加藤のメモ的日記
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2017年07月30日(日) 家族を見送るということ ��

病院で過ごした夜のこと

人間の最後に当たって不当に長く生命を保たせるような医療行為には反対だ、と言ってはいたがm私たち家族は、人間が計画的に自分の生命に終止符をうつことにも反対だった。私たちは、普段から家庭でよくしゃべる家族だったから、そういう点はお互いもすみずみまで好みがわかっていたような気がする。人間の計画で寿命を決めるということは、神か仏が関与する余地を拒否するからであった。

私は一度、ヨーロッパに住んでいる知人から、直接の体験ではないが、安楽死に至る手続きのようなものを、聞いたことがあった。それには、現在安楽死を許可している国の隣国の国境近くの町に、まず死を希望する病人を家族が選ぶ。そして国境を越えてすぐ近くの町にある安楽死病院(あらかじめその意思を伝えてある病院)に電話する。電話してしばらくすると、黒塗りのごく普通の病人輸送車のようなものが来て、病人を連れていく。そして短時間で遺体が返ってくる。

もちをん私の知人は当事者ではないから、その間にどのような手続きや書類がいるかは話してくれない。多分後で法的な問題が起きないように、何度も意思を確かめられ、主治医の診断書や、当事者の同意書などが整えられなければならないのだろうと思うが、私はこういう人為的死の話を聞いて、なぜがあまり幸せな気分になれなかった。私たち夫婦は、進行の深さは別として一応カトリック教徒なので、少なくとも、私は人間の行為のすべての瞬間において「神の介在」を感じさせる要素が要る、と感じているのである。若いころ、私の知人が数人修道女になった。一生結婚もせず、世俗の暮らしから離れて、修道院の中で暮らす、という誓いを立てるのである。そのような決心をする時には、必ず神がその場に立っているのだろう。

警察官が、人命救助のために自分の死を覚悟の上で線路に飛び込む時もそうだ。もしかすると結婚を決意する時にも、そのような現実の声ではない声が聞こえているのかもしれない。私が50歳過ぎに、アフリカで会った多くのシスターたちも、今なぜ繁栄の日本を離れて電気も始終停電し、水はともかくお湯も出ない暮らしを選んだ?と日本で安住している私たちはいぶかしく思う。

「二度とない生涯なのよ。もっと楽に暮らしたら?」と周囲の俗人は言うが、こうした人々は休暇が終わるとさっさとアフリカの僻地に帰っていく。神に呼ばれているから、他に帰る土地はないのだ。人の死ぬ時もそうであるべきだ、と私はどこかで思っていた。長生きをさせなくてもいいよ、と朱門はかねがね言っていたが、彼はこじらせた肺炎で酸素が足りない状態になった。普通民間で使われている酸素吸入器では、1分当たり2リッターからせいぜいで5リッターしか補給できない。しかし救急車で運ばれたような大病院では、15リッターの酸素が供給されると、と私は後で教えらえた。するとてきめんに血中酸素の量は増える。

それでもいつか最後は来るのだが、そのような医療を与えらえた後に訪れる自然な死の後なら、なぜか誰もが穏やかな納得できるような気がするのである。尽くすだけの手を尽くした後は、受験の失敗にも、芸術作品コンペに出した後で落選することにも、一種の爽やかさが贈り物として与えられる。それに近い感覚である。


『週刊現代』3.11  曽野綾子      P79




週刊現代 3.11 78P


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