V字経営研究所・酒井英之の4行日記 DiaryINDEX|past|will
父の兄に当たる叔父が逝った。本家の惣領として親戚を引っ張っていた人だけに接点も多かった叔父さんだ。祖父が創業した会社を引き継いだ2世経営者だったが、今振り返ると合法磊落で中小企業経営者の典型だったように思う。父が堅物と称されるサラリーマンだったので、私は父と叔父のどちらのタイプにもあわせられるようになった。それによって養われた目が今の仕事に役立っている。
某会計事務所の所長と話す。所長のモットーは「「正直さ」と「一生懸命さ」では誰にも負けない」というもの。とりわけ正直であり続けることは難しい。先日もカネボウの粉飾決算を担当した会計士が逮捕されたが、正直でありたくても正直に成りきれない何があったのだろう。先の選挙で佐藤ゆかりから握手を求められ、握手できなかった岐阜市長も然り。正直であり続けるのは難しいことだ。
赴任する店を次々業績No.1へと塗り替える某行の支店長にマネジメントの秘訣を聞いた。すると「管理ということは難しいことではなくて、管理とは『大事にし大切にすること』だと思います」という返事。これには感心してしまった。人事管理は人を大事にするための制度、事務管理も、店舗管理も…。そう考えと目標管理は、目標を大事に大切にしていく仕組みだとわかり、ストンと腹に落ちた。
昨日述べた「検証する」を解説すると「人に対して何かを投げて、跳ね返ってきたものを確かめる」こと。テストや試験はこの典型で、答案を点数化することで理解度を検証していることになる。また、自分と同じような人を見ながら「私もあの人のようなのだ」と、自分自身を確かめることができる。最終日に共に触れ合い共に手をつないだ人たちは、隣人という鏡で自分を見ていたのかもしれない。
万博が閉幕した。TVを観ていたら徹夜で並んだ人は押しなべて来場10回以上の猛者たち。全部見たはずなのに、大混雑の日に来て長時間並ぶとは…。それも過酷な状況なのに、皆、なぜか幸せそうな顔をしている。この不思議な現象は何かと会社の同僚と話していたら「自分は『万博が好きだ』とかそういう確証が欲しいのかな」「そういう想いを検証したいのでは」との意見が出た。卓見だと思う。
クライアントの社員が他界した。半年前までとても元気だったので残念でならない。半年前にインタビューしたとき、「自社のブランド品が店頭に並ぶと、親として子供たちにいろいろ伝えることが出来て、教育上大変良い。こういうビジネスを(部員)皆でやりたい」と熱く語っていたのが印象的だった。「これが私の戦略です!」と堂々と語れる数少ない営業マンだった彼のこれまでの功績を称えたいと思う。
清里のキープ牧場。清泉寮の名物ソフトを食べながら何気に呼んだのは創始者・ポール・ラッシュ博士の言葉。「DO YOUR BEST AND IT MUST BE FIRST CLASS.日本語に訳すと「最善を尽くし一流たるべし」となる。前半はよく聞く言葉だが、これに後半を加えたところが非凡だと感心した。自分は、飛行機はビジネスクラスでかまわないが、一流の仕事をする人材でありたいと思う。
山梨県のオオムラサキセンターに行く。驚いたことに、ここには有名な世界のカブトムシ・クワガタムシが生きたまま、虫かごの中で飼っていた。その数約30。なんで今、この季節に、熱帯地方のカブ・クワが生きているのかわからん。他に、バッタの類をたくさん飼っていたり、ゲンゴロウもいた。昆虫系博物館は幾多もあるがどこも標本中心。生きたものを見せるというコンセプトが素晴らしい。
某社の経理の責任者は営業マネージャ達のマネジメントを指して「ストップウォッチを持ってヨーイドン!で走らせて、後はゴールへ行って測るだけ」と指摘する。この例えに笑ってしまった。部門間の業績格差が部下の優劣で決まるだけだからだ。駅伝がそうであるように、長距離レースほど監督の影響は大きくなる。ゴールで測るだけより途中でのチェック、アドバイスが上司の仕事なのだ。
万博は連日20万人を超す盛況ぶりだが、開幕当初大人気だった名駅そばのポケパークはガラガラだ。子供だましの施設にリピータがつかなかったのだ。万博の人気はリピータとその人たちの噂によるところ大。面白いものならば人は何度でも求め、そうでないものは見捨てる。終盤に来て二つの万博会場が、その差を見事に見せている。この結果を当初読めなかった自分の不明を恥じるばかりだ。
昨日の吉田さんへの質問は、最初「こんなチャンスはめったにない…何かを聞かなきゃ…」と思うのだが、突然だったし全く質問が出てこなかった。日頃から「いかに自分が問題意識が低く、研究テーマが曖昧で、自分の貢献領域が定まっていない人間か」がよくわかって、こんな自分に嫌気が差した。そこで一端立ち去った後、自分の使命を思い出しもう一度戻ってきて昨日の質問をしたのだ。本当に聞いてよかった。
ラスト万博。何気なく立ち寄ったNGOのブースを見て驚いた。なんとルアンダの戦災者のために義足を作り続ける日本人・吉田真美さんと、ご主人のガテラ・ルダシングワさんが居たのである!思い切って彼女に「人を勇気付けるために常に心がけてることは?」と尋ねたところ「『やればできる』と思い込ませることかな…」との返事。コンサルタントの仕事の本質を現すほど重い言霊を頂戴し勇気をもらった。
小学校の運動会を見る。紅白どちらも一生懸命の応援合戦。私自身、応援団にいたこともあり応援は好きなのだが、見ていて何か違和感を覚えた。このような文化を持っている国は他にあるのだろうか?また日本の応援団の文化は、いつごろ誕生したのだろう?この国の精神論や、メディアの影響力の強さと深くかかわっているような気がする。応援は、一方で何かを盲目にしているような気がする。
小学校の運動会の開会式を観ていたら、言葉の定義が出たので驚いた。その中で「勝負とは…」という定義があり、「最後まであきらめないこと」とあった。うまいことを言うなあ…下駄を履いてみるまでわからない、ということで、極めて教育的な定義だと思う。先輩に聞くと、この小学校でも手をつないでゴールする時代もあったそうだが、不評でやめたという。苦心の末ながら、お見事な定義だ。
ZETTONの稲本社長の話を聞く。外食に魅せられたのは、外食産業が情報を発信するメディアだと感じたから。客にカクテルを作るとき、赤い服の人に赤を出すのではなく、白を出す。すると「なんで白なの?」と聞かれ、お客様とキャッチボールができる。今作ったものにリアルなリアクションが得られることが気持ちいいのだ。飲食店を飲食店と捉えない考え方が、愛される構造の店を生む原動力なのだろう。
東京の勝ち組百貨店の人と話す。「岐阜市に住む女房も母も、わざわざ買い物で名古屋まで行きません。地元の百貨店で間に合うのです」と私が言うと、「しかし、地元の百貨店では買いたいものがないでしょう」と言う。ところが足りてしまうのだな…これが。自分のものはイオンで買い、贈答品だけ百貨店で買うのだから地元で十分。都会的センスがないのかもしれないが、私の一家のような人口が多いのは事実である。
地元の百貨店が潰れることが新聞発表された。そのテナントで紺のブレザーを買う。店に入り試着していると、何も言わないうちから「まけときますから」と、○割も値引いてくれた。ボタンの付け替えも無料(目の前で奥さんが付け替える。10分で完了)。テイジンあり、ミユキあり。店内でタバコを吸ってもよし。まるで元祖セレクトショップだと関心したが。こんなフレンドリーな店がなくなるのは本当に残念。
「『会社としてはこうなりたいんだ。だから、君もこうなってください…』と言われたら、感動すると思うんですよ」と、若い管理者は言った。私の「部下のやる気を引き出すのにどんなことをするといいと思う?」というインタビューに対する回答。大所高所からの「あなた」への期待と、その期待に応えて成長していく「あなた」の新しい姿。それを描いて伝えるのはトップの仕事ではなく、現場長の仕事である。
クライアントの29歳の担当者の座右銘は「人生送りバント」。いかに自分を犠牲にして他人に手柄を取らせるかだと言う。聞くと、かつて仕えた上司の座右の銘で、その上司は本当に他人のために奉仕し、決して「俺が、俺が」とでしゃばらない人だったという。同社のような官僚的組織の中でその生き方を貫くのは想像に難くなく、自分の座右の銘を真似する部下がいるだけで、その上司の器の大きさが見える。
自民党が大勝した。争点を明確にした勝利だ。郵政民営化賛成なら、自民党しかなかったからだろうが、経営でも今後改めて争点を明確にすることが強く問われるように思う。近く診断先のトップと話す機会があるが、テーマは「V字回復のために今必要なものは何か」だ。これに対し、あれもこれもの総花的な答えは民主党のようになる。コンサルタントも小泉型でないと通用しないかもしれない。
まったくもって勢いというのは凄い。阪神の急進と中日の凋落の差は凄まじい。つい一週間前には天王山だったのが、あっという間の6ゲーム差。天王山を取るかとらないかが人の心理に与える影響計り知れない。阪神が天王山でとった先方は先手・先手。後手に回った中日は追いつくのが精一杯だった。追う立場が精神的に有利というが、先行者に守りきった自信を与えるととても追いつけなくなる。
昨日のパーティで名刺交換した人の中にもう一人印象に残る人がいた。その人は、自分の名刺に鉛筆で2005/9/9と書おてから人に渡していた。受け取ってから日付を記入する人は少なくないが、自分で書いて渡す人を見たのは初めてだ。私など、いつどこで会ったかすぐ忘れてしまうので「後で日付を書いておけばよかったな…」と後悔しているから、受ける立場に立ったちょっとした気遣いに感激した。
パーティで名刺を交換した人の会社名は「スペシウム」だった。平静を装おうとしたが不自然なので「スペシウム…と聞くと、次はもう『光線』ですよね」と聞いてしまった。彼は「それが狙いなんです」と、わざと覚えてもらいやすい名前にしたという。「スペシウムは、スペシャル+マキシマム」の略ということらしい。名は体を現すというが、およそ会社らしくない対極の名を付けるのも印象を作る手段となる。
岐阜の衆議院戦で佐藤ゆかりが岐阜市長に挨拶に行ったときのこと。市長は握手に応じず、もらった名刺を弄んだ。まったく市長にあるまじき行為だが、誰がこんな指図をするのだろう。実に大人気なく、知恵がない。こんなことをすれば、侮辱を受けた側に票が集まることを知らないのだろうか?また相手の中に嫌な勘定を残してその後何の意味があるのだろう?彼女が勝つことは比例区の順位から明らかなのに…。
私の地元岐阜1区の選挙が注目を浴びている。若い女同士の戦い、地元に縁のない人の公認、公認を応援しない県連など、民主党の20代の新人候補…従来では考えられない常識破りのオンパレード。人の注目を集めるには、常識を破ることだと改めて思い知らされた。考えてみれば堀江社長の立候補も、小池百合子VS小林興起も対極にあるものの融合だから注目を集めている。2極の融合は常識破りを演出し易いのだ。
すっかりご心配をおかけしましたが、ようやくEnpitu復活です。5年目突入前に突然プッツン…といとが切れてしまいました。この間、米国に行ったり、PCが壊れてリライトしたりして、日記に向かう意識がわかなかったのですが、友人に「更新されていないから、病気かと思ったよ」と言われ、いつまでもプッツンしてられないと、再び日記を付けます。ブログに浮気しかかったけど、今しばらくはここにいよう。
某ステーキ・チェーン店を訪ねたら、壁にオールド・アメリカンの写真がいっぱい飾ってあった。その中に見覚えのある映像があった。8/17の日記に書いた終戦の日の米国水兵のディープキス。写真の隅には「14 August 1945」とサインがある。この写真の下の席には被災者も座るかもしれないのに、どういう神経だろう。国を愛するときは歴史にも造詣をもたないととんでもないミスをしかねない。
いつもならタクシーで帰る道すがらを歩いてみる。すると、途中で私を呼ぶ声。誰かと思えば昔、うちの会社にいた田中さん。才媛だったから久しぶりに会えて感激。しばし歓談後、今度は監査法人の知人と偶然出会う。彼とは先日電話で話したばかりで、その後日談で花が咲く。人間の基本は歩くこと。車に乗ることで見落とした光景や出会い損ねた人が居る。これからは、もっと歩こう。
息子が柔道に通い始めた。柔道だから練習のときは相手と1対1になるのだが、先生が相手を決めてくれず自分でどんどん声を掛けて相手を探すシステムだ。うかうかしていると練習できないこのシステム。子供の積極性の引き出しや、好き嫌いを克服する上で秀逸な仕組みである。こんな訓練をすると大人になってパーティでいろんな人と出会えるかも。日本人も少しづつ変わっている。
ツアー最後にブロードウェイでミュージカルを観た。ダンスで反戦を訴えるものだった。「あ、この国は戦争をしていたのだった」と、改めて気づいた。楽しい毎日にそんなことを忘れていたが、イラクに同胞たちがいるのである。ワシントンの公園で戦没者の名前がすべて記念碑に刻まれているのを見て、「この国にも平和を願う人は多い」と驚いたがミュージカルを見て同じ気持ちになった。
|