加藤のメモ的日記
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2016年09月23日(金) |
都議会のドン内田茂(77) 「黒歴史」 |
小池百合子に「どっちが上座かわかっているのか」
■新知事のクビと都連資金10億円を握る自民都連幹事長 ■遺書に「内田許さない」自殺都議の遺族が告発 ■舛添と一緒 毎年事務所費100万円が娘に還流 ■教師殴って高校中退テキヤ雀荘経営から鳩山家の下足番 ■監査役企業が東京五輪施設を逆転受注 売り上げは5割増し
今から11年前の夏、当時の小泉純一郎首相が優勢解散に踏み切った直後のことである。小池百合子環境大臣は、一人の男の事務所を尋ねた。”刺客第一号として兵庫から東京への国替えの挨拶だった。小池氏はその男にに促され、入り口から遠い席に座った。そして男は小池氏にこう言い放った。「あなたはそっちが上座だと思っているかもしれんが、ここでは富士山が見えるこっちが上座なんだよ」男の名は、内田茂都議(77)今や自民党東京都連幹事長にして「都議会のドン」と呼ばれる男だ。
恨みを綴った自殺都議の遺書
7月31日、新都知事が誕生する。有力視される小池百合子氏、増田裕哉氏、鳥越俊太郎氏の3人のうち誰になろうとも向き合わざるを得ないのが都議会、そして内田氏だ。舛添要一前知事の辞任を決定づけたのも内田氏だった。「辞任論が高まった当初、内田氏は『まだ辞めるのは早い』と、リオ五輪後の辞任で舛添氏と握っていた。ところが世論に押され、自民党も不信任案賛成に舵を切った。舛添氏は、内田氏に切られ、進退窮まったのです」(都政担当記者)
2012年末の都知事選で、自らが候補者だった猪瀬直樹元都知事が振り返る。「安倍さんは私を推薦しようとしていたのに、結局内田氏の反対で自民党の推薦は出なかった。(知事就任後)に仁義を切ろうとし電話したのに、本人が出ない。後で聞くと、内田氏は『猪瀬から電話かかってきたけど。出ねぇよ』と吹聴していたそうだ」内田氏はその後猪瀬氏に「五輪までやれると思うなよ」言い放ったという。その後、徳洲会事件で辞任に追い込まれた猪瀬氏は今、公然と「東京のガン」と」内田氏を批判する。さらには、自殺した元都議の遺書を公開したのだ。
〈内田、許さない〉〈人間性のひとかけらももない〉〈人間性のひとかけらまない内田茂。来世では必ず報復します!御覚悟〉2011 年7月に自殺した故・樺山卓司元都議が綴った遺書には、内田氏への恨みが書き綴られてている。樺山氏の次女・A子さんは「小誌に取材の怒りを滲ませた。「遺書が見つかったのは亡くなった1年後でした。内田氏は父に対し、党の控室で悪口を言ったり、幹事長選に立候補しようとした時も、他の都議に『支持するな』と圧力をかけたりしていました。父は地元に原爆慰霊碑を建てようと尽力していましたが、内田氏からは『共産党員になればいい』とも言われていた。父の苦しみに気付いてあげられなかったという思いまって、今も涙が止まりません」
石原慎太郎氏、猪瀬氏、舛添氏ら歴代都知事さえひれ伏してきた都議会のドン・内田氏。彼の政治力を物語るエピソードがある。15年12月16日、内田氏の妻、セイ子さんの通夜が芝公園の増上寺で行われていた。この通夜にわざわざ官邸から安倍晋三首相が駆け付けたのだ。「ただ、本来二人はそれほど親しくない。それでも首相は葬儀委員長を務め、改めて内田氏の政治力を内外に示した格好になりました」(政治部デスク)
なぜ一地方議員に過ぎない内田氏に、それほどの政治力があるのか。都連所属の国会議員の一人はこう語る。「首都・東京の政治を動かしているのは実質上、自民党東京都連です。知事は彼らが担ぐ神輿にすぎない。その都連の会長は石原伸晃経済再生担当相ですが、実際カネとポストを握っているのは、長年、都連幹事長を務めている内田氏。都議はもちろん、選挙で都議に働いてもらう国会議員も内田氏には逆らえない。伸晃氏も内田氏の前では『そうですね』と言うばかり。7月5日に、推薦を求める小池氏と面談した時も、伸晃氏は『私には決められないのは分かっているでしょ』と言うしかなかったそうです」
『週刊文春』8月4日号
2016年09月10日(土) |
一人一人が主権者という新時代の始まり |
個人の幸せのために国がある
早野 立憲主義というのを、志位さんどう解釈していますが?この頃志位さんは憲法13条の「すべて国民は、個人として尊重される…」ということを話されます。これが一番の憲法の根本だと13条に着目したのは?
志位 立憲主義という問題を、一人ひとりの国民から見たらどうなるか、もっとわかりやすい言葉でどう話していけばいいかを考えてきました。研究者の方々からも貴重な意見をいただいた。今の安倍政権の政治の特徴を一言でいうと、国家の暴走によって個人の尊厳を踏みつけにする政治だと言えると思うんですね。
早野 そうですね。
志位 戦争法、沖縄への仕打ち、原発、環太平洋連携協定(TPP)、「一億総括
2016年09月03日(土) |
98歳「中曽根康弘」大勲位 |
警視庁のSP敬語対象から外された98歳「中曽根康弘」大勲位
82歳の天皇陛下が生前退位の意向を示された折も折、御年98歳の中曽根康弘元総理にも、進退を左右しかねない情報が浮上した。政界引退後も”不沈空母”のごとく影響力を誇示してきた大勲位が、人知れずSPの警護対象から外されていたのだ。
わが憲法を打ち立てて、国の礎を築くべき歴史の責を果たさんと、決意は胸に満ち満ちてり―
今から60年前の1956年に発表された、その名も「憲法改正の歌」の一説だ、作詞を手掛けたのは当時”青年将校”と呼ばれた中曽根氏ご本人である。だが、そんな元総理も来年で白寿を迎える身。今年1月にも重病説が囁かれたことがあったという。政治部デスクによれば、「しばらく表舞台に姿を見せず、記者が情報収集に走ったのは事実です。ただ、結局は風邪をひいて大事を取っただけで、入院もしていなかった。5月2日には自身が会長を務める議員同盟の大会に出席し、はっきりとした口調で憲法改正の意義を説いていました」
だがここに来て、大勲位の周辺では別の”異変”が生じていたのである。声を潜めた語るのは社会部記者だ。「実は、この7月末をもって中曽根さんは警視庁のSP敬語対象から外されていたのです」V6の岡田准一がドラマで演じたことも記憶に新しいが、SPとは字警視庁警備部警護課に所属する、要人警護専門の警察官である。
元警視庁警視の江藤史郎氏の解説によれば、「SPの警護対象となるのは、総理大臣や衆参議員の議長、国賓として来日した海外の要人です。また、要請出動という形で国務大臣や各政党の代表も警護しています。それ以外に、”警察庁の警備局長が指定した者”という基準があり、中曽根元総理の場合はmこれに該当すると思われます」
「憲法改正まで頑張る」
ただ、たとえ総理経験者といえども、政界を引退すれば警護対象から外されるのが通例だという。その意味では、98歳までSPを従えてたこと自体、かなりの特別扱いといえる。「政財界に影響力を持つだけでなく、存命中のキッシンジャー元米国務長官や、ゴルバチョフ元ソ連大統領といった、海外の実力者ともパイプがある。そうした点が考慮されて警護が続いていたのでしょう(同)
一方、豊島区にある元総理の自宅の近隣住民はこんな話を明かす。「中曽根さんの政界引退後も、ご自宅の前には24時間体制で警察官が常駐していました。ただ、最近になってご家族から、”7月いっぱいでポリスボックスがなくなるので、戸締りに注意してください”と言われたのです。それを聞いて、中曽根さんの身に何かあったのかと心配していました」
中曽根氏の事務所に事実関係を尋ねると「SPとポリスボックスによる警護対象から外れたのは間違いありません」さらに、長男の中曽根弘文・元外相はこう言う。「警護して頂くのは有り難いのですが、何か起きれば責任問題になってしまう。それで”ほかにも敬語対象はいるだろうし、警察も大変でしょうから”という話はさせてもらっていました。最終的に警護対象から外れてのは警察側のご判断です」
また、健康不安についても言下に否定する「常々、”おれはけんぽうがかいせいされるまではがんばるんだ”といっているし、会長職にある世界平和研究所の会議にも顔を出しています」実際、新年会や誕生会では、先の「憲法改正の歌」を朗々と歌い上げるほど、意気軒高だという。警護の対象からは外れようとも、介護の世話になるおつもりはなさそうだ」
『週刊新潮』8月25号
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