展へ。
企画展もいいけれど、常設展も捨てがたい。
たまたま月に一度のバック・ステージ・ツアーなるものをやるというので参加してみる。
美術館の裏側なんて滅多に見れるものぢゃない。
展示室とドアひとつ隔てたところに通路やエレベーター、そして分厚い鉄のドアの向こうの倉庫へ。
気温と湿度が常に一定に保たれた倉庫にきちんと整理された絵の数々。
実はたまたま、その日はNHKの取材が来ていて、ツアーに同行。
終了後、インタビューを受ける。もう、馬鹿な受け答えしか出来ず、赤面の至り。
どーも君グッズをいただいたのは、ラッキー♪

木場から下北沢に移動。学校帰りの小娘と合流。
夕方からは下北三昧というか、スズナリ横町界隈三昧か!

まずは、8月にオープンして連日盛況のスープカレーの人気店「マジック・スパイス」へ。
ここでは辛さが、覚醒/瞑想/悶絶/涅槃/極楽/天空/虚空の七段階に分かれている。
以前来たときには、恐る恐る『涅槃』を食べてみたのだが、ごく普通の辛さだったので、
今回は最上位のひとつ下の『天空』に挑戦してみる。
さすがに鼻水が出た(笑)が、美味い。小麦粉を使わないスープカレーなので、
あくまでさわやか。次回は虚空を食すぞ!
で、「マジスパ」から徒歩1分の、ザ・スズナリへ。

◆演劇「C・V・R(チャーリー・ヴィクター・ロミオ)」
燐光群+グッドフェローズ
演出:坂手洋二+R・バーガー+P・ダニエルズ+A・グレゴリー
音響デザイン:ジェイミー・メレネス

実際に起きた6件の飛行機事故のボイス・レコーダーに残された記録を再現した
ドキュメンタリー的演劇。
C・V・R(チャーリー・ヴィクター・ロミオ)とは、ボイス・レコーダーCockpit Voice Recorderのニックネーム。
舞台の上にはコクピット部分のみ、同じセットで役者を変えつつ6件進行。
考え作られた脚本でなく、極限状態にあるコクピットの人物の実際の言葉の再現は
リアルな音響と共に我々観客を圧倒する。
6件の飛行機事故のうち、1件は日本人にとってまだ記憶に新しい日航機の御巣鷹山
墜落事件である。
当時、新聞でこのヴォイスレコーダーの記録を読み、数ヶ月語にはTVニュースで生の声の放送を聞いた。あまりのリアルさに涙が止まらなかった記憶がある。
一歩間違えると悪趣味になりかねない題材ではあるが、演出の力と人間のリアルな内面を
演じ続けてきた燐光群の力は大きい。

終演後、連れの希望でお隣のシネマ下北沢へ

◆映画「青い春」@シネマ下北沢
我が家のミッシェル・ガン・エレファントジャンキー小娘、受験期と重なって公開時に
劇場で見ることが出来ず、我が家では珍しくビデオ鑑賞していた一本。
ミッシェルがつくづく似合う、青春ドラマ。
音の悪さにいらつきながらも、劇場の暗闇に身を置き再見した幸せをかみしめる(笑)。

◆おまけ☆帰宅後、深夜TVにて「魁!クロマティ高校」
初見!これはおかしい!すばらしい!



2003年11月12日(水) 「マトリックス・レボリューションズ」一部サイバーパンク体験

◆「マトリックス・レボリューションズ」

それは、センティネルのザイオン総攻撃時に起こった。
ザイオンモビルスーツ軍団対イカ軍団の大バトルのまっただ中、椅子が揺れ始めた。
THXって座席も揺れるんだっけ?
とちょっとだけ真剣に考えた程のタイミングで起きた地震だった。
そのうちスクリーンの中のバトル映像も上下に揺れ出し、どうやら映写機も揺れた模様。
このままイカ軍団と共に生き埋めになる姿を想像してしまったけれど、画面とシンクロ
した楽しい楽しいサイバーパンクていうか、マトリックスそのもの体験だった、わお。
翌日の新聞によると、東京は震度3だったらしい。発生時間は午後5時25分。
私が行ったシネコンでは「マトレボ」は3館で上映。
違う回での上映を選んでいたらばこの体験は無かったと思うと巡り合わせに感謝の巻。

映画は・・・、「リローデット」の時は、見た後、どんな情報でも知りたかったし、
いろいろな感想も読みたかったから、ネットでさまよう日々が続いた。
が、今回は、見終わった。はい、それだけ。
ラストの取って付けたようなアーキテクチャーとオラクルの会話も、あ、そう・・・。
すでに、興味が無くなっていた私。
「マトリックス ネオの巻 終」。次回があっても驚かないぜ。
拡げるだけ拡げた大風呂敷を、誰もが納得する形で収束するなんて不可能だし、
こうなったら、一生をかけてマトリックス世界を描きぬいて欲しいものだ。
見ないかもしれないけど・・・。

今回の白眉は、ザイオンのバトルだと思うのは、地震体験をしたせい?
美味しかったキャラは、ミフネ船長とキッド。
SFというより全ての冒険マインドの基本話。

「リローデット」のザイオンと禅問答を簡潔にして、もともとの予定通り一本で公開してもよかったね。
そしたらタイトルの「レボリューションズ」OKだわ。
でも興行的には二本で成功か。

でも、見ている間は楽しかったし、見終わってからも、オラクルが『こんな姿になったのは私にも分からない』というセリフに笑い、前よりちょっと綺麗になったトリニティを褒め、『ナウシカ』ネタに笑い、とにかくキュートなスミス!ラストのマシーンシティで増殖したスミスが次々消え去るところで、痛快感を味わったりとか、小娘とあれやこれやと大盛り上がり。
楽しかったよ。ありがとう!マトリックス。
・・・が、時間と共にだんだん空しくなって来たのは、いと寂し。

地震で急に思い出した。
今年、劇場で地震に遭遇したのは八月歌舞伎第三部(8/13)に続いて2度目のこと。
私の席は三階。揺れも激しい。耐震工事を施してはあるだろうけれど、この古い
歌舞伎座の中で生き埋めになる姿を想像したのは言うまでもござんせん。
しかし、さすがプロ。舞台上では「どんつく」踊り中だったのだけれど、何事も
なかったように進み、発生当初ざわついていた客席もすぐに舞台に集中。
たいしたものでござんした。



2003年11月11日(火)

◆「飛ぶ教室」
監督:トミー・ヴィガント 



2003年11月10日(月)

◆マルティン・シュリーク不思議の扉「ガーデン」
監督:マルティン・シュリーク



2003年11月09日(日)

◆「グッバイ・レーニン」

◆「ファルシュ」
監督:ダルデンヌ兄弟



2003年11月08日(土) 「10ミニッツ・オールダー」人生のメビウス&イデアの森

オムニバスではなく、まさにコンピレーションと呼ぶのがふさわしい。
作家性の強い監督15人による10分間づつのフィルム集合体。

◆「10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス」@シアターコクーン
  Ten Minutes Older: The Trumpet
 大好きな監督揃い!
 それぞれの監督の持ち味・個性が笑えるほど見事に表現されていました!

 ○アキ・カウリスマキ「結婚は10分間で決める」Dogs have no hell
  カウリスマキ作品常連のカティ・オウティネンとマルック・ペルトラの
  コンビによる一本。
  さすらいの男が、かつての女の職場へ立ち寄り、「お前はオレのただ一人
  の女だ、結婚しよう」とプロポーズ、電車(汽車と言おう)でシベリアへ
  旅立つまでの10分間。
  「をいをいをい・・・お願いですから、もうちょっと早くして下さい!
  急いで下さい!」と懇願したくなる観客には頓着せず、しみじみと流れる
  カウリスマキ時間。たまらぬです。
 ○ビクトル・エリセ 「ライフライン」
  眠り続ける赤ちゃんの10分間。
  が、赤ちゃんの腹部から衣服に沁み出す不吉な血!
  しかし午後のゆうるりとした時間は流れ、産後間もない母は眠り、子供
  達・男達・老人達も変わらぬ時を過ごし、吹く風もやさしい何の変哲も
  ないいつもの午後。
  美しくゆったりとした映像、事の重大さを知るのは我々観客のみ。
  事なきを得る結末まで感心の一本。
 ○ヴェルナー・ヘルツォーク「失われた一万年」Ten Thousand Years Older   きゃぁ?!ヘルツォーク!あまりにもヘルツォーク!うれしいぃ♪
  一万年近く(嘘)も独自の道を歩んできた未開の部族が、初めて文明
  と接触したがために、単なる風邪ウィルスや水疱瘡に冒され大半が亡くな
  り、残った者も文明という名のウィルスに冒され輝きを失ってしまった・・。
  ドキュメンタリータッチで進むこの物語、しかしヘルツォーク、勝手な
  部族を編みだしちゃってるでしょう?いわゆるモキュメンタリー(?)
  文明批判を込めつつ、やりたいことをやってます!
 ○ジム・ジャームッシュ「女優のブレイクタイム」Int. Trailer Night
  撮影途中の女優(クロエ・セヴィニー)のトレイラー休憩の10分間。
  煙草をくわえ、真っ先にかけたCDは、ゴールドベルグ変奏曲。
  神経を休めるはずの休憩時間、携帯はのべつ、ヘアメイクやらADやら
  音響やらが入れ替わり立ち替わり訪れ、そこはかとなく可笑しい。
 ○ヴィム・ヴェンダース「トローナからの12マイル」12 Miles to Trona
  最初、ただならぬ事情で車を走らせているらしい・・から始まり、徐々に
  事情が見えてくる時の快感。病院まで緊迫の10分間のドライブ。
  ロードムービーで名を馳せたヴェンダース、お手の物の世界でした。
  エンドロールで「Docter1 Wim Wenders」の名を発見。ちゃっかり出演して
  いたとは、お茶目さん。
 ○スパイク・リー「ゴア VS ブッシュ」We Wuz Robbed
  マイアミ州に おける大統領指名選について、不正が行われたことは今や
  公然の事実として知られていますが、それに関してのゴア側からの検証。
  敗北宣言をするかしないかの場面の証言は迫力あり。
  本で知った投票用紙のからくりなど映像として目で見ると説得力あり。
  もしあの時ゴアが勝利していれば、今頃世界はもそっとだけ平和の方に
  動こうとする意志が働いていたかもしれないと、再度思うのであった。
 ○チェン・カイコー「夢幻百花」
  中国の都会は今、空前の建築ブームで町中ビルの工事だらけ。昔ながら
  の中庭を囲んだ四角い典型的な中国の家が無くなりつつあるという。
  チェン・カイコーがここで美しい記憶として残そうとしているものは
  中国の昔ながらの家、それに付随する大切なものなのでしょう。
  私としては、最近のチェン・カイコーはいかがなものかと思う部分も
  少なからずあるのですが、この小品では彼の美意識と表現とがうまく
  折り合って生きているような気がします。CGちゃっちいけど。

◆「10ミニッツ・オールダー イデアの森」@シアターコクーン
  Ten Minutes Older: The Cello
 こちらは皆、観念的な作品揃い。
 興味深くは見ましたが、「・・・で?」って感じですの。

 ○ベルナルド・ベルトリッチ「水の寓話」Histoire d'eaux
  我々東洋人には案外なじみの深い、胡蝶の夢や杜子春的哲学話。
  キアヌが仏陀になったりした東洋三部作で、東洋哲学に通じたベルトリッチ。
 ○マイク・フィギス「時代×4」About Time 2
  ますまる実験的手法にはまるマイク・フィギス。
  彼の「リービング・ラスベガス」は、我が心の一本です。
 ○イジー・メンツェル「老優の一瞬」One Moment
  馴染みのないチェコの監督。「スィートスィート・ビレッジ」も未見。
 ○イシュトヴァン・サボー「10分後」Ten Minutes After
  つい最近では「太陽の雫」のハンガリー監督
 ○クレール・ドゥニ「ジャン=リュック・ナンシーとの対話」Vers Nancy
  「ネネットとボニ」「ガーゴイル」
 ○フォルカー・シュレンドルフ「啓示されし者」The Enlightenment
  「ブリキの太鼓」「魔王」
 ○マイケル・ラドフォード「星に魅せられて」Addicted to the Stars
  「1984」「イル・ポスティーノ」
 ○ジャン=リュック・ゴダール「時間の闇の中で」Dans le noir du temps
  私の最近のお気に入り、エストニアの作曲家アルヴォ・ペルトの曲が全体に
  フューチャーされており、それだけで満足。
 「これについては蓮見さんあたりにおかませしましょ」とは一緒に見た友人の弁。
  確かに!



2003年11月06日(木)

◆「レンブラントとレンブラント派」国立西洋美術館企画展



2003年11月05日(水) 「おばあちゃんの家」「北京バイオリン」

法人会員になっている飯田橋のギンレイホールにて二本鑑賞

◆「おばあちゃんの家」

予定外に見たこの映画、なんかいやなもの見ちゃったなぁという印象。
いや、結構泣いたんですけど。

忙しくて我が子に愛情を充分かけられず、しつけにも力を注がなかった(らしい)
母親が何かの事情で5歳の息子を田舎の母親にしばらく預ける事になる。
その家で我が物顔で傍若無人に振る舞う男の子。
その子を非難するでもなく、存在ごと受け入れるおばあちゃん。
腰は直角ほどに曲がり、まさに「あばら屋」と呼ぶにふさわしい家に住むよぼよぼの
おばあちゃんを見ているだけで泣ける人もいるはず。

話は、自分の事しか考えない都会の馬鹿孫が、田舎での生活を通じ、初恋らしきものや
友情を体験し、おばあちゃんの無償の愛に気づき、また都会の生活に帰っていくというもの。
舞台を逃げるに逃げられないド田舎の設定にしたのも姑息、おばあちゃんを口の利けない
設定にしたのも姑息、人物の造型も皆ステレオタイプ、いやだぁと思いつつ、
泣けたのは
ひとえにおばあちゃんのせい。

親や先祖を敬うはずの儒教の国も現在はその姿を変えつつあるのか。
で、その現状を憂い、この映画で啓蒙でもしようというのか。

あー、いやなもん見ちまった。

◆「北京バイオリン」

いやーな気持ちになったそのすぐ後で始まった「北京バイオリン」。
美しく奥行きのある映像で、いきなり右脳が回復。
ハリウッドへ行ってボロがでたな、と思ってしまったチェン・カイコーだけれど、腐っても鯛(ん?)。
昔ながらの人情話としてはうまくまとまっていた印象。

息子のチュンは瑞々しく、父親は人情話にぴったりの演技で功労賞もの。
この父親、調べてみたら、張藝謀作品の「秋菊の物語」の夫役の人らしい。
「秋菊の物語」小品ではあるが、プロが作った大人の寓話として最大級の賛辞を送るね、私は。

チェン・カイコーさんに言いたいこと・・・。
独特の美意識の持ち主ではあると思うが、紗の入った光とか鏡とかをいまだに使うのは勘弁して下さいー。それと、ナルの入った自分のポートレイトを作品に入れるのもやめて下さいー。というか、演技者には向いていないですー。監督の出演シーンからどんくさい素人のオーラが出ていますー。どうぞ正気に戻って下さいー。



2003年11月04日(火)

「ミカエル」
監督:カール・ドライヤー



2003年11月03日(月)

◆「イン・アメリカ」
監督:ジム・シェリダン

◆「イン・ザ・カット」
監督:ジェーン・カンピオン



2003年11月02日(日) 「ランタナ」「幸せになるためのイタリア語講座」ギエム・シカゴ響

「ランタナ」@東京都写真美術館映像ホール
「ギエム・シカゴ響『奇跡の饗宴』」@東京文化会館
「幸せになるためのイタリア語講座」@ウィメンズプラザ

◆「ランタナ」
 監督:レイ・ローレンス
 2001年のオーストラリア「AFI AWARD」(本国のアカデミー賞にあたる)で 「ムーラン・ルージュ」を押さえて主要5部門受賞。
見事にキャラクターが書き分けられた4組の男女の織りなす人間ドラマ。
シンプルにして深い人間洞察と表現。何故にこれが日本公開されないのぉ?という傑作でした。地味だけど。

  恵比寿から上野に移動。

◆「ギエム・シカゴ響『奇跡の饗宴』」
ダニエル・バレンホイム指揮、シカゴ交響楽団演奏、モーリス・ベジャール振付
 「春の祭典」首藤康之&東京バレエ団
 「火の鳥」木村和夫&東京バレエ団
 「ボレロ」シルビィ・ギエム&東京バレエ団
完璧主義者のベジャールは生オケを使うことは滅多になく、今回シカゴ響でそれが実現。そのシカゴ響も、結成112年、初めてオーケストラピットに入っての演奏らしい。
・・と、まさにゴージャス『奇跡の饗宴』。まさにミーハーな私。
シカゴ響のメンバーって、大柄な方(相撲取りレベルも何人か・・)が多かったようです。初めての狭いオーケストラピットの中では相当つらかったろうて、暑かったろうてw。
ベジャールの「春の祭典」初めて見ましたが、面白かった。
ただ、女性パートが始まると、とたんにつまらなく感じてしまう。
ベジャールの振付は他の作品でも男性が踊ってこそ、美しく力強く映える気がする。
ギエムの「ボレロ」は、ジョルジュ・ドンの魅力とはまた違って、線は細くとも鋭く美しく力強かった。
美しきおのこ達を従えて一段高いステージ上で踊るギエムはまた格好良く、気分の高揚を覚えてしまった。
そういえば今年三度目のギエムでした。

  上野から表参道まで大急ぎで移動。

◆「幸せになるためのイタリア語講座」
 監督:ロネ・シェルフィグ 
あせあせと到着時には既に舞台挨拶も終わり、映画開始直後だった模様。立ち見というか階段に座り見。
どっと疲れが出て、中盤ちょっと居眠りをしてしまった。
「今日は鍋にするから早く帰るように」という家族のお達しで、終了後、即帰ったのでティーチ・インがあったのか分からないけれど、多分、ドグマ作品だと思われ。現在はドグマ当初の約束事より規約が緩やかになっていると聞いているので、作為的に使われていた音楽はOKなんだろうな。ウエルメイドなハッピー人間ドラマ。



2003年11月01日(土) 「オーストラリア・フィルム・フォーカス」「アイデン&ティティ」

どこへ行ったか分からなくなった私の記憶があまりにも多いことに気づき、
へなちょこながら、リハビリも兼ねて日記という形で残してみることにしました。

普段から結構劇場に足を運んで映画などを見ている方ですが、今月は東京国際映画祭
がらみで普段以上に予定が沢山。生きて来月を迎えられるか?


◆オーストラリア・フィルム・フォーカス@東京都写真美術館
 日本では公開されていないオーストラリア映画の秀作が一度に集うという魅力的な上映。
 上映作品全て(短編集を除く)世界の有名どころの映画祭での受賞作。

 「雲の下を」Beneath Clouds 2001
 オーストラリアのひたすら大きな空と大地の下を黙々と歩き続ける、アボリジニの少年(脱走兵)と、白人との混血少女のロードムービー。
 大らかな景色のもと、繊細な心の動きが美しい。
 
 「Dreaming in Motion」短編5本パック
 アボリジニの監督達による短編集。
 それぞれバラエティに富んだテーマで現在のアボリジニを描く。
 が、アボリジニだからではなく、普遍的な人間を描いているから面白いのだ。
 
 「ワン・ナイト・ザ・ムーン」One Night The Moon 2000
 70年程前に実際に起きた少女失踪事件をミュージカル仕立てにした一本。
 ミュージカルといっても歌にはとんと素人です!という役者によるもの。
 へなちょこ具合が心地よく、かえって心情お察し申し上げますとの気分に。
 事件のあった1930年代当時、白人のアボリジニに対するあからさまな優位性

 「クラッカー・バッグ」短編 Crackerbag
 家族で打ち上げ花火をする日を楽しみに待つ少女と、その日の思わぬ出来事。
 テンションMAXから一気に絶望の淵へ、そして些細なことで恢復する気分。
 日常ってそんなことの積み重ねだね。14分の見事な小宇宙。
 
 「ウォーキング・オン・ウォーター」WALKING ON WATER 2002
 エイズで死にゆくゲイの青年の希望で安楽死を実行するも思い通りにはいかず、
 そこで生じる心のオリ。
 彼らの心の整理をつけるまでの、そこはかとなく面白くイタくせつないお話。
 

◆「アイデン&ティティ」@渋谷シネフロント
 監督:田口トモロヲ 脚本:宮藤官九郎 原作:みうらじゅん
 
これには素直に泣かされました。
ベタでも何でもいい!
ロックマインドある人にはたまらんと思う。


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