将来、単行本を出すのが目標だ。でも、何を書きたい、誰を書きたいという具体的なことは何ひとつない。ただ、読み終わったあとに「あぁ、この本読んで良かったなぁ」と思える本を書きたい。それだけは頭にある。
半年ほど前から貪るように小説を読むようになった。それを知っている上司に「誰が面白い?」と聞かれたことがある。私は「宮部みゆき」と答えた。すると、上司は言った。 「宮部みゆき、おれも読むよ。確かに面白いよ。でもさ、宮部みゆきを読んで人生変わる?」 「いや、変わらないです」 「そうだよね。面白いけど、人生や考え方が変わることはあまりないよ。おれは読んだ人の人生が変わるような本を書いて行きたいんだよね」 私は、うんうんと頷いた。
『新潮45』に「読まずにすませるベストセラー」というコーナーがある。毎月3つの本を選び、要旨をかいつまんで説明し、読んだような気にさせる。 11月号では高橋源一郎氏が書いた『1億3千万人のための小説教室』が紹介されている。 私は紹介記事の冒頭に、釘付けになった。
「最後の頁を読み終えて顔をあげたとき、目に映る姿が、これまでとは違ってみえること。 良い本の条件はただ一点、これのみである。世界中が輝いて見えるような、ドラマティックな変化ではなくてもいい、ほんの僅かな変化でいい」
将来、本を書きたい。
2002年10月20日(日) |
東林中学 日本一への挑戦(2) 守備の要を育てる【1】 |
私は中学生のとき、野球部に在籍していた。 3年の夏、横浜市大会準決勝の相手は、桐蔭学園中学だった。2本のホームランで常に先手を取りながらも、終盤に追い付かれ、最後は2−3でサヨナラ負けをした。
桐蔭中との試合、印象に残っていることがある。 キャッチャーが1球1球、ベンチにいる監督を見ていた。次に何を投げさせたら良いのか、キャッチャーが考えるのではなく、監督が考えている。監督の指示を受けて、キャッチャーはピッチャーにサインを送る。牽制ひとつとっても、そうだった。全ては監督のサインで試合が動いていた。 試合が終わってから、「桐蔭の野球って汚ねぇ〜よ。配球ぐらい、自分で考えろよな」と選手同士で愚痴りあっていたのを覚えている。
2年前、東林中・佐相先生と初めて会ったとき、この桐蔭中の話をした。すると意外なことに、「オレも1球ごとに球種のサイン出してるよ」と平然と答えた。理由を訊くと、「ベンチからサインを出すことで、キャッチャーに配球を勉強させることができる。あとはもうひとつ。キャッチャーの配球ミスで打たれた場合、キャッチャーにその責任を全て背負いこますのは中学生では酷だと思うから」
不意に後頭部をガツンと殴られたような衝撃を受けた。キャッチャーを育てる意味があるとは思いもつかなかった。
今年の夏の市大会。私は全試合、佐相先生の動きが見える位置に座った。試合中、どんな動きをするのか、どんな指示を出すのか見たかったからだ。 この夏、先生はキャッチャーに対して、球種のサインはほとんど送っていなかった。ランナー三塁など、スクイズやエンドランの可能性がある場面では、指示を出していたようだが、それ以外は任せていた。 「この夏はキャッチャーに任せようかなと思ってね。困ったときだけ、オレの方を見ろと言ってあるんだよ。自分で考えてサイン出して、それで打たれたら納得行くだろう」
上溝中との県大会決勝で、こんなシーンがあった。1−1の同点で迎えた、延長8回裏。上溝中は1死一、二塁とサヨナラのチャンスを作り、打席には右打ちの4番を迎えた。東林中はスライダーとシンカーを武器にする右サイドスローのエースが投げていた。 初球 外ストレート 見逃し ストライク 2球目 外ストレート 見逃し ストライク 3球目 外スライダー 見逃し ボール ポンポンと追い込み、得意のスライダーで誘い、カウント2−1。4球目、キャッチャーは前の球と同じスライダーを要求した。少し甘く入ったボールは、完璧に捕らえられ、レフトオーバーの二塁打。二塁走者が生還し、上溝中の優勝が決まった。
上溝中の優勝を称える表彰式が始まった。東林中の選手は三塁側のベンチ前に一列に並び、その様子を眺めていた。けれども、ひとりだけ、列から外れている選手がいた。配球を任せられたキャッチャーだ。「鉄は熱いうちに打て」といわんばかりに、表彰式そっちのけで、先生は打たれた配球について反省を促していた。
試合後、近くのファミレスで一緒に昼食をとりながら、話した。 「あの場面は明らかにスライダー勝負の配球で、バッターもスライダーを読んでいた。そこに甘いスライダーを投げれば、打たれるに決まってる。もっと考えて、リードをしないと。やっぱり、大事な場面ではオレがサインを送った方が良いのかな……」
先月22日、東林中グラウンドで3年生の引退試合「3年生対1、2年生」が行われた。1、2年生チームのキャッチャーは、旧チームでもサードのレギュラーを掴んでいた選手が務めた。新チームになり、キャッチャーへコンバートされたのだ。
2試合行われた引退試合。1試合目は、「今日は中立の立場だから、ネット裏から見るよ」と、どちらのベンチにも座らず、戦況を見つめた佐相先生だったが、第2試合ではキャッチャーへ配球のサインを送るため、1、2年生チームのベンチに座った。
7回表、2死二塁。カブレラが打席に歩を進めようとしたとき、一塁ベンチからマリーンズの小野ピッチングコーチが出てきた。小林宏ー里崎のバッテリーを中心に、マウンドに輪ができる。1分半ほどの話し合い。3万2千人の観客が、ざわついた。
話を終えた里崎がキャッチャーの位置に戻る。座らず、立ったまま。球場全体から、言葉にならない罵声、怒声が里崎に向けられた。
数秒後、里崎は腰を下ろした。ミットを自分の身体にグイッグイッと近づけ、「思い切って投げて来い!」と小林宏に合図を送った。
勝負の意思が見えた瞬間、ライオンズファンはもちろん、マリーンズファンからも、大きな拍手が送られた。
カブレラの応援が始まる。ライトスタンドに眼を向けると、マリーンズ応援団も、トランペットの音色にのり、応援をしていた。どういう感情で応援していたのかは分からない。でも、見るものの気持ちを暖かくさせる光景だった。
カブレラは、今シーズン最後の打席を、持ち味であるフルスイングで締めた。フォークを3球。全てボール球だった。
小さくガッツポーズをしたマリーンズバッテリー。ライトスタンドの応援団は、カブレラに向けた以上の大きな大きな拍手をしていた。 試合終了後、ライオンズ応援団がマリーンズファンに向けて、エールを送った。今シーズン、これが最終戦となるライオンズ。残り2試合を残すマリーンズへのエール、来季の健闘を願うエールだった。
マリーンズ応援団もそれに応えるために、エールの準備をし始めた。団長とおぼしき人が音頭をとる。
「がんばれ、がんばれ、ライオンズ!」
ライオンズの倍以上の声量だった。
最後まで残っていたレフト側、三塁側の観客から、この日一番とも思える拍手が沸き起こった。
日本中が注目した、カブレラの今シーズン最終試合。「日本一の応援団」と評判のマリーンズ応援団が、素晴らしき舞台を演出をした。
「12球団で一番の応援団はどこか」と訊かれれば、私は間違いなく「マリーンズ」と答える。
2002年10月05日(土) |
スポーツライター塾のお知らせ |
〜お知らせ〜 私がお世話になっているスポーツライター小林信也氏の 「スポーツライター塾」が11月から東京・三鷹で開講されます。 日程は11月8日から翌年2月14日まで、隔週金曜日、月2回、全8回行います。 受講料は税込みで3万円。時間は19時〜21時半です。
詳細は http://www.s-move.jp/writer/ で掲載される予定です。 個人的に詳細を知りたい方は、私宛にメールを送信下さい。
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