9月24日に第1回を書き始めてから、3ヶ月が経ちました。おかげさまでアクセスも3500を越え、「これだけ、読んでくれている人がいるんだ」と励みになっています。アクセスして頂いた全ての方に感謝いたします。
『野球日記』を書いていく上で一番悩んだのが、自分のスタイルです。最初は、何でもかんでも、その日起きた野球の事柄について書くつもりでした。例えば、「PL学園いじめ事件」が起きたら、そのことについて自分の考えを書く。今でいえば、「星野阪神」について書く。けれども、意識的にこのような時事ネタに関わらないように書いてきました。それは、せっかく「好きなこと」を書ける場を与えられているのだから、自分の「書きたいこと」を書こうとの思いがあったからです。そのせいで、書きたいことがないときは、更新頻度が遅くなることもありましたが(笑)。 特にこのオフシーズンはネタ探しに非常に困っています(笑)。他の日記作家さんの作品を見て、「なるほど、こういうネタも良いな!」と思うこともあるのですが、思うだけでした(笑)。
さて、来年も今の「書きたいことを書く」スタイルを貫きたいと思います。ボーイズ、シニア、軟式など中学野球の話し、そして今年以上に高校、大学野球について書いていくつもりです。プロは? なぜか最近、あんまり興味がないんですよね(苦笑)。試合はしょっちゅう見るのですが、それを日記に書きたいとまでは思えないのです。なぜでしょうか。。。
では、読者のみなさま今年はありがとうございました。 来年は今年以上におもしろい日記を書けるよう精進いたしますので、よろしくお願いします。よいお年をお迎え下さい。
2001年12月25日(火) |
中学野球を変える No.1 |
中学時代、野球部の先生はとてつもなく怖かった。「この人には情という言葉がないのか」と思うほど、采配もシビアだった。 練習試合では、ひとつのミスでベンチに下げられることもたびたびあった。イニングが始まる前に内野陣はボール回しをするが、そのボール回しで暴投をしてしまい、1回表の守備につく前にベンチに下げられた選手もいた。 エンドランで、フライを上げようものなら、即交代。打席に立つたびに、「エンドランのサインは止めてくれ」と思っていたほどだ。とくに、「1アウト、あるいはノーアウトランナー3塁」でエンドランを出されると、心臓が止まりそうなほど緊張したのを覚えている。 ランナーが3塁から走ってくるため、打者はバットに当て、なおかつ必ず転がさなければいけない。得点の確率は高いものの、リスクは相当高い作戦だった。
中学野球は大会が進めば進むほど、1−0や2−1など、ロースコアの試合が多くなる。投手が良ければ、軟式ゆえにそう簡単に打ち崩すことはできないからだ。そこで、「ランナー3塁」でのエンドランという奇襲が生まれた。
先日の神奈川新聞にこの作戦を最初に使ったのが、筑川利希也の母校である東林中(神奈川県相模原市)の佐相真澄先生だと書いてあった。佐相先生については、第1回の日記で少しだけ触れたが、中学野球界では名将と呼ばれる先生であり、過去に赴任した中学を、全て全国大会に導いた実績を持っている。92年には、「エンドラン」を多用し、全日本少年軟式野球大会で見事3位に入賞した。
佐相先生が赴任するチームは、他を圧倒する打撃力をもつ。練習の大半を打撃の時間に割き、自身の打撃理論を教え込む。月に数回、野球の理論を自ら書いたミニ新聞を選手に配る。全ては、「上で通用する選手になって欲しい」という願いからだ。
今年の夏、大和引地台球場で神奈川県中学大会を見た。東林中の打撃は圧倒的だった。他のチームは軟式ボールの特性を生かそうと、叩きつけるバッティングを多用し、足で稼ぐヒットを狙っていた。県大会レベルになると、投手が良いため、1−0で勝つためには最適な策である。しかし、東林中は違った。しっかりと腰の座ったバッティングを見せ、初戦ではコールド勝ちを収めた。 以前、「軟式と硬式で打ち方や教え方は違うんですか」と尋ねたことがある。 「いや、基本的には一緒だよ。しっかりとした技術を教えてやれば、軟式ボールでも打てるようになる。叩きつけるバッティングで打っていても、上に行ったら通用しないから」と先生は答えたていた。
そういえばと、ふと思い出すと、夏の県大会でも東林中は「エンドラン」を使っていたが、エンドランでもしっかりとした打撃をしていた。「当てよう」「とにかく転がそう」という打ち方ではなく、いつもと同じように打ち、ゴロを転がしていた。 先生曰く、「エンドランだって、きちんとした打撃が出来て初めて成功する作戦だから多用してきた」。
東林中は、今年8月に行なわれた『Kボール世界選手権』に日本代表として出場し、見事3位に輝いた。先生が指導してきた理論が、世界でも通用することを見せた。
東林中のスコアを見ていると、5−0、4−3、3−1など、自分が中学生のときには考えられなかった得点スコアであることが多い。「とにかく打ち勝つチームを作りたい」と以前言っていたことを思い出す。目先の勝利に拘り、1−0で勝つよりも、しっかりとした打撃理論を教え、上でも通用する選手を育てる。
佐相先生のような考えをお持ちの方が、神奈川の高校野球を支えているのだと思う。
前回に引き続き、ラグビーの話。
先週の16日から全国大学ラグビーが開幕した。秩父宮では、早大vs大東大、関東学院大vs京産大が行なわれ、早大と関東学院が2回戦進出を決めた。 第2試合の関東学院大vs京産大をゴール裏から見ていたら、近くにいた男性二人組がビール片手に、京産大に対して盛んにヤジを飛ばしていた。この日の京産大は前半こそトライを奪うなど善戦を見せていたが、後半に入るとディフェンスはズタズタに切り裂かれ、昨季の覇者・関東学院大に75−14で敗退した。 関東学院にトライを取られ、インゴールで円陣を組んでいるとき、ヤジは飛ばされた。 「こんな試合見に来たんじゃね〜よ! 金返せよな! 入場料返せよ! やる気あんのかよ!」 インゴールとスタンドの距離から見て、選手には充分聞こえる近さだった。 ヤジを聞いて、私の隣で見ていた女性が呟いた。 「あんなこと言わなくても良いじゃん。選手だって頑張ってるよ」 私も同感だった。言葉に言い表せないほど、不快だった。同時に「おっさん、ここはラグビー場だよ。居酒屋じゃないんだよ」と心の中で呟いた。
何度もトライを取られ、京産大の選手がインゴールに位置するたびに、ヤジは繰り返された。
試合後、京産大の大西監督は選手を誉めた。 「関東学院相手に、今の戦力でよくやってくれたと思う。特に前半は自分たちの力が出せていた」 監督はこうも続けた。 「今わたしたちの部は、部員45名と厳しい状況にいます。でも、今日の試合は学生が一生懸命、ケガ人が多い中でも頑張ってくれました。あと2、3年は掛かるかもしれないが、必ずや関東のファンの前で京産大の力を見せたいです」
関東学院大vs京産大といえば、97年度の大学選手権準決勝と同じカードでもある。かつての京産大の実力からすれば、1回戦で関東学院と当たることは考えられなかった。京産大は、ともに日本代表であり、神戸製鋼で活躍するCTB吉田明やFB大畑大介を生み出した名門校であるが、近年は実力の衰退と部員の減少は激しい。関西大学リーグでは下級生だけのリーグ戦である「ジュニアリーグ」が行われているが、京産大は部員数の不足により2年連続で辞退しているという。
『スポーツライターの心得』を私に教えてくれたN先生は、「スポーツを書くためには、まずはスポーツを好きになりなさい。選手を好きになりなさい。好きになって、たくさんのことを知って、そうすれば良い所が見えてくる。知らないで批判だけするのは、もってのほか。正面から温かい目で物事を見なさい」と何度もおっしゃっていた。
京産大のラグビーは、確かに関東学院と比べると雲泥の差があった。でも、私には一生懸命やっている気持ちは伝わってきた。「入場料返せ!」と、選手に対して思う気持ちなど、微塵もなかった。 「ダメだよ」「何やってんだよ」と、批判や文句を言うのは誰にでも出来る。でも、そこから何が生まれるのだろうか。
ラグビーの全国社会人大会が15日、東京・秩父宮ラグビー場など5会場で開幕した。秩父宮では前回大会ベスト4のNEC(東日本2位)とサントリー(東日本1位)が登場し、ともに100点ゲームで快勝。22日に行なわれる2回戦に進んだ。
第1試合でNECと対戦したのは、西日本リーグ3位のコカ・コーラウエストジャパン。近年、ラグビー部強化に力を入れ始め、急速に力を付けてきている。関東学院大時代に、SOとして大活躍した淵上が入社してからは、有望新人が続々と入部。今大会は、前回に続き2度目の全国大会出場だった。
試合開始早々、NEC攻撃陣の前にディフェンスはずたずたに崩された。開始2分でトライを奪われると、最後の最後まで終始NECペースでゲームは推移。全国大会初戦は、102−0という屈辱的大敗だった。
試合後、コカ・コーラウエストジャパンの石丸コーチは、「出来ることなら、もっと多くの試合をこなしたい」と話した。全国社会人大会は平成7年度から続いたW杯方式を、前回大会からトーナメント方式に戻した。W杯方式とは、全国の出場校を4チームづつ4ブロックに分け、上位2チームが決勝トーナメントに進む方式である。これだと、どんなに弱いチームでも最低3試合は全国のレベルを肌で感じることができる。トーナメント方式に戻した理由には、日程の問題やテレビ中継の絡みがあったと聞く。
石丸コーチは、「今日の試合で東日本のプレーの精度の高さが、身に染みて分かった。得点は開いたが、またひとつ勉強になりました。以前のようなW杯方式ですと、最低3試合はでき、レベルの差を肌で感じる機会も増えるのですが・・・」と、試合数の増加を切に願っていた。
さて、9月から始まった高校野球の東京都秋季大会は、日大三の2年連続優勝で2ヶ月前に幕を閉じた。このオフ期間に、それぞれのチームが春季大会を目指し練習に励んでいることだと思う。 でも、その春季大会に出れないチームもある。東京都は秋季大会が、翌年の春季大会の出場権も兼ねているのだ。秋季大会は、まずブロック予選から始まるのだが、そこで3回戦に進めなければ、春の出場権を失う仕組みになっており、多くの都立高校は、出場権を得ることを目標としている。
秋季大会2回戦までに負けてしまうと、どういうことが起きるか。9月に新チーム初めての公式戦であるブロック予選を戦う。初戦で負けると、7月から始まる夏の大会まで公式戦が一度もない。つまり、10ヶ月も公式戦がないことになる。たった2試合で引退してしまう部員が数多く存在してしまう・・・。
東京はご存知の通り、夏の予選だけは東・西に分かれて、代表校を争う。今夏の参加校は東が140、西が127校。これが秋と春では、「東京都大会」として戦い、東も西も一緒になる。大変な数の学校が大会に参加することになる。
私の住む神奈川では、秋にブロック予選(3試合)、春にもブロック予選(3試合)がある。そう考えると、多くの学校がたとえ1勝もできなくても、夏も含め、最低7回の公式戦を行うことが可能となる。練習試合では得られない緊張感を味わうこともできるし、背番号も着いている。
都の高野連にすれば、審判やグラウンドの確保が難しいという状況があるようだ。
けれど、たった2試合で引退するほど悲しいことはない。 公式戦は練習試合では得られない、多くのことを学ぶことができる。
2001年12月16日(日) |
掲示板開設のお知らせ(野球日記ではないっす) |
いつも「野球日記」を読んで下さいまして、ありがとうございます。本日から掲示板を設置いたしました。下にある「Home Page」をクリックしていただければ、アクセスできます。スポーツライターを目指している方や、野球が大好きな方、みなさまの書き込みをお待ちしております。
2001年12月12日(水) |
アンフェアorフェア? |
前回の日記で取り上げた審判レポートに、もうひとつ興味深い内容があった。フェアプレイについてである。レポートの筆者は例として、捕手のキャッチングを挙げている。要約したものを、紹介する。
「ストライクゾーンを外れている投球を捕手が捕球する際に、キャッチャーミットを内側に動かし、ストライクのように見せる動作は、日本ではごく当たり前のことのように日常的に行なわれていることが多いのではないでしょうか。しかし、これがアンフェアな行為なのです。ボールの投球をストライクに見えるようにするためのずるい動作であり、審判を騙す、馬鹿にした行為としてアメリカでは、ものすごい批判を浴びます」
以前、TV番組で吉井埋人が「古田なら絶対に大リーグで通用する。古田ほどキャッチング技術があるキャッチャーはいない」と話していたことを思い出す。古田は、ボールをストライクに見せるのが上手い。
高校野球を見ていると「オイオイ! ミット動かしすぎだろ!」と思うぐらい、ボールゾーンのボールをストライクに見せようとする捕手がいる。少年野球の頃から自然に、そういうキャッチングを覚えさせられたのだと思う。
前回紹介した「スター選手ははぜ亡命するか」の中にも、同じような内容を見つけた。数年前、日本球界で大問題になったディミュロ審判について記した項に付け加えて、こう書かれていた。
「捕手がストライクゾーンから、わずかに外れた投球を捕球したあと、ミットをストライクゾーンまで引き寄せて、審判にストライクだとアピールする行為も愚かなことである。そんなことをすれば、その投球をボールとコールされるばかりか、その次にたとえ、ど真ん中に投げたとしても、ボールとしかコールされない」
キーナートさんは、この審判の判定について、「こうして審判は捕手に対して、自分にはごまかしなど通用しないこと、またごまかそうとすれば、自分だけでなく、投手まで窮地に追い込んでしまうことを教えている」と書いている。
冒頭に挙げた審判の方、そしてキーナートさん。おふたりは、「ずるい」「バカにした」という表現で、捕手がキャッチャーミットを動かすことに疑問を呈している。
審判レポートには、こんな続きも書かれている。試合中、ミットを動かしている捕手に、「それは審判員に対するアンフェアな行為だよ。お互いフェアにやろう」と説明。捕手はそれに納得し、その後はフェアなキャッチングで試合を行ったという。 アンフェアな行為について、筆者は「そのようなプレイは絶対に日本の野球界から無くさなくてはなりません。このような指導をされた選手は本当にかわいそうです」と書いている。
私は捕手がミットを動かす行為が、アンフェアだとは一度も思ったことがない。それは野球における技術のひとつだという認識がある。 ミットを動かすのはアンフェア? フェア? どちらなのでしょうか…。
もう4ヶ月前のことになるが、夏の甲子園は日大三が記録的猛打で優勝を飾った。夏の大会で、「No.1投手は?」と聞かれれば、誰を思い浮かべるだろうか。日南学園・寺原、横浜・畠山、あるいは松山商・阿部・・・。まず、この辺りの名前は挙がると思う。しかし、但し書きがつく。「ファンから見た」「スカウトから見た」好投手である。
先日、甲子園で何度も球審を務めた方が、私的に発行している「審判レポート」を読む機会があった。 レポートには「審判から見た」好投手が挙げられていた。そこに書かれていたのは、寺原でもなく畠山でもない、意外なことに1回戦で大敗した十日町・尾身投手だった。レポートの執筆者だけでなく、「他の審判員も尾身投手に対する評価は高かった」という。 十日町は、初戦で強豪・明徳義塾に10−0と敗れた。尾身投手は、初の甲子園という緊張からか、2回までに7点を取られ、劣勢を跳ね返すことは出来なかった。しかし、中盤以降は自分のペースを取り戻し、淡々とテンポ良く、打者を抑えていった。
なぜ、10点も取られ、初戦で散った尾身投手が評価されたのか。レポートにはこう記されている。(以下要約)
「投手の義務であるルールブック8.04を忠実に守るだけでなく、打たれても打たれても投手板に素早く位置し、得点が入るたびに本塁後方にカバーに走り、すぐさま全力疾走で投手板に戻り、投手本来の役割であるストライクゾーンで打者を打ち取るということを徹底していました」
この試合、大差がついたにも関わらず、1時間50分という短い時間で終了した。私もテレビで見ていたが、中盤からは十日町のキビキビとした動きが目立ち、とても大差がついた試合には思えなかった。
試合を裁く審判から見る好投手とは、いかにテンポ良く試合を進めることができる投手か。そして当然のことだが、ルールブックに忠実であること。以上の2点と言えるかもしれない。
プロの投手が尾身投手の心構えを少しでも見習ってくれれば、もう少し試合時間も短くなる気がするのだが。
なお、ルールブック8.04は以下の通りである。
※8.04 塁に走者がいないとき、投手はボールを受けた後20秒以内に打者に投球しなければならない。投手がこの規則に違反して試合を長引かせた場合には、球審はボールを宣告する。 この規則は、無用な試合引き延ばし行為をやめさせ、試合をスピードアップするために定められたものである。従って、審判員は次のことを強調し、それにもかかわらず、投手の明らかな引き延ばし行為があったときには、遅滞なく球審はボールを宣告する。 (1)投球を受けた捕手は、速やかに投手に返球すること。 (2)また、これを受けた投手はただちに投手板を踏んで、投球位置につくこと。
2001年12月04日(火) |
ヘッドスライディング |
今春、神宮球場で行なわれた全日本大学野球選手権のプログラムに、出場校の紹介とともに企業の広告が掲載されていた。その中のひとつに面白いキャッチコピーがある。
「頑張っている人には、ついついジャッジが甘くなってしまいます」
セカンド盗塁を試みるランナーが、明らかにアウトのタイミングにも関わらず、ヘッドスライディングをする。それを見た塁審がセーフのジャッジ。そんな状況の写真があり、「何かに打ち込む人を無条件に応援したい」「頑張っている人に惜しみないエールを送りたい」と広告は締められている。
これを見て、野球大会のプログラムに載せる広告にしては、「冗談がキツイなぁ」と思った。写真を一塁のクロスプレーにしなかっただけ、配慮が効いているとは感じたが。
先日、図書館で「スター選手はなぜ亡命するか」(マーティー・キーナート著 KKベストセラーズ)を借りた。98年1月に出版された本である。内容はメジャーリーグと日本のプロ野球を比べ、日本野球の将来に警笛を鳴らすものだ。いくつかの項目の中に、「一塁へのヘッドスライディングは即アウト」という文があった。
「アメリカ人と日本人の野球に対する考え方のうち、全く正反対なものが、特に高校野球で見られるファーストへのヘッドスライディングだ」と書かれている。 アメリカの場合ヘッドスライディングに対する考え方は、「バカなこと」の一言に尽き、ヘッドスライディングをしてはならない理由には、「スピードが低下する」「ケガの危険性が高い」と2点を記している。 もうひとつ面白い理由として、審判のジャッジも挙げている。 「ヘッドスライディングをした場合、アメリカの審判は必ずと言っていいほど、アウトのコールをするのだ。アメリカの審判はみなヘッドスライディングが、走者のスピードを低下させるうえに、ケガも招きやすい無意味なプレーであることを、十分わかっているからである。(中略) 審判たちにしてみれば、スピードを低下させ、ケガの危険を冒してまで、一塁にヘッドスライディングをするようなバカは、アウトとコールされても当然なのだろう。 ヘッドスライディングを巡るアメリカと日本の間での考え方の相違は大きい。日本人はエキサイティングでガッツあふれるプレーだと考える一方、アメリカ人にしてみれば、アウトになる可能性が大きく、危険なプレーでしかない」と書かれている。
私は高校野球で頻繁に目にする一塁へのヘッドスライディングが、好きである。日本人的な考え方と言われればそれまでだが、「あぁ、頑張ってるな」と応援したくなる。頑張っている選手に対し、冒頭の広告のように審判が応援すると大問題だが、ファンであれば当然構わない。
マーティー・キーナートさんと同じように、「ヘッドスライディングは無意味だよ」とクールに思うようになったときは、高校野球への「熱」が薄れたときだと思う。今の自分は、まだそうなっていないし、なりたくはない。 最終回の攻撃、最後のバッターが、一塁ベースの5mほど手前からヘッドスライディングを試みても、今は素直に拍手を送れる。「明らかにアウト」になるのは、選手自身だって分かってる。でも、心では分かってるけど、身体はまだあきらめてはいないのだ。
ヘッドスライディングで一番印象に残っているのが、99年夏の甲子園準決勝、横浜対明徳義塾の試合である。4−6と横浜2点ビハインドで迎えた9回裏横浜の攻撃。先頭の9番佐藤がヒットで出塁し、1番の加藤が左バッターボックスに。初球、加藤はサード前に絶妙のセーフティーバントを試みた。一塁は際どいタイミングとなり、加藤は気迫のヘッドスライディング。塁審の手は横に広がった。
横浜市民の私は、当然横浜を応援していた。でも、横浜びいきの私でさえも、あれはアウトだったと思う。けれど、それには但し書きがつく。「ヘッドスライディングをしなければ」アウトだった。あの時の加藤のヘッドスライディングには、それほど鬼気迫るものがあった。アウトとジャッジされていれば、横浜高校の春夏連覇はなかったと思うぐらい、大事なプレーだった。
やっぱり私は、高校野球のヘッドスライディングが好きだ。 高校野球から、いつまでも「熱」を感じていたい。
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