2024年01月31日(水) |
桐島聡のパーフェクトデイズ |
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連続企業爆破事件の容疑者として指名手配されていた桐島聡のメガネを掛けた写真は多くの人の記憶にあるだろう。逃亡50年を経て彼がずっと潜伏生活を続けていたことが明らかとなった。末期癌で自分の死期を悟った桐島は、最後に本名を名乗って死ぬことを選んだ。正体が誰かわからない偽名の「内田洋」で通すのではなく、最後に自分の名前を取り戻して死んだ。オレはそこに逃亡犯の深い悲しみを思うのである。50年間の間見つからないようにひっそりと生きた桐島聡のその「パーフェクトデイズ」とはどんなものだったのだろうか。
桐島聡は偽名を考えるにあたって、どうして「内田洋」という名前にしたのか。年配の人がその名前から想像するのは、「内山田洋とクールファイブ」であるが、オフィス用品の会社である「内田洋行」から取ったのかも知れない。特徴的な名前を名乗ることで逆にそれが偽名であると推測される可能性を低くしたのだろうか。本人が亡くなってしまった後ではそれは永久にわからない。どこかに本人の手記などが残されていれば別なんだが。
桐島聡は神奈川県藤沢市に40年間暮らしていたという。つまり指名手配されてから10年後にその街にやってきたということになる。それまでの足取りを追うことはほぼ不可能である。彼はこの藤沢で40年間、住み込みの建設作業員として働いていた。街に溶け込み、近隣住人とは普通に付き合っていたし、70〜80人が集まるBBQにも参加していたという。このような逃亡で大事なのは「最初の数年間をどうやって逃げ切るか」ということである。時間が経てば顔も雰囲気も変わっていくし、人目ではわからない容貌になって行く。あとは「偽名でも住めるところ、働けるところ」を見つけられるかどうかである。
音楽を愛した桐島聡は、月に一度くらいのペースで生演奏を楽しめる店に通っていたという。銭湯への帰りがけに立ち寄ったりして時には音楽に合わせて踊ることもあった。質素な住まいで銭湯に通い、音楽を愛してビールを飲むという生活は、役所広司さんの主演された映画『パーフェクトデイズ』の世界と重なる。そこで彼は「内田洋」なる人物になりきることで捜査の目を逃れることに成功し、ひっそりと生きてきたのである。彼は自分の指名手配写真を見てどう思ったのだろうか。
もしも自分が大きな罪を犯して逃亡生活することとなった時、部屋を借りて匿ってくれる人が居ればそこで閉じこもって生活し続けることが可能だろう。大阪を離れてしまえば自分の素顔を知ってる者はほとんどいなくなるだろうし、仮に病気になっても「自費診療」を選べば本名を明かす必要はない。死ぬまで暮らせるだけの現金があれば「最後まで隠れ続けること」は可能である。ただ、一歩外に出れば必ず「警察に見つかるかも知れない」という危惧を抱くことになるわけで、何を楽しみに生きていけばいいのだろうかと思うのである。
桐島聡はその「内田洋としての毎日」の中で何を日々考え、どのような気持ちで生き続けたのだろうか。彼は何を日々の楽しみとしていたのだろうか。親しくなった誰かに自分の内面を語ったことはあるのだろうか。15年ほど前に親密になった女性ができたが、「自分は幸せにできるタイプじゃないから」と交際を断っていたという。もちろん「自分は指名手配犯だから」とは言えないわけで、普通の結婚をして生活するなんてことは不可能である。しかし、偽名のままで同棲することは可能だったと思うのである。自分の恋人が逃亡犯だと知ってもそのまま愛し続けてくれる場合だってあるだろう。
逃亡犯と言えば、大分県別府市の大学生ひき逃げ死亡事件で、いまもなお逃亡を続ける八田與一容疑者は今はどこにいるのだろうか。人手不足の中、旅館やホテルの中には身分証不要で住み込みで働けるところもあるらしい。別府警察署には時々情報が寄せられ、捜査員が確認するのだという。八田容疑者ももしかしたらどこかで「パーフェクトデイズ」を手に入れるのだろうか。
最後に本名に戻って死ぬことを選んだ桐島聡、もしかしたら彼は自分を50年間逮捕できなかった警察に対して「お疲れ様、ここでゲームオーバーですよ」と宣言したかったのかも知れない。それは公安に対する一種の「勝利宣言」のようなものでもあるし、あるいはそのような人生しか選べなかった桐島聡の「敗北宣言」でもある。
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2024年01月30日(火) |
そんな家買うなよボケ! |
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オレの自宅周辺は決して良好な環境であるとは言えない。田んぼを埋め立てて造成された土地なのでもしかしたら地震の時に液状化するかも知れないし、近隣住民は高齢化が進んでいて空き家も多い。若者がいないので助け合いを必要とする災害時にはどうなることかと思うくらいである。
大阪南部はDQN率が高い土地である。以前に書いたことがあるが、深夜のコンビニ駐車場で大麻取引を巡って刺傷事件が起きている。刃物を使うということは相手を殺してもいいと思ってるからである。そんな地域は住環境としては最悪だ。子どもの教育環境としてもいじめや犯罪被害の可能性があるわけで、「避けるべき土地」であることは言うまでもない。
ところがそんな地域でも空き地にいつのまにか建売住宅が出現して、販売業者ののぼりが風に揺れているのだ。こんなものを誰が買うのだろうか。ネットで検索してみるとなんと建坪が30坪にも満たない狭小住宅に3000万円以上のぼったくり価格がつけられているのである。駅から2キロも離れていて、しかも前面道路も狭く、なんでこんなところに建売住宅を・・・と思うのである。
家を買うというのは一生の買い物である。それならもっとまともなものを選んだらいいわけで、そういう家はちゃんとある。少なくともオレならそんな家は絶対に買わない。いくら安くてもそんな家は一生の住まいにはならない。どうしてそんなことがわからないのだろうかとオレは不思議に思うのだ。あるいは3000万円台の価格はダミーで、交渉すれば値引きされるのだろうか。
最寄り駅から遠く離れていて、1割近い家がすでに空き家になってるような地域というのはただの「衰退地域」でしかない。そんなところに家を買うのは馬鹿である。オレがそこに住んでいるのはたまたま親が家を建てたからであり、自分が購入するならこんなところは絶対に選ばない。その地域では未来への展望は描けないのである。ただ、さらに地価が下がって購入しやすくなった結果、新住民がたくさん来て雰囲気が劇的に変わるということは起きるかも知れない。特定の国の人たちが移住してきてまるで租界のようになってしまえば賑わいは戻るだろう。西川口が風俗街からクルド人の街になったように、変化の可能性がないとは言えない。
今の日本では家はものすごく余っている。そこにある上物の古家をぶっ壊して更地にして新築すれば思い通りの家を建てられる。ところが住宅販売会社はそんな面倒なことはしないで、狭い区画に粗末な狭小住宅を建て、ぼったくりのマージンを乗せて貧乏人に売るという戦略しか持っていないのである。オレの住む地域などでは特にそうである。
商業施設はどんどん増えるが、入居しているテナントは利益を確保できずに去っていく。田舎のさびれた商業施設のフードコートは悲惨なものである。閑古鳥の鳴いてる店では放置されたたこやきが鉄板の上でカチカチに干からびていくのだ。そんなものは全然おいしくないのである。イオンモールに入ってる多くの専門店の中でまともに利益を出せてる店はどれだけあるのだろうか。
オレが「こんな家を買うのは馬鹿」と思った建売住宅もいつのまにか売れて人が住むのだろう。なんでそんな無価値なものを買うのだろうか。オレには意味がわからないのである。そういう家を買う人の考えが知りたいのである。
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2024年01月29日(月) |
DV男と関わるリスクについて |
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変な男と交際してしまうと女性はその一生を台無しにされる・・・これは昔から変わらずに言われてきたことであるが、それでもこのような被害は後を絶たないし、世間もまた「そんな男と付き合ったおまえが馬鹿」という形で自己責任だという。しかし、悪いのはそういうDQN男である。DVを繰り返すDQN男からどうやって女性は自分を守ればいいのか。オレはその解決法をいろいろと考えるのである。
愛媛県今治市でピアノ教師の冨田小雪さん(64歳)が1月26日夕方に自宅のピアノ教室で首を切られ殺害されるという事件が起きた。事件後に行方不明だった小雪さんの次女の交際相手で行動を共にしていた榊原正道容疑者が逮捕されたが、こいつは過去にも女性への虐待や暴行で逮捕歴が有るとんでもないクソ野郎だった。そういう人間が過去の悪行を隠して女性に近づいた時にどうすればいいのか。最初は甘い言葉をかけて近づき、関係ができてから豹変するのである。
これはオレの臆測だが、次女の交際相手であるこのクソDQN男に向かって、気丈な小雪さんは「いいかげんにしろ!」という形で叱ったのだと思うのである。そこで榊原は逆上して小雪さんをメッタ刺しにして殺したということではないだろうか。
世間には無数のそうしたクソDQN野郎が存在する。たまに事件を起こしてその残虐な性格がバレるが、たとえ実刑判決を受けたとしてもすぐに刑務所から出てくるし、そもそもそいつがストーカーになっても警察はまともに取り合ってくれないのである。そこでオレからの提案である。オレはこの問題を解決する方法を二つ考えている。
一つは、DV男には一生消えない烙印を押してやることだ。額にDVの二文字のタトゥーを入れるのである。過去にDVで実刑判決を受けた者には必ずこのタトゥーを入れることとする。もしも拒否すれば永久に刑務所から出られないということにすればいい。そうすれば女性は交際開始の前にDV男を避けることが可能になる。
もう一つは国から補助金を出すことで安価に民間人が護衛を付けられるようにすることである。「ストーカーや元交際相手ににつきまとわれている」という女性からの訴えがあって、その対象男性が特定されていれば女性のガードとその男性の監視をセットで行い、時にはその男性をボコボコにどつき回して「二度と近づくなよボケ!」と威嚇することが可能な形にするのである。この護衛サービスには積極的に元暴力団員や半グレを採用すればいいのだ。そうすることで暴力団の構成員を減らし再就職しやすくするというメリットも生まれるのである。
民間警備会社が「個人の警護」を請け負うとすればかなりの高額になってしまう。そこを国から補助金を出すことで安価にサービスを受けられるようにすればいいし、基金を作って全額無償化できればなおいいことである。DQN野郎がそうして世間からどんどん排除されてくことはいいことだと思うのである。それでもDVをやめないようなクソDQNなんかは「どうぞ奴隷として自由に使って下さい」と労働力を必要とする国に売り飛ばすくらいの罰が必要だ。もちろん「人身売買」などという非難は起きるだろうが、悪いのはあくまでクソDQNである。オレはそういうDQNは地上から消えてもらいたいと本気で思っている。
そういうDQN男たちは学校ではたいていいじめ加害者となってることが多い。いじめ事件を起こさせないということは、将来のDQN予備軍をなくすために重要なことである。そこで教育の果たす役目は実に大きいのである。オレは日頃生徒に向かっていつも「女を殴る男は人間のクズ、最低の存在」であると力説している。女を暴力でしか支配できないクソ野郎ではなく、愛情で包み込める立派な男になれよというのがオレの持論である。もちろんオレもそういう男のつもりである。
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2024年01月28日(日) |
映画『カムイのうた』〜和人の罪 |
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岩波文庫に収録されている『アイヌ神謡集』の序文で、知里幸恵さんはこのように記した。
その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人だちであったでしょう。
冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って、天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り、夏の海には涼風泳ぐみどりの波、白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り、花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて、永久に囀る小鳥と共に歌い暮して蕗とり蓬摘み、紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて、宵まで鮭とる篝も消え、谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、円な月に夢を結ぶ、嗚呼なんという楽しい生活でしょう。平和の境、それも今は昔、夢は破れて幾十年、この地は急速な変転をなし、山野は村に、村は町にと次第々々に開けてゆく。
19歳の若さでなくなった知里幸恵さんの生涯を描いた作品が、今公開されている映画『カムイのうた』である。彼女は祖母や叔母からアイヌの詩である「ユーカラ」を受け継ぎ、それを日本語に翻訳して記録するという偉業を成し遂げた。
アメリカで白人がインディアンの豊かな土地を奪い住民を虐殺したのと同じように、北海道でも和人{日本人}はアイヌから豊かな土地を奪い、彼らから搾取した。それだけではない。学校ではアイヌ語の使用を禁止し、日本語を強制するいわゆる「皇民化教育」が行われたのである。アイヌを「土人」と呼んで彼らを蔑み、差別し続けたのである。その事実を我々は正しく受け止める必要がある。明治維新以降の日本の歴史の中で絶対に誰もが知っておかなければならない大いなる罪なのだ。
このようなことを書くと「反日」というレッテルを貼られ、「自虐史観」であると言われる。X(旧ツイッター)ではネトウヨたちからクソリプがつけられる。どうして「事実」を知ることが「自虐」なのか。そうした事実をなかったことにして過去の罪に向き合わないことこそ大いなる「自虐」であるとオレは思うのだ。
江戸時代、北海道には松前藩が置かれ、アイヌからの搾取の拠点となった。アイヌが供出する熊の毛皮や鮭は、圧倒的に不利な交換比率で奪われた。松浦武四郎は幕府にアイヌの窮状を訴え、その文化の保護を主張した。明治時代になって政府は松浦武四郎を蝦夷開拓御用掛へ任命したが、アイヌからの搾取構造が放置されていることを怒って彼は職を辞した。1899年に制定された「北海道旧土人保護法」とはアイヌの土地の没収や漁業・狩猟の禁止、アイヌ固有の習慣風習を禁止して日本語使用を義務付け、アイヌの「皇民化」を進めるものだった。この名称自体が差別的な法律が廃止されたのは1997年のことである。
本多勝一は「北海道大学文学部にはどうしてアイヌ語学アイヌ文学科が設置されていないのか?」と訴えたことがある。アイヌ語もアイヌの文学も「学ぶ価値がない」と判断されて切り捨てられてしまったのである。しかし、アイヌ文化を一方的に破壊した和人にはその文化を研究して継承する責務があるとオレは思うのだ。巨額の予算を使って『ウポポイ』のような偽善的な施設を作ってもオレには納得できないのである。そのウポポイの展示では松浦武四郎の存在についてはほとんど触れられないのはなぜかとオレは怒っているのである。
『カムイのうた』はすべての日本人が観るべき映画である。それは我々日本人の祖先がかつて犯した大きな罪を理解するために絶対に必要である。日本中の学校で生徒に鑑賞させる時間を作るべきである。戦火にさらされたガザ地区のパレスチナ人の悲劇は日本の歴史と無関係ではない。攻撃を止めないイスラエルを批判する前に、自分たちも加害の歴史を持つことに向き合わないといけない。
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2024年01月25日(木) |
左折巻き込み事故について |
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愛媛県の西条市で大型トラックが、女子高校生と自転車を巻き込んだまま約700m走行し、女子高校生は重傷を負うという事故が起きた。典型的な左折巻き込み事故である。このような事故の度に思うことだが、もちろん悪いのは事故を起こしたトラックである。しかし、歩行者や自転車があまりにも危険を認識していないと感じることがあるのだ。「内輪差」というものを知らずにぎりぎりの位置を自転車で走ろうとする場合もある。そしてトラックのドライバーから自分が全く見えてないということもわかってない。そういう「交通安全教育」の不備こそが事故の原因ではないかとオレは思うのだ。
横断歩道のある交差点を左折するとき、オレは左後方から自転車や歩行者が来ていないかということをいつも慎重に確かめる。そして曲がりながらも目視して再度確かめ、絶対に事故を起こさないように気をつけている。しかし、自転車や今はやりの電動キックボードなどは斜め後方から間隙をついて突っ込んでくるのだ。まるでそこでクルマを交わして華麗に走り去ることがカッコいいことであるかのように無謀な運転をしてくる。
もちろん、世の中にいるのがオレのような注意深いドライバーばかりなら問題ないわけだが、残念ながら世間には運転の下手くそな人が多い。下手くそな上にスマホを見ながらとか助手席の相手といちゃつきながらとか、漫然と運転している馬鹿も多い。そういうわけで自転車や歩行者は「自分の身は自分で守る」という行動をしないといけないのである。
西条市の事故ではトラックを運転していた60歳会社員が過失運転致傷の現行犯で逮捕されているが、男は警察に対し「縁石に乗り上げたと思い、確認をしたら人がいた」と証言している。なんと700mもそのまま走り続けたわけだが、11トンの大型トラックならば、人と自転車を巻き込んでも「縁石に乗り上げたと思った」程度の衝撃しかないのだろうか。自転車は原型をとどめないほどにグシャグシャに破壊されていたのである。どう考えてもこのドライバーはボンクラすぎるだろと思うのだ。巻き込まれた女子高生は腰の骨を折る重傷ということだが、左折時の巨大なトラックの動きがどうなるのかをどの程度認識していたかということも気になる。もちろんこれはクルマの側の重大な過失であることは変わりないわけで、ドライバーは「巻き込まれるような危険な行動をする」歩行者や自転車のことまで配慮して運転しないといけないのである。
オレが昔勤務していた公立高校の校門前には信号があったが、自転車通学の生徒の中には赤信号でも平気で飛び出す生徒がいた。もちろんドライバーが「高校生にはそういう何も考えてない馬鹿が存在する」という認識のもとに徐行すればいいわけだが、なかなかそういうわけにもいかず、信号無視の女子高生を避けようとして電柱に突っ込んでクルマが大破するという事故が起きたことがある、自転車と接触はしなかったが、女子高生は倒れて頭を打って救急搬送された。こういう事故の場合過失割合はどうなったのだろうかと、今考えてみるととても気になるのである。ドライバーにとっては災難以外の何ものでもないが、そういう場合も悪者にされるのだという認識の元に運転しないといけないのである。だから自分の身を守るためにドラレコは必須だし、他の人が信号を必ず守ると思ってはいけないのである。
日曜日に映画を見た帰りに堺市内を運転していて、交差点を右折しようとして右折の矢印が出てから前のクルマにくっついて曲がろうとしたら、なんと信号無視の直進車がものすごいスピードで突っ込んできて、あわてて急ブレーキを踏んだということがあった。そいつはオレのクルマと前を走る車の間をすり抜けて行ったが、助手席の妻は瞬時にブレーキを踏んでかわしたオレの運転のみごとさに驚嘆していたのである。
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2024年01月24日(水) |
映画『パーフェクトデイズ』は完璧だ |
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オレは映画館で役所広司主演の『パーフェクトデイズ』を観た。何も語らず、黙々とトイレ清掃の仕事を丁寧に行う主人公、平山の日常を淡々と描く作品である。決まった時間に起きて、朝のルーティーンを毎日同じようにこなして出勤し、そして東京都内の公園のおしゃれなデザインのトイレを回っては完璧な手順で清掃していく。こんな細かいところまできれいにするんだと驚嘆してしまう。日本中でそうしたプロの清掃人が働いているのだろう。そのおかげで我々は日々きれいな公衆トイレを利用できるのである。
この映画の監督であるヴィム・ヴェンダースさんの映画に最初に出会ったのは『ベルリン天使の詩』である。オレはその作品に深く影響されて後にドイツを旅してベルリンを訪問することとなった。オレの人生に深く影響を与えた一人である。その作品を鑑賞することはオレにとって自己の原点を見つめることでもある。
オレはなんのために働いているのだろう。オレの人生は何なのだろう。世の中の人の中には変化のない日常の中でそんな疑問を抱いてる人は多いのかも知れない。世の中には無駄な仕事などなく、どんな仕事であってもそれは世の中から必要とされていて職業には貴賤なしのはずだが、特定の仕事を見下した発言をする馬鹿はいつの世の中にもいる。大阪市バス運転士の給料は高すぎるとほざいて、その結果としてバス運転士の給与水準の大幅低下を招き、待遇悪化は事故の増加につながり多くの人命が失われ、そして今運転士不足で日本中のバス会社が困ってるのに何の責任もとらない橋下徹というクソ野郎のことを我々は決して忘れてはならない。上に立つものがあんなクソ野郎ならば、民に待ってるものは悲劇しかないのである。その橋下徹を神のように崇めているどこかのカルト政党もまた存在そのものが悪である。
日本は今や「人口減少社会」となってしまった。その中で不足する労働人口をどうやって補えばいいのだろうか。移民を受け入れ、他人種共生社会を目指せばいいとオレは思っている。難民キャンプに生まれた人、戦争の中に生まれた人たちが平和で文化的な暮らしを望んだときにどんどん受け入れることができるフトコロの深い国であって欲しいとオレは思うのだ。平和憲法を持ち、国民のモラルが高く、教育や文化の水準が高くて食べ物がおいしい、そんな夢のような国だからこそそこで生きてゆきたいという人をどんどん受け入れる国であって欲しいのである。軍事力を誇示して「強い国」という虚勢を張るのではなく、豊かな経済と賢い国民、高い教育水準と文化が自慢であるという「強い国」を目指してもらいたいし、嘘と欺瞞の政治を終わらせたいのである。与党議員なら犯罪をしても許されるという国はまっぴらごめんである。
さまざまな肌の色や髪の色、瞳の色という子どもたちが一緒に学校で学び、他者に寛容で穏やかな価値観を身につけ、正義を愛し悪徳を憎む、そんな未来をオレは願っているのである。日本という国が未来に存続する方法はそれしかない。アメリカとの軍事同盟などとっとと廃棄して、どの国とも等距離で仲良くするという外交戦略をとってもらいたいのである。
『パーフェクトデイズ』を観終えた後に感じた「いい作品だった」という素直な感動は、おそらく言葉の壁を越えて共有されるものであるとオレは思っている。この世界は美しいのである。木漏れ日が作る一瞬のきらめきは一つとして同じものがないように、この世に全く同じ人はいない。一人一人がかけがえのない生を持ち、尊重される存在である。その一人一人を大切にする、そんな政治がいつか実現することをオレは願っている。国民を搾取の対象としか考えてない自民党や公明党、維新の議員が全員追放されて、日本が真の民主主義を取り戻せる日をオレは待ち望んでいる。「共産党が政権を取れば中国のような共産主義になる」と宣伝しまくってるネトウヨや、それに感化される馬鹿が世間には多いが、今の共産党が目指してるのは議会制民主主義が正しく機能することだけである。「共産党は暴力革命を目指してる」などという理由で今でも公安の監視対象になってるらしいが、むしろ自民党が目指す「国民総白痴化計画」などの愚民化政策の方がよほど日本にとって害悪であるとオレは思っている。
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2024年01月23日(火) |
リニア新幹線は本当に必要か? |
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X(旧ツイッター)でリニア不要論を書いたら炎上した。大量の鉄道系ユーチューバーがコメントを付け、その中には「京大でもこんなにアホか?」とか「れいわ新選組支持だからアウト」という人格攻撃に終始する馬鹿もいて、鉄道系ユーチューバとか鉄オタという人たちが意外に低レベルなことを知ったが、もちろん鉄オタのフリをした壺工作員も多数存在したはずである。
オレはまともな議論がしたいのである。コロナ禍でリモート会議やリモート出勤が増え、実際に人間が移動しなくても多くの業務が可能であるという事実がわかった今、わざわざ東京名古屋(大阪)間を人間が移動しなければならない理由は減少しているはずだ。もっとも観光目的などになると需要は増加しているのかも知れないが。
北陸新幹線を敦賀から大阪まで将来は延伸するそうだが、そんな何十年も先のことではなく、とりあえず今は米原から敦賀への短絡線を作ってもらいたいのである。あるいは湖西線をミニ新幹線化(広軌化)してそこに在来線と新幹線を両方走らせればいいのである。そうすれば万一の時は北陸新幹線が東海道新幹線の代替路線として機能するだろう。
地震と津波で石川県の志賀原発は大きな被害を受けたが、もしも運転中なら今回の能登半島地震でメルトダウンしていたのではないだろうか。そして能登半島にはさらに2カ所の原発計画があったということをどう考えればいいのか。今回のような大きな地震が起きる可能性のある場所がそもそも原発候補地だったというのはどう考えても危険すぎるのである。日本のような地震国で、大きな構造物を建設することはそれ自体がリスクであるとオレは思っている。阪神大震災は明石海峡大橋の完成前に発生した。もしも橋が地震の揺れを受ければ多くの事故が起き、橋本体が損傷して修復不能だったかも知れない。大都市で直下型地震が起きれば高層ビルやタワマンは大丈夫なのだろうか。輪島市では地中に打ち込んだ杭が折れてビルが横倒しになってるじゃないか。
東海道新幹線はかなりの黒字である。その利益はほとんどJR東海のものである。そのJR東海は管内の赤字ローカル線も廃止などの動きはなく維持しようとしているほどで、きわめて公益性を重視している会社だという。そのことは今回のコメントからオレは教えられたわけで、そこはきちんと示唆して下さった方々に感謝したい。その業績は、JR東海が東証プライムに上場されている企業である以上は正当に株価に反映され、その会社に投資した株主達のところに配当金という形で還元されるのが当たり前の形ではないのか。しかしリニアというリスクある事業を抱えている以上、株主はむしろ投資判断をためらうのではないだろうか。オレがJR東海の株主ならば即座にリニアからの撤退を株主総会で訴えただろう。ようするに「そんなゼニがあるなら株主に還元しろ」という意味である。そうしないで日本の鉄道の未来のために投資するということがJR東海の示す「公益性」の意味なんだとしたら、そこはオレの完全な負けである。
老朽化した新幹線をいずれは大規模修理しないといけない。そのために代替路線を作ることには意味があるというご意見もいただいた。線路改修のための運休期間が2年から3年となると、確かにリニア新幹線の存在意義は高まるだろう。
リニア新幹線の消費電力はどれくらいなのだろうか。その電力需要のために浜岡原発が必要だと声高に主張する方もいるだろう。これに関しては山梨の実験線でもう答えは出ているはずなのできちっと消費電力というか運行コストを知りたいのである。
「そこまで反対するのなら完成しても絶対にリニアに乗るなよ!」と言われそうだが、オレは好奇心の強い人間であり、実際のところは鉄道好きなのである。オレが生きている内に東京名古屋間が完成すればもしかしたら乗るかも知れないのである。それはいわゆる「冥土の土産」というやつである。
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2024年01月22日(月) |
共産主義と言うな! |
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多くの人が勘違いしていることだが、中国の政治体制は「共産主義」などではない。一党独裁の形を取った専制独裁国家である。ところが多くのネトウヨたちやそれに扇動される馬鹿、維新支持者、統一教会の信者などの惰弱な人たちは、中国を共産主義体制だと誤解していて、「共産主義=ロシアや中国の専制政治みたいなやつ」と信じているのである。残念ながら共産主義が理想的な形で成功した国家は歴史上一つも無いのである。
ところが自民党や維新の会、立憲の一部の連中は日本共産党をひどく嫌っていて、彼らが共産党を攻撃する時に必ず中国の政治体制を持ち出すのである。中国のような一党独裁の専制支配に近いのは、維新独裁の大阪である。そこでは数の暴力と民主主義の破壊が進行していて、カジノIRという大阪を破産に向かわせるような愚かな計画が進行しているのである。
自民党や公明党の進めてる政治は果たして「民主主義」だろうか。金持ちや大企業だけがどんどん豊かになり、政治家の犯罪はお目こぼしなのに庶民はコンビニのコーヒーの分量をごまかしただけで逮捕される。法の下の平等が失われ、権力者は罪を犯しても逮捕されないという状況はきわめて非民主的である。そして権力者の周りで「知りすぎた者たち」の不審死が相次ぐ。東京五輪の賄賂や裏金問題が明らかになるずっと前にJOCの財務課長が地下鉄に飛び込んで亡くなったが自殺と処理された。彼はなんらかの秘密を知っていたから消されたのではないのか。パーティ券のキックバックによって発生した巨額の裏金は、すべて議員ではなく会計責任者の罪とされた。これもおかしくないか。自民党政治家なら脱税もやりたい放題という状況を「民主主義」なんて呼べるのか?
オレの支持政党はれいわ新選組だが、ネットではれいわ新選組支持者というだけで誹謗中傷を受ける。しかし、恥ずかしいのはれいわ支持者であることではなく、自民党や公明党、維新の会という反社レベルの悪事を働く政党の支持者でいることではないのか。自民党や維新の会の支持者は支持する政党の議員の不祥事に対して鈍感だ。オレが維新議員の不祥事を指摘しても維新支持者には無視されるし、「事実無根だ」「デマだ」「訴えるぞ」と脅される。しかし、本当にその党を支持するなら、そうした不祥事という名の裏切り行為に対して怒るのが真の支持者のあり方ではないのか。
日本共産党やれいわ新選組が目指してるのは「まっとうな政治」である。貧しい人から搾取した消費税が真に国民のために使われ、日本をよくするために使われることを願っているのである。しかし現実はそうではない。消費税率が3%→5%→10%と上昇する一方で、法人税や所得税は減税されてきた。つまり消費税は金持ちや大企業のために使われてきたのである。税とは「所得の再配分」、つまり金持ちから多く取ってそれを貧しい庶民のために使うというのが本来のあり方ではないのか。ところが日本では貧乏人から搾取してそれを金持ちが山分けするという仕組みがどんどん強化されていってるのだ。経団連は消費税を最終的に19%まで上げようとしている。もちろんその分法人税や所得税が減らされて金持ち優遇は加速するのだろう。
国民の多くは中国の政治体制が共産主義であり、日本共産党が目指す政治の姿がそれであると騙されている。自民や維新の連中は街宣でそのようにアピールし続けている。しかし現実問題として、法の下の平等など存在しない今の日本の政治は習近平翼賛の中国や香港とどう違うのか。投票率30%台という政治への無関心をどう受け止めればいいのか。オレはすべて教育の結果だと思うのだ。
若者が政治に無関心となり、自分たちのおかれた不遇な状況が政治のせいであるということに気付かずに「自己責任」だと思わされ、搾取に耐えていることをオレはなんとかしたいと願っている。だからこうして自民や維新の批判を書き続け、正義を訴えるのだ。
共産党やれいわ新選組をもっとも嫌ってるのは維新の会である。その理由は維新の会の元代表が勝共連合の関係者であり、勝共連合というのは統一教会の作った政治団体だからである。「勝共連合」や「日本会議」という似非保守団体は多くの自民党議員を取り込み、巧妙に統一教会との関係を築かせて日本の政治の中枢に入り込んだ。安倍晋三を広告塔にして多くの日本人を洗脳し、その財産を奪い取ったのである。オレは統一教会という詐欺カルト組織は幹部全員逮捕、全財産没収しかないとここでずっと主張し続けている。あれはそもそも宗教などではない。
悪い奴らはおれのような正義を訴える人間が目障りだ。だからあの手この手でオレをつぶそうとしてくる。日曜日には信号無視の車がオレに突っ込んでくるというテロを受けたが、オレは間一髪でその襲撃をかわしたのである。なんで右折矢印に従って右折してるところに直進車が突っ込んでくるのか。そんな無法者はきっとあの反社政党の支持者だろうとオレは直感したのである(嘘)。オレが襲撃を受けたのは堺市中百舌鳥のハム大近くである。堺市と言えば市議会で維新議員が身内の痴漢議員を擁護したクソみたいな地域である。ちなみに参院選で共産党候補に投票した票がなぜかすべて消えるという事件も堺市で起きている。民主主義とはもっともかけ離れた地域で犯罪が増えるのはある意味道理とも言える。
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2024年01月21日(日) |
八王子市終了のお知らせ |
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任期満了に伴う東京・八王子市長選挙の投開票が行われた。自民党と公明党が推薦する初宿(しやけ)和夫氏が初当選を果たした。自民党の裏金問題やパーティ券疑惑、それだけではなく八王子と言えば萩生田議員のお膝元で東京とかでも統一教会の支配力の強い、いわば壺自治体である。そんな土地に住む住民ならば「壺自治体なんか絶対にゴメンだ!」という動機が起きそうなものだとまともな人間のオレは思ったのだが、なんと投票率は38%という低さで、そのわずかな投票者には「壺関係者」「何も考えてない馬鹿市民」「どちらかというと悪いことに共感する外道市民」たちが多数だったこともあって、結果として自民党・公明党の推薦候補が当選したのである。
八王子市はもうその名前を捨てるべきだ。選挙結果が物語るように、八王子市民の中で投票した人たちは「壺自治体」としての未来を選んだのである。統一教会というクソカルトの支配を唯々諾々と受け入れたのである。むしろ積極的にそれを支持したわけだ。そして62%の投票所に行かなかった無責任な市民は、自分たちの街が統一教会に支配されてることに対して何の危機感も感じなかった馬鹿である。そういう思考停止馬鹿も人間として実に恥ずかしいことだが、それが八王子市民の62%ということなので、オレはあえて八王子市を「東京で最悪の馬鹿自治体」と呼びたい。反論は不要だ。選挙結果が全てを語っているのである。
もちろん大阪もペテン師達を当選させ続けてるわけで、大阪府民は八王子よりももっと馬鹿である。維新の教育破壊政策は着々と進行して、高校生の中退率日本一とか、少年犯罪日本一、交通事故死日本一という躍進ぶりだ。道路には白線がなく、センターラインも消えていてどこを走れば良いのかわからないのが普通である。かつての破産都市デトロイトのように、大阪もそんな状態でカジノIRという馬鹿事業に突き進み、借金で破綻しようとしているわけで、大阪は単なる馬鹿以上の破滅玉砕都市とでも呼ぶべきだろうか。もっとも住民がそういう未来を選んでるわけで、まともな数少ない住民のオレは、他の連中があまりに馬鹿なことにあきれるしかない。
これから日本は八王子みたいな都市がもっと増えるだろう。法律なんか守らなくていいし、税金なんて払わなくてもいいというモラルハザードを与党である自民党議員達が率先してやっている。そして検察はそれを放置し、国民はそんな政党に投票し続ける。どこまで日本人は悪党の味方なんだろうか。オレは日本人であることが恥ずかしくなるのである。この国にはもはや道徳とかモラルなんてものは存在しないのか。犯罪者や嘘つきを議員にしていて恥ずかしくないのか。
大阪はとっくに終了している。吉村に244万票も投票される大阪は馬鹿天国だ。オレのようなインテリは迫害を受けるしかない。今にポルポト支配のカンボジアのように「知識人の追放・虐殺」が起きるかも知れない。そして八王子のようなことは日本中の自治体首長選挙でこれから起きるだろう。壺や金権政治に対して国民が肯定して受け入れてしまうという悲劇だ。
オレはカルトを政治、いや日本から排除したいし。統一教会みたいな連中はそもそも宗教ではなく犯罪組織だと思っている。幹部全員逮捕して財産は没収しかないというのがオレの主張だ。「信教の自由」なんてものもあいつらは適用外である。問答無用で解散させて活動を非合法にすべきだ。それでもしつこく「韓鶴子」を崇拝する連中は棄教するまで刑務所か精神病院にぶちこんだらいい。詐欺カルトはそもそも宗教を隠れ蓑にした反社である。暴力団よりも悪質だ。
その詐欺カルトの関係者が作った政党である維新の会の本質も詐欺カルトである。ところが大阪はそいつらに洗脳された馬鹿住民が今や多数派なのである。オレが突然不審死を遂げるということがあれば、ブログ読者のみなさんはどうか察して欲しい。詐欺カルトは殺人もいとわないのである。
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2024年01月19日(金) |
オレも脱税したいぜ! |
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パーティ券をノルマ以上に売った分はキックバックとして自分のフトコロにいれてもよく、しかも収支報告書に記載しなくてよかったということで自民党がクソみたいな連中だったことがますます明らかになったわけだが、オレには大きな疑問が残るのだ。
まず「政治資金なら非課税」という不思議なルールである。オレが政治団体を作ればその財産というのは相続税の対象外となるわけである。遺産相続の時に「政治団体のゼニ」ということにしたらOKという前例は安倍昭恵がやっている。もしも課税されるなら「なんで安倍昭恵はOKなのにオレは払うのか? 法の下の平等に反する」と反論できるわけである。どうも納得がいかないわけだが、それならさっさと政治団体を作ってその長になればいいわけである。
ところがパーティー券のキックバック分は収支報告書に不記載だったわけである。記載すればそれは「政治資金」ということで非課税扱いなんだが、書くのを忘れていたとしてもこれは罪になる。ちなみに「政治資金規正法違反」で有罪となれば公民権停止となる。不記載の連中は金額を問わずすべてこれに該当するから、パーティ券のキックバックに関与した自民党のほとんどの議員が「公民権停止」されなければならない。自民党は議席を失って壊滅するしかない。検察はなんで動かないのか。やる気がないただの穀潰しだからである。
ところがこのキックバックが「政治資金ではないから収支報告書に記載しなかった」「これは個人の雑所得である」という解釈になるなら、公民権停止しなくてもいい。自民党議員は全員助かるわけだ。その代わりにやってくるのが「脱税」という罪である。税務署はすぐにこの自民党議員達を追及して、追徴課税と重加算税を取り立てないといけないのである。わずかな金額でも厳しく取り立てを喰らう庶民と違って、自民党議員は数千万円単位でこの闇所得を得ている。ここから税金を取らないというのはどう考えてもおかしいし、法の下の平等に反するのである。
さて、パーティ券でぼろ儲けした自民党議員たちは、「公民権停止」か「追徴課税される」かの二択しかないのである。オレがその立場なら脱税を認めてゼニで解決するだろう。公民権停止よりははるかにマシだし、そんな犯罪が「修正しました!」とゼニを払って解決できるのである。万々歳じゃないか。
ところがどうも自民党議員の連中は、公民権を持ったまま税金も踏み倒すというどう考えても納得できない行動をみんなでやろうとしているのだ。これはおかしくないか? 国民はもっと怒らないといけない。
石原伸晃という世襲クソ議員は「政治はきれいごとだけではやっていけない」とこのパーティー券キックバック問題を追求する泉房穂さんに対して答えた。石原は「東日本大震災の被災者に向かって「金目でしょ」(お金目当てでしょ)と侮辱的発言をしたことからもわかるように、自分を特権階級の上級国民と思っていて常に国民を見下してるクソ野郎だが、そうした裏金問題を解決する気も無く、「政治とはそういうものだ」と開き直ってるのである。そしてこれが自民や維新に多い世襲議員どもの感覚である。
自民党議員には「追徴課税に応じる」「ゼニ払いたくないから議員辞める(公民権停止)」の究極の二択しかないとオレは思っている。この二択以外の「全員無罪」「議員を続ける」などの結果になるのなら、日本はもはや「法治国家」ではなくて法律など存在しない「放置国家」ということになる。それは世界に発信されるだろうし。そんなクソ国家であることが世界の笑いものになるだろう。
それにしても政治家というのは実に美味しい商売である。脱税もやりたい放題だし嘘も言いたい放題なのである。できるだけ税金を払いたくないオレにとって、「政治家」という職業の選択肢は思いもよらなかったわけだが、まだ未来のある若者達には「政治家サイコー」だと言ってやりたい。税金は払わなくてもいいし、経費で高級車も買えるし、鉄道も乗り放題、その上毎月自由に使える小遣いも100万円という世界なのだ。
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2024年01月18日(木) |
5ナンバーを作れよ! |
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今、3列シートのクルマでよく売れてるのはホンダ・フリードとトヨタ・シエンタらしい。この両車に共通するのはどちらも5ナンバーサイズということである。駐車枠ぎりぎりのような巨大な3ナンバーのミニバンではなく、日本の狭い道に適合したクルマが実は売れているのである。モデルチェンジして3ナンバーになったカローラで、なぜか旧モデルそのままの5ナンバーサイズで残ったフィールダーとアクシオが継続販売され、よく売れているのである。
メーカー側は深い考えもなく巨大化させて3ナンバーにしてしまうのだが、それは海外では問題なくても国内では困るのだ。日本の交通インフラはまだまだ幅が巨大なクルマには対応できていないのである。オレの家のガレージももちろん狭く、フェラーリが欲しくても単に車庫の問題で買えないのである。それでオレは諦めて国産車に乗っているのだ。
その昔、S13型の日産シルビアはデートカーとして大人気で、ホンダ・プレリュードと共にバブルの時代に売れまくったのだが、その両方とも実は5ナンバーだったのである。ところがモデルチェンジしたS14型シルビアは巨大化してデザインもアメリカンな鈍重なスタイルとなり、急に売れなくなった。日産はその後S15型にシルビアをモデルチェンジした時に5ナンバーに戻したがもう手遅れだったのである。その頃は2ドアクーペそのものから若者は離れていたのである。日産は昔からモデルチェンジすると必ず「旧型の方が良かった」と言われるが、シルビアはそうして人気車を不人気車にしたもっとも顕著な例である。
日産の経営陣というのは基本的に馬鹿と犯罪者(書かないでも誰かわかるだろう)しかいないので、シルビアでしでかしたその大失敗を人気車種だったプリメーラでもやっている。2001年に発売されたP13型のプリメーラは3ナンバーに巨大化したことと明らかにぶさいくなデザインだったことでたちまち不人気車種に転落し、2008年にはプリメーラは消滅した。 軽自動車が売れてる理由の一つはその大きさが使いやすいからである。商業施設の狭い駐車枠に駐めるときにドアパンチを警戒しないといけないくらなら。ゆったり駐められる方がいいに決まっている。オレが機械式の立体駐車場を好むのは。ぶつけられたくないからである。
フリードとシエンタが売れているという事実、そしてカローラシリーズでは旧型が売れていることを知っても、自動車メーカーの経営陣は小さい車にシフトしようとは思わないだろう。衝突安全性とかさまざまな理由をつけて、幅が広くなることを正当化しているのである。自分たちがこれまでやってきたことが間違いだったという事実を認めたくないのである。
かつての5ナンバー小型車の役目を、今はホンダN−BOXなどの軽ハイトワゴンが果たしているのが日本の状況である。どうして軽自動車ばかりが売れるのかという理由は、軽自動車以外が大きくなりすぎたからである。小型車と軽自動車の価格はあまり変わらない。どちらも同じ値段で買えるという条件下で商品として魅力があるものが売れているというだけのことである。ユーザーはより小さい車を欲しているのだ。
オレは昨年モーターショーに行ったが、ビジョンコペン以外にワクワクするような車はほとんどなかった。オレの欲しい車がないのはオレの好みがおかしいの、それともメーカーがダメなのか教えて欲しいのである。
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2024年01月17日(水) |
震災から29年〜改めて感じること |
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今日であの阪神大震災から29年が過ぎたことになる。テレビでは震災を追悼する番組が流れ、震災で兄弟や友人を亡くした人がその悲しみを語っている。それを観ていて感じるのは、親を亡くした人よりも、兄弟や友人、我が子を亡くした人の悲しみの方が深いのじゃないかということだ。もっともこれは単に主観的なものかも知れないが。
年寄りが亡くなることと若者が死ぬことは意味が違う。若者が突然に亡くなるということは、そこから続いていたはずの未来が突然消え失せてしまうということである。戦争で亡くなった多くの若者たちの未来が突然奪われたことと同じく、あの震災はとりわけ多くの若者の命を奪った。学生アパートが倒壊してその下敷きになったり、崩れた家の中で柱や梁に押しつぶされて動けないまま火事に襲われた。たとえ自分が助かっても、息子や娘が亡くなったことを知った時の親の心情を思うと、オレは居たたまれない気持ちになる。あの日、隣室のベビーベッドに寝かされていた長男のもとに真っ先に駆け寄ったのはオレの母だったからだ。オレは長く激しい揺れの中で、このまま家と一緒に押しつぶされて死ぬことを覚悟していた。
1月1日の能登半島地震の時にオレが思ったのは、29年前に自分が体験した阪神大震災だった。29年前の記憶のある人は誰しも同じ思いだっただろう。そしてあのとき全国から支援の手が差し伸べられたことを思えば、今やれることは何かという答えは自然と出てくることになる。
Xにはすぐに現地に赴いた山本太郎さんを貶める投稿が大量に出現した。特に統一教会と関係の深い自民党や維新の議員、その支持者達が一斉に太郎さんが炊き出しのカレーを食べたこととを非難した。何もしない奴らが快適な場所からケチをつけるその行為は醜悪だが、音喜多が自分と真逆の存在である山本太郎さんを嫉妬していることはよくわかった。悪いけど音喜多、おまえはクズ過ぎて話にならないからもう消えろよ。点字ブロックの上で壺ダンスを踊るのがおまえの精一杯のパフォーマンスだよ。おまえの手書きのフリップの「被災」の文字の「被」が一画足りなくて、ころもへんがしめすへんになっていたんだけど、そんな字も知らないおまえの教養のなさはよくわかるよ。早稲田でもどうせ女のケツを追いかけることしかしてなかったんだろう。
日本は地震国だ。能登半島の西側は3〜4m隆起した。運転停止中の志賀原発は変圧器が壊れて大量の油が海に流出し、非常用電源も使えなかった。もしも運転中なら確実にメルトダウンを起こしていただろうし、海が4mも隆起したら取水用のパイプが損傷して冷却不能になる。日本列島は原発を作ってはいけない地域なのである。
時間が経てば街は復興し、震災で破壊された建物は撤去されて日常が戻ってくる。しかし亡くなった人はもう戻らないし、記憶の中の悲しみも決して消えることはない。地震や台風と言った自然災害を逃れることが不可能な日本という土地であるからこそ、その災害に対する備えは何よりも重要だ。利権のための万博やカジノにうつつをぬかしているクズ政党なんかに政治を任せればどんなことになるか。我々は十分に理解しておく必要がある。
災害は突然やってくる。我々はいつその当事者になるかわからないのである。そんなときに弱者に寄り添ってくれる政治家は誰なのか。国民のために政治をしてくれる政治家は誰なのか。そのことをいつも我々は投票するときに考えなければならない。「万博開催によって被災地の方を勇気づける!」などとアホなことを語る政治家は、空襲で焼け野原になった街を眺めながら「大丈夫、日本は神の国だから戦争に勝ちますよ!」と言う馬鹿と同じくらいに日本に不要な存在である。自民や維新のようなクズ政党に政権を取らせれば、南海トラフ地震で日本は確実に滅亡するだろう。真に国民に寄り添った政治ができるのは誰か。そろそろちゃんと気付いて欲しいのである。
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2024年01月15日(月) |
なぜ「正義」を掲げて戦わないのか? |
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パーティ券に関わる自民党の裏金疑惑は議員の立件には至らず、最終的には会計責任者の問題とされ、死んだ安倍晋三に責任をかぶせて逃げるという決着になりそうである。自民党という「政治で金儲けをしている巨悪」はまたしても見逃されたのだ。
オレは選挙の度に思うのだが、どうして野党は選挙の争点を「正義と悪の戦い」という形に単純化しないのだろうか。そうすれば有権者の選択もはっきりするのである。前回の参院選でも「(消費税)増税VS(消費税)減税」という明確な争点にできたのに野党はそのようにしなかった。もっとも野党の中に立憲民主党(泉健太)という増税派が混じってるわけで争点にしにくかったことはわかるのだが。
次の国政選挙の争点はもしも野党が本気で勝ちたいのなら、「正義と悪」の戦いであると単純化するしかないと思っている。「政治に正義を取り戻す」「自民党の金権政治家を全員逮捕」「安倍派全員刑務所」などという政治的なスローガンをぶち上げ、「悪い人は逮捕しましょう」とアピールすればいいのである。それは国民の持つ嫉妬心にうまく伝わって「あいつら許せねえ」という投票行動につながるだろう。人間はネガティブな動機で行動しがちである。もしも全国からマイナスの投票が可能になっていたら、山口県で安倍晋三に投票する人の何十倍も安倍晋三にマイナス票が入ったはずである。今なら壺野郎の萩生田とかにマイナス票が集まるだろう、野党はそういうブームを上手く作り出して選挙戦を戦えばいいのである。
悪政4党(自民・公明・維新・国民)に対して、れいわ、共産、立憲、社民の4党が「政治に正義を取り戻す!」というテーマを掲げて、「あなたは正義と悪、どちらに投票しますか?」と訴えればいいのである。このような単純化が有効なことは過去に小泉純一郎が衆院選で「郵政民営化」で国民を巧妙に騙したことで証明されている。
もしも悪政4党の得票が極端に高い地域があれば、その自治体は「悪人天国」とされて日本中から笑いものにされ、その住民は差別されるのである。維新みたいな悪の権化の政党の得票が多い大阪は「日本一悪人密度の濃い地域」とされるのだ。なかなか痛快である。野党にはぜひとも「正義」を旗印に戦ってもらいたい。そして維新の会みたいに自民党の中の悪を凝縮して作ったようなクズ政党が野党のふり、改革者のふりをすることをちゃんと糾弾してもらいたい。「おまえら自民党議員のなり損ない」だと面罵してやればいいのである。
自民党政治は「悪」であり、同時に「アホ」でもある。彼らは30年かけて日本を先進国の中の最貧国に墜落させた。その事実を国民は正しく受け止めないといけない。外国人観光客が増えた最大の理由は日本が「何でも安い国」だからである。決して「魅力的な国」だからではない。今や日本の観光地はどこも外国人に占拠されている。高級ホテルの客はほとんど外国人なのだ。オレのような普通の日本人は一泊10万円以上するようなホテルにはとても泊まれないのである。
オレが1988年に東欧を旅行したとき、あまりの物価の安さにオレは大金持ちになった気分で散財した。路面電車に1円50銭で乗れて、豪華なレストランが100円くらいで楽しめた。おそらく今の日本に来ている外国人観光客は当時のオレと同じような気分なんだろう。そして日本人にとってはそれは決して安くないのである。オレは当時のポーランドで1本5円くらいのアイスを喰いまくったが、それはポーランド人の学生には決して安くはなかったのである。日本をこんな貧しい国にしたのはすべて自民党政治家の責任である。国民の頑張りが足りなかったからではない。もっとも無能な自民党議員に投票し続けるほどアホだったという点では国民の責任なんだが。
オレは悪人が嫌いだ。だから松本人志も吉村洋文も松井一郎も嫌いである。安倍晋三などはものすごく嫌いである。オレの定義する悪人というのは、平気で嘘が言えて、ゼニを不当に稼ぎ、常に保身をはかる卑怯なやつである。そして自分以外の者を犠牲にすることに対して無頓着なクソ野郎だ。カジノ・IRで大阪府民、市民に巨額の借金を背負わせて自分たちは逃げようとしてる連中はほんまもんの悪党だ。
正義のために戦い、自己の利益を求めない「無私」の精神で、真に国民に奉仕できるような政治家こそが今求められるのだ。悪政4党には残念ながらそういう人は一人も居ないのである。そんな連中に投票してきた国民は愚かすぎる。統一教会のような詐欺カルトの手先に未だに投票する馬鹿国民からは公民権を取り上げて欲しいくらいである。
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泊まりがけの勤務を終えて帰宅した我が家はたいへんなことになっていた。
柔軟剤を使って洗った衣服が部屋干しされていて、強烈な刺激臭に部屋が包まれていたのである。なんということか。オレは頭痛に襲われて、妻に「アホかおまえは!」と叫び、寒い中窓を全開にさせた。なんでこんなひどいことができるのか。オレは化学物質過敏症で、そんな危険な衣服を身につけてしまうとひどい湿疹が出て、回復するのに何ヶ月もかかるのである。これまで何度も言ってきたことがどうしてわからないのか。
医療用洗剤のアレルギーは、当事者ではない人には絶対にわかってもらえない。だからテレビでは無神経にCMを流し続けるし、その問題点はおそらく広告会社からの圧力なのかわざと伏せられている。アトピー性皮膚炎に悩む子どもの中には衣料用洗剤が原因のものが多数あるはずなのに、その原因は放置したまま医師は大量のステロイド剤を処方して金儲けしか考えてない。被害に遭う子どもは本当にかわいそうだが、親もまたそのことに対して無知なことが多いのである。オレの息子も同じように刺激に弱い。幼稚園のポロシャツが漂白された結果、ひどい湿疹ができたことでオレは洗濯した母に文句を言ったことがある。「だったら汚れたまま着せるのか?」という頓珍漢な答えが返ってきた。問題の次元が違うだろ。
オレが臭いに抗議しても、家人たちはきょとんとしていることが多い。オレは常人の何倍も嗅覚がすぐれている。妻が部屋で放屁した1時間後であっても匂いを感知して「おまえ、屁こいたやろ!」と指摘できるのだ。だから妻は冬場はこたつの中に放屁することにしているらしい。
職場で喫煙者とエレベーターで一緒になることが苦痛だ。だからオレはエレベーターには乗らないのである。喫煙者は自分の肉体にしみついたタバコのにおいに対して鈍感である。汗臭いオッサンも本当に苦手だ。もちろん汗臭い若者も苦手だ。オレが登山をしていて一番苦手だったのは、山から下りてくる饐えた臭気を発する一団だった。上高地で売店に入ると、これから登る人と下山してきた人をオレは匂いだけで判別可能である。
オレが自動車通勤していることには理由がある。電車通勤の場合、ラッシュアワーで臭い人間に密着されたくないからである。だから混雑を敢えて避けて行動することが多い。最寄り駅から電車に乗るとき、混雑する準急を避けて各駅停車に乗ることが普通だ。たかだか10分ほどのために嫌なものを我慢したくないのである。空いている電車なら臭い人間に遭遇しても移動したらいいだけである。クルマには無臭性の消臭剤を使っている。その上で脱臭剤を定期的に交換している。定期的に洗車してワックスがけするだけではなく、車内清掃も完璧にしている。
そういうことを書いたら、まるでオレは病的な潔癖症のオッサンだと勘違いされそうだが。ただオレは自分の健康のためにそうした行動を取ってるのである。香害反対!それだけがオレの主張である。
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2024年01月11日(木) |
『となりのナースエイド』川栄李奈を視て |
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水曜日の夜に視た『となりのナースエイド』というドラマが面白かったので、オレは連ドラ予約することにした。病院内で看護師よりもさらに下の階級とされ、院内で差別されながら働く人たちを描いたドラマだが、露骨にナースエイド(看護助手)を見下した発言をする看護師を登場させることで、院内の序列意識、階級意識を描いてるところが面白かった。
少し前に薬剤師を主人公にした『アンサングシンデレラ』というドラマがあって、石原さとみを視るためにオレは毎回録画して視ていたが、その前の『ラジエーションハウス』という検査技師を主人公にしたドラマも面白かったし、医師を主人公としない医療ドラマが増えているような気がする。いろいろな仕事がそうしてドラマで紹介されることは、若者の進路選択のためにはかなり役立つような気がする。
あらゆるお仕事の世界で人手不足は深刻だ。別の職種として用するということでその人手不足の世界を解消するというのは世界で起きていることかも知れない。歯科衛生士ではなくて歯科助手であるというのもその一例だろう。ナースエイド(看護助手)がしているお仕事はかつては看護師の領分だったのかも知れない。
学校で教員の仕事を減らすためには、教員免許がなくてもできる仕事をどんどん他の人に割り振ってしまうというのも一つの解決策かも知れない。オレは公立高校で働いていた頃に実力試験の成績処理などのデータを扱う作業に忙殺されたが、工夫すればそれは外注することが可能なのではないか。
まだ第一回をみただけなので『となりのナースエイド』がこれからどんなドラマになって行くのかはわからない。ただ、医療に関するオタク的な知識があるヒロインがどんな活躍をするのか楽しみである。医師が必ずしもすべての知識を備えているわけではなく、今はさまざまな先端医療の技術さえも個人がネットで情報収集することが可能だからだ。
オレは尋常性乾癬という難病に罹患しているが、今はいい薬があるのでかなり症状は軽く抑えられている。ただ、20代の頃に通った病院や皮膚科ではそういう診断は一度もされず、効かない薬ばかり処方されていた。オレは自分の病気が何であるのかをネットで調べて予測して、大きな病院で「これは尋常性乾癬ではないんですか?」と質問して、そうしてはじめて効果のある薬を出してもらえるようになったのである。今は街の小さなクリニックで処方箋を書いてもらって薬を手に入れている。どうしてその病気が一目でわからないようなレベルの人が堂々と「皮膚科でございます」と看板を掲げ、効かない薬を出しながら患者を生かさず殺さずで稼ぎ続けるのかと腹が立つのである。
自分の肉体について一番理解できるのは自分自身だ。通ってる医者がヤブ医者かも知れないと思ったら別のところで診察を受けるべきだ。名医はきっといる。オレの偏頭痛の原因を、顔を見ただけで「これは肩こりですね」と答えた名医もいた。オレは臆病者なのでちょっと異常があるとすぐに病院に行く。「別にたいしたことない」で済ませたくはないのである。医療の世界に医師以外の職種の方がたくさんいて、それぞれ専門的な豊かな知識と経験で患者に接してくれることはきっとよいことだと思うのである。
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2024年01月10日(水) |
輪島大火で失われたもの |
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能登半島地震を伝える映像の中で、輪島市の朝市通りの大火を視たときにオレが思ったのは、そこにある「永井豪記念館」のことだった。永井豪の熱烈なファンのオレは一度そこを訪問したことがあるが、もしも一人旅なら一日中そこで過ごしたかったということである。記念館は焼失し、永井豪さんの貴重な原画も失われてしまったということである。
永井豪さんは不遇な作家である。オレは彼の業績は手塚治虫さんと並ぶと思っている。少年ジャンプが少年漫画誌のナンバー1の地位に上り詰めたのは、永井豪さんの『ハレンチ学園』が大人気だったからに他ならない。ところがこの作品は「作中に描かれるエロが教育上よくない」というレッテルを貼られ排除されてしまったのである。「スカートめくり」なんて行為を今の学校で行えばそれこそ大問題だろう。それを「明るいエロ」として描いたのが彼の作品だった。
オレが一番好きな永井作品は『けっこう仮面』である。ヒロインの美少女が悪を退治するのだが、戦うときには全裸になる。必殺技は「おっぴろげアタック」である。男達はたちまち戦闘不能となってしまうのである。他にも「きんたまをいじれば変身する」という『ヘンキンタマイダー』というふざけた作品など、エロを笑いに昇華させるそのセンスにオレはいつも見事にやられていたのである。
彼は問題提起的な作品も発表している。『スペオペ宙学』では昆虫を主食とする宇宙人が他の宇宙人に差別される状況を描いて人種差別問題を告発し、『オモライ君』では不潔さの極致を描く。そのユニークな発想にはいつも驚嘆させられたのである。
あの誰もが知る有名な『北斗の拳』という作品で描かれる世界は、実は永井豪の書いた『バイオレンスジャック』という作品とよく似ている。永井豪が『バイオレンスジャック』を発表したときも、さらに同時期の作品であるふくしま政美の『聖マッスル』も、共にその登場が早すぎたのだとオレは思っている。『聖マッスル』は全く人気が出ないで連載を打ち切られ、少年漫画はその後ラブコメ路線へと変化していく。『バイオレンスジャック』は関東地獄地震で荒廃した後の関東地方を描いているが、力が支配するその世界は『北斗の拳』で描かれる世界とよく似ている。強靱な肉体を持つ主人公が、暴虐非道の悪と戦うという設定も同じである。なぜ永井作品はもっと評価されなかったのだろうか。
『マジンガーZ』で女性が操縦するロボット兵器である『アフロダイエース』のおっぱいがロケット弾になってるという設定は子供心をワクワクさせたが、そういうさりげないエロを作品中に織り込んでるのが永井作品の魅力なのである。エロの要素を「青少年に有害なもの」として排除しすぎると漫画はくだらなくなってしまうのである。
能登半島地震からの復興のためには巨額の資金が必要だ。オレは永井作品が復刻上映されたり、新たにアニメ映画が制作されたりすることでその足しになればと思っている。それにしても『キューティーハニー』の変身シーンでヒロインが一瞬全裸になるところで脱がなかった西内まりやがオレの(エロい)期待を最高に裏切ったことだけはしっかりと訴えておきたい。美しいものはちゃんと見せないとだめである。
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2024年01月09日(火) |
古いパソコン万歳! |
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昨年末にオレは知人から突然電話を受けた。なんでもプリンタが動かなくなって困ってるのだという。オレはジョウシンでプリンタを購入してそこに向かおうとしてふと思いとどまった。確かめちゃくちゃ古いパソコンを使っていたはずである。今のプリンタは対応していない。それで先に行ってパソコンを確かめると、ウィンドウズXPのサービスパック2である。今市販されているCANONのプリンタには対応機種はない。
それで調べてみると、EPSONのEW−052、EW−452という複合機なら使えることがわかった。ジョウシンでは在庫なしということだった。
廉価版の052の方なら楽天市場で検索すると、6700円という安価で購入可能である。オレは通販で購入することにして知人に連絡し、商品が届いてからパソコンとの接続のために訪問して作業したのである。セットアップの作業をしながら、こういう一連のことは昔からパソコンを使って仕事をしている自分には普通のことだけど、かなりハードルが高くて店にセットアップ工賃払って丸投げする方がいても不思議ではないよなと思ったのである。
パソコンのOSがどんどん進化するのは、そのたびに新しい機能が強化されるわけで納得なのだが、この知人のパソコンはネットにつながないで使っておられる。そういう意味でセキュリティを強化する必要は全くないのである。CUTPOPというかなり古いPOP作成ソフトを使っておられて、確かこれはウィンドウズ7から後は非対応だったはずである。ちなみに最新版のCUTPOP7ならWIN11まで対応している。過去データの互換性とかがあるなら入れ替えを考えてもいいのかも知れない。ただ、最新版のCUTPOP7は古いOSの上では動かないわけである。
パソコンがどんどん進化しているのは事実であり、オレはどちらかというと旧時代の遺物のような人間である。今でもワードは苦手で一太郎で文書作成するし、エクセルも自分の仕事に関係するような最低限の機能しか使えない。これから勉強して新しいことを覚えて・・・という意欲もそれほどあるわけでもない。しかし古いことならわかる。ウィンドウズ以前からパソコンを使ってるので、逆に今の若者が知らないことを知っているということはアドバンテージかも知れない。
めちゃんこ古いパソコンをネット接続するにはどうすればいいのか。確かウィンドウズ98の時代でもインターネットは可能だったはずだ。我が家にはもう使わなくなった古いパソコンがたくさん眠っている。NECの懐かしのPC98シリーズのノートパソコンさえもある。長く放置してるので電源がもう入らないかも知れない。そのあたりは今の時代ではただの廃棄物でしかないのだろう。もはや金属資源回収に回すべきなのだろう。
そして昔のパソコンはやたら高価だった。デスクトップ本体とプリンタやモニター一式を揃えるのは50万円コースだった。そういう時代から比べれば今はものすごく安く高性能なものが買えるのだ。それはある意味幸せなことである。
当時パソコンや周辺機器を買うために出入りした大阪・日本橋のバッタ屋も今はもう存在しない。一時はマウスをコレクションしていて、変な形のマウスをいっぱい持っていたなあと思う。それは我が家の押し入れのどこかにひっそりと眠っているはずである。PS/2接続のマウスなんて今は使えるパソコンが存在しないだろう。USB用の変換アダプタとか今でも手に入るのだろうか。
そういうノスタルジーに浸りながら、老後はそうした古いパソコンも蘇らせて、のんびりと遊べるような生活をしようかとオレは思うのだった。もうすぐ毎日が休日となるのだから。
←1位を目指しています。
1月5日、オレは近鉄特急の「しまかぜ」に初めて乗車した。6号車の展望車からの後方展望は見事で、ゆったりとしたフル電動リクライニングのシートは快適だし、窓のカーテンも電動、個室BOXもあって家族連れにも便利な列車だった。これは近鉄が世界に誇れる豪華列車である。ふだんクルマで移動することが普通のオレも「いやはや、こういうのも実にいいものだぜ」と感動したのである。免許返納後はこういう豪華列車で旅をするのもいいかも知れない。
大阪から名古屋に行く場合、大阪北部に住む人なら迷わずに新幹線だろう。しかし、近鉄特急というものが大阪南部の人間にとってはより身近なのである。近鉄なんばから名古屋まで、名阪特急「ひのとり」を利用する場合、プレミアム車両で5690円、レギュラー車両なら4990円なのだ。なんばを9:00に乗車すれば名古屋には11:09 に到着するのである。新幹線のぞみなら指定席で6680円もするわけで、近鉄の方がかなり安い。「ひのとり」よりも安いアーバンライナーにすれば所要時間は30分延びるが4790円とさらに安くなるのである。高速バスならもっと安いかも知れないが、時間と疲労を考えればここは近鉄特急に分があるだろう。
そんなことを主張すると、「今はリニアの時代だ」「おまえはアホか!」と言われそうなんだが、いつのまにか全車指定にされている「のぞみ」の不便さなどを思えば、ここは空いている近鉄特急をオレは勧めたい。
しかしこの「しまかぜ」や「ひのとり」は運転区間がなんばから賢島、名古屋と限定されてるのが残念でならない。近鉄なんば線を通じて線路がつながってる三宮とか姫路まで直通列車を走らせて、新幹線の客を奪って欲しいのである。姫路−名古屋間の直通特急などが運転されるなら所要時間はどれくらいになるのだろうか。
近鉄には他にもさまざまな個性的な特急がある。関西私鉄の雄としてこれからも頑張ってもらいたいとオレは思っている。リニアが名古屋まで開通すれば、名古屋までは近鉄特急、そこでリニアに乗り換えて品川へ行くというパターンの旅になるだろうか。せっかくリニアで速く移動したのにそこから近鉄特急でのんびりというシュールな旅もまた面白いのである。
クルマを運転している場合、常に100%集中していないと事故の危険がある。自動運転はまだまだ実用化にはほど遠いし、スバルのアイサイトなどの安全機能も100%完全に事故を防ぐとは言いがたい。どんなにオレが気をつけても、信号無視して突っ込んでくる頭おかしいやつの前では無力だ。そういう意味では安全な公共交通機関はもっと評価されるべきだ。田舎で鉄道を廃止してバス転換や、ライドシェアなどが導入されていくのは今の日本の必然かも知れないが、ものすごい田舎でも鉄道が通じているというのがその土地の魅力だったとオレは思っている。新幹線の膨大な利益を使って地方のローカル線を維持していけばよかったのに、国鉄を解体なんかするから余ったゼニでリニアみたいな無用の長物を作ろうとする馬鹿が出てくるのである。
JRの地方のローカル線も、個性的な列車を走らせれば絶対に需要は生まれる。世界中に客は存在するのだ。日本の鉄道文化を世界にどうアピールすればいいのかを工夫すれば面白いのである。嵯峨野トロッコ列車みたいな観光に特化した取り組みは成功している。オレは今回のしまかぜ乗車で鉄道旅行の快適さに改めて気付かされたのである。
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2024年01月04日(木) |
スメハラはやめてくれ! |
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東京から帰省してきた次男が妙にオシャレになっていた。持ち物も贅沢になって、プラダの三角ショルダーバッグ(アマゾンで22万円)なんかを持っていた。日頃ユニクロやGUで買った安いバッグを使ってるオレには想像もつかない持ち物である。クレカもオレが楽天ゴールドカードなのに、次男は楽天プレミアムカードだった。27歳のくせになんてブルジョワなんだ。勤務先の会社での肩書きはもう取締役である。
その次男がオレのクルマに乗り込む前にコートにディオールの香水を大量に振りかけていて、クルマの中がたちまち臭くなった。なんてことするんだ。オレは怒り狂い、そのコートの上から消臭スプレーをまいて車内からその臭さを排除しようと焦った。次男を駅に送り届けてからもかなり長時間窓を全開にして走った。そしてさらに今日も消臭スプレーをまいて、脱臭剤を買ってきてクルマの中に設置した。ほんまに香水のきつい匂いは迷惑である。オレのように匂いに敏感な人間は特に不快だ。
オレは体臭のきつい男女は嫌いだ。まだ若い女性なら許せるが、男の汗臭いのは絶対にダメだ。女性でも屁をこいて臭い女はいやだ。そういう臭い人間が満員電車に乗ってると周囲の乗客は本当に困るだろう。なんでそんなに臭いのか。
以前に携帯電話SHOPで窓口対応して下さった女性の口臭があまりにもきつくて閉口したことがある。それは別にニンニクやネギを食った香りではなく、今から思うと歯周病由来のものだったと思うわけだが、自分も過去に歯周病治療をしているわけで、もしかしたら他者に不快感を与えているかも知れないと思うようになってからは歯磨きの回数が増えた。今は毎月歯科医に通って歯のクリーニングと歯石取りをしてもらっているし、その時に歯周ポケットの深さとか歯茎の出血とかを診断され、磨き残しの注意をきびしく受けている。できるだけ長く自分の歯で食べたいのでこれはとにかく続けるしかないのである。健康はゼニよりも何よりも大切で、それには歯の健康も含まれる。
化粧の濃い女性は苦手だが、そういう女性が強烈な香水の匂いとかを周囲に振りまいてるのはもっと嫌だ。そうやってごまかさなければならないいほどアンタは腋臭とか体臭が臭いのかと言いたくなるのである。きちんと毎日お風呂に入って清潔にしていればそんなに臭くはならないだろうと思うのだが、もしかして体臭がきつい人の中には「風呂が嫌い」という日本人らしくない人も含まれるのかも知れない。
考えたらオレはクルマに家族以外は親しい人しか乗せないし、その人たちの中には特に体臭が不快という人が居るわけでもない。喫煙者は基本的に乗せないし、香水の匂いのきついケバいねーちゃんはオレとそもそも関わらないのである。そういうわけで、東京から帰省してきた次男は、オレの周りの人間の中で唯一のスメハラ男だったわけである。
オレ以外の家族も一斉に次男のスメハラ攻撃に対してブーイングの嵐だった。そういうわけで、次男は東京での自分の日常生活がそのまま通用しないということを学習したことだろう。友人と違って家族には選択の余地がないわけだが、家族がそういうスメハラ男になったことはオレの不徳のなすところである。今回の帰省でもオレは「タトウー禁止」「違法薬物絶対禁止」ということをしつこいほどに言い聞かせた。今時の若者の相手は大変なのである。
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2024年01月02日(火) |
万博どころじゃないぜ! |
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令和6年能登半島地震が起きた時、オレは一風堂の店内でラーメンを食べていた。揺れは思ったよりも長く、もしかして南海トラフかも・・・と一瞬思ったほどである。すぐに震源は能登半島付近と知れたわけだが、次々と舞い込む地震報道はショッキングなものだった。旅行で訪れれたことがある輪島の朝市通りは大火事で焼け落ちた。
津波も石川、富山、新潟に押し寄せ、海の家などの施設は流され、海岸近くの住宅にも被害が出た。日本が地震国であることを実感した日だった。そしてこのような地震は火山だらけ、断層だらけの日本ではどこで起きてもおかしくないのである。災害が起きたときにどう対処するか・・・これは日本という地震国でもっとも大切なことなのに、防衛費と違って災害対策のゼニはどんどんケチられているのが事実である。
「そんな大きな津波なんかこない」とたかをくくって対策をおろそかにしていた結果として福島第一原発は津波で破壊されてメルトダウンした。国会で共産党の吉井英勝議員が質問したことはきちんと動画にも残っている。その質問に誠実に向き合い、津波対策をしていればメルトダウンも起きなかったし、福島原発は今も運転を続けることができただろう。東電幹部と政府与党がボンクラだったから今の事態を招いたのである。
万博の会期中に「津波なんか絶対来ない、南海トラフ地震なんか絶対に起きない」などと誰が言えるのだろうか。もしも南海トラフ地震の津波が夢洲を襲えば、来場者は逃げることができず、10万を超える人が被災して流され、リングの上で救援を待つことになるのかも知れない。日本には地震から絶対に安全な場所などどこにもない。ましてや夢洲みたいに海に近く、液状化で土地もぐちゃぐちゃになってしまう場所で万博だ、カジノだと浮かれるのはただの馬鹿である。犠牲になった海外の観光客の家族に向けて、「想定外でした」とヘラヘラ笑って答えるのか? そんな危険な場所で万博を開催することがそもそも間違いだろう。もしも亡くなった海外の観光客全員に対して賠償金を払うことになった時、それは日本政府が責任を持って支払うことになる。そんなリスクのある場所など最初からやめておけばいいじゃないか。なんであんな場所でやるんだ?
着陸直後の旅客機が滑走路上で接触・衝突事故を起こすほど日本は杜撰な国である。発展途上国の出来事ではない。正しく管制されているはずの羽田空港で起きた事故なのである。こんなレベルの安全対策で世界から観光客を呼ぶ資格があるのか。今すぐに万博なんか返上するべきだろう。旅客機もまともに着陸させられないようなこんな危険な国に、どうして「安心して観光旅行に来て下さい」などと呆れたことが言えるのだろうか。
今からでも遅くない。岸田総理は万博中止の英断を下すべきである。そうすればこれまでの失敗すべてを帳消しにできる英断だと評価されるだろう。岸田おろしの声が出ることを食い止めることができるだろうし、維新の会を壊滅に追い込むことができる。もっともどうせ岸田は財界やアメリカの傀儡人形だから、ろくな手も打てずにそのまま失敗に突き進むのだろう。南海トラフ地震が最悪のタイミングで起きるとしかオレには思えないのである。
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2024年01月01日(月) |
吉本興業とフールジャパン |
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日本国民はどうしてこんなに馬鹿になってしまったのか。教員の待遇をどんどん悪化させてまともな能力のある人をどんどん教育の世界から排除したこともその一因かも知れない。しかし。政府が積極的に「国民馬鹿計画」を推進してきたことはそのさまざまな政策から明らかである。
たとえば日本中に大学を増やしまくったことは何をもたらしたのか。若年労働者の不足による製造業の衰退や,Fランク大学進学者の増加と奨学金地獄、そして若者の貧困をもたらした。オレは20代の頃にどんどん大学が増えることによって日本は高学歴化が進んでよりよい国になると勘違いしていた。実際は大学を増やしたことは馬鹿でも入れるFランク大学を増やしただけだったのである。ニート養成所と化した多くのFランク大学ではまともな講義や研究など行われていないのである。
馬鹿国民の増加は政治への無関心につながる。20代以下の投票率は3割にも届かないという。そういう無関心な若者が増えれば、組織票とカルト票で自民党の政権は安泰だ。実際の所投票率は国政選挙の度に下がり続けているし、政治に無関心な若者を増やすという与党自民党の狙い通りになっている。
しかし、世間にはまだまともな大人がいる。その大人達が政治腐敗に怒れば自民党には投票してくれなくなる。そこで自民党が考えたのが、吉本興業にゼニを出すいわゆる「クールジャパン」という戦略である。世界に漫画やアニメなどのクールな日本文化を発信しようという作戦だった。吉本興業と政府自民党はそこで手を握ったのである。100億円を超えるゼニが吉本興業に渡った。政府が広報機関として「お笑い」を利用したのである。
もちろん、吉本興業ごときに世界への発信力などない。世界に通用するレベルの芸人などいない。松本人志のようにいじめ加害を「イジリ」と称して正当化するクズ芸人の掃きだめレベルの組織である。
この「クールジャパン」戦略は見事に当たった。吉本興業はテレビ各局の大株主となり、実質的に放送内容を左右するようになった。テレビには吉本芸人が跳梁跋扈し、かつては社会派の話題をよく扱った関西の人気番組『探偵ナイトスクープ』も、司会が松本人志になってからはもはやかつての面影もなく、吉本芸人が自分たちのつまらないギャグで笑いを取ろうとするゲスな番組となったのである。
「クールジャパン」というのは実際は「フールジャパン」、日本国愚民化計画だったのである。そのために政府は吉本興業にその旗振り役をさせたのである。そして第二自民党である維新の会(自民党スガ派)によって、その実験的な大阪支配は成功した。
その吉本興業支配が今、打ち破られようとしている。松本人志やその取り巻きによる女性達への性加害が告発されたのである。ジャニー喜多川氏による性加害が明らかになってジャニーズが解体されたように、今度は吉本興業がその犯罪行為を暴かれたのである。オレは松本人志という人間が昔から大嫌いだった。いじめ加害行為を面白がるようなその芸風に対してオレはいつも不快だったからだ。
ジャニーズも宝塚も吉本興業もすべて根っこは同じである。権力のある者や序列が上の者が下の者を理不尽に支配するそのパワハラ体質はすべて共通している。松本人志はNSC1期生なので、吉本芸人でNSC出身者はすべて彼の後輩ということになる。NSCという組織が日本のお笑い文化の質を劣化させ、テレビしか視ない人たちを洗脳するのに大いに役だったことは明らかである。今、その吉本芸人達は大阪を独裁支配する維新の会の旗振り役となって、日々テレビで万博の宣伝や吉村知事のヨイショ発言を繰り返している。
吉本興業が仕掛けてきたこの「フールジャパン」戦略、その黒幕はいったい誰なのかとオレは考えるのである。松本人志などはただの自分の欲望に忠実なだけのゲスなおっさんだ。彼を利用してもっと悪辣なことをやろうとしいる黒幕はいったい誰なのか。オレはただそれが知りたいだけだ。
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