加藤のメモ的日記
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2011年12月29日(木) これから生き残る会社

一つの、長く続いた、キラキラ輝いた時代がもうすぐ終わりを迎える。2011年に立て続けに起こった米国債の格下げ、欧州の欧州の国際危機が象徴するのは、戦後約60年間、米欧中心に回ってきた世界経済システムの終焉に他ならない。これから10年の間にユーロが事実上崩壊し、米国の衰退が明らかになる中、代わって世界の中心に立つのは間違いなく中国だ。信州大学経済学部の真鍋教授が言う。

「中国では現在の貧困層が富を蓄え、人口13億人の約9割にあたる11億人ほどの中間層が誕生し、歴史上最も巨大な経済大国が誕生するだろう。さらにインド、ブラジル、オーストラリアなどが中国に次ぐ中心的な国家となり、続くようにインドネシア、ベトナム、南アフリカなどの国々が急成長を遂げ、新・新興国、巨大消費圏として台頭する。

一方で米欧そして日本といった、かっての先進国は、テレビ、パソコン、家電、車といった主要産業で軒並み雇用が失われる上、グランドコンピューティングなどのIT化が急速に進展する中で中間管理職のポストがなくなり、企業が『1割の経営者と9割のワーカー』という組織に変化する。おのずと現在の比ではないほどの長格差社会が訪れることになるだろう」

過去20ねんにわたって日本経済は停滞の底を泳ぎ続け、どんなに財政政策や金融政策を打っても効かない”麻薬中毒患者”になり果てた。米欧も政府が金をジャブジャブ投入することで何とか経済政策の体を装ってきたが、それもすでに限界。2012年は”かっての先進国”が「国家の信用(=国債)」を市場から見限られるエポックメイキングの年として経済史に記録されることになる。ただ財政破綻という大変動がなくても、日本はもう高成長は期待できない。東証一部に上場する約1700社のうち、統合や合併による再編も含めて、上場企業は半数くらいに減っているだろう」10年経ては、企業の風景はガラリと変わる。

事実、約10年前に日本エアシステムとの経営統合を発表した日本航空は、「絶対に潰れない会社」と言われながら経営破綻した。また10年ほど前に白物家電でシャープと包括提携を発表した三洋電機は、‘11年にはいってその白物家電事業を中国の家電大手ハイアールに売却することを決めた。ピクナル代表の安田氏は「これからはもっと変化の激しい時代になる」と語る。

「IT分野でいえば、つい最近まで『PC対携帯』だったのが、、スマートフォンの登場で戦いの構図が一変した。また一般書店を苦境に追いやった大手ネット書籍通販会社アマゾンが躍進したのもつかもま、電子書籍の登場で家電などへ販売アイテムを拡大させることになり、いまや楽天との闘いという図式になっている。まさに昨日の勝者は今日の敗者になりかねない。

私は『じり貧ジャパン』と呼んでいるが、このまま手をこまねいていては『老大国イギリス』と同じ路を歩みかねないだろう。BRICS諸国(ブラジル、ロシア、インド、中国)が猛スピードで成長する中で、日本企業の優位性などは失われていく。スピード化の中、一つ舵取りを誤れば、10年後は日本の大企業といえども存在の保証はない」



『週刊現代』


2011年12月28日(水) 金正日急死-2

‘11年の2月15日、69歳の誕生日を迎える前日に、改装したばかりの芸術劇場に二人を呼び、芸術鑑賞との名目で二人を握手させた。一瞬ではあったが友好ムードが醸成された。だが、3月下旬にNATO軍がリビアの空爆を行なうと、空気が一変した。「リビアは核開発を放棄し、欧米におもねったからああなった!我が国は断固として核開発を進める。核武装してアメリカに対抗することのみによってのみ、我が国は生存していける!」

金永春率いる強硬派のこうした主張が、急速に支持を得ていった。強硬派が勢いを増せば増すほど、改革路線を推し進める正恩の立場はなくなる。金総書記はまさに最後の力を振り絞って正恩支援を進めた。‘11年4月12日に朝鮮人民軍の人事が発令され、2人の上将、5人の中将、38人の少将が誕生したが、この中に少なからぬ「太子党」の面々が含まれていた。いわば、軍の中に「正恩親衛隊」をつくった形だ。さらに金正書記は6月13日に、中国共産党の李源潮、組織部長を平壌に招いた際、正恩とともに、正恩の後見人といわれる総書記の妹婿の張成沢副委員長などの側近中の側近を出席させたが、この重要な咳に金永春を招かなかった。

「強硬派路線を進める金永春の警告でした。永春のパージも辞さない、という姿勢を見せたのです。そして、金総書記は永春に『金親子に忠誠を示す最後のチャンス』を与えます。8月末、金総書記がロシアに訪問した際に金永春を同行させ、正恩の後見人になることを再度要請した。ところが9月9日、建国63年の閲兵式に、総書記はあえて正恩と金永春を並んで立たせたが、二人はにらみ合うばかりで、溝は深まらなかったようです」(中国の政府高官)

もはや永春に期待はできない。金総書記はそれ以降、重要な会合の場に永春を同席させることはなかった。金親子が永春を見放したとみた中国は、驚くべき決断を下す。正恩を指示するのではなく、なんと金永春に「金総書記亡き後は、中国人民解放軍が金永春を全面的に支援する」と伝えたのだ。中国政府高官は「李副首相らは10月の直接会談で『金総書記の最期は近い』という結論だけでなく、『金正恩は後継者として無能である』という結論も出しました。

正恩は今のところなんの成果も出していない。李副首相も直接正恩と面会して、彼の人となりを見極めたのでしょう。金総書記が最期を迎えるというタイミングに朝鮮人民軍最大の実力者である永春がいなければ、北朝鮮が大混乱に陥るのは自明の理。しかも米軍がイラクから撤退し、アメリカが中国を『新たな主敵』と見立てている中、対米強硬派でもある金永春は頼もしい援軍です」

父親を失ったのみならず、もっとも強力な「人民軍」という後ろ盾を永春に奪われた。北朝鮮が頼れる国が中国しかない以上、金総書記亡き後の金正恩は非常に苦しい立場に置かれることになる。「金総書記の私語、中国側は早速正恩に究極の選択を迫っている。それは、金永春一派の軍門に下り、朝鮮人民軍と中国の傀儡となるか、それとも亡命の道を選ぶか、というものです。しかし万が一後者を選んでも、中国はすでに『もし正恩が我が国に亡命してきても、これを受け入れるつもりはない。許すのはせいぜい1〜2ヶ月のトランジット滞在だ』ということを決定しており、水面下でも正恩に伝わっているはずです。(中国政府高官)


『週刊現代』


2011年12月27日(火) 金正日急死

「金永春人民副部長は、過去30年近くにわたって金総書記を支え、ひたすら”汚れ役”を務めてきた人物です。‘83年に韓国の全斗瑍大統領らの暗殺を目論んだ『ラングーン事件』や、‘87年の大韓航空機爆破事件など、金総書記の命を受けて、数々のテロを主導してきました。金総書記は、軍を最優先する『先軍政治』を掲げていましたが、この路線を推し進めたのも金永春といわれており、まさに金正書記の右腕として活躍してきた人物で、強硬派の代表格。その人物が参加していないということは、金親子と軍部との間に深刻な対立が生まれているのを伺わせるのに十分でした」

‘9年2月、金永春は金正恩が内々に「後継指名」を受けた一ヵ月後金正書記の67歳の誕生日を祝う席で「将来の金正恩体制を全面的に支える!」と高らかに宣言し、金総書記から人民武力部長の指名を受けた。正恩には権力基盤がないため、金総書記は朝鮮人民軍を掌握する金永春を国防相に昇格させ「後見人」の役を託したのだ。

しかし、この二人の考え方が全く違うために、北朝鮮の中枢内部に大きな亀裂が生まれることになった。韓国国防省の高官は「金正恩はスイスへの留学経験があり、海外の自由な空気を肌で知っている。また、彼が依っているのは『朝鮮太子党』と呼ばれる、北朝鮮の有力者の二世、三世のグループ。彼らも一様に海外経験があり、このままでは北朝鮮が消滅してしまうと危機を覚えている。彼らが目指すのは、国外に門戸を開い、。経済改革を行なうことです。しかし、経済改革に着手し、国外に門戸を開けば、軍部の力は必然的に弱体化する。金正恩が経済改革を進めることに、金永春率いる軍部は猛反発する姿勢を見せたのです」

後継者として表舞台に立った正恩は、その手腕をアピールしようと、「10万戸の住宅建設」「デノミ政策」「朝鮮国家開発銀行の発足」などの改革を次々と着手した。ところが、こうした動きを嫌った軍部は、この改革をことごとくつぶしていったのだ。‘09年4月には6カ国協議からの脱退、5月には2回目の核実験を強行。‘10年に韓国海軍の「天安号」をごう沈したことは記憶に新しいが、こうした北朝鮮の「暴走」は、すべて正恩の改革をつぶすために、金永春率いる軍部が謀ったことなのである。

にらみ合った正恩と永春

一方の正恩も「国権の最高機関」と憲法が定める国防委員会の解体を打ち出し、古い軍部への対抗心をむき出しにした。しかしこれが軍部の逆鱗に触れることになり、両者の対立は激化する一方だった。これには金総書記も頭を痛めた。軍部の支援なくしては「金王朝」の存続は成り立たないからだ。金総書記は何とか両者の関係を取り持とうと


2011年12月26日(月) 苦しい時に口ずさんだ歌(60)

人生に決められたも目的はない、と私は思う。しかし、目的のない人生は寂しい。さびしいだけでなく。むなしい。むなしい人生は、なにか大きな困難にぶつかったときに、続かない。人生の目的は、「自分の人生の目的」を探すことである。自分一人の目的、世界中の誰とも違う自分だけの「生きる意味」を見出すことである。変な言い方だが、「自分の人生の目的を見つけるのが、人生の目的である」と言ってもいい。私はそう思う。

そのためには、生きなければならない。生き続けていてこそ、目的も明らかになるのである。「我あり、ゆえに我求む」というのが私の立場だ。そしてもその目的は、私たちが生きている間には、なかなか見つからないかもしれない。確実に見つかるのは目的ではなく「目標」である。だが目標は達成すれば終わる。そのあとには、自分は達成した、という満足感が残るだけだ。そして、その満足感も時間とともに薄れてゆく。そしてやがては単なる記憶に変色してしまう。

しかし、目的は色褪せることがない。失われることもない。そこが違う。人生の目的とは、おそらく最後まで見出すことのできないものなのだろう。それがいやだと思うなら、もう一つ、「自分でつくる」という道もある。自分だけの人生の目的を作り出す。それは、一つの物語をつくることだ。自分で物語をつくり、それを信じて生きる。しかし、これはなかなか難しいことである。そこで自分でつくった物語ではなく、共感できる人々がつくった物語を「信じる」という道もある。

<悟り>という物語。<来世>という物語。<浄土>という物語。<再生>という物語。<輪廻>という物語。それぞれ偉大な物語だ。人が全身で信じた物語は真実となる。その人がつかんだ真実は、誰も動かすことはできない。奪うこともできない。失われることもない。しかし、自分以外の人がつくった物語を本当に信じられるためには、そのつくった人を尊敬できなければならない。共感し、愛さなくては、信じられない。だから信仰や宗教は、教義から始まるのではなく、その偉大な物語をつくり、それを信じて生きた人への共感と尊敬と愛から始まる。

そのことを昔は「帰依する」と言った。ナミアブダブツの「ナーム」「ナモー」は、「帰依します」という言葉である。それは「信じます」であり、「尊敬します」であり、「愛します」でもある。信仰や宗教は、そこから始まる。そういう存在が見つかった人は幸せな人だ。信仰とは求めるものであるが、求めるものでもあるが、求めて必ず見つかるというものでもない。それは出会うものであり、むこうからやって来るものでもあるのだ。

それは<偶然>かもしれない。運命と宿命の流れの中に突然に生ずる偉大な<偶然>の働きとは、そういうものである。その偶然に出会った人は、そのことを心から感謝すべきだろう。だから蓮如という昔の宗教家は、ナムアミダブツを「感謝の言葉」として考えたのである。



『人生の目的』五木寛之


2011年12月25日(日) テレビの健康番組で病気になる

「緑茶でガン予防」はウソ

今は健康にこだわる人ほど、かえって不健康になっている可能性が高いのです。それは誤った情報や常識に踊らされているためで、それなら健康に無頓着な人がはるかにマシだといわなくてはなりません。例えば食べ物の栄養素についてふれた、こんな健康方法がよくあります。

「鉄分が豊富なホウレンソウは貧血予防にいいが、シュウ酸も多く含まれています。シュウ酸は、カルシウムとくっつくと結石の原因になるので注意しましよう。この情報に何の意味があるというのでしょうか。だったら、ホウレンソウを食べたとき鉄分だけ飲み込んで、シュウ酸は吐き出せとでもいうのかと言いたくなります。

ヨーグルトに意味なし

「ビフィズス菌がお腹をきれいにすると聞いたから」と、毎日大量のヨーグルトを食べている人がいます。ヨーグルトを食べると腸内の善玉菌がすぐに増えるわけではありません。大切のことは、善玉菌が棲みつきやすい腸内環境をつくること。このためには、食物繊維が必要となります。食物繊維は、大腸で分解されるのですが、その際、メタンガス、炭酸ガス、水素ガスなどを発生させます。

これらはオナラなどになって排泄されますが、悪臭はありません。さらに、食物繊維が分解されることで大腸の動きが活発になり排便が促され。大腸内の酸性度も高まります。すると酸に弱い悪玉菌の増殖が抑えられて腸内がきれいになり。ビフィズス菌などの善玉菌が増殖していくのです。

つまり、普段から、ごはん、イモ、豆類をしっかり食べていれば腸内に善玉菌は自然に増えていくので、ヨーグルトを食べても食べなくても関係ないのです。また、「タマネギは血液をサラサラにする」とよく言われていますが、これもほとんどマユツバもの。タマネギの血液サラサラ効果を科学的に実証するデータはなく、発表されている論文も「そうだったらいいな」というレベルのものなのです。

それにしても、普通のお茶を「健康茶」と銘打っただけで高く売れ、そこに御用学者のヨイショがあればさらに売れる。そこで大手食品メーカーは資本力にものをいわせて、あれこれと情報を発信し、健康ブームを継続させる。こうしてつくられた巨大なヘルシー食品市場の中で、翻弄されているのが今の気の毒な消費者です。

さらに、テレビは健康長寿のヒーローとして、今年100歳になった聖路加国際病院名誉委員長の日野原重明先生がモリモリとステーキを食べておられる姿をよく報じていますが、これはこれで問題です。日野原先生は、肉を食べているからいつまでも元気でいられるのではなく、健康を維持しているから100歳になってもステーキが食べられると考えるべきなのです。




『週刊現代』


2011年12月22日(木) 金正日暗殺説も

北朝鮮の金正日総書記の死去発表から一夜明けた20日、韓国各紙は、健康状態がよくないにもかかわらず列車で現地指導を続けた点など、その死に多くの謎があると報じた。中には暗殺説を指摘する新聞もあった。金総書記にはこれまで多くの暗殺未遂事件があったとされ、今回の死因についても憶測が飛び交っている。

金総書記は17日午前、現地指導に向かう列車の中で「急性心筋梗塞」で死去したとされるが、20日付の韓国各紙は疑いの目を向けた。東亜日報は「北朝鮮の発表で最も疑問が残る点は列車内で死去したことだ」と指摘した。金総書記の健康維持は北朝鮮にとって「最優先課題」であり、体調の変化に北朝鮮当局が全く気付かないまま総書記が現地指導を続けたことは理解し難い、とした。

毎日経済は「だれかに殺害されたのではないか、という可能性が提起されている」と、暗殺説を掲載した。東亜日報も「強硬派の仕業ではないか」とする北朝鮮脱出住民(脱北者)出身の専門家の見方を伝えた。金総書記は10日から死去2日前の15日まで精力的な公開活動を続行。いずれも列車で移動する過密スケジュールだった。北朝鮮では連日氷点下の気温が続いており、健康に不安がある金総書記がこうした視察をすることを容認した当局に首をかしげる関係者も多い。

北朝鮮は金総書記の病理解剖検査を行い「疾病の診断が完全に確定された」としたが、東亜日報はこれに関し「死因などをめぐり、憶測が出る余地が多いということを自ら認めたものだ」と指摘した。「詳細な検査を同時に発表したのは、死因は他にあるのでなはいないかという疑心があるためだ」とは毎日経済だ。

最近では04年4月に平安北道の龍川駅で発生した列車爆発事故が、金総書記を狙った内部テロだったとされる。金総書記が載った専用列車が龍川駅を通過した30分後に爆発し、161人が死亡、1350人以上が負傷した。当局は硝酸アンモニウムを積んだ列車が爆発したと発表している。



『サンケイスポーツ』


2011年12月20日(火) 貯める力をつけるには(59)

お金が貯まらない人の多くは、自分のお金の現実を正確に「知らない」だけではなく、あえて「知ろうとしない」傾向があります。なぜでしょうか?「現実を直視するのが怖い」心理が働くからです。これは私がまだ「お金力」の低かったとき、私自身が経験しているからよくわかるのです。本当に自分自身の通帳をみるのもイヤでしたし、家計簿をつけたとしても見るのもイヤでした。

誰でも無駄遣いや衝動買いをすることはあるでしょう。そのたびに預金通帳の残高やクレジットカードの明細書を見て、後悔したり、反省したりするのが普通です。でもお金の貯まらない人は、通帳を確かめようともしないものです。

散在したあげくに、その現実を知るのが怖いから、「まだ口座に10万円ぐらいは残っているはずだ」などと都合よく思いこんでしまうのです。その結果、「どれだけお金を使ったか」という自分の実感が現実からどんどんズレてしまい、また散財をくり返すことに……ということになるわけです。現にカード破産する人は例外なく、自分の借金の総額やひと月の返済額を正確に知らないといいます。自分のお金の現実と習慣を振り返ることで、日常からこうした行動がなくなれば、「お金をためる力」はどんどん身についていくでしょう。



『お金が貯まる人の家計簿』


2011年12月18日(日) 速読法 (58)

下丹田は東洋医学では、体の根本ともいうべき重要な部分です。古くからここに力を蓄えれば、健康と勇気が自分のものになるといわれてきました。ここへ6秒かけて新鮮な空気をたっぷり送り込み、12秒かけてゆっくり吐き出すのが丹田呼吸法です。普通、一分間の呼吸回数は17回ぐらいですが、丹田呼吸は3回から4回のスローペースです。そしてこのスローペースによって生み出される無意識の世界こそが、あなたの雑念を取り払い、静かな心と集中力を生みだしてくれるのです。

丹田呼吸訓練法

�ー鷆擇鬚泙辰垢阿某�ばし、アゴを引いて座ります。椅子でも正座でもかまいませんが、頭のてっぺんで天井を支えるつもりになってください。

�¬椶鯤弔犬董∩歓箸龍敍�から力を抜きます。


�8撞曚呂△�まで静かにします。意識的に口の形をつくったり、音を立てるような激しい呼吸をしてはいけません。額や、ほお、唇の力も抜いてください。鼻から吸い、鼻から吐くようにします。

�ず戮�、長い深呼吸で、6秒ぐらいですい、その倍の12秒ぐらいで吐いてください。

�イ罎辰�りと息を吐き出しても、吸った空気の30%ぐらいが下丹田に残っているようにイメージを描いてください。本当は吸った空気のほとんどを吐き出しているわけですが、下丹田に新鮮な空気が残っているようなイメージを描くわけです。

ゆっくりしたペースの丹田呼吸で、自律神経が活性化し、心身が安定します。そして雑念が消え、集中力が高まります。

速読法をマスターするためには、本のページを一つの意味のブロックとして把握できなければなりません。上級者ともなれば1ページを一つのブロックとして目に焼き付けることができます。速読がマスターできるかどうかの大きなポイントは、ここにあるのです。本を読むとき、人間は声には出さなくとも、頭の中で文字の音を追っています。”黙読”とはいいますが、声に出さないものの、頭の中では律義に音にしているのです。これが速読にとっては、大きな障害になります。

普通、声を出して本を読む場合のスピードは1分間に400字程度です。黙読した場合でも、せいぜい1000字程度が限界でしょう。これではどんなに頑張っても速読が身につくはずもありません。そこで、これまでの”黙読”を”目読”に切り替える必要があります。とはいっても、文字を習ってからというもの、長い間続けてきた黙読の癖はそう簡単には抜けるものではありません。

逆にいえば、この黙読の癖さえ抜ければステップ1の、1分間に2000字から3000字という目安は、簡単にクリアすることができます。これだけも、従来のスピードの4〜5倍ですからそれぐらいで充分だという人も少なくありません。

頭の中で音にしてみなければ、内容が理解できたのかどうか不安だという人も多いものです。でも、そんなことを心配する必要はありません。、文字を読んだすぐ後にそれが理解できているかどうかを確認する必要などないのです。要は、本を読み終わった後に、理解できているかどうかなのですから。

黙読を捨てられるかどうかは、その人の読書の習慣を捨てられるかどうか、ということです。一度、黙読の習慣を白紙に戻さなければなりません。目読の最大のコツは、理解しているかどうかを、まったく考えないことです。「頭に入っていなくても、目が覚えている」と思ってください。人間の体というものは、意識しなくともいろいろなことを勝手に覚えるものです。読むのではなく、見るのだと思って訓練を続けることです。

●記憶力トレーニング

��1分間に読めるだけ読んで、本を閉じます。

�∧絃話罎暴颪�れていた単語、熟語を思い出せるだけたくさん書き出します。順番は思い出したままで構いません。

��最初は5〜6個しか書けませんが、ずっと思い出してください。

�ぅ好謄奪�1の目標は40語です。訓練後は、何字書きだせたかを必ず記録するようにしましよう。自分でも驚くほど字数が増えてきます。



『1冊を1分のスーパー速読法』


2011年12月14日(水) 人は放射線になぜ弱いか(57)

ネズミなどを用いた実験によると、好きなだけ餌を与えた個体に比べ、腹7分目以下の餌を与えた個体は、寿命が延びるだけでなく、ガンにも、その他の老化の病気にもかかりにくくなる。節食のときは、体重の増え方が遅くなる。発育の速度をゆっくりさせると、老化もガン化もその速度が遅くなると考えてもよさそうである。貝原益軒の腹半分また7,8分目の養生訓は立派な経験則である。

ヒトのガンの9割は食べ物などと関係があるという疫学調査の結論は、案外、文明人の食べ過ぎがガンの要因であることを暗示しているのかもしれない。人類は500万年の新化の歴史の中で、大部分の期間は、食物が不十分で腹7分の生活をせざるを得なかったのではなかろうか。猿人や旧人がなぜ滅びたのか。進化の歴史から学ぶことは数多くある。文明が進むほど自然環境に対する適応力が退化していく。自然の生活を大事にしていた先祖の教訓を学び直す時にきているようである。禅と本来の日本文化に対して、近代文明をつくった欧米人が、熱い目を注ぎ始めている理由は、この辺にあるように思われる。

長崎で原爆をあびた人とあびなかった人の年間年間死亡率を、原爆被爆後約30年経ってから比較した。50歳までは被曝した人としていない人の年間死亡率は差がない。ところが、60歳を超すと、被曝した人のほうが死亡率が低い。男女とも原爆をあびると長生きするという結果になった。

被曝した人というのは、被曝手帳を持っている人である。この手帳を持っている人は、健康検査も放射能と関連のある病気に限定した病気の治療も無料である。したがって、手帳を持っている人は、持っていない人よりも健康に気をつける習慣がついたのだろう。このような少しの気配りが、普通の生活をしている人より、被曝した人に長生きの恩恵をもたらしたのだろう。

長生きの現象は、本当は放射線ホルミシス効果の表れではないか、と思いついた。そこで長崎大学医学部原爆資料センターの人たちと共同で、次のような調査を開始した。まず、被曝手帳を持っている人たちの間で、被曝量が適当に増えると、死亡数が減る傾向にあるかどうかを調べた。その結果、男性の場合、50〜100ラドを被曝した人たちの全死亡率は、被曝していない人より約10%少ないことがわかった。

ガン以外の病気による死亡で調べたところ、35%も死亡数が少なかった。この35%とという値は統計的に有意である。つまり、50〜100ラドの放射線が男性に長生き効果を与えた。しかし、ガン死について調べると、1〜49ラドの線量以外の中・高線量の被曝群は、どれもその死亡率が被曝していない群より高い。

つまり、放射線は害を与えた。いいかえると、低・中線量の放射線は害と益の両方を人体に与える。男性の場合、益が害より少し多いため、全死亡で比べると、低・中線量被曝はほんの少し益を与えた。いいかえると、低・中線量の放射線は害と益の両方を人体に与えた。長崎原爆放射線をあびた人の骨髄細胞は、被曝線量にほぼ比例して染色体異常頻度が増えているから、放射線が人体の細胞に傷をつけるのは間違いない。それにもかかわらず、少しの放射線ならあびたほうが人体に益をもたらすことが、中国と日本の健康調査でほぼ確かになった。



『人は放射線になぜ弱いか』


2011年12月12日(月) 存在しない三権分立

……全体に、裁判官の心証、価値観が東電側に傾いているようで、不公平な決定という感じがしますね」ゴルフコースからは、ストロンチウムまで検出されているという。そんな場所で「営業に支障がない」という判示は、国民一般の感情からかい離しているように思われるのだが……。

東電側の弁護団を組んでいる「長島・大野・常松法律事務所」は、約、340人もの弁護士を抱える日本最大級の巨大弁護士事務所で、法曹界では「四代事務所」の一角といわれる存在だ。本誌が取材を申し込んだところ、「東電がこの件では取材を受けない、というスタンスなので、お答えすることはできません」と、あっさり断られた。

小出氏は、東電や裁判所が原発の賠償問題と向き合おうとしない背景には「国」の存在があるとして、こう批判する「これまで原子力関係の裁判で、国が敗訴したことはありません。裁判官の世界でも、国を困らせないような判決を出すことで出世していくシステムができている。原子力の問題には三権分立など存在しないと考えたほうがいい」

もし東電が敗訴すれば、同様の訴訟が各地で一斉に起こり、収拾がつかなくなる。結果的に困るのは、東電が処理しきれない賠償を肩代わりすることになる国だ。だから敗訴させるわけにはいかない。しかし、それでは原発事故の被害者はいつまでたっても救われない。福島県いわき市で、事故の影響を受けた人々や企業を支援支援している弁護士の渡辺氏はこう訴える。

「今後、原発事故が裁判がかっての公害訴訟のように、時間ばかりかかって賠償されない、という事態になるのを怖れています。風評被害により、地元企業には経営難が広がっていて、リストラされ無収入になってしまった人も増えています。今後、そうした人がどんどん増えていくでしょう。国の出した指針では、避難区域外で解雇された人も、東電に賠償を求める権利があります。ところが私が直接、確認したところ、東電は、そのための書類すらきちんと用意していないのですよ。これでは『公平な賠償』など期待できません」

セシウムは誰のものか。エリート弁護士軍団を使ってそんな屁理屈をこねている暇があるのなら、被害者救済のために書式を作らせるくらい、彼らにやらせたらどうか。


『週刊現代』


2011年12月11日(日) 70過ぎたらがんは放っておけ

抗ガン剤治療にも脱毛や白血球の現象などの副作用があるが、とくに顕著なのが吐き気による食欲減退だ。味覚がなくなることもある。「何を食べても砂を噛むようで、食事の楽しみが全くなくなった。という患者は多い。一般的に体に優しいといわれる放射線治療にも副作用はある。主なものは倦怠感や皮膚の変化だが、照射される範囲内に胃や腸が含まれる場合、半年から一年後に消化管出血が起きることもある。これらの副作用が、高齢者にとってかなりの肉体的負担となるのは明らかだ。                

さらにこんなリスクもある。「基礎体力の低い高齢者の場合、治療のため2週間ほど病院のベッドに寝ていただけで、筋力が低下してしまい、自立歩行が困難になってしまう場合があるんです。難しい手術が成功しガンんは消えても、患者さんは要介護の体になってしまい、あげくごえん性肺炎を起こして死亡ということにもなりかねない。ですから高齢者のガン患者の場合、ガンの増殖力と本人の体力や寿命のバランスをよく考えた治療が必要になってくる。場合によっては、リスクを冒して完治を目指すのではなく、ガンを残したままで生活の質・クオリティーライフの高い余生を選択したほうが、本人にとって幸せだ、というケースも出てくるはずです」

治療を拒否した場合、もっとも気になるのは「ガンの痛み」だが、それも心配する必要はない。最近はガンの痛みを和らげる緩和ケアの技術が長足の進歩を遂げているため、放っておいても苦しい思いをすることはほとんどないという。痛み止めの薬の種類が増え、患者の痛みの度合いによって使う薬の選択肢が増えたことで、ガンで感じる痛みは、かなり改善ができるようになっている。一方で医療者側の意識も大きく変わった。かっては”最後の手段”と言われた、モルヒネなどを、ガンの初期段階から積極的に使い、患者の痛みを和らげようという姿勢が強くなってきたのだ。

検査もしなくていい

また、ガンの種類によっては、治療どころか緩和ケアさえしなくても、長生きできるものがある。それが「前立腺がん」だ。東京厚生年金病院の赤倉医師が言う。「ガン以外の原因で亡くなった人を調べたところ、70〜80代の人の場合、3〜4割が前立腺ガンを持っていたことが分かったんです。つまり、前立腺ガンを患っていても、生前に何の症状も出ないまま天寿を全うした老人が3分の1もいたんです。もちろんガンの悪性度は個人差がありますが、前立腺ガンの進行は基本的に遅く、ガンが前立腺内に生まれても、5〜10年くらい何も悪さをしないことが多い。そのため、高齢者の前立腺ガン患者には、副作用の出る治療はなるべくせず、経過観察をしていくという選択肢がだいぶ前から推奨されています。

血液から前立腺がんのリスクを調べるPSA検査にしても、50代では必要ですが、長い期間、定期的に検査をして異常がない人の場合、75歳になったら検査を卒業してもいいと私は考えています。実際に、アメリカでも75歳以上のPSA検査は推奨しないという動きもあるんです」

もちろん、すべてのガンが放っておいていいわけではない。「肺ガンの場合は、高齢になっても進行は早く、発見した時はすでに手遅れのことも少なくないですが、治療できる段階であればするべきだといえるでしょう」例外はあるものの、高齢者のガンは、より柔軟に対応したほうが結局本人のためになるといえそうだ。

好物も好きなだけ食べる


「私は『70歳になったら、ガンは放っておけ』と言いましたが、すべての70歳以上に治療をやめろ、と言っているわけではありません。これは哲学的問題ですから、ガンについては、治療したい人はすればいいんです。ただし私は治療しません。うちの病院では人間ドッグをやっていますから、早期発見はできるでしょうが、100%見逃さないかといえばそうもいえないし、気づいたら転移してることだってあるでしょう。そうなった場合は、すぐに家に帰って、元気なうちに美味しいものを食べて過ごしたほうがよっぽどいいですよ」10年ほど前まで本業の傍ら、精力的に健康に関する執筆活動や講演を行なってきた松本氏。だが、70歳になったのを機に執筆をやめ、公演も減らしたという。

「これまでに何千人もの死に立ち会ってきて、結局、人間というのは死ぬんだ、ということが身に沁みてわかったからなんです。”生老病死”とはよくいったもんだと、しみじみ思いましたね。60代までの私は、理想の健康法を探すのに必死でしたが、人間すべて死に至る、ということがわかってしまうと、食事はバランスよくとか、酒は飲むなとか、生きがいをもてとか、そんなご宣託はどうでもよくなってしまった。『医者の不養生』という言葉がありますが、あれは真実をついています。身近で死をみる機会の多い医者だからこそ、自分が『養生』をすることがバカバカしくなってしまう。確かに若いうちは健康に留意するのはいいことですよ。でも、70歳を過ぎてからのジョギングにそれほどの意味はありません。好きな人はいいけれど、苦手な人が無理やり始めても、ストレスになるだけで大した変化はないんです」

病気を恐れ、健康を気にするあまり、残り少ない人生でさまざまな”欲”を制御するのは、結果的に余生を生きる楽しみを減らすだけだ、と松本氏はいうのだ。「70歳過ぎたら、食べ物だって、そんなにこだわる必要はないんです。私もお酒を毎日飲んでいますが、知人の98歳の学者は朝からウナギを食べ、夜はワインとともにキャビアやステーキを食べるような毎日を送っていた。年をとっても、そういう生活を送れるなら、いつガンになってもいいと思いますね。ところが、今の若い医者というのは、患者に何かあったら自分は責任を負えないからとばかりに、患者の好物が大福だとわかっていても『糖分が高いからやめなさい、高血圧で倒れても知りませんよ』という。本当におかしい話だと思いますよ。お年寄りにとって酒や甘いものは数少ない楽しみであり、生きがいなんです。それを禁じられたら、何のために生きているのか、ということになってしまう。そもそも、人間には個人差があります。DNAも違えば育った環境も違う。経済力やキャリアも違っている。それなのに、誰にでも杓子定規に『健康のためには、ああしろ、こうしろ』なんて言えるわけがない。

さらに松本氏は、死ぬ時のことを考えることも大切だという。「私はこれまで総理経験者や財界の要人の最期に立ち会ったことが幾度もありますが、中には最後の最後まで治療を続けながら、『まだやることがある、死にたくない』と権力に執着しながら亡くなる人も少なくなかった。その一方で、ごく平凡な家庭の方で、大勢の孫に囲まれて、幸せそうに息を引き取ったお婆ちゃんも看取ってきました。要は、人が死ぬ時は権力も財力も関係ないし、人より長く生きたからって、それが偉いというわけでもない。穏やかな死と苦しみながらの死は、結局生をいかに楽しんだかによるのではないでしょうか」

70歳まで生きられただけでも充分。それ以降は、病気の治療に必死になるよりも、残された余生を楽しく生きることを考える。医学の進歩は、そんなもう一つの選択肢を私たちに示してくれているのだ。



『週刊現代』 12/11


2011年12月10日(土) 天皇の戦争責任 (56)

アメリカの新聞『ニューヨーク・タイムズ』(1月13日)は、全体として判決を支持しながら、天皇の問題については次のように述べている。「東京裁判の被告席には、欠席者が一人あった。それは天皇である。天皇は裁判にかけられないことになり、法廷の権限外に置かれることになったが、これがよかったかどうかは、未来のみが答えるであろう。この決定により人命が救われ、占領をより容易にし、また日本の民主化が容易になったとすれば、それは賢明な措置だったかもしれない。いずれにしてもこれは未来に待たなければならない」

天皇が裁判にかけられないことによって「人命が救われた」というからには、この記者は、もし、天皇が裁判にかけられたならば、当然、彼は有罪として絞首刑に処せられたに違いない、と考えているのであろう。ただ。裁判にかけることがよかったかどうか、その回答を未来にゆだねているだけである。

その回答を、1948年からみて「未来」にぞくする現代の青年たちのあるものは、あるしかたで提出している。すなわち、ファシズムと戦争が再び世界中に荒れ狂うのを、断固として阻止しようと決意しているドイツ連邦共和国の学生たちは、1971年10月12日、連邦の首都ボンに日本天皇裕仁を迎えて、「裕仁は戦犯である」と叫んだ。この叫びは、『ニューヨーク・タイムズ』の記者の提起した問題との関連でいえば、裕仁は当然裁判にかけられるべきであったという解答とみなすことができる。

彼らの回答は完全に正しい、と私は主張する。日本の近代現代の歴史を研究している私は、これらの学生は、根拠のない侮辱を天皇に与えたのではなく、疑う余地のない真実を述べたものである、というのをはばからない。実際、天皇裕仁は、

第一、現行の「日本国憲法」の施行される以前においては、「大日本帝国憲法」およびその他の法令により、大日本帝国の唯一最高の統治権者として、とりわけ大日本帝国軍隊の唯一最高の絶対的な統帥権者として、

第二、「臣民」たる日本国民の無条件的な忠誠・服従および尊崇を要求する、大日本帝国の道徳的・精神心的な唯一最高の権威として

第三、裕仁自身があらゆる条件・状況を熟慮したうえでの判断により、
1931年9月18日に開始された日本軍の中国東北地方侵略の戦争(いわゆる満州事変)から、1945年9月2日連合国に対する正式降伏文書に調印するまでの、一連の侵略戦争を遂行し、指導した。そのことによって裕仁は、アジアの数千万人を虐殺した。すなわち彼は「戦争犯罪人」であり、「ファシスト」であり、「5000万人のアジア人を」殺した最大最高の元凶である。

天皇裕仁は、陸海空の統帥についても、決してロボットでもなければん傍観的批評家でもなかった。このことは、張鼓峰事件のとき戦火の拡大を裕仁が断固として押さえたことをみてもわかるし、『杉山メモ」』に、裕仁がいかに統帥部を指揮しているかがはっきり出ている。よって、天皇は輔弼機関のいうがままに動くので責任は輔弼機関にあり、天皇にはないという論法に、何の根拠もないことは、まったく明白である。

天皇の戦争責任を問う現代的意味

東条首相はそのひんぴんたる内奏癖によって、天皇の意向をいちいち確かめながら、それを実現するように努力したのであって、天皇をつんぼさじきに置いて、勝手に戦争にふみ切り、天皇にいやいやながら裁可させたのではない。そして東条は、赤松秘書官の手記によれば、天皇親政の問題に関連して、次のように語っている。

「憲法で”天皇は神聖にして侵すべからず”とあるのを介して、学者は、天皇には何の責任もないと論じている。しかし、自分は大東亜戦争開戦前の御決断に至る間の御上の御心持をお察しして、天皇は皇祖皇霊に対し奉り大いなる御責任を痛感せられておる御模様を拝察できた。臣下たる我々は戦争に勝てるかということのみを考えていたのである。それに比べて比較にならぬほどの大きな御責任の下で、御決断になったものである。これは開戦一か月余になって初めて拝承できた私の体験である」

ほかでもない内奏癖の東条首相が、天皇はいかに重大な責任感を持って開戦を「御決断になった」かを述べている。対米戦争の終結が天皇の裁決「御聖断」によるのとまったくまったく同様に、対米英戦争の開始も、天皇の責任を持った「御聖断」によって行なわれた。同様に1931年9月開始の中国東北地方侵略以来の不断に拡大した中国侵略戦争も、天皇の主体的な「御裁可」とその前段の「御内意」により実現されたのであった。1931年から45年に至る日本の侵略戦争に対する天皇裕仁の戦争責任は、もはや一点の疑いをもいれない。それはまったく明白である。

しかし、占領軍の極東国際軍事法廷は、天皇裕仁の責任を少しも問わなかった。それはアメリカ政府の政治的方針によることであったとはいえ、われわれ日本人民がその当時無力であったためでもある。降伏決定はもっぱら日本の支配層の最上部のみによって。人民には極秘のうちに「国体」すなわち天皇制護持のためにのみ行なわれた。人民は降伏決定に何ら積極的な役割を果たすことができなかった。そして降伏後も人民の大多数はなお天皇制護持の呪文に縛りづづけられた。日本人民は天皇の戦争責任を問う大運動を起こすことはできなかった。従って、アメリカ帝国主義は、天皇の責任を追及するのではなく、反対に天皇をアメリカの日本支配の道具に利用する道を選んだ。

こうして、日本人民は、天皇裕仁の侵略戦争責任=犯罪を追及することなく、アメリカ帝国主義の支持する象徴天皇制を受け入れて、現在に至っている。この間に再軍備は進み、1950年以来とくに54年以来、日本軍国主義は復活してきた。復活した軍国主義は、ふたたび天皇の権威を頭にいただこうとしている。1973年5月26日、天皇は増原恵吉防衛防衛長官から、日本の軍事状況の「内奏」を受け、彼を旧軍隊のよい所をうけついで軍備をいっそう発展させるよう、激励した。

裕仁天皇は降伏のさい、明治天皇が三国干渉を受け入れたのと同じ気持ちで、ポツダム宣言を受け入れるといったが、してみると、彼も明治天皇と同じく、他日の復繡を心に誓ったのであろうか。この事件につき、日本共産党も含めてすべての野党は、増原長官が天皇を政治的に利用したということを厳しく責め立てて、増原を辞職させたが、彼らは増原を責めるだけで天皇がすでに日本軍国主義の精神的主柱となり最高の鼓舞者になっていることについて、一言の批判もしなかった。ということは、すでに天皇の権威は国民の批判を遠慮させるところまで復活されているということである。この状況のもとで、1931年〜45年の戦争における天皇裕仁の責任を明白にすることは、単なる過去のせんぎだてではなく、現在の軍国主義再起に反対する戦いの、思想的文化的な戦線でのもっとも重要なことである、といわざるをえない。




『天皇の戦争責任』


2011年12月08日(木) UFOの推進力 (55)

「それは、通常、私たちが考えている物体の移動とは根本的に違っています。現在の移動手段はそれが飛行機であれ、アポロ宇宙船であれ、A地点からB地点へと時間とともに移動していきます。ところが、このUFOの場合は違います。例えば、薄いゴムのシートを持ってきて四隅を固定したと考えてください。その上のA点にUFOを置きます。そして、UFOの重力発生機をB点にフォーカスすると、B点がUFOに引き寄せられるのです。その瞬間、重力発生機をストップすると、ゴムの張力でB点が元の支点へ戻ると同時に、UFOも移動するというわけです。すまりそれは、UFOが移動するのではなく、空間を歪ませることによって、A点からB点へテレポートするようなものなのです」

ラザー博士は 私たちがUFOを目撃するとき、消えたり現れたり、さらにはジグザグに飛ぶように見えたりするのは、UFOの本体を見ているわけではなく、空間の歪みを見ているにすぎないからだというのだ。空間がさまざまに歪むことによって、そこを通ってくる光も直進するのではなく、曲がって私たちの目に届く。

ということは、私たちは、本来のUFOがいる位置を見ているのではなく、屈折してきた光を見ているにすぎない。それはちょうど、海面下の水中から空を飛ぶ鳥を見ているようなもの、と想像すればわかりやすいだろうか。ラザー博士はもう一つ興味深いことを話し出した。

「UFOが移動するには、二つのモードがあります。一つは、地球のような重力の強い惑星の表面近くを飛ぶときで、この場合はUFOの重力発生機が作りだす重力場の上にUFOが浮かんでいるシステムです。そしてそれは、惑星の重力と微妙なバランスを保っているので、まるで波の上に浮かんでいる軽い木片のように、ユラユラと不安定に揺れ動くことが多いのです。このモードでは、惑星の天候に左右されることが多く、雷や異常な重力地帯などでバランスを失う危険性もあるのです。

もう一つのモードは、宇宙を航行する時のもので、それが先ほどお話しした、空間を歪ませることによって移動するものです。この場合、距離は無限に伸び縮みすることができ、時間もゼロにまで短縮することが可能なのです。つまり、宇宙の時空間を一枚の紙のようなものと仮定すると、それを折り曲げて、A点とB点を重ね合わせてしまう、というようなことができると考えればわかりやすいでしょうか」

土星のリングに滞在する超巨大UFO

土星の輪の中に、最大で地球の直径の4倍もあるという巨大なUFOが映っていた、というショッキングな事実を公表したNASAの科学者がいる。ノーマン・バーグライン博士。宇宙計画の科学探査チームの一員で、宇宙探査船からのデータを分析する専門家だが、『1980年,ボイジャー1号と2号から送信されてきた映像をコンピューターで分析した結果、土星のリングの中に長さが1万キロから5万キロに及ぶ3機の巨大な葉巻型UFOが滞在しているのを発見した』というのだ。

バーグライン博士が発表したところによると『土星のリングの中に、それぞれ日にちと場所を変えて長さ1万2669�辧�2万5338�辧�5万667�劼留濺�型UFOが存在することが確認された。これらUFOの直径は、それぞれ974�辧�1949�辧�3898�劼箸いΑ�信じられないほどの巨大さだ。地球の赤道の直径はおよそ1万3000�劼世�ら、UFOの1号機は地球の直径と同じ長さで、円筒型の直径は約1.000�辧�つまり東京から鹿児島の南端くらいまでという途方もない長さになる。

3号機に至ってはその長さがなんと、地球の直径の4倍あり、UFOの直径はオーストラリア大陸をそのまま飲み込んでしまうくらいの想像を絶する巨大なUFOなのだ。土星のリングはAリングからGリングまで、7つの大小いろいろな幅のリングで構成され、”カッシーニ”と”エンケ”という大きな間隙があることが知られている。そして、そのAリングやBリング、さらにはFリングなどにまたがって、この超巨大なUFOが横たわっているというのだ。にわかには信じられないことだが、実はこの事実は、ハップル宇宙望遠鏡でも確認され、『サイエンス・ニュース誌』で発表されている。それによると、1995年、相次いでこの葉巻型UFOが、リングの中に存在することが確認された。という。

最初それが発見されたのは、ハップル宇宙望遠鏡が撮影した写真の中に映っていたことによる。ところが、次に撮影された写真には、もはや跡形もなく消えていたのだ。それでこれは、電気的な故障、もしくは工学的な光のイタズラではないか?と思われた。ところが、1995年の5月22日、再び、この超巨大な円筒型UFOが写っていたのだ。そして、同年8月10日の写真にも、別のUFOが発見され、合計2機が確かにリングの中に存在することが証明された。そして、11月21日に撮影した写真では、再び2機とも消え去っていたという。となると、これらのUFOは土星のリングの中を、行ったり来たりしているらしい、ということになる。



『矢追純一のUFO大全』


2011年12月05日(月) 速解法(54)

本当に必要な部分を素早く押さえる「20%読み」法

一般に読む速度が遅い一つの原因は、読まなくてもいい不必要な部分まで読んでしまうからである。これでは読む速度が遅くなる。読むべきところだけ読めば、時間的に本を早く読むことができる。読まなくてもいい部分を読む時間的ロスを避けるためには、まず、自分にとって何が必要で、何が不要なのかをはっきりさせておくことだろう。不要な個所というのは自分がすでに知っていることや、知っても意味のない部分である。

本はみんなに役立つようにつくってあるわけで、特定の個人に役立つようにはつくられていない。だから本に書かれていることを、真正直に全部読む必要はないのである。一冊の本の中には、流し読みで十分なところや、読む必要がないところもある。と同時に何度も繰り返し熟読すべき個所もある。重要な個所と不要な個所との比率は、それぞれの本によって違うだろうが、重要な個所はおおよそ20%ぐらいだ。その20%を集中的にこなしていけばいい。

一日24時間の中で、私たちが学ぶために使える時間はそう多くはない。だから、本を一冊読むのでも、漫然と読むのではなく重要な個所を選んでいかないと、まともなことは何ひとつ学べない。完全主義はすべてをこなそうとするから、往々にして何も学べないということになる。



『スーパー速学術』


2011年12月04日(日) 暴力から生まれた権力

武士というものが登場したころは、武士はもろもろの「職人」の中の一つという扱いを受けてきた。武士は殺傷の技に巧みな職人にすぎなかったのである。武士は漁師などと同じように、流血にまみれた「穢(けが)れた」仕事に従事する人々とみなされていた。いでたち一つとってみても、動物の皮でしつらえた武具を身にまとい、血を恐れず、平然と他人の命を奪うことができる職人である。殺傷の職人である武士と、死んだ動物の皮を剥ぐ別の職人との間に、さしたる違いは感じられてうなかったはずである。

しかし、その武士が権力に近づくようになると、殺傷の技に巧みな職人としての本性は、文化的な装いをすることによって、次第に隠蔽されるようになった。たとえ流血にまみれた「穢れた」仕事ではあっても、武士がふるう暴力の中から権力が出現するようになれば、殺傷の技にも後光が射してくる。権力のまわりには「御威光」がまとわれて、人々の目はくらまされる。

こうして暴力から生まれた権力は正当化され、殺人の技芸は聖なる領域にまで高められた。そしてそれと呼応するように、武士は今までのマニファクチュア集団だった皮革職人たちを、穢れた仕事に従事している人々として距離をとろうとするようになった。殺人の技芸は聖なるものであっても、動物を殺して皮を剥ぎ、肉をとる行為は穢れているという、まことに倒錯した考え方でる。

皮革職人には「エタ」という差別的な呼称が与えられ、縁組をしない、居住地を分離するなどの、あからさまな差別を受けるようになった。エタという言葉は、狩猟用語の「餌取り(えとり)」から転じたものと考えられている。「皮革職人は漁師に近い」というわけであろうが、そういう武士こそ出自をたどれば、紛れもない猟師である。

神社付属のキヨメたちも、エタのカテゴリーに入れられて、差別を受けることになった。キヨメは大地と神聖なものとのインターフェイスの領域を管理する、神社にとって重要な仕事を受け持っていた。とくに、イカリスの霊のような、地主神の霊力が地上に向かって吹き上げてくるのを、Y字回路を使ってうまく制御するためには、大地に触れているキヨメの任務はとても重要なのである。死や血の穢れを自分に引き受けて、浄化する呪術に巧みなのが、キヨメたちであったからだ。

中世までの神道には、こういうキヨメの機能が、どこでもきちんと組み込まれていた。ところが近世になると神道は、この大地の霊につながりを持つキヨメの技を、自分から切り離すようになる。神道は古代的なY字の回路を捨てて、単純極まりない清浄の考えのまわりに、近世型の神道をつくりあげていった。キヨメは宗教の世界でも、厳しい差別を受けるようになった。こうして、古代宗教以来のキヨメという職能は、分離させられて、その中から芸能者が発生するとともに。、多くがエタの身分に組み込まれていくようになった。


『週刊現代』


2011年12月03日(土) 死に損なわないために

「いい時に死にたい」それはいつなのか。人は何歳で死ぬのが幸せなのか。

このところ友人や好きだった人が相次いで亡くなったため、ふと『自分は取り残されているんじゃないだろうか』という気になることがあります。小林旭の歌に♪いいやつばかりが先にゆく どうでもいいのが残される(『惚れた女が死んだ夜は』)というフレーズがありますが、この歌の通り、亡くなるのは世の中に必要な人ばかりで、私はどうでもいいから生き残っていると思う時があるんです」

こう語るのは、脚本家の山田太一氏(77歳)だ。『岸辺のアルバム』など、多くの作品を通して人の命を見つめてきた山田氏のような人物でさえ、はたと立ち止まり、そして悩む。それが死という問題である。あなたは、自分の「死に時」を考えたことがあるだろうか。家族や周囲に迷惑をかけずに逝きたい。たくさんの人に惜しまれながら、盛大に送られたい。あるいは、ひっそりと消えるように。理想の氏は人それぞれかもしれない。しかし、家族を煩わせたり、みっともない思いをさせる「死に損ない」にはなりたくない、それが人情だろう。

作家で書誌学者の林望氏(62歳)は最近、妻と散歩をしながら、死について語るようになった。「若いころは、死は抽象的な概念に過ぎないですが、還暦も過ぎると、身近に死ぬ人も出始める。そうすると、絵空事じゃないんだという気になります。宗教や哲学は、死という不条理に折り合いをつけるために生まれた。しかし自らの死については、誰かの考えを借りるのではなく、結局は自分で受け止めなければならないんです」

幸せな最期を迎えるには、どうすればよいのか。その日のために、すべきことは何なのか。いくら考えても、結論は見出せない。結局、真剣に死と向き合うことのないまま年齢を重ね、不本意な最期を迎える人も少なくない。『死ぬ時に後悔すること25』(至知出版社)などの著者で、東邦大学大森病院緩和ケアセンター長の大津氏がかって看取った、30代後半の胃がん患者。

妻と、まだ幼い子供がいる彼は、最後の最後まで必死でガンと闘った。だが、そのことがかえって、彼の拠り所であるはずの家族との関係を壊してしまった。「その患者さんは理系の研究者で、抗がん剤や治療法を調べて医師に提案するほど、自分のがんを勉強していました。可能な抗がん剤の組み合わせも、すべて試した。それでも病状に歯止めがかからなかった。

残された時間は、もう長くない。しかし、彼は体を治すことだけを考えて、奥さんやお子さんと過ごす時間を作りませんでした。奥さんが『大丈夫なの』と気遣ったり、息子が『パパ』と近寄っても、『うるさい、俺は絶対に治るんだ。今は近寄るな』と撥ねのけてしまう。ご家族は少しでも一緒に過ごす時間が欲しかったのに、患者さんは治療のことで頭がいっぱいだったのです。

そのまま、この男性患者は終末期に入った。亡くなる間際に、妻が夫のそばで語った言葉を、大津氏は今もはっきりと覚えている。「奥さんは、『あなた、まさか死ぬわけないわよね。あれだけ言っておいて、私たちを置いて行くつもりじゃないわよね』と叫び、『この子に最期の言葉を言いなさいよ!何も言わずに死ぬ気なの!』と、死にゆく夫を泣きながら責めていました」おそらく誰もが、この患者の立場になれば、同じように「生きたい」と願うはずだ。家族のために諦めずに病と闘ったことが、かえって家族を不幸にしてしまったこの実例は、「よく死ぬ」ことがいかに難しいかを物語っている。

死に際しての要望や目標をまとめた「エンディングノート」をつけておくというのも一つの方法である。会っておきたい場所、したいことなどを具体的に日付を入れてまとめるとお、自分の死と余生を見つめる契機になる。大津氏はこれまで1000人以上の最後に立ち会った経験から、いざその日が来ても焦らないよう、まずは「死に時」を意識することが大切だと話す。

「多くの人にとって、終わりは突然やってきます。生きているということは、実は幸運の集積に過ぎない。だからこそ、やるべきことというのは早めにやったほうがいい。先日亡くなったステーブ・ジョブスは『今日が人生最後の日だとしたら?』という問いを、毎朝鏡の前ですると述べています。そう心がけると最後にい時間を迎えられる可能性は高くなるでしょう。自分と真剣に向き合わないまま、いきなり死と直面するのが一番辛い」さらに普段から「最期」への心構えを作ることと並んで大切なのは、他者への思いやりだという。

「私が担当した60代の患者さんは。自分のやるべきことをリストアップして『3周しました』と言っていました。妻と二人で旅行するとか、子供と酒を飲む、孫と遊ぶなど、やりたいことを3回もしたそうです。よい最期を迎える方は、自分のことより人のことを考えますね。自分の生命ではなく、残された人が辛くならないように、悲しくならないよに考える。そういう方は穏やかに最後の時間を過ごしているなと思います」死はいつ訪れるかわからない。明日かもしれないし、10年後かもしれない。だからこそ、今からでも「死に時」を考えておくことが大切になってくるのだ。


『週刊現代』


加藤  |MAIL