みのるの「野球日記」
==すいません、ちょっと宣伝です==

●『中学の部活から学ぶ わが子をグングン伸ばす方法』(大空ポケット新書)

新刊が発売になりました。
しらかし台中(宮城)の猿橋善宏先生の
指導法などが掲載されています。
詳しくは、大空出版HPをご覧ください。
http://www.ozorabunko.jp/book/gungun/

●『グラブノート』(日刊スポーツ出版社)
BBA梅原伸宏さんのグラブ本。構成を担当しました。
親指かけ・小指かけの結び方、グリスの入れ方など、
グラブをよりよくするための方法が書かれています。

*ツイッター始めました
@mino8989 です。

2011年01月24日(月) 引き付けて打つには、前で打つ?(水城高校)


 水城高校へ

 練習を見ていると、高級車に乗ったスーツ姿の男性がグラウンドにやってきました。
何と、校長先生。「今日はマスコミの取材が多いから、来ましたよ」と、ニコニコ顔。校長の山野隆夫先生は知る人ぞ知る名物校長で、この先生なくして、水城の甲子園出場はなかったでしょう。

 現在の橋本實監督を、水城に誘ったのは山野先生でした。このあたりは、軍司貞則さんの『高校野球「裏」ビジネス』に詳しく書かれていますが。

 橋本監督は山野先生の2つ下。中学からのライバル関係だったそうです。山野先生は水戸桜ノ牧などで監督を務めていて、水戸商時代の橋本監督とは何度も対戦。でも、何回やっても勝てなかった、と。
「勝てない人は友達にしちゃったほうがいいでしょう。だから、監督に呼んだんですよ」と、豪快に笑っていました。

 一緒に取材に来ていたスポニチ、毎日新聞の記者を連れて、「お昼、ごちそうしますよ!」と、水戸の名物料理をいただきました。
 いやいや、すごい人でした。
 選手の名前をほとんど(全員?)知っていた!

 以前、横浜の小倉清一郎コーチに、「小倉さんから見て、いい野球をしていると思う指導者っているんですか?」と聞いたとき、真っ先に名があがったのが、じつは橋本監督でした。それもあって、今日の取材は楽しみにしていました。
「全員に同じ練習をやらせたい」という橋本監督の考えのもと、全員が動けるような工夫がされていました。ノックでは、同時に3球のボールが動いていて驚きでした。

 なるほどなと思ったのは、バッティング練習。
 どのバッターも、前足に体重を乗せて打っていました。ポイントも前。いま流行りのポイントを後ろにした打ち方とは真逆でした。でも、全員が同じ打ち方をしていたので、何か意図があるはず…。
 そこで、橋本監督に聞いてみると、「いまは途中の段階。前で打たせておいてから、後ろに戻します」と。
 想像するに、引きつけて打つことばかりやっていると、前足に体重が乗ってこなくなるんじゃないか…と。ときには、あえて、前軸で打つことも大事なのかもしれません。

 






2011年01月21日(金) 駒大苫小牧卓球部

 夜、鶴見大コーチの香田誉士史さんと取材を兼ねた食事。久しぶりの渋谷に行ってきました。
 本当は大学のある鶴見で取材の予定が、「駒大苫小牧の卓球部の監督も一緒でいい?」とのことで、場所を変更。卓球部の仲川明監督が全日本選手権の引率で、東京に来ていました。

 香田さんから「ピンポン」と呼ばれていた仲川監督。
「勉強熱心で、本当に面白いやつだから!」と、事前情報を得ていましたが、そのとおりでした。野心にあふれているというか、数時間話しただけでも、勝負にかける情熱が伝わってきました。
 香田さんの前で、あんなに熱く、指導論を語る人は初めて見ました。甲子園2連覇の監督ということで、たいていは、質問攻めにあうことが多いのですが。
「ピンポンといると、ピンポンが8しゃべって、おれは2しゃべるぐらいだな。でも、その8が面白いんだよ」
 いつも思いますが、周りの考えや意見を受け入れてくれるのが、香田さんのすごいところ。ぼくなんかの話でも、ちゃんと聞いてくれますし。

 駒大苫小牧時代、バックアップやカバーリングが有名になりましたが、どのシフトも、香田さんからのトップダウンで生み出されたものではなく、選手と一緒に考えだされたものでした。
 年末の愛知トレーニング交歓会でもその話をしていました。
 講演会でバックアップの話をしたあと、ある先生が「教えてもらったシフトをそのままマネすることに何の意味もない。選手と話し合ったすえに、シフトが生み出されることに意味がある」と、とても印象深い言葉を残していました。

 仲川監督曰く、「香田さんは、練習を何度も止めて、『ちょっと、みんな来てくれ! 分からないことがあったから、みんなで考えて、意見を出し合ってくれないか』と言ってましたよ」。
 こんなこと、なかなかできないですよね…。

 仲川監督が面白いことを言っていました。
「卓球界で、『ボールを見て打て!』と教えているのは日本ぐらい。ボールを見て打っていたら、相手の動きが分からない」と。
 卓球界のことはよくわからないので詳しいことは言えませんが、面白いなぁと。

 で、肝心の取材のテーマは、「香田さんが語る斎藤佑樹」。
 取材の内容は、『斎藤佑樹100人の証言』(宝島社)に掲載されます。

 ちょっと笑えたのは、斎藤と戦った翌年、駒大苫小牧でも通称「ベッカムカプセル」を取り入れたという話。2006年にも使っていたら、勝敗は分からなかったかも?!
 




2011年01月20日(木) そのまんまの内竜也&成瀬善久


 本日はロッテ浦和球場へ。内竜也投手の取材です。
 
 県川崎工業時代の内投手と、ほとんど変わらない素朴な語りと、超プラス思考の発想に、何だか、ひと安心。
 有名な話ですが、川崎市立川中島中時代は、バスケ部に所属。「(野球部の)坊主がいやだったから」という、のちのプロ野球選手とは思えぬ理由でした。
 野球部に入ったのは中2秋から。体育祭で応援団に駆り出され、「応援団は坊主」という決まりがあったそうです。野球部の坊主はいやだったのに、応援団の坊主はOKだったそうで、あっさりと坊主に。それをきっかけに、野球部に転部しました。

 某HPに、「顧問の先生の体罰があったので、野球部に入らなかった」云々…とありますが、それは誤情報ですので!!
 当時の顧問・高山裕一先生(現・川崎市立西中原中)が泣いています(笑)。
 
 内投手、今年は1月4日から(5日だったかな)、鹿児島で自主トレを開始。高山先生によれば、「こんなに早く、練習をしているのは今年が初めて。やっと、プロの自覚が出てきたかな」とうれしそう。それまでは、高山先生とゴルフに行ったりしていたとか…。
 
 内投手に言われて、初めて気付きましたが、七十七銀行から千葉ロッテ入りした、小林敦投手が同期になるんですね。横浜高校出身の成瀬善久投手も、もちろん同期。同じ代、それも同じ県のピッチャーが、1チームに3人も集まるなんて、そうそうないことですよね。
 
 昨年末、小山市立第三中にうかがったとき、ちょうど、成瀬投手(小山市立桑中出身)の野球教室が開かれていました。桑中時代の恩師である石原栄範先生(現・小山市立第三中)らと、昼ごはんを一緒に食べましたが、「何でそんなに覚えているの?」と言うぐらい、中学時代の話を細かく教えてくれました。
 
 成瀬投手は中3夏、全中ベスト4。関東大会4試合すべて、0対0の特別延長戦という、疲れる試合をしています(笑)。成瀬投手も打たれませんでしたが、味方打線もまったく打てなかったんですねぇ…。

 ご飯を食べながら、昨シーズン(2010年)の被本塁打の話になりました。
「前半戦は多かったですけど、後半は少なくなってますよ!」
 結果を調べてみると、本当にそのとおり。後半は、今季から採用する低反発球を使っていたそうで、「いかれたかな…と思う打球が、フェンス前で失速していた」と、興味深いコメント。もしかしたら、リーグ全体のホームラン数が減るかもしれませんね。



2011年01月19日(水) 近藤健介と高山俊

 本日は横浜高校へ。

 渡辺監督、近藤健介、乙坂智らに取材。
 乙坂は言葉に力を持っていますね。ひとつひとつの質問に対して、しっかりと考えてから、自分の言葉で表現してくれる選手です。
 渡辺監督によれば、ときに、カッとなり周りが見えなくこともあるそうですが、それだけの熱い心を持っています。大人しい選手が多い、今年の横浜には、必要不可欠な存在といっていいでしょう。

 この日はノックのあと、ロングティー。近藤健介の飛距離がずば抜けていました。見間違えでなければ、三塁線から、ライトネットの上を越す大きな当たりを何度も。しかも、左右にぶれることなく、真っすぐ一直線に打球を飛ばしていたことに驚かされました。

 近藤は小学6年生のとき、千葉ロッテマリーンズジュニア(NPB主催の12球団ジュニアトーナメント)のメンバーに選ばれています。
 このとき、ピッチャーをしていたのが、現在の木更津総合のエース角張健。主軸を打っていたのが、日大三の核弾頭・高山俊。角張と高山は船橋市立七林中の出身ですが、角張は野球部、高山は船橋中央シニアでプレーしていました。
 そんな関係もあり、近藤と高山は今でも仲がいいとか。ともに、センバツ注目のバッターです。

 ちなみに七林中は毎年のように好選手を輩出する名門。巨人→日本ハムの林投手も、卒業生のひとりです。林投手のときは、夏の関東大会に出場しています。
 今年の中2のピッチャーも、県選抜に名を連ねる逸材くん。ピッチャーは、九州国際大付属の若生正広監督の兄・若生智男さん(元阪神など)が指導しているとか。どのような指導をしているか、一度うかがってみたいです。

 九州国際大付属といえば、キャッチャーでキャプテンの高城俊人が、福岡ソフトバンクジュニアの出身。近藤に、ジュニアトーナメントで印象に残った選手を聞くと、まっさきに名があがったのが、この高城でした。肩がとんでもなかった、と。
 九国のメンバーを見ると、軟式出身はエースの三好匠だけなんですね。北九州市立大谷中時代に全中ベスト4、Kボールでは全国制覇を成し遂げています。横浜も、軟式出身は近藤(修徳学園中出身)だけです…。



2011年01月17日(月) 一二三の眉毛の真相


 本日は東海大相模へ。

 センバツ発表前のチーム状況を取材。不動の1番ライト・渡辺勝が、前日の紅白戦では3番ショートで出場。「選手の可能性を広げたい」と常々話す門馬敬治監督らしい、コンバートと感じました。ちなみに、その前にはセンターの臼田哲也がサードへ、レフトの菅野もサードをやっていたようです。
 渡辺は「怖いです。気疲れします…」と苦笑いでしたが、本番ではどうなるか…。

 一二三の話も少々。
 一二三に関しては、少しページが多めの原稿を執筆中。取材をする中でどうしても解き明かしたかったのが、「眉毛」と「バックアップ」。テレビを見ていた人なら気付いたと思いますが、センバツよりも夏のほうが、眉毛が細くなっていました。やりすぎでしょう!…と思うほど。
 で、バックアップ、カバーリングにこだわる東海大相模にもかかわらず、一二三はバックアップをほとんど(まったくかな)していませんでした。
監督として、この2点をどう考え、どう指導していたのか。門馬監督なりの想いを明かしてくれました。

 練習では、キャプテン佐藤大貢の姿勢が光っていました。
 東海大翔洋中のときからずっと見ている選手ですが、技術云々よりも、野球に取り組む姿勢が素晴らしい。表情もいいです。「あの子の表情は抜群にいいね」と褒めるスカウトもいます。
 体つきも、秋を終えてから、だいぶかわってきました。「かなり、大きくなったでしょう」と、門馬監督もうれしそうでした。
 今年は、例年よりもウエイトトレーニングに力を入れているとか。これがどういう方向に出るでしょうか。

 うれしかったのは、相模原市立大野台中出身の左腕・庄司が頑張っていたこと。中2夏に全中に出場しています。
「庄司は真面目すぎるほど真面目。努力を続けられる子だから、何かのきっかけで一気にいく可能性はあるよ」と門馬監督。フィールディングやけん制のうまさは、チームでも抜けているとか。実戦で使われてこそ力を発揮するタイプだけに、そのチャンスが欲しいところ。




2011年01月15日(土) 前橋育英へ 監督は神奈川出身


 昨秋に続き、2度目の前橋育英へ。
 
 荒井直樹監督は横浜市出身。途中で引っ越したがそうですが、横浜市立鶴ヶ峰中では阿波野秀幸(元近鉄など)と同期だったとか!

 日大藤沢ではエースとして活躍。1つ下には、中日で活躍する山本昌がいたそうです。
 荒井監督は3年夏には、神奈川大会で2試合連続ノーヒットノーランを達成。いまだに、神奈川グラフの「大会記録」に残っています。
 卒業後、いすゞ自動車に進み、バッターに転向。補強選手をあわせると、都市対抗に7年連続で出場した実績を持っている、すごい方なのです。

 そのあと、日大藤沢のコーチ・監督を務め、縁あって、前橋育英へ。町のおじいちゃん、おばあちゃんと地域の清掃をしたり、ゲートボール大会をしたり、花壇を作ったり、野球以外のところにも力を注ぎ、チームを作ってきました。その活動が認められたのか、今年もあわせて、21世紀枠の県代表に3度も選ばれています。私立ではとても珍しいことです。

 練習は、いい意味で普通です。指導者が理不尽に怒ることはなく、選手も普通に野球に取り組んでいます。
「無理しているのが一番イヤなんですよね。普通でいいんです、普通で」と、サラリという荒井監督。ほかの強豪とは少し違う空気が流れています。

 コーチ陣も豪華。
 清水コーチの弟はソフトバンクの清水将海捕手、福井コーチの弟は広島カープの福井優也投手。全国に数多くのコーチがいますが、コーチ陣の弟がともにプロ野球選手というのは、前橋育英だけでしょう!

 ちなみに、ユニホームのデザインは、いすゞモデル。高校野球では珍しい黄色も使われています。賛否両論ありますが(笑)。



2011年01月13日(木) ボールを呼び込め!(習志野七中)


 本日は千葉・習志野市立第七中へ。
 
 昨夏、千葉県大会を制し、関東ベスト8進出。そして、秋にも県準優勝。いま勢いのある中学校です。

 チームを率いるのは、とっても厳しい伊藤将啓先生。ひとことでいえば、理不尽な指導者です(笑)。めちゃくちゃ怒ります。でも、フォローも忘れず…。怒った日は、必ず、生徒の家に電話をして、優しい言葉をかけるとか。

 1月は17時完全下校。1時間ほどしか練習ができません。そんなこともあり、練習を切り替えるスピード、選手のキビキビした動きのすさまじいこと。1分どころか、1秒すら無駄にしない意識を感じることができました。
 
 印象的だったのは、ティーバッティングを終えたあとのボール拾い。
「ボール! ボール! ボール!」と、叫びながら、ボールを拾います。
「何ですか、あれは?」と聞くと、「ボールを拾いにいくんじゃなくて、自分のほうにボールを呼び込む!」と。そんなふうな発想を思いつくことが、伊藤先生らしいです。

 ちなみに、以前も書いたかもしれませんが、明徳義塾高校は、「1・2・3・4・5…」と、ボールを数えながら、拾っていきます。このほうが早く拾えるとか。明徳義塾中・高で指導をしていた狭間善徳先生も、現在の明石商で同じようなことをされていました。

 それぞれの指導者のこだわりが面白いですね。



2011年01月10日(月) 日本文理&宮内中


 新潟へ。
 日本文理と長岡市立宮内中の取材です。

 日本文理は、大井道夫監督の取材。伊藤―若林の準優勝バッテリーを、「中学軟式」がらみで取材したことはありますが、監督にお話しを聞くのはこれが初めて。事前に、大井監督をよく知る人に、「話し好きの方ですか」とリサーチすると、「好きなんてものじゃない。ずっとしゃべっていますよ!」との反応。

 取材は、まさにそのとおりの流れだった。とにかく、よくしゃべる。そして、話が面白い! やっぱり、勝っている監督は「話術」を持っていますね。

 取材テーマは、春のセンバツは一切関係なく、「大井監督とメジャーリーグ」。じつは大井監督は知る人ぞ知る、メジャーリーグ通。パンチョ伊東さんとも親交が深く、何度か、生でメジャーリーグ観戦をしています。いまも、時間があれば、BSのメジャーリーグ中継を見ているとか。
 初めて、観戦にいったのが、早稲田大学を卒業してすぐのこと。もう40年近く前のことになります。いまのようにメジャーリーグが身近な存在ではなかったときから、その魅力にとりつかれていました。

 大井監督の取材を終えたあとは、在来線と新幹線を乗り継いで長岡市にある宮内中へ。日本文理がある新潟市と長岡市では、積雪量が全然違うんですね。長岡市では、当たり前のように、雪がつもっていました。

 宮内中を率いるのは、前任の十日町中で全中ベスト8に入った実績を持つ夏井徳治先生。「雪をも溶かす情熱」「雪を言い訳にしない」をモットーに、すさまじく熱い指導をしています。
 驚くのはその試合数です。2月から遠征に出かけ、多いときには年間で150試合。今年も3月第1週には千葉に、第2週には神奈川・秦野に遠征予定。保護者の協力がすごいですね。

 取材後は、へぎそばを御馳走に。3〜4人前ぐらいのへぎそばを、編集部・菊地選手とひたすら食べる。おいしかったです!



2011年01月06日(木) 「野球が教えてくれる本当に大切なこと」 by猿橋善宏

 何度も取材でお世話になっている、宮城・しらかし台中の猿橋善宏先生。野球の指導法だけでなく、「生き方」について教えてくれる素晴らしい先生です。
 話が上手で、知識も豊富。「先生の話しを聞くと、勇気をもらえる」と、わざわざ、ミーティングを聞きにくるOBがいるほどです。

 そんな猿橋先生の講演会の模様が何と、ユーチューブで見られるようになっていました!
 2年前に行われた、宮城県中体連主催の講演会です。とても先生とは思えぬ話し方に、驚かれる人もいるかも…。
「夢は学校を作ること」と語る猿橋先生の講演を、ぜひ聞いてみてください。

http://www.youtube.com/watch?v=zlemS1Y4UqU

「ユーチューブ」のHPから、「猿橋」の検索でもアクセスできます。



2011年01月04日(火) 2011年 中学野球日程

 あけまして、おめでとうございます。
 何十年ぶりかに、元旦に初詣に行ってきました。成田山へ。千葉の某高校の監督さんもお参りにいらしていました。


 中学軟式野球、全国大会の日程も発表されています。
 今年の全中は和歌山県、全日本は例年どおり横浜スタジアムです。

●全中=8月17〜20日
●全日本=8月22〜25日

 中1日!
 今年も楽しい夏になりそうです。

 ちなみに…、先日の新聞にも出ていましたが、横浜スタジアムをドーム化する話もあるとか。涼しい環境で野球をやれると思いますが、中学生がドームで野球をやるのもなぁ…。

 今年のテーマは「健康」。歳を感じる今日この頃…。

 今年も1年、よろしくお願いします!


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