++るうの独り言++
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2004年01月31日(土) |
もとに戻せない(^-^; |
ここのことろまっちゃん(マックパソコン)のインターネットが激遅になり まるで、ぴーがー外付けモデム時代にもどってしまったようになった。 無線LANになっているウインドウズのノートパソコンは変わらず快調。 これはウインドウズとマックがけんかしてるに違いない。 わたしゃまっちゃんでないとHPが作れない。画像もいじれない。これじゃFTPもできない。 腹がたったるうちゃんは、複雑にいりくんでいる配線をみんな引っ込ぬいて、単純にまっちゃんにだけ差し込み、設定を単純な方に変えた。
ほ〜ら。なおったなおった。 まっちゃんのこの快調さ。ほっほっほ。
んがー、なんだかコードがいっぱい余ってぶら下がっている。 思った通りウインドウズのネットは逝ってしまった<2ちゃんねる風
「おかーさん、わたしマウスのボタン、2つの方がやりやすいー」 「こたつに座ってやりたいんだけどな」 「なんでノートパソコンでみれなくなっちゃったのぉ?」
もうこうなると元に戻せるもんか!ヾ(- -;) そもそも無線LANの設定はひろくんがしてくれたのだ。 で、しょうがないので中国にSOSメールをとばした。
『専門家に電話して有料でいいからやってもらいなさい。ついでにIP電話もつけてもらいなさい』 とのお返事。
うーむ。 私は次にひろくんが帰ってくるまでこのままでもいいんだけどな(^^ゞ
無事に到着の連絡。あ〜、一日なんか落ち着かなかったのがこれで一安心。 また5月の労働節に待ってるからね〜 (^o^)/
・・・え? 書くことこれだけかい。
ラストサムライ、やっと見た。 なんつーか実に不思議な映画だった。SFって言ってもいいくらい。 要するにトム君はとっても甲冑着たかったのね。 まー、でもね。 官軍と戦ったのは明らかに戦国武将たちではあったが、迫力があった。 謙さま、かっこよかった。にゃ〜♪ 彼が画面にでるとそこだけ映像の日本が本物になる。 トムクルーズの「うーん、その笑顔のためならなんでもするわ」という笑顔がなかった。トムクルーズに見えなかった。日本人かと思った。 そして真田広之がまたいい。
アメリカの人はこんな風に日本の武士道とか侍をとらえてるんだなー、と思った。 ついでに、日本文化や日本人そのものに対する気持ちの上での捉え方ってのもなんとなく理解できたような気がして面白かった。
時代考証だとか小物使いとか、歴史文化に関する細かいところは眼をつぶって触れないことにしよう。 日本人の国営放送大河ドラマ某脚本家だって、近藤勇と坂本竜馬とその他大勢を一緒に黒船見にいかせるようなことを平気で書いてるんだから、そんなの気にしてちゃはじまらん。<暗に某をけなしている(笑) アメリカ人の「浪漫」とでも「お茶目」とでも言っておけばいい。
内容、というか映画の精神性だけで話をすれば、 なんというか苛立ちというかジレンマというかあきらめというかあがきというか、そんなものがつたわってきて、 そういう意味で、心穏やかに鑑賞できない映画だった。
賛美礼賛されはするものの、ほろぶしかない昔と 眉をひそめ時には唾棄されつつ、発展しすすんでいく現代 この間でゆらゆらただよって途方にくれている日本という国を痛烈に批判されたような気がしてならなかった。 謙さまが注目されるのだって、現代とは違うちょっと昔の男の姿にひかれてるんだと思うよ。(もっとも私はああいう人でないと異性としての魅力は感じないが。わっはっは。)
そうか、この現代の日本人がもってるじれったさというのが外国にもわかっちゃってるんだな。 マレーシアの外相が 「昔の日本はわが国のすばらしいお手本だったし、わが国も日本を見習ってきた。しかしここのところ日本には見習うべきところがなくなっている」といい、日本との関係を見直しはじめている、という話を聞いた。 そういう映画だと思う、これは。 だから 「えええええい。あんたらにいわれたくねえやいっ!! いわれなくったってわかってらいっ!」などとも思った(^^ゞ
だからさ、やっぱり 先日、映画を見もせずに勝手なこと書いたのではあるが そう的外れでもなかったってこともわかった。 この映画が、イラク戦争に絡めた「日本よいしょ映画」だとかいう評をする奴らがいかに能天気なのもわかった。 そもそも、よいしょなんぞ、全くしてない。
で。 この映画は(こういった内容の映画は) 日本が作んなくっちゃいけないんじゃないの? なにやってんの? と、思ったのさ。
とこう書いてるときに アカデミー賞ノミネートの話が飛び込んできた。 謙さまに身びいきでもなんでもぜひあげたいけど、 なんと候補にショーシャンクのお兄さんがいるではないかっ!! ううううう。彼にも是非あげたい。 どうしよう、困ったな。ううううううむ。<お前は選考委員かヾ(・・;)
2004年01月17日(土) |
おっかえり〜(^o^) |
「春節のときに管理室の工事があったりするからなあ。責任者がいないとだめかもなあ。帰れないかもなあ」 「切符、とれないってさ。キャンセル待ちだってさ」 「空港へのフェリーの切符が取れないかもしれない」
(-_-) 日本に帰ってきたくないんかい。
とかなんとかいいつつ、 しっかり会社の春節休み通り、17日の偏西風に乗って予定時刻より30分ばかし早く帰国してきました。
るうちゃん、ひろくんの顔見たらなんかうるうるしてしまった。 にゃは〜♪
朝起きたとき、好きな人が横で寝てるって最高だ、 みたいなことをおせいさんが書いていたが、 うーん、まんだむ。実感。
子供たちももちろんうれしそうだけど にくたらしいのは 消えてた階段の電気が 「なんだ、電球が切れてんのかと思ったら緩んでただけだ」 と、だんなちゃんが手を触れただけでまたつくようになるし、 電源を入れても暖かくなったりならなかったりご機嫌の悪いコタツが 「なんともないよー、あったかいよー」 と、100%しっかり仕事してるし、 家の中の電化製品までうれしそうなのである。
(-_-) ふん。どーせどーせ。
◆昔の今日の記事
2004年01月16日(金) |
理想は『せんたくかあちゃん』 |
ひろくんがそばにいないので ま、さびしいというか頼りないんだけど
でも いい機会だ、と思って。
旦那ちゃんは 海外でまた新たな仕事に取り組み 仕事内容も人間関係もどんどん経験をつんで どんどん向上するんだろうと思うと うらやましくありちょっとくやしくもあり 同時に焦りがある。
この単身赴任の何年間の間に、相手はものすごく人間的に成長するはずなのに、その間、私は?
成長した旦那ちゃんにふさわしい、、、というか 中身で負けるのヤダっ! ↑ ものすごい負けず嫌い。
旦那ちゃんが成長する分、わたしも成長したい。 旦那ちゃんが帰国して久々に顔見たとき 「お? るうってこんないい顔してたっけ?」 なんて、思わせたい。(わはははは)
あーん。 このままじゃいかん。 パソコンの前にどっかりでかい尻をすえているバヤイではないっ!! 主婦、というなかなか向上とか成長とかいうには向いていない場所と状況で 日々研鑽するというのも、修行なのかもしれない。
母の精神状態は子供に影響する。 ・・・芥川龍之介が、いつも精神病の実母の遺伝子を恐れまくってたのを例にあげるまでもない。
さあ、がんばろう。 ゆったりどっしり。「まかしときっ!」 明日なにするか考えてにこにこしよう。 ・・・けだし、名言である。うん。
◆昔の今日の記事
2004年01月12日(月) |
いろいろ勝手に考える |
映画の『ラストサムライ』は、このイラン戦争と絡めて提灯持ち映画だとかいう論評をどっかで読んで、 「へええ、そういう見方があるのかー」 とか 「けなせば落ち込むし、ほめりゃ警戒するし、どーすりゃいいのよー」 とか 「渡辺謙は渡辺謙。イランとは関係ないわい」 とか、いろいろ思ってみる。
映画を見てないので、謙さまの演技がノミネートされるに適当かという話はおいといて。 ・・・いやーー。 が、しかし、渡辺謙の時代劇ファンとしてはちょっとおいとくわけにはいかんな。(^^ゞ
昭和の時代劇スターは別として、今、彼ほどすてきな殺陣ができる俳優さんはいないんじゃないかな。と思う。
時代劇は、現代劇のように全面的に自由には動けない。決められた枠がある。 ただ着物着せて、ちょんまげゆっとけばいいという問題ではないのだ。 (そこのところを間違えてる脚本家が多い) この決められた枠や型の中でいかに美しく粋に個性を出すか、ということがいわば日本の美であり芸なのだと思う。 たとえば落語は話も落ちも笑いどころもわかっている。だから、誰がやってもおんなじかというと絶対そういうことはなく、 必ず「だれそれのなになにという話がいい」と人々が思うのである。 しかも同じ話を何回きいても何回でもおかしい。 ほかにも狂言しかり歌舞伎しかりである。そう、俳句や短歌だってそうだ。
・・・今の時代、日本人でもこの「日本的美しさ」が理解できない人が多い。 型にはめるなんて窮屈、退屈、単純。 というような言葉で切り捨ててしまっている。 だから今の時代劇&歴史物の作品はなさけないのきわみだ。
・・・でね。 むしろ、今の日本人より、ひょっとして古い日本の映画をみた(古い文化にふれた)外国の人のほうが、この「日本の美」をより理解してんじゃないのかな、と、 渡辺謙がノミネートされたというのを聞いて思ったのだ。
『ラストサムライ』はそう考えると「日本よいしょ映画」ではない。
そうそう、それでさ、考えたんだけど、 イラク戦争とからめるんだったら、本当のよいしょ映画ってのは『ラストサムライ』じゃなくてさ、イラク開戦のときに実にタイミングよくあの大賞をとった映画じゃないかと思ったりねー(^-^; ・・・以下略。内容を見てないのでうかつなことはいえぬ。
2004年01月09日(金) |
Geflügeltes Wort |
あまりひどく自己の気分性質に膠着してはいけない。 ---『随想録』 モンテーニュ ---------------------------------- これが自分のやり方、自分の性分だといって習慣を変えない人がいる。 だが、案外人間は「いろいろな習慣に順応」できる器量をもっているものだ。 「一つの生き方」にこだわることはほんとうに「生きる」ことにはならない。 「柔軟にして変幻自在」な生き方ができるなら、それにこしたことはない。 ----------------------------------
・・・ふとね。 不器用に「一つの生き方」しかできないってことが、かっこいいこととおもっちゃいけないような気がしてきたのさ。 不器用に生きてるといった健さんがかっこいいだけなんだ(大笑)
人間をとりまく環境は千変万化。 それなのに、そのくるくるかわっていく生活の中で「一つの生き方」に拘泥するということは、かっこいいどころか周囲にひどく迷惑な話でもあるのかもしれない。 不器用だからと口先で言い訳をするだけで努力もしない、単なるわがままなのかもしれぬ。
般若心経の解説でもよくでてくる。 「自分の中のこだわりを捨てよ」ということで、 しかも 「こだわっちゃいけないっ!私は、こだわらないぞ、おうっ!」というこだわりも捨てなさいというところが難しいのだ。(笑)
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