加藤のメモ的日記
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2009年04月30日(木) 丸山ワクチン 

なぜそこまでして丸山ワクチンを潰さなくてはならなかったのか、といえば、ガン学者はみんな他の製薬会社にそれぞれコネがあるんですよ。丸山先生は癌学者じゃないわけです。学者というのは専門以外の人間を認めたくないんだね。たかが皮膚科の医者が、といういようなな偏見を持っていたんですよ。

東大法学部名誉教授、篠原一が膀胱がんを宣告されたのは48歳のとき。昭和48年だった。切除手術を受け、放射線治療の苦しみと癌再発の恐怖の中ですがったのが、丸山ワクチンである。25年間丸山ワクチンを打ち続けており、再発がないまま今日に至っている。篠原は丸山ワクチン患者家族の会代表でもある。

ある人は丸山ワクチンを10年間打ち続けて、もう治っただろうと止めたとたん、癌が再発して亡くなった。解剖したら体中いたるところに古い癌があり、どうしてこの人は10年間も生きていられたのだろう。ワクチンを止めてから癌が一気に復活したのだろう



『医学界最大の奇談』


2009年04月28日(火) スレプレニツア

■ボスニア紛争で生じてしまった未曾有の大虐殺の真相を追究する若き日本人

1995年7月、第二次世界大戦以来、ヨーロッパにおける最大の虐殺事件が起きた。ボスニアの東部に位置する「銀の町」スプレニツァ。ムラジッチ将軍率いるセルビア人共和国軍はこの町を陥落させると、約7000人のムスリム人を殺害したのである。世にいう「スプレニツァの大虐殺」である。国連のオランダ大隊本部のポトチャリに逃げ込んだ大量の避難民をセルビア軍は選別し、隔離し、拷問し、強姦し、銃殺した。

この未曾有の大虐殺はなぜ起きたのか。当の欧州でもしっかりと着手できていない問題に、日本の優れた若い学究が素晴らしい答えを出した。それが「スプレニツァ―あるジェノサイドをめぐる考察」(長 有紀枝著・東信堂、3900円)である。一読してまさに圧倒された。満遍なくさまざまな資料に当たり、客観的に検証し、そのうえで極めて説得力のある論考を導き出している。

欧米のメディアで流通しているスプレニツァに対する見方は、リチャード・ギアが主演した「ハンティング・パーティー」というアメリカ映画が象徴的だ。単眼的なセルビア悪玉論を大前提にしており、眼前にいた国連保護軍のオランダ軍は何もせず指をくわえて見ていたと弾劾するのである。実際に、事件後にオランダの内閣は総辞職に追い込まれるわけだが、当時の彼らが置かれた状況は大変に複雑なものであった。

国連では大国の足並みが揃わぬ中、紛争の渦中に放り込まれたUNPROFOR(国連保護軍)が遂行できるミッションは極めて限界のあるものだったのである。国連事務総長が2万人を超える兵力の増強を要求するも、安保理はその4分の1しか認めなかった。

そこに権限も武器も人員も与えられていないオランダ軍が投入されたのである。また、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が避難民をスプレニツァから他の地域に移動させようとしたことに対して、当のボスニア政府が反対したという事実もある。その理由は「民族浄化に加担する」というものであったが、現在では国際社会に向けた宣伝戦の中で、スプレニツァはあくまでも残虐なセルビア人勢力の犠牲者であると、見せつけるということも一つの目的であったとも言われている。

ボスニア紛争を著した書物の中には、共存していた民族間の憎悪がいかに高まったのか、その背景に触れることなく、過激なゴシップを売りにしたいのか、残虐な殺害方法や、猟奇的な事件の断片のみを抽出して書いているのも少なくない。本書はジェノサイドという概念の考察から始まり、冷静な事実の確認、犠牲者、行方不明者の数や構成の調査にいたるまで丁寧に記し、最も重要な複雑な背景をしっかり書くことで、事件の要因を複眼的に捉えている。

本来ならばジャーナリストがやらなければならない仕事である。できれば翻訳されて欧米諸国でも出版されないものかと切に願う。ふんだんに図版を使い、400ページに及ぶ長編を、3990円で出したという東信堂いう版元の意気にも敬意を表したい。バルカン半島に興味のある者には必読の書であるが、咲き誇るひまわりを装丁に持ってきた意図も素晴らしい。

著者の言葉「スプレニツァにひまわりは咲かないが、表紙カバーのひまわりのように、一人一人の犠牲者の方に、それぞれの物語とかけがえのない人生があった」が胸を打つ。



『リレー読書日記』木村元彦 


2009年04月27日(月) 置き去りにされた被害者

夫の通夜で、菱沼美知子さん(54、埼玉県大宮市)は胃の激しい痛みに立っていられなくなった。棺に眠る遺体の顔の切り刻まれた跡が、目の前でどんどん大きくなり、そしてパッと光がなくなった。その夫の表情を忘れようとして、すでに三年がたとうとしている。

地下鉄サリン事件が起きた1995年3月20日朝。営団地下鉄職員だった夫、恒夫さん(当時51)は、霞ヶ関駅でサリンの袋を片付け、翌朝未明に亡くなった。早朝、病院の霊安室で会った夫は安らかに見えた。何時間でも見ていたい、と黙り込んでいた美知子さんの耳に「司法解剖に行きます」と男性の声が響いた。何のために。解剖はしてほしくないんです。このままではだめなんですか。そう言い張った記憶がある。

相手の返答には言い返せなかった。「亡くなった人、全部やるんだから」「裁判所の命令です」大学の法医学教室で正午過ぎから待ち始め、葬儀会社のワゴン車に乗って、棺ともに帰宅したのは午後11時だった。棺は顔を除く小窓以外がビニールのような透明な布で覆われ、ふたと棺の間はテープのようなもので閉じられていた。

自宅までの車中で、葬儀社員はささやいた。「早く走れません」「血が吹き出しちゃうんですよ」最後のお別れを。そう思い自宅で小窓を空けた夫の顔は、霊安室の顔とはまったく違っていた。左のこめかみからあごを通って右のこめかみに傷がある。目のくぼみの周りを囲むような傷跡もあった。ほおはパンパンに張っていた。

「切り刻まれたんだ、と思います。眼球も取り出して調べたのかもしれない。いったいどうしたのかわからないんです。身内にとってはたまらないです」解剖とは、いったい何をされることなのか。医師からも、警察からも、検察からも説明は一切ない。

………………

●二次被害

二年前の土曜日の午後、礼子(仮名)さん宅のチャイムが鳴った。玄関の向こうから、男性の大声が聞こえてきた。「弟がお宅のお嬢さんをいたずらした、○○ですが」地方都市の静かな住宅街。近所に聞こえる、夫も娘も、家でくつろいでいた。あわてて戸をあけると、男性はもう一度大声で言った。

「お嬢さんにいたずらをした……」玄関に入ると、男性は商品券の包みを差し出した。「私たちがこの三年間どんな思いをしてきたか、わかっているんですか」礼子さんは声を震わせた。夫も起こって商品券をつき返した。「ニコニコしていて、こんなことは早く済ませましょうよ、と言う感じに見えて傷つきました」と礼子さんは言う。

小学生の娘が公園で男から性的な被害を受けた。両親はすぐ警察に連絡した。三年後警察から電話があった。「子供にわいせつ行為をした男を逮捕した。娘さんにも顔を確認してもらいたい。マジックミラー越しに、娘が男を確認した。男の兄が礼子さん宅を訪れたのは、その三ヵ月後のことだ。

男は強制わいせつ罪で起訴されていた。弁護士の指示で兄が被害児宅をそれぞれ訪ねたらしい、と警察で聞いた。「被害者は、他の被害者の名前も住所も知らない。なぜ加害者には被害者の家がわかるのか」礼子さんは納得できなかった。いつまた来られるかわからない。不安に襲われた。同じ市内に住んでいた男は、執行猶予つきの有罪になった。礼子さんは法廷で娘の名前が読み上げられたことにも耐えられない思いが残った。

……………

作家の蔦森 樹さんは男として生まれたが、約10年前の27歳のときに女として暮らすことを選んだ。女性になりたてのころ、朝の満員で社で痴漢にあった。うしろの中年男性が、もぞもぞと動き出した。男性のころは「触られたら気持ちいいかも」と想像していた。

しかし、スカートの中に手を伸ばされたとき、そんな気持ちは吹っ飛んだ。金縛りにあったように、声も上げられなかった。「『やめて下さい』と言うのに、いかに勇気がいるか。男のときには『バカやロー』って殴ることもできたのに」自分の意思に反して、体を他人の思い通りに性的に扱われた体験は初めてだった。

「男でいるかぎり、そんな怖さもポルノにしてしまう。だから相手の痛みも想像できない」女性になってわかったのが「夜道の怖さ」だ、と言う。後ろから足音が聞こえたときの強烈な緊張。蔦森さんは提案する「もし、男性が『夜道の怖さ』を実感したいなら、治安の悪い国で、一人で護身用の武器も持たずに夜の町を歩いてみればいい。その時後ろから聞こえてくる足音にどう感じるか」

…………
   
「五分に一件の強姦事件が起きる」米国でABCテレビが1992年、「強姦犯の意識」と題する番組を放映した。バーモント州の共生センターの試みをルポしたものだ。性暴力犯の囚人たちは「家に男が侵入した」という通報の録音を聞く。「あなただれ、なぜ……」女性の声が引きつり、絶叫で途絶える。一人の囚人がうめく。「同じことをした」

女友達を強姦した男性は、自らの事件の被害者役を演じる。相手に威嚇され続けるうちに泣き出す。「怖かったんだ……」。

相手の苦痛を実感させる心理療法だ。「反省」は徹底的に疑い。訓練を集中して続けなければ性犯罪者の行動は変えられないと専門家は強調する。この番組のビデオを中心に、全米女性機構は94年、「性暴力の理解するための司法関係者教育プログラム」を作った。作成には司法省が補助金を出し、採用する州が広がっている。



『犯罪被害者』 河原 理子


2009年04月26日(日) 男性は老いに弱い

仕事一筋、御前様も当たり前。モーレツサラリーマン時代を経て独立し、部品工場を経営していたある日、病魔が突然襲った。「まさか自分が半身不随になるなんて考えたこともなかった。仕事をしていた時は、介護される自分などこれっぽちも想像していなかったんですから」入院後、立つこともできない自分に対して絶望しかけた、という。「諦めかけたときに耳にした医者の一言が心に沁みたね『年をとったら、みんなどこか不自由になる。それが少し早く来た、と思えばいいんじゃないですか』って。特に、『みんな』というところがね……」

医師の言葉に奮起し、畑沢さんは懸命にリハビリに取り組んだ。歩行訓練を重ね、数十センチ単位で移動距離が増えていった。やがて杖をつきながら外に出られるようになった。そして男たちの集う「『松渓ふれあいの家』へと辿り着いた。「ここは押し付けるんじゃなくて、興味のあるテーマに少しずつヒントや課題を出してくれる。だから明日も来よう、と思うんだ。一言で言えばやる気を引き出してくれる。会社で部下を使っていた時のノウハウやマネジメントにも通じるよね」(畑沢さん)

男性中心のデイサービス。成功の秘訣は、企業戦士のメンタリティーを充分に汲み取り、介護サービスの常識を変えたことにあったといえよう。高齢者施設で働く介護スタッフにアンケートをとったところ「男性入居者に対する介護の難しさ」を指摘する意見が群を抜いて目立った。

「社会の第一線にいたプライドを傷つけないように気をつけている」「入居者とスタッフは上司と部下のイメージで」「頑固な方も多く、他人と交わることが苦手なケースも多い」「情をかけられることを嫌う傾向があり、こちらがあまり主張しないようにしている」

介護スタッフが苦慮している様子が目に浮かぶ。男性は自分の体が思うようにならないことへの戸惑いが強いという指摘もあった。「企業戦士に多いのは、ある日突然、脳血管障害で倒れて手足が動かなくなるケース。つまり、一晩のうちに障害と老いが同時にやってくる。その大変化で、アイデンティティの崩壊に直面してしまう」

「もはや家族を養い、部下を指導してきたかっての自分ではないのだ、努力しても前の自分には戻れない、という諦めが倒れたというのになかなかできない。なぜなら現役時代は『頑張れば何とかなった』から。特に社会的に高く上りつめた男性ほど着地することが難しく、弱い自分を受け容れられない傾向が強い」

女性に比べて、男性が老いに弱いのは厳然たる事実のようだ。とすればいかなる対処法が有効なのだろうか。三好氏はこうアドバイスする。「一番にいいのは肩書きやキャリアなど過去のプライドを捨てて『オバサン化』すること。実は男社会なんて限られた世界なんです。企業を一歩離れれば、女性中心の社会が膨大に広がっていることに気づくはず。となれば、『無理な我慢はしない』『弱い自分を認める』『競争しない』といった、いわば女の論理に合わせて介護の世界に溶け込む。それができれば何とかなるはずです」



週刊ポスト 4月8日号


2009年04月24日(金) 生卵の常温販売は日本だけ

次に川岸氏が向かったのが生卵のコーナー。さまざまな種類のパックが、木製の棚の上に所狭しと積まれていた。「これなんか冷蔵すらされていないでしょう。常温販売ですよね。日本ではこれが普通と思われているけど、世界では非常識ですよ。私はアメリカやメキシコ、アジア各国のスーパーも視察しましたが、生卵を常温販売しているスーパーはありませんでした。アメリカではFDA(米食品医薬品局)が冷蔵販売を義務付けています。サルモネラ菌の繁殖とか、怖いのにね」

そういって川岸氏は「ハンフリーの法則」について説明し始めた。これは生卵を管理する温度と、サルモネラ菌の増殖レベルまで達するのにかかる日数との相関関係を示したもので、一般的に15度なら5週間、25度なら2週間が目安とされている。ちなみにこの日、店内の温度は15度。まず大丈夫と思われたが、「気温が36度なら1日で増殖レベルにっ達するといわれています。生卵を出荷する過程で運送業者が一時的に屋外に置いてしまうことはよくあることで、これからの季節は気をつけたほうがいい」

卵の場合、消費期限に加え「採卵日」まで明示されていれば消費者はより安心だが、川岸氏によれば「そこまで徹底しているスーパーは、大手の一部を除いてまだまだ少ない」という。A店では他にも、川岸氏が顔をしかめる”現場”があった。青いプラスチック製の箱に氷水が詰められ、サンマやイワシがキンキンに冷やされた状態で販売されている光景は、スーパーの鮮魚コーナーではお馴染みだ。が、A店の場合、氷がほとんど解けてしまい、ただ水に浸かっているだけの状態でホタテが販売されていた。

「本日限定」「特売品」「赤字覚悟」など等、派手なポップ広告が並ぶ一方で、商品の温度管理が満足に行われていない店は想像以上に多いという。



『週刊ポスト』 4月15日号


2009年04月20日(月) 人類を創造した宇宙人

人類を創造した宇宙人「ネフィリムとアヌンナキ」。彼らはいったい何者であろうか?ネフィリムとアヌンニキは、古代メソポタミア神話に登場する巨大な神々の名称である。旧約聖書やギリシャ神話の巨人伝説もメソポタミアが起源になっている。この本の著者ゼカリア・シッチンによれば、ネフィリムとアヌンニキは、単なる古代人の空想上の産物ではなく、太古の昔に太陽系の「第12惑星」から地球に殖民してきた実在のエイリアンなのである。

そしてこのエイリアンが遺伝子工学を駆使してつくりだした人工生命体アダパ(=アダム)こそが、我々人類の祖先なのである。人類はなんとエイリアンのための重労働を担わされた奴隷だったのだ!

それにしても、原書のタイトルにもなっている「第12惑星」とはいったいなんであろうか?太陽系には、水金地火木土天海冥の9惑星しか存在しないことは誰でも知っている。太陽と月を含めて数えても、その数は11にしかならない。ゼカリア・シッチンは、古代メソポタミアの古文書に描かれている奇妙な天体の絵に注目し、驚くべき結論に達した。そこには、太陽を含めてなんと、太陽系の12個の天体が刻まれていたのだ。古代メソポタミアの人々は、太陽系に12番目の惑星が存在することを主張している。この惑星は、ネフィリムとアヌンナキの故郷であり、現在でも宇宙のはるか彼方にあり、3600年周期で太陽のまわりを回っているのだ。

シッチンによれば、メソポタミアで出土した「星座早見表」は、宇宙人ネフィリムが地球に降り立った際の出来事を地球人に教えた「航海日誌」のようなものであり、バベルの塔にのせるはずだったシェムは、抽象的な「名前」などではなく、「空飛ぶ乗り物」と解釈すべきなのだ。このような解釈は一見、荒唐無稽な主張のようにも思えるが、シッチンは、語源にまでさかのぼった古文書の詳細な解読を通して、通説の問題点を指摘し、論理的かつ科学的な説得力のある説明を提示してくれる。

シッチンの説は、宇宙工学の専門家のアドバイスを積極的に取り入れており、現代天文学との整合性がうまく保たれている。シッチンの提唱する「第12惑星」は、現代天文学のホットな話題の一つである「惑星X」と同一視することができる。冥王星の軌道には、未知の惑星が原因と思われる微小な重力の影響が存在しており、天文学者たちはこの未発見の惑星を惑星Xと名づけて、日夜探索を続けているが、実は古代シュメール人たちは、この惑星をすでに発見していたのかもしれない。  

シッチンは、第12惑星の公転周期を3600年と具体的に「予言」しており、科学的反証性からも文句のつけようがない。世の中にいい加減な話は多いが、シッチンの予言は検証又は反証が可能なのである、将来、天文学者たちが公転周期3600年の惑星を発見したならば、シッチンの説は正しいことが証明されるし、そのような惑星が何千年立っても出現しなければ、シッチンの説は誤りである。この潔さはシッチンの学問的に真摯な態度を物語っている。  

シッチンの説で興味深いのは、ネフィリムたちが巨大であることだ。生物物理学によれば、生物の時間感覚は、体の大きさと密接に関連しており、体が大きくなれば寿命も延びる。無論その関係は単純な比例関係ではないが、巨人ネフィリムたちの寿命が人間よりも長いことは確かである。古代の人々は宇宙からやってきて、巨大で不老不死に見えるネフィリムを「神々」としてあがめたのかもしれない。

これと関連する話に遺伝情報の問題がある。現代遺伝学は、人間の老化の問題を解明しつつあるが、遺伝子プログラムに「使用期限」としての老化年が組み込まれており、そこの部分を書き換えれば、人間の寿命は飛躍駅に長くなる可能性が指摘されている、もし、この話が本当だとすると、人間の使用期限をプログラムしたのも、やはりネヒィリムとアヌンナキのしわざだったのだろうか?

シッチンの著作の多くは、全米でベストセラーになったにもかかわらず、今まで日本では本格的な翻訳があまりなかった、その理由の一つは内容が神話学、考古学、古代史、天文学、分子生物学、と驚くほど多岐にわたっておりまさに翻訳者泣かせであったからだとも思われる。この本は「幻の宇宙考古学本」として一部の人々だけに知られていた。今回の翻訳にあたっては、複数の専門家の意見を聞き慎重を期したが、人名や地名をはじめ、思わぬ誤りが残っているかも知れず、それらはすべて翻訳者の責任である。

最後にこの本によって解決される(?)素朴な疑問のいくつかを列挙してみる。
▼人類はなぜ突如としてアフリカに出現したのか?
▼時計に使われる12や、一週間の7といった数字はどうして特別なのか?
▼エジプトのスフィンクスは、どうして人面と獅子の体を持つのか?
▼ギリシャ神話や聖書の巨人伝説はどこから来たのか?
▼洪水伝説とノアの箱舟は本当にあったのか?
▼ギルガメッシュ叙事詩の本当の意味は何なのか?
▼なぜ古代の人々は天王星、海王星、冥王星の存在を知っていたのか?
▼なぜ3600年周期で文明の飛躍的進歩があるのか?
▼12番目の惑星は本当に存在するのか?
▼人類は宇宙人によってつくられたのか?



『人類を創成した宇宙人』  ゼカリア・シッチン


2009年04月14日(火) 裏社会レポート

それにしても際立つのは、溝下秀男三代目会長という親分の出所進退の潔さであり、その決断力の凄みであろうか。「まったく今の政治家に溝下総裁の爪のアカでも煎じて飲ませてやりたいですわ。まあ、政治の世界に限らず、人間、一度権力の座に座ったらなかなかそれを手放そうととせず、いつまでもしがみついていようとするのが世の常で、往々にして引き際を間違えて、あとの者たちに争いのもとをつくったり、禍根を残したりするもんですよ。その点、溝下総裁の引き際の見事さ、決断力の見事さは賞賛に値しますよ。これはなかなかできるもんじゃない。なにしろ、溝下三代目という方は、脂がのりきって、まだまだこれからの親分ですからね」(組関係者)

この決断力を持ってしても、溝下総裁がいかにトップにふさわしい条件を持ち合わせていた親分であったかがうかがい知れよう。トップの条件はいくつか挙げられるが、ヤクザの場合、特に決断力というのは重要さからいってかなりの比重を占めるといわれる。

例えば記憶に新しいのは、三代目山口組田岡一雄組長亡きあと、山口組に四代目争いが勃発したとき、田岡未亡人が竹中正久若頭を四代目に押した理由として、次のように述べたことが思い出されよう「きちんと決断できて、自分でケジメがつけられる人ですから。あっちにしたらええやろうか、こっちにしたらええやろうかいいうような人やったら、そないしてる間に、騒ぎが大きくなってしまいますやろ」

これなど、後継者の条件の一つとして、というより大組織のトップの資格として、いかに決断力が重きをなすかを語って余りあろう。優柔不断なものは、まず跡目として失格なのである。事にあたってのトップの一瞬の判断が、組員の生死はもとより組織の存続さえ左右するものとなるのだから当然である。

この決断力に加え、トップの条件というのは実績、識見、手腕、人望ともどもに申し分なしといったことはもとより、次のような項目が挙げられるのではないだろうか。実行力、指導力、統率力、胆力、度量の大きさ、義理堅さ、人情の厚さ、冷静さ、才覚、先見性、カリスマ性、人間的魅力……などなどで、これらはほとんど、一般社会の大企業のトップの条件とも重なる。

「トップの条件といっても、やはり昔とはだいぶ変わってきているのは確かだね。今特に必要とされるのは資金力、政治力、外交手腕、情報収集力、先見性といったところじゃないかな、そして何よりも要求されるのは、金だね。金があるかどうか、経済力。これがなきゃ何も始まらない。昨今は、名門のトップでも金で潰されてその座を追われるケースだって多々あるんだよ。ともかくここ数年の間で、いつの間にかヤクザ界から消えていく上のほうの人間があとを絶たないけど、その理由のほとんどは、カネに絡んでいるといっても過言ではないんじゃないか」(事情通)

任侠精神の欠如ではなく、経済力のなさがトップ失格の理由というのではあまりにも寂しい話であろう。昔はそんなことはほとんど考えられなかったことではあるまいか。よく知られたことだが、昭和42年、43歳の若さで住吉一家五代目総長となった堀政夫総裁は、翌年、旧住吉連合会を中軸に老舗博徒組織を糾合して「住吉連合」を発足させ自身は代表となるのだが、おカネとはあまり縁がなかった。

そのころを知る関係者の話によれば、千葉県野田市の自宅は、雨漏りがするような借家で経済的にはかなり苦しかったという。そんな状況にあって、住吉の代をつぐことで経済的に潤うどころかさらに切迫し、家財道具や衣類を売って住吉の台をつぐことで経済的に潤うどころかさらに逼迫し、家財道具や衣類を打ってやりくりしたといわれる。そのため礼服も手元になく、ジャンパー姿で義理場に現れたこともあったと伝えられるほどだ。

時代が違う、といってしまえばそれまでだが、要するに当時は経済力以上に任侠精神の高さ、器量、人望、手腕といったことが明らかにトップの条件にランクされていたのだけは間違いない。ところがいまや上納金を払えなくて親分の座を追われてしまう時代である。逆に、本来ならその器量も人望もないのに、金にあかして跡目の座を狙うような者が出てきてもおかしくない。

「現実に跡目争いで勝利をおさめているのはやはり経済力のあるほう―というケースも見受けられるよ。豊富な資金力にものをいわせて多数派工作から先代の懐柔まで、強引にやってのけるわけだからな。けど、今はそうしたケースより、誰もなり手がなくて困っているというような話のほうをよく聞くけどね。金がないから上に上がりたくない、下手にトップになんかなったらカネで潰されてしまうっていうんだな。時代も変わったよ。親分になることがヤクザをやるものの一番の夢だったからな、昔は……」(前出の事情通)

バブルが生んだ悪しき拝金主義ともいえるが、やくざ界自体があまりに金のかかるシステムになっていることも、その一因に挙げられるのではないだろうか。「義理の数は、むしろ昔より少なくなっているんだが、ともかく上になると、出て行くカネが半端じゃない。マスコミがいう上納金なんていうものはないんだ。会費はあるよ。それにしたって、よそは知らんがうちはそんなバカ高いもんじゃない。けど、まあ、金はいくらあっても足らんね」

「世の中不況で、カネは入ってこないのに上納金やら義理やらでパンク寸前。おまけに使用者責任とやらで、自分が関係ない事件でも子分がやったことの責任をとらされる。親分をやていいことは何もないね。本当に受難の時代だよ」


『現代ヤクザ録』 山平重樹


2009年04月08日(水) 猫は不快な選択を避ける

☆上杉隆 ジャーナリスト ★佐藤優 作家・外務事務次官 ◎荻原博子 経済ジャーナリスト

◎内政に目を向けると、麻生さんの言うことがコロコロ変わることに国民は辟易しています。定額給付金だって。高額所得者がもらうのは「さもしい」と言ったのに、舌の根も乾かないうちに「高額所得者にも盛大に使っていただきたい」でしょ。どうしてこんなにブレるのでしょうか。
 
★おそらくご本人の中では一貫しているんですよ。僕は外務官僚を見てきたから分かるのですが、「自己保身」という観点からは一貫しているんです。

☆私はかって鳩山邦夫総務相の秘書をしていたのでその感じはわかります。鳩山氏は、無所属で初当選を果たした後、自民党から非自民政権に移り、新進党や民主党などを経て、今再び自民党に戻っています。それで自民党に戻るとき「どう思うか?」と聞かれたので、当然、有権者に説明がつかないし、ブレているように見えるのでは、と答えたら、「だからキミは政治オンチなんだ。俺はブレずにまっすぐ行っているのに、政党のほうがブレているんだ」と言うわけです。(笑)

★霞ヶ関の官僚も似ているんですが、麻生首相の行動を理解するには、猫を研究したらいいんです。

◎猫?

★猫は善悪の基準ではなく、快・不快で動きます。不快な選択は極力避けて気持ちのいい選択をする。それに自己保身という基準が合わさると、普通の人からすると理解できない矛盾した行動になるのですが、本人の中では一貫しているんです。

◎なるほど。麻生さんはよく経済対策を発表していますよね。そのたびに世間もマスコミも振り回されているけれど、結局まだ何もやっていない。法案が通った一次補正予算は福田首相時代に作られたものだし、二次補正は法案が通ってもいない。なのに、もう第三弾を発表している。自分は経済通だという顔をして何度も経済対策を発表しているけど、あれは本人が「気持ちがいい」からやっているだけのことなんですね。

★発表して、ああ気持ちよかったという顔をして戻ってくると、官僚たちはそれを見逃さない。そこで自分たちの権益につながる政策を「また一発ぶち上げてはどうですか」とささやくわけです。

☆麻生首相が経済通だという根拠は、麻生グループの社長を経験して実体経済に通じているからだというものでしたが、それも実は怪しいものなんです。麻生氏が社長時代に次々を新規事業を立ち上げたんですが、ことごとく失敗して潰してしまった。それで弟の泰さんに社長交代して麻生グループは立ち直ったんです。しかし、この実態は隠されていて麻生氏は経営のプロとだという間違った評判だけが流布したわけです。

◎でも経済企画長官もやっていましたよね。

☆当時の官僚に取材したのですが、最初のレクをしたときから、ほとんど経済を理解していなかったと言っていました。

◎まったく理解できないのは、一日当たり三億円もかかる国会を開いて 補正予算に消費税の増税時期を盛り込むか、盛り込まないかを議論していることなんです。国民からすればそんな議論をする前に本当に増税が必要なのか、もっと無駄な支出がないのか、ということのほうが重要です。そんな道筋もない議論を聞かされているうちに、なんとなく消費税は上がるものだとみんな思い込まされてしまって、どんどん生活がシュリンクしているのが実情です。

☆これも世界の流れに逆行しています。金融サミットで各国は内需拡大に努めると約束して、英国は消費税に当たる付加価値税を2.5%下げましたし、中国は五十七兆円の景気刺激策を発表しました。オバマ新大統領も最大で八千億ドル(約七十二兆円)の景気対策をやると言っているわけです。その中で日本だけが二年後の増税を宣言して、マーケットのマインドを一人で冷やそうとしている。

◎天下り団体への国からの事業発注や補助金って十二兆六千もあるんです。これを二割削ればだいたい二兆五千億円で消費税一%分。こういう無駄をなくす努力をしないで、なぜ増税なんて言い出せるのか分からない。麻生さんは良く「国民目線」なんて言葉を使いますが、財務省の目線でしかない。まったく国民のことが分かっていらっしゃらない。「増税」と言うことがよぽど気持ちがいいのでしょうか。

☆安部税権時代から顕著になったと思うのですが、日本の首相の行動様式は、世界とどんどんかけ離れたものになっています。麻生首相が指定から外交電話をかけたこともそうですが、安部氏は首相時代に携帯電話を良く使っていました。外務担当の首相秘書官の使っている特別なものではなく、ごく普通い市販されているものです。麻生首相も携帯を使うのですが、東京にはすぐそばに米国、ロシア、中国などの大使館があり、傍受しているに決まっている。

●携帯は部下を信用しない証

★イスラエルやロシアの情報機関の建物に入るときは、携帯はスイッチを切っていても取り上げられます。それは電源を切っていても出る微弱電波が探知されるのを避けるためです。この微弱電波をたどって、誘導ミサイルが打ち込まれ暗殺される危険があるというのは現実の話です。だから国家首脳が携帯電話を使うというのは、禁じ手中の禁じ手。にもかかわらずそれが許されているのは世界情勢とわが国がいかに無関係かということです。

☆安部政権時代首相官邸で首相周辺に「普通の携帯で、総理が話をするのはまずいんじゃないか」と聞いたことがあるんです。そうしたら、「今はデジタルだから盗聴されないんだよ」と。そんなことないですよ。その程度の認識の持ち主が首相官邸にいると思うと、背筋が凍りつくような思いでした。

◎毎晩、ホテルや行きつけのバーに行くのだってセキュリティー的に大変なはずですよ。お友達との飲み会だったら公邸でやればいいのに。

★携帯電話を使うのは、部下を信用していないからなんです。小泉政権の首相秘書官だった飯島勲さんが書いていましたが、小泉さんは携帯を持たず、電話は必ず有線で、しかも一緒にいる人に内容を聞かせていた。つまり、総理の発言は重要だから、証人にするんですね。裏返せば総理の通話内容をバラした犯人がすぐわかるという怖さがあった。

☆たしかに、最近の麻生首相は側近を信じなくなってきました。政務秘書官の村松一郎氏や他の事務次官などの言うことはきかずに、総務省出身の岡本秘書官の言うことだけ聞くという感じですね。

◎なぜですか。

☆二人とも大雑把な感じで適当なことばかり喋るからじゃないですか(笑)。総務大臣時代からウマが合うようです。一方の村松氏は、きちんとしていていかにも”秘書”という感じ。本来であれば、総理と政務秘書官の連携がしっかりしていれば事務の秘書官は所詮役人ですから、一歩引くんです。ところが慣例では財務省から出ることになっている筆頭秘書官のポストを、総務省出身の岡本氏が奪い、さらには麻生氏と執務室にこもって二人でこそこそとやっている姿を見せ付けられて、他の秘書官たちは嫉妬し、疑心暗鬼に陥っているんです。

★それは、エリツィン元大統領の末期と似ていますね。彼も大統領顧問や首席秘書官を信用せず、信頼していたのは二人だけ。それも、ボディーガードとテニスの先生でした。

☆小泉政権では、基本的に飯島秘書官を通してしか情報が首相に伝わらないし、逆に情報も出ない仕組みになっていました。つまり情報のラインが秘書官を通じて一本化されていたのです。ところが安部首相時代になると、飯島秘書官のような存在がいないので、安部首相自ら携帯で情報の収集・発信をするようになったのです。しかし、いくつものチャンネルから入る千差万別の情報を総理自身が管理できるはずがない。しかも携帯で直接やるので横の情報共有もされない。その結果、情報が錯綜して混乱し何がなんだか分からなくなってしまった。

◎そんな安部さんのことは、麻生さんもよくわかっているはずなのに、消費税の問題で、またもや調整役として出てきましたよね。「お腹が痛い」とか言って、逃げるような辞め方をした人を引っ張ってきて、麻生さんは支持率低下に拍車がかかるとは思わないのでしょうか。

☆結局、そこが「世襲議員」の限界なんですよ。彼らには、彼らにしかわからない共通言語というか共通意識のようなものが通底しているのだと思います。麻生内閣の18人中12人が世襲議員。彼らは地方に選挙区があるといっても、生まれも育ちも東京都心部の高級住宅街で進学校に通って成長した人たち、そこにはひとつの「階級」のようなものができあがっていて、その仲間内でなければ信頼できないのです。

◎しかも、世襲議員同士で姻戚関係が絡んでいたりして、もはや貴族社会のようですよね。

★貴族というのなら”ノブレス・オブリージュ”(貴族の義務)がないといけない。だからカースト制と言ったほうが近いでしょう(笑)

☆そういった階級ができる最大の要因は、「地盤、看板、カバン」、とくにその中でもカバンを非課税で相続できることが大問題なんです。じつは、親の政治資金管理団体からこの政治資金管理団体に資産を移すときは、寄付という形であればすべて非課税なんです。世の中には相続税で頭を悩ませている人達がいっぱいいるのに、政治家は何億円という遺産を事実上無税で相続できる唯一の職業ということになります。年末、このことを『週刊文春』に書いたら、何人かの世襲議員から「あれだけは書くなよ」と苦情が来ました(笑)。

★村上正邦元参院議員が言っていました。「なぜ世襲議員が増えたのか分かるか?簡単だよ、儲かるようになったからだ」と。歳費は上がっているし、月百万円の文書通信交通滞在費もあるわけです、ろくに政治活動もしないで、それを使わず溜め込んでおけば、億単位の蓄財も可能です。こんな職業は他にありませんよ。

◎政治家と公務員が税金を食いつぶすことで、特権階級を作りつつあるということに、国民は苛立ちをつのらせている、実際、国家公務員の平均給与は約663万円、地方公務員は約730万円で、一方の民間は430万円ぐらいなんです。

★こういった現象が今後も続くなら、非常に怖いシナリオが出てくる可能性もありますね。例えば田母神前空幕長の論文問題のとき、みんなクーデターを連想したわけです、それから元厚生次官宅襲撃事件のときはテロを予測しました。そういったクーデターやテロを怖いなあと思う心理の裏には、そうでもないと今の政治は変わらないという気持ちがあるのではないでしょうか。

◎もしそうなら、1929年の世界大恐慌の後、昭和恐慌に見舞われて、青年将校たちがクーデターを起こしていったのと変わらないじゃないですか。

★昨年起きた秋葉原無差別連続殺傷事件だって、あれが秋葉原でなく経団連を襲っていたらどうだったでしょうか。

☆世襲議員だけではなく、永田町の政治家たちが国民の利益ではなく党のことばかり考えるようになったのも、問題を悪くした一因ではないでしょうか。安部首相以降、、会見などで首相が平気で党の利益を代弁するようになった。所信表明で、野党との対決姿勢を示し、「私は逃げない」と党総裁の立場から国会演説した麻生首相が最たる例です。首相は党の総裁である前に日本の首相なわけですから、この国家の危機に自民党の危機なんてどうでもいいんです。


週刊文春 2009.1.29


2009年04月07日(火) ヨーグルトとは

双子の兄弟の発ガン率を追跡調査した結果、バラバラだったということだ。兄弟、姉妹ともどちらか一方がガンでも残りの兄弟、姉妹はガンにはならないという調査結果がでた。後天的要素が強いということである。

中世、男の子を産んだ母親の寿命は短く、女の子を産んだ母親の寿命は長いと言われていた。男の子は子宮の中で成長が早く、体重が重いので母親の負担が大きい。だから寿命が短くなるということだ。男の子を産んだ母親は平均34週間寿命が縮まるという。おっぱいを飲む量が多い、子宮の中で暴れるなど。

人間の寿命は運命ではなく腸の中の善玉菌で決まる。病気の多くは腸が原因である。腸内細菌は善玉菌と悪玉菌がいるが、善玉菌が少なく悪玉菌が増えるとがんになる。体内の腸の細菌とどう付き合うかである。善玉菌を増やすことが健康につながる。ブルガリアのヨーグルトは腸に良いのでブルガリア人は長命である。しかし塩分と脂分を多く取る傾向にある。

養生訓によると300年前の日本食が理想的である。一汁一菜が良い。過食が一番よくない。小食が長生きできる。韓国の天才少年の母親は生活が困窮していてろくなものを食べていなかった。したがって精選されたものが胎児に送られたのではないか、といわれている。天才は貧しい家庭から生まれやすいといわれている。

人間の体は足りないものを体内で補うことができる。人間の体内には微生物が2キログラムから3キログラムいる。腸にだけいるのは1キログラムである。人間の体は微生物に支配されている。したがっていかに善玉菌を増やすかということが重要になってくるが、その方法はヨーグルトを飲むことである。

千島学説というものがある。これは血液は腸で造られるという説であるが医学界で袋叩きにあった。しかし現在でもどこで造られているのかわかっていない。健康を保つには腸を良くしないといけない。腸で人間の寿命が決まると言われている。そのためには菜食が良い。便秘をしないこと。


地球の真実 4月4日


2009年04月06日(月) 朝日新聞が報道しない中国のチベット侵略

チベットの惨状を伝える書物は多いが、ここでは『チベット女戦士アデ』に基づいて、チベット人の女性、アデの体験を紹介したい。本書は実際に監獄贈られた体験者の報告であり、伝聞ではなくそのほとんどが自身の体験である。中共の侵略以前の幸福な幼年時代、当初の中共の微笑戦略が書かれた後に、苛酷な支配の実態が赤裸々に記されている。

1955年、アデの住んでいたカンゼにおいて、中共は「宗教活動は社会にとって無益である」と発表し僧に「尼僧」との結婚を強要した。そして僧たちも農作業に従事することを強制された。農作業はその過程で殺生を行うことになるとの理由でチベットでは僧たちによる農作業は行われていなかったのである。文化に対する破壊であり、チベットの歴史性を無視する暴挙であった。

次いで1956年には、悪名高い「タムジン」が開かれた。「タムジン」とは人民裁判とも呼ぶべきシステムであり、民衆間に亀裂を生じさせることが中共の目的であった。子供が親を、使用人が雇い主を、僧侶が高僧を密告し、密告された人間は集まった住民の眼前で辱めを受けるというシステムである。家族を衆人環視の中で殴りつけ悪罵を浴びせる。それを拒めばその拒んだ当人がタムジンにかけられるのだ。社会の絆はずたずたに切り裂かれた。人々は密告の恐怖に常に怯える過度の人間不信の中での生活を強いられた。

また中共は、従来のチベット人の間で憎悪の感情が生まれるべく策動した。新たに幹部とされたかっての社会的弱者は、チベット人の弾圧に手を貸すこととなった。彼らは、真に自分たちが搾取されてきたと洗脳されたため、復讐の鬼となった。チベット人自身が中京の走狗となったのである。

妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦された。特に尊敬されている僧たちは狙い撃ちにされ、尼僧との性交を強いられた。ある僧院は馬小屋にされ、僧たちはその小屋でで連行されてきた売春婦との性交を強いられた。あくまでも拒否した僧のある者は腕を叩ききられ、「仏陀に腕を返したもらえ」と嘲笑された。大勢のチベット人は手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、馬や車で引きずり殺されていった。

まさに阿鼻叫喚の地獄絵とずともいうべき惨状が、ここかしこで繰り広げられたのである。こうした中で、ついにチベットの民衆が立ち上がった。カンパ族が中心となって、武装蜂起をしたのである。山中に潜み、好機をうかがいながらゲリラ戦を展開したのだった。

またチベットの首都ラサでも蜂起が起こった。中京がダライ・ラマを北京に呼びつけたのだが「護衛をつけるな」などという奇怪な条件がついていたのだ。ダライ・ラマを守るため、多くのラサ市民がダライ・ラマが住むノルブリンカ宮殿を取り囲んだ。ダライ・ラマはこの騒乱の最中にインドへの亡命を決断し、危機を脱したのだ。

こういったチベット人の蜂起に対して、中京は徹底した弾圧を持って応じた。残念ながら圧倒的軍事力の前に、彼らの勇気も空しく次々と戦士たちは戦場に倒れていった。アデは女性ながら決起した勇士を助けるべく、食料の調達、情報の提供を行った。だが、後に仲間が拷問に耐え切れず、アデの存在を当局に伝え彼女は逮捕されてしまう。彼女の苦闘はここから始まった。

監獄では自殺を防ぐために、ひも類がすべて取り上げられた。食料は乏しく洗濯などは一切許されていなかった。そこでは激しい拷問が行われた。取調べを受けているとき、蹴飛ばされ、ライフルの柄で体中を殴られた。また両手を頭の上に上げて、二つの木製の鋭い三角形の上にひざまづくように強要された。腕を下げると、ライフルの柄で殴られた。


……………………

第二次世界大戦が終了し、ナチス・ドイツの蛮行が明らかになったときその罪のあまりの重さに世界の人々は愕然とした。ナチス・ドイツはユダヤ人という一民族の根絶やしを計画し、最先端の科学技術を駆使しながら、殺略計画を粛々と実行していた。

罪なきユダヤ人がユダヤ人であるというだけで殺されていったのである。かっては科学技術の発展、進歩とともに人間の進歩が楽観的に信じられた時代もあったが、アウシュビッツの悲劇は人間という存在、あるいは近代性そのものに潜む野蛮を明らかにした。多くの人々が、アウシュビッツの悲劇を繰り返すまいと誓ったはずであった。

しかし悲劇はアウシュビッツを持って終焉を迎えたわけではなかった。中華人民共和国によるチベット侵略の歴史は、我々の同時代に行われた恥ずべき蛮行であり、その残酷さを極めた支配は、アウシュビッツの再来とも呼びうるほどのものであった。




『チベット大虐殺と朝日新聞』拓殖大学客員研究員 岩田 温


2009年04月03日(金) 南極と北極どちらが寒いか

南極と北極はともに赤道から同じ距離にあり、太陽から離れている距離も同じである。ともに太陽の熱をほとんど受けることがない。ということは単純に考えれば気温は同じであるはず。しかし両者を比べてみるとその気温は違う。北極の冬の平均気温はマイナス40度で、南極はマイナス60度である。北極は夏はプラスになることもあるが、南極の場合最も寒いロシアのボストーク基地では、一番暖かい一月でもマイナス30度以下という寒さである。

この違いは南極が陸地なのに対し、北極が海だからである。陸地は海に比べて数倍も冷えやすく、しかも南極はそのほとんどが数千メートルもある厚い氷で覆われているのでその上空に冷たい高気圧の空気の塊ができるから、ますます冷える。

それに対し、北極は海水が寒さを和らげてくれる上、南のほうから暖流が流れてくるのでさほど冷え込まない。海水の氷結天はマイナス1.9度なので海水の温度はそれ以下にはならない。結局南極が寒いということになる。



『雑学大全』より


2009年04月01日(水) 納豆はなぜ賞味期限があるのか

納豆はヨーグルトや味噌、醤油などと同様に酵素がたくさん含まれた発酵食品である。ただ発酵しているという言葉から、腐っているという印象をもたれてしまうが実際はそうではない。発酵と腐敗は違うのである。この二つには細菌などの微生物が関係しているのだが、微生物には良い役割をするものと悪い役割をするものがある。

納豆は納豆菌という、よい細菌が繁殖してできるものである。腐敗の場合はカビや悪い細菌が働いて、ものを劣化させてしまうから同じでないことが分かる。納豆の表面が白くなっているんは、その良い働きをしている納豆菌が繁殖している証拠で、それが元気に働いていられる期間という意味で賞味期限がある。

そもそも賞味期限とは、厚生労働省が所管の「食品衛生法」で定めたものである。以前は「品質保持期限」と「賞味期限」の両方の表示があったが2003年(平成15年)7月に賞味期限に統一されている。それによれば賞味期限とは「定められた方法により保存した場合において、期待されるすべての品質の保持が充分に可能であると認められる期間」ということ。

ちなみに古くなった納豆は匂いが強くなる。糸引きが悪くなる、納豆そのものが柔らかくなる。べたつく、味が苦くなるなどの変化が見られる。発酵食品である納豆であるが新鮮なうちがおいしい。


『雑学大全』


加藤  |MAIL