V字経営研究所・酒井英之の4行日記 DiaryINDEX|past|will
昨日の先生によると「岐阜は観光地になりにくい」のだという。名古屋から電車で18分と近いため、「わざわざ出かけていく非日常の世界」とならないのだそうだ。非日常の世界に行くには、「90分」の移動時間を費やす必要がある。大阪から見た「黒壁」、福岡からみた「湯布院」、東京から「ディズニー」入り口までは皆90分。アクセスが悪いことは観光産業のネックだが、良すぎることもハンディになのだ。
地域ブランド研究の第一人者の先生と話す。岐阜県に最も欠けているのは「もてなしの心」なのだそうだ。来た人たちに自分たちの食材・風土・文化で楽しんでもらおうという気持ちが少なすぎるのだという。岐阜市にはそもそも飯が美味い店がなく、高山の名産は高山以外で作られたものばかり。これでは観光客を馬鹿にしていると言うのだ。高山に高山なし。さすが一流のコンサルタントの指摘だ。
亀田3兄弟の活躍を見ながら、彼らに光が当たれば当たるほど、どこかで影が濃くなってくることが心配だ。私には、次男が随分無理をしているように見える。多分そこまでの性格ではないのに兄を追う使命を帯び、さほど闘争的でないのに無理やり闘争的に振舞おうとしている感じだ。誰かが負の面を背負わないと組織的な緊張は持続できない。今日は近い将来の躓きを予感させる完勝だった。
亀田3兄弟が大変な人気だ。なぜ今、あのような存在に人気が集まるのだろう。イチロー、松井秀、横峯さくら、アニマル浜口など親子で頂点を目指しているケースは多数ある。ただし、親子の取り組みが現在進行形で、まだ一度も頂上に挑戦していないのは彼らだけ。私たちは彼らの生き方に、子供と己の夢のために自己犠牲を厭わない父親の姿と、強すぎる親子の絆を投影しているのかもしれない。
部下が講師を務める研修で、受講生が「自分たちの営業は御用聞き営業だ」と言った。確かに現状はそのスタイルだが、「あるべき姿」とは違う。よって「まずいなあ…」と思って見ていると、部下は「本当の御用聞き営業は、三河屋さんが『奥さんそろそろ醤油切れる頃ですよね』というように、ニーズの先取りができる営業のことを言うのです」と切り返した。お見事。それができたら御用聞きは◎なのだ。
研修終了後、同社の若手社員に誘われて出かけたのは「屋上ビアガーデン」。4月のこの時期に、高松の天満屋では屋上にドーム状のテントを張り、その中で一人3,000円で飲み放題・食い放題を実現。しかし、隙間風びゅうびゅうで飲んでいて寒いのなんの。にもかかわらず大勢のお客様で賑わっていた。高松は全国屈指の「ビアガーデン」激戦区だというが、夏場だけの勝負ではないのだ。
歴史博物館で斎藤道三の衣装を着られるコーナーがあったので、早速コスプレしてみた。当時の帯やはかまの紐等はヘソの下あたりを何重にも巻きつける。すると、なんとなく腰が据わって、勇気ある決断ができるような気がしてきた。ヘソの下には「胆」があるというが、胆力を刺激している感じだ。最近は外来特有のゆるい衣装が目立つが、日本の衣装には自分に厳しくなれる効果があった。
「近いけど遠い存在なんです…一緒にいる時間が少なすぎる…」。「私は今まで『同じ釜の飯を食って…』という関係を築いてきたのに…それが足りないの…」と、大学の後輩で30代半ばの独身女性から詰め寄られる。隠微な言葉の連発に色めき立ちそうだが、これが部下との面接で言われた台詞ではとても喜べない。コンサルタントは一緒に仕事しないと刺激し合えず、成長させられない職業なのだ。
部長職の寂しさその2。打ち合わせ等で私がいるとなかなか意見が出ない。ところが私がいなくなると意見が活発に出る。こうした現象は自分も経験があるからよくわかるが、存在が親近感よりもストレスになっているのだろう。「部長に言いたいこと」というお題での部下ヒアリングでは「見えるところにいて欲しい」との要望が出た。発言はいらないが「そこにいる安心」が求められている。仏壇みたいだなあ。
部長職になって2年ぐらい経つが、いつしか部長特有の寂しさを感じる。例えば若い部下から「貴方はなぜコンサルタントになったのですか?」という質問をされなくなったこと。最後にその質問をされたのは2000年頃。それ以降の新人はそんなこと聞いてこない。どうやらコンサルタントしての葛藤や悩みは、30代半ばの中堅の部下に聞いているらしい…そんなものかと思いつつ、その距離が寂しい。
「うちはそれだけはやってはいけないことになっているんだ」某社の会長は語気を荒げた。一緒にのんでいて、経営方針の話になり、粗利5%以下の安売りのビジネスに手を出すかどうかの話題になったときのことだ。「やってはいけない」基準は、「やらねばならない」基準と同じくらい大切で継続されるべきもの。会長にはこうした基準も二世に引き継がねばならないと納得していただいた。
某会計事務所でセミナーを行った。毎年呼んでいただき、毎年同じテーマで話す。受講生は同所の取引先の皆さん。そこには毎年同じ人もこられるし、何とか別の話しをしようとネタをあれこれ変えるのだが、後で受講した社長や所長から言われたのが「先生、毎年同じ話しをしてください。去年から今年にかけて進歩しているから同じ話を聞いていても新たな気付きがあるのです」。目から鱗が落ちた。
昨日の支店長に何時に店に来るのかと尋ねた。「今は新しい期がスタートしたから7:30。ちょっと前の1〜3月は8:00だったな」。そこでその違いの理由を尋ねると「目標を12月に達成したからね。達成するまでは部下に発破もかけなきゃいかんから7:30に来たけど、達成した後は少しゆっくりでいいんだよ」。目標達成する前と達成後で自分の出社時間を変える。そういうメリハリのつけ方が部下の信頼を生んでいる。
銀行の支店長が店内を案内してくれた。私は店長について店内をグルグル回るのかな?と思っていたら、店長はロビーでお客様が待つ間の長いすに腰掛けた。そして私にその隣に座るよう促した。それから店長は、そこから見えるものについて説明し始めた。つまり、お客様と同じ視点に立って、お客様から見えるものの意味について解説してくれたのである。常に顧客視点を意識している証だ。
「宣言」をして走る大型車を相次いでみた。東京ではダンプの運転席のドアに「私は事故を起こしません」の文字。当然の心がけを堂々と書いてあるところに感心した。広島では、ゴミ収集車に「子供を守る」。これは安全運転という意味ではなく、人に追われる・さらわれるなど危険な目にあった子供の駆け込み寺になるという意味。子供たちはゴミ収集車にSOSできる。シンプルだが納得の仕組みだ。
ジャイアンツが強いが、全然憎らしくないし、「負けろ!」という気も起きない。「ふ〜ん」という感じだ。「憎さ」の象徴がないんだなあ。金目当ての選手とか、栄光だらけの監督とか、巨人しか入団しないと言い切った選手とか、必要以上に興奮して伝えるマスコミとか、巨人が勝ったと威張るクソジジイとか…許せないことがなにもない。改革は成功なのだろうが、いきなりのさわやかぶりにアンチ派は戸惑う。
朝8時に某銀行の支店長を訪ねた。まだ他の行員が来ていないので、支店長が自分でドリップ方式の珈琲を入れてくれた。このときの仕草を見ていたら、最初少しだけ湯を入れて豆を湿らし、1分程度時間を置き、それからコーヒーを注いでいた。また、緑茶を煎れてくれた時は、私の湯呑みと自分の湯呑みに何度も交互に注ぎ、濃さが均等になるように配慮していた。そんな心遣いが嬉しかった。
新作ウルトラマンメビウスの隊員に、三枚目が登場した。このところヒーローものの隊員はイケメンと決まっていたから、意外な起用にカミサンは喜んだ。曰く「このままじゃ世の中、イケメンとお笑いだけになっちゃうよ。普通の人はどうすりゃいいんだい」。ただ、低予算でも画像が送れるブロードバンド時代は、イケメンかお笑いが優位に立つこと確か。悔しいがイケメンはますます重要な客寄せファクターなのだ。
i-podを買ったが、当初使い方がわからずに非常に困った。カーソルを上下に動かすときに、いくら上下動のボタンを押しても動かないのだ。そのことを友人に尋ねると、親指で本体を時計回りに円を描くように撫でるのだという。これを聞いて上下させたいものを回して動かすという発想に腰を抜かすくらい驚いた。「円運動で考える」のは日本人の思考パターンから抜け落ちているものかもしれない。
いろんな会合で佐川急便の人に会う。彼らはスピーチすると決まって「年末の雪で荷物の遅れがあり、大変申し訳なかったです」と謝る。それほどあの寒波による納期遅れのクレームが凄まじかったのだろう。同じく繊維産業もあの寒波は大変だったようだ。冬物が早く売れすぎて、中国の工場へのオーダーが殺到し、以来生産者と発注者の立場が逆転してしまったという。たかが寒波、されど寒波なのだ。
某金融機関の支店長と話す。その人は自分が死んだ後に部下に墓前参りをして欲しいと思わないといった。その代わり、自分がどこかに異動した後も、お客様から「以前いた支店長の××さんは今頃どこで何していますか?」と尋ねられる人間になりたいと語った。その支店を継いだ者は、前任者が誰だったかなんて忘れてしまう。しかし、お客様は忘れない。小売店なら誰もが憧れる言葉だろう。
コンプライアンスの強化のため、お客様にメールに添付して送る資料にパスワード(PW)を付与することが多い。そこで何をパスワードにするかだが、お客様の電話番号などもひとつの方法だが、私はお客様の趣味や出身地を付与することにしている。渓流釣りが好きな人には「trout」(トラウト=鱒)。高知県出身の人には「ryoma」(竜馬)。面倒な習慣でもこんな小技を使えば妙に楽しくなる。
ワンマンの某社長は、稟議書に判を押すときに、ワザと判を上下逆さまに押すことがある。その意味は「やりたきゃやれ。が、俺は納得してはいない」というもの。過去のやり方を否定する新しい試みには、一流の経営者とはいえ抵抗を感じる。しかし、それを受け入れねば将来はない。そんな複雑な思いを逆さまのハンコで示すのだ。真のメッセージは「やる以上は絶対に成功させろ」である。
母が車を買い替えることになった。本人の希望は、燃費が良いと評判で、鈴木京香が宣伝している「BELTA(ベルタ)」。しかし、私は見たとたん「カッコ悪いからやめた方がいい」。妹に至っては「絶対にやめて」。昔のサニーやカローラを彷彿とさせるデザインで60歳以上には受けるのだろうが、それ以下の世代にはダサく感じる。意思決定する世代に受け入れられなければいくら良い車でも売れないのだ。
黄砂でどの車もひどい汚れだ。よって洗車場は大変な混雑だが、私が行ったGSは、車を並ばせる整理係1人、並んでいる車の窓を拭きワイパーをガムテープで固定する係1名、洗車メニューを選択させ料金を回収する係り1名、洗車機に入る前に車を誘導する係り1名、そして洗車後に水滴をふき取る係2名の計6名体制でシステマッチックに処理していた。特に最後のふき取りは感謝感激、CS満点だ。
60歳以上の社員の退職再雇用。某社ではこの制度を利用する技能者から「社員番号を変えないでほしい」との苦情が相次いでいる。それまでは1000番台だったのが再雇用時に8000番台になってしまうのだ。勤務している間に会社が大きくなり、それだけの人数が入社したということ。だから自分の番号が若いことに誇りを感じているのだ。社員番号が社員にとって宝物になっているとは思わなかった。
団塊の世代の引退に危機感を抱いている某メーカー。技術の伝承の問題かと思ったら、営業の伝承が問題だという。主な客は職人気質で零細企業のオーナー。同社では、団塊引退後には管理者層が40歳代まで一気に若返るため、万が一トラブルが発生したとき、オーナーたちを抑えきれる人材が居ないというのだ。胆力は伝承できるものにあらず。2007年問題のリスクはこんな側面もあるのだ。
最近は情報セキュリティ対策が厳しく、ビジネスメールの転送禁止、PCの外部持ち出し禁止などが義務付けられている会社もある。こうしたルールが強化されると、電子メールを見るためだけに、わざわざ1時間以上かけて出勤するようなことが起こる。これはアホらしい。よって今後は職住がどんどん接近し、人口の都市部集中が加速するだろう。こうなると、サテライトオフィスなんて単なる幻想だ。
誕生日に信頼できる部下からメールをもらった。「自分が1つ歳をとるたびに、自分は凡夫だけど、1つでもオンリーワンを持った自分になりたい…。そんなことを考えます。部長は誕生日にはどんなことを考えられますか?」。嬉しいなあ…私が自分の誕生日に何を考えるのかに興味を持ってくれる人が1人でもいることは望外な幸せ。彼はその気遣いと向上心と素直さで、きっと私を超えるだろう。
おかげさまで05年度も部門目標をクリアできた。すると、会議の席でトップが「ありがとうございました」を言ってくれた。それを聞きながら「目標達成して上司からお礼を言われたことなんてあったかな?」と振り返るが、とんと記憶にない。達成率は私の想いより低く私自身は納得していないから狐につままれた気分。だが、トップの謙虚な態度を見て、私も私の部下たちには真摯にお礼を言おうと思った。
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