加藤のメモ的日記
DiaryINDEX|past|will
アメリカの保守的キリスト教徒はなぜ「進化論」を嫌うのか。
「原理主義」と聞くと、すぐイスラム過激派が頭に浮かぶかもしれませんが、原理主義(ファンダメンタリズム)という言葉を最初に世界に登場させたのは、アメリカのキリスト教徒(プロテスタント)だった。アメリカの保守的プロテスタントの中には、ダーウィンの進化論を公教育の場で教えるべきではない、と主張する人達がいる。人間は神が創ったという聖書の教えに反するから、というわけである。
こうした主張の論拠になっているのが聖書の無謬性、つまり、聖書に書いてあることは一字一句まで、その通りの事実であり、人間がいろいろに解釈すべきではない、という考え方である。原理主義者たちは、世俗の論理や価値観をい汚れたものとして敵対視し、自分たちの信仰の純粋さを貫こうとする。汚れた世俗の代表として敵対視の対象になったのが、ダーウィンの進化論であり、フロイトの精神分析であり、共産主義、妊娠中絶、最近ではフェミニズムや同性愛などである。
イスラムやカトリックも異教として悪魔扱いされ、時には政治そのものが汚れたものとして嫌われたりもした。こうして世俗の価値観と対立し、宗教の原点に立ち返れと叫ぶ運動全般が原理主義と呼ばれるものである。アメリカといえば、合理主義の国、自由な言論の国、人種や文化の多様さに寛容な国、というイメージで見てしまうが、実は国民の半数近くが、こうした原理主義で保守的な人たちで占められている、という事実も知っておく必要がある。
なぜアメリカで、それもプロテスタントの間で原理主義が芽を出したのか、それはアメリカの建国の事情にある。アメリカは移民によって作られた国である。その最初の一歩を踏み出したのは、「理想の神の国」の建設を目指したイギリスのピューリタン(清教徒)たちだった。ピューリタンとは、当時のイギリス国教会(カトリックから分離)を堕落した存在と見て立ち上がったプロテスタントの一派であった。「聖書に返れ」をより純粋に突き詰めようとした人たちだった。
しかし、実際にアメリカの独立にあたって、憲法を起草したジェファーソンや初代大統領のワシントンなどは、リベラルな思想を持つ啓蒙主義者であった。以後のアメリカは政教分離の原則のもとに民主主義の政治を推し進めた。政教一致を目指したピューリタンたちの理想は、原理主義の萌芽を宿したまま、自由の国アメリカの底流でくすぶり続けることになるのである。
『世界の宗教101の謎』
強烈な暑さのために軽い脱水症状を起こしかけていたらしい。作業服の袖で額の汗をぬぐう。心臓の鼓動が早くなっている。今日は妙に体がだるい。しばらくどこかで休まなければ。体の向きを変えて進もうとしたとたん、今度は寒気を感じた。寒気?炎天下のアフリカにいるのに?疲れから風邪を引いたいのかもしれない。意識がしっかるしているうちに、早く「安全地帯」まで退去して、休まなければ。。なんだかいやな感じがした。焦る気持ちを抑え、僕は注意深く「安全地帯」を確認し、そのまま三歩進んだ。その瞬間だった。今まで聞いたこともないほど大きな爆音が、あたり一面に響きわたった。僕の耳の中をものすごい勢いで爆音が突き抜けていく。爆風は僕をふっ飛ばして、激しく地面にたたきつけた。しばらくの間、まったくの静寂が訪れた。爆発の後というのは、こんなにもしんとするものなのだろうか。不思議な静けさの中で、僕はうつ伏せになって目を閉じていた。気分はいい。痛みは感じない。涼しさ、そう、灼熱の中で僕は確かに涼しさを感じたような気がした。ほんの数秒間、僕はじっと横たわったままでその涼しさを堪能した。頭が勢いよく回り始めた。個々に爆薬を仕掛けたのは誰だ?きっとあの連中の仕業に違いない。息をするのが一苦労だった。いつの間にか目が開いていた。だが、まばたきをしても、目には何も映っていないような、頼りない感覚しかないように思えた。ゆっくりと目を上げると、すぐそばにちぎれた草が見えた。何かが変だ。目の前にあるこの草には見覚えがあるが、頭が混乱していてどこで見たのか思い出せない。ここはカンボジアなのだろうか。それとも?僕は右手を上げようとして愕然とした。動かないのだ。血が流れている。ゆっくりと今度は体を起こしてみる。僕は怪我をしている?ひどい外傷を受けたとき、人間の肉体がエンドモルヒネをつくり出すことを僕は思い出していた。自家製の麻酔薬が痛みを忘れさせてくれるのは一分間ぐらいなものだろう。今のうちに、僕は自分が置かれた状況を冷静に把握しておかねばならない。近くで誰かが地雷を踏んだのか?いや、この状況からすると、どうやら自分で地雷を踏んでしまったようだ。まずはその事実を覚悟をもって受け入れなければ。自分の体を眺めてみた。右手がぐちゃぐちゃになって、潰したイチゴのように真っ赤に染まっている。右足に目を向ける。足の膝から下がなくなっている。さっきの爆風でどこかに飛んでいってしまったのだろうか。火薬と皮膚の焼け焦げる匂いがした。右足の膝の断面からは、黄色い骨が一本飛び出していた。そのまわりをボロボロになったピンク色の肉が取り囲んでいる。骨がこんなに黄色いなんて今日まで知らなかった。骨は白いものと、ずっと僕は思い込んでいたのだ。激痛がきた。必死で神経を集中し、自制心を失うまいと言い聞かせる。今の自分に与えられた選択肢は三つ。自分のやるべきことを考えるか、意識を失うか、死ぬか。三つ目の選択肢は、一番楽なことに思えた。僕は幸いにも強靭な肉体を持っていたので、一つ目の選択肢を実行に移す力が残っていた。今、自分がしなければならないのは、この場にいるほかの人間の安全を考えること。怪我をした自分に適切な応急処置がなされるように指示を送ること。それが僕の任務だ。僕は冷静な声で叫んだ。「フランク怪我をしてしまった。安全地帯を歩いていたのに、地雷を踏んでしまったようなんだ。吹き飛ばされたときに、右足の下をなくした。右手の怪我もそうとうひどいみたいだ。US救援機が。負傷者を病院まで運んでくれるかどうか、無線機で至急確認をしてくれ。それから医療班の二名に、担架を持ってきてくれるように言ってくれ。わかったか?」「イエッサー」緊張した声でフランクは答え、ただちに僕の指示に従った。彼らを待つ間、右足の断面が地面に触れないように、右手で持ち上げておくことにした。膝から下がなくなった足は軽かった。傷の断面からは血ではなく、透明な液体が流れている。右の肘からはおびただしい血が流れ、地面に染み込んで黒いしみをつくっていた。。よほどの運がない限り、僕は一命をとりとめることができないかもしれない。モザンビークに来てから今日まで、僕のチームが担当した地雷撤去作業で、地雷を見逃したことは一度もなかった。僕らが撤去し、安全地帯を表す白い杭を打った地域では、小さな事故一つさえも起こったことがなかったのだ。それでも、決して慢心することなく、僕たちはいつも百パーセント慎重に撤去にあたってきたつもりだった。そのチームが初めて見逃した安全地帯の地雷を、責任者の僕が踏んでしまうなんて、これ以上に皮肉があるだろうか。いや、部下が見逃すはずがない。きっと、撤去後に誰かが埋めたか、金属探知機にかからないようなプラスチック製のものだったか、よほど深いところに埋めてあったかのいずれかだろう。
『地雷と聖火』クリス・ムーン 1962年、イギリス出身。元ヘイロー・トラスト地雷除去員。1995年モザンビークで撤去活動中に地雷に触雷、右手、右足を失う。以来、義足のランナーとなり、数々のマラソン大会に出場。現在も地雷廃絶を訴え、世界中を走り続けている。その功績が称えられ、1998年長野冬季オリンピックにて、最終聖火ランナーに選ばれた。
| 2009年01月29日(木) |
アメリカ式謀略戦争の実態 |
アメリカ史を勉強しなおすと、インディアン皆殺しの歴史がある。大陸内部に侵攻し、席巻していく。19世紀の1世紀をかけてインディアンを皆殺しにしていく歴史です。その延長上にベトナム戦争がある。それ以前にメキシコ侵略戦争があり、1898年の米西戦争ではフィリピンとキューバを手にする。それから二つの大戦をはさんで帝国を形成していく。
アメリカという国は私たち日本人が考えているほどきれい事では済まされるような国ではない。平和と民主主義の国、デモクラシーの国アメリカとは違った別の顔を持っている。
実際にアメリカで暮らしてみると、アメリカ文化自体が戦略的で、しかも謀略と外交が一体になった関係にあるアメリカの別の顔に気づくのです。日本人はアメリカに戦争で負けたというコンプレッスクがあり、とくに戦後民主主義をアメリカから頂戴した経緯もあって、アメリカの持っている最もどろどろした本質的な部分を見落としてきたんじゃないかと思います。
そもそも日本の文化を象徴しているのは相撲ですね。まわし一つで土俵に上がるときには身を浄めて塩をまく。不正をしないことを誓って一対一で戦う。それに対してアメリカ文化の象徴は、アメリカのいわば国技であるアメリカンフットボールですよ。あれはたいへん戦略的なゲームです。いかにして相手のチームを欺き、どんな形で謀略と奇襲のシナリオをつくるか、、ハーフタイムごとに数分刻みの作戦会議で作戦を練ってプレーする。これはやはりアメリカの文化である。
そして日本の国技・相撲が裸なのと対照的に、重いプロテクターを着けます。重武装国家の文化なんです。それで集団で相手を圧倒していく。それがアメリカンフットボールなんですね。ルールはある。しかしそのルールの下でいかに相手を欺き、粉砕していくのか。これが建国以来のアメリカの文化なんだなあと、アメリカで暮らしてみて痛感しましたね。
そしていまや戦争が、お茶の間で見る壮大なショー、スペクタル化している。観客はポテトチップをかじりながらそれを見て、その危うさも、殺され続ける中東のイラク人たちの地獄絵にも思いを馳せることが出来ない。戦争の背後に潜むどろどろした利権も、その背後にひそむ謀略や奇計の危うさも見ない。自分たちがイラクの数千、数万倍の「大量破壊兵器」を核や超ハイテク兵器の形で持っている現象は、視野からすっぽり抜け落ちしまう。ただ相手方の大量破壊兵器だけを口実に戦争をしかけていくのです。
イラク問題で考えなくてはならないことは二つあります。一つはアメリカは兵器の実験場にしたかったこと。冷戦と湾岸戦争が終わったあと、クリントン政権がアメリカの兵器産業を三分の一に縮小しました。それで軍需産業が悲鳴を上げはじめるのです。そこでボスビア=ヘルツェゴビナの内戦をつくり、中東の危機を作り、今回のイラク戦争で一気に片付けるというプロセスが見えてくるともいます。
米西戦争ではメイン号が爆破され、第一次大戦の時には英客船ルシタニア号が爆破されてアメリカ参戦のきっかけになりました。真珠湾攻撃で、軍艦が爆破されることによってアメリカの厭世的世論が潰され、参戦に踏み切ったのです。メディアが好戦主義を煽り立てていく。それからトンキン湾事件、マヤゲス号事件です。フレームアップには軍艦とか船がよく使われます。
日本ではドイツのエニグマという暗号機と同じ機械を使っていたのですが、そのエニグマ機をアメリカは数十台保有し、カナの読み方まで数十から数百にわたるサンプルを取りながら、暗号解読に成功していたことがわかります。日本が現地から、あるいは官邸から真珠湾攻撃に向けていろいろやっていることがすべて筒抜けになっていた。情報戦における失敗・敗北の現実がよく見えてきます。
だから、見方によっては日本は国家戦略で負ける以前に、情報戦で負けていたのです。これは今日の日米経済戦争、例の1985年のプラザ合意に始まる「第二の敗戦」、つまりアメリカのマネー戦争で日本が敗北してバブル崩壊に至るプロセスとオーバーラップしてきますね。アメリカはエシュロンという諜報電子網を持ち、地球上に26個の偵察衛星を張り巡らせて世界中の情報をキャッチしていて、例えば1997年の日米交渉のときに、当時の橋本首相の会話がすべてホワイトハウスに筒抜けになっていた、といった現実が重なってきます。
建国以来ずっと侵略を続けてきた合衆国だけあって、侵略は謀略とセットになっていますから、その巧妙さにかけては日本なんかまるで赤子の手ですね。
『真珠湾からイラクまで』本田勝一
テレビのクイズ番組で重箱の隅をつついた問題を、ほとんど条件反射的に回答する。これも確かに「頭がいい」と表現するけれども、それは極めて特殊な頭のよさだ。社会で役に立つ頭のよさ、つまり「使える頭」という観点からすると、まったくもって当てにならないものである。実社会において「頭がいい」という場合、それは「使える頭」でなければならない。
「使える頭」とは、物事の本質を見抜く頭脳である。ただ見抜くだけではない。どう対応策をとるか、そのメニューを複数提案する。プライオリティーをつけ、実際に行動に移すところまでいって、初めて「使える頭」といえるのだ。
一流大学を出て官庁に入る。統計やデータを駆使して日本の近接未来の経済を予測する。確かに学校での成績も公務員試験も高得点を取ってきたのだろうが、彼らがはじき出した見通しはここ数年ことごとく外れている。官庁だけではない。民間も同様である。銀行、証券会社の調査部やシンクタンクは世にいう一流大学、しかも成績のいい人たちの業界だ。しかし彼らが束になってかかってもバブル崩壊は予測できなかった。
ところがここに、高等教育など受けたこともない一人の老人がいる。彼は実社会の中で切った張ったの修羅場をくぐり抜けてきた相場師である。その彼がバブル崩壊直前に、それまでの戦利品である不動産と株式をすべて売り払ってしまった。理由は二つ。「こんな浮かれた経済が続くわけがない」「わしの経験の中では説明できない世の中(経済)になってしまった」
彼は自分がわかる範囲で動いていた。いわば自分の頭の領分を知っていたといってもいい。そして、どうも経済がおかしい、自分の理解の範囲を超えている。日本経済は実像よりも虚像が一人歩きしているのではないか。それがバブルだったのである。今となっては誰でもいえる。しかしバブルの真っ盛り。「日経平均株価が4万円にも届くのではないか」と浮かれていたときに、もう手仕舞いだと踏み切れた人間がどれだけいたのだろうか。
現代は、自分の金で博打を打ったことのない人間が、データとコンピュータ、教科書の中の経済知識で乗り切れる時代ではないのである。今非難の的になっている産、官、学の状況を見るとかって優秀といわれた人たちが指導、運営している集団である。一様に閉塞状況を迎えている事実を見ると、彼らは「頭がいい」のではなく、本当は「頭が悪かった」のだと気づくのは。私一人ではないだろう。
何でもわかるし、知っている。だから、何でもできる人……とはいえない。もちろん、超一流進学校から超一流大学、超一流官庁、そして数多の天下り。これで「人生勝利の方程式」に乗ったと思ったら大間違い。時代錯誤もはなはだしい。現象だけにとらわれているとその裏側に隠されている本質に気づかない。
本質を浮き彫りにして叩かなければ、問題は処理できない。「使える頭」とは本質を見抜く力があるかどうか、ということである。日本という国はもちろん、毎日のビジネス現場でも、のんびりと惰眠を貪っている余裕はもうない。
人間は万物の王者である。知識の究極である科学は産業を変え、ビジネスを変え、地球環境を変え、すべての生態系まで変えてしまった。人間は自分で考えている以上に、その影響力たるや全地球的、全宇宙的に大きいのである。
『頭のいい人』中島孝志 経営評論家・ジャーナリスト1957年東京生まれ
水は生命の基本だ。体の70%は水分なのである。よく言う脱水症状上とは、この水分量が減少し、血液がドロドロに濃縮されてしまい、脳や肺に詰まってしまう。少し以前に飛行機の中で突然死として「エコノミークラス症候群」が話題になった。これも原因は脱水である。少しのどが渇いていても飲むのが面倒だったり、トイレのことを考えて飲むのをやめてしまったりしたために、脱水症状になってしまう。そして足のほうに血の固まり、血栓が出来て、動いたとたんに頭や肺の血管などに詰まってしまうのだ。
これは飛行機の中のことだけではない。オフィスでじっと座って仕事をしているときにも似たような状態は起きるから注意が必要だ。実は現代人は全体的に水不足といわれている。一旦、体が脱水症状に慣れてしまうと、それが普通になってしまう。だから、のどが渇いたと感じてから飲むのでは遅い。
必要な水分の摂取量の目安は、最低で体重の30分の1とされている。もし体重が60キロの人なら1日に2リットル。できれば20分の1の3リットルならなおよい。のどが渇いたときだけ飲んでいたら、ほとんどの人はこの量は飲まないと思う。よって、1日に2リットル飲むぞという意思のもとで、配分を考えて水分補給しよう。
ただし腎臓疾患のある人は例外である。腎臓が弱かったり、病気があると水分を体外に排出できないため危険である。腎臓疾患がなければ副作用の心配がないので、試してみる価値は高い。
またお茶や、糖分を含んだジュース類はこれに含まない。麦茶などは健康によいとされているが、緑茶にはカフェインなどの成分も含まれていて、あまり大量に摂り過ぎると胃などに負担がかかる場合がある。水道水にはカルキなどが含まれているので、フィルターで除去するか、ミネラルウォーターにすべきである。
この水にまつわる話で、僕の先生であるDr.テリー・グロスマンから聞いた興味深いエピソードがある。イラン革命のときであるが、ホメイニ氏が多くの人々を幽閉してしまった。その中にDr.バットマン・ゲリーニという高名な医師がいた。人々は体の具合が悪くなるとそのゲリーニ先生のところに行き診てもらった。彼は診察するが、薬も何もない。
病気がわかっていても治療が出来ない。そこで彼はどうしたかというと、「1日にいつもより3杯多く水を飲みなさい」と指示を出した。それで2年半の幽閉の期間に、3000人の人が彼の診察を受け、同じ指示を出した。彼は解放されたあとに本を出したが、そこで「90数%の病気は水を飲むことで治癒できると私は確信した」と書いているそうだ。
確かに胃潰瘍などは水を飲むことで胃酸が弱まるし、風邪でも脱水症状を起こすから、水分補給は大事である。腎臓結石などにもいいし、この水分補給はあながち無視できないものである。もちろんすべての病気が水を飲むことで治るとはいえないが、毎日の水分補給は心がけたい。
僕自身、この話を聞いてからいろいろと考えて納得して、1日に500ミリリットルのミネラルウォーターを5〜6本飲むようにしたら、とても体調がいい。外来診察のときもミネラルウォーターを机に並べて飲みながらやるようにしたら、以前は外来の最後のほう、夕方3時から4時ごろになるとかなり疲れを感じていたのだが、この水作戦を開始してから疲れ知らずで、外来ができるようになった。
『100歳まで生きる!不老の方法』坪田一男 医学博士
あまり勉強していなかったホーキングだが、研究を続けようと決心する。大学院に行き、宇宙論を研究しよう。そこで、当時の宇宙論の権威、ケンブリッジ大学のホイル教授に問い合わせてみる。トップの成績で卒業できたら、受け入れよう。そういう返事が返ってきた。トップの成績をとる―何の問題もないはずだった。
ホーキングは自信に満ちていた。ところが土壇場になって急に自信がなくなる。最終試験の前夜眠れない夜を過ごす。その結果、試験で無様な答えをたくさん返してしまう。最終的な結果は、もう一人と肩を並べる成績だった。トップか二番か甲乙つけがたい。このような場合には学生をもう一度呼び、面談をする。その再試験のときには、ホーキングもすっかりいつもの自信を取り戻していた。
将来の計画について尋ねられると、こう切り返したという。「トップの成績を取れましたら、ケンブリッジに行きます。二番でしたら、このままオックスフォードにとどまるつもりです。ですから、トップの成績を頂きたいと思います。
パーマン教授のコメントが残っている。「教授たちはしっかりとした判断力を持ち合わせていました。その場にいたほとんどの教授よりも遥かに抜きんでた知性の持ち主、そういう人間と対峙している。みな、そう悟りました」結局トップの成績をおさめる。こうして1962年秋、ホーキングは20歳でケンブリッジ大学のトリニティーホールの門をたたく。
入学してみると、ケンブリッジ大学の大学院では、ホーキングももはや華やかな学部学生のままではいられなかった。ケンブリッジには科学界の本物のスターがきらびやかに並んでいた。科学の大いなる発見も頻繁に起こっている。ケンブリッジのキャペンディッシュ研究所では、クリックとワトソンがDNAの二重螺旋構造を発見している。二人はホーキングが到着して数週間後にノーベル生理学賞を受賞する
ホーキングはすぐに気がつく。応用数学・理論物理学科という小さな世界ですら、生き抜いていくのは容易ではない。一日に一時間の勉強、これではどうしようもなかった。数学の基礎がまったく欠けていることもすぐ明らかになる。
しかもホーキングの試練はこれだけではなかった。彼はオックスフォードでの最後の年、彼は階段から落ち、頭を打っていた。階段から落ちたのはこれが初めてではない。それどころか、靴の紐さえ結ぶのがつらいときがあった。
ケンブリッジでの最初の学期が終わって家に戻ると、病院に行くように父親に諭される。診断の結果は信じがたいものだった。悪夢としか言いようがない、しかも誰もが想像し得なかったような悪夢だった。筋萎縮性側索硬化症(ALS)―そう診断されたのである。
筋萎縮性側索硬化症とは筋肉が萎縮していく病気で、常に症状が進行していく。脳と脊髄の神経細胞に異常が見られるのである。ALSが進行すると、体を動かせなくなり、ついには口を開くことすらできなくなる。体は一種の植物状態に陥る。ただし頭の中は何も損なわれず、思考のほうは明晰なままである。
それでも、まわりの人間に自分の意思を伝達できなくなる。発病して、二年から三年で死が訪れるのが普通である。終末期には患者にモルヒネが投与される。迫りくる死の恐怖に怯える患者、慢性的な鬱状態に陥った患者にはそうするしかない。
『ホーキング』ポール・ストラーゾン
プロテスタントの拡大に対抗して、カトリックの内部にも「宗教改革」の動きが起こった。その頂点とされるのが1545年から3回開催された「トリエント公」会議である。この会議で、カトリックの教会の聖書解釈のみが唯一絶対であると宣言され、その教義に離反した人物や集団をすべて異端として迫害・弾圧する宗教裁判がヨーロッパ各地で開催された。
宗教裁判(異端審問)はすでに13世紀から行われていたが、トリエント以降はこれが激化し、とりわけ悲惨を極めたのが「魔女狩り」だった。一神教であるキリスト教は、もともと悪魔や悪霊に対する敵対意識が強く、そこの教会が「呪術」を行う女(魔女)は生かしておいてはならない」(出エジプト記)という旧約聖書の一節を利用してキャンペーンを張ったため、魔女狩りはヨーロッパ全土を巻き込んだ。
虐殺された魔女は、その数200万人から数千万人ともされ、魔女であると告発されれば必ず処刑され、密告・謀略も横行し、罪のない者までもが犠牲にされた。
現在、世界宗教といわれているのはキリスト教で、カトリック、プロテスタント、東方正教会で合計20億人。イスラム教12億人、仏教4億人の三大宗教である。合計約36億人。この三宗教だけで全世界の人口66億人の半分以上を占めている。ただし、信者数だけからいうと、インドの人口10億人の約8割強が信仰するヒンドゥー教が8億人、儒教、道教などをベースとした中国民間宗教が4億人で、仏教よりも大きな集団ということになる。
民族宗教というのは、主に民族の生成やその救済に関わる教えを核とした宗教で、通常、一民族内でのみ信仰されているものをいう。代表的な例がイスラエル民族と唯一神との契約という形をとって語られるユダヤ教(信者1400万人)で日本の神道もこれにあたる。
宗教の原型ともいえる原始的な信仰の存在は、人間の歴史と共に古く、すでに旧石器時代から人間は死者を埋葬したり、何らかの呪術を行ったことが、その時代の遺跡から確認されている。ラスコーの動物壁画(約1万年前)に描かれたさまざまな動物の姿も、なんらかの祭祀と関係していたのではないかと言われている。
こうした原始時代の宗教的態度の中には、すでに人間が「死」や「死後の世界」、また人間に死をもたらす自然の力に対して畏怖の念を持っていたことが示されている。その畏怖はやがてさまざまな神々を生み出していくことになる。ここでいう「神」とは「GOD」の訳として使われる「神」とはまったく性質の異なった「スピリット=精霊」と呼ぶべき存在である。今の「森の精」「湖の精」というその「精霊」である。
未開時代の人々は、太陽や月などの天体、風や風などの自然現象、動物や植物といった生き物、それに人間(死者・生者)を含めたあらゆる自然界の存在に、スピリットが宿っていると考えていた。当時の人々は、こうした精霊たちを畏怖するばかりでなく、それらと交流する能力を備えていた。そのために特殊な植物がもたらす幻覚作用(トランス状態)を利用する場合もあれば、ひたすら瞑想することによって心のチャンネルを開く場合もあった。
これらの宗教的行為や態度は「アニミズヌ」と呼ばれ、南アフリカ大陸やオセアニアの先住民の中に名、今もこうした宗教生活を続けている人たちがいる。
●一神教の」の神はどうして生まれたか? 世界で始めて農耕が始まったのは、エジプトのナイル河からメソポタミア(現在のイラク)のチグリス・ユーフラテス河にかけての肥沃な三角地帯と呼ばれる一帯である。世界で最初に一神教を生み出したのもこの地域である。
ただ取ってきて食べればよかった狩猟・採集の生活はまさに旧約聖書の創世記に描かれたエデンの園のような世界であっただろうと思われる。しかし創世記によれば、人は禁断の知恵の実を食べてしまったために楽園を追われ、以後、額に汗して働いて食べ物を得なくてはならなくなった。
農耕はその「額に汗して」にふさわしい重労働である。「創世記」の記述は人間が狩猟・採集の楽園生活から重労働によって日々の糧を得なければならない農耕生活えと移行したことを、神話的に語っているのではないかとも解釈できるのである。
いずれにしても、農耕と牧畜の開始は、それにふさわしい土地に多くの人間を集めることになり、収穫した穀物を貯蔵しておく施設やそれを守るための武力も必要となり、各地に大きな都市が生まれ、やがてはそれが国家へと発展していくことになった。
こうなると、各部族が霊感に頼ってそれぞれの精霊=スピリットを信仰していたのではまとまりがつかない、より強大で普遍的な神という存在が、心理的にも政治的にも必要になってくる。ここから一神教の成立へと向かうプロセスが始まるのだが、そのプロセスは人間の意識の進化という過程と社会的なシステムという二面がある。
●世界初の一神教 古代エジプト人の社会も、もともとは地域の集団ごとにそれぞれの神を信奉する多神教の社会だった。しかし、王国が成立すると、それらの神々の間に序列が作られ、紀元前2000年ごろには、首都テーベの守護神アメンが最高神として祀られるようになった。
さらに紀元前1370年ごろに即位したアメン・ホテップ4世の時代になると、太陽神ラーを唯一絶対の神として、他の神々への信仰を禁じてしまう。これが世界初の一神教である。しかし、同王の死後、エジプトは再び多神教の世界に戻ってしまう。エジプトでは失敗に終わったが、この過程を徹底して推し進め、世界に比類ない一神教の世界を築き上げたのが古代イスラエル王国で、この一神教こそ、後のキリスト教、イスラム教へとつながっていくユダヤ教である。
『世界の宗教・101の謎』21世紀思想研究会
リンカーン大統領による1863年1月1日の「奴隷解放宣言」で400万人の黒人奴隷は解放された。しかしそれは名目上の自由を得ただけで、実質的な人種差別は、現在まで続いているのである。1996年夏、今世紀最後のオリンピックが米国アトランタで開催された。アトランタは南部奴隷市場中心の街、「風と共に去りぬ」の舞台、キング牧師の出身地で人口の過半数が黒人という「黒人都市」である。
開会式の聖火ランナー(モハメド・アリ)も、聖歌歌手も黒人。100メートルなど、短距離走の決勝のスタートラインに立った選手は、すべて黒人だった。かって米国はアフリカから家畜として奴隷を買ってきて、南部の農園を開拓させ、それによって栄えた。
より力持ち、足の速いものを選んで連れてきて、弱い奴隷は破棄し、結婚もさせなかった。より強い奴隷を作るために、強い奴隷同士を掛け合わせるといったような、まるで家畜を品種改良するような手段を使った。黒人はもともと身体能力が高い上に、こうした「改良」によって、より強く速い者たちが生まれるのは当然であった。オリンピックにおける黒人の好成績は、こうした悲しい歴史を繁栄したものだともいえる。
…………… なぜ人間が人間を奴隷とする思想が生まれたのか
奴隷とは、人間としての権利・自由を認められず、他人の支配の下にもろもろの労務に服役し、かつ売買・譲渡の目的とされる人のことである。日本には古代から奴隷という言葉も奴隷制度などの風習もまったくなかった。世界唯一の平和な国であった。日本では同じ人間を牛馬と同じ感覚で家畜のようにこき使い、商品として売買するなどという非人間的なことは、とても考えられなかったのである。
日本にも古代、奴婢という言葉があった。これは律令制の賎民の一種で、最下位の召使の男女のことだが、彼らとて、どこまでも人間であって、家畜ではなかった。西欧の白人たちが、人間を奴隷に落としてなぜ罪の意識を感じなかったのだろうか。それは旧約聖書に都合のよい解釈があったからだ。
創物主の神は、その代理人としてまず人間を作り、その下に被造物の動物、その下に万物を創られた。人間は神の代理人であるから、動物を家畜として支配し殺し、食してもよい。奴隷は家畜と同格だから、人間のためすべてを捧げるのは当然といった具合である。
狩猟、牧畜、遊牧の民といった、動物を殺し食することを生業とする民族に都合よく考えられたのが、キリスト教である。これに対して、日本のようなモンスーン地帯の農耕民族の民は、植物を食の対象として暮らし、仏教の殺生禁断を旨とし、生き物を殺すことにも、哀れみと罪を感じて暮らしてきた。
ましてや、人間仲間を家畜としてこき使う思想は育たなかった。キリスト教の神の教理による奴隷制度の正当化の下、南北アメリカ大陸や、アフリカ大陸で白人の人間家畜としての奴隷の大量貿易、大量酷使、大量殺戮の悲劇の時代が始まるのである。
『侵略の世界史』清水けい八郎
アメリカでは、肉牛は科学的に根拠付けられたという方法で、年間約50万トンの穀物を消費しながら飼育されている。アメリカ中西部やカリフォルニア州では、牛は「フィードロット」と呼ばれる空調つきの巨大なホールの中で飼育され、一定時間がたつと自動的に穀物資料が与えられるシステムになっている。
なんと、牛たちは歩けない。決められた枠の中に整然と並ばされている。フィードロット一つに一万頭の牛を収容している。フランスの農業雑誌の試算によると、例えばザンビアで一年間に消費するトウモロコシの量は、カリフォルニアのフィードロットの牛の半数で、年間に消費する穀物量に匹敵するそうだ。ザンビアはトウモロコシを主食とする国の一つで、国民は慢性的な栄養不良に苦しんでいる。
つまり、牛のエサのために世界市場に流通する穀物が不足しているということである。牛のエサが国連食料計画の活動に影響を与えているとしたら、深刻な話である。しかし、エサの問題は真実の内の半分でしかない。貯蔵が可能な食料の価格は、大抵が人間の手によって操作されている。
自由主義市場で売り買いされている農産品のほとんどが、投機筋の動きに影響を受けている。アメリカのシカゴにあるミシガン湖のほとりには、輸入業務用の貯蔵倉庫が立ち並んでいる。「シカゴ穀物取引所」と名づけられ、世界の主要農産物が売買されている。そこでは、一握りの金融資本家が農産物を買占め、貯蔵倉庫にため込んでは市場価格を操作している。
国際的な穀物の商取引には、すべて「穀物メジャー」といわれる商社、昔でいえば「穀物商人」の手に握られている。アンドレSA(スイス)、コンチネンタル・グレイン(アメリカ)、カーギル・インターナショナル(アメリカ)、ルイ・ドレフェス(フランス)などだ。通称、穀物ビッグフォーと呼ばれるほんの数社が、想像を絶するほどの力を持っている。
彼らの商業艦隊が世界中の海を行き交っている。穀物メジャーは「ホワイトカラーのなりをした猛獣」にも等しいというわけだ。新聞の経済欄には大豆、トウモロコシ、サトウキビ、小麦、米、大麦、インゲン豆、キャッサバ、サツマイモなどの市場取引価格が毎日載っている。
『世界の半分が飢えるのはなぜ』ジャン・ジグレール
| 2009年01月18日(日) |
歴史は勝者によって作られる |
歴史は虹である。近世500年の歴史を大空にかかる虹の橋と見立てると、白人陰謀の歴史がその彼方に鮮やかに映し出されてくる。その上に浮かぶ日本の存在と、独り迎え撃つ日露や大東亜戦争の世界史的意義が鮮明にわかる。
明治以来、日本は欧米を文明先進国と崇め、世界史とは西洋史のこと、西洋からのみ見た世界史のことで、非白人を歴史の表舞台に登場させることはなかった。そのため近代西欧の繁栄を支えた植民地支配の暗黒面を見落としてきた。
コロンブスの米大陸到着は、侵略の始まりで、白人は「鉄砲と十字架」を手に、残虐非道な手段で全地球をその支配下に収めてしまった。彼らは、白人以外は人間として認めていなかった。だから新大陸の先住民インディアンら一億人を、簡単に抹殺できた。
インディアンは、日本人と先祖を同じくするモンゴロイドだ。さらにアフリカからの一億人もの奴隷狩り、奴隷貿易、奴隷酷使が続く。本書は白人の残虐性、侵略性の根源は何か、そして19世紀までアジアのほとんどの民族が白人の植民地に組み込まれた由来を解明する。
20世紀になって白人の支配に従わぬ唯一の国・日本を、北からソ連、西からイギリス、東からアメリカが一挙に襲いかかったのが大東亜戦争である。白人の手口はコロンブス以来のもので原爆投下、113都市無差別焼土作戦、ソ連の満州侵略の暴虐と、民族抹殺のホロコーストのやり方は、500年変わらず一貫していた。
東京裁判は負けた日本に、白人500年の侵略と残虐、植民地支配の罪をすべて転嫁するための大芝居であった。この結果、日本人は何もかも日本が悪いと戦争犯罪意識を骨の髄まで刷り込まれたために、反省自責の自虐史観にこだわり、敵側の陰謀の世界史を目隠しされてしまった。この虚偽の歴史観で「謝罪を国是」とする戦後体制が構築された。
これから脱するには、昭和史とか大東亜戦争史などといった短期間の歴史から見るのでなく、歴史のスパンを500年に、空間的視野を地球的規模で大観することで、世界史を読み直し、真実に迫らねばならない。
ここで初めて、この大戦は日本が一方的に負けた戦争でないこと、日本が一貫して叫び続けた人種差別撤廃の目的が完全にはたされ地球の地図が一変していることに気がつく。日本は戦いに負けて植民地解放の目的に勝っていたのだ。
東条さんの映画『プライド』は、日本人の誇りを開く入り口になったが、さらにここに、白人侵略の世界史とこれを迎え撃った日本の使命を知れば、一段と自身と誇りを取り戻せると確信する。
21世紀を迎えるにあたって、人類はやり残したことが一杯だ。アフリカの貧困、民族と宗教紛争、中近東問題など、すべてが白人侵略の後遺症である。だから今こそ近世史と、特に20世紀の総括が必要なのである。
『侵略の世界史』清水馨八郎 千葉大学名誉教授
| 2009年01月17日(土) |
「水」も立派な栄養だ |
ほとんどのスポーツドリンクは糖分を約6%も含んでいます。しかし糖分の吸収が最も早いのは、2.5%以下のものです。
●牛乳はタンパク質、ビタミン、ミネラルをタップリ含んだ優れた食品の一つです。通常練習期の選手は男女、年齢を問わず、毎日三杯(約600CC)の牛乳を飲んでください。牛乳が苦手な人はヨーグルトやチーズを積極的に食べましょう。
●水分補給の工夫例 ・自家製ドリンク→レモンとハチミツ
レバーなど嫌われやすい食べ物など、栄養的にリッチなのですから少しでも食べる努力をすることが大切です。
スタミナ源イコール肉だと思っている人がまだまだ多いようです。しかし肉の主成分はタンパク質。体作りや貧血予防には効果があっても、運動を続けるためのエネルギー源にはほとんどなりません。それは糖質と脂質です。脂質は体脂肪としてたくさん蓄えられていますので、重視したいのは糖質です。糖質は主にご飯やパン、うどんなどに含まれていますので、三食ともこれらの主食をしっかり食べたいものです。
走り込みの多い時期・種目の場合は、赤血球の材料となるタンパク質と鉄分を多くとるようにしましょう。貧血になってしまうと、赤血球数(タクシーの台数)が減り、バテる一方となります。
雑穀 0120-828-828 通販
『選手を食事で強くする本』 明治製薬(株)健康産業事業部
竜馬は、千葉道場に寝泊りして、再び北辰一刀流の稽古に励んだ。本当の目的は剣術修行などではないが、さしあたってはともかく大目録を目指した。一年間は瞬く間に過ぎてしまった。大目録までもう少しだからと、修行期間をもう一年延ばしたいと願い出て、竜馬はそのまま江戸にとどまった。
秋になって、鍛冶橋の土佐藩邸で御前試合が催され、いろいろな流派の剣士百人ばかりが集まって技を競った。この時の竜馬の相手は、神道無念流の錬兵館でも強豪の名が高い島田駒之助だった。
「島田の勝ちは決まったようなものだ。」みんなそう思っていた。神道無念流は力の剣法といわれ、猛烈な勢いで打ち込んでくる。達人の島田からこれをやられたらうまくかわすことは難しい。
ではどうするか。竜馬は「相打ち」を覚悟した。敵を倒し同時に自分も倒されるのが相打ちだ。襲ってくる敵を避けるのでなく、こちらから打ちかかって行くとき、打つ力と機敏さが相手に勝れば、先をとる希望がわずかに持てる。身を捨てるつもりで攻撃するのが相打ちの戦法である。
大上段に振りかぶって突進してくる島田に、竜馬もまたこれに向かって激突し全身の力を込めて打ち下ろした。竜馬の竹刀は見事に島田の面をとらえていた。まるで奇跡的ともいえる竜馬の勝利に、見物の人たちは思わず感嘆の声をもらした。
「土佐の坂本竜馬」の剣名が、たちまち江戸中に広まったのはいうまでもない。土佐藩の剣士として竜馬とともに知られたのは武市半平太である。半平太も江戸へ出ており、鏡心明智流の士学館で剣術を修行中だった。この御前試合のときは祖母が急病との知らせで帰国していたが、すでに一刀流の達人でもあった。半平太は士学館の塾頭を勤めるほどの剣士である。
鏡心明智流 武市半平太(土佐) 北辰一刀流 坂本竜馬 (土佐) 神道無念流 桂小五郎 (長州)→木戸孝光
揺れ動く中央政情の中で、やがて志士となって活躍するこの三人が、地方出身の剣士として名を知られ始めたころだった。1858年(安政5年)1月、竜馬は大目録を授けられ、念願の北辰一刀流の免許皆伝となった。
古川 薫『坂本竜馬』
いまや野宿者に限らず、全国あらゆる相談者に対する福祉事務所の追い返しが問題になっているというべきだろう。全国の福祉時事務所で2004年度に受け付けた生活保護の相談件数のうち、実際に保護を始めた割合は平均28%。最低の北九州は14.6%。つまり全国で7割が相談にいっても生活保護の申請すらできない「門前払い」にあっている。
最後のセーフティーネットである生活保護が機能しないと、失業などで困窮した人はどうなるのか。最近しばしば指摘されるのは、セーフティーネットの最後の受け皿に「刑務所」がなっているということだ。食いつめた結果の不法行為ということである。
債務問題に詳しい宇都宮健児弁護士によると「多重債務になって逃げ出した人は、10万人以上と見られます。夜逃げすると住民票を移せない。そのため定職に就けない、健康保険に加入できないなど困難を抱えてホームレスになることを余儀なくされている。生活保護の壁は高く、ヤミ金融の方が身近に貸し出す社会は異常だ」と指摘している。いわば、サラ金と福祉事務所がタッグを組んで、ホームレスやその予備軍を次々と生み出している。という状況である。
日本各地で女性の野宿者が見られるようになっている。2006年の「虹の連合」による全国調査では、日本の野宿者に占める女性の割合は7%である。各地で襲撃の対象にもなっており、2006年11月には、愛知県岡崎市で野宿していた69歳の花田美代子さんが河川敷で頭や顔、上半身を鉄パイプで滅多打ちされ、肋骨が折れ脾臓が破裂して死んだ。
28歳の男と同市の中学二年の男子生徒三人が逮捕、補導された。これは日本で始めての女性野宿者の殺害だった。増加した女性野宿者に対応して、女性野宿者を支援するグループや、民間施設、そして女性野宿者の集まりも各地で作られつつある。
女性が野宿になる原因は、ドメスティック・バイオレンスをはじめとする家族間のトラブル、そして男性と同じく失業であるようだ。2000年次の報告では、現在豊島区には約250人の野宿者がいるが、そのうち女性は10人くらい。うち妊娠している女性が6人もいた。
1月下旬に会った東京都内の23歳男性は、うつ病とパニック障害があり、派遣先から解雇された。日雇い労働でしのいだがアパ−トの家賃を払えなくなり、福祉事務所に生活保護の申請に行ってみたが「働けるはず」と追い返されたという。彼の残金は3000円ほど。
両親は彼が幼いころに離婚しており、頼れる家族もいない。悠長に就職活動をしていてはアパートを追い出されるし、週給や月給の仕事では給料日まで暮らしていけない。だが、15〜64歳の稼動年齢層といわれる人の生活保護申請がすんなり通ることはまずない。
野宿者襲撃は次々と起こり続けている。そして若者の襲撃で殺されなくても、日雇い労働者は仕事がないというだけの理由で現実に次々と死んでいる。しかもそれは社会的に黙殺され、放置され続けている。
『ルポ・最底辺』生田岳志
| 2009年01月11日(日) |
最先端植林プロジェクト「スーパーボローニア」 |
ある用件でアメリカに出張したときに、“面白い木があるから見て欲しい”といわれたんです。ちょっとと言われたのでOKしたら、カリフォルニア州のベーカーズフィールドというところに3時間もかかって連れて行かれた。そこで“その木”を見せられたのです。相手は“この木はすごいんだ”という。
“どうすごいのか?”と聞くと“CO2をたくさん吸う木なんだ”と説明してくれたわけです。これが父親から二代に渡ってスーパーボローニアを開発してきたデニス・ビーソン氏との出会いだったんです。
ビーソン氏は石油コンビナートや試掘現場の周りが、土壌汚染されないように。スーパーボローニアを植えていったんですね。そして、確かにデータがあるわけではないが、この木が土壌汚染を防いだり、CO2を大量に吸収することは間違いないと断言したんです。
当時は『温暖化』という言葉を知っている程度だったんですが、この木を世界に広めることを仕事にできないだろうかと考えました。そこで1ヵ月後に再び渡米してビーソン氏に会い、彼の開発したスーパーボローニアを私たちの手で世界に広めていくことを約束したのです。おりしも温暖化は大きな環境問題となっており、ほかの木より何倍もCO2を吸収するスーパーポローニアなら、温暖化の防止に役立つのではないか。そう私は確信しました。
「まず、カリフォルニア州で植林を始めました。さらに大きく展開しようと考えていたところ、オーストラリアにもポローニアの開発をしている会社があることを知り、当時の思いを話しました。そしてオーストラリアでもスーパーボローニアの植林を進めていくことになり、その結果、北半球と南半球で年二回の植林ができることになりました。植林プロジェクトは緒についたばかりですが、地球をこれ以上破壊しないために、これから世界中に広めたいと考えています。
畑山氏はいま、スーパーボローニア100万本植林計画を立てている。その畑山氏から、素晴らしい言葉を教えていただいた。スーパーボローニアの生みの親、デニス・ビーソン氏からのメッセージだ「車のエンジンをスタートさせたとき、電気をつけたとき、食べ物を口にしたとき、母なる自然の資源を知ったとき……あなたはそれを地球に返さなければならない」スーパーボローニアはこの精神から誕生した。それは地球を元に戻さなければならないということだ。
桐とボローニア。独特の桐文化が根付いている日本では、この二つの言葉はどうも結びつかない。しかしどちらも、同じ桐から派生している。桐は中国原産の落葉広葉樹である。日本には飛鳥時代に渡来した。欧米に渡ったのは比較的新しく、19世紀半ばごろだという。それを持ち込んだのはほとんどが日本の移民だというから、欧米の桐でもあるボローニアも、ルーツは日本の桐にある。
日本では桐は高級木材だが、実は桐は木ではない。ゴマノハクサ科の植物で、その証拠に木の真ん中は空洞になっている。これは植物の特徴で、樹木には見られないものだ。にもかかわらず、成長すれば木の姿をしており、伐採後も木材として利用されている。桐は木であるながら、木ではない、不思議な植物である。
そのせいだろうか、桐は他の樹木より成長が早い。桐の種や生育環境にもよるが、だいたい15〜20年で成木になる。建材用として使われている松は通常40年、杉やヒノキになると約80年かかるそうだから、桐の成長がいかに速いかわかる。
スーパーボローニアは桐の仲間である。ボローニアは英語で桐を意味する。しかし「スーパー」とついているように、ただの桐の木ではない。数種類のボローニア(桐)を掛け合わせて誕生したハイブリッド樹木なのである。
交配によって生まれたスーパーボローニアは、その桐よりさらに成長スピードが早い。発芽から半年で4〜5メートルほどに成長し、幹の大きさも3年で直径30センチほどになる。だいたい4〜6年で成木になるというから、普通の桐の三分の一から四分の一である。杉やヒノキとは比べ物にならないくらい早い。
木が早く生長するということは、それだけたくさんの光合成を行い、大気中のCO2をたくさん吸収するということだ。吸収されたCO2は幹の中のセルロースの中に固定化される。セルロースの4〜5割は炭素が占めるというからCO2を吸収すればするほど、樹木は太く、大きく成長する。
杉やヒノキより非常に早く成長するスーパーボローニアは、それだけCO2の吸収量が多い。ではどれだけ多いのか。現在それについてはある大学で検証中だが、計算によって出すことができる。それによると1ヘクタール当たり年間55〜66トンものCO2吸収力を発揮することがわかった。これは、CO2の吸収力に優れているといわれる杉の10倍以上だ。いかにスーパーボローニアのCO2吸収力が高いかわかるだろう。
江原達治『死に向かう地球』
| 2009年01月10日(土) |
竜馬をめぐる女性たち-桂小五郎・西郷 |
●妻、お竜(おりょう) お竜は竜馬の死後しばらくの間、寺小屋で竜馬とともに襲われて逃げ延びた、三吉慎蔵の世話になった。そのあと、高知の坂本家に入っている。その時お竜はは28才。色白の京美人で、渋い色の着物がよく似合った。近くの山を毎日駆け回っては、竜馬の持っていたピストルを撃つのが楽しみであった。
しかし、お竜はまもなく土佐を離れることになる。竜馬の姉、乙女との仲がうまくいかなかったせいといわれるが、他にも複雑な事情があったのだろう。京都に出たお竜は竜馬の墓の近くに住んだが長続きせず、寺田屋に戻って、古いなじみの西村松兵衛とであう。松兵衛とともに神奈川の横須賀に住んだお竜は、その地の裏長屋で66才の生涯を閉じた。
●恋人、千葉さな子 剣術修行で江戸に来た竜馬を知ったさな子は、生涯彼を慕いつづけた。死ぬまで独身で通し、明治維新後は女学校に勤めて、生徒たちに人気があったという。晩年はお灸による治療を仕事とした。墓は山梨県の甲府にあり、その裏には「坂本竜馬室(妻)」と刻まれている。
………
藩邸を訪ねると、桂小五郎が小松帯刀の屋敷にいるという。おや、まだいたのかと思った。西郷吉之助との話し合いが終わって、もう長州に帰っているはずである。小松の屋敷に行ってみると、桂は長州へ引き上げる支度をしているところだった。薩摩との和解も連合も、そんな話はまったくできなかったと聞いて、竜馬はあきれてしまった。
西郷は桂を笑顔で迎えたが、何も言わない。長州から話を切り出せば相手になろうという態度だった。「では桂さんから切り出せばよいではないか。」「私を呼び出したのは薩摩だ。それなのに何も知らぬ顔をしちょる。毎日、ご馳走してくれるばかりで、今日で12日になる。もう長州へ帰る。」
「なんちゅうことだ!」竜馬は絶望してそこへ立ちすくんだ。これまで必死でやってきたことが、音を立てて崩れてしまう思いだった。やがて、怒りがこみ上げてきた。生まれてはじめて竜馬は心のそこから激しい怒りを発し、怒鳴り散らした。「天下のために薩長を和解させ、連合させようとおまんら二人を合わせたのに、つまらん感情にこだわって、腹をわって話せんとは何事か!」
竜馬の右手はいつの間にか、刀の柄にかかっている。「坂本さん聞いてくれ。」桂は姿勢をただして向き直り、竜馬を見つめながら言った。「今苦しい立場にある長州が、西郷さんの前にお願いしますと両手をついて、薩摩藩を危険な戦いに引きずり込むことができようか。薩摩が自ら手を差し伸べてくれてこそ、長州藩は救いを求めもしよう。坂本さんは、それをつまらん感情だといわれるかもしれんが、長州にとっては、絶対に譲れないものごとの順序です。我々が天下に示す志とはそういうものなのだ。」
桂はかっと目を見開いている。剣をとった立会いのときの気迫に似ている。彼はさらに言った。「徳川幕府の攻撃を受け、このまま長州は滅びてもよい。あとは薩摩が幕府を倒してくれるなら、我々に恨みなどあろうはずもない。」ほとばしる桂の言葉を聞きながら、竜馬は感動していた。長州はそれほどまでに道理を通し覚悟を固めて、薩摩と対等に手を結ぼうとしているのだ。
「桂さん、わかったぜよ。」竜馬はそれからすぐ西郷のところに走った。「長州が平身低頭して哀願するのを待っちょるのが、薩摩隼人のやり方ですか。一言手を握ろうではないかと言ってやればよいのに。長州をい可哀相だと思わんのですか。」凄まじい勢いで竜馬は西郷に詰め寄った。なんとしても成功させねばならないと、必死だった。
「わかりもした。薩長連合のこと当方からの提案として、桂どんとじっくり話し合おう。」歴史を旋回させる薩長連合の会談が開かれたのはその翌日、1866年(慶応2年)1月21日のことである。
「幕府と長州との戦いが始まったら、薩摩は幕府に対抗できるだけの兵力を京都の近くに集め幕府を威嚇し、また八・一八政変以来、京都を追放されている長州を許すよう朝廷にも薩摩にも働きかける。そしてやがては武力で幕府を倒してしまおう。薩長互いに誠意を持って協力することを約束する。」という六か条の薩長軍事同盟の密約が成立したのは、その日の夕刻近いころだった。
竜馬の苦心はついに実ったのだ。中岡晋太郎や土方楠左衛門らも薩長連合のために努力したが、やはり竜馬がいなければ難しいことだったにちがいない。薩摩と長州という実力を持った二つの大藩が力をあわせることによって、それからの政局はにわかに前進した。一人の土佐浪人にすぎない坂本竜馬が、日本の歴史を揺り動かしたのである。
吉川 薫『坂本竜馬』
日本人はいつからこんな恥知らずな金の亡者になってしまったのか。住民が反対し、マスコミがいくら批判しようが「金儲けは力」なのだ。自然を壊し、ゴルフ場を作ろうとする力はまだ衰えていない。一方、それを阻止しようとする住民の力も急速に強くなり、広がっている。この二つの力がぶつかり合い、全国で「ゴルフ場問題」が噴出している。
ゴルフ場の水質などを調査するため、地元の住民と友に山添村にある万寿ゴルフクラブを訪れた。まず、万寿ゴルフクラブの汚水が流れ出している排水口に行ってみた。川の底に赤いヘドロ上のものが体積している。滋賀県信楽町、埼玉県飯能市、三重県名張市など、多くのゴルフ場でもこのような赤いヘドロが見られた。
ゴルフ場では、造成中に切った木を埋めてしまうし、オープンした後も背の高い雑草などはやはり土の中に埋める。それらの植物の腐敗質に土壌中の鉄やマンガンが吸着し「赤いヘドロ」となって排水口から流れ出したものと思われる。
万寿ゴルフクラブは18ホールで120ヘクタールの広さがあり、そのうち芝生は70ヘクタール、残りの部分は調整池や樹木である。ゴルフ場の入り口近くではちょうど農薬を散布しているところであった。ゴルファーやキャディーさんが近くにいても。農薬散布は実施されるということを知った。
ゴルフ場でよく使用される農薬の種類と急性毒性、魚毒性、特殊毒性(発がん性、変異原性、催奇形性)は知られており、殺虫剤のEPNやダイアジンのように毒物や劇物に指定されている農薬が使用されている。TPN(ダニコール)、キャプタン、シマジンのように発がん性のある農薬や、魚毒性が高い農薬も使用されている。農薬の中には、特に魚に脊椎変形(背曲がり)を誘発するものがある。
その他に、ダイアジン、スミチオンのような有機リン系の農薬については蒸発して大気物質となり、人体に神経性疾患を及ぼすこともある。ゴルフ場で使用されている農薬のこのような現実を見る時、「最近の農薬は毒性が低い」という話も、実態とかけ離れていることに気づく。
山田 国宥『ゴルフ場亡国論』
●歯科インプラントは白衣の悪魔―インプラントとは生体に穴を開けること 結論から述べさせてもらう。私は、現状での“インプラント(人工歯根)”には、大反対である。なぜなら、患者の前にいるのは、大量の障害者を作り出そうとしている犯罪者たる、歯科医の群れだからだ。
インプラントなる異物を、健康な生体、正常な口腔粘膜を切り開き、骨膜を剥離し、何の病変もない顎骨にドリルで穴を開け、そこに異物の金属を突っ込めばいずれ脱落や除去せざるを得ないのだ。それもこれも金のため。私大入学裏金を取り返すため。医院維持のため。裁判沙汰多数。多数と言うより無数。増加の一途。和解も調停も不調。その数知れず。アゴを失った人。逆にガンを作られた娘さん。身体障害の認定を受けた人。健者が患者になっていく。
抜かなくてよい歯を、そこに異物(インプラント)をさす。生体に金属を突っ込むとは、素人が考えたっておかしい話だ。健保が効かず、顎骨を削り突っ込んだインプラントは失敗例続出。後遺症多発。大学病院口腔外科は、さらに骨を削ってインプラントを摘出してもらう患者で溢れている。たまりかねた厚労相は、2001年4月、なんと保険外インプラントの摘出手術を健保で認めたのだ。
歯科医は、抜いて、入れ歯で、近年はインプラント。患者を傷つけないと金にならない。“インプラント”と歯科医が口にしたら逃げ出せ。インプラントは周囲、周辺を不愉快にする悪臭、異臭を撒き散らす。周囲はともかくとして、本人の苦痛たるや。本人は疼痛、不快感、違和感と不安定。二ヶ月もてば成功、成功と騒いでいるのが、この世界なのだ。
口の中では硬いものを食べることで、脳細胞が広がり、太く恭子になる。脳の衰えを止めるのだ、よい刺激によって密度が高まり、派が口の中にある限り恭子になる。つまり脳の衰えを防ぐためにも、派はどれだけ大切かと言うことであり、歯を抜き、義歯でなくインプラントを進めることは、患者をバカにし、老化を早めさせるということなのだ。
歯は歯ぐきの中に埋まっているが、歯の根の周りは歯槽骨という小さい骨でびっしり囲まれている。その歯槽骨が酸で融かされ少なくなれば、歯の根を支えきれなくなれ歯は抜ける。歯槽骨を増やすには、硬いものを噛むか、柔らかい歯ブラシでブラッシングして血液の流れをよくする。歯を食いしばる運動も歯槽骨を増やす。良心的な歯科医はブラッシングを指導する。
歯の根は、根の表面のセメント質を、歯根膜という薄い膜で囲まれ骨膜、歯槽骨のこれら四層を横におり結ぶ、シャーピーの繊維をいう五種で支えられている
●インプラントに関するその訴訟 �“酬荵�例から 損害賠償請求事件、東京地裁、(ワ)17039号 H5.12.21 そもそもインプラント法は、わずか十年ほど前から臨床段階に入った段階に過ぎない研究中の技術である。このような技術を安易に選択し、実験台のごとく原告に施術した被告には過失があったといえる。 (原告××××) (裁判長裁判官○○○○。裁判官二名○○○○ ○○○○)
ここでいう技術は、何十種とあるインプラントタイプで、皆違う。そしてその形態により、術式が違い各プラントの製作会社が、自社製品の購入者にその術式しか教えておらず、共通の方式は皆、細部で違う。
この章では、罰金例二例について述べる。 目絵にも触れたが、インプラントに関しては大学において教育を受けておらず、各種インプラント毎の術式の違いがある。それゆえ、それはインプラント発売している企業ごとに、情報を得なければならず、少々のずれは異なる企業との人間関係を作る煩わしさから、人体を預かる身としては、あってはならない妥協がはじまる。
この選択のずれが、インプラント不成功の第一歩。しかも、多くの医院は歯科医師一人。相談しようにも相手もなく、術中は自分の判断で勝手に流儀を変えてしまう。これでは生体に異物を吐き出してくれといっているようなものである。加えて、学校で習わず習うより勝手な解釈をし、自己流・でたらめで行うインプラントは悪習慣で固まり、インプラント脱落や、入れたものを骨をさらに削って外す事になる。
谷口 清『歯科・インプラントは白衣の悪魔』
| 2009年01月07日(水) |
誰が電気自動車を殺したか(2) |
電気自動車の歴史は、19世紀末ごろまで遡りポルシェが、創業時には電気自動車を製造していたことは有名な話である。1920年ごろまで富裕層は電気自動車に乗り、煙を上げて走るガソリン車を煙たがっていたのだ。電気自動車が廃れていった最大の理由は、当時石油のほうが圧倒的に安く、入手が楽だったからとされている。その後も電気を動力に利用した乗り物が登場したが、化石燃料を利用した内燃機関を普及させようとした人々の存在が大きく立ちはだかった。
例えば、1920年代からGMは石油魚介の力を借りて電気車両であったトロリーバスなどの会社を買収して廃線に追い込むなど、石油を利用した内燃機関に切り替える方針を打ち出した。。
1946年には全米80都市で運行されていたトロリーシステムは今日ではほとんど消えてしまった。そして1953年、GMの元社長は国防長官に就任し、同時最大のプロジェクトとなった大規模なハイウェイ構想実現させた。そのあたりからガソリン垂れ流しの通称「アメ車」の隆盛と大気汚染が世界的に波及していくことになったといえるかもしれない。
かって電気車両を潰してガソリン車を奨励したGMが、トップレベルの電気自動車を開発したにもかかわらず、自らを潰さざるを得ない状況になったことは皮肉なことである。
以外かもしれないが、高性能な電気自動車がカリフォルニア州で販売されていたことを知るアメリカ人は多くはない。その理由はアリゾナ州など一部を除き、ほぼすべての電気自動車がカリフォルニア州でのみ販売された。アメリカでは全国ネットのテレビや新聞はあまりないため、州外に情報は伝わりにくい。
しかも投資資金の回収を目指すはずの自動車メーカー各社は、不思議なことにカリフォルニア州内でも、ほとんど電気自動車の宣伝を行わなかった。メディアが政治家や石油業界と繋がっていて、電気自動車の宣伝を行わなかった可能性もある。
だが、自動車メーカー各社のホームページでも、電気自動車を商品ラインアップからはずしていることから、メディアの問題と言うよりは、むしろ自動車メーカー自身が電気自動車の営業活動を押さえていたと考えるべきであろう。またリース契約を主体とした販売であったことも影響したと思われる。
アメリカでの状況と異なり、日本国内では電気自動車は密かなブームとなっている。電気自動車に改造したり、市販の電気自動車をパワーアップする人々は着実に増えている。インターネットでも改造に必要なパーツが購入でき、毎年、大手企業協賛の電気自動車のレースも開催されている。
しかし、市販者販売に関しては、大手自動車メーカーは見送っており、電気自動車の販売を行っているのは、中小のメーカーに限られているのが現状だ。また、国内でも電気自動車が市販されていることを知っている消費者は少なく、政府は電気自動車の購入者に対して補助金を出しているのだが、その制度自体も消費者には伝わっていない。
もし大手自動車メーカーが販売すれば、現在の軽自動車と同等の暮らす走行性能、快適性を備えた電気自動車が、大量生産により100万円以下で販売加納になるだろう。そうすれば、爆発的な普及は見込めるはずだが、日本の大手自動車メーカーは動かない。自動車メーカーのエンジニアからすれば、電気自動車の製造は続けたいだろうが、政治的な動きと裏事情を知る上層部からは、研究開発費をこれ以上増やせないというところだろうか。
現在、世界最速の電気自動車とされる「エリーカ」は、慶應義塾大学と企業38社が共同開発したもので、最高時速400キロを目指し、国内の自動車メーカーとの提携も視野に研究を続けている。
またブッシュ政権も支持する燃料電池自動車の存在も忘れてはならない。燃料電池は水を電気分解すると水素と酸素ができる化学反応の逆を応用し、水素と酸素を結合させて電気を作る。燃焼や爆発を起こさず電気を作るため、クリーンで無駄のない形でエネルギーを利用できるのだ。
ケイ・ミズモリ『超不都合な科学的真実』
| 2009年01月06日(火) |
路上死者数百人の街(2) |
多くの地方都市の場合、野宿者を乗せた救急車は救急病院になかなか着かない。なぜなら地方都市の救急病院は野宿者の場合そうである「航路の福祉」の経験がないためどう手続きしたらいいのかわからないから、「そんな患者は受けられない」と、救急車からの要請を断ってしまうからだ。そうしてあっちの病院で断られ、野宿者を乗せた救急車は市内をさまよい続ける。最後にはどこかの病院に行くが、病院はその場の治療はしても入院は敬遠するため、応急処置のみで路上に返されてしまうことがたびたびある。
今、野宿者に限らず、全国であらゆる相談者に対する福祉事務所の追い返しが問題になっている。全国の福祉事務所で2004年に受け付けた生活保護の相談件数のうち、実際に保護を始めた割合は平均30%である。最低の北九州は15%、相談から申請に至った比率が全国平均で30%、最低の北九州は16%。つまり全国で7割が相談にいって門前払いになっている。
最後のセーフティーネットである生活保護が機能しなくなったら、失業などで困窮した人はどうなるのか。最後の受け皿は刑務所がなっているということだ。生活が困窮しても刑務所にいくこともできない人はどうするのか。多くの人は消費者金融に行く。実際、夜回りなどで野宿者に話しを聞くと「消費者金融に借金がある」という人がかなり多い。「ホームレス自立支援センター北九州」が調査したところ、野宿者の70%強が多重債務者だった。
債務問題に詳しい宇都宮健児弁護士によると、「多重債務になって夜逃げした人は10万人以上と見られます。夜逃げすると住民票を移せない。そのために定職につけない、健康保険に加入できないなど困難を抱え、ホームレスになることを余儀なくされている。生活保護の窓口の壁は高く、闇金融が身近に貸し出す社会は異常だ」と指摘している。「いわばサラ金と福祉事務所がタッグを組んでホームレスやその予備軍を次々と生み出している」という状況である。
生活保護の適用は各地域によってかなり基準が異なる。大阪市の野宿者の場合「60歳以上では稼働能力を問わない」「60歳未満については、病気や障害のある人のみ」という基準が暗黙裡にあると考えられる。70歳であれば、アパートの生活保護申請がほぼ通る。しかし57歳の場合、入院するほどの病状でないかぎりは、生活保護の申請は非常に難しい。60歳未満の野宿者は60才になるか、入院するまで野宿を続けるしか選択肢がないということが多い。
釜ヶ崎以外の寄席場は、すでに日雇い労働市場としての機能をほとんど失った。そして、野宿になった日雇い労働者が高齢化し、その多くが生活保護を受け始めたことで寄席場は「福祉の街」になった。釜ヶ崎もその方向を進んでいる。あいりん地区の生活保護受給者は、2005年度末で6200世帯を越え、この10年で5倍になった。生活保護率は1998年度の8%から2003年の15%になった。
釜ヶ崎は今や日本有数の「生活保護の街」である。2006年度予算の政令市の生活保護費は、2300億円の大阪市が2位の札幌市930億円を大きく上回り断然トップ。中でも西成区の増加は著しく、2005年度は490億円と福岡市とほぼ同額になった。
2002年1月には新宿中央公園で、公園に住んでいた53歳の野宿者が左腕と左足を吹き飛ばされる重傷を負った。爆弾は、消火器に火薬を詰めてニクロム線で乾電池につなぐ仕組みで木箱の中に入れられていた。こうした襲撃は氷山の一角で、その他に無数の襲撃が起こり続けている。殴る蹴る、エアガンで撃たれる、ダンボールハウスに放火される。消火器を噴霧状態で投げ込まれる、花火を打ち込まれるなど様々だ。
2000年7月22日、午前四時ごろ、高校生たち4人の若者が、天王寺駅前商店街で野宿していた67歳の小林利治さんを襲撃、暴行し、小林さんは内臓破裂で死亡した。襲撃した4人の若者は2000年はじめから「こじき狩り」と称して野宿者への襲撃を繰り返していた。
日雇い労働で働き、日払いのドヤ(レストハウス)やネットカフェやマクドナルドで夜を過ごして生活する若者たちは、釜ヶ崎で生活する日雇い労働者の21世紀バージョンである。
労働厚生省によれば、2007年の全国の野宿者数は2万5000人(2003年)から1万8000人と減少した。大阪市では1998年から2005年までの間に5000〜6000人の野宿者が生活保護によってアパートに入った。同時に数千人が新たに野宿者になっている。
正田武志『ルポ最底辺』
| 2009年01月05日(月) |
路上死者数百人の街(1) |
僕が釜ヶ崎の存在を知ったのはテレビ番組でだった。」1986年1月、ドキュメンタリー番組「中村敦夫の地球発22時」が釜ヶ崎を特集した。仕事を探す日雇い労働者、仕事がなくなったために真冬に路上で野宿している人たち、野宿の現場を回る「越冬」の夜回り、路上から施設に入所する人たちなどを放映していた。
番組を見ていると、日雇い労働者は病気や怪我、あるいは不況で仕事がなくなると収入がなくなって次々と野宿になっていく。そして、特に寒さの厳しい冬に多くの労働者が路上や運ばれた病院で死んでいく。こうして大阪市内だけで年間数百人が路上死していくという。
厚生労働省による2007年の調査によると、全国の「ホームレスの70.4%が仕事をしており、その主な内訳は廃品回収である。また各種の調査によると大阪市の野宿者の6割以上はダンボールや空き缶を集め、それを業者に売って生活している。アルミ缶は一個で二円だから100個で200円である。
大阪市内の野宿者数は大体6.000人と考えられるが、その6割以上がダンボールや空き缶を集めているということは、大阪市内はダンボールとアルミ缶集めで凄まじい過当競争を展開しているということである。近所だけを探していても奪い合いになってしまうので、野宿者の多くは歩いて、あるいは自転車でいける距離なら、競争相手の少ない場所を探して近畿一円どこにでも行く。こうして20キロメートル、30キロメートルという距離を一日かけて歩き続ける。
ダンボールやアルミ缶を集めるのは夜が多い。例えば真夏の炎天下で一日歩き回っていたら、多くは五十代である野宿者は下手をすると熱射病で倒れてしまう。そこで比較的涼しい夜に探しにいく。アルミ缶やダンボール集めは早い者勝ちの面があるので深夜と早朝に集める場合が多い。
そうして夜中に働いて昼間に公園などで寝る。それを見て地域の人は「ホームレスが昼間から寝ている。やっぱり怠け者なんだ」と思っているのかもしれない。こうしてダンボールやアルミ缶を一日に「大体、10時間ぐらい」集めて1.000円程度の収入を得る。自給で言うと100円ぐらいである。「足を棒にして」の大変な労働なのに自給が100円。誰でもこんな割の合わない仕事は好んでしない。しかし他に仕事がないからである。
大阪府立大学の研究によれば、餓死や凍死、又は治療を受ければ治る病気などによって路上死する野宿者が、大阪市内で2000年の1年間に200人以上いた。大阪市内の路上や公園などで遺体が発見されるか、病院へ運ばれた直後に死亡した野宿生活者が2000年で213人に上り、餓死が18人、凍死が19にんもあった。 発見の遅れも目立ち、高度腐敗、白骨化、ミイラ化が計33例あった。平均年齢は56.1歳で、最年少は20歳、最高齢は83歳。凍死、栄養失調による餓死を含む不慮の死以外の死は53人。自殺は52人、他殺は少年グループの暴行を含めて6人だった。研究者たちは医療を受けていれば命を落とさずに済んだケースも多いと指摘する。路上死が年間200人以上いるということは、毎日どこかで誰かが死んでいるということである。
36.5度―健康体・免疫力旺盛 36.0度―震えることによって熱生産を増加させようとする。 35.5度―恒常的に続くと排泄機能低下・自律神経失調症・アレルギー症出現 35度―ガン細胞が最も増殖する温度である。 34度―水に溺れた人を救出後、生命の回復ができるかギリギリの温度。 33度―冬山で遭難し、凍死する前に幻覚が出てくる体温。 30度―意識消失。 29度―瞳孔拡大 27度―死体の体温。
生田武志『ルポ最底辺』
| 2009年01月03日(土) |
誰が電気自動車を殺したのか(1) |
日本ではあまり話題とならなかったが、2006年6月30日、アメリカ映画『誰が電気自動車を殺したのか』が公開された。この映画は、3年ほど前までアメリカで利用されていた電気自動車が、顧客の高い購買意欲に反して、メーカーに回収されて次々とスクラップにされていった謎を振り返り、その背景に石油業界、政界、自動車業界の複雑で危うい関係があったことをほのめかしつつ、消費者も彼らの大々的キャンペーンでブームに安易に乗ってしまった過去十年間を徹底的に批判的に捉えたドキュメンタリーだ。
1990年、米カリフォルニア州では1998年までに販売される全車種の2%、2003年までには10%を無排気車両に規制する法案が可決されたことから、大手自動車メーカーは積極的な設備投資を行い、次々と電気自動車を開発・発売した。
GMは10億ドルを超える巨額投資を行い、スポーツカー「EV1」を誕生させた。EV1は、まだ強力なリチウムイオン電池も普及していなかった1994年のテスト走行時に、時速295キロのスピードを達成した。ちなみにリース価格は月額350〜570ドル程度で、総計1117台が生産された。
フォードからはランガーEV、クライスラーからはTEVanが発売され、ホンダはEVplus、トヨタはRAV4EV、日産はAltraなどを販売した。各、メーカーが投入した電気自動車はきわめて優秀な走行性能を備えていたばかりでなく、エアバッグ、ABS、エアコン、カーステレオ、パワーウィンドウ、キーレス・エントリーなど、安全性・快適性も充分であった。排気ガスをまったく出さず、タイヤと路面の摩擦から生じるノイズ以外はほぼ無音という、画期的な自動車であった。
ところが、2001年になると状況は一転。カリフォルニア州の空気資源委員会は規制を緩和して、自動車メーカーにハイブリッド車のような部分的な規制緩和を認める方向転換を打ち出したのだ。巨額投資を行ってきたGMとダイムラー・クライスラーは、新ZEN規制が連邦政府の方針に反するとして、カリフォルニア州と空気資源に委員会を訴えた。
しかし、2003年4月、空気資源委員会はZEV規制を緩和し、さらに水素を利用した燃料電池者や、ハイブリッド車を生産するように業界に促した。その後、自動車業界は同年10月に訴訟を取り下げることとなったのである。
この流れを受けて、GMはEV1のリース・プログラムの中止を決定し、最後のリース契約は2004年4月に満了した。プログラム中止時には5000人以上ものリース予約者がおり、評判も極めてよかった。リース契約者の多くは、契約期間満了後の買取を求めたが、GMはそれを認めず、大学や博物館等へ寄贈したもの以外はすべて回収し、最終的にはスクラップにしたのだ。
スクラップ業者は、理由を一切知らされないまま、新車同様の電気自動車をスクラップにするよう、ディーラーに頼まれたという。これは、GMに限らず他の自動車メーカーの電気自動自動車でも同様だった。そしてカリフォルニア州の各地に設置されていた充電スタンドも、次々と撤去されていった。
そもそも電気自動車の販売に関しては、すべてのディーラーに異例の条件がつけられていた。基本は3年間のリース契約による販売で、契約期限満了後の買取は許されず、メーカーに返却することが義務付けされていたのだ。消費者に所有権を与えたくなかった背景も感じられる。
ひとたび電気自動車を販売してみたら、著名人がリース契約を行い、電気自動車の良さを訴えるなど、予想以上に評判がよかった。爆発的な人気となることを恐れた石油業界がブッシュ政権に働きかけ、ZEN規制の修正を急いだ可能性も、この国がイラク戦争に踏み切った背景を考えれば、簡単には否定できない。
そこで自動車メーカーとしても最悪の場合、電気自動車が回収される運命になることをあらかじめ想定していたのかもしれない。もしリース契約でなければ、その後もパーツなどの生産は続け、サポートも行う必要がある。また、一度売ってしまった車を強制的に回収することは困難で、訴訟に発展することも考えられる。そのためあえて買い取り不可のリース契約による販売を選択したのだろう。
石油業界と交流を持つ、自動車メーカーの上層部では、関連業界の意向も無視できない。電気自動車は従来のガソリン車と比べて、シンプルな構造をしている。3年ごとに必要なバッテリーの交換以外は、メンテナンスがあまり必要ないので、販売後の修理やパーツ販売などアフターケアで見込める利益は少なく、従来車ほど大きな利益が望めないと判断したのかもしれない。
しかも電気自動車用のバッテリーやモーターなど、各パーツは自動車業界以外のメーカーでも開発できる。そのため長年自動車メーカーが培ってきたエンジン開発など、独自技術の価値が希薄化し、その点でも努力が報われないばかりか、会社存続の危機に繋がる恐れがある。例えばSUV者の多くは大排気量のガソリンエンジンを搭載した四輪駆動車で、圧倒的なパワーを売りにする商品だ。一台あたりの利益率も極めて高く、自動車業界にとっても、石油業界にとっても大歓迎の商品なのだ。
ただ同然で携帯電話を販売し、その後の通話料やバケット代で利益を出すビジネスや、安価のプリンターを販売してその後に高価なインクカートリッジで利益を上げるビジネス同様、いやそれ以上に関連業界全体の利益に大きく貢献するビジネスといえるのだ。
リーマンブラザーズの破綻から大不況が世界を覆い、憎しみと対立でテロや凶悪事件が続発した混迷の2008年。異彩を放った多くの著名人が時代に別れを告げた。
筑紫哲也(73)朝日新聞記者朝日ジャーナル編集長を経て「ニュース23」 澄田智(92)元日銀総裁。金融緩和でバブルを招いたと批判された 永野健(85)元日経連会長 上田耕一郎(81)共産党副委員長。不和哲三の実兄。 上田哲(80)NHKの労組、日本放送労働組合委員長 赤塚不二男(72)漫画家 天才バカボン 加藤周一(89)評論家。「九条の会」を結成して反戦核廃絶を 片岡球子)(103)日本画家 市川昆(92)映画監督 細雪、ビルマの竪琴、犬神家の一族、木枯し紋次郎 遠藤実(76)高校三年生、星影のワルツ。 緒方拳(71)楢山節考、復讐するは我にあり 水野晴郎(76)映画評論家 峰岸徹(65)俳優 飯島愛(36)元タレント 川内康範(88)作詞家 月光仮面、おふくろさん 氷室冴子(51)少女小説 寺内大吉(86)はぐれ念仏で直木賞 早乙女貢(82)歴史・時代小説 加藤博一(56)横浜・盗塁王 グレート草津(66)ラグビー日本からプロレスラー 荒勢(59)関脇 がぶり寄り 中村寅吉(92)ゴルファー、樋口久子ら後進を育てた 服部正一(100)NHKラジオ体操第一を作曲 俵萌子(77)評論家 華国鋒(87)中国共産党書記長、文化大革命を指揮、��小平に敗れ首席辞任
サミエル・ハンチントン(81)米政治学者、冷戦後の世界紛争予測文明の衝突 アーチボルト・コーチャン(94)元ロッキード副会長、角栄に巨額献金贈与 ソルジェニツィーン(89)「収容所群島」ソ連強制収容所の告発・ノーベル賞 イブ・サンローラン(71)「モードの帝王」フランスの服飾デザイナー アーサー・C・クラーク(90)イギリスSF作家「2001年宇宙の旅」 ポール・ニューマン(83)米俳優 明日に向って撃て チャールトン・ヘストン(84)ベンハー 米国の銃規制反対派の象徴的存在
UFOによる人間誘拐はマスコミを通して日本でも知られているが、多くの場合は科学的な調査が行われることもなく、興味本位の揶揄的な紹介をされてきた。UFOによる「人間誘拐」の問題に対して、アメリカでは著名な学者による真剣な研究が行われており、多くの本が出版されている。ハーバード大学医学部教授J・マック教授は次のように警告している。
「我々人間は、はるか以前から宇宙人によって監視されてきた―。そればかりか、今も多くの人々が彼らに誘拐され、さまざまな医学的処置を施されたうえ、人類と彼らの混血ベビーがつくられている―」博士の調査では、誘拐事件の被害者は人口総数の5.5%に及ぶ可能性があるという。全米で1100万人もの人が宇宙人による誘拐の経験があるという。ちょっと信じられない数字だが、膨大な人数である。
ジェイコブ博士の報告によると、体験者たちには人種や年齢、職業の区別はまったくない。誘拐体験者たちは互いに面識がないにもかかわらず、証言は非常に細かなことや特定の要素までパターンが共通している。証人たちが口をそろえて描写する宇宙人の姿は、身長120センチぐらい、小柄な体で手足が異常に長く、頭部が異様に大きい。
皮膚の色はグレイか青白色。目が不自然に大きく、白目の部分がない。耳、鼻、口などは小さく、今では一般にもおなじみになった、「グレイ」と呼ばれる宇宙人に酷似している。共通する「一次体験」のパターンは、凝視、身体検査、泌尿器や性器に関する処置。「二次体験」のパターンは、」機械による検査、視覚的な処置、混血児たちとの接触。
そのほかのパターンとして、さまざまな身体的な処置(インプラントなど)や精神的なイメージ操作、性的な行為などがある。ジェイコブス博士によれば、人間誘拐の目的には「人間と異星人との混血児の孵化といった一種の繁殖計画が存在するように想われる」と言う。それが事実だとすれば、我々人類にとっては実に不気味で深刻な問題を含んでいる。
私たちの目に触れないところでエイリアンたちは秘密裏に、不気味で大規模な異種・異生物間の交配計画を進めていることを博士は明らかにしつつあるからである。ジェイコブ博士は次のように言い切っている。
「とんでもないこと、実に不気味なことが現実に起こっている―それも近い将来に、私たちすべてに深刻な影響を及ぼすかもしれない何かが―。物的な証拠はなかなか集まってこないが、それでも徐々に増えてきている。現在では何を探せばいいのかわかってきているので、遠からず反論の余地のない証拠が発見されるだろう」と。
また、ジェイコブ博士は、アブダクションの目的を次のように推定している。「エイリアンの人間誘拐の究極的な目的は何なのか、あるのは遺伝子操作で創られた赤ん坊に関するじれったいほどわずかな手がかりだけである。しかし誘拐体験者たちの話から、おぼろげながらも彼らの目的が浮かび上がってくる。誘拐の主な目的は新種の子供を創ることにあるらしいが、まだ究極の目的は人間には知らされていない。
アブダクション体験者はその記憶が消されていることが多く、逆行催眠によってはじめてその事実が明らかになるのが一般的なケースだ。どうやら誘拐者たちは、人為的に記憶情報を操作しているらしい。だから私たちは「自分の知らない間」に体に何らかの処置を施されている可能性があるのだ。
最新の情報として、誘拐体験者の体内からインプラント(移植された物体)が摘出されたという報告がある。カリフォルニハ州のロジャー・リア外科医は、1995年から宇宙人の移植と思われる7件の体内インプラントの摘出を行ってきたが、」テキサス州に住む女性の親指からT字形やメロンの種のような形をしたインプラントを摘出したという。
摘出されたインプラントはいずれも二重構造になっており、驚異的なのは外部が人体組織や植物組織に似た有機物で構成されていることである。現在ロスアラモス研究所で分析中だが、リア医師は次のように述べている。
「こうした物質を人間が創れれば、臓器移植への拒否反応が防げるだろう。皮膚に切開の傷跡もなく、事故などで体内に侵入したとも考えられない。接触部の免疫反応による炎症の傷跡も見られないし、体内のカルシウムの蓄積ならメスで切れるはずだが、いずれのインプラントもメスを受け付けない。個人的な想像を働かせれば、観測用の通信機器か、宇宙飛行士の血液中のガス監視に移植するのと同じような体調監視機、あるいはマインドコントロールが目的なのかもしれない」
UFO問題には人間誘拐、人類と宇宙人の混血計画、インプラントなど、実に信じがたい話が続くが、アメリカ軍の超能力開発にプロジェクトに参加したジョージア州・エモリー大学のコートニー・ブラウン教授も次のように語っている。
「私たちの科学的リモート・ビューイングが正しいかぎり、地球には確かに昔から各種の宇宙人が来ている。中でも我々の歴史と文明に重要なかかわりを持っているのはグレイと呼ばれる種族だ。グレイ族は別に邪悪な存在ではなく、ただ自分たちの種族保存をはかると共に、地球人類にも、彼らの母星と同じような環境破壊による自滅の轍を踏ませないようにしているのだ」
人間誘拐に関わる問題はさらに複雑で、より慎重に対処する必要がある。我々は現在、報告されている誘拐事件を確証できる多くのSRVのデータを持っている。それらの報告では人間が自らの意思に反して誘拐され、遺伝子工学的に生み出されたエイリアンと人間との混血種の保育器として利用されている可能性が大きい。
ちなみに超心理学というのは、テレパシー、予知、透視、念力などの超能力や超常現象の仕組みを主に行動科学の手法を用いて研究する科学である。超能力というような、通常の物理学では説明のつかないような人間が発揮する能力を研究対象とする。
コンノケンイチ『ユングは知っていた』
|