++るうの独り言++
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桜やら桃やら 花色鮮やかな、いわゆる派手な花々の百花繚乱に いつもなら春先には必ず目が行く野の花々が、今年はあまり語られない。
天人唐草も咲いてる。 きえー ヾ(・・;) つくしもかわいい。 野のすみれもアスファルトのすきまから顔を出した。 タンポポも、からすのえんどうも、仏の座も、 みんな今年もきちんと顔を揃えている。
目を引きやすい派手な色に どうしても人々は目が奪われがち。これはしょうがないっちゃしょうがないんだが。 桜の突然の満開に驚き戸惑いつつも、タンポポが一面に咲いていることよりずっと重く話題にされる。 仏の座が畑を薄い赤紫でそめても、かなりこの時期にしてははやすぎる桃の花の色にほどには注目されない。 本当に初春を語る花はどっちだ? とか思ったりもする。
ここで岡野@安倍晴明の言葉を借りる。 「つまりな・・・ 時々おれはとてもひかえめに本当のことを言うのだが 人はお立ち台のギャルにように わかりやすくて声の大きなもののあとについて行ってしまう そういう者たちは たぶんおれの言ってることより 智徳などが大声で言っていることの方がわかりやすのだろう・・・」
このごろ ド派手な花の撩乱にも似た状況が、人間界でも起こっていて 野の花のような言葉が人々の目や耳に入らなくなってきていることを危惧する。 見かけだけ派手で、中味がないという困った状況すらあり、 それに人々は引きずり回されている。
が、所詮中味のない者は続きゃしないのだ。 内容を伴わない、見かけの派手さや大声、といったいわゆる“パフォーマンス”だけで乗り切れる時ではない。 “パフォーマンス”しかない者にはすぐに終わりが来るだろう。 「人々の期待を裏切った! 見損なった!」という評価を下されて。 そして大きな声や派手な行動や見かけに、ついつい目を奪われ耳を傾けてしまった考え無しの人々にも、なにかあとで大きなしっぺ返しがくるにちがいないと思っている。
今は 大きな声を出す、マスコミを良く利用する、話が上手、見場が良い、 こんな人間がいたら、むしろちょいと用心してかかったほうが賢明かもしれぬ。
◆昔の今日の記事
週刊誌が売れてるそうな。
ムネオくんのおかげだろう、と思う。 私みたいなおばさんが、女性ではない(笑)週刊誌を何冊か買って事件の背景などを知りたがるためだろうと思う。
いろいろと読んで、事件についてまだ自分のなかで納得いかないうちに またあほくさい事件が起こる。 ついていけぬ。
もう調べる気力もなくなったので ええい。感情をぶつけてやれ。
そーりそーり女史よ あなたはムネオくんに向って「疑惑の総合商社」といったが
それならあなたは 「雪印食品議員」だ。
絶対にやってはいけないことを よりによってあなたが こともあろうにこの時期に行い(発覚し) 見苦しい弁解と行動をとりつづけている、ということで。
おそらく今、誰よりも「極悪人」だ。 ほかの人ももおんなじようなことをやってるかやってないかはそんなのどーでもよろしい。
くしくも塩爺が以前、女史に面と向って指摘していたとおり 「あなたは総理のことをえーかっこしいとおっしゃるが、えーかっこしいというのは今の言葉でいえば、パフォーマンス。あなたの言動こそパフォーマンスだ」と。 さすが、爺だけのことはある。伊達に歳をくってないな(^^ゞ
おんなじようなことをやってる議員を、例えば証人喚問の場で実名を挙げて暴露してやろうとかいう、自爆テロ的発想を抱えていそうな気がするが、 証人喚問なんざ時間の無駄だ。こいつの汚らしい関西弁を聞くために、大事な案件の審議が後回しになるとしたら、国益に反する。 旧社会党よ<今の名前を忘れた(^^ゞ さっさと除名して辞職勧告を突きつけなさい。
◆昔の今日の記事
花見メレンゲ、お花見メレンゲ
桜咲いたった、ぱっと咲いた
上野の山じゃ 西郷どんも うかれてカッポレ踊りだす カポ〜レ、カポ〜レ
桜咲いたあと、ぱっと散った
風ぱっとふきゃ、ちるちるみちる 100円ライター、よく売れる
桜散っちゃった、ぱっと散った
木のまわりにゃ お花見客の 夢の跡かよ ゴミの山
などと うろおぼえの歌詞とメロディラインをふんふんと鼻先でごちゃ混ぜにし、 上野公園中央通り(笑)をひとり歩いた。
花見は〜、ひとりだとつまんない。 「きれいねえ」「そうだね。あ、こっちもこっちも!」 なんてこの感情をこの瞬間を共有できる人が横に欲しい。 そうでないと桜の花の美しさも半減する気がする。
・・・と、思うようになったのは 結婚してから、だな。*ぽ*
◆昔の今日の記事
2002年03月20日(水) |
やっぱりるうは若くない |
誕生日の前々日あたりから背中に痛みが走り出し 例のとてつもないのーてんかち割り状態の偏頭痛がしだす。
しかし「お♪ ひさびさにフィーバーフューの出番〜」などといって楽しむ余裕がある。
・・・え?フィーバーフューって何さ、って? 我が家の庭へ行け庭へ!(笑)
んが、誕生日当日の朝、せっかく24歳になったというのにヾ(・・;) その夜娘や息子がこころづくしのプレゼントをくれて山のようなチキンとケーキにかこまれたのに そのご馳走を見て、「うぷ」 吐いた。
その夜から顔下半分が腫れた。
「なんか拾い食いでもしたんじゃないか?」 あわてて病院にいき点滴をうってもらったのに どーも回復がはかばかしくない。風邪でもない。
歯も痛くて死にそうなので、予約なしで歯医者さんに飛び込んだ。 この歯医者さんはとても優しくて丁寧でいい先生なのだ。 「蓮見さんー、最近なにか疲れることしませんでした?」 「疲れるー?? いいえー、特にこれといって思い当たりませんが・・・」 「そうですか? 疲れて免疫力が落ちてると、普段は症状にでてこない菌が、そういうときに限って体の弱いところで一気に悪さをするんですよ。気をつけてみてくださいね〜」
うにゃ?? つかれることなんぞしとらんぞ? マラソンした覚えもなし(笑) なんの因果でこんな目にあわにゃならんのじゃー。しくしく。 痛み腫れる歯と微熱の偏頭痛と吐き気を抱えて 食べたいのにたべられないーというストレスも追加して あちこちいたくて熟睡できないし。うぎゃー! 最低だわっ!
「このくらいの熱と歯痛で仕事やすんじゃられない」 歯のシップをマスクに隠し、バファリンを飲んで利用者さんのお宅へ。 1時間半仕事をする。 してる間は痛みも何も感じない。 終わると心地よい汗がうっすら。満足♪<注:私のね
利用者さんがいった。 「きれいにしてくださって本当にありがとう。短い時間にてきぱきやってくださって。疲れたでしょう?」
う。 このとき初めて気がついた。本当に初めて思い至った。 わたしゃ、もしかして、この仕事で実はとっても疲れてたのか? と。
ばかである。 楽しいこと面白いこと一生懸命にやってると疲れも感じない、という、まるでがきんちょのようである。 仕事の実内容もたいしたことではないと思ってるし、すでに3ヶ月目にはいりだいぶなれてきたし、この仕事好きかも、と毎日が楽しく・・・
いや・・・・ 本当の20代だったら、「疲れ」なかっただろう。 この年齢だから、今いきなりたまってた分の「疲れ」がどっとでたんだ! げげげげげーー!!
なんてーざまだーー。 なっさけなーーい。わたし・・・衰えてるのねえ・・・
いやだー、やだー。若い日の美貌はいいから ヘ(__ヘ)☆\(^^;) 体力を返せー。返してくれー。えーんえんえん。
みなさんも無理すると後でどどっとものすごいことになって出てきますよ。ご注意くださいね。<みんなを「若くない仲間」に引き入れたい、という心情
ふ。 でもちょっと高齢者の気持ちがわかったな。はっはっは。
◆昔の今日の記事
#なんか怪しげな題をつけてしまった。「底なし沼」氏の影響かも(^^ゞ
えー。 証人喚問は面白かったのだが それで自分なりにここで意見をのべようと思ってたんだが
なーんつうか えーとうーんと どっちがどっちで なにが悪くて誰がうそつきで
証人にはあんまり好感をもってないんだが 質問した「そーりそーりそーり」女史にも同じ感情があって
そんなこんなで首をひねってる間に 世の中はどんどん一定方向へ流れていってしまい、
前外務大臣はイタリアで「純ちゃんはもう終わりよ」などと言って、自分のバカさ加減をさらしてるし、、、。
私がいまここで言える精一杯の言葉は 「ちょ、ちょ、ちょっとまってくれー。考える時間をくれー!」 だ。
なんでこんなに早く流れていくんだ? この流れにみんな乗っていけるのか? 危なくないか?
1940年代の、、、某新聞の煽り方に似てるぞ。 煽って一気に盛り上げて、またたくまに、国民を「あの」方向へ押し流した。 考えること自分の意見をもつことを否定するような性急さだった。
おんなじことを繰り返してないか? 我々はそれに気が付いてないんじゃないか?
いったいこの事件はどういうことなのか? 、、、事件なのか? そもそもなんで証人喚問をされたのじゃ?
すんません、だれかこのとろい私にもわかるように、説明していただけませんか? 新聞やテレビ見ただけじゃ全然わかんないんだもん。 あの証人が「悪いこと」をするにいたった背景を知りたいんです。
◆昔の今日の記事
『若さは暴力である』
・・・誰かの言葉だったかもしれない。 でも、自分の言葉にしてしまいたいほど実感中。
「若くていいわねー」 って言葉にほいほい喜んではいけない。 俺は若いんだすばらしいんだえらいんだ、と威張ってはいけない。
「若くていいわねー」 って言葉は たしかに輝かしい将来や可能性や有り余る体力を褒め称える言葉でもあるが
同時に 「若いから、なにやっても許されちゃうのよね」 「責任ないからねー、自分中心に世の中がまわってるのよねー」 「自分勝手に何でも言い放題やり放題なのよね。思いやりがないのよね」 という気持ちもかなり含まれている。
「若くていいわねー」 って 「いい気なものよねー」という意味に近いときがある。
まぶしい太陽光線が、気分をいらつかせることがあるように そういう「若さ」も、周囲に顔をしかめさせることがある。傷つけることがある。
・・が・・・みんなそうして、大きくなったんだな。(わはは)
◆昔の今日の記事
「るうって若くみえるよね」 とか 「絶対その年に見えないよね」 とか そんな言葉に機嫌をよくしていた。 いつまでも24歳でいたいと思った ヘ(__ヘ)☆\(^^;)
んが、 この仕事を始めてから 「若い」が素敵な言葉に聞こえなくなってきた。 ヘルパーステーションで1番年が少ないことがコンプレックスになり始めている。
だって 若いは 青い。
青いはお化け・・・じゃなくて 人生経験がない 技術がない 頼りない いまいち信用できない 安心できない 信頼しきれない 任せられない
ってこととほとんどイコールなのだもの。
利用者さんにとって私はご自分のお子さんよりも年下なのだ。 自分に置き換えてみれば たしかに自分の子どもだって頼りなく思うのに それよりよりちびっちゃい子に面倒見てもらうのなんか はらはらしちまうぜぇぇ。(爆笑)
もし、もし私があと5歳、いや10歳年上だったら、 利用者さんに心安らかになってもらえるだろうか? 信頼してもらえるだろうか? 若さに妙な嫉妬をしないでもらえるだろうか?
「若い」といわれるたびに、なにかぐさっと心痛むようになった。
できるならいっきに55歳ぐらいに明日すぐにでもなりたい。 ・・・体力はこのままでね。わはは。
◆昔の今日の記事
全然知らなかったのだが「教授」が離婚されたそうで。 世界の平和に深い思いは寄せられても、家庭の崩壊に関しては無策だったのね。
「アーティスト同士だもんね、結婚とか家庭とかに対する考え方が一般ピープルと違うんじゃん? 別にいいじゃん? もともと結婚したってほうが不思議だったのよ」
地球に住まうほとんどの人物が一般ピープルである。<変な言い方(^^ゞ 家庭をもったらそれを大事にしそこに幸せを感じるという人物が多い。 ことに戦火にさらされている国の人々はそういった思いが強い。 「私たちは確かに食べ物も満足になく、毎日死の恐怖にさらされてはいるけれど、こうやって家族がいっしょにいて協力して生きています。これが一番幸せなことです」
つまり結婚とか家庭にたいした重きをおかないような、ごく一部の「一般ピープルとは違う感性の持ち主」が、世界平和運動を先導したってことだったのか。? ・・・なんだか、例えば「タバコは体に悪い!」って大声をあげていた人間が実は愛煙家だったっていうようなそんな感じがする。(そんで「体には悪いが俺はやめないよ」なんてうそぶいている感も)
所詮はやっぱり売名行為だったんじゃ? とか思ってしまう。
そ、でも別にいいのよ、歌作り人はそれで。いい曲を作るってことが最大使命なのだから。一般ピープルとはちょいと違う才能と感性をおもちなのだから。そのために他のことがどーでもよくなったって全然問題はございません。 岡本太郎に毎日の洗濯は要求しません。石川啄木が借金踏み倒し魔であろうがその短歌の価値はかわりませぬ。そういうことでございます。モーツアルトが映画どおりの人間だったとしてもその曲が一般ピープルの心をホッとさせるのは間違いないのだから。 その能力で一般ピープルを充分に楽しませていただければそれが1番なのです。
が、 だからといって自分が全てのことに高い能力があると勘違いしないでいただきたい。自分の能力外のことに首を突っ込まないでいただきたい。 いや突っ込んでもいいが、どうせつづきゃしないんだから(続けられる能力も精神力もないのだから)、「勘違いしたまま」、人々の先頭にたたないでいただきたい。 巻き込まれたわれわれはものすごく迷惑いたします。 大騒ぎしながら人々を先導し、しかし「やっぱできないやー、や〜めた!」って言ってしまったとき、それについていってしまった人々に対してなんの責任もとれないのでしょう? 万が一先頭を切ってしまったら、そしてそれについてくる人の存在をしってしまったら、その時点で死に物狂いで努力をはじめ、追随する者がいなくなるまで決して辞めないでください。 それが責任のとり方だと思っています。
・・・とはいえ、そんな奴についていってしまった我々にも責任は充分にあるんだけどね(^^ゞ
◆昔の今日の記事
お気に入りの詩がある。作品がある。 さりげない日常の中にうれしい言葉がある。 うれしい笑顔がある。 私の宝物だ。
大事にしたい。とてもともても大事にしたい。
小さい子のように 誰にも見せず こっそり 1回も使ったことの無いハンカチに包み きれいなこれもまたお気に入りの箱に入れて そして 誰にも知られないように 箱の蓋をそおおっと少しだけあけて 時々 眺める
そんな風に扱いたい。
例え他の人が、私と同様な感じ方をしたとしても 他人の言葉で 私の宝物について私に語りかけるのを聞きたくない。 「ねね、いいよね? 私も好き!」 なんて言葉はいやだ。 この宝物は私だけのものだ。本当の価値は私にしかわからないんだから。
そんなわがままさで大事にしたい。
自分の好きなものについて 愛好者同士が語り合う楽しさは充分認める。私もそれは好き。
しかし 語り合いたくないほど大事で大好きな、そんなものがあるのも事実。
◆昔の今日の記事
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