加藤のメモ的日記
DiaryINDEX|past|will
日本における科学者の戦争協力で最も有名かつ醜悪なのは、満州関東軍731部隊(通称石井部隊)による生物兵器の開発とそのための人体実験であるだろう。そして、直接手を下した中堅医学者のみならず、嘱託研究者という名の有力教授の参画があったという意味では組織犯罪であった。にもかかわらず、医学者自身による実態の解明がなされないままウヤムヤになってしまった。
1920年に京都帝国大学の医学部を卒業した石井四朗は、直ちに陸軍軍医として任官し、1934年に軍医学校教官になった。日頃から生物戦への備えの必要性を説き、生物兵器を研究することの重要性を主張していた氏を首班とする防疫研究室が軍医学校に新設されたのは1932年4月である。
それと軌を一にするかのように、満州に「東郷部隊(機密保持のために石井は東郷という変名を使っていた)」を発足させており、そこが中国人捕虜に対する人体実験の場となった。防疫研究室(東京)や東郷部隊(満州奥地)に参加していたのは始めは軍医であり、生物戦の攻撃と防衛の研究と開発を実行することが主目的であった。
やがて、1936年に関東軍貿易部(通称、満州731部隊)が正式発足してから多くの大学から医学者(細菌学、病理学、動物医学)だけでなく、植物学・昆虫学・食品衛生学の研究者が満州に派遣されるようになった。石井は生物兵器の研究・開発だけでなく軍医医学の全体を網羅し人体実験ができる医学研究機関を創設したいと考えていたようである。
そこで幅広い人脈のネットワークを作るため、石井は京大や東大などの教授を「嘱託研究員」とし、その説得によって助教授や講師・助手などの若手研究者を731部隊に派遣してもらうという方法を採用した。京大や東大の教授は、うすうす人体実験が行われていることを知りつつ、それをバックアップする役割を引き受けたのである。
嘱託研究員とは大学にいて研究し、必要な場合には軍医学校防疫研究室に研究成果を知らせて(ワクチンなら現物を持ちこんで)植民地にある石井部隊に派遣されていた研究者に捕虜を使って人体実験をやらせ、その結果を防疫研究室から受け取って研究成果を得る、という実にうまみのある立場である。
自らは人体実験に直接手を染めず、しかしその結果は自分の業績として利用できるからだ。い学者にとっては人体実験ほど魅力的なものはない。例えば新薬の開発において、通常は動物実験を行ない、そこで良い結果が得られると副作用がないかどうかを人体を使って実験に移ることになる。その場合実験の被験者には自由意思で参加すること、生命の危険があれば直ちに止めること、という厳しい条件が課せられている。いくら戦争中とはいえ、日本国内においてはそのような手続きを取らねばならなかった。
ところが731部隊を使えば厄介な手続き抜きで人体実験が行なえるのである。はじめから捕虜(マルタと呼ばれた。人間扱いされていない証拠である)を使った人体実験が行なえれば動物実験をすっ飛ばすことができるし、薬の量を自在に調合して服用させ適量を探せばよいことになる。(薬の量が多すぎて被験者が死亡しても捕虜だから文句を言われない)
731部隊ではワクチンの開発や凍傷治療の研究などが行なわれたが、被験者の人権には何ら配慮されることがなく残酷な人体実験が次々と執行された。そして、その成果が嘱託研究員の研究業績に加えられたのだ。ではなぜ許されない人体実験が行なわれていると知りながらも協力したのだろうか。おそらく科学研究のためにはすべてが許されると考えたのではないだろうか。あるいはどうせ捕虜は殺されるのだから、科学の進歩に貢献し、人の役に立つなら本望だろう、という勝手な決めつけもあったかもしれない。
いずれも、自らは医学の発展に尽くしているという傲慢さが背景にあるのだ。「それによって得られた結果は、後の人の治療に役立つではないか」というわけだ。アメリカで、患者に無断で放射能を飲ませて放射線の人体への影響を調べた研究者がいた。彼の言い訳は「それによって放射線への許容量を決めることができ、国際基準になっているではないか」というものであった。「最大多数の最大幸福」という功利主義哲学の命ずるままに振舞ったのである。)
そして何より人体実験ができるというそのこと自身が大きな魅力であったのだろう。(だから、人体実験を「知りながらも協力した」のではなく「知っていたために協力した」と言える)日頃やりえない実験ができるのである。さらに言えば、軍隊であるために研究資材や研究費が自在に使え、思いのままの実験が行えたことも魅力であったに違いない。まさに「学問の自由」が保障されていたのだ。
ここで行なわれたことは、ある人を救うためという口実で別の人間を殺傷するという残酷な事実である。そのような矛盾した行為は許されないという基本倫理に決定的に欠けていたのだ。「真理」を優先して「倫理」を置き去りにする態度である。「真理」と「倫理」のジレンマに悩むことなく、率先して「真理」を優先したと言える。そのことは、731部隊に参加して「業績を上げた医学者が、戦後になって何ら咎められることなく、有名大学の教授に収まったり医学関係の要職についたりしたことからもわかる。
研究「業績」が一番で、それがどのような手段で得られたかいっさい問題にならなかったのだ。そして結局現在に至るまでウヤムヤのままである。それに比して、ナチスの人体実験に協力した歴史を持つドイツ医師会は、1989年に「1918年から1945年までのドイツ医学」展を開催し、医師の倫理が破壊された時代を問いなおしたという。戦争犯罪を直視したドイツとウヤムヤのまま闇に葬り去った日本、彼我の差が、戦争犯罪を断罪しないままやり過ごそうとする、戦後日本の致命的欠陥を露呈しているようである。
『禁断の科学』
2010年02月27日(土) |
検診を受ける神経細胞 |
脳はどうやって自分の”傷”を見つけるのか?
生理学研究所の鍋倉教授は、傷ついた神経細胞が修復されるときの仕組みについても研究を行なう。脳梗塞などへの有効な治療法にもつながる研究だ。生きている動物の脳の中で神経細胞の”検診”が行なわれる様子が、世界ではじめて観察された。
事故や病気によって脳の一部が傷つくと運動機能などが傷つくが、リハビリによってある程度まで回復することがある。この状況は子供の脳が発達し、新しい動きを覚えていく過程とよく似ている。鍋倉教授によると、神経回路が再編成される仕組みも共通しているのだという。ただし修復過程では、発達過程と大きく異なる点がある。
修復するためには、機能不全になった神経細胞を何らかの方法を見つけ出す必要があるのだ。脳には「ミトコンドリア細胞」と言うグリア細胞の一種がある。この細胞は傷ついた細胞の周辺で多く見られるため、傷の修復に関わっていると考えられてきた。ところが、実際脳の中でどのように働いているかは不明だった。
「細胞の機能を確認したければ、生きている動物の脳を直接のぞいて確認するのが一番です」と鍋倉教授は語る。近年誰もが望みながら不可能だったこの方法を可能にする技術が登場した。それは「2光子レーザー顕微鏡」という特殊な顕微鏡だ。鍋倉教授らはこの顕微鏡を使い、マウスの脳内でミクログリア細胞が活動するようすをとらえることに、世界ではじめて成功した。
まずは、とくに障害が起きていない正常な細胞を観察してみると、1時間のうち約5分間、シナプスにみずから突起を伸ばして接触していた。これは、シナプスの機能が正常かどうかを、ミクログリアが検診しているところだと考えられた。さらに、血流を止めるなどして神経細胞に障害を起こしてから観察して見ると、ミクログリアは1時間以上にわたり、じっくりとシナプスに検診を行なっていた。
「ミクログリアの活動を利用すれば、障害を起こした脳の修復を早める可能性がある」(鍋倉教授)といわれており、治療への応用も期待されている。
”検診”するミクログリア
マウスの脳内でミクログリア細胞の突起が伸びて神経細胞のシナプスをおおい、正しく機能しているかどうかを検診している様子をとらえた顕微鏡画像である。シナプスの検診は、とくに神経細胞に異常がみられない時でも定期的に行なわれている。障害がおきた神経細胞では、とくに長時間の検診が行なわれる。
そして検診結果が悪かったためなのか、検診後にシナプスがなくなっている様子もしばしば観察された。この検診の時、具体的に何がチェックされているのか、また、検診結果がどこに伝えられ、どのような仕組みでシナプスが除去されているのか、などはまだわかっていない。
ニュートン
2010年02月26日(金) |
やがて哀しき政権交代 |
あんなに夢見た政権交代はこんなことだったのか。昨年8月、民主党に投票した有権者の多くは残酷な現実を前にほぞを噛んでいることだろう。マニュフェスト。国民の生活が第一。子供手当、高速道路無料化。無駄を見直して16.8兆円の財源を作る。きらきら輝くように提示されたお題目はいずれ押し入れにしまいこまれ、忘れられたお雛様となりそうだ。
「政治がよくなるなんて幻想を持つことが間違い。今回の政権交代でわかったのはそのこと。この国の政治は永遠にこういうことの繰り返し」自民党の50年にわたる金権政治を打破し、清新な風を政界に吹きこんでくれるという期待はもう半分以上吹き飛んだ。自民党も民主党も言ってることが違うだけで、やることは同じだった。おいしい話を大きな声でして、まずい話はひたすら隠す。
親から大金を受け取り、それをバラ撒くことで今日の地位を得た総理。政党を作っては壊し、国民から受け取った金(政党助成金)で不動産を買いまくっていたのは幹事長。国民のカネは自分のものとでもいうのだろうか。期待は裏切られた。大きな期待は大きな失望に変わる。前出の政治部デスクではないが、結局、誰がやっても同じ、政治家はもとよりろくなもんじゃない、ということなのか。
小沢一郎はいい。もともと田中派にいたのだから。金権のど真ん中、角栄・竹下・金丸の愛弟子なのだから、ダーティーなのは今に始まった話ではないだろう。自分を棚に上げて、立派なことを言うのが当たり前だと思って40年も永田町で生きてきた。政治倫理審査会を作ったのは小沢だ。泥棒が警察を作るようなものだろう。こんな男に期待などしていない。
残念なのは、というより失望しているのは、清新にして、正義感あふれる人物と期待していた菅直人、長妻昭、枝野幸男らの不甲斐なさだ。かって舌鋒鋭く金銭疑惑を追及した菅や長妻は小沢や鳩山の疑惑になぜ沈黙したままなのか。沈黙どころか、擁護するような発言までする。他人に厳しく、身内に甘く。鳩山や小沢のご機嫌を窺いながら、さらなる権力を手にしようと画策する。
これでは腐った自民党と同じではないか。期待させた分だけ、罪が重い。小沢は選挙の神様だという。ベテランの政治ジャーナリスト・岩見隆夫さんも指摘するように幻想だろう。もし神様なら、とっくの昔に政権を奪取しているはずだ。金と公認権を握って、各候補者の生殺与奪を自由にしているだけではないのか。
小沢はもういらない。鳩山ほもういい。二人がいる限り、新政権は金の疑惑で汚れ続ける。説明がつくなら、もう説明がついているだろう。鳩山を捨て、小沢を切る。これ以上、国民が選んだ政権交代を汚さないためにも、民主党の良心ある議員たちは立ち上がるべきではないか。日本がこれ以上沈まないためにも。
週刊現代 3/6
夫の存在自体が妻のストレスになっているという現実はあまりに残酷な話。これに追い打ちをかけるわけではないが、大手旅行代理店JTBの団塊世代を対象にした調査によると、60歳以降、最も一緒に旅行したい相手として、男性の7割が「夫婦」と答えたのに、女性のそれは5割を切っている。
また、第一生命経済研究所ライフデザイン研究本部の調査では、「夫と同じ墓に入りたくない」と答えた女性の割合は男性の3倍近くにのぼり、さらに「夫と共通の趣味をつくろうとは思わない」と答えた女性は7割を超えている。「一緒にいるだけでも虫酸が走るのに、旅行や趣味なんてもってのほか」そんな女性の悲鳴が聞こえてきそうだ。
定年後の夫の望みは、妻にしてみれば単なる束縛でしかなく、寿命を縮める要因にさえなっている。「自分の寿命を縮めるくらいなら、夫に死んでもらって長生きしたい」。これが夫に死んでほしいと思う妻の本音なのである。気づいた時にはすでに手遅れになっていた、という事態を回避するためには、どうすればいいのか。
「妻と一緒に幸せな定年を過ごしたい、と本気で考えているなら、定年する前に一度夫婦関係を見つめなおしてほしい」。夫婦問題の専門家らは、口をそろえて言う。「夫は定年前から夫婦間のコミュニケーションを増やして、妻の不満に気づくこと。さらに仕事以外の趣味や生きがいを早めに見つけて、定年後は互いを尊重したライフスタイルを歩めるように準備しておくこと。
定年後、妻に『いなくなればいい』『死んでほしい』と言われると、本当に逃げ場がなくなってしまいます。精神科医で心理研究家のゆうきゅう氏は、男性は妻に優しい言葉をかける習慣を身につけるべきだと助言する。「『結婚までした相手に、いまさら愛情表現なんか必要ない』と思う人もいるかもしれませんが『言わなくてもわかる』ことなんてないのです。『家を守るのが妻の仕事』と当然のように思って接していると、夫婦間の温度差は大きくなる。
食事から洗濯まで、自分の身の回りの環境を誰がつくっているかを考えれば、きっと素直に『ありがとう』と一言いえるはず。そうすれば少しずつ奥さんの不満も和らぐでしょう」幸せな定年後の生活を夢想する暇があるなら、妻が抱えている不満を想像するほうにエネルギーを、回しなさい、ということだ。
週刊現代 3/6
2010年02月20日(土) |
日本は侵略国家であったのか |
アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。
日本は19世紀の後半以降、中国大陸や朝鮮半島に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追及されるが我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理やり締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。
この日本軍に対し蒋介石国民党は繁雑にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃をしかけ、米国軍人およびその家族などを暴行、惨殺するようなものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追及するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。
実は蒋介石はコミュンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミュンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数込んでいた。コミュンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。
我が国は国民党のたび重なる挑発についに我慢しきれなくなって、1937年8月15日日本の近衛文麿内閣は、「今や断固たる措置をとる」という声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれたた被害者なのである。1928年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。
最近ではコミュンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937年7月7日の盧溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「盧溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている。もし日本が侵略国家であったというならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がったから日本もやっていいと言うことにはならないが、日本だけが侵略国家だと言われる筋合いもない。
我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝国は成立当時の1932年1月には3000万人の人口であったが毎年一100万人以上もの人口が増え続け、1945年の終戦時には5000万人増加していたのである。
満州の人口はなぜ爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安がよかったからである。侵略といわれるような行為が行なわれる所に人が集まるわけがない。農業以外に殆ど産業のなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある国家に生まれ変わった。
朝鮮半島も日本統治下の35年間で1300万人の人口が2500万人と約2倍に増えている「朝鮮総督統計年間」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安がよかった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力奥によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。
『田母神俊雄論文』
2010年02月18日(木) |
キャメロン監督の映画論 |
映画「アバター」が日本での興行収入100億円突破(2月10日現在)で、この金額は同じキャメロン監督の「タイタニック」を50日間も上回る達成だという。立体感のある3D映像が、集客の大きな理由であることは間違いないが、この点についてキャメロン監督が「ロード・オブ・ザ・リング」のジャクソン監督と興味深い話をしている。
キャメロン監督は「映画はストーリーがすべて。人間が人間を演じてこそ映画…演技で観客の心の琴線に触れる。この映画の在り方が変わるとは思えない」「テクノロジーは映画の救世主にはなれないだろう」と述べている。
ジャクソン監督も「CGへの興味よりも、再び優れたストーリーが求められる時代になる」と応じている。「アバター」のCGキャラクターは俳優の演技でつくられるものだという指摘も興味深いが、両監督が技術面でなく映画のストーリー、内容こそ大事だといっているのは考えさせられることが多い。アメリカでは海兵隊批判の部分が話題になっているという。
『朝の風』
2010年02月17日(水) |
地球の中心は火のかたまりか |
私の勤務する極地研究所の玄関にある展示ホールの一隅に、南極で採集された隕石が並んでいる。その中に二つに切断された10センチほどの鉄隕石が展示されている。切断面はピカピカと銀色に輝き、宇宙空間に何億年もさまよったのち地球上に落ちて来た天体とは思えない新鮮さがある。その鉄隕石を見るたびに、私は地球の中心部もこんな姿をしているのだろうという感慨にふける。
1969年、アメリカのアポロ計画で月の石が採集され、地球に持ち帰られるまでは、隕石は宇宙人と共に宇宙空間の情報を直接入手できる貴重な試料であった。当時、日本には隕石は20数個しかなかった。同じ年、日本の南極観測隊がやまと山脈の裸氷帯で数個の隕石を発見した。この発見を契機に、南極では多量の隕石が採集できると注目されはじめ、組織的な隕石採集のプロジェクトが実施され、大量の隕石が集められた。
南極隕石(南極で採集された隕石の総称)は地球科学、宇宙科学の分野の研究者から注目を集めるようになった。日本では5000個以上の南極隕石を保有し、現在では世界一の隕石保有国である。隕石は太陽系の宇宙空間に浮遊していて、何かの理由で地上に落下してきた物体である。太陽系が生成された40数億年前の形そのままの物質も含まれている。
たくさんの隕石の中には、地球には見られない物体もあるし、月や火星の石と推定されるものも含まれている。鉄隕石とよばれるものは、文字通り鉄の塊であるが、これこそかって天体の中心部を形成していた物体で、天体同士の衝突の結果、粉々に割れて宇宙空間をさまよっていたと推定されている。そして、同じ太陽系の惑星である地球の中心も、鉄隕石と同じような姿をしているであろうと想像されるのである。
地球が形成された時、重い物質が中心部に集まり軽い物質はその外側を覆った。その重い物質は鉄である。けれども、その地球の中心を形成する鉄は、高温のためドロドロに溶けていると考えられた。その証拠として、地球の中心を通る地震波はタテ波だけで、ヨコ波は消えてしまう。つまり、地球の中心は液体であると考え、核と名づけられた。
先に述べた小学校の先生の「地球の中心は火のように熱く燃えている」という話も、このような事実からの知識である。ところが、地球の中心を通ってくる地震の波を詳しく調べてみると、それだけでは説明のできない波が見つかった。核全体を液体と考えるより、核をさらに外側と内側の二つにわけ、外側は液体、内側は個体と考えたほうが地震波の伝わり方をより正確に説明できるというモデルである。
そして外側の流体の部分を外核、内側の個体を内核と呼ぶようになった。地球の中心は高温であるとともに、圧力も高いので、外核にあるドロドロした流体の物質も、内核では固体になると説明されている。
『地球の中をのぞく』
2010年02月13日(土) |
通り魔に殺された母の声を |
―通り魔に子を殺された母の声…「心神喪失」の名のもと、罪に問われぬ奴がいる。
「社会に責任があるって、よく言いますやろ。あれ、どういうことですの?」兵庫県明石市にある割烹「一とく」のカウンター越しに、女将の曽我部とし子さんと私は話をしていた。お会いするのは、これで5回目になる。
曽我部さんは、いつも私に何かをずばりと聞く。その瞬間、まず私の頭の中をよぎるのは、専門家ならこのように答えるだろう、けれどもそんな暗記しただけの”正答”に曽我部さんは納得がゆかなかったのだろうなあ、という脱力感である。「本当に責任をとらなければならない者を半人前扱いにして、事件そのものが『なかったこと』にしたいとき、社会に責任があるっていう言い方をするんだと思います」
私はそのように答えた。もちろんまだ、曽我部さんは納得したふうではない。そんな簡単に納得できるわけがないのである。1996年6月9日、長男の雅夫君(当時24才)が外出したのは午後1時。その1年半前から魚屋で包丁さばきを修業したあと、「一とく」の三代となる決意をして店を手伝っていた。
雅夫君を慕って若い常連客も増え、売り上げも順調に伸びて、とし子さんは前途有望な後継ぎに目を細めるばかりだった。雅夫君が出がけに「ゆっくり楽しんでこいや」と母に言ったのは、その日の午後、母がずっと以前から楽しみにしていた里美浩太郎ショーがあったからだ。その間の準備は、俺に任しといて―。
店から500メートルほどしか離れていないJR明石駅近くの繁華街の歩道で、一面識もない西嶋恭司(当時47才)に、雅夫君がいきなり背中を刺されたのは午後2時30分だった。その5分後、さらに東へ50メートル離れた交差点で信号待ちしていた若い夫婦も西嶋に襲われる。
西嶋は刃渡り18センチの包丁を振りまわし、「殺したる」とわめきながら近づいて来た。とっさに身重の妻(当時20歳)をかばった夫(同20才)は転倒してしまう。そこへ馬乗りになった西島は、男性の右脇腹を二度刺した。「大量出血のため雅夫君が亡くなったのは、刺されてから40分後のことだった。
「息子さんが救急車で運ばれた病院からの請求は、誰が払ったのですか」と私は曽我部さんに訪ねた。「私です。ほんま、おかしいですよねえ」雅夫君の医療費を、国は一銭も負担していない。二人を殺傷した西島は、通行人に取り押さえられた時、ちょっと怪我をした。その治療費は全額国が負担している。
この年、日本全体で加害者には総計46億円の国選弁護士報酬と食料費+医療費+被服費に300億円も国が支出した。対照的に、被害者には遺族給付金と障害給付金を合計しても5億7千万円しか支払われていない。二私が調べたところ、西島は現行犯であるにもかかわらず、現場では逮捕されていない。パトカー先導の救急車で病院に運ばれ、自業自得で「10日間の怪我」を負っただけなのに、明石署は殺人と殺人未遂の容疑で逮捕状を地裁支部に請求したものの、その軽い怪我が完治するまで逮捕もしなかった。
新聞各紙は10日の夕刊あるいは11日の朝刊で、小さな記事を掲げてはいる。「どうやら普通ではないらしい」との情報を明石署から得た記者たちは、被害者3人を実名報道しながら、凶悪犯の名前を伏せた。《二人とも病院に運ばれ、Ο○さんは二週間、男は10日の怪我をした》(朝日新聞」96年6月10日夕刊)記事中の○○には、信号待ちをしていて西島に襲われた若い男性被害者の実名が入っている。にもかかわらず犯人の実名は避け「男」又は「土木作業員」とだけ書き、これで人権配慮記事いっちょうあがり、ということらしい。
しかも《二人とも病院に運ばれ》の《二人》には、直後に絶命した雅夫君が入っていない。犯人と被害者を仲良く《二人とも》などと併記する神経にも私はいらだつ。不起訴になりそうだとの感触を得た記者たちは足並みそろえて取材を放棄し、神戸新聞(97年12月24日)を例外として、各紙とも続報を書いていない。芸能人ならのぞきや覚せい剤程度で執拗かつ大げさに続報を書くくせに(あえてのぞきや覚せい剤「程度」と言っておく。殺人と比較した被害の実態に照らして、だ)。
雅夫君より3歳下の二男隆徳さんは、葬儀の挨拶でこう話している。「兄は、これから幸せになるはずでした―」隆徳さんは留学中の米国から後日、母にこんな手紙を送っている。「加害者に対する最高の復讐は、被害者が幸福になることだと、自分は思っています」
『そして殺人者は野に放たれる』
2010年02月12日(金) |
宇宙における知的生命の数 |
●彼らはもう来ていて、ハンガリー人だと名乗っている
フェルミの疑問に対する最初の答えはすぐに返ってきた。フェルミがロスアラモスでよく昼食を共にした仲間の一人レオ・シラードが、冗談で「彼らはもう我々の間にいて、自分ではハンガリー人だと言っているんだ」と言ったのである。
ロスアラモスの理論部門でしばしば語られた、突拍子もない話があった。ハンガリー人は火星人だというのである。何百万年、何千万年前、火星人は故郷の惑星を離れ地球へやってきて、今のハンガリーになっている所へ着陸した。当時ヨーロッパの諸部族はまだ野蛮人で、火星人は人間になりすました。
よそ者が自分たちに混じっているのではないかと野蛮人が疑うと、血が流れることになっただろう。火星人はうまくその進化による違いを隠しきったが、三つだけ例外がある。一つは放浪癖で、これはハンガリーのジプシーに顕著に表れている。
次に言語である。ハンガリー言はオーストラリア、クロアチア、ルーマニア、スロヴァキア、スロヴェニア、ウクライナといった近隣で話されていた他のインドヨーロッパ諸国語のいずれとも類縁関係がない。さらに知能である。その知能の力はただの人間とは思えない。
この説にとっては残念なことに、歴史上のある時期放浪癖を示したことのある民族はいろいろとある。ハンガリー語は決して特異ではなく、フィンランド語、エストニア語、ロシアで話されているいくつかの言語と類縁がある。しかし第三の特徴は、ロスアラモスでは明らかだった。
フェルミが生きている間に付き合いのあった人々の中には、当のシラード以外にも、ユージン、ヴィグナーー、エドワード、ジョン、フォン・ノイマンもいた。この4人の反ハンガリー人は、十年ほどの間に相前後してブダペストで生まれた。ロスアラモスには他にもセオドア・フォン・カルマンという、やはりブダペスト生まれながら他の四人の少し前に生まれた人物もいた。
これら「火星人」は確かにものすごい知性集団をなしていた。物理学者のシラードはいくつもの分野に貢献した。テラーは水爆開発の原動力となった。ヴィグナーは量子論における業績で1963年のノーベル賞を受賞した。工学者のフォン・カルマンは、初期のロケット工学、超音速の抵抗の理論の研究を行い、その研究は超音速航空機の設計につながった。
もちろん火星人たちの中で一番頭がよかったのはフォン・ノイマンだった。ジョン・フォン・ノイマンは二十世紀でも傑出した数学者の一人である。ゲームの理論の分野を開き、量子論、エルゴード理論、集合論、統計学、数値解析にも基本的な貢献をした。初の柔軟なプログラム読み込み式のデジタル、コンピューターを開発する仕事も支えて、その名声を獲得した。
晩年は大企業や軍の顧問になり、その脳が時分割式の大型コンピューターであるかのように、様々な事業に時間を配分していた。頭の中で数学の問題を解く計算力は伝説的だ。フェルミと計算競争をすれば必ず勝った。ほとんど写真のような記憶力は、この世のものとは思えない知能という雰囲気を増した。
「ハンガリー人はエイリアンだ」という説に見事に合致する才能は他にもあった。「遊び好きのジョニー」はプリンストンのパーティーでは大量のアルコールを取り入れ、それでも頭の働きが鈍ることはなかったらしい。自動車事故を次々と起こしながら、プリンストンのある交差点はノイマンが次々と事故を起こしたせいで「フォン・ノイマン。コーナー」とよばれた。
本人は怪我もせず歩いて立ち去った。しかし「世界で一番頭がいい男」でも時には間違うこともある。フォン・ノイマンはデジタルコンピューターの開発の要になる役割を果たし、数学者としてはあまり例のないほどわれわれの生活に影響を及ぼしているが、コンピューターはこれから先も巨大な装置で、水爆を作ったり天候を制御したりするだけに役立つものと考えていたらしい。
コンピューターがトースターからデープデッキにいたる日常のすべてに組み込まれるような日を予測することはできなかった。もちろん、本当の火星人ならもう少し先が見えただろう。
…………
動物の能力を人間の能力を基にして量るのも傲慢で人間中心に思える。鳥は人間が独力ではかなわないような航行能力を示す。海洋動物には人間とは違う電流の感じ方をするものがある。犬は人間の知覚できる範囲を超えた音を聞き、人間の鼻では何も感じない臭いをかぐことができる。コウモリは信じがたいような反響定位方式を用いている。ノラ猫は餌を食べている時、そばにいる人間が頭を触ろうとすると、気配に気づき振りかえる。
馬は人間が気づかない合図に気づくことが知られている。その他いろいろである。どんな種にもそれぞれの能力があり、進化によって鍛えられている。それによってその動物は、自分が生きられるように計らってくれるわけではない世の中を渡っていけるようになる。
この多様性は驚くべきもので、また称えるべきものである。他の生物種を人間にできることがどれだけうまくできるか、あるいはどれだけ下手かでとやかく言うのは、それらの生物種を不当に貶めることである。
●宇宙における知的生命の数
知的生命にいたる道筋にn個の起きにくい段階があ、それぞれの段階が生じるのに普通d年かかるとしよう。さらに、知的生命が存在しうる惑星がp個あり、そのそれぞれはt年間生命を維持できたとする。向こうにいる知的生命の数は、p×[t/(n×d)]のn乗という式で与えられる。甘く見て、すべての銀河にあるすべての恒星に、生命が維持できる惑星が一つあるとしよう。pはおそらく10の22乗である。さらに甘くなって、すべての惑星は、宇宙の年齢と同じくらいの間、生命が維持できるとしよう。
するとtは10の10乗年ほどになる。しかしながら、dは長くなければならない。そうであればこそ、この段階は起きにくいといわれるのだ。そこでdは10の12乗ほどにしよう。宇宙の年齢の100倍ほどである。それから先ほどと同様、起きにくい段階が12あるとする。n=12である。これらの数を先の式に入れれば、存在する知的生命の数は10の−15乗ということになる。
『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由』
しかし私は中学生の頃に夜、円盤を見たのである。この広い大宇宙の住人が地球人だけとは考えにくい。コロンブスが世界一周するまでの人々はこの世界は俺たちだけで、海の向こうは滝になっている、というのと似た感覚である。宇宙人はいる、という意見はアカデミズムからはタブーとなっているようである。いないという意見がもっともらしく取り上げられるのは、ある強大な勢力の意向であるらしい。騙されてはいけない。
総会屋につけいられるっていえば、俺らのご同業にはこんな奴だっているんですよ。会社の受付に行って、「お前んちの会社の前で立ち小便している奴がいたから懲らしめてやった。その時そいつの小便がズボンにかかった。これから洗濯屋に行くから洗濯代くれ」ってね。
誰でもこんなのにあまり関わりたくないから、出てきた総務がいくらか払う。もし洗濯代を出さなかったら、「俺は昔からお前ンとこの会社が好きだから立ち小便してる奴をたしなめてやったのに、挨拶もできないのか。立ち小便されてもいい会社だったら、これからはいつも朝から晩まで、お前ンとこで立ち小便してやる」こういう論理なんですよ。
それともう一つ。これは冗談でもなんでもないんだけど。金は出さないと突っ張られた会社の看板に犬の糞を塗りつけて、その脇に「犬の糞をおまえとこに塗りつけた、佐藤錦」なんて書くとするでしょ。それを知らされた総務の担当者は、佐藤って誰だかわからないけれど一応名前をチェックしますよね。
それで、日をあらためて会社に行って佐藤錦だと名乗ると、記憶力のいい総務は「ああ、こいつが看板におかしなことをした奴か」ってわかるから、「どうぞこちらに」ということになる。それで、もうこんな奴に大事な看板に犬の糞を塗られたくないから、犬の糞で会社の花看板を汚されないためって名目で5万円払おうとかね。
ですから、企業のほうがこういう対応をそれこそ日常的にやってきたことのツケが、第一勧銀の600億円なんて巨額の利益供与になっているんですよ。わかりやすくいえば。
『総会屋から見た日本企業』
2010年02月08日(月) |
コーヒーが引き起こす三つのがん |
われわれは日常生活をほぼガン因子に取り囲まれるようにして送っているといえる。総点検するとかなりかなりつらいものになってきそうな印象だが、残念ながらコーヒーも手放しでは安全とは言えないということが最近明らかにされている。
コーヒーに関しては最近WHO(世界保健機構)がその安全性を総点検し、分厚い報告書を作成した。その調査によると、コーヒーは三つのガンと関係のあることが明らかにされている。まず膀胱ガン、これはコーヒーを飲み過ぎるとどうも関係してくるらしい。
第二はすい臓ガン。まだはっきりし結論は出ていないものの、飲み過ぎると危険性が高くなるということだ。そして第三が卵巣ガン。関連性は明らかではないが、過去の研究では危険性が高くなるという報告が出されている。ただしどのガンの場合も、コーヒーを飲む人は同時にタバコを吸っているケースが多いので、その重なりの影響を無視するわけにはいかないという報告が付け加えられている。
コーヒー党にとってはどれも切ない話だが、一つ好ましい報告もある。結腸ガン、これはアルコールを飲むとかかりやすいのだが、コーヒーを飲むとむしろかかりにくいという報告がなされているのである。
私たちの研究グループによると、たばこを吸わない限り、コーヒーのガンに対する影響はほとんどないといってよい。そして、たばこを毎日吸っている人がコーヒーを毎日飲んでいると、とくに60歳以上で胃がんの危険性が高くなるという結果が出ている。
タバコを吸わない限り、コーヒーに関しては飲みすぎない限りそんなに神経質になることはないのではなかろうか。なお紅茶に関しては、がんとの関連性はまだ認められていない。
『ガンにならない体をつくる』
粉砕した左手は筋肉がなくなり、竹の棒のようになり、指は痩せて硬直、死んだニワトリの足のようであった。「ピアノが命」の私にとっては、それは胸がつぶれるほどの苦しみであり悲しみであった。もう二度とショパンもリストも弾けないのか。
ミイラのような私の手を見て医者は「回復は無理」と言う。指を動かすということ遠い記憶でしかない。その手に「よみがえれ、よみがえれ」と祈りながら毎日温浴マッサージを続けた。
ある日、その指がピクピクと動いた。痛みをこらえて、一生懸命指を動かす練習を始めた。少しづつ、わずかずつ血が通い、神経が通い、指が動き始めた。ある日、思い切って握力計を握った。痛みをこらえて思い切り握った。すると何と、針はゼロ!苦しいリハビリを続けた。
一ヵ月後、握力は1キロ。この頃からベッドにキーボードを持ちおみ、指を動かす練習を始めた。30年前、5才の時と同じバイエルから。泣きたいくらいのたどたどしい指。握力は二か月で2キロ。3カ月で4キロ。それでもなんとかバイエルが終わりツェルニーに進んだ。
4カ月で8キロ。5カ月で16キロ。握力は徐々に回復、そして手の指の動きも徐々に回復に向かった。ピアノが弾ける可能性が出てきた。
骨シンチレーションという検査をすると大腿骨の骨頭壊死が確認された。これは骨動脈の切断により骨への栄養供給が不足し、骨が死んでいくことを意味する。このままなら半年か一年で私の脚は私の足でなくなる。医者は「人工骨頭か義足」と言う。
その足に「よみがえれよみがえれ」と祈り続けた。すると不思議なことに、この頃から骨シンチレーションの結果が徐々にではあるが快方に向かった。骨動脈が自然につながり始めたのだ!
大きく割れてボルト二本でつなぎとめられた骨盤もその頃から徐々につながり始めた。骨盤と大腿骨のかみ合わせも順調に回復してきた。自分の足で歩ける可能性が出てきた。同じ頃、損傷した首の骨、骨折した肩関、膝関節、断裂した骨も徐々に回復を始めた。この異例の回復ぶりに医者も看護婦さんもみんな驚いた。
『転生と地球』
質問 日本では8時間労働制といわれるが、12時間労働がまかり通っている。フランスでは、週35時間労働で、さらに労働時間を削減しようとしている。労働時間は短いのに日本より社会保障ははるかに充実している。どうしてなのか。日本共産党はだれもノーといえないこの日本の恐ろしい状況を、どうしようとしているのか。
志位委員長 今の質問は日本社会が抱えている非常に深刻な問題についての質問である。労働基準法では労働日を一日8時間と決めている。しかし残業時間を法的に規制していない。労働組合との間で「三六協定」といって形式的な手続きさえとれば、どんなに長く残業させてもいいというのが、日本の労働法の深刻な欠陥となっている。
こういう国はヨーロッパでは存在しないと思う。ヨーロッパでは基準の労働時間に加えて、残業時間も法律で規制されている。これが当たり前の社会であると思う。
日本ではこうして残業の法的規制がないうえに「サービス残業」と称する「ただ働き残業」が横行している。これはヨーロッパの方々にはなかなか理解できないことではないだろうか。以前ヨーロッパからお客さんが見えた時、「サービス残業」がひどいということを説明してもなかなか理解してもらえないことがあった。
「工場はいったい労働者をどうしているのか」「門をカギで閉めて閉じ込めているのか」。しかし、こういう無法が日本社会では横行している。これは違法行為であるから、私たちは「サービス残業」を一掃することを強く求め、またこの面では大きな成果を上げてきた。同時に、残業時間の法的規制がどうしても必要である。労働時間規制は、私たちが「ルールある経済社会」をつくるという場合の大きな柱である。
『日本共産党の元気の源』
|