V字経営研究所・酒井英之の4行日記
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2001年11月30日(金) 乗客を大人扱いする車両

徳山市の帰りにJR西日本のレールスターに乗る。グリーン並のゆったり車両は快適だ。そして「サイレントカー」。私の乗った4号車は車内放送や「お弁当いかがですか?」の売り子の声がしない静かな車両。前の椅子の背中に切符を入れるポケットがあり、そこにいれておけば検札で起こされることはない。お客を大人扱いするこのシステム。天晴れだ。


2001年11月29日(木) 3行日記の意外な使われ方

東京のK社の役員会議で、社長が突然この3行日記のコピーを配った。皆が読み終わった頃、社長は「面白いと思わないか?思わぬ人とは一緒に仕事ができないから、帰ってください」と言ったという。何度書籍を書くたびに本文よりあとがきの日記が評価される私だが、このように使われるとは驚きだ。作り手はいつも使い手に教えられるものだ。


2001年11月28日(水) 3行日記、市販化決定

東京の出版社に行き原稿を渡す。これまで数社に出向いたが、いつもけんもホロロに追い返されてきた。「面白い内容だし、こんなテーマの本は出したい。が、メジャーな人に書いて欲しいんですよ」と言われたことも。しかし、今回はスンナリ行きとても喜んでいただいた。あとがきに3行日記が掲載されることも了承していただき、とても幸せである。


2001年11月27日(火) 愛される世話人

京都の異業種交流会で講演。最初に同会の会長が約30分間、この1ヶ月間に自分が集めた経営に関する雑誌/新聞の記事を配布し、説明した。資料は十数枚。親切なことに重要なところに線が引いてある。これだけの資料を集めるには相当の読書量が必要だ…同会には大阪からも含め多数参加しているが、これほど熱心な会長の人柄によるところが大きい。


2001年11月26日(月) 狂牛病、再び

また狂牛病の牛が見つかった。安全宣言は狂牛病を根絶したからではなく、検査体制を敷いたことから出された。だから今回の発見はそれが正しく機能したことの証明である。そして、これまでなら秘匿されたはずの情報が瞬時に一般に公開されていることを素直に喜びたい。原因根絶はもちろんだが、出口を塞ぎ庶民を狂牛病から守ることが最優先である。


2001年11月25日(日) 10年間変わらぬ親子

会社の地下鉄の最寄駅。改札を過ぎて暫くは商店街が続く。ここに出勤時間に、ぼろい雑貨屋のようなのクスリ屋がある。毎朝、70歳くらいの白衣を着た母親と40歳代の息子が立っていてタバコと飴を売っている。10年間、まったく変わらない姿。愛想が無いこと、品揃えが貧弱なことを百歩譲って許しても、何ひとつ工夫しない姿勢に腹が立つ。


2001年11月24日(土) ISO取得の効果

大手電機会社の購買部長。ISOを導入して良かった、という。「マニュアルの最初のページに最終更新日が書いてある。それを見て2年間変わらないようだったらその現場は何も工夫していない証拠。その部署には即刻工夫改善を要求する」からだという。同社の工場長は2年程度で異動する時代。変われないものを悪とする風土の企業は強い。


2001年11月23日(金) 友人からの質問

友人からいろんな相談を受ける。友人には2つのタイプがある。「友達だからタダで情報を教えて」と「アドバイス頂いて払わないわけにいかない。お金を受け取って」というタイプ。前者は製造業、後者はサービス業従事者に多い。気持ち良いのは言うまでもなく後者。お金は受け取らないが、情報集め・ノウハウの苦労を知っていてくれるからだ。


2001年11月22日(木) 30%のコストダウン要求

某部品工業会で講演。懇親会で、自動車メーカーのコスト30%ダウン要求にある社長は「過度の要求は破壊を招く」と怒りを露にし、ある社長は「30%ダウンと言わなきゃ10%はできない。1%の改善目標では絶対に10%はダウンしない」と穏やかに考えていた。中国がWTOに加盟する時代。徹底したIT化など今の方法を破壊しないと生き残りはできない。


2001年11月21日(水) 丹念に下調べする社長

某市の商工会議所での講演。副会頭が講師紹介をして下さったのだが、単なる略歴紹介に留まらず「先生の本にこんなことが書いてありました…」と引用文が付いた。紹介するために拙著を全部読んだというし、私がかつて開発した商品のカタログまで取り寄せていた。たかが講師紹介にここまで丹念に下調べする人。彼の会社が勝ち組になるはずだ。


2001年11月20日(火) 社長・常務の判断力

昨日の師弟講演の主催企業。お客様を集めるには「名駅以外は絶対ダメ!」と常務が指示。よってマリオットHで開催。また講話録を作成し、それを持参してお客様へのお礼参りを行うという。このお礼参り、来週からの予定だったが社長が「悠長なこと言うな!今週からやれ!」と指示。一事が万事、社長・常務の適切な判断力が同社の凄みである。


2001年11月19日(月) 初の師弟講演

4年前、師匠である水谷研治に「で、次は何をする?」と聞かれた。咄嗟に「勝ち組・負け組の差の解明をします」と返事。「それには何年かかる?」「3年は…」「長すぎる…2年でやれ」。そして今日、師匠が企業の課題を語り、私がその打開策を語る初の師弟講演が実現した。師匠は私に常に「次は何を…?」を問いかける。その姿勢に心服している。


2001年11月18日(日) 有料の社員研修

大手建材問屋の社員研修。社内の希望者を対象としたもので、日曜にもかかわらず40名が各自5,000円の自腹を切って参加した。講義の後、各グループ別に現在と3年後の顧客満足度を測定。このままでは現在よりも満足度が下がることを確認。「今日から××を変えよう」を各自が決意した。この決意は日曜日・5,000円を上回る社員各自の財産である。


2001年11月17日(土) 部下を愛する人の言葉

急成長中のアウトソーサーの右腕研修。「右腕」とは幹部候補生クラスを指す。依頼主は同社の営業本部長。彼曰く「拠点はこれからどんどん増える。その拠点を任せるのは、彼らだ。だから彼らを光らせたい」。愛される上司は日頃から使う言葉が違う。「光らせたい」。この思いが私が登壇して語ることの何倍も右腕たちを動機づけるだろう。


2001年11月16日(金) 岐阜羽島駅の幸福

大阪より帰る。岐阜羽島駅に降り立つと「パパーッ!」と言って3歳の息子が駆け寄ってくる。走りっぷりは危なっかしいが、顔は満面の笑みだ。この世の他の誰が自分に駆け寄って来て、笑いかけてくれるだろうか。子供を抱き上げて、走りぬける500系新幹線を見る。あらゆる疲れが吹っ飛ぶ至福のとき。浮気をする人の気が知れない。


2001年11月15日(木) 成功の秘訣は、人。

今週の「プロジェクトX」はウリミバエを絶滅させる沖縄の話だった。番組の最後に司会者がリーダーに「何がうまくいった要因ですか?」と聞いたら、彼は「人です」と答えた。その発言に、隣にいたメンバーが嬉しそうに笑った。こういう問に通常は「××戦略」などと答えがちなのに「人」と答えることの愛の深さ。その素朴さと素直さに感動した。


2001年11月14日(水) 孤高の志を抱くエリア

某大手電機メーカーの下請け会で講演。講演後の懇親会で、大垣市と富山県の社長と話したことが感慨深かった。大垣市と浜松市は、一般論では評価されない独立心旺盛なエリア。また富山県はインフラに恵まれてないため、独自の工夫と知恵を出す意識が高いエリア。孤高の志を抱く土地柄の、まさにその人達と親しくできるのはこの上ない喜びである。


2001年11月13日(火) さ、オーセンティック

名古屋の街を良くしようとする建築家諸氏の会合に出席。街の中で忘れられつつある近代建築物に焦点を当てて、その魅力を紹介していこう!ということになった。日本人は客観的に評価することが下手な民族。その分、他人の付けたランキングに関心が高い。権威主義ではない、本物を見極める目を持った人々の評価が渇望されている。


2001年11月12日(月) 東洋医学の神秘

朝目覚めると右手の人差し指の第一関節から先だけがパンパンに膨れ上がっていた。20年前に蕁麻疹で苦しんでいたとき、今は亡き名医にかかった。彼は私の指先に針を刺し、血を抜いた。それだけで治ってしまった。「そのときの再来か?」と直感し、小刀で腫れた指先を自分で切り血を抜いた。奇行と映ろうとも、治れば何でも良いのである。


2001年11月11日(日) 日曜の夜の移動

気功のお陰か常用薬を絶ったのに身体は回復基調。肩凝りもひどかったがカミサンの肩もみで随分楽になった。午後9時過ぎ、翌日の仕事のため最終新幹線で静岡へ。車内には遊び疲れの人がコトの他多い。中には大きな楽器を抱えた人やジャージ姿の人も。スーツ姿は自分だけで何だか情けない。身体のために、こんな日曜日の移動はもうやめようと思う。


2001年11月10日(土) はじめての気功療法

7月から続く慢性蕁麻疹に、アレルギー性胃炎が加わり体調は最悪。腹痛を抱えたまま1日講義した翌日は、発熱に嘔吐も加わる。3日連続で点滴を打つが、回復の兆しは見えない。そんな中、人に薦められるがまま気功療法を試してみる。身体が資本のこの商売。他に頼る方法がない以上、疑うより素直に信じてみるしかない。治療後、何だか楽になった。


2001年11月09日(金) ブロードバンドおやじ

趣味は競馬というタクシー運転手。休みの日は福島・小倉・中山競馬場の直帰情報をADSLのインターネットでダウンロード。これをパソコン上で加工して買う馬券を決める。馬券は、上記全36レースをホームページで購入、配当金は銀行口座に振り込まれる。そのレースはスカパーでウオッチング。冴えない顔でもこのIT生活。最先端を行っている。


2001年11月08日(木) 盲腸の手術の値段

医療資材の専門家と対談。盲腸手術は全国一律誰が執刀しても20万円。入院費は早く退院させる病院と、長く入院させる病院とで異なる。回転率を高める病院と、1顧客当の付加価値を高める病院があるのだ。厚生労働省は前者を支持し入院25日を境に保険点数を変えている。こんなことを知らないのは問題だ。誰が教えるべきか…私は保険屋だと思う。


2001年11月07日(水) 熊の胆をくれた会長

魚沼市の企業で講演。着いた時は急性胃炎でフラフラ。すると会長が「熊の胆をどうぞ」と下さった。高価な名薬を服用し、回復。貴重品を惜しげもなく分けてくれた器の大きさを感謝。帰り途、同社社員に「気持ちの良い会長でした」と語ると彼は「ありがとうございます」と答えた。トップを誉められてお礼を言う社員。そんなトップは本当に少ない。


2001年11月06日(火) 工事現場の情報開示

上野駅のコンコースから下に降りる階段が工事で使えない。大荷物を抱えている身とすれば「このやろう!」と言いたくなるのだが、養生シートには「バリアフリー工事中。12月中旬までにエスカレータを取りつけます」。そういう工事なら…と怒りも和らいだ。いつまでに何を作るか。公共の場での工事現場は、我慢する市民のために情報開示が必要だ。


2001年11月05日(月) 初の全国ツアー

出版社と打ち合わせ。来年2〜3月に、札幌から福岡まで全国10ヶ所を廻るツアー(講演会)をやってくれないかという依頼。コンサルタントにとって執筆はアルバム制作、講演会はライブだ。書籍は11月に脱稿、1月に発売予定。そして2月からツアー。なんだか本当にアーティストのようなスケジュール。ただ、コンサル実務から遠ざかるのが怖い。


2001年11月04日(日) 外税にできない商品

ソフトクリームを157円で買う。ソフトを受け取り、200円を渡す。このとき僕は、左手に財布、右手にソフトを持っている。お釣り47円が受け取れない…かろうじてソフトを持った右手で受け取り、左手に移す。が、財布のチャックができない…結局、口に咥えてチャック閉じる…。150円・200円ならこんな苦労はない。ソフトは絶対に外税ではいけない商品なのだ。


2001年11月03日(土) 嬉しいよりもホッとする

「大学の先生でなく実務家であるところに共感と感動と信頼を覚えました」「豊かな企業コンサル、事例をおもちで真実を語られるので感動しました」。「お話を聞いて自分が間違っていなかったと自信を待ちました」。以上は大阪セミナー後の感想。沖縄講演でも「感動しました」を頂戴した。有り難い言葉に、嬉しさよりもホッとするのはなぜだろう?


2001年11月02日(金) のんびりした街の朝

出勤時間帯でも人影まばらな松江駅。そこに車椅子に乗った子供2人を連れた女性が来た。駅員と「昨日連絡した××ですが…」と談笑している。彼女達が乗る列車の時刻までまだ20分もある。しかし、子供達はくるくるタイヤを回して楽しそうだ。大都会では、駅を車椅子で通行すれば必ず走る人々にぶつかる。のんびりした街にはこんな良い点があるのだ。


2001年11月01日(木) 頼みは公共事業なり

仕事で始めて松江を訪ねる。行きのJAS便、35人乗りにお客さんは12名。出雲空港から松江市内まで、50人乗りのバスに同2名。入った食堂は、午後8時に16席で2名(味は良かった)。宿泊した旅館にも人影はまばら。島根県は県民一人当行政投資額第1位。小泉八雲が愛した美しい街だが、この事実を納得してしまう寂しさだった。


酒井英之 |MAILHomePage

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